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2016/12/14

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(19) 神道の發達(Ⅱ)

 

 この神話の驚くべき素朴な點を、私は敢て表はす事をしなかつたが、その不思議にも哀傷と惡夢のやうな恐怖との混和した處は、十分にその原始的性質を示すに足りる。それは實際人のよく見る夢である――自分の愛して居た人が恐るべき姿にかはり果てたといふやうな惡夢の一である、そしてすべて原始的祖先禮拜を語る死に就いての恐れ竝びに死者に就いての恐れを表明するものとして特別な興味をもつて居る。この神話の全哀傷竝びに氣味惡るさ、空想の漠然たる怪異、極度の嫌惡竝びに恐怖に際して、形式的な愛着の言葉を用ひた事――それ等は日本的てある事を間違ひなく感じさせる。以上と殆ど同樣に著しい幾多の他の神話が、『古事記』及び『日本紀』の内にあるが、それ等は明かるい優しい種類の傳説と混和されて居り、それが同じ人種に依つて想像されたものとは思へない位である。例へば『日本紀』の第二卷にある魔法の寶石、海神の宮殿へ行く話は、印度のお伽噺のやうな趣がある、而して『古事記』、『日本紀』共に幾多外國の本源から得來たった神話をもつて居る。兎に角其神話的の諸章は、多少なほ解決を要すべき新しい問題を、吾々の前に提出するのである、これを外にしては、此兩書とも、上代の慣習信仰を照らすに足る光明のあるに拘らず、讀物としては面白くないものである、そして總括的に言つて、日本の神話は面白くないものである。併し玆に神話の問題を兎や角説くのは不必要である、何となれば其神道との關係は極めて短い一章句に依つて總括されるからである――

[やぶちゃん注:「『日本紀』の第二卷にある魔法の寶石、海神の宮殿へ行く話」「日本書紀」の「卷二」の、所謂、〈山幸彦と海幸彦〉の話(そこでは弟の山幸彦が「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」兄の海幸彦が「火闌降命(ほでりのみこと)」)で、猟具を取り換えて弟の山幸彦が海に漁に出るが、兄海幸彦の釣り針を亡くしてしまい、釣り針を返せと兄から責めたてられ、山幸彦は塩土老翁(しおつちのおじ)に助けられ、海神(わたつみのかみ)の宮へと行き、海神の娘豊玉姫を娶(めと)り、海の宮に住んで三年の後、釣り針と潮盈瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひるたま)の潮汐を操る霊玉を得て帰還、兄への報復に成功する話である。これは現在では天孫族が隼人(はやと)族(古代の薩摩・大隅・日向に居住した人々)を服従させた事実を神話化したものとも考えられており、仙郷滞留説話・神婚説話から、浦島説話の先駆とも考えられているものである。]

 

 大初には力も形も顯はれては居なかつた、世界は一定の形のない一塊で水母のやうに水上に浮かんで居た。その内どうかして――どうしてといふ事は書いてない――天と地とが分かれ、朦朧たる神々が現はれ又消えた、最後に男性の神と女性の神とが出來、萬物を生み且つその形を與へた。この二方の神、伊邪那岐、伊邪那美の命に依つて、日本の島が出來、またいろいろの神々と日月の神とが出來た。これ等創造の神々、竝びにそれに依つて造られた神々の子孫は、則ち神道の禮拜する八千萬(或は八億萬)の神々であつた。その神の或るものは高天原 Plain of High Heaven に行つて住み、又他のものは地に住み、日本人種の祖先となつた。

