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2016/12/04

谷の響 五の卷 八 河太郎

 

 八 河太郎

 

 この高瀨某と言へる人、文化初年の夏岩木川なる地藏淵にて釣せしが、得物の多ければ竹畚(たけかご)に入れて水にひたし放下(おき)けるに、獲りしよりも足らぬやうに覺ゆれば、いと不審(いぶか)しとて瞳を放さで窺ひたるに、水際より小兒のごとき細腕をさし延べ竹畚なる魚を抓んで引きとるから、然(さて)こそ妖物(ばけもの)御座んなれと隨卽(そのまゝ)裸躰(はだか)になり、刺刀(あひくち)拔て待設けしに又しも小腕を延べたる故、不疎(すかさず)これを抓(ひつつか)むに渠(かれ)に曳れて計らず水流(かは)に落沒(おちいり)、ひかれ行事二十間ばかりと覺えしが、その疾き事矢を射る如く忽ち物に撞(つき)中りしかば、直ちに小腕を截り採り浮み出けるに、地藏淵の邊(あたり)にあらで紙漉澤村の傍に(ほとり)てありつるに、いといと怪しくて道を速(いそ)ぎ歸りしなり[やぶちゃん字注:「」=「扌」+「正」。後の「」も同字。]。

 さるに、その夜夢とも現ともなく、五歳ばかりの童子の髮蓬頭(おどろ)に被りたるが枕邊に跪踞(ひざまつき)て言へりけるは、吾は河童(かつぱ)にて侍るなり。乞萬(なにとぞ)今日の無調法を免(ゆる)され腕を得さし玉はるべしと潛然(さめざめ)と哭泣(なき)けるに、高瀨氏いたく罵る聲と倶に眼は覺めつるがそのまゝ河童も見えずなりぬ。夫よりして連夜來りて倍罪(わぶる)事既に五日を累ねたれば、この人惻隱(ふびん)の情起りていへるは、斯まで切懇(ねんごろ)に乞求るも可憐(ふびん)なれば返し得さすべし、その報に何事をか爲(す)ると問(たつ)ぬるに、河童の曰、凡(およ)そ當家はもとより一族(け)親屬婚(るいゑん)家(るゐ)の人に至るまで、永世(ながく)水難の患(わづらひ)なかるべし堅く誓ひを立てぬるから、卽(やがて)與へて遣りたるにいたく怡びて、再び三囘(みたび)禮拜みてそのまゝ見えずなりしなり。且説(さて)この腕は四五歳の小兒の腕の如くなれど、指は四本にて根もとに蹼(みづかき)あり。爪は尖利(するどく)して鳥の嘴(はし)の如く、肌膚(はた)みな錢苔(こけ)のことき斑なる文(かた)ありて、色淡(うす)靑く皂(くろみ)を帶たり。この人世の風説(うはさ)にならん事を厭ひてふかく祕(つゝみ)て人にも語らねど、千葉氏は從來(もとより)の懇意なるからこの縡(こと)を語り腕を見せしなりと千葉氏の語りしなり。因(ちなみ)にいふ、寛政の年間(ころ)外崎某といへる人、御徒町の川端邊にて河童と組(ひつくみ)、そが髮を一束(つかみ)拔いて家に藏めし話、及び享保の頃間(ころ)梅田村の長十郎と言へる者、河童を捕らへて御上へ獻りしといふ事は、往昔(むかし)より言ひ傳へて人々知れる事なり。

 

[やぶちゃん注:「河太郎」河童のかなり知られた別称。ルビがないので、訛りなく「かはたらう(かわたろう)」と訓じているものと採る。ここの出る話は、〈河童の詫び文〉型の起請文のない誓證のみのタイプで、かなり全国的なオーソドックスなものである。さればあまり面白いとは言えないが、何度も詫びに来るのが夢の中でのように描かれているのは特異点である。

