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2017/02/23

柴田宵曲 妖異博物館 「秋葉山三尺坊」

 

 秋葉山三尺坊

 

 秋葉の三尺坊の天狗咄は、西鶴の「好色一代女」(貞享三年)に出てゐるが、それは人の噂に過ぎなかつた。「一代女」より三年後の「本朝故事因緣集」(元祿二年)にも「遠州秋葉山三尺坊奇瑞」といふ話が書いてある。近頃この山の麓で大鐡砲を放つた者があり、その昔と同時に虛空に飛び上り、片時の間に信州諏訪の衣ガ崎に行つて居つた。これが天狗の仕業なので、汝は大鐡砲を放つてわしの眠りを驚かしたが、その罪は赦してやる、これから富士を見せよう、と云つたと思へば、忽ちに頂上に登り、田子の浦を眺めてもとの所へ歸つて來た。こゝで空から墮されたけれど、何の怪我もなかつたといふのである。秋葉山の靈異はかなり廣く傳播されたものであらう。鳥取の人の手に成つた「雪窓夜話抄」なども、いろいろ委しい消息を傳へてゐる。

[やぶちゃん注:「秋葉山三尺坊」現在の静岡県浜松市天竜区春野町領家にある秋葉山(あきはさん:赤石山脈南端・標高八百六十六メートル。ここ(グーグル・マップ・データ))の、火防(ひぶせ)の神である「秋葉大権現」という山岳信仰と修験道が融合した神仏習合神の別称。但し、明治の廃仏毀釈によって秋葉山本宮秋葉神社と秋葉寺に分離したが、後者は明治六(一八七三)年)に廃寺となり、現在、その仏像仏具類は本寺であった現在の静岡県袋井市久能にある「可睡斎(かすいさい)」に移され、「三尺坊」の神像もそこに現存する。現在、静岡県浜松市天竜区春野町に秋葉三尺坊大権現を祀る秋葉山(しゅうようざん)秋葉寺という寺があるが、これは明治一六(一八八三)年に再建されたものである。詳しくは、参考にさせて戴いた「ぞえじい」氏のサイト「ぞえじいの福々巡り」の「秋葉山 秋葉寺(三尺坊)」「可睡齋」の記載や、個人ブログ「神が宿るところ」の「秋葉山総本山 秋葉寺(三尺坊)」を参照されたい。なお、後者のブログ記載によれば、『「秋葉大権現」が「三尺坊大権現」という天狗として認識されるようになったのは、次のような伝承による。即ち、三尺坊は』、宝亀九(七七八)年、『信濃国・戸隠(現・長野県長野市)生まれで、母が観音菩薩を念じて懐胎し、観音の生まれ変わりといわれた神童だったという。長じて、越後国・栃尾(現・新潟県長岡市)の蔵王権現堂で修行し、僧となった。「三尺坊」というのは、長岡蔵王権現堂の子院』十二坊の内の一つで、その名を取ったものであり、『ある日、不動三昧の法を修し、満願の日、焼香の火炎の中に仏教の守護神である迦楼羅天を感得し、その身に翼が生えて飛行自在の神通力を得た。そして、白狐に乗って飛行し、遠江国秋葉山のこの地に降りて鎮座したとされる』。『現在も頒布されている秋葉山の火防札には「三尺坊大権現」の姿が描かれているが、猛禽類のような大きな翼が生え、右手に剣、左手に索を持ち、白狐の上に立っている姿である。火炎を背負い、身体は不動明王のようだが、口は鳥のような嘴になっている。これは、もともとインド神話の鳥神ガルーダが仏教に取り入れられた迦楼羅天』(かるらてん:八部衆・後の二十八部衆の一つ。)『の姿に、不動明王を合わせ、更に白狐に乗るところは荼枳尼天の形が取り入れられているようだ。実は、この姿は、信濃国飯縄山の「飯縄権現(飯縄大明神)」とほぼ同じである。「飯縄権現」は、飯縄智羅天狗とも呼ばれ、日本で第』三『位の天狗(「愛宕山太郎坊」(京都府)、「比良山次郎坊」(滋賀県)に次いで「飯縄山飯縄三郎」とも呼ばれる。)とされる。こうしたこともあり、「三尺坊大権現」は、その出自や修行地からして、戸隠や白山などの修験者の影響が強いようだ。そうすると、火難避けの神様としての秋葉山信仰は、古くても中世以降、民衆レベルでは江戸時代以降なのではないかと思われる。江戸時代には、資金を積み立てて交代で参拝する秋葉講が盛んに組織された』とある。

