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2017/01/23

柴田宵曲 妖異博物館 「狸の書」

 

 狸の書

 

 これは少し時代の古い話らしい。信州に日本一の手書きといふ美人があつて、出世の爲に都へ上る。乘物は宿送りにして漸く草津に著いた。こゝでも大きな宿に泊ることになつたが、乘物のまゝ座敷へ舁き入れたので、上﨟の姿を見ることが出來ない。亭主が見事な菓子をとゝのへて挨拶に出た時、乘物を細目に明けたのを見ると、年の頃二十歳ばかり、綠の黑髮を長く垂れ、衣裳を七つ八つ重ねた有樣、見る目も眩いくらゐであつた。この人の手跡を乞ひ得たら、子孫の寶になると思ひ、何か御染筆を願ひたいと申し出たところ、都に上り著かぬうちは、一字も書かぬ筈であるが、あるじの志に愛でて何か書いて取らさうといふことで、「伊勢物語」の歌二首をしたゝめられた。有難く頂戴して、所の目代に見せたら、さてさて見事な手跡であると感歎して已まぬ。然るにこの宿には大きな犬が飼つてあり、その犬が乘物を見て非常に吠える。上﨟はあの犬を追つて貰ひたい、恐ろしくて堪らぬといふ。追ひ拂つてもまた戾つて來て、頻りに吠えるので、あの犬がこゝに居るならば、他の宿に替りたい、と云ひ出した。その儀にも及びますまい、と云つて、亭主は裏の藪に犬を繫がせ、上﨟の心も多少落著いたやうであつたが、夜中にこの上﨟が庭まで出た氣配を知つて、犬の吠えること一通りでない。田舍育ちの犬の事で、かういふ美しい上﨟を見たことがないから、むやみに吠え立てるのだらう、それ犬を制せよ、と召仕の男に命ずる。この男は上﨟を一目見たいと思つて、庭の内を覗いて見たが、そこには誰も居らぬ。亭主が乘物のところへ行つて聲をかけても、何の答へもない。蠟燭をつけて方方搜して見たけれども、遂にその行方は知れなかつた。一體どこの國のどういふところから出た人であるかと、これまで宿送りして來た方面に問ひ合せたが、更に消息不明である。結局あまり犬を恐れた一事を押へて、狐ではあるまいかといふことになつた。倂し化生(けしやう)の者ではあんな見事な字は書けまい、といふ説をなす者があり、もう一度前の手跡を取り出して見たら、優美な水莖の跡は悉く消えて、鼠の糞を竝べたやうに墨が付いてゐるだけであつた。さてこそ狸の變化であると知れた(義殘後覺)。

[やぶちゃん注:「義殘後覺」(ぎざんこうかく)は愚軒(生没年・事蹟ともに未詳であるが、豊臣秀次の側近衆の一人の御伽衆様の人物かと推定されている)編著になる戦国武将や戦さを巡る武辺物風噂話を筆録した雑談(ぞうだん)集で、成立は文禄年間(一五九二年~一五九六年)と推定されている(愚軒の識語には「文祿五年暮春吉辰」とある。文禄五年は同十月二十七日(グレゴリオ暦一五九六年十二月十六日)に慶長に改元)。実録風怪奇談はメインではない。しかし、江戸時代の怪談集の原型としての性質を幾つかの話柄が立派に保持して居り、そうした資料としては非常に貴重なものである。以上はまさに同書の掉尾を飾る話で、「卷七」の十条目の「女房、手の出世に京へ上る事」である。同書は抄録されたものを岩波文庫刊の高田衛編「江戸怪談集(上)」で所持するが、今回はこれを参考としつつ(句読点や鍵括弧を生かした)、国立国会図書館デジタルコレクションにある「續史籍集覽」第七冊の同書の画像パート(ここが開始頁)を視認して、電子化することとする。原典の歴史的仮名遣の誤りはママである。踊り字「〱」は正字化した。

   *

 

   女房、手の出世に京へ上る事

 

