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2016/11/04

谷の響 三の卷 三 壓死

 

 三 壓死

 

 弘化四年にてありけん、中別所村の長吉といへるもの、同侶ども五六人と岩木山なる水無澤といふ處に至り、氷雪を切りとりてみな荷を作りて、去來(いざ)歸るべしとするうち遠雷のことく山中鳴りひゞきければ、長居はあしからんとて皆々身起りしに、長吉はもとより不惕(ふてき)ものにて山の鳴をも恐れず、吾は今少し取るべければ、惶(おそろ)しくはみな先に往ねかしといふに、さらばとて半町ばかりも來りしころ、大山の崩るゝことく地中にひゞきわたり、有つる大雪忽ち落ちて岩のことき雪數百あまり足下に飛びちりたり。皆々愕き恐れ長吉は奈何(いか)なりしとあやぶむうち、早くも溪(たに)水紅を帶びたるに再びおどろき、急忙(いそぎ)歸りて變死を訃告(つ)げ、五六十人の人數にて崩れし雪を切り除けしに、憐むべし長吉は五躰碎け眼精(まなこ)飛び出て、肚裂け四肢折れて潰れざる骨もなく挫けざる肉もなく、まことに眼冷ましき有樣なり。やがてこれを俵に内(い)れて歸りしが、一里ばかりも來りしころ雷鳴暴(にはか)に轟きしに、水なし澤を囘(かへり)れ見ば黑雲澗(たに)中に塞り、聚(おほ)雨忽ち降來りて宛爾(さながら)盆を傾くるが如く、溪中水溢れて雪塊(たま)數百を流せり。こは山神の不淨を浣(あら)ひしものといへり。

 又、安政三丙辰年六月二十日の事なるが、獨狐村の茂助といへるもの、同じく雪をとらんと同侶相催してこの水無澤に至り、手々に雪をとりて有けるが、一陣(ひとしきり)のひゝき山中にとゝろきしかば、みなく怕れ歸りを促したるに、茂助のいふ、己か荷は未だ馬に足らざれば今少しとるべし、皆々先に歸られよ、今に追ひ附くべしと言へるまゝ、一個殘して歸りたるが、暴卒に雷の震(おち)たるごとくひゞきわたりて、數十丈の氷雪澗(たに)を埋めて崩れ落ちたり。みなみな惕(おそ)れ忙(まと)ひて、すはや茂助が潰れつらんと家に歸りて人夫を催し、數丈の氷雪をきりひらけば、茂助は身體連(つゞ)ける處もなく、首ぬけ脚劈(つんざ)ききれておしひしかれたる有狀(ありさま)、眼を開いて見得べきにあらず。かくて淺ましき屍骸を俵にかき内(い)れ歸りしが、暴雨雷鳴前件(まへ)のことくなりしとなり。いと憐むべきことなりかし。

 又、この年の七月六日花輪村の萬次郎いへるもの、根(もと)船水村の權八といふものゝ子にして、花輪邑の某へ贅婿(いりむこ)しものなるが、同朋(ともたち)數人と赤倉の澤へ雪をとるとて發足(いでたち)けるに、途中より同志のもの多く出來て既に五六十人はかり同道して、個々(おのおの)溪(たに)の中に入り雪を切とりて有つるに、潮聲(しほ)のひゞきのごとく山中動響搖(どよみわたり)けれは、すは雪なたれの筑(つ)くならんとおとろき怕れ、互に友を呼合ひて歸らんとするうち、大水暴に湧出て高さ二丈ばかりと覺しくて、矢よりも早くおそひ來れは、みなみなあはて喧噪(さわい)で岸に匍匐(はらば)ひ、樹の根株に縋(すが)り辛(から)ふじてこれをさけて見やりたるに、數百の岩石水の猛威(いきほひ)に押流されて、うち合ひ摺合ひ轉倒して潤(さは)みな雪を飛し花をちらせることく、怒れる大浪彌(いや)布(しき)て、岸を穿ち岨(そば)をひたしてほとばしりゆく有樣は、いと怕しくも筆にことはに盡すべきにあらず。

