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2016/12/19

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 鹿の耳(11) 山神と琵琶

 

     山神と琵琶

 

 村の人は村に居て聽く故に、大抵は土地ばかりの舊事蹟と考へたのである。さう考へさせることも亦有力なる技術であつた。座頭辭し去つて數百年の間、それが物々しく保存せられ、次第に近郷の人々に承認せられると、再び説話は其土地に土著するのである。今日ではもう信じにくいといふことは、少しも農民をうそつきとする理由にはならぬ。古くからある物は誰だつて粗末にはしない。

 一例を擧げると羽前の米澤から、越後の岩船郡に越える大利峠(おほりたうげ)、一名折峠又蛇骨峠座頭峠ともいふ。頂上には大倉權現が祭つてある。昔々一人のボサマ、日暮れて此嶺に獨宿し寂寞の餘に琵琶を彈じて自ら慰めた。時に女性の忽然として現れ來る者あつて、曲を聽いて感歎止まず、且つ語りて曰く、我は此山中に久住する大蛇である。近く大海に出でんとすれぱ、關の一谷は水の底となるであらう。必ずあの村に長居はしたまふな。又命にかけて此事を人に洩らしてはならぬと告げた。それにも拘らず夜明けて關谷に下るとき、意を決して之を村の人に教へたので、盲人は立ちどころに死し大蛇も亦村人の爲に退治られた。其盲人が頂上の祠の神であるともいへば、或は惡蛇の靈を祀るといふのは、兩方とも眞實であらう。最近の傅説では大倉權現は盲女おくらの怨靈、獵夫鯖七の女房にして禁肉を食つて蛇となる者とも謂つて居るさうである。

 然るに同じ米澤から更に他の一人の座頭が、北に向つて大石田越といふ山路で、略同樣の功を立てゝ死して亦神に祀られて居る。大石田に於ては森明神といふのが其盲人の靈であつた。或時山中を過ぎて一老翁に逢ひ、琵琶の一曲を所望せられ、傍の石に坐して地神經を彈じたとある。老人感歎してさて曰く、謝禮の爲に教へ申すべし、今宵は必ず大石田に宿りたまふべからず云々、それから後は例の如く、村民は何とかして恩人の命を助けようと、唐櫃の中へ三重四重に隱して置いたが、開けて見たれば寸々に切られて死んで居たといふ。

 越後では尚小千谷の町の南はづれ、那須崎の地藏堂にも同じ話があつた。盲人は蛇の害の迫れることを語るや否、血を吐いて忽ち死んだが、里の人たちは早速手配をして、鐡の杭を山中の要路に打込み、豫め防遏することを得たりと誌されて居る。大蛇に取つては鐡類は大毒であつた。故に大利峠の蛇精の女なども、一番嫌ひたものは鐡の釘だと、うつかり座頭に話した爲に退治られたと言ひ、關谷の村には鍛冶屋敷の迹さへあつた。信州では山に法螺崩れと蛇崩れとがあつた。蛇崩れの前兆には山が夥しく鳴るので、直ちに檜木を削つて多くの橛(くひ)を作り、それを其山の周圍に打込むと、蛇は出ること能はずして死んでしまひ、年經て後骨になつて土中から出る。それを研末して服するときは瘧病を治すなどゝも謂つた。卽ち盲目の教を待たずして、既に之を防ぐの術は知られて居たので、或は座頭が其受賣をしたのだと思ふ者があつても、さう立派に反對の證據を擧げることは出來なかつたのである。

[やぶちゃん注:太字「うそつき」は底本では傍点「ヽ」。

「羽前の米澤」現在の山形県米沢市。

「越後の岩船郡」現在も新潟県岩船郡(いわふねぐん)としてあるが、本書執筆時はに村上市も含まれた。

「大利峠(おほりたうげ)、一名折峠又蛇骨峠座頭峠」「頂上には大倉權現が祭つてある」不詳。新潟県岩船郡関川村金丸にある蛇崩山のことか?(ここ(グーグル・マップ・データ)。個人サイト「登山日記 静かな山へ」の蛇崩山を読むと、この辺りには大蛇伝説があるとあり、それらしい気にはなってくるのだが)。識者の御教授を乞う。この話や後の話は、柳田國男の「桃太郎の誕生」の「米倉法師」の「七 狼と座頭」にも引かれてあり、そこではこの話の出典を「行脚隨筆」とする。これは恐らく、江戸中期の曹洞宗の僧である泰亮愚海(たいりょうぐかい 生没年未詳:越後高田の林泉寺・長命寺、上野(こうずけ)沼田の岳林寺などの住持を勤めた)の著になる(文化年間(一八〇四年~一八一八年)刊か)随筆と思われる。

「關」湯沢温泉の下流にある岩船郡関川村か?

