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2016/12/27

■やぶちゃん版村山槐多短歌集成 大正四(一九一五)年

 

□大正四(一九一五)年

 

いづこにか火事あり遠き鐘きこゆ犬の吐息す夜半の外面に

 

硝子戸に明きらけくわが容貌のうつる時こそ泣かまほしけれ

 

いと惡しき想ひを強く身に浴びてシネマの小屋を出でし午後二時、

 

[やぶちゃん注:読点はママ。次の一首も同じ。]

 

淺草の晴れ日こそはかなしけれものみな惡しき○○を持つ、

 

[やぶちゃん注:「○○」は底本編者の伏字と思われる。以下、この注は略す。]

 

藍色の提灯あまた吊るしたるかの淺草の家のかのひと

 

荒れはてし赤き園にもたとふべきおのれを見つめ淚ぐむかな

 

熱すこしありとおぼえてわが心砂塵の如く顫へとべるも

 

腐りたる血をもてわれの顏を塗る赤き夕日のいともさびしき

 

よき友を持つ嬉しさのしみじみと心にしみて二人歩みぬ

   (Kを思ふ小歌――以下六首)

 

わが友よわれ切に汝の唇を思へりわれをなみげと思うふな

 

[やぶちゃん注:「なみげ」「げ」は体言・形容詞・形容詞型活用の助動詞の、語幹及び動詞・動詞型活用の助動詞の連用形などに付いて、形容動詞の語幹又は名詞を作る接尾語「氣(げ)」で、様子・気配・感じなどの意を表わすそれととってよかろう。これは一般に名詞をつくる場合は下に打ち消しの語を伴うことが多い点でもしっくりくる。「なみ」の可能性は二つ。「無みげ」で上代語「無み」(形容詞「無し」の語幹に接尾語「み」の付いた語で「無いので・無いために・無いゆえ」の意。今一つは、「並み」で、「世間一般にごくごく普通であること」の意。しかし、「無み」では原因・理由部分のジョイントが悪い。後者で採る。――私のお前への思いをそこいらの普通の奴らの思いと所詮同程度のものだなどとは思って呉れるな――の意である。]

 

よき友よ汝を思へばうれしさは醉ひの如くに心にしむも

 

親友とあめつちにただひとりよぶ汝と步めり今宵うれしき

 

あゝ友の薄荷に似たる品のよき心のにほひ嗅ぎてわれ泣く

 

淸情は空より明し汝が前に濁らむとして濁り得ぬわれ

   (一月一日の夜淺草を遊步すかへりてよめり)

 

黃表紙の支那の經書によみ耽る夜はいと奇しく美しきかな

 

○○○○をじつと見つめてわが眼玉輝やけば心すがすがしかり

 

とがりたる男モデルの○○○○は夢に見し程美しかりき

 

○○○○の毛はさも似たり○○の○○○○○○に、美しきかな

 

[やぶちゃん注:読点はママ。]

 

東京の泥の市街をさまよへるわれを思へばあはれみの湧く

 

金色のイリスの咲けば貧しさのしみじみと身に感じられけり

   ――(五月末旬歌――以下九首)

 

[やぶちゃん注:単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属 Iris の総称であるが、槐多が特に「金色」と詠んでいるところからは、アヤメ属キショウブ Iris pseudacorus かとも思われる。]

 

若人のみなみめよきが集まりて遊ぶ園ほどねたましきなし

 

うつくしき薄紫のシネラリヤ未だ散らざるは淚をさそふ

 

[やぶちゃん注:「シネラリヤ」キク亜綱キク目キク科キク亜科ペリカリス属シネラリアPericallis × hybrida。北アフリカ・カナリヤ諸島原産。冬から早春にかけて開花、品種が多く、花の色も白・靑・ピンクなど多彩。別名フウキギク(富貴菊)・フキザクラ(富貴桜)。英名を“Florist's Cineraria”と言い、現在、園芸店などでサイネリアと表示されるのは英語の原音シネラリアが「死ね」に通じることから忌まれるためである。しかし乍ら、“Cineraria”という語は“cinerarium”、実に「納骨所」の複数形であるから、“Florist's Cineraria”とは「花屋の墓場」という「死の意味」なのである――余りに美しすぎて他の花が売れなくなるからか? グーグル画像検索「シネラリア」をリンクしておく。]

 

肥りたるモデル女のくれなゐの肌にもまして赤く日暮れぬ

 

うるはしき少年の家の午後十時「さらば」と吾の立ちしかの時

 

品のよき若人と遊ぶ日ぞよけれ薄紫の汗をながして

 

さびしさのアルミニウムに蔽はれし心地ぞすなる今日此頃は

 

紫の矢車草の丈長く咲きたるにわれの心ふるへる

 

寶石の角あまたある靈かけふこの頃のわれにやどるは

 

[やぶちゃん注:「靈かけふ」不詳。「靈(たま)影(かげ)ふ」か? 霊的な何ものかの光りがうつろう、の意か? その場合は「ふ」は上二段型の動詞を作る接尾語で、「そのうおうな感じになる」の謂いであるが、しかし、修辞的には、ここは「あまたある」を受け、しかも下句に繋げるには、名詞節でないとおかしいように思われる。とすると、「靈影斑(たまかげふ)」で「霊的な何ものかの光りがうつろうような斑紋」の意か? いや、ちょっとそれは苦しい造語だ。識者の御教授を乞うものである。]

 

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