 これが『古事記』『日本紀』の神話で、出來うる限り簡潔に書かれてある。最初に二種の神々が認められて居たらしい、それは天の神と地の神とである、神道ののりと rituals なるものは、この區別を示して居る。併しこの神話の天の神なるものが、必らずしも天の力を代表して居るものでないといふ事、竝びに實際天の現象と同一のものとされて居る神神が、地の神々と一緒に置かれて居る――地上に生まれた則ち『生じた』といふので――といふ事は妙な事實である。たとへば日月は日本で生まれたとされて居る――後になつて天にあげられたのであるが、則ち日の女神、天照大神は伊邪那岐命の左の眼から生じ、月の神、月讀命は伊邪那岐の右の眼から生じた。それは(この兩神を生じたのは)伊邪那岐命が下界に行つた後、筑紫の島の河口で身を淸めた時の事である。十八世紀十九世紀の神道學者は、只だその偶然生まれた處に關する外、天の神と地の神との區別をすべて否定し、この混沌たる空想の内に、多少の秋序を立てた、彼等神道學者は神世 Age of Gods とその後の人皇の時代との古くからあつた區別をも否定した。彼等の言ふ處に依ると、日本の當初の統治者が、神であつたのは事實てある、併しながら後代の統治者も亦同樣神であるといふのである。全皇統、日の御嗣 Sun’s Succession なるものは、日の女神からの連綿たる一つの血續を顯はすものである。平田は恁う書いて居る『神代と現代との間には何等確とした固い分界線はない、『日本紀』の言ふやうなその區別の線を引く事の正當な理由は少しもない』と。素より恁ういふ立脚地からすれば、その内に全民族が神の血統であるといふ教理が含まれる事になる――古い神話に從つて、最初の日本人はみな神の子孫であつた限り――而して平田はさういふ教理を大膽に取つたのであつた。平田の斷言する處に依ると、すべての日本人の起原は神にある、それ故日本人はすべての他の國人に勝さつて居るのであると。平田は日本人の神の血統を引いて居る事を證明するのは容易であるとすら説いて居る。その言は恁うである。『瓊々杵命(日の女神の孫で皇室の建立者とされて居る人)に伴なつて行つた神々の子孫――竝びに代々の御門の子孫で、平、源等の名をもつて御門の臣下の位に入つた人々――はだんだんに增加し、繁殖した。日本人の多數は、如何なる神から降つて來たのか確とは解らないが、それ等はみな部族の名(かばね)といふものをもつて居て、それはもと御門から賜はつたものである、そして系圖の研究その務めとする人々は、人の普通の苗字から、その人の極めて遠い組祖先は誰れであつたかを語る事が出來る』と。此意味に於て、すべての日本人は神であり、その國は當然神の國――神國と呼ばれたのてある。吾々は平田の説をその文字通りに了解すべきであらうか。私はさう了解すべきてあると思ふ――併し吾々は、封建時代に、國民を形成して居るとして公然認められて居た階級以外に、日本人として考へられず、また人間としてすら考へられて居なかつた人民の、幾多の階級のあつた事を記憶しなければならぬ、それ等は則ち非人で、獸と同樣に考へられて居たものである。平田の日本人といふのは只だ四大階級を言つたものであらう――士、農、工、商の。併しさうとしても、平田が日本人に神性を與へたといふ事は、人間の道德性竝びに體格上の虛弱であるといふ點から見て、それをどういふ意味に考へて然るべきであらう。この問題の内、その道德的の方面は、神道の惡の神、邪曲の神に就いての説に依つて説明される、則ちこの神は『伊邪那岐命が下界に行かれた時、身に受けた不淨から起こつた』ものと考へられて居るのである。人間の體格上の虛弱に關しては、皇室の神聖なる建立者たる瓊々杵命の傳説に依つて説明される。則ち長命の女神岩長姫命(Rock-long-princess)が瓊々杵命の妻として送られた、然るにその醜いのを見て、命は姫を拒絶した。それでその不明な仕方が『人間の現在のやうな短命』を招致したのである、と。大抵の神話は、當初の族長則ち統治者の生命を以つて非常に長いものとして居る、神話の歷史を古に遡れば遡るほど、主權者はいよいよ長命になつて居る。日本の神話もこの例に洩れない。瓊々杵命の子は、その高千穗の宮で、五百八十年生きて居たと言はれて居る、併しそれでも『それ以前の人々の生涯に比べたら短命なのである』と平田は言つて居る。その後人間の身體の力は衰へ、生命はだんだん短くなつた、併しすべて墮落したにも拘らず、日本人はなほその神から出て來たものてあるといふ形跡を示して居る。死後日本人はより高い神性の狀態に入るのであるが、而もこの現世を棄ててしまふ事なくて……かくの如きは則ち平田の意見である。日本人の起原に關する神道の説からすると、人間性にかく神性を與へるといふ事は、一見した際に考へられるやうに、矛盾した事ではないのである。而して近代の神道學者は、すべての起原を太陽にもつて行くが、その教義の内に、科學的眞理の萠芽が見出されさる事であらう。

