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2017/02/28

柴田宵曲 妖異博物館 「形なき妖」

 

 形なき妖

 

 鯉川といふところに住む貧乏人の夫婦の家に、何威からともなく聲が聞えて來る。形は少しも見えぬので、はじめは恐れて居つたけれど、後には馴れて話をするやうになつた。食物なども夫婦が食べたいといふ物が、何でもその家の中に出て來る。同時に近所の家では、いろいろな食物が見えなくなるので、これは狐狸の仕業だらうといふことになつた。その聲に向つて將來の事を問へば、吉凶悉く答へるのが少しも違はぬ。錢とか米とかを持つて來て、その占ひを問ふ人もあり、中にはその聲を怪しとして、正體を見顯はさうとする人もある。形は無論見えず、捻ぢ合つて角力を取る體であつたが、なかなか力が強く、人に負けることはなかつた。正體は何ともわからぬうちに、いつとなくこの怪は止んでしまつた。寶曆七年の事である(譚海)。

[やぶちゃん注:私の電子化注「譚海 卷之二 同領地十二所の人家に錢をふらす事」を参照されたい。]

 これは全然形がないのだから、捕捉することは出來ぬが、狐狸の類が人に饗應する場合、附近の品物がなくなる例はよくある。狐狸の仕業だらうといふ判斷は、あたつてゐるかも知れぬ。

「新著聞集」にある妖は、形が全然ないこともなく、さうかと云つて正體をしかと摑むことも出來ぬ、不思議なものであつた。延寶六年の冬、薩州の家中の竹内市助なる者が、夜更けてひとり歸つて來ると、向うから貝を吹いて來る者があり、それが額當つたと思ふ途端に、自分はうしろに倒れて居つた。別に身體が痛むこともないので、そのまゝ歩いて行つたところ、また同じやうに貝を吹いて來る。今度は刀を拔いて額に當てたら、刀に恐れたと見えて、脇へ外れて過つて行つた。市助は無事に歸宅して、伯父にその話をすると、そんな事に遭つた時は、もう一度行く方がいゝさうすれば後に災ひはないと聞いてゐる、と伯母が云ふので、今來た道を取つて返した。果して何事もなかつたが、慥かに步いて行つたことを證明するため、知合ひの門を敲き、夜更けて甚だ恐縮であるが、斯く斯くの次第で參つた、と云ひ捨てて歸つた。

[やぶちゃん注:「延寶六年」一六七八年。]

 

 この時の妖は殆ど形なきに近い。額に當つて倒れたのを見れば、何かの形を具へてゐたに相違ないが、捕捉し得なかつたものであらう。然るに翌年の春になつて、市助が江戸參觀の用意をしてゐた頃、一夜友達が大勢集まり、十時頃に皆歸つて行つた。市助心寂しく坐つてゐると、半分ほど明いてゐた座敷の戸の間から、顏の長さ三尺ばかりもある大坊主が顏を出した。何者だと脇差を拔いて飛びかゝるところを、箕のやうな大きな手で肩をひしと摑まれた。屈せず疊みかけて斬つたが、何だか手應へなく、綿でも切るやうで、搔き消すやうに失せてしまつた。貝を吹きながら步いて來た妖と、戸の間から顏を出した異物とは、同じであるかどうかわからない。前のは額に當つても形が見えず、後のは形を現してゐるのに、たゝみかけて斬つても手應へがないのだから、先づ似たものであらう。顏の長い大坊主や、箕のやうな大きな手は、狐狸の惡戲を思はせる。

[やぶちゃん注:以上は、「新著聞集」の「第十 奇怪篇」の「形(かた)ち有(あ)り體(てい)なき妖者(えうしや)」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。柴田は変事への対応を答えたのを「伯父」とするが、原典はその妻らしき「伯母」である。一部にオリジナルに推定で歴史的仮名遣で読みを附した。

   *

   ○形ち有り體なき妖者

薩州の家中の竹内市助といふ者、延寶六年の冬、夜ふけて、他所(よそ)より歸りしに、向ふより貝をふく音して來り、額(ぬか)にあたると覺えしに。アツトいふて後(うしろ)へ倒れしかど、さのみ痛む事もなかりし。訝(いぶか)りて行くに、又同じ樣にて來れり。頓(やが)て刀をぬき額にあてしかば、刀にや恐れけん。脇へそれて通り、恙なく宅に歸り、伯父なりし者にかくとかたれば、伯母、さある事に逢(あひ)ては、今一度ゆかれよ。後に災なき物と傳へ聞(きき)たりと有れば、頓(やが)て取(とり)て返しける印(しるし)にとて、しれる者の門を敲(たた)き、夜(よ)更(ふけ)ぬれど、かゝる事有(あり)て來りしと、證據にして歸りぬ。扨(さて)翌年の春、江戸參觀の用意せし比(ころ)、友多く來り、亥の刻ばかりに歸れる跡、淋しく居(をり)けるに、座敷の戸、半ば明(あき)てありしが、面(おもて)三尺ばかりの大法師(だいはうし)、さしのぞきしを、何物ぞとて脇指(わきざし)をぬき飛かゝる處に、箕(み)のごとくなる大手をのべて、肩をひしと摑(つまみ)しかど、事ともせず、たゝみかけ截(きり)けるに、何共(なんとも)、正體(しやうたい)なく、綿(わた)など切る樣(やう)に覺えし。妖者しとめたりと聲を立(たて)しかど、かの者、かきけす樣にうせしとなん。

