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2016/11/14

年越酒   尾形龜之助 (附 初出復元)

 

    年越酒

 

 庭には二三本の立樹がありそれに雀が來てとまつてゐても、住んでゐる家に屋根のあることも、そんなことは誰れにしてみてもありふれたことだ。冬は寒いなどといふことは如何にもそれだけはきまりきつてゐる。俺が詩人だといふことも、他には何の役にもたゝぬ人間の屑だといふ意味を充分にふくんでゐるのだが、しかも不幸なまはり合せにはくだらぬ詩ばかりを書いてゐるので、だんだんには詩を書かうとは思へなくなつた。「ツェッペリン」が飛んで來たといふことでのわけのわからぬいさましさも、「戰爭」とかいふ映畫的な奇蹟も、片足が途中で昇天したとかいふ「すばらしい散步」――などの、そんなことさへも困つたことには俺の中には見あたらぬ。

 今日は今年の十二月の末だ。俺は三十一といふ年になるのだ。人間というものが惰性に存在してゐることを案外つまらぬことに考へてゐるのだ。そして、林檎だとか手だとか骨だとかを眼でないところとかでみつめることのためや、月や花の中に戀しい人などを見出し得るといふ手腕でや、飯が思ふやうに口に入らぬといふ條件つきなどで今日「詩人」といふものがあることよりも、いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと傳説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを讀む人を言ふといふことになつてはみぬか。

 三十一日の夜の街では「去年の大晦日にも出會つた」と俺に挨拶した男があつた。俺は去年も人ごみの中からその男に見つけ出されたのだ。俺は驚いて「あゝ」とその男に答へたが、實際俺はその人ごみの中に自分の知つてゐる者が交つてゐるなどといふことに少しも氣づかずにゐたのだ。これはいけないといふ氣がしたが、何がいけないのか危險なのか、兎に角その人ごみが一つの同じ目的をもつた群集であつてみたところが、その中に知つている顏などを考へることは全く不必要なことではないか。人間一人々々の顏形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出來た無數のビスケツトの如く、一個の顏は無數の顏となり「友人」なることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、友情による人と人の差別も、戀愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことゝなつてしまふのがよいのだ。

 

[やぶちゃん注:第二段落末尾近くの「それも所詮かなわぬことであるなれば」はママであるが、必ずしも文法的に破格でもない。ここを順接の仮定条件ではなく、「それも所詮はかなわぬということなのであってみれば」という意味でとるならば(そのニュアンスの方がむしろ強い気がするくらいである)、古語の已然形接続の接続助詞「ば」の順接の確定条件の用法として、おかしくはないからである。

 本篇は昭和五(一九三〇)年二月発行の『門』第七号を初出とし、翌三月発行の『詩文学』第一巻第六号、及び翌昭和六(一九三一)年六月詩文学社刊の「現代新詩集」に再録されているがそれらでは題名が異なり、それは以下に示す通り、本詩集冒頭のエピグラムとほぼ相同な副題を持つ「標」(「しるべ」と訓じておく)である。これも私は既に尾形龜之助拾遺詩集 附やぶちゃん注に新字で公開し、そこで詩篇の内容についても注も附しているが、今回は恣意的に正字に直した形で初出を示し、そこでの注も再掲しておく。

   *

 

     ――(躓く石でもあれば、俺はそこでころびたい)――

 

 庭には二三本の立樹がありそれに雀が來てとまつてゐても、住んでゐる家に屋根のあることも、そんなことは誰れにしてみてもありふれたことだ。冬は寒いなどといふことは如何にもそれだけはきまりきつてゐる。俺が詩人だといふことも、他には何の役にもたゝぬ人間の屑だといふ意味を充分にふくんでゐるのだが、しかも不幸なまはり合せにはくだらぬ詩ばかりを書いてゐるので、だんだんには詩を書かうとは思へなくなつた。「ツェッペリン」が飛んで來たといふことでのわけのわからぬいさましさも、「戰爭」とかいふ映畫的な奇蹟も、片足が昇天したとかいふ「すばらしい散步」――などの、そんなことさへも困つたことには俺の中には見あたらぬ。

