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2016/12/05

谷の響 五の卷 十四 蚺蛇皮

 

 十四 蛇皮

 

 文政三四年のころ、弘前一番町に古物店ありて、そこに蛇の斑文(かた)あるものゝいと大きなるが一枚ありき。何物にかあるらんとそが主人に尋ぬれば、蛇の皮なりと言へるから、いと見まほしくて乞ひ得てつらつらうち見るに、長二尺三四寸幅一尺七八寸計りにして、厚さは鞣皮(なめしかは)の如く色は黃に黑みおびたるが光澤(つや)ありてすきとほれり。背の中筋(すじ)より腹の中心(まなか)にかけてすぐにきり割りたるものにて、背の方は黑くまだらなる文(かた)あり。これを内にたむればうろこあきらかに見えて、方みな一寸四五分もあるべきか。端(はし)はみな腹の割をならべたるが如し。又、斑文一つはうろこ三四片をおふへり。又はりのいるところ凹(くぼか)なるから、ひろめて置く時は縱橫に撫づるとも手に觸らず。又腹のきさめの一片は一寸七八分もあるべし。厚さは背と等しかるがその伸縮(のびちゞみ)するところ、六七分は色薄くことにすきとほりて厚は背の半なり。又筋はいとこわきものにして、これをたゝくにとんとんと鳴つて太鼓に等しき音なりき。己れこを見て初めて蛇の大きなるを知れり。さるからに主人にそが出所を尋ぬるに、主人己が揚卷なるをあなどり有らぬ妄言(そらごと)を言へるによりて、今にその本は知らずなりぬ。いかなる人の手に得しものかいと稀なるものなり。

 

[やぶちゃん注:「蛇皮」「うはばみのかは」と訓じておく。音では「ゼンタピ」か。前話に次いで大蛇譚であるが、平尾魯僊自身の若き日(平尾は文化五(一八〇八)年生まれ)の実体験談である。最後に出所を聴いたところが、平尾が未だ少年であるのをよいことに、侮(あなど)って、少年である私でさえ噴飯物の大嘘をこいたによって、今に至るまで、その出所は不明である、と言っている。しかし私は、以下の、特徴的な黒い大きな斑紋を持つ異様に大きな蛇皮とある以上、爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ムカシヘビ上科ニシキヘビ科 Pythonidae 或いはヘビ亜目ボア科 Boidae の仲間のそれ、則ち、当時の南蛮或いは中国から秘かに渡来した蛇皮ではなかったかと推理している。そう考えると、骨董商の「主人」は、平尾の「揚卷なるを」(後注参照)「あなどり有らぬ妄言(そらごと)を言」ったのでは、実はなく、鎖国である当時、入手が非合法であったからこそ作り話をせねばならなかったのではなかったかとも思えてくるのである。遙か南の熱帯雨林に錦蛇の皮が寒さ厳しき弘前の御城下の直近の店先に並んでいた、その映像を想起するだけでも、私は何だかわくわくしてくるのである。

「文政三四年」一八二〇、一八二一年。

「弘前一番町」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「斑文(かた)あるもの」斑紋が明瞭に出ているもの。

「一枚」前例に徴すると「枚」は「ひら」と訓ずる。

「つらつら」つくづく。よくよく。念を入れて。

「長二尺三四寸幅一尺七八寸計り」全長は七〇~七三センチメートル弱、幅は五二~五五センチメートル弱ほど。

「鞣皮(なめしかは)」獣の皮から皮下組織などを除去し、タンニンなどで処理し、皮を構成するタンパク質の変質腐敗を押さえ、耐水性・耐熱性・耐磨耗性を高めるよう、人為的に加工した皮革原材を指す。

「文(かた)」斑紋。

「これを内にたむれば」これを内側に曲げて観察してみると。

「方みな一寸四五分」四・三~四・五センチメートル四方。

「端(はし)はみな腹の割をならべたるが如し」ここ、よく意味が解らぬ。腹部で割(さ)いたのを、人為的に加工職人が綺麗に切り揃えたかのような感じである、という意味か? 識者の御教授を乞う。

「斑文一つはうろこ三四片をおふへり」「おふへり」は「蔽(おほ)へり」の誤りであろう。ということは、有意に大きな黒い斑紋の大きさは十三・二~十七・六センチメートルほどの大きさがあることになる。

「はり」キール。背の筋。

「いる」「入る」筋の入っている部分。

「凹(くぼか)なるから」なだらかにへこんでいるために。

「ひろめて置く時は縱橫に撫づるとも手に觸らず」それを平らに広げて置いた場合には、縦方向でも横方向でも、手で注意深く撫でてみても、その背の筋は手に触れるような感じ(違和感のある感じ)は全く認められない。

「腹のきさめ」腹部の左右に広い鱗。所謂、「蛇腹」部分の鱗。

「一寸七八分」五・二~五・四五センチメートル。蛇腹部分の鱗の横幅であろう。

「厚さ」蛇腹の厚さ。

「六七分」一・八~二・一センチメートル。

「厚は背の半なり」蛇腹のその部分の厚さは均一な背の鱗の「半」(なかば)、半分であった。

「筋」体内側(則ち、加工されたものの裏のキール部分)の筋。

「いとこわきものにして」大変、堅いもので。

「己れ」「われ」。

「さるからに」そこで。

「揚卷」「あげまき」。「総角(あげまき)」で、本来は古代の少年の髪形。古代のそれは頭髪を中央から二分し、耳の上で輪の形に束(たば)ねて二本の角のように結ったもので、「角髪(つのがみ)」とも言った。但し、ここは「少年」の代名詞として使ったに過ぎない。前に注した通り、当時の平尾は満で十二、三歳であった。

「本」「もと」。出所。]

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