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2016/11/27

谷の響 四の卷 十一 題目を踏んで病を得

 

 十一 題目を踏んで病を得

 

 天保の末年の頃にやありけん、石戸谷某と言へる人の子息、いたく日蓮宗を信ずるからに、時々近所にゆきてもたゞに他宗をそしり、法華をほむる話のみなりしが、野村安次郎といへるいたづらなる人ありて、しかも淨土宗にてありけるから、この石戸谷の倅の事を兼て小面憎く思ひて居たりけるが、ある日亦この咄しに及びしかば、野村がいふ、日蓮上人は奈何なる有かたき事あるかは知らず、法然上人と紙に書いて地上に置いてこを踏まんとするに、脚なえ眼くらみて其まゝたふるゝ也。日蓮上人と名を書いたるものは、いくたびふみてもたゝりがましきことちりばかりもあらざればなりといふに、この倅のいふは、そは不殘(みな)とらへ處なき虛妄説(うそこと)なり。我今法然の名を踏んで示すべしとあれば、野村がいふ、いたづらごとして罰は中りなばくゆるとも詮なし、止ねやみねとあざ笑へば、倅いたくいきまきて、實にしかあらんには是非ともふんでためさんといふに、野村は兼ねてはかりしことなれば、さらば己も日蓮の名を踏んでためさんと、互にかけになりて俱にその名を書いて取替し、各々したゝかにふみおへて其まゝひらき見てあるに、二枚とも日蓮上人とあれば野村がいふ、さてさておそろしき奇瑞を見ることよ、今正しく法然上人と書たるものが、土足にかくる際にのぞんで日蓮とかわりぬること見らるゝごとくなれば、いかで日蓮ごときの屑をならぶべきものかは。是にて法然上人の尊きことを覺悟して、とく淨土宗に改宗すべし、あな尊やあな有かたや南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛とおどり上りていひたるに、名たゝる法華の信心者も野村が一計にへきえきして、色を失ひ物もえいはで反られしに、其夜より何となくなやましきとておきもあがらですぎつるが、後には癆症(らうしやう)きみになれりとて、彼が黨なる法花(ほつけ)の仲間どもが數人寄りつどひ、祈禱すること數多にして四五十日にてやうやうにいえけるとなり。

 さて、この時に至りても己が心病とも知らずして、かく全くいひぬるは、日蓮上人の御慈悲ふかく又法花經のたつときなりし業とて、講中のものまでもほこりがましく語れるは、いかに不善(さが)なきものながら、いとおかしき尊みやうと、この野村の語りて笑ひしなり。[やぶちゃん字注:「かく全くいひぬるは」の「いひ」の右には底本では編者によって『(癒)』と補正注が附されてある。]

 

[やぶちゃん注:「題目」不審。以下の叙述を見る限り、石戸谷は題目、則ち、「南無妙法蓮華経」と書いた紙を踏んだのではなく、宗祖たる「日蓮上人」という文字を書いた紙を踏んだのである。これは大きな違いである。言えることは、これを笑い話として記すことの出来る筆者平尾は日蓮宗の信徒ではないということである。調べてみると、平尾魯僊の墓は前に出た、現在の弘前市新寺町にある月窓山栄源院貞昌寺(引用済みであるが、底本の森山氏の補註に『永禄三年藩祖為信の命により開創。弘前築城と共に弘前に移る。寺領六十石、領内に末寺庵百余を支配した』とある)、ここは浄土宗である。ここ(グーグル・マップ・データ)。ちょっと納得。彼も日蓮嫌いだったのかも(かくいう私も日蓮嫌いの親鸞好きではある)。

「天保の末年」「天保」は十五年までで、グレゴリオ暦では一八三〇年から一八四五年(通常は末年を一八四四年とするが、天保十五年は旧暦十二月二日に弘化に改元しており、これはグレゴリオ暦で一八四五年一月九日に相当するので、九日分が一八四五年に含まれる)。

