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2017/02/09

小穴隆一「鯨のお詣り」(30) 「二つの繪」(19)「帝國ホテル 2」

 

        帝國ホテル 2

 

[やぶちゃん注:以下は「二つの繪」の「帝國ホテル」(前の「帝國ホテル 1」とカップリングしたもの)の部分原型。]

 

 ――床のなかで義足を外(はづ)して橫を見た時は、睡眠藥をのんでむかふ向きに橫たはつた彼を毛布の下に見た。しかし自分は、眠つてしまつた二人と目の覺めた二人との間に、時間が如何程あつかを知らないのだ。

[やぶちゃん注:太字「むかふ」は底本では傍点「ヽ」。]

「おはいり。」でボーイが這入(はい)つてきた。朝だ。といふ氣が急に自分にした。ボーイは見慣れざる客、僕を見たやうではある。彼は小聲で、「僕は食堂に出る着物ぢやないんだ。」と言つた。父が何年か着古した服を着た自分は、夜でなければ堂々と室外に出てゆけぬのが息苦しかつた。そのうちに晝食(ちうぢき)か、朝餐(てうさん)か、彼の賴んでしまつた物をボーイは持つてきてしまつた。

 ――今日も亦逃(のが)れられぬ自分ではある。窓の外の向側(むかうがは)の建築物には陽があたつてゐた

 金目(かねめ)かは知らぬが薄暗い部屋でカフエをすすりながら、

「あの部屋ではもう、阿部章藏が僕等がここにかうしてゐる事を何も知らず働いてゐるだらう。」

 と彼は僕に言掛(いひか)けてきた。

 ――重苦しい數分の時刻を置いて、數時間の後(のち)に、前夜の彼の夫人が再び室(へや)に現はれるまでの彼は、日本の文壇を根本的に批評していくには、如何(どう)しても日本にゐては自分には出來ない。巴里(パリー)の魔窟(まくつ)のなかに暮してでなければ駄目だ、と言ふに始まつて(この言葉は當時の、饒舌錄(ぜうぜつろく)による谷崎潤一郎との間の論戰に依るものか、但し、その論戰? は僕には、單に彼が谷崎との舊交の思出(おもひで)に住み、さうして戲れてゐたとしか思へない。又、巴里(パリー)の魔窟に住むといふことは、幾度か彼の口から出た言葉である。彼の空想するその魔窟は、彼の顏を寫眞になどはしない國で、彼は無賴(ぶらい)の徒の間(あひだ)に伍(ご)して暮し、さうして弱いその自身の性格をくろがねの如く丈夫にしたいと思つたその魔窟である。加ふるに小説家は廢業してボヘミアンの洋畫家志望でもあつた。)谷崎潤一郎は今日では既に駑馬(どば)として終り、佐藤春夫はこれ亦過渡期の人間である。自分も顧みれば既に過渡期の人として過ぎてきた。自分の仕事といふものは既に行きづまつてしまつた。自分は仕事の上では今日(こんにち)までは如何なる人々をも恐れてはゐなかつた。さうしてやつてきた。智惠では決して人に負けないと信じてきてゐたが、こゝに唯一人自分にとつて恐るべきは志賀直哉の存在だ。恐るべき存在は志賀直哉であつた。志賀直哉一人だ。志賀直哉の藝術といふものは、これは智惠とかなんとかいふものではなく天衣無縫の藝術である。自分は天下唯一人志賀直哉に立向(たちむか)ふ時だけは全く息が切れる。生涯の自分の仕事もただ一人志賀直哉の仕事には全くかなはない、等々(とうとう)。坐作(ゐずまひ)正して案然(あんぜん)たるかと思へば、曾ては座かたへの雜誌をとつて、「この小説の冒頭の會話だけでも、既に僕らにはかういふ新時代の會話が書けない。」と僕に對(むか)つて賞(しやう)してゐたその作者佐佐木茂索の、物書かずして朽(く)つるを嘆き且つ嘆くところがあつた。――

[やぶちゃん注:「案然」はママ。「二つの繪」の「帝國ホテル」では『暗然』となっている。

「前夜の彼の夫人が再び室に現はれるまで」既に「二つの繪」版で注したが、再掲しておくと、宮坂年譜によれば、この昭和二(一九二七)年四月八日は長男比呂志の小学校の始業式(二年のそれ)で、文はそれに出席した後に帝国ホテルに龍之介を迎えに来ている。但し、宮坂年譜はこれに続けて、この日、平松麻素子の私淑していた歌人『柳原白蓮のとりなしにより、星ケ岡茶寮で』、『麻素子、白蓮と昼食をとることになっていたため、文も誘ったが、』文は行かなかったというのが事実である。]

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