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2017/01/07

柴田宵曲 妖異博物館 「再度の怪」

 

 再度の怪

 

 會津の諏訪の宮に朱の盤いふ恐ろしい化物があつた。或夕方、年頃二十五六の若侍がこの宮の前を通りかゝると、後から高じ年頃の若侍が來る。いゝ道連れが出來たと思つて話しながら來るうちに、かねがね聞いてゐる話を思ひ出し、こゝには朱の盤といふ名高い化物がゐるさうだが、あなたも御存じかと尋ねた。相手の若侍は、その化物と申すはかやうの者かと云ふなり、俄かに顏色變つて、眼は皿の如く、額に角が一つあり、朱の如き顏で、頭には針のやうな髮生えてゐる。口は耳まで裂け、齒がみをする音が雷のやうであつた。これを一目見た侍は氣を失つたが、半時ばかりたつて氣が付いて見ると、自分は依然諏訪の宮の前に居る。少し步いて道端の家に入り、水を一杯飮ませて貰ひたいと云つたところ、出て來た女房が何で水が御入用かと聞いた。實はかやうの次第と朱の盤に逢つた話をするのを聞いて、さてさてそれは恐ろしい目にお遭ひなされました、その朱の盤はかやうのものでございますか、と云ふ女房の顏また先に見た顏と全く同じであつた。侍は再び氣を失ひ、やゝあつて息を吹返したが、その後百目目に亡くなつたさうである(老媼茶話)。

[やぶちゃん注:これは「老媼茶話卷之三」に載るもの。「會津諏訪(あひづすは)の朱(しゆ)の盤(ばん)」。

   *

 

    會津諏訪の朱の盤

 

 奧州會津諏訪の宮、朱(しゆ)の盤といふおそろしき化物、有りける。或る夕暮、年の頃、廿五、六成る若侍壱人、諏訪の前を通りけるに、常々、化物有るよし聞き及び、心すごく思ひける折り、又、廿六、七成る若侍、來(きた)る。能きつれと思ひ、ともないて道すがら語りけるは、「此處には朱の盤とて、隱れなき化物有る由。其方も聞き及ひび給ふか」と尋ぬれば、跡より來若侍、「其の化物は、加樣(かやう)のものか」と俄かにおもて替り、眼は皿の如くにて、額に角壹付き、顏は朱のごとく、頭の髮は針のごとく、口、耳の脇迄きれ、齒たゝきをしける音、いかづちのごとく、侍、是を見て氣を失ひ、半時斗(ばかり)息絶えけるが、暫く有りて氣付きて、あたりをみれば、諏訪の前也。夫(それ)より漸(やうやう)歩みてある家に入り、水を一口所望しければ、女房、立ち出で、「何にて水を乞ひ玉ふぞ」と聞ければ、侍、朱の盤に逢ひたる物語りをしければ、女房、聞きて、「扨々(さてさて)、おそろしき事に逢ひ給ふもの哉(かな)。朱の盤とはかやうのものか」といふをみれば、又、右のごとく成る顏となりて見せければ、かれ、又、氣を失ひけるが、漸(やうやう)氣付き、其の後(のち)、百日めに相ひ果てけるとなり。

 

   *

なお、「老媼茶話」にはこの話柄のすぐ前に、「舌長姥(したながうば」という条があり、そこにも「朱の盤」が登場するのでこれも併せて引いておく(孰れも国書刊行会「叢書江戸文庫」版を元に、漢字を正字化し、送り仮名を増補し、読点・濁点を追加した。踊り字「〱」は正字化した。読みは原本に歴史的仮名遣の誤りがあるので、オリジナルに附した)。分かり難いが、冒頭の旅人は男の二人連れである。老婆が「苧(そ)をう」む、とあるのは(麻(あさ)や苧(からむし)の繊維を長く縒(よ)り合わせて糸にすることを言う。

   *

 

     舌長姥

 

