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2017/01/08

柴田宵曲 妖異博物館 「夢中の遊魂」

 

  夢中の遊魂

 

 元祿十三年の七八月頃、京都にあつた話である。或人が夜更けて三條の大橋を渡り、自分の家へ歸らうとすると、晝のやうに明るい月夜で、西の川岸に十四五歳の女の子が、手で水を掬ひなどして餘念なく遊んでゐるのが見える。人の寢靜まる夜更けに、女の子が一人こんなところに遊んでゐるのは不思議だと思ひながら、近寄つて見るのに、かねて心易くしてゐる三條釜座の足袋屋の娘に相違ない。言葉をかけたところ、此方を見てにつこり笑ふと同時に、三條通りを西に向つて走り去つた。自分も全速力で追駈けたが、なかなか迫ひつけぬ。足袋屋の前まで來たと思ふと、娘は急に地を離れ、二階の窓から内へ入つてしまつた。こゝまで見屆けた男は不審に堪へず、翌日さりげない風で足袋屋へ行き、亭主と世間話をしてゐるうちに、娘が出て來てこんな話をした。昨夜の夢にどこか知らぬ川のところへ行つて、水いたづらをしてゐましたら、あなたがおいでになつて、何をしてゐるとお尋ねになりました、こんなところへ來たことを、父母に告げられてはいけないと思つたものですから、一所懸命に走つて歸りますと、あなたがまた後から迫駈けていらつしやるので、大汗になつて目がさめました、といふのである。男は自分が現實に見た通り話すのも如何かと思つて、夢にはそんな事がよくあるものだ、と云つて歸つて來た(雪窓夜話抄)。

[やぶちゃん注:「元祿十三年」一七〇〇年。

「三條の大橋」ここ(グーグル・マップ・データ)。この近辺は「三条河原」と呼ばれ、処刑や処刑後の晒し首が行われた場所である。それを原話者は意識しているのかも知れぬ。

「掬ひ」「すくひ」。

「三條釜座」「釜座」は「かまんざ」と読む。室町末期にこの附近に茶釜の工人が集まって出来た職掌集団の旧名が地名化したもの。ここで製せられた釜は「京釜」と称し、織田信長・豊臣秀吉の保護もあって桃山時代に栄えて繁栄の基礎を築いた。現在も「釜座(かまんざ)通り」として名を残す。この附近

「雪窓夜話抄」「せつさうやわしやう」は鳥取藩士上野忠親(貞享元(一六八四)年~宝暦五(一七五五)年)の書いた異聞奇譚集。本話は同「上卷」の「足袋屋の娘夢中に出遊の事」である。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここ で視認出来る。]

 淺井多門といふ人が、夜更けまで友達のところで話して歸つて來る途中、若い女が先を步いて行く。こんな夜更けに一人步きをしてゐるのは、浮れ女に相違ないと、言葉をかけて手を執らうとしたら、大いに恐れた樣子で、先へ逃げて行つたが、間もなく歸り著いた自分の家の門に、その女が佇んでゐた。門を明けて入らうとする時、女は影のやうに中に入る。さては妖怪に極つたと、用心しながら雨戸を明ければ、女はまた緣に上つてゐる。心得たりと拔打ちに斬りかけたところ、手應へはなかつたけれども、あつといふ一擊と共に、女の姿は消えてしまつた。倂しその聲は慥に臺所の方に聞えたので、そのまゝ雨戸を鎖ざし、耳を澄ましてゐると、墓所の方では茶の間の女が寢おびれて氣絶したと云つて騷いでゐる。介抱されてゐるのは明かに今の女であつた。女の方でも正氣に戾るなり、多門の顏を見て逃げようとする。女の云ふには、それでは夢でございましたらうか、只今門前まで御武家樣と同道致しまして、内に入つたところを拔打ちに斬られたやうに覺えて居ります、といふことなので、多門は怪しみながらもその事を口に出さず、大方夢であらう、と云つて濟ました。それからこの女の樣子を注意してゐたが、その時以外には別に變つたこともなかつた。「三州奇談」に出てゐる話で、金澤の出來事らしい。