[やぶちゃん注:「のりと rituals 」底本では「のりと」は傍点「ヽ」(以下、太字は同じなので、この注は略す)。「rituals(リチュアルズ)は「しばしば同じ形式で繰り返される儀式・礼拝式・儀式的行事」の意。

「天照大神」「あまてらすおほみかみ」。

「月讀命」「つくよみのみこと」。

「下界」このシークエンスは先の伊耶那美の訪問譚の直後で、この「下界」とは黄泉の国を指している。

「筑紫の島の河口」「古事記」には「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)」で、死者の世界である黄泉の国で感染した死穢(しえ)を払うために禊(みそぎ)を行ったとされる。「筑紫の島」は古代の九州全体を指す呼名であり、この「阿波岐原」は現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町に比定されている。(グーグル・マップ・データ)。

「神世」「かみよ」。

「日の御嗣」「ひのみつぎ」。天皇の位を敬っていう語。「日」の神天照大神の詔命を受け「嗣」いで大業を次々にしろしめす「御」子(みこ)の意と言う。

Sun’s Succession」「Successionは、「地位・身分・財産などの継承相続権を保有する者」の意。

「平田は恁う書いて居る『神代と現代との間には何等確とした固い分界線はない、『日本紀』の言ふやうなその區別の線を引く事の正當な理由は少しもない』と」平井呈一氏訳になる「日本 一つの試論」(一九七六年恒文社刊)では、ここについて平井氏の訳注があり、そこに平田篤胤の「古道大意 下卷」が引かれてある。以下に孫引きさせて貰う。但し、私のポリシーから、恣意的に正字化し、一部にひらがなで歴史的仮名遣で読みを附し、読点を追加した。

   *

サテ又神代と申ス事ハ、人ノ代ト別(わけ)テ申ス稱デ、夫(それ)ハ、イト上ツ代ノ人ハ、凡テ皆神テ有(あり)タル故ニ、其(その)代ヲサシテ、神代ト云(いふ)タ物デ、扨、イツ頃マデノ人ハ神デ、何頃(いつごろ)カラ、コナタノ人ハ、神デナイト云フ、際(きは)ヤカナル差別ハナイ

   *

『瓊々杵命(日の女神の孫で皇室の建立者とされて居る人)に伴なつて行つた神々の子孫――竝びに代々の御門の子孫で、平、源等の名をもつて御門の臣下の位に入つた人々――はだんだんに增加し、繁殖した。日本人の多數は、如何なる神から降つて來たのか確とは解らないが、それ等はみな部族の名(かばね)といふものをもつて居て、それはもと御門から賜はつたものである、そして系圖の研究その務めとする人々は、人の普通の苗字から、その人の極めて遠い組祖先は誰れであつたかを語る事が出來る』同じく、前掲の平井氏訳「日本 一つの試論」では、ここに同様の平井氏の訳注があり、そこに平田篤胤の「古道大意」が引かれてある。以下に孫引きさせて貰う。但し、私のポリシーから、恣意的に正字化し、一部にひらがなで歴史的仮名遣で読みを附し、読点を追加した。