 越後より武藏登りける旅人、蘆野原海道に懸り、諏訪千本の松原に日暮れて道に迷ひ、はるかに火の影を見て漸(やうやう)たどり着きたるに、壱つのあばらや、軒、かたぶき、壁、崩れたるに、七十斗(ばかり)の姥(うば)、いろりのはたに苧(そ)をうみ居たり。戸をたゝき、「是は越後より江戸へ趣(おもむ)く者なるが、不知案内(あないしらず)にて道を失ひ候。夜明まで宿をかし給へ」といふ。姥、立ちて戸をひらき、「爰(ここ)は人宿(やど)する處にはなけれども、道に迷ひ玉ふといへば宿かし候半(さふらはん)」とて、内へ入。時、秋にして落葉れうれうとして淋敷(さびしき)に、落葉を焚(た)いて茶を煎(いり)、旅人をもてなす。壱人の男、旅草臥(たぶくたぶれ)にや正體もなく眠。壱人は寢もやらす、はしらにもたれ居たるに、かの姥、折節(をりふし)、目を大きにひらき、口をあき、五尺斗(ばかり)の舌を出し首をのべ、かのねぶれるたび人のあたまをねぶる。殘りの男、是を見て氣味惡敷(あしく)、咳ばらひすれば、さりげなきふりにて苧(う)をうむ。

 時に、窓より内をのぞく者ありて曰く、「舌長姥、舌長姥、何とてはかをやらぬぞ」と云。姥、「誰(た)そ」といへは、「諏訪の朱(しゆ)の盤坊(ばんばう)也。手傳ふへきか」と云ひて戸を破り内へ入。旅人、是を見るに、面(おもて)の長き事、六尺斗(ばかり)。色赤くして朱のごとし。旅人、刀を拔きて、「礑(はた)」と打つ。切れて坊主は失せたり。姥は、ねむれる男を引つさげて、表出(いづ)ると思へば、今迄ありし庵(いほり)も跡なく消えて、荒々たる野原と成る。旅人はせん方なく、大木の根に腰を懸け、夜を明かし、日出て、そこらを見𢌞るに、はるか遠き草村(くさむら)に、先の旅人は、あたまより惣身の肉、皆、ねぶり喰はれ、骸骨ばかり殘りたり。夫(それ)より旅人は壱人、白川(しらかは)の城下へたどり行き、かく語りけるといへり。延寶五年卯月下旬出來(しゆつたい)せし板行本、諸國百物語といふ五册ものにあり。

   *

朱の盤の台詞、「何とてはかをやらぬぞ」の「はか」は「捗(はか)」で、「何で早いとこ、殺(や)っちまわねぇんだ?」の意。なお、最後の「延寶五年卯月下旬出來(しゆつたい)せし板行本、諸國百物語といふ五册ものにあり」というのは、こちらの話柄ではなく、前者で、幸い、私はこれを昨年中、電子化注した。「諸國百物語卷之一 十九 會津須波の宮首番と云ふばけ物の事」がそれである。ご覧あれ。「諸國百物語」は延宝五(一六七七)年四月に刊行された全五巻で各巻二十話からなる、正味百話構成の真正の「百物語」怪談集で、実はあまり理解されているとは思えないので謂い添えておくと、この後の「百物語」を名打った現存する怪談集には実は正味百話から成るものはないから、これはまさに怪談百物語本の嚆矢にして唯一のオーソドックスな正味百物語怪談集と言える。但し、著者・編者ともに不詳である。]

 これと似た話は「大和怪談頃日全書」に出てゐる。この舞臺は江戸城の中で、小十人組の佐久間左五右衞門が夜話に出た時、辨當をすまし湯吞所へ來て鑵子の蓋を取ると、煮立つた湯氣の中から女の顏が現れた。黑髮を振り亂し、色靑ざめた顏で、にこにこと笑つたから、左五右衞門は思はず聲を立て、目をふさいで南無阿彌陀々々々々々と念佛を唱へた。女の姿はそれきり消えてしまつたが、廣い江戸城内の事だから、多分狐狸の仕業であらうと、足も下に付かぬ形で戾つて來ると、廊下のところで相番(あひばん)の男に出逢つた。お手前が大きな聲を立てられたので、心許なく存じこれまで出て參つたといふ。佐久間は驚いて、夜詰の者が二人と詰所を離れるのは宜しくない、如何なる事があらうとも、お手前が出て來られるところではあるまい、と詰(なじ)るやうに云つたが、それもあまり氣遣はしく存ずればの事、何か怪しい者でも見られたのではないか、と相番はどこまでも聲を立てた理由を糺さうとする。佐久間も次第に落着いて、女の首一件を一通り述べると、佐久間殿、その女の首はかやうであつたか、と云ふと同時に相番の男は一變して女の首になつた。佐久間は再び絶息する。たまたま番坊主が時を知らせるため、手燭を持つて通りかゝつたので、佐久間は介抱されて漸く蘇生したが、それより何といふことなく煩ひ出し、間もなく病死してしまつた。この話は元文二年霜月下旬の事で、江戸城内にこの種の事が度々起るのは、皆狐狸の仕業だと、著者馬場文耕は附記してゐる。

