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2016/12/04

谷の響 五の卷 十 雩に不淨を用ふ

 

 十 雩に不淨を用ふ

 

 飯詰村の山中に雨地といふがありて、旱天(ひでり)の年は里人どもこの池の邊(ほとり)に葬送の器械(どうぐ)及び産室の不淨物を運び、或は牛馬の骸骨(ほね)などを投げ入れ種々(くさぐさ)不潔(けがらは)しき業(わざ)を作すに、忽ち大ひに雨あることは往古(むかし)よりしかりと言うて雨地と號(よべ)りとなり。斯有(かゝ)るからに、往ぬる嘉永四の亥の年も亦旱魃の災ひありけるから、村里の農夫どもこの池の邊に簇聚(むれつど)ひ、種々の不潔しき物を持賦(くば)りて雩(あまこひ)の業を營みけるが、一個(ひとり)の壯漢(をのこ)手に馬の骨を擎げて忌はしき事ども百般(いろいろ)いひながら、池の中に飛び入り中嶋近く泳ぎけるに、いかにしけん暴卒(にはか)に身を轉(かへ)して水底に沈沒(しづ)み再び浮み出る形の見えざれば、同侶(どうやく)の漢(もの)甚(いた)くあやしみいざや援け來んとて、同じく池の中に躍り沒(い)り浪を披(ひら)いて游ぎ往き、間なく中嶋に近つきしにこも亦沈淪(しづ)みて姿は見えずなりにけり。

 農夫(ひやくしよう)ども大いに驚轉(おどろき)騷ぎ、衆人(みなみな)謀りて急卒(にはか)に筏を造り池の中を隈なく尋索(もとむ)れども、夫と見るべきものつやつやあらねば、詮(せん)術(すべ)なくて止已(やみ)たりき。さるに其後五日可(ばかり)も過たる頃、此池故なきにいたく洪湧(さわ)ぎ水溢れて、二個(ふたり)が死骸を汀頭(みぎは)に搖り着けて有けるを、舁(かつ)きもて來りて葬れりとなり。こもこの食川村の淸助が語りしなり。汚穢不淨のものをもて雩をする事は、何れの國にもまゝある事ながら極めて爲すべき業にあらざる事なり。そは鬼神論に載(あ)ぐべくとおもへばここに略す。

 

[やぶちゃん注:「雩」本文を見ての通り、「あまごひ」「雨乞」と読む。

「飯詰村」底本の森山氏の補註に、『五所川原市飯詰(いいずめ)。戦国時代この地の高楯城に土豪朝日氏が拠っていたが、天正十六年津軽為信に亡ぼされた。藩政時代この地方開発の中心地であった』とある。(グーグル・マップ・データ)。

「雨地」附近の池か(グーグル・マップ・データ)。

「嘉永四の亥の年」一八五一年。

「農夫」あとで「ひやくしよう」と読んでいる。

「持賦(くば)りて」「もちくばりて」。

「雩(あまこひ)」ルビはママ。

「擎げて」「ささげて」。

「暴卒(にはか)に」二字へのルビ。

「同侶(どうやく)」仲間。

「援け來ん」「たすけこん」。

「驚轉(おどろき)」二字へのルビ。

「尋索(もとむ)れども」「たづねもとむれども」。

「夫」「それ」。

「つやつや」一向に。

「止已(やみ)たりき」二字へのルビ。

「洪湧(さわ)ぎ」二字へのルビ。

「舁(かつ)きもて來りて」皆して担(かつ)いでもち帰って。

「こもこの食川村」前話を受ける。そこで述べた通り、旧「喰川(しょくかわ)村」で、五所川原駅南西直近の、この附近かと考えられる(グーグル・マップ・データ)。

「汚穢不淨のものをもて雩をする事は、何れの國にもまゝある事」ウィキの「雨乞い」の「日本の雨乞い」の項によれば(下線やぶちゃん)、『様々な雨乞いが見られる。大別すると、山野で火を焚く、神仏に芸能を奉納して懇請する、禁忌を犯す、神社に参籠する、類感(模倣)呪術を行うなどがある』。『山野、特に山頂で火を焚き、鉦や太鼓を鳴らして大騒ぎする形態の雨乞いは、日本各地に広く見られる。神仏に芸能を奉納する雨乞いは、近畿地方に多く見られる。禁忌を犯す雨乞いとは、例えば、通常は水神が住むとして清浄を保つべき湖沼などに、動物の内臓や遺骸を投げ込み、水を汚すことで水神を怒らせて雨を降らせようとするものや、石の地蔵を縛り上げ、あるいは水を掛けて雨を降らせるよう強請するものであり、一部の地方で見られる。神社への参籠は、雨乞いに限らず祈祷一般に広く見られるが、山伏や修験道の行者など、専門職の者が行うことも多い。類感呪術とは、霊験あらたかな神水を振り撒いて雨を模倣し、あるいは火を焚いて煙で雲を表し、太鼓の大音量で雷鳴を真似るなど降雨を真似ることで、実際の雨を誘おうとするタイプの呪術である。このタイプの雨乞いは、中部地方から関東地方に多い』とある。

「鬼神論」。底本の森山氏の補註に、『魯僊が鬼神の実在を論証しようとしたのであろうが、この書名の著書はない。あるいは「幽府新論」(慶応元年』(一八六五年)『)のことかも知れぬ』とある。]

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