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2016/12/09

和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 田鼈(たがめ)


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たがめ

     俗云髙野聖

田鼈

 

△按此蟲背文似高野僧負笈之形故俗呼曰高野聖蓋

 腹蜟之屬也在溝池濕地形似蟬而灰黒色有甲露眼

 正黒色六足前二足如蟹螫其行也不疾終背裂化生

 蜻蛉

 

 

たがめ

     俗に「髙野聖(かうやひじり)」と云ふ。

田鼈

 

△按ずるに、此の蟲、背の文〔(もん)〕、高野僧(はうし)の笈(をひ)を負ひたるの形に似たり。故に俗、呼んで「高野聖」と曰ふ。蓋し、腹蜟〔(にしどち)〕の屬なり。溝・池・濕地に在り。形、蟬に似て、灰黒色。甲、有り。露(あら)わなる眼、正黒色。六足、前二足は蟹の螫(はさみ)のごとく、其の行くこと、疾(と)くならず。終〔(つひ)〕に、背、裂けて、蜻蛉(とんばう)を化生す。

 

[やぶちゃん注:日本最大の水生昆虫にして日本最大のカメムシ類の一種である(成虫体長は五~六・五センチメートル。♀の方が大型)、

半翅(カメムシ)目異翅(カメムシ)亜目タイコウチ下目タイコウチ上科コオイムシ科タガメ亜科タガメ属タガメ Lethocerus deyrollei

である。現行でも「田鼈」と漢字表記する(「水爬虫」とも書く。「爬」は「這う・引っ掻く」の意)。「鼈」はカメの一種であるスッポン(爬虫綱カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科キョクトウスッポン属ニホンスッポン(キョクトウスッポン)Pelodiscus sinensis)を指す語である。私は二十年ほど前、法師温泉の帰りに田圃道を歩いている折り、見つけた個体が、目の前で羽を広げて飛ぶのを見、激しく感動したのを思い出す(実はそれまで私はタガメが飛ぶとは思っていなかった。You Tube の飛翔画像はmushikerasanタガメの離陸がよい。これはもう、蟬デッショウ!?!)。ウィキの「タガメによれば、『基本的にあまり飛行しない昆虫だが、繁殖期』(成虫は春に越冬から目覚め、五~六月頃に性成熟する)『には盛んに飛び回り(近親交配を避けるためと考えられる)、灯火に集まる走光性もあってこの時期は夜になると強い光源に飛来することが多い。飛行の際には前翅にあるフック状の突起に後翅を引っ掛け、一枚の羽のようにして重ね合わせて飛ぶ。この水場から水場に移動する習性から、辺りには清澄な池沼が多く必要で、現代日本においてその生息域はますます狭められることとなっている』とある。

「髙野聖(こうやひじり)」ウィキの「高野聖より引く。『中世に高野山を本拠とした遊行者。日本の中世において、高野山から諸地方に出向き、勧進と呼ばれる募金活動のために勧化、唱導、納骨などを行った僧侶。ただしその教義は真言宗よりは浄土教に近く、念仏を中心とした独特のものだった』。『遊行を行う僧は奈良時代に登場したが、高野山では平安時代に発生。始祖としては小田原聖(おだわら ひじり)の教懐、明遍、重源らが知られる。高野聖は複数の集団となって高野山内に居住したが,その中でも蓮華谷聖(れんげだに ひじり)、萱堂聖(かやんどう ひじり)、千手院聖(せんていん ひじり)が三集団が最も規模の大きいものとして知られる』。『こうした聖は高野山における僧侶の中でも最下層に位置付けられ、一般に行商人を兼ねていた。時代が下ると学侶方や行人方とともに高野山の一勢力となり、諸国に高野信仰を広める一方、連歌会を催したりして文芸活動も行ったため民衆に親しまれた。しかし一部においては俗悪化し、村の街道などで「今宵の宿を借ろう、宿を借ろう」と声をかけたため「夜道怪」(宿借)とも呼ばれた集団もあった。また「高野聖に宿貸すな 娘とられて恥かくな」と俗謡に唄われているのはこのためである』。なお、織田信長は天正六(一五七八)年に畿内の高野聖を千三百八十三人も捕え、殺害している事実はあまり知られているとは思われない。『高野山が信長に敵対する荒木村重の残党を匿ったり足利義昭と通じたりした動きへの報復だったというが、当時は高野聖に成り済まし』、『密偵活動を行う間者もおり、これに手を焼いた末の対処だったともいわれている』。『江戸時代になって幕府が統治政策の一環として檀家制度を推進したこともあり、さしもの高野聖も活動が制限され、やがて衰えていった』とある。引用中の「夜道怪(やどうかい)」「宿借(やどかい)」という妖怪(というか、実在した可能性の高い「人攫い」)についてもウィキの「夜道怪から引いておく。これは一般には、『埼玉県の秩父郡や比企郡小川町大塚などに伝わる怪異の一つ』とされ、『何者かが子供を連れ去るといわれたもので、宿かい(やどかい)、ヤドウケともいう』。『子取りの名人のような妖怪として伝承されており、秩父では子供が行方不明になることを「夜道怪に捕らえられた」「隠れ座頭に連れて行かれた」という』。『比企郡では「宿かい」という者が白装束、白足袋、草鞋、行灯を身につけて、人家の裏口や裏窓から入ってくるといわれる』。『民俗学者・柳田國男の著書においては、夜道怪の正体は妖怪などではなく人間であり、中世に諸国を修行して旅していた法師・高野聖のこととされている』。『武州小川(現・埼玉県比企郡小川町)では、夜道怪は見た者はいないが、頭髪も手入れされておらず、垢で汚れたみすぼらしい身なりの人が、大きな荷物を背負って歩く姿を「まるで夜道怪のようだ」と言うことから、夜道怪とは大方そのような風態と推測されている』。『実際に高野聖は行商人を兼ねていたため、強力(ごうりき; 歩荷を職業とする者)のように何もかも背負って歩き、夕方には村の辻で「ヤドウカ(宿を貸してくれ、の意)」とわめき、宿が借りられない場合には次の村に去ったというが、彼らが旅を通じて次第に摺れ、法力(仏法による力)を笠に着て善人たちを脅かすようになったために「高野聖に宿貸すな、娘取られて恥かくな」という諺すら生まれ、そうした者が現れなくなって以降は単に子供を脅かす妖怪として解釈されるようになったと、と柳田は考察している』。『江戸時代後期の大衆作家・十返舎一九による読本『列国怪談聞書帖』には、高野聖は巡業の傍らで数珠を商いし、民戸に立っては宿や米、銭を乞う者で、俗にこれを「宿借(やどうか)」というとある』。また、『同書には、道可(どうか)という僧がこのような修行を始めたため、すべての高野聖を「野道可(やどうか)」と呼んだという説も述べられている』とある。