[やぶちゃん注:「三州奇談」俳人楚雀なるもの蒐集した北陸三国の奇談集を元に御用商人の次男堀麦水が筆録したもの正編五巻・続編四巻。これは正編の「卷之四」の「妖女奉仕」の前段部。折角なので、全章示す。二〇〇三年国書刊行会刊「江戸怪異綺想文芸大系5 近世民間異聞怪談集成」を参考底本としつつ、恣意的に正字化し、送り仮名・読点を増補した。読みは独自に歴史的仮名遣で附した(本文の一部の歴史的仮名遣の誤りも勝手に訂した)。踊り字「〲」は正字化した。□は底本の判読不能字。注は附さぬ。

   *

 

     妖女奉仕

 

 長町淺井多門と云ふ人は、廉直にして武備を忘ざる人成りしが、或夜、友の元に相ひ話して、只一人、深更に歸られしに、香林坊の邊より若き女一人先へ行く。「かく深更に只一人行く者は必ずうかれ者に社(こそ)」と、詞をかけ、手をとらへんとしけるに、大に恐れ、先へ迯(に)げ行く。程なく我が門に至りしに、此女、爰(ここ)に彳(たたず)みゐたり。怪しみながら門を敲きて開けさせしに、彼(かの)女、影の如く、つと、門内(かどうち)に入りたり。「扨(さて)は妖怪の者にこそ」と身堅(みがため)して内に入り、寢所に入りて雨戸を明くるに、聲と共に、彼女、亦、緣に入る。「心得たり」とぬき打ちに切り懸けしに、手ごたへはせざりしかども、「あつ」といふ一聲と共に、形は消えて失せぬ。あやしや、其聲は臺所の方に聞えしまゝ、先づ戸をさして、暫く心を靜めて聞き居りしに、臺所には「茶の間の女一人、寢おびえて絶氣したり」と云ひさはぎけるまゝ、ふしぎに思ひ、「藥にても呑せよ」と立ち寄り見たりしに、先の女也。此女、心付づて、淺井氏の顏を見て、又、逝かんとす。先(まづ)とゞめて其の謂(いはれ)をとふに、「扨は夢にてや候。慥かに門前迄一人の侍と同道し、内に入り候ふ所を、拔き打ちに切られたりと覺えて候」と云ふ。淺井氏、怪しみながら曾て其事不ㇾ云(いはざり)ければ、夢ならんとて休みしが、此女、何共(なんとも)心許(こころもと)なく、色々に心を付けて見しかども、其の外には何も替りたる事もなかりし。

 古き怪談にも、夢の出でありきし事はのせたれ共(ども)、夢ごとに出でありくにも非じ。若(もし)寔(まこと)に夢出(ゆめいで)ありかば、億萬の人のゆめ、夜中は祭禮・踊場にも似るならん。魂魄出ありく者も、又、人中の妖也。淸水淸玄、まなごの庄司の淸姫、是、皆、人妖也。生れ付也とぞ覺ゆ。

 奇怪の女、今もなきにも非ず。正德年中、或る武門に妾を求められしに、堀川越中屋五兵衞と云者の娘、容顏並びなきのみならず、絲竹の道もうとからねば、媒(なかうど)を求めて是を妾となしぬるに、一度幸して、主(あるじ)、甚だ悦び、藍田秋至り掌中の珊瑚と愛せられしに、三十日斗(ばかり)過ぎて、心得ぬ事、有りし。此妾、深更に及べば、暫く不ㇾ居(をらず)。後は心元なく、是をた□□□りしに、夜更て此女、主人の寢息を考へ、忍びて立ち出で、障子を密かに明け、外に出づる程に、「扨は忍び男にても有るや」と、主人、跡より立ち出で、ひそかに伺はれしに、此女、緣よりひらりと飛び、庭前の大い成る梅の木に、高さ十四五間も有らんと覺へしに、たとへば鼠の壁を上るごとくさらさらとかけ上り、忽ち梢に打ち跨(またが)りて四方を見𢌞しゐたり。主人驚き、「是、只事に非ず。正敷(まさしく)妖怪に社(こそ)。下らば討ちて捨つべし」と思はれしが、吃度(きつと)思ひ返して床に戾り、さらぬ體(てい)にてねられける。暫(しばし)して女も歸り、始めの如く息合ひを聞きて休みける。