[やぶちゃん注: 「大和怪談頃日全書」「やまとかいだんけいじつぜんしよ」と読む。先に出た馬場文耕(享保三(一七一八)年~宝暦八(一七五九)年)が晩年に書いた実録体怪談。私は所持しないので原典を示せない。

「鑵子」は「くわんす(かんす)」と読み、青銅や真鍮などで作った湯沸かしのこと。

「元文二年霜月下旬」グレゴリオ暦では一七三七年十二月中旬に相当する。因みに、この年はこの十一月の次に閏十一月が配されているため、閏十一月十一日がグレゴリオ暦一七三八年一月一日に当たる。]

 小泉八雲が「怪談」に入れた「狢」も初め目も鼻も口ない女に驚かされ、慌てて紀の國坂を駈け上つた男が、夜蕎麥賣りの灯を見出して、その足下に身を投ずる。男は恐怖に襲はれて顚末を話すことが出來ない。その時夜蕎麥賣りが「その見せたものはこんなものだつたか」と云つて顏を撫でる。彼の顏は卵のやうになり、同時に灯は消えてしまふ。この幕切れが甚だ見事である。「百物語」には貉でなしに河獺となつて居り、その他にも違つたところがあると「小泉八雲全集」に記されてゐる。

[やぶちゃん注:「狢」言わずと知れた、KWAIDANの名品。原文Mujinaこちらを。

「百物語」小泉八雲がMujinaの原拠とした、東京・町田宗七編になる一冊活字本の落語風の百物語怪談集。明治二七(一八九四)年刊。その中の講談師と思われる御山苔松なる者の語ったとする「第三十三席」である。参考底本には一九九〇年講談社学術文庫刊の小泉八雲作・平川祐弘編「怪談・奇談」の「原拠」に載るものを用いたが、恣意的に正字化し、踊り字「〱」は正字化した。一部の原典の漢字を訂した。読みは振れるものだけに附した。

