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2016/12/19

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 鹿の耳(10) 旅の御坊

 

     旅の御坊

 

 つまり小泉八雲氏の心を牽いた耳無法一の神異談は、彼が父母の國に於ても今尚珍重せられる所謂逃竄説話と、異郷遊寓譚との結び付いたをのゝ、末の形に他ならぬのであつた。西洋では説話運搬者の説話に與へた影響は、まだ本式に研究し得なかつたやうだが、日本には仕合せと其證迹が、見落し得ない程に豐富である。殊に盲人には盲人特有の、洗錬せられたる機智が認められる。例へば江戸川左岸の或村の話で、鬼が追掛けて來て座頭の姿を發見し得ず、僅かに耳だけが目に觸れて、おゝ爰にキクラゲがあつたと謂つて、取つて喰つたと語つて居るなどは、盲人の癖にと言ひたいが、實は目くらだから考へ出した、やや重くるしい滑稽である。そんな例は氣を付けて御覽なさい。まだ幾らでもあるのである。

 實際座頭の坊は平家義經記のみを語つて、諸國を放浪することも出來なかつた。夜永の人の耳の稍倦んだ時に、何か問はれて答へるやうな面白い話を、常から心掛けて貯へて置いたのである。然らば耳の切れた盲人が何人もあつて、御坊其耳はどうなされたと、尋ねられるやうな場合が多かつたかと言ふに、さうかも知れず、又それ程で無くともよかつたかも知れぬ。片耳の變にひしやげたり、妙な格好をした人は存外に多いものだ。さうで無くとも目の無い人だから、耳の話が出る機會は少なくはなかつたらう。耳と申せば手前の師匠は、片耳が取れてござつたなどゝ、そろそろと此話を出す手段もあつたわけだ。さうして其話といふのは實に一萬年も古い舊趣向に、現世の衣裳を著せたものであつた。故に今爰で我々の不思議とすべきは、其話の存在や流布では無い。單に何故さういふ耳切の話が、盲人に由つて思ひ付かれ又持運ばれたかといふ點ばかりである。

 卽ち澤山の盲人が懸離れた國々をあるいて、無暗に自分たちの身の上話らしい、妖魔遭遇談をしたのが妙である。其説明を試みても、そんな事があらうかと恠み疑ふ人すら、今日ではもう少なからうと思ふが、それでも何でも自分は證據が擧げたい。つまり座頭は第一に自分たちが無類の冒險旅行家であることを示したかつた。第二には技藝の賴もしい力を説かうとしたのである。第三には神佛の冥助の特に彼等に豐かであつたこと、第四には能ふべくんば、それだから座頭を大切にせよの、利己的教訓がしたかつたのかと思ふ。此條件を具足してしかも亭主方の面々を樂しましむべき手段が若しあつたとしたら、之を一生懸命に暗記し且つやたらに提供することも、卽ち亦彼等の生活の必要であつた。

[やぶちゃん注:「耳無法一」ママ。文庫版全集も同じ表記。言わずもがなであるが、一般には「芳一」である。小泉八雲が依拠したと思われる彼の蔵書にあった一夕散人(いっせきさんじん)著「臥遊奇談」(天明二(一七八二)年)での第二巻所収の「琵琶祕曲泣幽靈(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」でも「芳一」である。

「逃竄説話」「たうざん(とうざん)せつわ」。「竄」も「逃げる」の意。魔性に魅入られた人間が身体の一部を譲り渡すことで現実世界への逃走(呪的逃走)に成功する説話群、例えば、「瘤取り爺さん」であるが、伊耶那岐の黄泉国からのそれも、身体の神聖な附属物である櫛や髪飾りを黄泉醜女(よもつしこめ)に投げつける点で同類型である。

「異郷遊寓譚」「遊寓」は「いうぐう」と読む。「寓」は「一時的に別の所に身を寄せる」の意。異界訪問譚。例えば陶淵明の「桃花源記」や「浦島太郎」、前注の伊耶那岐の黄泉国訪問のシークエンスのようなオルフェウス型のものを指す。

「江戸川左岸の或村の話で、鬼が追掛けて來て座頭の姿を發見し得ず、僅かに耳だけが目に觸れて、おゝ爰にキクラゲがあつたと謂つて、取つて喰つた」この話、所持する何かで原話を読んだ気がするのだが、探し得ない。識者の御教授を乞う。]

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