「石戸谷」の読みは「いしとや」「いしどや」「いしとたに」「いとや」「せきどや」「せきとや」など。ネットの姓氏サイトを見ると、この姓は青森と秋田に特異的に多い。

「小面憎く」「こづらにくく」。顔を見るだけでも不快で憎らしく。

「有かたき」「有り難(がた)き」。

「脚なえ眼くらみて」「脚(あし)萎え、眼(まなこ)眩みて」。「萎え」はここでは、痙攣状態を起こすことであろう。

「虛妄説(うそこと)」三字へのルビ。

「いたづらごとして罰は中りなばくゆるとも詮なし」「惡戲事して罰(ばち)は中(あた)りなば悔ゆるとも詮(せん)なし」。

「止ねやみね」「やみねやみね」。

「實に」「げに」。

「己」「われ」。

「かけ」賭け。

「取替し」「とりかへし」。

「いかで日蓮ごときの屑をならぶべきものかは」『儂(わし)が「法然上人」と確かに書いたはずのものが、これ、「日蓮上人」の文字に変じた! これこそ、まさに「法然上人の尊(たっと)」きことの証しじゃて! 法然御聖人さまの仏法の玄妙なる力であると、これ、極まったわ! さればじゃ! どうして、日蓮如き屑糞坊主と並び称してよいものカイ! 阿呆んだらッツ!』

「有かたや」「ありかたや」。「有り難や」。

「名たゝる法華の信心者」「名たゝる」は「名立たる」で世間でも知られた熱狂的な。石戸谷個人、一人を指している。

「へきえき」「辟易」。

「色を失ひ物もえいはで」真っ青になって物も言えなくなり。まずいのは彼が「日蓮上人」という文字を踏みつけても何も起こらなかったことではあるが、実はそれ以上に、以下の展開を見る如く、「日蓮上人」の名を踏んでしまったという事実が、石戸谷に深刻なASD(急性ストレス障害:Acute Stress Disorder)を発症させているのである。

「反られしに」「かへられしに」。「歸られしに」。この「られ」は自発か。

「何となくなやましきとておきもあがらですぎつる」「『何となく惱ましき』とて起きも上がらで過ぎつる」。その日から忽ち、不定愁訴を訴えて、急激に悪化しているからこれはPTSD(心的外傷後ストレス障害:Post Traumatic Stress Disorder)ではなく、ASDなのである。

「癆症(らうしやう)きみ」「きみ」は「氣味」。「癆症」(ろうしょう)は「肺結核」(労咳(ろうがい))のことを指すのであるが、恐らくは、急性ストレス障害に加えて、宗祖の名を踏みつけたことによる罪障感から激しい心因反応(踏みつけて何も起こらなかったが、すぐに何か起こるに違いない、命が立たれるかもしれないと即時的思った部分をASDとし、このやや時間が経ってから考えて生じた不安障害をPTSDと区別してもよい)が起こり、食欲不振から瘦せ衰え、まるで見かけ上は労咳患者のようになってしまったというのである。

「黨なる」「ともなる」と訓じておく。

「いえける」「癒えける」。

「この時に至りても己が心病とも知らずして」この野村安次郎、石戸谷の様態を精神障害、「おのがこころのやまひ」(と訓じておく)とはっきり断じているところ、まあ、悪戯が過ぎてはいるものの(しかしその巧妙さには、やはり悪知恵、巧みな知力を感じさせる)、この判断を見る限り、かなり鋭い男ではないか。

「かく全くいひぬるは」この「かく」は後の「ほこりがましく」かく「語れるは」の位置にある方がよい。取り敢えず「かく」を「こんな惨憺たる心身の変調から辛うじて回復したにも拘わらず」の謂いでとり、「全くいひぬるは」は、「性懲りもなく言っておるその内容はと申せば」としておく。

「日蓮上人の御慈悲ふかく又法花經のたつときなりし業」これが石戸谷以下の日蓮信徒グループが口を揃えて言っている感懐である。「業」は「わざ」で、ここは「御蔭」「まことの仏法の仕儀」の謂い。「日蓮上人」の文字を踏んだ仏罰から、〈ぶらぶら病〉となり、死にかけたけれども、また同時に、「日蓮上人の」深い「御慈悲」と、「法花經の」尊き神妙なる法力によって生還し得たのは無常の幸い。至福であった、というのである。馬鹿は死んでも治らねえ、と吐き捨てたい野村が眼前に見える。

「講中」広く信仰上の志を同じくする者によって作られた集団の構成員。ここは石戸谷の属する日蓮宗徒の集まり。そうした中には、冷静に考えれば、彼の病いは気からであったことを肯(うべな)う者がいてもおかしくないはずなのに、という口振りである。

「いかに不善(さが)なきものながら」どんなに性根が悪くなく、それをまっこと信じて受け入れてという素直さは認めはするものの。

「いとおかしき尊みやう」「いやもう、なんともはや、馬鹿馬鹿しい尊(たっと)みようで! フフフ」。野村安次郎よ、そこまで言うか!? やっぱ、この男、頭はいいが、好きになれねえな。]

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