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2016/12/30

甲子夜話卷之三 22 蜷川將監、曾我伊賀守の事

3-22 蜷川將監、曾我伊賀守の事

蜷川將監と云しは先朝の御小納戸なり【今御取次衆相模守の父なり】。奧の番になりたるを辭せんとて【奧の番は大奧女中に接談することもあるゆへ、老實の老に限りて命ぜらるゝことなりと云】、御取次衆へ自身申出けるは、拙者元來好色の癖あり。いかやう愼候ても、癖と云ものは風と動く事あるものゆへ、もし女中にいかやうのこと出來候ては、一分の罪而已ならず、家をも失候ことにも成候半。あはれ奧の番免し玉へと乞ひつゝ、遂に平勤に返りしとなり。その實は仲ケ間に意味合ありて、長くは穩に勤難しと見切りての事なりしとなり。眞に面白き托し方なり。近頃御側を勤めし曾我伊賀守【今御書院番頭伊賀守の養父なり】、若き頃は世の中放埓なる風なりし。火消役に命蒙りたるとき、其古役ども常々妓樓に同道する沙汰を聞及び、家中の前髮あるものを數多呼よせて、同役來れば給仕させたり。一日古役果して妓樓に同伴せんと云。伊賀云ふには、我等は男色を好みて女色を好まず。男色のある所はいづ方にても同伴せんと云。古役も其常に左右前髮人多を見て疑はず。男色好のこと仲カ間追々知りて、妓樓同行するものなかりしとなり。一時の權略すぐれたることなり。

■やぶちゃんの呟き

「蜷川將監」「にながはしやうげん」。不詳。以下、人名不詳も識者の御教授を乞う。

「曾我伊賀守」不詳。

「先朝」先代の将軍の意であるから、第十代将軍徳川家治であろう。

「御小納戸」(おこなんど)役はウィキの「納戸によれば、『将軍が起居し、政務を行う江戸城本丸御殿中奥で将軍に勤仕して、日常の細務に従事する者のこと。若年寄の支配下で、御目見以上であり、布衣着用を許された。小姓に比べると職掌は多岐に』渡った。『小納戸には、旗本や譜代大名の子弟が召し出された。その他、部屋住や他の役からの転任の場合は、目付を通じて』第二次・第三次の『面接がおこなわれ、厳選の後に、将軍が吹上庭で』四、五間ほど『離れた場所から見て最終決定され』た。『小納戸に任命されると』、三日の『うちに登城し、各人が特技を将軍の前で披露する。小納戸には、御膳番、奥之番、肝煎、御髪月代、御庭方、御馬方、御鷹方、大筒方などがあり、性質と特技により担当を命ぜられた。また、いっそうの文芸を磨くため、吹上庭園内に漢学、詩文、書画、遊芸、天文、武術の学問所と稽古場があり、習熟者は雑役を免ぜられ、同僚の指導をおこなう』。『将軍が中奥御小座敷での食事の際に、膳奉行の立ち会いの上、小納戸御膳番が毒味をおこなう。異常がなければ膳立てし、次の間まで御膳番が捧げ、小姓に渡す。給仕は小姓の担当であった』。『将軍が食べ終わった後、食事がどのくらい残されているかを秤に掛け計測し、奥医師から質問された場合には応答し、小納戸は、毒味役と将軍の健康管理を兼ねていた』。『その他、洗顔、歯磨きの準備も小納戸の仕事で、将軍の月代と顔を剃り、髪を結うのが御髪月代であり、将軍の肌に直接触れることで失敗は許されず、熟練の技を要した。お馬方は、江戸市中に火災が起こると、現場に駆け付け、状況を将軍に報告した』。『小納戸は、将軍に近侍する機会が多く、才智に長ける者であれば昇進の機会が多い役職であった』とある。

「御取次衆」将軍の取次としては将軍近習の「側衆」があり、幕府初期には将軍の意向を背景に大きな権力を持つ場合もあったが、後には老中合議制が形成されて将軍専制が弱まると、実権も弱まった。以後の側衆の役割は将軍の身の回りの世話などをする存在となったが、五代将軍徳川綱吉の時代には老中と将軍の間を取次ぐ「側用人」が設置され、ここではそれであろう。吉宗の治世には一時、廃止されたが、「御側御用取次」が同じ役割を果たしている(ここはウィキの「取次(歴史学)」に拠った)。

「相模守」不詳。

「奥の番」江戸幕府の大奥に置かれた男性武士の役職である広敷用人(ひろしきようにん)であろう。将軍以外の男性の出入りが禁止されていた大奥と外との取次役。

「接談」直に接して交渉すること。

「老實」物事に慣れており、誠実であること。この語自体には「老人」に意は含まれないので注意。

「愼候ても」「つつしみさふらふても」。

「風と」「ふと」。

「而已」「のみ」。

「失候」「うしなひさふらう」。

「成候半」「なりさふらはん」。

「免し」「ゆるし」。

「平勤」「ひらづとめ」。一般職。

「意味合ありて」私は前の「仲ケ間」を同じ務めとなる同職の中に、「関係」(意味合い)が良くない者がいたことから、の意で採る。ネット上の訳などでは、その言葉の「仲ケ間に」(中に)「隠された含み」(別な意味合い)があって、の意で採っているものがあるが、私はそれでは、以下の「長くは穩」(おだやか)「に勤難」(つとめがた)」「しと見切りての事」とのジョイントが不十分と思うからである。また、後文の「仲カ間」は明らかに同職同僚の意であるからである。

「眞に」「まことに」

「托し方」「たくしかた」。事寄せ方。

「御側」「おそば」。前の「御取次衆」と同義で採る。

「御書院番」将軍の外出時の警護に当った御番衆の一職。番衆(番士・番方:交代システムで組まれた「番」を編成して将軍及び御所の宿直や警固に当たる者)には書院番・小姓組・新番などがあったが、特に書院番と小姓組は「両番」とも呼称され、三河以来の直参旗本の家柄から選抜されたエリート・コースでもあった。

「伊賀守」不詳。

「火消役」幕府直轄の火消である定火消(じょうびけし)の、旗本から選ばれた管理級職であろう。

「命」「めい」。

「前髮あるもの」向こう髪のあるもの。当時の童子や少年は婦人のように額の上の部分の頭髪を束ねていた。ここは元服前の少年の意。

「數多」「あまた」。

「男色」「なんしよく」。

「其常に」「その、つねに」

「左右」周囲に。

「前髮人」「まへがみひと」と訓じておく。

「多を」「おほきを」。

「男色好」「なんしよくごのみ」。

「權略」「けんりやく」その場に応じた策略。智謀。

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