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2017/02/13

柴田宵曲 妖異博物館 「茸の毒」

 

 茸の毒

 

 茸の毒に中てられる話は「今昔物語」に散見するが、あまり面白いのは見當らぬ。京の樵夫が北山で道に迷ひ、四五人固まつて歎息してゐると、山奧の方から人の大勢來るけはひがする。何者であるかと訝り見るほどに尼達が四五人、面白さうに舞ひながら現れた。樵夫どもは一見して恐怖の念を生じ、よもや人間ではあるまい、天狗であらうか、鬼神であらうか、と考へる間もなく、尼の方でも樵夫を見て近寄つて來る。あなた方はどういふ方で、そんな風に舞うて山奧から出て來られたのか、と恐る恐る尋ねたところ、怪しく思ふのは尤もだ。吾々はかういふところに居る尼で、花を摘みに山へ來たのだが、道を踏み違へて何方へ行つたらいゝかわからなくなつた、丁度この茸があつたので、中りはせぬかと思つたけれど、飢ゑ死ぬよりはましかと、それを燒いて食べたら、自分で舞はうとも思はぬのに舞ひ出した、どういふわけかわからぬ、といふことであつた。樵夫達も空腹であつたので、尼達が食べ殘して澤山持つてゐる茸を、分けて貰つて食べると、これも同じやうに舞ひ出した。尼と樵夫の連れ舞といふ形になつたが、暫くたつて醉がさめたやうに舞をやめ、めいめい自分の行く道を見出して無事に歸つた。――この舞茸の話などは一種の漫畫的氣分があつて、先づ出色の部であらう。

[やぶちゃん注:「茸」「きのこ」。

「舞茸」「まひたけ」。但し、以下の私の注を参照のこと。

 以上は「今昔物語集」「卷第二十八」の「尼共入山食茸舞語第廿八」(尼共(ども)山に入りて茸(たけ)を食ひて舞ふ語(こと)第廿八)である。以下に示す。

   *

 今は昔、京に有りける木伐人(きこりびと)共、數(あまた)、北山に行きたりけるに、道を踏み違(たが)へて、何方(いづかた)へ行くべしとも不思(おぼ)ゑざりければ、四五人許り、山の中に居て歎きける程に、山奧の方(かた)より、人(ひと)數(あまた)來ければ、

「怪しく何者の來(きた)るにか有らむ。」

と思ひける程に、尼君共の四五人許り、極(いみ)じく舞ひ乙(かな)でて出來(いでき)たりければ、木伐人共、此れを見て、恐ぢ怖れて、

「此の尼共の、此(か)く舞ひ乙(かな)でて來たるは、定めて、よも、人には非じ。天狗にや有らむ、亦、鬼神(おにがみ)にや有らむ。」

となむ思ひて見居(みゐ)たるに、此の舞ふ尼共、此の木伐人共を見付けて、亦、寄りに寄り來たれば、木伐人共、

「極じく怖し。」

とは思ひ乍ら、尼共の寄り來たるに、

「此(こ)は何(いか)なる尼君達の、此(か)くは舞ひ乙(かな)でて、深き山の奧よりは出で給ひたるぞ。」

と問ければ、尼共の云く、

「己等(おのれら)が此く舞ひ乙(かな)でて來たるをば、其達(そこたち)、定めて恐れ思ふらむ。但し、我等は其々(そこそこ)に有る尼共也。『花を摘みて佛に奉らむ』と思ひて、朋(とも)なひて入りたりつるが、道を踏み違(たが)へて、可出(いづべ)き樣(やう)も不思(おぼえ)で有りつる程に、茸(たけ)の有りつるを見付けて、物の欲(ほ)しきままに、『此れを取りて食ひたらむ、醉(ゑ)ひやせむずらむ』とは思ひ乍ら、『餓ゑて死なむよりは、去來(いざ)、此れ取りて食はむ』と思ひて、其れを取りて、燒きて食ひつるに、極じく甘(むま)かりつれば、『賢(かしこ)き事也』と思ひて食ひつるより、只、此(か)く心ならず被舞(まはる)る也。心にも、『糸(いと)怪しき事かな』とは思へども、糸怪しくなむ。」

と云ふに、木伐人共、此れを聞きて奇異(あさま)しく思ふ事、限り無し。

 然(さ)て、木人(きこり)共も、極く物の欲しかりければ、尼共の食ひ殘して、取りて多く持ちける其の茸(たけ)を、

「死なむよりは、去來(いざ)、此の茸(たけ)乞ひて食はむ。」

と思ひて、乞ひて食ひける後(のち)より、亦、木伐人(きこりびと)共も、心ならず被舞(まはれ)けり。然(しか)れば、尼共も木伐人共も、互ひに舞ひつゝなむ咲わら)ひける。然(さ)て、暫く有りければ、醉(ゑひ)の悟(さ)めたるが如くして、道も不思(おぼえ)で、各々(おのおの)返りにけり。其れより後(のち)、此の茸(たけ)をば、舞茸(まひ)と云ふ也けり。

