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2016/11/03

諸國百物語卷之四 十四 下總の國平六左衞門が親の腫物の事

     十四 下總(しもふさ)の國平六左衞門(へいろくざへもん)が親の腫物(しゆもつ)の事

 

 下總のくに、うすいの四日市(よかいち)といふ所に、平六左衞門と云ふものあり。諸國あんぎやの僧、あるとき、きたりて宿をかりけるが、この僧、やどをとり、夜もすがら、ねもせず、法花經(ほけきやう)をよみゐけるに、しやうじひとへあなたに、よひと、むく、むく、と云ひて、うめくおとしけるを、かの僧、ふしぎにおもひ、夜あけて、ていしゆに、

「このあなたには、犬の子、御座候ふや、よひと、うめき申すは」

と、とひければ、平六ざへもん、

「さればこそ、はづかしながら、御僧の事にて候へば、かたり申さん。そのうめき申すものは、われらが親にて候ふが、此十二年いぜんより、わづらはれ候ふが、はじめは右の肩にはれ物ひとつでき、そのゝち、又、ひだりの肩に、をなじごとくに、はれ物できて、のちには大きなるあなあきて、ひだりへむけば、右のあな、こちむけ、と云ふ。右へむけば、ひだりのあな、こちむけ、と云ふ。兩のあなより、こちむけ、こちむけ、と、せむるゆへ、十二年このかたは、よるひる、手をつき、ひざをたてゝゐながら、かほをふり候ひて、むく、むく、と云ひて、あかしくらされ候ふ。はじめ五、六年がほどは、りやうぢをいたし、きたうをたのみ候へども、そのしるしもなく候ふゆへ、此五、六がねんは、うちすてをき候ふ」

とかたる。僧きゝて、

「さらば、その人に、あわん」

と云ふ。

「やすき事」

とて、親にあわせければ、かの僧、をやに、いひけるは、

「このはれ物のできそめけるいわれをざんげし給へ」

といへば、親きゝて、

「はづかしながら、かたり申すべし。それがし、わかきとき、めしつかいの女に手をかけ候へば、あの平六が母、よになき、りんきふかき女にて、かの下女を、しめころし候ふ。かの下女、ころされて三日もすぎざるに、右の肩にはれ物でき、それより七日めに平六が母もあひはて候ふが、三日もすぎざるに、又、ひだりの肩にはれ物でき候ひて、兩の肩より、こちむけ、こちむけ、申すを、一どもへんじを申さねば、しめころすやうにて、たへがたく候ふゆへ、此十二年このかた、ひまなく、むく、むく、とばかり、申してゐ申す」

とかたりければ、この僧、つくづくと、きゝ、

「さらば、きとうをしてまいらせん」

とて、かたをぬがせ、うしろへまわり、かのはれものにむかつて法花經をよみ給へば、右の肩さきのあなより、ちいさきへび、かしらを、さしいだす。僧はいよいよ、いきもつかず經をよまれければ、はや、三寸ほど、かしらをいだす。僧は御經を手にもちながら、此へびをひきいだし、又、ひだりのあなにむかい、經をよまれければ、はじめのごとく、是れもかしらを出だす所を、經をもちそへ、引きいだし、ふたつながら、めんめんに、つかをつき、經をよみ、とぶらはれければ、かのはれ物も、へいゆし、あなもふさがりけると也。親子もろとも、よろこびは、かぎりなし。このざいしよにはみなみな、法花(ほつけ)に受法(じゆはう)しけると也。

 

[やぶちゃん注:人面瘡様潰瘍+妬女殺人+妬女両人蛇変生+「コッチ向ケ!」反復不眠地獄+法華経利生譚という贅沢テンコ盛りホラー。

「下總(しもふさ)の國」現在の千葉県北部と茨城県の一部に相当。

「うすいの四日市(よかいち)」現在の千葉県佐倉市臼井の内であるが、「四日市」は不詳。現在、南西で隣接する四街道市の「よつかいどう」は「よつかいち」と似ていると思ったが、四街道の地名は近代以降の産物らしいから、違う。

「法花經(ほけきやう)をよみゐけるに」この行脚僧は日蓮宗の僧である。

「しやうじひとへあなたに」「障子一重、彼方(あなた)に」。

「よひと」前話既出既注。一晩中。夜っぴいて。僧の台詞中のそれも同じ。

「むく、むく」「向く、向く」である。「むくむくした感じの」のオノマトペイアではないので注意(という私も初読時は、直後の僧の問いに「犬」と出るから、「くんくん」などのそれかと勘違いしたものであった)。

「うめくおと」「呻く音」。

「大きなるあなあきて」「大きなる孔、開きて」。

「親」後の平六左衛門の語りで明らかになる通り、父親である。近代以前では単に「親」と書いた場合は父親を指すのが普通ではある。しかし、現代人にとっては、父親か母親かをここで明かさずに、僧が対面したところで徐ろに語りの中で母と明かすのは、読者に不親切と採るかも知れぬ。しかしそれは以上の通り、読者であるあなたの読みが浅いからである。しかし別な効果もある。その読みの浅さが、かえって読者であるあなたにその怪異の様態や因業をさまざまに想像させるための非常に効果的な手法と変じてあることに注意されたい。怪奇の漸層法という、すこぶる偶然の上質の効果とんなっているのである。読み違いこそが実は怪異をより楽しめる法でもあるということである。