   *]

 橘南溪が「東遊記」に書いたのは聲だけの妖である。越前國鯖江に近い新庄村の百姓家で、床下に聲あつて人の口眞似をする。家の者が驚いて床板を剝がして見たが、そこには何も居らず、床を塞いで話し出せば、また床の下で口眞似をするのである。村中の評判になつて、若い者が大勢集まり、いろいろ話をしてゐるのを悉く眞似る。上からお前は古狸だらうと云ふと、狸ではないと云ふ。それなら狐だらうと云へば、狐でもないと云ふ。猫かと云つても、さうではないと云ふ。面白がつて鼬、河太郎、獺、土鼠など、口から出まかせに竝べて見たが、聲はいづれもこれを否定した。最後に、お前はぼた餠だらうと云つた時、成程ぼた餠だと云つたところから、遂にぼた餠化物と異名して大評判になつた。この事が城下に聞えて、吟味の役人が大勢乘り込んで來たが、その時は一晩中待つても何も云はぬ。役人が歸ると、翌晩からもとの通りになる。役人は何度か來たが、その晩は一度もものを云はなかつた。已むを得ず、そのまゝ捨て置くうちに、一月ばかりで何の聲も聞えなくなつた。この話などはあらゆる妖異譚の中で、最も明るい、愛すべきものの一つであらう。

[やぶちゃん注:「鯖江に近い新庄村」現在の福井県鯖江市の南直近にある福井県越前市北町の新庄地区であろう。(グーグル・マップ・データ)。

 以上は「東遊記」の「後編 卷之五」の「六九 床下の聲」である。平凡社東洋文庫版のそれを示す。底本は新字の上に現代仮名遣に変換した実に気持ちの悪いものであるが、ここででも使わないと使い道がない。致し方ない。お許しあれ。

   *

  六九 床下の声

 越前国鯖江の近辺新庄村に、百姓の家の下にて、何物か声ありて人のいうことの口まねす。家内の男女大いに驚き、急に床板を引明けて見るに、何事も見えず。又床をふさぎ、人人物いう時は何事にても床の下より口まねす。後には村中の沙汰となり、若き者共毎夜大勢来り集り、色々の事をいうに、皆々床の下にても口まねす。上より「己は古狸なるべし」といえば、「狸にはあらず」という。「然らば狐なるべし」というに、「狐にもあらず」という。「描か」というに、「然らず」という。鼬(いたち)、河太郎(かわたろう)、獺(かわうそ)、鼴鼠(うごろもち[やぶちゃん注:モグラ。])など色々の名を出ずるに任せて問うに、「いずれにもあらず」と答う。「然らばおのれはぼた餅(もち)なるべし」といいしに、「なる程ぼた餅なり」という。それよりぼた餅化物(ばけもの)と異名して、其近辺(きんぺん)大評判に成れり。こころ

 此事城下に聞こえければ、奇怪(きかい)のことなりとて吟味の役人大勢来り、一夜此家に居て試(こころ)むるに何の声もせず。役人帰れば、其翌夜(よくや)は又声ありていろいろの事をいう。其後も毎度役人来たりしかど、其来たれる夜は壱度も物を云わず。故にせんかたなくて共ままに打捨(うちす)て置きしが、一月ばかりして其後は何の声もなく、怪事(かいじ)は止みにけり。何の所為(しょい)ということも知れず、いかにしてやみたりということも無くて、おのずから終りぬ。

   *

私は思うに、この家の家族の子どもの中には、高い確率で未婚の思春期の少女がいると思う。洋の東西を問わず、こうした目に見えない声だけ、或いは、突如、石が屋根の上や室内に投げられる、投げたような音がする天狗礫(てんぐつぶて)などの疑似心霊現象は、その多くがそうした精神的に不安定な時期の少女が意識的に行っていたという事実がよく知られているからである。吟味の役人が大勢来た碑時には、どう考えても子らは邪魔だから、近所の知れた者のところに預からせたのに違いない。だから怪異は起りようがなかったのである。]

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