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2016/11/21

谷の響 四の卷 二十 妖魅人を惱す

 

 二十 妖魅人を惱す

 

 某と言へる縣令附きの人あり。往(い)ぬる嘉永の年間(ころ)、田税督責(とりたて)の爲に姥袋といふ邑に往きて宿歇(とまり)けるが、夜に至り客廰(ざしき)の椽側に男女の聲として俱に語りありけるが、時謝(うつ)りて已に會明(あけがた)ちかくなりて止みたりき。某いと五月蠅(うるさく)おもひ、いかに若き者の業(こと)とは言ひながらしかすがに長き物語かなと呟訟(つぶやき)つゝ起出でぬ。さてその夜また斯(かく)の如く語り合ひて曉(あけ)に及びしが、その日の午下(ひるすぎ)に赤石村に移りて官舍に寢(いね)たるが、又この男女の話の音聞えければ、そも何ものにやあらんと耳をすまして聞たるに、その男は郷士某の聲なれば、憎きやつと思ひそれが名をさして高らかに呼たるに、應(いらへ)もなくて少時(しばし)歇止(やみ)たれど、間なくして又はじめの如く語りあへり。某いと惱(わづら)はしく又耳につきて眠る事ならねば、官舍の小使を呼起し火を燈して俱に第莊(やしき)の隈々を探り見れど、森閑(しんかん)として眼の遮るもの更にあらざれば、後閨(ふしと)に入りて衾(ふすま)を被(かつ)きぬるに語ることいやまして、甚しきは障子にすり當る事囘々(たびたび)聞え、遂に黎明(あした)に至りて止みぬ。

 かくのごとくすること五日にして、少しも眠る事能はず。顏色稍(やゝ)衰へ懊惱(ここちなや)まして居るに耐ざれば、病氣と稱(とな)へて弘前に上り、それが縣令なる工藤某へ往きてこの有狀(ありさま)を委曲(つまびらか)に語れるに、工藤氏狐狸のわざくれなる由を説諭(ときさと)し、萬般(いろいろ)力を添えて慰めける。さるに此人家に歸り二階に寢たるに、格子の外にて又この男女の語れる事終夜(よもすがら)にして、旬日あまりのうちは殊にかしましく、某之が爲に病つき食もほとほと絶(た)つるばかりなるに、神に祈り佛に憑(たの)み醫藥手を盡して、兩月(ふたつき)あまりにしてやうやう癒(い)えたり。決(きはめ)て狐狸の爲業(しわざ)にて有べけれど、斯く人を惱すことこそ憎けれとこの工藤氏語りしなり。

 

[やぶちゃん注:この主人公の様態は、激しい幻聴・幻覚(障子に人が擦れ触れるとする現象)を伴う精神疾患の症状と考えられる。恐らく、この「某」、この年貢取り立ての実務巡回が心底、厭だったであろう。また、幻聴の中で、その話者の男の方を、巡回する当地の具体的な実務担当者と特定し、「憎きやつと思ひそれが名をさして高らかに呼」ぶ辺りでは、その「郷士」本人との実務上或いは私的(女絡みかも知れぬ)なトラブルがあり、それが強いストレスとなっていたことが深く疑われる。彼の上司である県令工藤某も、それは狐狸の悪戯であるとあっという間に断定してしまい、「説諭(ときさと)し、萬般(いろいろ)力を添えて慰め」たとあるのも、却って、この某の状態が正常な精神状態ではないことを感じ取った故の応急対応と、逆に読める。症状は短い間に増悪し、食事も出来なくなるありさまであったというのは、統合失調症さえ疑われるのであるが、これがまた、二ヶ月ほどで快方に向かったというのは(工藤氏が最後に「斯く人を惱すことこそ憎けれと」語ったというからには、その後、某は見かけ上は、全く正常に復したことを意味すると考えてよかろう)、やはり一過性の幻聴・幻覚であり、先に示した職務上のストレスが昂じ、幻聴を主調とした幻覚や関係妄想を伴うところの、強い心因反応を起こしたものと一応は判断出来よう。工藤は彼を配下の事務方か何かに配置換えしたものかも知れぬ。

「縣令」本作は幕末の万延元(一八六〇)年の成立であるが、江戸時代に「県令」という正式な官職はない。作者平尾魯僊は文化五(一八〇八)年生まれで、明治一三(一八八〇)年に没しているが、近代日本の「県令」は明治四(一八七一)年十一月、太政官制の下で施行された県治条例の職制によって、府知事はそのまま知事、県知事は県令又は権令と改称されているから、この箇所の記載は後に平尾が追記したものかと思ったが、本文では後で当時(嘉永年間)の「縣令」と出るから、思うにこれは、弘前藩内の各郡の支配担当官を県令と読み換えたもののように思われる。

「嘉永の年間」一八四八年から一八五四年。

「田税」年貢。

「姥袋といふ邑」底本の森山泰太郎氏の補註に『西津軽郡鯵ケ沢町姥袋(うばぶくろ)。赤石川下流の部落』とある。現在は鯵ケ沢町姥袋町。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「客廰(ざしき)」「廰」(庁)には「役所」以外に「家」「部屋」の意がある。

「椽側」「緣側」。

「謝(うつ)りて」「謝」には「去る」の意がある。

「しかすがに」これで一語の副詞。そうはいうものの。元は副詞「しか」+サ変動詞「す」+上代の終助詞「がに」(活用語の終止形に接続し、下の動作(ここでは「長話する」こと)ここでは「の程度を様態的に述べるのに用いられる。「~せんばかりに・~するかのように・~するほどに」)が付いたもの。

「呟訟(つぶやき)」二字へのルビ。不平を呟きながら。

「赤石村」同じく森山氏の補註に『鯵ケ沢町赤石(あかいし)。赤石川が二本かに注ぐあたりの漁村』とある。現在は鯵ケ沢町赤石町で、先の姥袋の北側に接する。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「郷士」「ごうし」。城下町に住む武士に対し、農村部に居住する武士の呼称。本来、諸藩の家臣は兵農分離によって城下町に住むべきものとされていたが、地方では農民支配の末端機構としてこの郷士を利用する藩も少くなかった(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。ここはそうした郷士の中で、各地域の実務担当者を指すのであろう。だから、巡検役であるこの主人公が、普段から仕事で接し、よく知っていたことから、その声だけで特定出来たのである。

「後」「のち」。

「閨(ふしと)」「臥所・臥床」。読みはママ。

「障子にすり當る事」話している人物らが、障子に触れて擦れ、その物音が聴こえてくることを指している。実在物に当たって音を立てるというところが怪異の真骨頂の部分となる。それまでなら、自分でも幻聴や何かの勘違いと納得し得るのであるが、ここに至ってそれは主人公の中の「奇体な事実の音」として認識されるのである。伝統的怪談のキモの部分である。

「懊惱(ここちなや)まして」上手い和訓。「懊惱」は音「アウナウ(オウノウ)」で、「悩み悶えること・煩悶」の意。

「居るに耐ざれば」最早、不眠が続き、正常に勤務することが出来なくなって。

「わざくれ」悪戯(いたずら)。

「旬日」普通は「じゆんじつ(じゅんじつ)」であるが、意味から「とおか」(十日)と訓じていると思われる。]

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