「ひだりへむけば、右のあな、こちむけ、と云ふ。右へむけば、ひだりのあな、こちむけ、と云ふ。」「左へ顔を向けると、左の腫れ物が潰れて出来た左肩の孔が『こっちを向け!』と言う。右へ顔を向けるとむけば、右の腫れ物が潰れて出来た右肩の孔がこちむけ、『こっちを向け!』と言う。」。

「せむるゆへ」「責むる故」。

「よるひる」「夜晝」。

「手をつき、ひざをたてゝゐながら、かほをふり候ひて、むくむく、と云ひて、あかしくらされ候ふ。」「手を突き、膝を立てて居ながら、顏を振り候ひて、向く、向く、と云ひて、明かし暮らされ候ふ。」。老父は、左右の肩の孔から交互に「こっちを向け!」「こっちを向け!」を終始繰り返されるために横になることが出来ず、手を床に突いて、立て膝をした状態でずっと終始「いる」のである。これは恐るべき地獄である。

「りやうぢをいたし、きたうをたのみ候へども、そのしるしもなく候ふ」「療治を致し、祈禱を賴み候へども、その驗(しるし)もなく候ふ」。

「此五、六がねんは」「この五、六が年は」。この五、六年の間は、もう。

「うちすてをき候ふ」「打ち捨て置(お)き候ふ」。「をき」の歴史的仮名遣は誤り。

「このはれ物のできそめけるいわれを、ざんげし給へ」「この腫れ物の出來初めける謂はれを、懺悔し給へ」。「いわれ」の歴史的仮名遣は誤り。

「はづかしながら、かたり申すべし。それがし、わかきとき、めしつかいの女に手をかけ候へば、あの平六が母、よになき、りんきふかき女にて、かの下女を、しめころし候ふ。かの下女、ころされて三日もすぎざるに、右の肩にはれ物でき、それより七日めに平六が母もあひはて候ふが、三日もすぎざるに、又、ひだりの肩にはれ物でき候ひて、兩の肩より、こちむけ、こちむけ、申すを、一どもへんじを申さねば、しめころすやうにて、たへがたく候ふゆへ、此十二年このかた、ひまなく、むく、むく、とばかり、申してゐ申す」父の告解を歴史的仮名遣の誤りなどを訂しつつ、書き直す。

「恥づかし乍ら、語り申すべし。某(それがし:私め)、若き時、召使(めしつかひ)の女に手を掛け候へば、あの平六が母、世に無き、悋氣深き女にて、彼(か)の下女を、締め殺し候ふ。彼の下女、殺されて三日も過ぎざるに、右の肩に腫れ物出來、それより七日目に平六が母も相ひ果て候ふが、三日も過ぎざるに、又、左の肩に腫れ物出來候ひて、兩の肩より、こち向け、こち向け、申すを、一度(で)も返事を申さねば、絞め殺す樣(やう)にて(:頸を絞め殺されるような激痛が走り。後の孔からの蛇出現の伏線である)、堪へ難く候ふ故(ゆゑ)、此の十二年以來(このかた)、暇無く、向く、向く、と許(ばか)り、申して居申す」。

「つくづくと」凝っと。

「さらば、きとうをしてまいらせん」「然(さ)らば、祈禱(きたう)をして參らせん」「きとう」は歴史的仮名遣の誤り。

「ちいさきへび」「小さき蛇」。女の妬心の変生である。

「かしらを、さしいだす」これ以下、そろそろと頭(かしら)を出だすそのシークエンスは、これまた、ヴィジュアルにキョワい!

「いきもつかず」「息も吐かず」。呼吸することも忘れるほどに途中休まず。一気に。

「三寸」約九センチメートル。

「僧は御經を手にもちながら」後の「經をもちそへ」(「經を持ち添へ」)と対句表現となっている。法華経の功力(くりき)を十全に与えて、蛇を金縛りにし、軽々と肩の孔から引き出だすのである。

「ふたつながら」二匹とも一緒に。

「めんめんに」めいめいに。それぞれについて。

「つかをつき」「塚を築(つ)き」。ここはやや描写が粗い。僧は二匹の蛇を携えて直ちに外へ出て、それをそれぞれに埋めて土饅頭の塚を作り、蛇体となった彼女たちを封じ、葬ったのである。

「とぶらはれければ」「弔(とぶ)らはれければ」。

「へいゆ」「平癒」。

「あなもふさがりけると也」腫れ物の崩(く)えて出来た「孔も塞がりけるとなり」。

「このざいしよにはみなみな、法花(ほつけ)に受法(じゆはう)しけると也」これを見知った村の者たちは皆々、この法華経の有り難い読誦による恩恵を受けたによって、この僧に帰依し、日蓮宗の信徒となったという。ここら辺りは地域的にも日蓮が開眼した所縁の地に近い。或いは本「諸國百物語」の作者も同宗の信徒であったのかも知れぬ。]

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