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2017/01/19

小穴隆一「二つの繪」(31) 「影照」(6) 「暮春には春服」

 

       暮春には春服

夏目漱石先生の墓前に獻ずとした「羅生門」の扉に、君看雙眼色不語似無愁を擇んだ芥川は、「春服」の扉には暮春者春服既成得冠者五六人童子六七人浴乎沂風乎舞雩詠而歸といふ論語の中のながい言葉を擇び、春服二字の扉と袴着の祝ひの時の寫眞との間にもう一枚、暮春には春服既に成り、から、沂に浴し舞雩に風し詠じて歸らむ、までを扉としていれる注文で、尚子が書いて版をこしらへた。それを僕の入院騷ぎで、(見返しの畫は、伊香保からやうやく家にたどりついて足を切斷されるに入院するまでの二日の間に脱疽の痛みのなかで畫いた、)小峰八郎(當時春陽堂にゐた)が忘れ、芥川もうつかりしてゐて版までこしらへておきながら、本になつてしまつてから落してゐたのに氣づいた。僕は時に、夏目漱石がはじめて訪ねてきた芥川を、孔子曰く、君子三戒あり、を言つて戒しめたといふことと、暮春には春服既に成りと「春服」にいれようとしてた芥川のことを思ひだす。

「黃雀風」とか「湖南の扇」とかの裏表紙にある詩は、芥川の好みや注文ではなく、全く僕が勝手にやつたものである。

[やぶちゃん注:「君看雙眼色不語似無愁」これは鎌倉末期の臨済僧で諡号大燈国師の名で知られる宗峰妙超(弘安五(一二八二)年~延元二/建武四(一三三八)年)の七言一句に、臨済宗中興の祖とされる江戸中期の白隠慧鶴(えかく 貞享二(一六八六)年~明和五(一七六九)年)が附した五言二句の偈の部分である。白隠の「槐安國語」の「卷五第八則」の「三界無法」や「禪林句集」等に載る。以下に示す。

   *

 

 千峯雨霽露光冷  君看雙眼色 不語似無愁

 

  千峯(せんぽう) 雨(あめ)霽(は)れて 露光(ろくわう)冷(すさま)じ

 

     君(きみ)看(み)よ 双眼(さうがん)の色(しよく)

     語(かた)らざれば 愁(うれ)ひ無(な)きに似(に)たり

 

   *

芥川龍之介はこれを第一作品集「羅生門」(大正六(一九一七)年五月二十三日阿蘭陀書房刊)の扉の後ろ(この詩句と同じ菅虎雄の筆に成る「羅生門」の題字の次の次の頁(左))に配し、その次の次の頁(左)に「夏目漱石先生の墓前に獻ず」と献辞(活字)している。国立国会図書館デジタルコレクションの初版本の画像(モノクロ)から、前者をトリミング・一部の清拭補正を加えたものを示す。

Kimimiyo

 芥川龍之介はこの偈を、晩年の「文藝的な、餘りに文藝的な」の『二十一 正宗白鳥氏の「ダンテ」』や、「三つの窓」の「二 三人」にも引用している(リンク先は孰れも私の電子テクスト)。

「春服」(しゆんふく)は芥川龍之介の第六短編集で、大正一二(一九二三)年五月に春陽堂から刊行したもの。

「暮春者春服既成得冠者五六人童子六七人浴乎沂風乎舞雩詠而歸」これは「論語」の「先進第十一」の一節。孔子は冒頭でその場にいた弟子四人に「以吾一日長乎爾。毋吾以也。居則曰。不吾知也。如或知爾。則何以哉。」(吾れ、一日(いちじつ)爾(なんじ)より長(ちよう)ぜるを以つて、吾れを以つてすること毋(な)かれ。〈時にお前たちは〉居(を)りては則ち、曰く、吾れを知らざるなりと〈不平を口にする〉。如(も)し爾を知るものあらば、則ち、何を以つてせんや。)と問いかけ、それに対して曾皙(そうせき)が答えた箇所である。

   *

點爾何如。鼓瑟希。鏗爾。舍瑟而作。對曰。異乎三子者之撰。子曰。何傷乎。亦各言其志也。曰。莫春者。春服既成。冠者五六人。童子六七人。浴乎沂。風乎舞雩。詠而歸。夫子喟然歎曰。吾與點也。

○やぶちゃんの書き下し文

點(てん)、爾(なんぢ)は何如(いかん)。瑟(しつ)を鼓(こ)すること、希(まれ)なり。鏗爾(こうぢ)として瑟を舎(お)きて作(た)つ。對(こた)へて曰く、三子者(さんししや)の撰(せん)に異(こと)なり。子曰く、何(なん)ぞ傷(いた)まんや。亦、各(おのおの)其の志しを言ふなり。曰く、莫春(ぼしゆん)には、春服、既に成る。冠者(くわんじや)、五、六人、童子六、七人、沂(ぎ)に浴(よく)し、舞雩(ぶう)に風(ふう)し、詠じて歸へらん。夫子(ふうし)、喟然(きぜん)として歎じて曰く、吾れは點に與(く)みせん、と。

   *

「點」は曾皙の本名。「瑟」琴に似た中国古代の弦楽器。「三子者」この場にいて前に答えた弟子の子路・冉有(ぜんゆう)・公西華(こうせいか)を指す。「沂」沂水(ぎすい:「きすい」と読むことが多いが、「き」は慣用音)。現在の山東省南東部を流れる川の名。「舞雩」現在の山東省曲阜にある丘の名。舞雩台(ぶうだい)。

 下村湖人の「現代訳論語」では以下のように訳されてある(引用は「青空文庫」版を用いたが、一部を加工した)。

   *

 先師、――

「点(てん)よ、お前はどうだ。」

 曾皙(そうせき)は、それまで、みんなのいうことに耳をかたむけながら、ぽつん、ぽつんと瑟(しつ)を弾じていたが、先師にうながされると、がちゃりとそれをおいて立ちあがった。そしてこたえた。――

「私の願いは、三君とはまるでちがっておりますので……」

 先師、――

「何、かまうことはない。みんなめいめいに自分の考えていることをいって見るまでのことだ。」

 曾皙――

「では申しますが、私は、晩春のいい季節に、新しく仕立てた春着を着て、青年五六人、少年六七人をひきつれ、沂(き)水で身を清め、舞雩(ぶう)で一涼みしたあと、詩でも吟じながら帰って来たいと、まあそんなことを考えております。」

 すると先師は深い感歎のため息をもらしていわれた。――

「私も点(てん)の仲間になりたいものだ。」

   *

「尚子」既出の昭和元年十二月三十日に十三で夭折した小穴隆一の妹のことと思われる。

「僕の入院騷ぎ」大正一一(一九二二)年末から大正一二(一九二三)年年初にかけてのことを指している。次注参照。

「伊香保」小穴隆一は前年十一月頃から足の治療のために伊香保に湯治していた。脱疽と判明したのは十一月二十七日で、順天堂病院で右足第四指の切断術を十二月十八日に受けたが、手遅れで、翌年一月四日に再手術をして、右足首切断術を受けた。

「やうやく家にたどりついて足を切斷されるに入院するまでの二日の間」ここの叙述からは、この絵を描いたのは大正一一(一九二二)年末の第一回の手術直前のように読み取れる。

「小峰八郎」既出既注

「黃雀風」(こうじゃくふう)は芥川龍之介の第七短編集。大正一三(一九二四)年七月新潮社刊。

「湖南の扇」芥川龍之介の第八短編集。自死直前の昭和二(一九二七)年六月二十日に文藝春秋出版部から刊行したもの。]

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