『西鶴の「好色一代女」(貞享三年)に出てゐる』「貞享三年」は一六八六年。これは同作の「卷三」巻頭の「町人腰元」の冒頭、

   *

十九土用とて人皆しのぎかね。夏なき國もがな汗かゝぬ里もありやと。いうて叶はぬ處へ鉦女鉢を打鳴し。添輿したる人さのみ愁にも沈まず跡取らしき者も見えず。町衆はふしやうの袴肩衣を着て珠數は手に持ながら掛目安の談合。あるは又米の相場三尺坊の天狗咄し若い人は跡にさがりて。遊山茶屋の献立禮場よりすぐに惡所落の内談それよりすゑずゑは棚借の者と見えて。うら付の上に麻の袴を着るも有。[やぶちゃん注:以下、略。]

   *

を指すのであろう。

『「本朝故事因緣集」(元祿二年)』「元祿二年」は一六八九年。「遠州秋葉山三尺坊奇瑞」は同書「卷之二」のそれ。「国文学研究資料館」公式サイト内のここの画像で読める。

「雪窓夜話抄」のそれは同「下卷」の「遠洲秋葉山靈異の事」である。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここから視認出来る。読まれれば判るが、次段の内容がそれである。]

 寛延年間の話らしい。紀州から御代參として、長谷川右近といふ物頭(ものがしら)が登山した。前夜は山下の在家に止宿するのであつたが、この山中に雉子が澤山居ると聞いて、それを料理して出すやうに命じた。それは御登山以後になされた方がよろしうございませう、當山は餘所とは異り、いろいろ怪異のある山ですから、今夜は御精進なされた方が御爲であると存じます、と亭主はしきりに止めたけれど、橫紙破りの右近は聞き入れない。本人ならば精進すべきであらうが、拙者は代參であるから、その必要はない、三尺坊は神である、魚鳥を食ふ者を忌み嫌ふ理由はない筈だ、と云ひ張るので、云ふなりに料理して出し、主從十六人、したゝかに食べた。然るに翌日登山すると、八九分通り上つたところで、一天雲霧が覆ひかゝり、一寸先も見えなくなつた。一同居すくみといふものになつて、生きた心地もなかつたが、十六人悉く山上から投げ落された。暫くたつて雲霧は晴れ、夜の明けたやうになる。人人目を開いてあたりを見廻せば、誰も怪我した者はなく、秋葉山の絶頂から五六里も麓に寢て居つた。どうしてこゝへ來たものか、前後不覺で更にわからぬ。この怪異に恐れて、再び登山する勇氣を失つたが、代參として參詣した以上、登山しないでは歸られず、秋葉寺の役僧に内談して、紀州より持參した神柄の物を供へ、例の如く符守を頂戴して歸國したいと賴んだ。寺の方では、未だ登山せぬ人に符守などを進ずることは出來ないと斷つたけれど、この御禮には一たび紀州に歸つた上、必ずまた引返して登山し、神前に於て懺悔する、と云つたので、何しろ歷々の士の死活に關する事であるから、符守を取り揃へて渡すことになつた。右近は本國に歸つて、御代參の次第を申上げ、自分宿願ある由を以て御暇を願ひ、一日もその足を休めずに引返して、秋葉に參詣したさうである。

[やぶちゃん注:「寛延年間の話らしい」先に示した「雪窓夜話抄」の原文を見ると、『今年(寶曆三年)より五六年には過ざる事なり』とあるから、数えでの謂いと考えると、宝暦三(一七五三)年から四、五年前は寛延元年・延享五(一七四八)年か寛延二年となるも、「過ぎざる」と言うのだから、柴田の寛延年間は正しい謂いとなる。

「物頭」武頭(ぶがしら)とも称し、弓組・鉄砲組などを統率する長を指す。

「符守」「ふしゆ」は「神符守札(しんぷしゅれい)」の略。神社等で出す護符、御守りの御札のこと。]