 扨、其夜も明ければ、年寄女を呼びて、「妾が事、聊か心に不叶事(かなはざる)あれば、暇(いとま)を申し渡すべし」と有るに、大(おほき)に驚き、色々詫びて、不調法の所を尋けれ共、「只何共(なにとも)なく暇(いとま)遣すべし」と云ひれければ、其の趣きを妾に云ひけるに、妾「今はぜひなし。然らば今一度御目見へ申し上げ、願申し上ぐる事有り」とて、主人の前へしづしづと來りて畏あ(かしこま)り、「私儀、御暇被下(くだされ)候事、定雨(さだめて)此の間の事、慥かに御覽ぜられたると存じ候。左(さ)候へば、とても御家には勤めがたし。但し、妾が事、一言も御さた被下間鋪(くだされまじく)侯。萬一、此の事、露斗(ばかり)も洩らし給はゞ、忽ち、其夜を不去(さらず)御恨み可申(まうすべく)候」と云ふに、主人「心得たり。心易かれ、再び、いわじ」と有りければ、妾、快く暇を貰ひ、同じ家中へ奉公に出でけるが、爰にも氣に入りし由(よし)也。先の主人不心得(ここえろ)、「慥かに人にてはなき」と覺へ、行末いかゞと、毎度かれが事、尋ね問ひけるに、他人、今も心有る樣(やう)にも取りざたせしが、全く怪異の故(ゆゑ)成りしとぞ。然るに此の女、鬱症を煩ひ、程なく死しけり。是に依りて葬場の樣子、取り置きの次第とも心を付けて聞き合はされしに、何の替る事もなしと也。

 傳へ聞く、三村紀伊守、銀針の如き髮の妖女を殺し、備前岡山の家中・山岡權六郎は、妖女と契りて是を知り、指し殺したりしに、常の女と替らず、只、足の指に水搔(みづかき)有りけると云ひ傳ふ。野女・山姫など聞きしかども、外に世間に立ち交ぢりて異怪の女有る事、亦、珍しからじとぞ覺ゆ。

   *]

 平秩東作が「怪談老の杖」に書いたのは、江戸赤坂傳馬町に住む紺屋の話である。夫婦に弟子一人といふ簡素な暮しであつたが、或晩亭主が寢てから苦しさうにうなされるので、女房が搖り起して尋ねると、今恐ろしい夢を見たと云つた。四谷のお得意先からの歸りがけ、紀の國坂の上で侍に逢つた。何だか氣味の惡い男だなと思ふうちに、いきなり刀を拔いて追駈けられたので、命限りに逃げようとしてうなされたものであらう、やれやれ夢でよかつた、と話してゐるところへ、表の戸を叩く者がある。今時分何人か、と咎めると、いや往來の者であるが、御家内に何事もないか、火の用心にかゝる事ゆゑ、打棄つて置けず、お知らせした次第だ、といふ。亭主も恐る恐る戸の隙から覗いて見るのに、紛れもない夢の中の士である。不思議に思つて子細を尋ねたところ、只今紀の國坂の上で茶碗ほどの火の玉を見た、斬り付けようとして刀を拔いたら、火の玉は人などの逃げるやうに、坂をころがり落ちてこゝまでころがり續け、たしかにこの家の内に入つた、時節柄火事にでもなつたら、外々の難儀にもなると存じて知らせたのだが、變りがなければそれで宜しい、この上とも氣を付けられい、しかと斷り申したぞ、と云ひ捨てて立去つた。四五間行つてから、いゝ聲で歌をうたふのが聞えた。これは紺屋の亭主の魂が、火の玉としてその侍の目に映じたのである。

[やぶちゃん注:「平秩東作」「怪談老の杖」既出既注。同「卷之一」の「紺屋(こうや)何某の夢」。「新燕石十種 第五巻」に載るものを(先の一つ目小僧」の引用の前にある話である)、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認して以下に正字化して示す。踊り字「〱」は正字化した。一部、私には意味の解らぬところがあるが、注は附さぬ。一つだけ、「しいし」は「しんし(伸子)」或いは「籡(しんし)」で布を染織する際に布幅を一定に保つように張るための道具、テンプルのことである。