   *

 拙者の宅に年久しく仕へまする佐太郎といふ實直な老僕が御坐りますが、この男が若い時に遭遇した話しださうで御坐いますが、或日のこと赤坂から四谷へ參る急用が出來ましたが、生憎(あひにく)雨は降(ふり)ますし殊に夜中の事で御坐いますからドットいたしません次第で御坐いますが、急用ゆゑ致方なくスタスタとやッて參り紀の國坂の中程へ差掛ッた頃には雨は車軸を流すが如くに降(ふっ)てまゐり風さへ俄(にはか)に加はりまして物凄きこと言はむ方も御坐りませんからなんでも早く指す方(かた)へまゐらうと飛ぶが如くに駈出(かけだ)しますと、ポント何やら蹴付(けつけ)たものがありますから、ハット思ッて提灯(てうちん)を差し付(つけ)て見ると、コハ如何(いかに)高島田にフサフサと金紗(きんしや)をかけた形姿(みなり)も賤(いや)しからざる一人の女が俯向(うつむ)に屈(かゞ)んで居りますから、驚きながらも貴女(あなた)どうなさいましたト聞(きく)と仰向(うつむい)たまゝ持病(ぢべう)の癪(しゃく)が起りましてといふからヲヽ夫(それ)ハ嘸(さぞ)かしお困り、ムヽ幸ひ持合(もちあは)せの薄荷(はっか)がありますから差上ませう、サ、お手をお出しなさいと言ふと、ハイ誠(まこと)に御親切樣(おしんせつさま)にありがたう御坐いますと禮を述(のべ)ながら、ぬッと上(あげ)た顔を見ると顔の長さが二尺もあらうといふ化物、アッと言(いっ)て逃出したのなんのと夢中になッて三四町もまゐると、向ふの方から蕎麥(そば)うわウイーチンリン蕎麥うわウイーチンリンと一人の夜鷹(たか)蕎麥屋がまゐりましたから、ヤレ嬉しやと駈寄(かけよっ)て、そゝ蕎麥屋さん助けてくれト申しますと蕎麥屋も驚きまして、貴郎(あなた)トど如何(どう)なさいました。イヤもうどうのかうのと言(いっ)て話しにはならない化物に此先で遭ひました。イヤ夫(それ)は夫はシテどんな化物で御坐いました。イヤモどんなと言(いっ)て眞似も出來ませんドヾどうかミヽ水を一杯下さいト言ふとお易い御用と茶碗へ水を汲(くん)でくれながら、モシその化物の顏ハこんなでハ御坐いませんかト、言ッた蕎麦屋の顔が、また弐尺、今度はあッと言た儘(まま)氣を失ッてしまひまして、時過(すぎ)て通りかゝッた人に助けてもらひましたが、後(のち)に聞(きゝ)ますると、それハ御堀(おほり)に栖(す)む獺(かはうそ)の所行(しわざ)だらうといふ評判で御坐いましたが、この説話(はなし)は決して獺(うそ)の皮ではないさうで御坐います。

   *]

 話の内容はいろいろあるが、これもだんだん遡れば支那の「搜神記」まで往くのかも知れない。楊度といふ農夫が餘挑まで行く途中で日が暮れる。琵琶を抱へた少年が楊の車に乘せてくれといふので乘せてやると、琵琶數十曲を彈じた末、鬼のやうな顏になり、眼を瞋らせ舌を吐いて嚇し去つた。それから二十里も行つたあたりで、今度は老人が車に乘せてくれといふ。先刻の恐怖の去りやらぬ楊が少年の琵琶の話をしたら、私も琵琶を彈きます、と老人が云つた。途端に老人の顏は前の少年と同じやうになつたので、楊は氣を失つてしまつた。

[やぶちゃん注:前の「諸國百物語卷之一 十九 會津須波の宮首番と云ふばけ物の事」の私の注で引いたが、再掲しておく。これは晋の干宝の怪異譚集「搜神記」の「卷十六」に載る「琵琶鬼」のことである。以下の原文は複数の中文サイトを参照した。

   *

呉、赤烏三年、句章民楊度、至餘姚、夜行、有一少年、持琵琶、求寄載。度受之。鼓琵琶數十曲、曲畢、乃吐舌、擘目、以怖度而去。復行二十里許、又見一老父。自云、「姓王、名戒。」因復載之。謂曰、「鬼工鼓琵琶、甚哀。」。戒曰、「我亦能鼓。」。即是向鬼。復擘眼、吐舌。度、怖幾死。

○やぶちゃんの自在勝手書き下し文

 呉の赤烏(せきう)三年、句章(こうしやう)の民、楊度(ようど)、餘姚(よえう)に至らんとして、夜(よ)、行くに、一少年、有りて、琵琶を持ち、寄載(きさい)を求む。度、之れを受く。琵琶を鼓(こ)せしむこと、數十曲、曲、畢(をは)りて、乃(すなは)ち、舌を吐き、目を擘(さ)き、以つて度を怖(おど)して去る。復た、行くこと、二十里許(ばか)り、又、一老父を見る。自(みづか)ら云ふ、