 此れを思ふに、極めて怪しき事也。近來(このごろ)も、其の舞茸、有れども、此れを食ふ人、必ず不舞(まは)ず。此れ、極めて不審(いぶか)しき事也、となむ語り傳へたるとや。

   *

「舞ひ乙(かな)で」は、これで「舞い踊りながら」の意。「其々(そこそこ)に有る」は「どこそこに住む」で固有名詞を伏せた謂い。「賢(かしこ)き事也」は「上手いことやったわ! 大当たりじゃない!」の意。「心にも、『糸(いと)怪しき事かな』とは思へども、糸怪しくなむ」こういうダブりは「今昔物語集」ではしんしば見られるが、ここは直接話法内のそれであることから、彼らが毒茸に中たって朦朧とし、言っていることがおかしいさまをリアルに描出しているように私には思われて面白いところである。因みに、我々が現行で「舞茸」と呼称し、食用としているそれは、

菌界担子菌門菌蕈亜門真正担子菌綱タマチョレイタケ目トンビマイタケ科マイタケ属マイタケGrifola frondosa

であるが、同種は無毒で(但し、生食による食中毒を起こす場合はあり、血糖値や血圧への作用が認められるという)、ここで彼らが食したものは全くの別種である。ウィキの「マイタケ」ではまさにこの話を採り上げて、『「今昔物語集」にはキノコを食べて一時的な精神異常を来して舞い踊った人々が出た事からそのキノコを舞茸と呼んだとの記事が見られるが、これは今日言われるところのマイタケではなく、フウセンタケ科のオオワライタケやシロシビンを成分に持つオキナタケ科のワライタケ、ヒカゲタケなどの幻覚性キノコであろうと考えられている。『今昔物語集』においても「今日のマイタケではそういう事は起こらない」と記しており、物語中のマイタケと今日のマイタケが混同されている』と解説している。ここに挙げられている種は、

真正担子菌綱ハラタケ目フウセンタケ科チャツムタケ属オオワライタケ Gymnopilus junoniusウィキの「オオワライタケ」によれば、『食べると幻覚作用があり、神経が異常に刺激され非常に苦しいというが、致命的ではない』。食後五分から十分ほどで眩暈・寒気・悪寒・ふるえなどの『神経症状が出現し、多量に摂取すると幻覚、幻聴、異常な興奮、狂騒などの症状が出る。また顔面神経も刺激され、顔が引きつって笑っているように見えるという。欠片を一かじりして吐き出しただけで腕が腫れる事があるという。水にさらし、苦味を抜いて食べる地域もあるが、安易に真似するべきではない』とある)

ハラタケ目ハラタケ亜目オキナタケ科オキナタケ科ヒカゲタケ属ワライタケ Panaeolus papilionaceus(食後三十分から『一時間ほどで色彩豊かな強い幻覚症状が現れ、正常な思考が出来なくなり、意味もなく大笑いをしたり、いきなり衣服を脱いで裸踊りをしたりと逸脱した行為をするようになってしまう』。大正六(一九一七)年に『石川県で起きた、本菌による中毒事件がきっかけでワライタケと言う名がついた。毒性はさほど強くないので、誤食しても体内で毒が分解されるにつれ症状は消失する』とウィキの「ワライタケにある)

なお、挙げられてあるヒカゲタケ(Panaeolus sphinctrinus)は生息環境の違いによって外見が変異しているだけで現在はワライタケと同種と考えられている。]

 江戸時代の話にもいろいろあるけれど、かういふ縹渺たる趣のものは少い。「耳囊」に或家の下男が急に笑ひ出したが、面白くて笑ふ風にも見えぬ。醫師に見せたら、中毒といふ診斷である。楓の根に生えた茸を料理して食べたことがわかり、土を湯に溶かして飮ませたので、毒物を悉く吐き出し、二三日たつて快癒した。楓に生ずる茸を笑ひ耳と称し、これを食べた者が故なくして笑ふことは、「閑田次筆」にも記されてゐる。

[やぶちゃん注:「縹渺」「へうべう(ひょうびょう)」と読み、原義は「広く果てしないさま」或いは「幽かではっきりとしないさま」であるが、ここは一種の、山中に躍り狂う尼僧と樵りという、一見、夢幻的で風狂的な趣きを指してかく言っている。

 以上は「耳囊 卷之三 楓茸喰ふべからざる事」である。私の電子化訳注附きで御賞味あれかし。「閑田次筆」のそれは直ぐには見出せなかった。発見し次第、追記する。]