「背の文〔(もん)〕」「背の紋」。ウィキの「タガメによれば、『体色は暗褐色で、若い個体には黄色と黒の縞模様がある』とある(下線やぶちゃん)。

「高野僧(はうし)」「はうし」は「僧」一字へのルビ。

「笈(をひ)」動詞「負う」の連用形「負い」の名詞化したもの。修験者や行脚僧が仏具・衣類などを入れて背に負うた脚・開き戸附きの箱。グーグル画像検索「をリンクしておく。

「腹蜟〔(にしどち)〕」これは半翅(カメムシ)目頸吻亜目セミ上科 Cicadoidea のセミ類の比較的終齢期の方に近い幼虫を指すと私は考えている。前出の腹蜟を参照されたい。大雑把なカメムシ類(半翅(カメムシ)目 Hemiptera)では正しくないとは言えぬが、良安は「蟬に似て」いるから、かく言ったわけで、やはり誤りと言わねばならぬ。

「前二足は蟹の螫(はさみ)のごとく」ウィキの「タガメによれば、『前肢は強大な鎌状で、獲物を捕獲するための鋭い爪も備わっている。中・後肢は扁平で、遊泳のために使われる』とある。また、『肉食性で、魚やカエル、他の水生昆虫などを捕食する。時にはヘビやカメ等の爬虫類やネズミ等の小型哺乳類をも捕食する。鎌状の前脚で捕獲し、針状の口吻を突き刺して消化液を送り込み、消化液で溶けた液状の肉を吸う(「獲物の血を吸う」と表記した図鑑や文献もあるが、体外消化によって肉を食べているのであり、血のみを吸っているわけではない。タガメに食べられた生物は、骨と皮膚のみが残る)。自分より大きな獲物を捕らえることが多い。その獰猛さから「水中のギャング」とも呼ばれ、かつて個体数が多かった時には、養魚池のキンギョやメダカ等を食い荒らす害虫指定もされていた』。『北海道を除く日本全土に分布するが局所的。国外では台湾、朝鮮半島、中国に分布する』。なお、『中国では漢方薬の原料として用いられる他、国内では佃煮にされていた地方もあった』とある(下線やぶちゃん)。

「疾(と)くならず」素早くはない。

「終〔(つひ)〕に、背、裂けて、蜻蛉(とんばう)を化生す」最後には背部が裂けて、そこから別種である蜻蛉(とんぼ)に化生(けしょう)する。通常の仏教上の生物学では「四生(ししょう)」と称し、「胎生」・「卵生」・「湿生」(湿気から生ずること。蚊や蛙がこれに相当すると考えられた)・「化生」(自分の超自然的な力によって忽然と生ずること。天人や物怪の誕生、死者が地獄に生まれ変わることなどを指す)の四種に発生説を分類する。無論、タガメはトンボ(昆虫綱蜻蛉(トンボ)目 Odonata にはならぬから大間違いなわけだが、前に述べたように迂闊な私が幼い頃にタガメの飛び立つのを見たら、「そりゃ、トンボになった!」と叫んだことであろう。]

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