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2017/02/09

小穴隆一「鯨のお詣り」(29) 「二つの繪」(18)「M女」

 

 M

 

[やぶちゃん注:「M女」は平松麻素子(明治三一(一八九八)年~昭和二八(一九五三)年)。これは「二つの繪」の「麻素子さん」の原型であるが、そちらは大幅に書き変えられてある。]

 

 黃泉(よみ)の女王Mは芥川夫人の唯一人の友人である。あはせて曾て一度は芥川龍之介が、その性格の特質を擧げて自分に娶(めと)れとすすめた夫人である。彼女が今日(こんにち)健在であるならば、何日(いつか)また彼女の立場に於いてMは〔帝國ホテル〕に觸れもしよう。Mは芥川龍之介の自殺直後は、新原得二によつて刧(おびや)かされてゐた女である。(新原は兄芥川を愛惜する同時に、遺書をもつて義絶を計つたその兄芥川を金輪際認めはしなかつた。故に彼女を兄の敵として考へ、僕、谷口喜作等(ら)を己れの敵として見てゐたやうである。)

[やぶちゃん注:「彼女が今日健在であるならば」本書刊行(昭和一五(一九四〇)年)当時、平松麻素子は健在(但し、以前より結核に罹患中)である。既に注してあるが、再掲しておくと、龍之介没後二十五年ほど後(昭和二七(一九五二)年頃?)、ます子は持病の結核が悪化、国立武蔵療養所に入院したが、それからも芥川文との親しい書簡のやりとりがあり、昭和二十八年一月二日に亡くなった麻素子の葬儀には文も列席している(二〇〇三年翰林書房刊・関口安義編「芥川龍之介新辞典」の「平松麻素子」の項に拠る)。]

 Mは少女時代からの友人芥川文子に、その夫に對してとるべき善後策の助力を賴まれてゐた人間である。彼對(たい)僕、夫人對M、この合計は、一時(じ)は彼の憂鬱を輕くしたものであらう。が、しかし、帝國ホテル以來、M+柳原白蓮といふものは無視することも出來ず、ここにまた人情を捨てられぬ彼の足搔(あが)きを見たのである。帝國ホテル、1、の翌日には

「白蓮さんは東京驛から電話で、何事あ起つたのかと、家中の有金(ありがね)を全部持つて駈付(かけつ)けて來たさうだ。」

Mと一緒に、暫く暮す事が、自分の生活を生かすといふのならば、支那なら、自分がいくらでも紹介して隱家(かくれが)の世話をすると白蓮さんは言ふんだが、君は如何(どう)思ふね。」

 この、ここに引いた言葉の彼が、彼は、自分が去り、夫人が歸つたであらう後(のち)に於いて、M、柳原白蓮と何所(どこ)かで會合してゐたのだ。

「芥川龍之介はお坊ちやんだ。」

 彼を評すこの白蓮の言葉は、彼、M、双方の口から聞いたものとして自分は憶えてゐる。

 人は芥川龍之介全集に於いて、Mに、――と書いた數篇の詩を讀んだ筈である。(僕はいまこの數行を自分の愚かなる妻のために書いてゐる。)が、人は妄(みだ)りに彼を疑ふなかれ。彼は「自分がMと死なうとしたのはMに乳(ちゝ)が無いので、(乳房小なりといふ意。)さういふ婦人となら、おくら世間の者でもMと自分とは關係があつたとは言わぬであらうし、また自分も全然肉體關係がなしに、芥川龍之介はさういふ婦人と死んでゐたといふ事を人に見せてやりたかつたのだ。よしんば世間の人が疑つたところで自分は、さういふ婦人と何等(なんら)關係もなしに死んでゆくのは愉快だ。」

[やぶちゃん注:「(僕はいまこの數行を自分の愚かなる妻のために書いてゐる。)」この挿入は不詳。芥川龍之介の何かからの引用とは思われない。そもそも、小穴隆一が本文で丸括弧で示す場合は、小穴自身の心内語として示す場合が多いのであるが、だとしても、この謂いは不詳である。]

 と、言つてゐるのだ。何事も僕に隱せぬ彼がである。

 

 以下、附記すべきは、鵠沼に於いて、「ゲーテがドイツ一國と競(くら)べられる彼の名譽よりも、貧しくともほの暖かい晩餐云々。」(自分は「鵠沼」に理屈をもつてワーグネルと書いておいたが、幾度か彼によつて繰返されてゐたその名は、ゲーテであると傳へるのが鵠沼の記事として正しいのである。正誤。)と僕を慰めてゐた彼が、漸次僕に遊びをすすめる傾向を持ちはじめた一事(じ)である。

[やぶちゃん注:「自分は「鵠沼」に理屈をもつて……」これは厳密には先行する「鵠沼」の章を指すのではなく、先行する鵠沼時代を追懐したパートの中の「友二三名についての章を指すものであるので注意されたい。]

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