 中ころの事なるに、信州よりとて、みめかたち、世に美しき上﨟女房、けつこうなるのり物にのりて、日本一の手書きなるによりて、みやこへ出世のためにのぼり給ふ。「はやく上り給はでかなはぬ上らうぞ」とて、どこともなくしゆくをりにしてのぼしけり。やうやうのぼるほどに、草津につきにけり。ある大きなる宿に入(いれ)たてまつりけるに、あるじ、いでゝみれどものり物ともに座敷へかきこみければ、上らうを見るべきやうなし。あるじ、くわしなど見事にとゝへて、御そばちかくまいりて、「なかなかのたび、さこそ御きうくつに候ハん。御なぐさみになされ候へ」とて、御のり物のそばへまいられければ、「よくこそたてまつれ」とて、のり物ほそめにあけ給ふ。そのひまより見ければ、としのコロハはたちなり。女らうのようぎ、うつくしともいはんかたなくらうたきが、かみはながながとおしさげ、まゆふとうはかせ、かずかずのいしやう、七つ八つ引きかさね給ひ、てふりの手をさしのべ給ふ。にほひくんじわたりて見へにける。あるじ、思ひけるハ、さてもさても、これはいかなる人のひめぎみやらん。かばかりにいみじく、あてやかなる上らうも世におはしけるものかな。あはれこの人の御手を所望して、一ふくもつならば、子孫のたからなるべし、と思ひて、又まいり申けるは、「うけたまハれば御まへにハ御手をうつくしくあそばすよしをうけたまはりおよび候。あはれ一筆下され侯ハゞ、しそんのたからにつたへ申たく候」と申ければ、上らうの給ひけるハ、「みやこへのぼりつかぬうちハ一字もかゝねども、あるじがこゝろざし、よにたぐひなければ、ちからなくかきてとらすべし」との給へば、「さてもさても有りかたき御事にこそ候へ」とて、れうしをとゝのへ、御のりもののうちへさし出しければ、しばらくありて『いせ物がたり』の歌を二首あそばしてたまハりけり。あるじ、おしいたゝきて、やがて所の目代に見せ侍りけれハ、「さてもさても見事なる手跡かな、よはくしてつよく、風情やはらかにみへて、墨つき、うつりいはんかたなし。たからにこそはあれ」とぞほめたりける。さて、この家に用心のために大なる犬をこふたりけるが、こののりものをつくづく見て、ほゆることたゞならず。「いかなる事にや」と、あるじ思ひて、せどへ追いだしけれども、ほゆるほどに、女ばうの給ひけるハ、「いかにあるじ、あの犬をとをくへのけたまへ。よにおそろしくおぼゆるぞや」と仰ければ、「かしこまり剃る王」とて、追うしなへども、立ちもどり、乘物をみて吠ゆるほどに、女ばう、けしからず思ひ給ひけるにや、「あの犬これに有ならば、よがたへやどをかりかへ侯」と申させ給へば、ていしゆ、「それまでも候ハず」とて、うらの藪へつれて行、つなぎてこそおきにける。是より女ばうも御こゝろうちつきてこそみへにける。かくて夜にいれば、らうそくたてゝ御とのゐをぞ申ける。夜はん斗に、此上らう、せうようありとて、乘物よりいでたまひて、坪のうちへいでさせ給ふが、なにとしけるやらん、いぬほへいづる事けしからず。ていしゆハこれをきゝきて、「とかくこの犬めハゐ中育ちにて、かゝるうつくしき上らうをみなれざるによつて、はたさずあやしみほゆるとみえたり。ことに上らうなれば、いぬをおそれさせ給ふに、にくきやつめかな。それ犬をせいせよ」とて、うちにめしつかふおのこをうらへつかはしにける。この男、坪の内をさしのぞきて、上らうを一めみばやと思ひければ、見え給はず。「あなふしぎや」とて、よくよくみれども、おはせざりければ、立かへりて、あるじに、上らうハおはしまさぬよしをいひければ、「いかでか、さるべき」とて、御のり物のあたりへちかづき、「いかに御つれづれにおはしますか。なにても御用あらば仰られ候へ」と申けれども、をともせざりければ、「あなふしぎや」とて、さしよりて見ければ、乘物にハなかりけり。「こはまことにやあやしゝ」とて、らうそくをたてて、つぼの内を見まハしけれども、なかりければ、それよりをどろきて、人々うちより、山里をかりてたづぬれども、なかりければ、「さてもふしきにおほゆるものかな。さて是はいづれのくに、いかなる所よりかいで給ふぞ。さきさきを問へ」とて、又かののり物をもときし方へおしもどして、ひた物あとをたづぬれども、いづちよりいでゝ、いづかたの人とも、かつてしれざりければ、人々めんめんに、「これハなにとしたるまがまがしき事ぞや。ばけけものにてありけるか。世のすゑのふしぎにこそハおぼゆれ」とて、とまりとまりにて是をあやしみけれども、かつてもとをわきまへたるものなかりけり。このやどにいぬのほゆるを、ことのほかにこの上らう、おそれおのゝき給ふが、「もしきつねなどにてハなきかや。そうじて狐はいぬをことのほかにおそるゝものなるが」といひければ、又あるものいひけるハ、「さやうのへんげならばものかく事あるべからず。是ハことのほか手書にて見事にかき給へるうへハ、又さやうのへんげにても有るべからず」といふほどに、「さあらばその手をとりいでゝみせ給へ。もののふしぎはれぬ事」とて、とりいださせてみければ、さもゆうにうつくしき手にて有りしが、悉きへて、鼠のふんをならべ置たるごとくに、墨ばかりつきて、何の形もなし。さてこそ狸の變化とはしりてけり。

