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2017/02/07

小穴隆一「鯨のお詣り」(17) 「二つの繪」(6)「宇野浩二」

 

        宇野浩二

 

 芥川龍之介が自殺、この通報によつて輕井澤から歸京してきた室生犀星は、

「小穴君はどうするのだらう。」(どうしてゐるのだらう?)

 正宗白鳥は輕井澤にゐて他(た)を言はず、いきなり斯樣(かやう)に言つてゐたと、繰返して言つてくれた。

 これを如何(いか)にも室生犀星らしい慰め方だ、と未だに自分は忘れずにゐる。

 輕井澤にゐて白鳥と犀星が、芥川の死――小穴は? と考へてくれたことは難有い。しかしながら、その時の自分の腹では、

「宇野浩二は如何(どう)する。」

「彼の耳にはいつたら大變だ。打ちのめされる者は宇野浩二だ。」

「□□□腦病院にはいつててさへくれれば知らないでゐるだらう、」

と言ひたい位(ぐらゐ)でゐた。

[やぶちゃん注:「□□□」「腦病院」。これを元とした後の単行本「二つの繪」の「宇野浩二」で伏字は復元されてある。

 なお、その小穴隆一の「二つの繪」版(昭和三一(一九五六)年刊)の「宇野浩二」は、かの宇野浩二渾身の大作「芥川龍之介」(昭和二六(一九五一)年九月から同二七(一九五二)年十一月まで『文学界』に一年三ヶ月に及ぶ長期連載の後、更に手を加えて同二十八年五月に文藝春秋新社から刊行された)の刊行後のものであるため、全面的に書き変えられている。]

 ――眞實、芥川龍之介が自殺をしたその一事(じ)を、宇野浩二の耳に入れたものならば宇野の致命傷であると僕は信じていた。故にこれを、芥川龍之介が自殺直後當面に現れて來よう世間の注意としては、自分の最も恐れることのなかに數へてゐた。が、この自分の不安といふものは旬日を待たずして一掃されたやうである。(當時の世間は既に作家宇野浩二を忘れてはゐなかつたか?)各新聞紙に現れてくる每日の諸名士の談は、をかしいか、でなければ奇想そのものとも思へた。心密かに新聞に宇野浩二談が出るのを待つた。それ故に、おのれをむなしくして友人の死を見送つてゐる、控へめにも靜かな彼の談話を報知(?)で發見した時自分は、もう宇野浩二は大丈夫だと喜んだ。

 僕は告白する。微妙にかばひあつてゐた宇野對(たい)芥川の友情を考へるときに、僕にしてなほ嫉妬に似たるものがある。‥‥

 この章を書くことによつて、‥‥に追ひやるか、或は彼に猛然たる往年の創作力を與へるかは空恐しいことに思ひもするが、然し、一時(じ)なりとも‥‥宇野浩二と自殺した芥川龍之介とを結び考へるのが自分の常である。ここに、これを當時の宇野の病氣に限り誘因は人の噂どほりとして、空想は笑ふべしとするもなほ自分に、宇野浩二の心身(しんしん)がもつと強靱でありさへすれば、わが芥川龍之介は、もう少し生きてもゐたかつたであらう、と言はう心がある。

[やぶちゃん注:この「‥‥」部分は何を言おうとしているのかよく判らない。判らないように小穴隆一が書いているのだから当たり前だが、まともに書いても何を言っているのか判らぬことがしばしばある小穴節なれば、さらにお手上げなのである。ただ、言えることは、小穴隆一は宇野浩二が戦後にかくも復活し、かの「芥川龍之介」のような芥川龍之介の追憶に基づく大作をものすとは考えていなかったのではるまいか? と思う。小穴隆一はまさにここに書いてある通り、芥川龍之介と親密であった宇野浩二に龍之介死後も嫉妬していたのであり、彼の「芥川龍之介」は小穴にとっては、嬉しい産物半分、厄介なものを書きやがってというやっかみを含んだ内心半分であったと私は推理している。

「當時の宇野の病氣に限り誘因は人の噂どほりとして」脳梅毒によるもの。私はそうだとほぼ確信している。彼の激しい精神変調と奇矯な行動は心因性精神病のもの(小穴隆一はここで主にそう考えていると読める)とは思われず、また、病前と病後の文体の変容はまさに脳梅毒による器質的な脳変性を物語っていると私は考える。附言すると、そうした疾患を経て書かれた「芥川龍之介」には、疾患の予後に起因するところの記憶の錯誤が多分に生じている可能性を排除出来ないとも考えている。宇野浩二の「芥川龍之介」は私の注附き電子テクストがある(上巻下巻の二巻HTML版別立。これと同一のブログ個別版もある)。]