 おのおの活(いき)たる心地もなくて有けるが、半時ばかりのうちにかゝる大水退減(ひきおち)て舊の溪澤になりければ、夢の覺たることく初めて心緒(こゝろ)放心(おちつ)き、倶々(ともとも)呼合ひて寄り聚りたるに、一人の萬次郎の見得ざるにおどろき、手分をして探れども夫と見るべき影だになければ、家にかへりてかくとしらせ、明(あく)る七日花輪・船水の兩村より數十個の人を出して、溪の中隈なく探りもとむれども目にさへきるもの更になし。たまたま澤の中に生々しき骨の有りしを見れど、人の骨にあらずとしてさりぬ。されどもやむべきにあらざれば、明る日又々人數を催したづぬれば、以前のことく影だになし。さるにこの溪澗の半に瀧ありて、その瀧の邊に又生々しき骨の片碎(くだけ)たるもの少しくあり。皆々尋ねあくみて、此骨にては有まじきやといふに、花輪のものこを洗ひきよめて評議する處に、實父權八來りてさることもやと手にとれば、あやしや晒(さら)せる片骨のしひ穴より鮮血(なまち)滴り出でたれば、やがて萬次郎の骨にきわまり、猶殘れる骨を尋ぬれども見ることあらで、たゞ彼が締めたる帶の結び目と襦袢の袖の端ちきれちきれに成たると、輪鉢(わつぱ)を入れたる網の※(むし)れたるとを彼方此方の岩の狹(あはひ)より見出しき。[やぶちゃん字注:「※」=「扌」+「咸」。]

 權八こを見て甚(いた)く歎泣ども詮(せん)術(すべ)なく、僅に碎けたる殘骨を苞にし携へ歸りて葬りしとなり。是まて雪なたれにあひて死せるものもまゝ有れとも、斯くむごく五體のくだけたることは未だ聞かず。まことに恐るべくかなしむべきことなり。

 

[やぶちゃん注:この条を読み、私はまさに「谷の響」という題名が胸を痛く打った。そうして、本書が、怪奇談集などではなく、平尾の冷徹にして実証的な厳しい実録記録であることを痛感したのである。

「弘化四年」一八四七年。本条ではこの最初のケースのみ、季節を記していないが、後の二例が夏であり、これも同時期ととってよい。そもそも寒中に岩木山に登る馬鹿も、氷雪を採取する必要も、これ、あろうはずは、ない。

「中別所村」底本の森山氏の補註によれば、『弘前市中別所(なかべっしょ)。市中から西北方約六キロ』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「同侶」「同僚」と同音ととっておく。

「岩木山なる水無澤」すうじい氏のブログ「すうじいの毎日がアウトドア」のその1:スキールート概念図(岩木山大黒沢(弥生コース)滑降'83-04で位置を現認出来る。但し、リンク先の地図は右方向が北なので注意されたい。先の中別所からほぼ真西に岩木山を深く進んだ位置にある澤である。過去の春の岩木山の雪崩警戒情報を見ると、現在でも「水無沢」のそれを注意している記事を見出せた。