   *

少し注しておくと、「しゆくをり」「宿送り」で、特別な身分の者や行路病者などを、町内の自身番や宿(しゅく)役人などの責任に於いて、順に隣りの正規宿へ送り届けるシステムを指す。「草津」は東海道五十三次五十二番目の宿場であった草津宿。近江国栗太郡で、中山道が合流している。現在は滋賀県草津市市街。「てふりの手」素手。「よがた」「餘方」で別の旅籠屋の意。「とのゐ」「宿直」或いは「殿居」で不寝番のこと。「坪」その旅籠屋の内庭のこと。「ひた物」只管に。「もとをわきまへたるもの」「元を辨へたる者」その女性の生国や家柄などを知っている人物。「宿送り」であるのにそういう事態というのは、背後に詐欺や或いはもっと大きな犯罪が絡んでいる危険性が疑われ、送った総ての責任者に咎が及ぶ可能性が極めて高いから、事実上でも非常な問題を孕んだあるまじき重大事件なのである。]

 狐狸の話は江戸時代にも澤山あるが、手跡をとゞめたのは大概狸で、狐としては眞崎明神の中にゐた先生が、奧州へ歸るに臨み、茶店の婆さんに一枚の短册を遺した。その歌は有名な宮千代童子の作で、それも三つばかり假名を違へて書いた、といふ話が傳はつてゐるくらゐのものである。狸の方はそんなものでない。「耽奇漫錄」には狸のかいた畫が收錄されてゐるが、書の話は更に多く、屢々僧形に化けて遊歷したらしい。下總の大貫村の某家に居つた狸などは、天井にゐて姿を見せず、切火をした紙と、墨をふくませた筆を席上に置けば、紙筆はおのづから天井に上り、鶴龜とか、松竹とかいふ大字を記し、「百八歳田ぬき」といふ署名まであつた。犬を恐れることは狐も狸も變りなく、狸和尚が犬に殺された話はいくつかある。坊主に化けるのは狸の適役で、美人は狐の持場と思はれるが、上﨟として名筆を揮つた者が、犬を恐れた爲に狐と疑はれ、最後に手跡によつて狸と斷ぜられたのは、狐の書の話が少いからであらうか。尤も狸の書は大概そのまゝ殘つて居り、「義殘後覺」のやうにあとで見たら消えてゐたなどといふのは無い。江戸以前の狸は書道に於て堂に入らなかつたのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:ここに出る伝承は、メルマガ「民話万象の「第百九十九話 新右衛門稲荷その2バックナンバで読める。柴田は珍しく、この伝承の引用(参照)元を明記していない。