「この高瀨某と言へる人」前話の七 メトチ」の間接的な情報提供元であるから「この」と指示語を附してある。さても、この「メトチ」を語った高瀬なる人物が、前で「メトチ」(みづち・水蛇・蛟)を言い出しておいて、ここで別に如何にもズバリ「河童」らしい「河太郎」を語り、しかも西尾自身がこの最後で「河童」と用字していることから考えても、前条の底本にある森山泰太郎氏の註には悪いのであるが、高瀬も千葉(前話の直接提供者)も平尾も「メトチ」と「河太郎」を全く別個な水怪と考えていたことは明白ではないか? 私は少なくとも「谷の響」内に於いて、則ち、平尾魯僊にとっては、蛇形の水怪「メトチ」とヒト童子型妖怪「河太郎」は同じ物の怪としての「河童」ではないと断ずることが出来ると考えるものである。

「文化初年」一八〇四年。

「地藏淵」不詳。識者の御教授を乞う。一つ言えることは、最後のシーンで高瀬は水怪と格闘、腕を切り落としてそれを奪取、浮かび上ったのであるがが、そこはさっきまでいたはずの「地藏淵の邊(あたり)にあらで紙漉澤村の傍に(ほとり)」であったことを「いといと怪し」と感じている。もし、この「紙漉澤村」(かみすきさわむら:後注参照。ここは位置が判明している)よりも「地藏淵」なる場所が岩木川下流に存在するのであれば、高瀬は、「いといと怪し」とは感じないはずである。従って、この「地藏淵」よりも遙か上流に「紙漉澤村」があるのだとは読めるように私は思うのである。

「竹畚(たけかご)」底本の森山氏の補註に、『かけご。竹又は蔓などで作り、腰に下げる籠。魚籠。津軽・秋田・岩手はカケゴだが、以南の地方ではハケゴと呼ぶところが多い』とある。「畚」は普通は「もっこ」「ふご」と読み、繩を網状にしたものの四隅に綱をつけて土・石などを入れて運ぶ「モッコ」、或いはより広義には、竹・藁などを編んだ容器、ここでのように獲った魚を入れておく「魚籠(びく)」を指す。

「放下(おき)けるに」二字へのルビ。放っておいたところ。

「瞳を放さで」「めをはなさで」。「目を離さで」。

「刺刀(あひくち)」「匕首(あいくち)」。小刀。

「拔て待設けしに」ぬきて、まちまうけしに」。

「又しも」「しも」は副助詞で「よりによって・折りも折り・まさに丁度」の意で、「またも(注視して待ち構えていた)その折りも折り」。

「不疎(すかさず)」間髪を入れず。

抓(ひつつか)む」(「」=「扌」+「正」)「」の字は不詳(「廣漢和辭典」にも載らない)。「ひっつかむ」(引っ摑む)から考えると、「抓」(つねる)が「ひつ」に相当し、「つかむ」が「」であるとすれば、「摑」(掴)或いは「把」であろう。「」の字に変字したとするなら、「把」の可能性が高いように思い私には思われる。

「渠(かれ)」「彼」。その童子形の水怪。

「曳れて」「ひかれて」。

「計らず」思いがけず。

「行事」「ゆくこと」。

「二十間」三十六メートル強。

「疾き事」「はやきこと」。

「撞(つき)中りしかば」「つきあたりしかば」。

「紙漉澤村」底本の森山氏の補註に、『中津軽郡相馬村紙漉沢(かみしきざわ)。古く天文年間にこの地名があり、往昔ここで紙を漉いたという伝えがある』とある。現在は弘前市紙漉沢で読みは「かみすきさわ」である。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「蓬頭(おどろ)に」二字へのルビ。髪などがぼうぼうに乱れて縺(もつ)れているさま。