   *

皇孫邇々藝命(ニニギノミコト)ヨリ、當今(たうぎん)樣(さま)マテ、唯(ただ)一日ノ如ク、御代(みよ)ヲ知(シロ)シ食(め)シ、其御附屬ナサレタル神々ノ御子孫トテモ、今以テ其如ク、連綿ト御續キナサレテ、其末々(すゑずゑ)が世ニヒロガリ、又世々ノ天子樣ノ御末ノ御方タチヘ、平氏ヤ源氏ナドヲ下サレテ、臣下ノ列ニモナサレタルガ、其未ノ末ガフエ弘(ひろ)ガッテ、ツヒツヒ御互ノ上ト成タル物デ、ナント此ノ譯(ワケ)ジャモノヲ、御國ハ誠ノ神國デアルマイカ。ナントオタガヒハ、誠ニ神ノ御末デハ有ルマイカ。今ハ、カヤウニ零落(オチブレ)テ、其先祖ノ神モ慥(タシカ)ナラヌヤウナレドモ、御國ノ人ニハ各々(オノオノ)氏姓ト云(いふ)ガ有(あり)テ、其ハ元來、天子樣ヨリ賜(たまはり)タル物デ、チカクハ源平藤橘ナドト云(いひ)テ、源トカ平トカ橘トカ、藤原トカ云(いふ)モノガ是(これ)テ厶(ゴザル)。其ヲ以テ古へヲ穿鑿(サク)スルト、大キニシレル。

   *

「瓊々杵命」「ににぎのみこと」。所謂〈天孫降臨〉の天孫。天照大神の命によって葦原中国を統治するために高天原から日向国の高千穂峰に彼が降りたとする。

「確とは」「しかとは」。解らないが、それ等はみな部族の名(かばね)といふものをもつて居て、それはもと御門から賜はつたものてある、そして系圖の研究その務めとする人々は、人の普通の苗字から、その人の極めて遠い組祖先は誰れであつたかを語る事が出來る』と。

   *

「併し吾々は、封建時代に、國民を形成して居るとして公然認められて居た階級以外に、日本人として考へられず、また人間としてすら考へられて居なかつた人民の、幾多の階級のあつた事を記憶しなければならぬ、それ等は則ち非人で、獸と同樣に考へられて居たものである」小泉八雲の鋭敏なる批評眼を見よ!

「岩長姫命」「いはながひめのみこと」。ウィキの「イワナガヒメ」より引く。『大山祇神(おおやまつみ)の娘で』、富士山の神『木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉』。『コノハナノサクヤビメとともに天孫瓊々杵尊(ににぎ)の元に嫁ぐが、イワナガヒメは醜かったことから父の元に送り返された。オオヤマツミはそれを怒り、イワナガヒメを差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、コノハナノサクヤビメを差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからであることを教え、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた』。日本書紀には、『妊娠したコノハナノサクヤビメをイワナガヒメが呪ったとも記され、それが人の短命の起源であるとしている』。『イワナガは岩の永遠性を表すものである。コノハナノサクヤビメとイワナガヒメの説話はバナナ型神話の変形であり、石(岩)がイワを名前に含んだ女性に変化している。上記の説話から不老長生の神として信仰される』。『イワナガヒメだけを祀る神社は雲見浅間神社(静岡県賀茂郡松崎町)や大室山(静岡県伊東市)の浅間神社、伊豆神社(岐阜市)が挙げられるがその数は少なく、全国のその他の浅間神社ではコノハナノサクヤビメと共に祀られている』。『雲見浅間神社と大室山浅間神社にイワナガヒメのみが祀られているのは、富士山のコノハナノサクヤビメと対峙して祀られているものである。この静岡県伊豆地方では、醜いためにニニギに遠ざけられたイワナガヒメに同情して、イワナガヒメの化身である大室山に登ってコノハナサクヤビメの化身である富士山を褒めると、怪我をするとか不漁になるなどの俗信がある』。『宮崎県西都市の銀鏡(しろみ)神社では、イワナガヒメが鏡に映った自分の醜い容姿を嘆くあまり、遠くに投げたと伝えられる鏡がご神体として祀られている』などとある。]

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