 今日は今年の十二月の末だ。俺は三十一といふ年になるのだ。人間というものが惰性に存在してゐることを案外つまらぬことに考へてゐるのだ。そして、林檎だとか手だとか骨だとかを眼でないところとかでみつめることのためや、月や花の中に戀しい人などを見出し得るといふ手腕でや、飯が思ふやうに口に入らぬといふ條件つきなどで今日「詩人」といふものがあることよりも、いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと傳説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを讀む人を言ふといふことになつてはみぬか。

 三十一日の夜の街では「去年の大晦日にも出會つた」と俺に挨拶した男があつた。俺は去年も人ごみの中からその男に見つけ出されたのだ。俺は驚いて「あゝ」とその男に答へたが、實際俺はその人ごみの中に自分の知つてゐる者が交つてゐるなどといふことに少しも氣づかずにゐたのだ。これはいけないといふ氣がしたが、何がいけないのか危險なのか、兎に角その人ごみが一つの群集であつてみたところが、その中に知つている顏などを考へることは全く不必要なことではないか。人間一人々々の顏形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出來た無數のビスケツトの如く、人一個の顏は數萬の顏となり更に幾萬かの倍加に「友人」なることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、「友人」なとおといふ友情に依る人と人の差別も、戀愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことになつてしまはぬものか。

 

   *

 さて、本詩の『「戦争」とかいふ映画的な奇蹟も、片足が途中で昇天したとかいふ「すばらしい散步」』という私にとって永く不明であった箇所について、美事な解釈(「未詳」「当てずっぽう」と謙遜されているが)が二〇〇七年河出書房新社刊の正津勉「小説 尾形亀之助」でなされている。以下に引用する(「しろもの」は底本のルビ。なお、正津氏は句読点用法が独特である。私のタイプ・ミスではないので一言断わっておく)。

   《引用開始》

 前者は、北川冬詩集『戦争』(昭和四年三月刊)では。ここで「映画的な奇蹟」とある、これはときに北川が標榜した前衛詩運動なる代物(しろもの)「シネ・ポエム」への嘲笑ではないか(じつはこのころ全章でみたように北川と亀之助のあいだで『雨になる朝』をめぐり意見の対立をみている)。

 後者は、あやふやななのだがこれは安西冬衛のことをさすのでは。これは「片足が途中で昇天した」うんぬんから、なんとなれば安西が隻脚であること。やはりこの三月、詩集『軍艦茉莉』が刊行されている。前章でもみたが亀之助はこれを絶賛している。「『軍艦茉莉』安西冬衛はすばらしい詩集を出した」と。だとすると「すばらしい散歩」とは散歩もままならない安西への声援となろうか。ほかに懇切な書評「詩集 軍艦茉莉」(『詩神』昭和五年八月)もある。

   《引用終了》

やや、最後の「安西への声援」という謂いには微妙に留保をしたい気がするが、正津氏の解釈はこの詩の最も難解な部分を確かに明快に解いてくれている。前章云々の話は、是非、本書を購入してお読みあれ。なお、同書によれば、チェッペリン飛行船 Zeppelin が日本に飛来したのは、昭和四年八月で『新聞各誌には「けふ全市を挙げてツエペリン・デーと化す/三百万の瞳が大空を仰いで/待ちこがれる雄姿!」などと熱く見出しが躍った』とする。

 しかし、私がこの詩を愛するのは、第二段の末尾の、『いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと伝説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを読む人を言ふといふことになつてはみぬか』という詩と詩人を巡る存在論の鋭さ故である。そうして第三段末尾の、『人間一人々々の顔形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出来た無数のビスケツトの如く、一個の顔は無数の顔となり「友人」なることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、友情による人と人の差別も、恋愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことゝなつてしまふのがよいのだ』という、思い切った「ノン!」の拒絶の小気味よさ故である――しかしそれはまさに「全くの住所不定へ。さらにその次へ」(「詩集「障子のある家」の「自序」より)という強烈な覚悟の中にある凄絶な小気味よさであることを忘れてはならないのだが――。

 最後に、本篇の原題が「障子のある家」のエピグラム的巻頭の一行「あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)」であることは、本詩がこの「詩集」に持つ重要な位置を再検討すべきことを示唆している。]

 

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