「氷雪を切りとりて」藩の高官や裕福な身分の連中が高い金を出して食したものなのでろう。

「去來(いざ)」二字へのルビ。下の字とひっくり返せば「歸去來」で「かえりなん、いざ」だ。

「身起りしに」作業を止めて身を起こしたが。

「不惕(ふてき)」「不敵」。「惕」(音「テキ」)には「恐れる」の意がある。

「山の鳴をも」「山の鳴(な)るをも」。

「惶(おそろ)しくは」ママ。「恐(おそろ)しくば」。

「往ねかし」「いねかし」。「行っていいぞ!」。

「半町」五十四メートル強。

「ことく」ママ。「如く」。以下の多くの不審な清音も同様なので、この注は附さない。

「紅」「くれなゐ」。

「急忙(いそぎ)」二字へのルビ。

「訃告(つ)げ」二字へのルビ。

「肚裂け」「はら(腹)さけ」。

「挫けざる肉もなく」「くだけざるにくも無く」。

「眼冷ましき」「めざましき」。眼が冴えてしまうほどに凄惨な。

「俵」「たはら」。

「塞り」「ふさがり」。

「聚(おほ)雨」驟雨。急な激しい雨。

「降來りて」「ふりきたりて」。

「溪中」「たにぢう」。

「雪塊(たま)」「ゆきたま」。

「浣(あら)ひし」血の穢れを洗い流したととったのである。

「安政三丙辰年六月二十日」安政三年は正しく「丙辰」(ひのえたつ)で西暦一八五六年。旧暦六月二十日はグレゴリオ暦で七月二十一日。これはまさに梅雨明け頃で、地盤も緩んでいたであろう。

「獨狐村」底本の森山氏の補註によれば、『弘前市独狐(とっこ)。弘前の西北郊四キロ。鯵ヶ沢街道に沿うた農村部落』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。それにしても凄い村名だなあ。独鈷が元かしらん?

「相催して」「あひもよほして」。

「手々に」「てにてに」。

「ひゝき」「響き」。山鳴りである。

「己か」「わが」。

「一個」「ひとり」。

「暴卒に」「にはかに」。

「數十丈」百八十メートル前後。厳冬期の雪崩では必ずしも大規模とは言えないが、夏季の氷雪雪崩としては大きなものである。

「數丈」十八メートル前後。

「脚劈(つんざ)ききれて」「あし、つんざき切れて」。

「おしひしかれたる」「壓(お)し拉(ひし)がれたる」。完全に押し潰されて、ひしゃげてしまっている。

「前件(まへ)」第一段落のケース。

「この年の七月六日」グレゴリオ暦では八月六日。

「花輪村」底本の森山氏の補註によれば、『中津軽郡岩木町鼻和(はなわ)。中世津軽を鼻和・平賀・田舎の三郡に区分した。鼻和郡は岩木川以西の地域であった。当時の郡名を村の名に残したのである。館跡あり、戦国時代に神源左衛門か拠ったという』とある。現在は弘前市鼻和。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「根(もと)船水村の」「根(もと)」は「元」ととり、「元、船水村の」とする。既出既注の現在の弘前市船水(ふなみず)。ここ(グーグル・マップ・データ)。弘前八幡宮の南二キロほどにある。

「花輪邑」「はなわむら」。「花輪村」前注参照。

「贅婿(いりむこ)」「入り婿」。既出既注であるが、再掲する。二字へのルビ。音「ゼイセイ」で、これは中国で「入婿」のことを指す。夫が妻の家に入ることから、それを卑しんで、「贅(あまりもの)」と称した。また、「贅」には「質物(しちもの)」の意もあり、貧しい夫が妻の家に金品を納める(聘金(へいきん)という)ことが出来ない場合、代りに妻の家の質品(しちぐさ)となって、労力を提供したことからも、この名があるとされる。

「同朋(ともたち)」読みはママ。「友達」。

「赤倉の澤」既出既注であるが、一部を再掲する。森山氏の補註によれば、『岩木山中の難所。登山口から北方に当り、気性変化激しく』、『神秘的な場所と考えられ、行者の修行場となっている』とある。今回、先に挙げたその1:スキールート概念図(岩木山大黒沢(弥生コース)滑降'83-04で前の「水無沢」の北の尾根を下った側に流れる「赤倉沢」を現認出来た。