「眞崎明神」隅田川の河畔にあったと思われる稲荷社。現在は東京都荒川区南千住にある石浜神社に合祀されいる。同神社公式サイト内の「境内案内」に、『祭神は、豊受姫神(とようけひめのかみ)、天文年間に石浜城城主となった千葉之介守胤が、ここに一族一党の隆昌を祈って宮柱を築き、先祖伝来の武運守護の、尊い宝珠を奉納安置申して以来、真先かける武功という意味にちなみ、真先稲荷として世に知られ』た、とある。

「宮千代童子」仙台市の「宮千代加藤内科医院」の公式サイト内の「宮城野原・史跡めぐり≪宮千代周辺≫」の「宮千代塚と戸津利源太の墓」によれば、『町名にもなっている宮千代は子供の坊さんで、都へ和歌の勉強に行く途中、ここで死んだ』と伝えられ、死に臨んで、

 

 月はつゆつゆは草葉に宿借りて

 

という上句を作ったが、下の句を詠ずる至らずして亡くなったことから、未練が残って夜な夜な亡霊になって出で、この上の句を唱えたという。そこで、その宮千代がかつていたことのある寺の僧がその噂を聞き、ここへ来て、

 

 それこそそれよ宮城野の原

 

と下句を叫んだところ、宮千代の霊は成仏したといった伝承らしい。サイト主は『このような和歌のやりとりの伝説は日本の各地に数多くあるそうです。さみしい野原に、行き倒れの旅人を見つけた村人がその遺体を葬ったことはあったのでしょう』と述べておられる。これを顕彰する「宮千代の碑」は、個人サイト「宮城県ナビ」のページによれば、現在の宮城県宮城野区宮千代(主人公の名がそのまま地名となっている)にあり、そこには細部が少し異なり、引導を渡す僧を松島寺(現在の瑞巌寺)の「徹翁」とも、旅の行脚僧「見佛上人」とする。

「耽奇漫錄」は江戸後期の考証随筆で二十集二十冊。山崎美成の序・跋で、文政七~八年(一八二四年~一八二五年)の成立。美成のほか、谷文晁や曲亭馬琴らが好古・好事の者の会合「耽奇会」に持ち寄った古書画や古器財などの図に考説を添えたもの。馬琴序の五巻五冊本もある。国立国会図書館デジタルコレクション全巻複数り)、膨大なため、探すのを諦めた。発見された方は御連絡(同画像アドレス)を切に乞う

『下總の大貫村の某家に居つた狸などは、天井にゐて姿を見せず、切火をした紙と、墨をふくませた筆を席上に置けば、紙筆はおのづから天井に上り、鶴龜とか、松竹とかいふ大字を記し、「百八歳田ぬき」といふ署名まであつた』これも柴田は出典を明らかにしていないが、恐らくは「兎園小説」のやはり山崎美成の報告になる「老狸の書畫譚餘」の本文部分と思われる。以下に吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。追加された馬琴の類似例附文は省略した。一部に私のオリジナルな読みを歴史的仮名遣で附し、注も挟んだ。【 】は原文の割注と思われ箇所。