   *

   ○紺屋何某が夢

江戸赤坂傳馬町に、京紺屋なにがしといふ者、弟子一人に夫婦にてくらしける、自分は藍瓶にかゝり、弟子は豆をひき、女房はしいしをはりなど、いとまなくかせぐをのこ有、十一月ごろの事なり、外より來れる手間取共は、おのが宿々へ歸り、でつちは釜の前に居眠まゝに、女房ふとんをかけ、火などけし、一人のおさなきものにしゝなどやりて、しほたうと[やぶちゃん注:底本にママ注記。不詳。]、たすき、前だれときて、添乳のまゝに寐入りぬ、亭主は染ものまきたて、あすの細工の手配り、帳面のしらべなどして、九ツ過にやすみけるが、暫くありて、さもくるしき聲にてうめきけるを、女房ゆりおこして、いかに、恐ろしき夢にても見給ひたるやといふに心づきて、扨も恐ろしやと色靑ざめ、額に汗をくみ流して語るやう、四ツ谷の得意衆まで行て歸るとて、紀伊の國坂の上にて侍に逢しが、きみあしき男かなとおもふうち、刀を引ぬきて退かけしまゝに、命かぎりに迯んとして、おもはずおそはれたり、やれやれ夢にてありがたや、誠の事ならば妻子ども長き別れなるべし、とわかしざましの茶などのむで、むねなでおろし居る處に、門の戸をほとほととたゝく音するを、今頃に何人ぞととがとが敷(しく)とがめければ、いや往來の者なるが、御家内にあやしき事はなく候や、火の用心にかゝる事ゆへ、見すぐしがたく、告知らせ候といひけるに、亭主もいよいよ恐ろしけれど、戸はしめて貫の木をさしければきづかひ無しとさしあしして、すき合より覗きみれば、夢のうちに我を退かけし侍なり、あやしさいはんかたなく、何事にて候、と尋ければ、われらきの國坂の上より、ちやわんほどの火の玉を見つけて、あまりあやしく候間、切割んと存、刀をぬきければ、此玉人などの迯るごとく、坂をころびおちて大路をころび、此家の戸の間より、内へ入り候ひぬ、心得ずながら行過候が、時分がら、火事にてもありては、外外の難儀なるべしと屆け置候なり、かはる事なくば其分なり、心をつけられよ、斷申たるぞと云ひすてゝゆき、四五間も行過て、聲よく歌などうたひてさりぬ、扨は、わが魂のうかれ出たるを、火の玉とみて追はれし物ならん、あやふかりし身の上かな、と夫婦ともに神棚など拜して、その夜は日待同前に夜を明しぬ、夢は晝のおもひ夜の夢なれば、さる事あるべき道理はあるまじと思へど、天下の事ことごとく理を以てはかりがたき事、此類なり、是はうける事にあらず、しかもいと近きもの語りなり、

   *]

「近代異妖篇」(岡本綺堂)の中の「新牡丹燈記」は、この「怪談老の杖」の話に基づいたものと思はれるが、火の玉でなしに切子燈籠になつてゐる。ただ遊魂の主は「雪窓夜話抄」と同じく娘である。深夜だしぬけに戸をたたかれることも、その侍が夢の中で斬り付けようとした人であつたといふことも、すべて「怪談老の杖」の材料であるが、別に切子燈籠を加へたところに、作者の働きを認めなければならぬ。

[やぶちゃん注:「近代異妖篇」大正一五(一九二六)年青蛙房刊。「青蛙堂鬼談」の続編であるが、これは綺堂の意思によるものでない可能性も捨てきれぬ。しかし、私は嫌いでない。

「新牡丹燈記」大正一三(一九二四)年六月刊の『写真報知』が初出。「青空文庫」のの「一 新牡丹燈記」がそれで、話柄の入れ子構造の内側に前出の「怪談老の杖」の話が切子燈籠のように仕込まれてあるので、インスパイアとしてはオリジナリティがあるとは言える。]

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