「姓は王、名は戒。」

と。因りて、復た、之れを載す。謂ひて曰く、

「鬼、工(たく)みに琵琶を鼓し、甚だ哀し。」

と。戒、曰く、

「我れも亦、能く鼓す。」

と。即ち、是れ、向(さき)の鬼なり。復た、眼を擘き、舌を吐く。度、怖(をそ)れて幾(ほと)んど死せんとす。

   *

文中の「呉、赤烏三年」はユリウス暦二四〇年。「句章」県名。現在の上海の南シナ海の南対岸、浙江省寧波市江北区。「民」農民。「楊度」人名。「餘姚」地名。同じく浙江省寧波市余姚市。句章の西方三十キロメートル圏内。「求寄載」車に乗せて呉れと頼む。「鼓」弾(ひ)く。「吐舌擘目」は中国の幽鬼の常套的形相(ぎょうそう)で「擘」は「つんざく・裂けるほどに大きく張る(目を皿のように見開く)」の意。「二十里」中国の一里は四百メートルほどしかないので本邦の「二里」(八キロ)ほどである。「甚哀」その奏(かな)で方はひどく哀しげなものであった。]

「搜神記」にはもうーつ兎に似た化物の話がある。先づ驚かされて馬から落ち、再び馬に跨つて進む途中、やはり馬上の男と道連れになる。男は化物の話を聞いて、我顏を見よといふ。それは前と同じ顏だつたので、再び氣絶することは上來の話と一般である。この話は二つとも百子全書本の「搜神記」にあつて、漠魏叢書本には見當らぬ。

 怪は必ず二人だけの時に起り、一度だけに止まらず、必ず二囘繰り返される。この形が「搜神記」からずつと尾を曳いてゐるやうな氣がする。

[やぶちゃん注:「兎」は「うさぎ」。ここに出る話は「搜神記」の「卷十七」に載る「頓丘鬼魅」(頓丘(とんきう)の鬼魅(きみ))である。以下の原文は中文サイトを参照した。

   *

黃初中、頓丘界騎馬夜行者、見道中有物。大如兎、兩眼如鏡。跳梁遮馬、令不得前。人遂驚懼墮馬、魅便就地犯之、人懼驚怖。良久得解、遂失魅、不知所往。乃更上馬、前行數里、逢一人、相因向者之、事變如此。今相得甚懽。人曰。我獨行、得君爲伴、快不可言。君馬行疾前。我在後相隨也。遂共行。乃問向者。物何如、乃令君如此怖。對曰。身如兎、眼如鏡、形狀可惡。人曰。試顧我眼。又觀視之、猶復是也。魅就跳上馬、人遂墮地、怖死。家人怪馬獨歸、卽行推索、於道邊得之。宿昔乃蘇、説事如此狀。

○やぶちゃんの勝手自在書き下し文

黃初中、頓丘の界、騎馬して夜行せし者、道中に有る物を見る。大いさは兎のごとく、兩眼は鏡のごとし。跳梁して馬を遮(さへぎ)り、前へゆくを得さしめず。人、遂に驚懼して馬より墮(お)つるに、魅、便ち地に就きて之れを犯せば、人、驚怖に懼る。良(やや)久しくして解を得れば、遂に魅(み)は失せ、往く所を知らず。乃ち、更に馬に上りて、前に行くこと數里、一人に逢ひ、相ひ因りて之の向きあふ者に説(と)ひ、

「事變、此くのごとし。今、相ひ得て甚だ懽(うれ)し。」

と。人、曰く、

「我れも獨行なれば、君を得て伴ひ爲(す)るは、快きこと、言ふべからず。君、馬にて行けば、疾(と)く前(さき)へ。我れは後(あと)に在りて相ひ隨はん。」

と。遂に共に行く。乃ち、向ふ者に問ふ、

「物、何如(いかん)。乃ち、君をして此くのごとく怖れさせしは。」

と。對へて曰く、

「身、兎のごとく、眼、鏡のごとく、形狀(かたち)、惡(あ)し。」

と。人、曰く、

「試みに我れを顧みて眼(み)よ。」

と。又、之觀(み)て視(み)るに、猶ほ、復た是れなり。魅(み)、跳び就きて馬に上(のぼ)れば、人、遂に地に墮ち、怖死(ふし)す。家人、怪しくも馬獨り歸れば、卽ち、行きて推索せば、道の邊こ之れを得(う)。宿昔、乃ち、蘇へり、此くのごとき狀が事を説(の)ぶ。

   *

なお、に私が訓読の参考にした所持する平凡社の竹田晃氏の当該章全訳が載る(しかし他人事ながらこのページは明らかに著作権に抵触する)。]

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