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2017/02/12

小穴隆一「鯨のお詣り」(34) 「二つの繪」(23)「彼の家族」

 

        彼の家族

 

[やぶちゃん注:「二つの繪」の「養家」の原型。]

 

 彼の家族、彼のいふ年寄達は、機關學校の教官の職を抛(なげ)うつて彼が作家として立つ、その事には何等異議を持たなかつたと聞いてゐた。皆が賛成をした。就中(なかんづく)伯母の如きは喜んで眞先に賛成したものだといふ(作家として立つ、そこに不安なる收入に對する考へも、うやむやにして消えたといふ。)

 自分は、家族の人々に關しても多少は知る筈である。如何彼が言ひまはさうとも、一面に於いては間違(まちがひ)もなく芥川家が龍之介を中心としてゐた一家であつた事にも相違は無い。實に彼に相應(ふさは)しい家族であつたといふべきものはある。が不幸にして、一人伯母に對してだけは、彼は、(姉、弟は省く。)相當に根強く複雜な感情を表白(へうはく)し、多少の批判を彼自身に有利(いうり)として、他に洩らす事も生じた次第である。不幸なる彼の伯母は、不幸なる上に孤獨に置かれた。彼の死直後、自殺に至つた彼の經路としては推量の説を種々(しゆじゆ)の人々が發(はつ)した。伯母と不和の爲に家庭的に面白からざるものが釀(かも)されてゐた。左樣な類(たぐひ)の彼女自身に觸れた記事に對しては、必然、彼の伯母は敏感に受けたものがあらう。愛する彼を失ひ、引きつづいて賴むその兄に先立たれては、世を避け人を避けで苦しんでゐる彼女が殘る。彼女を今日考へれば、彼女は芥川家のためにも、亦芥川龍之介のためにも、非常に緣の下の力持ちをしてゐた點を自分が説くべきである。彼女が彼女の兄、彼の養父の家に年老(としお)ふるまで同居してゐた事が、不圖(はから)ずも彼の家庭生活のびのびとさせなかつたその結果に於いては、ただ遺憾といはうよりほかはない。家中(いへぢう)の者が朝飯をたべてゐた時に、君の足を切る知らせを聞いた。さうしたら女房が箸を置いていきなり、わつと泣きだしたものだから、皆が一緒においおい泣きだしたものだよ。――さういふ昔の彼の言葉さへなほ耳についてゐて、殘された彼の家族の者を思ふ餘地もない自分の身である。畢竟、良秀(よしひで)ほどの強い意志は持てぬ彼から生じた非(ひ)、それから考へてみる必要も亦あらう(「地獄變」の良秀を血氣(けつき)の彼は心中(しんちう)に畫(ゑが)いてゐた。大正十年の秋、湯河原で、「地獄變」について小澤と彼との間(あひだ)論議が交された。腹の中の如何(どう)であつたかを知らぬ。表面何處までも良秀を是(ぜ)として譲步しない彼を自分は見てゐた。)

[やぶちゃん注:「引きつづいて賴むその兄に先立たれては」芥川龍之介の養父芥川道章は芥川龍之介自死の凡そ一年後の昭和三(一九二八)年六月二十七日に満七十九で亡くなった伯母芥川フキは昭和一三(一九三八)年に満八十二を目前にして亡くなっている。]

 

 彼の死後に、彼が、使ひ殘りと言つて、都度(つど)に預けてゐた金が六千圓近くにもなつてゐた。といふ事が、それを預かつてゐた養父道章の話として聞かされた。この話を耳にして感じたのは、從順なる彼の性質である。子として、夫として、親として、更にやさしかつた芥川龍之介を、改めて自分は感じた。さうして、てんしんやうしんりうの按摩で、毎晩三十分伯母さんの肩を揉む。といつてゐた時代の彼が囘顧され、侘(わび)しい自分自身を思返すばかりであつた。

 同樣に死後、月々に百何十圓かの金を、自身、及び妻子の食料(しよくれう)として、養父に彼が納めてゐたと聞いた時に、これを不思議と自分は思つた。彼を連戾(つれもど)さうとした彼の實父に向つて、強ひてこの子を連れて歸るなら、俺は腹を切る。と、愛し、その命にかけて貰つた彼から食料をとるといふ養父の心に、自分は合點(がてん)しなかつたのである。この意見に對して、自分の父は、「一概に惡くは言へない。年寄(としより)といふものは自分の物を一錢でも餘計に子に殘し度(た)い。それで食扶持(くひぶち)を取らなければ、おぢいさんの物が其儘(そのまゝ)そつくり子に傳へる事が出來ないといふわけで、おぢいさんは食料を取つてゐたのではないかね、まあ、年寄といふものはさういつたものだ。」と微笑をもつて自分を教へた。

 自分は赤面したのである。

[やぶちゃん注:「食料」老婆心乍ら、「食費」の意。]

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