「被りたるが」「かぶりたるが」。

「乞萬(なにとぞ)」二字へのルビ。

「得さし」「得さす」はア行下二段活用動詞「う(得)」の未然形に使役の助動詞「さす」がついた連語。「手に入れるようにさせる」で「与える」の意。実は和文の古語では、「與(あた)ふ」は一般には使用されず、「得さす」「取らす」「授(さづ)く」などが用いられた。

「潛然(さめざめ)と」二字へのルビ。

「哭泣(なき)けるに」二字へのルビ。

「高瀨氏いたく罵る聲と倶に眼は覺めつるがそのまゝ河童も見えずなりぬ」ここが本話柄のオリジナリティのある面白いところである。初回の河童の謝罪来訪は事実であったのか、それとも単に河童に襲われた高瀬の見た夢であったのか、判然としない処理が施されているからである。いや、寧ろ、河童を激しく叱り罵る自分の声で高瀬が目を醒ますというのは夢オチ的であって、「実際には河童など謝りになぞ来てはいないのではないか?」と読者に逆に思わせる企みが意図的(話者である高瀬の)になされているようにさえ思われるからである。

「倍罪(わぶる)事」二字へのルビ。「倍」の字は不審。識者の御教授を乞う。

「累ねたれば」「かさねたれば」。

「惻隱(ふびん)」二字へのルビ。

「斯まで」「かくまで」。

「切懇(ねんごろ)に」二字へのルビ。

「乞求るも」「こひもとむるも」。

「報」「むくひ」。代わり。弁償。その誓約を求めるところがステロタイプなのである。

「問(たつ)ぬるに」ルビはママ。「たづぬるに」。

「一族(け)親屬婚(るいゑん)家(るゐ)の人に至るまで」「いちけ・おや・るいゑん(類緣)・るゐ(類)のひと、に、いたるまで」。主人公たる高瀬を家長とする主家一族とその末裔・高瀬の父母・親族及び姻族・高瀬家に仕える家来及び下男下女といった人々に至るまで総て全員洩れなく。

「永世(ながく)」二字へのルビ。形容詞として訓じている。

「水難の患(わづらひ)なかるべし」こと「堅く誓ひを立てぬるから」。

「與へて」切り落して奪い取った河童の腕。

「遣りたるに」「やりたるに」。もどしてやったところ。

「怡びて」「よろこびて」。私は漠然と『河童は両生類的であるから、足が切断されてもイモリのように強い再生能力を持っているに違いない』などと勝手に思い込んでいたが、よく考えてみると、この〈河童の詫び證文型〉では切り傷の万能薬の製法を伝授したりしてもおり、ここでも腕を返してもらって非常に喜んでいるところをみると、彼らは切断された手足を(或いは頭部も)接着して復元させるという能力を備えているのだ、ということに今頃になって気がついた。

「禮拜みて」これで「おがみて」と訓じている。

「肌膚(はた)」二字へのルビ。「はた」はママ。「はだ」。

「錢苔(こけ)」「ぜにごけ」。植物界ゼニゴケ植物門ゼニゴケ綱ゼニゴケ亜綱ゼニゴケ目ゼニゴケ科ゼニゴケ属ゼニゴケ Marchantia polymorpha

「ことき」ママ。「如き」。

「斑」「まだら」。

「文(かた)」「型」「形」。紋。

「皂(くろみ)」「黑味」。

「帶たり」「おびたり」。

「この人」高瀬某。

「寛政」一七八九年から一八〇一年。

「御徒町」弘前市徒町(おかちまち:「御」はつかないので注意)。(グーグル・マップ・データ)。旧徒歩衆が住まいした地域。

「川端邊にて」現在同地区北に接して、文字通り、「徒町河端町」がある。(マッピン地図データ)。

「藏めし」「おさめし」。戦利品として家蔵した。

「享保の頃間(ころ)」「頃間」で「ころ」とルビする。一七一六年から一七三五年。

「梅田村」恐らくは現在の北津軽郡鶴田町の附近(グーグル・マップ・データ)。

「獻りし」「たてまつりし」。]

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