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2016/12/02

譚海 卷之二 同國大社祭禮の事

 

同國大社祭禮の事

○出雲の大社は天(あめ)の日隅(ひすみ)の宮(みや)と號す。神主(かんぬし)國造(くにのみやつこ)を千家(せんげ)と號す。此(この)千氏中古より兄弟兩家にわかれ、兄の家は鶴山(つるやま)といふ所に住す。弟の家は龜山(かめやま)といふ所に住す。此(この)龜山をば八雲山ともいふ、いづれも千家と稱す。兄の一家中古已來斷絶して、そのわかれより繼(つぎ)しゆへ、今は却(かへつ)て弟の家を本家と稱し、つる山をば北島千家と稱する事也。又千家の外に別火と稱する家あり、二百石を領す。毎年十月四日の神事に、大社の沖を五十田狹(いそたさ)と號する所あり。此沖十里ばかりに鹽燒島といふ所へ此別火其夜浪を踏(ふみ)て至り、燒鹽を取來(とりきた)りかはらけにもり供する神事あり。此夜諸人出行(いでゆく)を禁ず。いそたさは遠淺ゆへ舟なき所なるに奇異の事也。同月十一日の神事に錦色の蛇いそたさに出現すといへり。

[やぶちゃん注:「同國」前条を受け、出雲国。
 
「天の日隅の宮」「日本書紀」での出雲大社の呼称。

「千家」先行する底本の竹内氏の注に、『出雲大社の神官の長たる国造家、天穂日命』(あめのほいのみこと)『の後で、近世は千家と北島家にわかれ、大社に奉仕した。古代のクニノミヤツコ(国造)の名が踏襲されてきたのである』とあり、以下の「千家」家及び「北島千家」(北島家)も含め、ウィキの「出雲国造」に詳しい。現在は千家系が大社を主管している。その近代の経緯(は私の『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第八章 杵築――日本最古の社殿 (プロローグ)』の明治期の第八十一代出雲国造(いずものくにのみやつこ)であった「千家尊紀」(せんげたかのり)氏についての同ウィキその他を用いた注なども参照されたい。

「鶴山」出雲大社の背後の社殿に向かって左(西側)にある山。

「龜山」出雲大社の背後の社殿に向かって右(東側)にある山。

「此龜山をば八雲山ともいふ」不審。現在は社殿の背後中央にあるピークを八雲山と呼称している。

「別火と稱する家あり」現在も出雲大社祠官家の姓に「別火(べっか)」という姓がある。この「別火」とは、「日常の穢れた火とは違う神聖な別な火」、神聖な儀式に則り、神聖に道具で鑽(き)り出したところの「神聖なる火」の意である。そうした特殊な火を以って調理したものだけを口にすることによって、潔斎するとともに、神人共食に近い状態に持ち込むことで、神に直接特別に奉仕する、という極めて古形の神式に基づく儀式から派生した神職及びそれを掌った一族に与えられた姓と考えられる。私の小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十一章 杵築のことゞも (六)の本文及び注も是非、参照されたい。

「十月四日の神事」出雲大社の最重要の神事の一つである神迎祭で、現在も旧暦十月十日に行われている(今年二〇一六年は十一月九日に行われた)。

「五十田狹(いそたさ)」現在の通称で「稲佐の浜(いなさのはま)」と呼ぶ砂浜。出雲市大社町の出雲大社社殿の真西凡そ一キロメートル強に位置する砂浜海岸。ウィキの「稲佐の浜」に、『国譲り神話の舞台でもあり、「伊那佐の小濱」(『古事記』)、「五十田狭の小汀」(『日本書紀』)などの名が見える。また稲佐の浜から南へ続く島根半島西部の海岸は「薗の長浜(園の長浜)」と呼ばれ、『出雲国風土記』に記載された「国引き神話」においては、島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であるとされている』とあり、出雲大社の神事である神幸祭(新暦八月十四日)と神迎祭(旧暦十月十日。今年二〇一五年の場合は十一月二十一日に相当し、実際に本年度例祭にはそう組まれてある)が行われる。浜の周辺には、

   《引用開始》

弁天島(べんてんじま) 稲佐の浜の中心にある。かつては弁才天を祀っていたが、現在は豊玉毘古命[やぶちゃん注:「とよたまひめ」と読む。]を祀る。

塩掻島(しおかきしま) 神幸祭においては塩掻島で塩を汲み、掻いた塩を出雲大社に供える。

屏風岩(びょうぶいわ) 大国主神と建御雷神[やぶちゃん注:後で注するが「たけみかづちのかみ」と読む。]がこの岩陰で国譲りの協議を行ったといわれる。

つぶて岩 国譲りの際、建御名方神[やぶちゃん注:後で注するが「たけみなかたのかみ)」と読む。]と建御雷神が力比べをし、稲佐の浜から投げ合った岩が積み重なったといわれる。

   《引用終了》

があると記す。

「此沖十里ばかりに鹽燒島といふ所」とあるが、これは「島」という語尾と、伝聞自体のの誤りである(「十里」(約四十キロメートル弱)というのは全く以っておかしい)。前注した「塩掻島」であるが、これは少なくとも現在は島嶼ではなく、稲佐浜北部にある海岸の一部を指す。こちらの絵地図(PDF)で確認されたい。なお、古い絵葉書などを見ると、この現在は「塩掻島」と呼ばれている岩場は「鹽燒島」とも呼ばれており、神代に於いて、ここで初めて塩が作られた場所とされる。

「かはらけ」「瓦笥」或いは「土器」と書く。素焼きの盃。

「もり」「盛り」

「此夜諸人出行(いでゆく)を禁ず」やはり、私の小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十一章 杵築のことゞも (六)の本文及び注を参照されたい。この前後の神事は、すでに本来の意義を追求し得ず、不思議なものが実は多い。

「いそたさは遠淺ゆへ舟なき所なるに奇異の事也」この逆接の接続助詞「に」は不審。或いは前の「此沖十里ばかりに鹽燒島」があるという誤認から、そこへ向かうには船がなくては無論、行けないはずなのだが、「いそたさ」「五十田狹(いそたさ)」=「稲佐の浜」は遠浅で(これは事実)小舟さえも着けられないから、そこからは舟を出すことは出来ない「のに」どうことだろう? 「奇異の事」なり=訳が分からぬ、というのであろうか。取り敢えず、そう私は採りたい。

「同月十一日の神事」神在祭。現行では同時に出雲大社教龍蛇神講大祭が行われており、龍蛇神は神迎祭で大国主神様の使者として八百万の神を迎え、稲佐の浜から出雲大社まで先導される神とされているので、以下の「錦色の蛇いそたさに出現す」という叙述と合致する。この蛇については、小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第八章 杵築――日本最古の社殿 (五)の本文及び私の注も参照されたい。]

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