「動響搖(どよみわたり)けれは」三字へのルビ。「は」はママ。

「雪なたれ」ママ。「雪(ゆき)崩(なだれ)」。

「筑(つ)く」元来は人が土石を突き固めて積み、築山や垣などを築くの意であるが、ここは自然の雪の崩落、山のような雪崩が生ずることを言う。

「おとろき」ママ。「驚き」。

「暴に」「にはかに」。

「湧出て」「わきいでて」。

「二丈」約六メートル。

「來れは」「きたれば」。

「摺合ひ」「すりあひ」。

「潤(さは)」「澤」。

「飛し」「とばし」。

「ことく」「如く」。

「彌(いや)布(しき)て」それはもう、激しく一面に広がり覆って。

「岨(そば)」断崖絶壁。

「筆にことはに盡すべきにあらず」筆で記録すること、口で語ること、孰れを以ってしても、とても説明し尽くすことは出来ないほどの、恐ろしい想像を絶する惨状であった。

「半時」現在の一時間ほど。

「退減(ひきおち)て」二字へのルビ。

「舊の溪澤」「もとのたにさは」と訓じておく。

「覺たることく」「さめたる如く」。

「倶々(ともとも)」読みはママ。

「寄り聚りたるに」「よりあつまりたるに」

「一人の萬次郎」「の」は不要。ただ一人、満次郎だけが。

「手分」「てわけ」。

「夫」「それ」。

「數十個」「すうじふにん」と読んでおく。

「溪の中」「たにのなか」。

「隈なく」「くまなく」。

「目にさへきるもの」ママ。目につくそれ(萬次郎の遺体や遺品)らしき痕跡。

「やむべきにあらざれば」それで捜索をやめて諦めるわけには心情的にとても出来なかったので。

「人數を催し」「にんずをもよほし」。人を増やして探索を始め。

「以前のことく」「いぜんのごとく」。前日と同様。

「溪澗」「たに」。

「半に」「なかばに」。途中に。

「邊に」「あたりに」。

「片碎(くだけ)たる」二字へのルビ。

「尋ねあくみて」「たづねあぐみて」。探し続けることに困難を感じて。

「花輪のもの」萬次郎と同じ「花輪」村の「者」が。

「こを」この、よく判らぬ生々しい砕けた骨の破片を。

「實父權八」萬次郎の実父である権八(ごんぱち)。

「さることもや」「もしや、そのようなこともあるやも知れぬ。」。民俗社会では、死んだことを口にすること、断言することはその事実を引き起こしてしまい、忌まれることから、父は、かく言ったのである。

「あやしや」何と! 不思議なことに。

「晒(さら)せる」綺麗に洗い清めた。

「片骨」「ほね」と訓じておく。骨の破片。

「しひ穴」不詳。「椎孔」で「ついこう」、脊椎骨の中央部に存在する脊髄が通るための穴の意かと初めは思ったが、採取されたそれが脊椎骨であるなどとは記されておらず、私の穿ち過ぎであろう。或いは感覚を喪失することを「廢」、「しひ」と呼ぶが、その「廢」=「廃」=「壊れたもの」から、骨の破損した「穴」の謂いかも知れぬ。或いは青森の方言か? 識者の御教授を乞うものである。

「鮮血(なまち)滴り出でたれば、やがて萬次郎の骨にきわまり」森山氏の補註に、『死者は肉親が来れば鼻血を出すということ、いまも津軽で居じられている。この場合も骨から血か出たので親子の関係が実証されたとしたのである』とある。これと類似のしたものは、古くから汎世界的に民俗社会で信じられている現象である。

「襦袢」「じゆばん(じゅばん)」。和服の下着。ポルトガル語“gibão”を語源とするという。

「ちきれちきれ」ママ。「千切れ千切れ」。

「成たると」「なりたる(もの)と」。

「輪鉢(わつぱ)」「わっぱ」で、曲げ物の弁当箱のこと。

「網」粗く編んだ編状の腰から提げるような袋様のものであろう。父権八同様、何か、これが私にはひどくリアルに目に浮かんで、哀しく感じられる。

「※(むし)れたる」(「※」=「扌」+「咸」)引き千切れた部分。

「岩の狹(あはひ)」岩の隙間。

「歎泣ども」「なげきなけども」と訓じておく。

「僅に」「わづかに」。

「苞」「つと」。藁などを束ねた包み。藁苞(わらづと)。遺骨を入れたそれを持って山を下ってゆく父権八の後ろ姿が目に浮かぶ。これも、如何にも、哀しいではないか。

「是まて」「これまで」。

「雪なたれ」「ゆきなだれ」。

「有れとも」「あれども」。]

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