 秋葉山の靈異に就いてはいろいろな話があつて、西國方の大名から代參として登山した足輕などは、道中で身持の惡い事があつたと見え、權現に攫まれて行方不明になつた。その男は引裂かれ、大木の松の枝に久しく懸つてゐたさうである。この話を聞かされた岩越分四郎といふ人が、自分は精進潔齋の心持で來たから、何の障礙もあるまいと思ふが、薄氣味惡くなつて、竹輿を舁く者にさういふと、その御心配はありません、障りのあるなしは麓の光明山あたりで知れます、身持の惡い人を舁いて行く場合には、光明山あたりまで參るうちに、同じところを何遍もぐるぐる𢌞つたり、五町も十町も登つたと思ふのに、やはりもとのところにゐて、どうしても登山出來ません、今日は麓まで何の子細もなく、光明山も遙かに過ぎましたから、御別條はありますまい、といふことであつた。

[やぶちゃん注:「光明山」秋葉山のほぼ南、天竜川を挟んだ六・五キロメートルの位置にある山。ここ(グーグル・マップ・データ)。秋葉台権現の火伏せの霊験に対し、水難避けの神として信仰を集める(暴れ川天竜の近くなれば納得)。現在、曹洞宗金光明山光明寺(静岡県浜松市天竜区山東地内)が山麓に建つ。

「五町」約五百四十五メートル半。]

 秋葉權現は火防(ひぶせ)の神と云はれてゐるが、毎年十一月の祭日には、近國から夥しい人が集まつて通夜をする。深山の事であるから、暫くも火を離れては居られぬ。手に手に薪を持つて來て、堂上堂下の差別なく、大篝りを焚いて寒氣を凌ぎ、一夜を明すので、火の用心などといふことは少しもないに拘らず、どこにも火の燃え付くことはない。また時により曇つて小雨降る日の暮方、無數の魚が谷川に充ち滿ちて見えることがある。この時は三尺坊が遊獵にお出かけになると云つて、家々は門を鎖して用心する。はじめ秋葉の山上にほのかに火が一つともるかと思ふと、時の間に二つ三つと數が殖え、山も谷も一面の火になる。やがてその火が崩れかゝり、谷川の上から下へ、非常な迅さで翔(かけ)り去る。川端にあるものは何によらず、龍卷に卷かれたやうになくなつてしまふが、山中でこの不思議に出遭つた人は、平地に伏して目を塞いでゐれば何事もない。風雲の吹いて通るやうなもので、數萬の火は消えて、もとの闇に還ると云はれてゐる。

[やぶちゃん注:現在の秋葉神社で十二月十六日に行われている「秋葉の火まつり」の原型であろう。同神社の公式サイトの同祭の頁をリンクさせておく。]

 この秋葉の火に就いては、「耳囊」にも簡單な記載がある。山上に火が燃えて遊行し、雨などの降る時は、川に下りて水上を遊行する。土地の者はこれを天狗の川狩りと稱し、戸を鎖して愼んでゐるといふのは、「雪窓夜話抄」と變りがない。「諸國奇人談」にある大井川の天狗なども、多分秋葉山に屬するものであらう。翅の直徑六尺ばかりある大鳥の如きもの、深夜の川面に飛び來り、上り下りして魚を捕る。人音がすれば忽ち去るので、土手の陰に忍んで、ひそかに窺ふより仕方がない。これは俗にいふ木葉天狗の類だらうといふことである。

[やぶちゃん注:以上の「耳囊」のそれは「卷之三 秋葉の魔火の事」である。私の原文電子化訳注を参照されたい。

『「諸國奇人談」にある大井川の天狗』これは「諸國里人談」の誤りである。同書の「卷之二」の「木葉天狗(このはてんぐ)」のこととしか思われないからである。以下に示す。

   *

駿遠の境大井川に天狗を見る事あり。闇なる夜深更におよんで、潛に封疆塘の陰にしのびてうかゞふに、鳶のごとくなるに翅の徑り六尺ばかりある大鳥のやうなるもの、川面にあまた飛來り、上りくだりして魚をとるのけしきなり。人音すれば忽に去れり。是は俗に云術なき木の葉天狗などいふ類ならん。

   *

文中の「封疆塘」は「どてづつみ」(土手堤)と読むものと思われる。「云術なき」(じゆつなき)と読んでおく。恐らくは「特に神通力を持たない下級の」という意味と判ずる。

「六尺」一・八メートル。思うにこれは、私の好きな哲学者然とした、翼開長が一五〇~一七〇センチメートルにもなる、鳥綱ペリカン目サギ科サギ亜科アオサギ属アオサギ Ardea cinerea の誤認ではないかと疑うものである。]

 

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