   *

    ○老狸の書畫譚餘   山崎美成記

下總香取の大貫村藤堂家の陣屋隷(じんやれい[やぶちゃん注:陣屋の下級の家来。])なる某甲の家に棲めりしといふふる狸の一くだりは、予もはやく聞きたることあり。當時その狸のありさまを見きといふ人のかたりしは、件(くだん)の狸は、彼(かの)家の天井の上にをり、その書を乞はまくほりするものは、みづからその家に赴きて、しかじかとこひねがへば、あるじ、そのこゝろを得て紙筆に火を鑽(き)りかけ[やぶちゃん注:鑽火(きりび)をすること。本来は、神事に使う神聖な火を得るために木をすり合わせて摩擦熱で火を起こす古式の火起こし法であるが、ここは単によく時代劇で見かける邪気を払う火打ち石で火花を散らしたのであろう。]、墨を筆にふくませて席上におくときは、しばらくしてその紙筆、おのづからに閃(ひらめ)き飛びて天井の上に至り、又しばらくしてのぼりて見れば、必文字あり。或は鶴龜、或は松竹、一二字づゝを大書して、田ぬき百八歳としるしゝが、その翌年に至りては百九歳とかきてけり。是によりて前年の百八歳は、そらごとならずと人みな思ひけるとなん。されば狸は天井より折ふしはおりたちて、あるじにちかづくこと常なり。又同藩の人はさらなり。近きわたりの里人の日ごろ親みて來るものどもは、そのかたちを見るもありけり。ある時あるじ、戲れにかの狸にうちむかひて、なんぢ既に神通(じんつう)あり。この月の何日には、わが家に客をつどへん。その日に至らば何事にまれ。おもしろからんわざをして見せよかしといひにけり。かくて其日になりしかば、あるじ、まらうどらに告げていはく、某(それがし)嚮(さき)に戲れに狸に云々といひしことあり。さればけふのもてなしぐさには、只これのみと思へども、渠(かれ)よくせんや。今さらに心もとなくこそといふ。人々これをうち聞きて、そはめづらしき事になん。とくせよかしとのゝしりて、盃をめぐらしながら賓主かたらひくらす程に、その日も申の頃になりぬ。かゝりし程に、座敷の庭忽(たちまち)廣き堤(つつみ)になりて、その院(ゐん[やぶちゃん注:堤の下にめぐらせた後述の市の垣根や幔幕のことか。])のほとりには、くさぐさの商人あり。或は葭簀張(よしずばり)なる店をしつらひ、或はむしろのうへなどに物あまたらべたる、そを買はんとて、あちこちより來る人あり。かへるもあり。賣り物のさはなる中に、ゆでだこ(湯蛸[やぶちゃん注:これは「ゆでだこ」の右にルビ状にある。])をいくらともなく簷(ひさし)にかけわたしゝさへ、いとあざやかに見えてけり。人々おどろき怪みて猶つらつらとながむるに、こはこの時の近きわたりにて、六才にたつ市にぞありける。珍らしげなき事ながら、陣屋の家中の庭もせの[やぶちゃん注:「背の」(背後である)或いは「狹の」(狭いところで)か。]、かの市にしも見えたるを、人みな興じてのゝしる程に、漸々(やうやう)にきえせしとぞ。是よりして狸の事、をちこちに聞えしかば、その害を求むるものはさらなり。病難利慾何(なに)くれとなく、祈れば應驗(あうげん)ありけるにや。緣を求めて詣づるものゝおびたゞ敷(しき)なりしかば、遂に江戸にもそのよし聞えて、官府の御沙汰に及びけん。有(ある)司(つかさ[やぶちゃん注:役人。])みそかに彼(かの)地に赴き、をさをさあなぐり糺しゝかども、素(もと)より世にいふ山師などのたくみ設けし事にはあらぬに、且(かつ)大諸侯の陣屋なる番士の家にての事なれば、さして咎むるよしなかりけん。いたづらにかへりまゐりきといふものありしが、虛實はしらず。是よりして、彼(かの)家にては紹介なきものを許さず。まいて狸にあはする事はいよいよせずと聞えたり。これらのよしを傳聞(つたえきか)せしは、文化二三年[やぶちゃん注:一八〇五年~一八〇七年相当。]のころなりしに、このゝちはいかにかしけん。七十五日と世にいふ如く噂もきかずなりにけり。【此ころ、兩國廣巷路(ひろかうぢ)にて、狸の見せ物を出だしゝとありしに、彼(かの)大貫村なる狸の風聞高きにより、官より禁ぜられしなり。】

   *

「下總香取の大貫村」下総国香取郡大貫村。現在の千葉県香取郡神崎町大貫か。(グーグル・マップ・データ)。]

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