「最近の傅説では大倉權現は盲女おくらの怨靈、獵夫鯖七の女房にして禁肉を食つて蛇となる者とも謂つて居る」「最近の」と断っているのにも拘わらず、ネット上では掛かってこず、不詳。識者の御教授を乞う。

「大石田越」「おほいしだごえ」。米沢から遙か北の、山形県北東部にある北村山郡大石田町(おおいしだまち)へと抜けるルートであろう。

「略」「ほぼ」。

「森明神といふのが其盲人の靈であつた」「大石田町」公式サイト内の、おおいしだものがたり 第四十二話 盲(めくら)の琵琶法師(びわほうし)が大石田を救った伝説についてに詳述されている。必読! それによれば、哀しいかな、『森の明神」の所在は不明で、この伝説そのものも語り継がれてい』ない、とある。「桃太郎の誕生」にも引かれ、そこではこの原話は江戸後期の国学者人見蕉雨斎(ひとみしょううさい)の随筆「黒甜瑣語(こくてんさご)」に出ると記されてある。

「地神經」「ぢじんきやう(じしんきょう)」盲僧の弾ずる琵琶の曲名。地鎮や地味増長を期したもので、地神を供養するために琵琶を弾奏しつつ、「地神経」(サンスクリット語の仏典を義浄が漢訳した「金光明最勝王経」の内の「堅牢地神品第十八」の略称)を称えるもの。

「小千谷」現在の新潟県小千谷(おぢや)市。

「那須崎の地藏堂」不詳。「桃太郎の誕生」では「茄子崎」とするが、これも見当たらぬ。識者の御教授を乞う。

「杭」「くひ(くい)」。

「防遏」「ばうあつ(ぼうあつ)」で、侵入や拡大などを防ぎとめること。

「大利峠の蛇精の女なども、一番嫌ひたものは鐡の釘だと、うつかり座頭に話した爲に退治られた」岩船郡関川村の大里峠に伝わる、この女性の人であったというプレ話を含む、酷似した琵琶法師に纏わる大蛇伝説が、サイト「龍学」の「蛇になったお里乃」に載る。必見!

「法螺崩れ」山崩れを、巨大化して山に登った海産であるはずの法螺貝が龍として昇天する際に山を崩すとする伝説に基づく。地中にいた法螺貝が風雨を呼び、怪音を発して、海や天に抜ける際に、山崩れが起こるとするもの。かなり古くから思いの外、広汎に存在する伝承である。例えば、私の「佐渡怪談藻鹽草 堂の釜崩れの事」の本文や私の注を参照されたい。

「蛇崩れ」地域によっては「蛇抜(じゃぬ)け」などとも称する。こちらも前の法螺貝同様、年を経た霊力を持った大蛇が風雨を呼び、大地を抜けて龍となって海に出たとか、昇天したなどと伝えるものである。これは、土石流を中心とした大規模な斜面崩壊とも読める。

「檜木」「ひのき」。

「橛(くひ)」杭。

「後」「のち」。

「骨になつて土中から出る。それを研末して服する」「竜骨」或いは「須羅牟加湞天(スランカステン)」などと呼称されたものである。起原物は複数あるが、例えば、特殊な鉱物(燐酸石灰と少量の炭酸石灰及び稀少の炭素との化合物)や、ナウマンゾウの化石などがそれに当たる。私の大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 龍骨や、同じく私の子夜話卷之二 32 紀州、奥州の地より象骨出し事などを参照されたい。

「瘧病」「おこり」と訓ずる。既注であるが、再掲しておく。数日の間隔を置いて周期的に悪寒や震戦、発熱などの症状を繰り返す熱病。本邦では古くから知られているが、平清盛を始めとして、その重い症例の多くはマラリアによるものと考えてよい。病原体は単細胞生物であるアピコンプレクサ門胞子虫綱コクシジウム目アルベオラータ系のマラリア原虫Plasmodium sp.で、昆虫綱双翅(ハエ)目長角(糸角/カ)亜目カ下目カ上科カ科ハマダラカ亜科のハマダラカAnopheles sp.類が媒介する。ヒトに感染する病原体としては熱帯熱マラリア原虫Plasmodium falciparum、三日熱マラリア原虫Plasmodium vivax、四日熱マラリア原虫Plasmodium malariae、卵形マラリア原虫Plasmodium ovaleの四種が知られる。私と同年で優れた社会科教師でもあった畏友永野広務は、二〇〇五年四月、草の根の識字運動の中、インドでマラリアに罹患し、斃れた(私のブログの追悼記事)。マラリアは今も、多くの地上の人々にとって脅威であることを、忘れてはならない。]

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