 寛延四年四月頃、常陸國眞壁郡野爪村の者が、楢茸の大きさ四寸ぐらゐのを得て、四五人で吸物にし、一杯飮まうといふところへ、不二澤幸伯といふ醫者が來合せた。幸伯がその座に就くと、腰の巾著に入れて置いた三角の銀杏が發止とばかり割れた。三角銀杏は醫者の異名になるくらゐで、昔から消毒のものと云はれてゐる。今これが自然に割れたのは只事でない、殊に茸はあまり好物でないから、酒ばかりいたゞきませう、と云つて一二獻の後立ち去つた。ほどなくその家から急病の使が來たので、幸伯が早速駈け付けると、亭主と客一人は即死、あとの三人は腹が太鼓のやうに脹つて苦しんでゐる。治療を加へて幸ひに癒えたと「道聽塗説」にある。

[やぶちゃん注:「寛延四年」一七五一年。

「常陸國眞壁郡野爪村」現在の茨城県結城郡八千代町(やちよまち)野爪(のつめ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「巾著」「きんちやく(きんちゃく)」財布。

「發止」「はつし」。オノマトペイア(擬音語)。

「道聽塗説」(現代仮名遣「どうちょうとせつ」)は江戸後期の越前鯖江藩士で儒者の大郷信斎(おおごうしんさい 明和九(一七七二)年~天保一五(一八四四)年)の随筆。私は所持しないが、これは同書の「第二編」の「木子(きのこ)の毒可ㇾ畏(おそるべし)」である。国立国会図書館デジタルコレクションの画像ので視認出来る。なお、書名は「論語」の「陽貨篇」に基づく自己韜晦的題名。原典では「子曰。道聽而塗説。德之棄也。」(子曰く、道(みち)に聽きて塗(みち)に説(と)くは、德を、之れ、棄(す)つるなり。)とあり、この四字熟語は「根拠なき伝聞」・「受け売り」の意である。]

「蟄居紀談」は伊勢の祠官にして醫を兼ねた河崎延貞の著である。貞享二年九月九日、漆工半兵衞の子嘉兵衞なる者、松林から採つて來た茸を食つたところ、全家悉く泥醉したやうな狀態になり、身を悶えて呻吟しはじめた。鄰家の者が延貞の門を敲いて知らせたので、直ぐ行つて見ると、半兵衞夫婦と娘とは伏醉して死せるが如く、嘉兵衞は惡鬼にでも憑かれたやうにわめいてゐる。神仙解毒丸を飮ませたら、夜明けに三人は醒め、嘉兵衞は癡人のやうになつてゐたが、日を經て囘復した。「雜菌大毒あり。畏るべし、戒むべし」と著者は職業柄注意を與へてゐる。

[やぶちゃん注:「蟄居紀談」の下巻の「中雜菌毒」(「雜菌(ざふたけ)の毒に中(あた)る」と読むか)である。私は所持しないが、国立国会図書館デジタルコレクションの画像ので視認出来る。

「貞享二年」一六八五年。]

 茸そのものが陰濕の氣を享けてゐる上に、出るのも出るのも中毒談では、陰氣なことおびたゞしい。

「稽神錄」に普請をする家があつて、黃姑茸を煮て職人に食べさせることにした。時に屋上に在つて瓦を葺く者が、ふと下を見れば、廚には誰も居らず、釜の中で何かぐつぐつ煮えてゐる。忽ち裸の子供がどこからか現れて、釜を繞つて走つてゐたが、身を躍らして釜中に沒した。やがて主人が運んで來たのは茸の料理である。屋根屋ひとり食はず、他人に話もしなかつたが、食べた連中は皆死んだ。釜に飛び込んだ裸身の小兒は茸の精であるかどうか。同じ中毒談でも、こゝまで來れば明かに妖異の域に入る。三角銀杏が發止と割れる程度の話では、あまり距離があり過ぎる。

[やぶちゃん注:この段落は前の段落と繋がっている可能性もあるが、私の判断で独立させた。

「稽神錄」北宋の徐鉉(じょげん)著になる志怪小説集。

「黃姑茸」現代仮名遣で「おうこじ」と読んでおくが、原文では「黃姑蕈」でこれだと「おうこじん」である。種同定不能。識者の御教授を乞う。

 以上は「稽神錄」の「卷六」の掉尾にある「豫章人」。中文ウィキソース原文を加工して示す。

   *

豫章人好食蕈、有黃姑蕈者、尤爲美味。有民家治舍、烹此蕈以食工人。工人有登廚屋施瓦者、下視無人、惟釜中煮物、以盆覆之、俄有一小鬼倮身繞釜而走、倏忽投於釜中。頃之、主人設蕈、工人獨不食、亦不言其故、既暮、其食蕈者皆卒。

   *

 

 以上でパート「Ⅱ」は終わっている。]

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