 ――ここに、二つの話が死者によつて僕に殘されてゐる。(昔。宇野と一緒に諏訪に行つてゐた時である。)「一日(にち)、宇野の机の上に見覺えのある筆蹟の手紙があつたので、自分はそれを未だに恥づかしいことに思つてゐるのだが、それをそつとその手紙を開けてみたら、案にたがはず、その筆者がSであつて、S宇野との間のことを、始めて自分はその時知つて非常に驚いた。君、Sはそのやうな女なんだ。」以下省略。

[やぶちゃん注:「S」秀しげ子。宇野浩二は「芥川龍之介」の中で、この小穴隆一の文章をとり上げて語っているが(主に上巻)、宇野は一貫して、秀しげ子のことを知らない、芥川龍之介の口からその名を聴いたこともない、と述べているのである。この齟齬、小穴隆一を信ずるか、宇野浩二を信ずるか、はたまた、芥川龍之介自身が小穴隆一についた嘘なのかは不明である。以下の非常に読み難い小穴の錯雑した叙述を読んでも、その可能性も私は否定出来ないと考えている。小穴の、宇野と芥川龍之介への嫉妬心のようなものを芥川龍之介自身が鋭敏に感じとっていた、とすれば尚更に、である。

(昔諏訪から歸つた田端でである。)「諏訪に○○といふ藝者がゐるが、これは宇野の女だが、君その賴むから諏訪に行つて、君がこれを何んとか橫取りして呉れまいか、金は自分がいくらでも出すよ。」

[やぶちゃん注:「○○○」宇野の愛人であった鮎子(芸妓名。本名は原とみ)。伏字が三字分なのは彼女をモデルとした宇野浩二の複数の作品に出る「ゆめ子」を実名と誤ったからである。単行本「二つの繪」の「宇野浩二」ではこの台詞には、『諏訪にゆめ子といふ(宇野の小説のヒロインとなつた人、)藝者がゐるが、これは宇野の女だが』と小穴の注記が入っていることから、この誤認は確定である。なお、彼女は宇野浩二の入れ込んだ女性であるが、現在の研究では、彼女とは肉体関係はなく、プラトニックな支えであったと考えられているようである。

 この二つの話が諏訪。鵠沼間(かん)よりは、長い時間の歳月を差挾(さしはさ)んで話されたがために、大正十五年の夏から秋にかけての僕らの鵠沼時代に於いて芥川が、「自分の死後、世間に全然途方もない誤解が生じて、如何(どう)しても君に我慢ができない場合になつたとしたら、これを家人に渡して發表してくれたまへ。」とよこした一通の封書を、自分は當時の彼の狀態といふよりは症狀に照らして、當然これを彼の夫人に示して共に内容を見たのであるが、さうしてただ一葉の書簡箋の數行のなかに、確かに、(南部修太郎と一人の女(ひと)Sを自分自身では全くその事を知らずして××してゐた。それを恥ぢて自決をする。)と讀んだのではあるが、(此(この)自分に渡された遺書で最初のものは後に彼に返した。)次に南部修太郎が消えて宇野浩二の名が現れてゐた、と書かうとする自分には、非常な錯覺による支障を齎(こた)らすのである。(とりかへひきかへ三度受け取つた遺書は考へて調べをしたら、事實は三度よりは餘計とだけ判明した。)

[やぶちゃん注:「××」「二つの繪」版で「共有」と復元。

「事實は三度よりは餘計」小穴隆一はここで「自分に渡された遺書で最初のものは後に彼に返した」と証言している。これが正確であるとすれば、現行伝わっている完本の小穴隆一宛遺書以外に、最低でも三通以上、小穴隆一は現認し、所持していた可能性を匂わせるものである。]

 中略。

[やぶちゃん注:小穴節のトンデモ「中略」。何だ? これ? って感じだね。]

 馬鹿げた無法なる芥川龍之介を宇野浩二はなほも愛しつづけてゐる。それを疑へぬ自分の氣持ちは宇野浩二をともかくもここまで書かせた。

 「或舊友へ送る手記」「或阿呆の一生」この二つの遺稿を合はせて讀むならば、さうして若干の訂正をはかるならば、全くの死力を出して、告白して訴へてゐる彼が人には見える筈である。評して鬼面(きめん)人を脅(おど)すと云ふは、‥‥まで見せろといふ豪傑の言葉である。

[やぶちゃん注:「‥‥まで見せろ」不詳。「肝」とか「マラ」を私は想起した。]

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