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2017/02/08

小穴隆一「鯨のお詣り」(28) 「二つの繪」(17)「帝國ホテル 1」

 

     帝國ホテル 1

 

[やぶちゃん注:以下は「二つの繪」の「帝國ホテル」の部分原型。続きの「帝國ホテル 2」た次の「M女」を挟んで存在する。]

 

「どうも樣子が變です。」

 春の一日(にち)、下宿の早い夕飯を喰べ終るところに、一人で廊下に立つてゐる芥川夫人をみた。

「夕方、何處に行くとも言はずにぶらつと出掛けて行つたのですが、どこに行つたのかわからないのです。」

 少し急込(せきこ)みがちに言ひながら夫人が坐つた。

「まあ、」

 自分が膳をさげさせようとしたその時、開(あ)いてゐた入口(いりぐち)の障子のところにM(女(ぢよ))の顏がのぞいた。

[やぶちゃん注:「M(女)」平松麻素子。「二つの繪」版では『麻素子さん』と伏字が解かれている。以下、同。]

「まあ、」

「いまお宅に上(あが)らうと思つてゐたのですが。」

「わたしもいまお宅に上らうと思つてゐたところなんです。」

 二人の婦人の間の應對を、應接しなければならなくなつた自分は言葉を差控へて樣子を待つた。しかし座の空氣は急に三人の神經は、「何處に行つたんだか解らないんですよ。」の以外に動けなく、

「心當りもありますから搜しに出かけてみませう。」と言つた僕に、

「ではどうかよろしく。」と言つて夫人は歸つて行つた。

 

 Mと自分は一緒に夫人に一ト足後れて下宿を出た。

 雨はあがつたのか降つたゐたのか、Mは傘を持つてゐた。さうして十五六間程步いてゐるうちに、芥川夫人にはたゞ一人の友達である立場、その芥川夫人の夫(をつと)たる芥川龍之介に對する困惑の心地、等々(とうとう)の苦しい彼女の現在のの心は、理解できるであらうかと僕に言出(いひだ)した。(その時、自分は斯(か)く答下手と記憶する。「あなたでなくともどの婦人にでも取縋(とりすが)らうとするのが、今日(こんにち)の芥川龍之介ではなからうか。」)

 ――が斯くはあらんと考へてゐた話のうちに、田端の驛、芥川家、どちらへも目の前の距離である坂路(さかみち)の中途に出た。

「あなたは、」

近くの家に、多分歸るのであらうと考へた自分は、Mに言つた。

「わたし‥‥」立止つたMは、

「わたしも今日は有樂町の家に行きます。」と言つた。

 立止まつてゐた二人は再び竝んで步いた。

 

 驛に下りる石段の近く、霞に烟(けむ)る三河島(かはしま)の一帶、(數ケ月後に、死體となつた彼の火葬場の烟突(えんとつ)が三本見える。)淺草方面のほんのりと見える灯(ひ)、それに顏を曝して心當(こゝろあ)てにした淺草の待合(まちあひ)、帝國ホテル、(二ケ所とも彼が原稿を書きに行つてゐたことがある湯故、)鎌倉、何(いづ)れかその一つの場所に於いて、必ずや彼を捉らへ得るの自信は持つても、十二時迄の時間は限つて考へる必要がある危險な彼を、短時間に、足の惡(わ)るい自分が、果して追込(おひこ)んで堰止(せきと)められるものか、間に合ふの自信も無い自分に、

「先(さ)つき文子さんの前では言へなかつたのですが、芥川さんの行つた先、ほんとはわたしが知つてゐるのです。――」

 と、いふ言葉をかけた存外なるMを知り、それに縋つて、省線で有樂町まで彼女と同行した。

 言葉を弄さずして、確實なる彼の居場所を知つてしまつた自分に、彼女に言はすならば心苦しい氣持を、復た車内で説明してゐたMと有樂町で降りた。

 有樂町で、の家に歸らずに、再び案内をして先に立つ彼女を自分は認めた。

 われわれはホテルまで步いた。――正面の入口(いりぐち)からでなく、側面の小さい出入口をえらんで自分を導き入れたMを、少々疑はしい女(もの)にも思ひながら(彼は説明して、彼女の父がホテルの支配人とは知合(しりあ)ひであると言つてゐた。)帳場(ちやうば)に出た時、自分は進んで芥川龍之介を問うた。果然、彼はホテルに居たのである。

 が、果然、「先ほどお見えになりまして、また、どちらかへお出掛けになりました。」である。「お歸りになるにはなります。」である。――Mを信じてホテルを自分は出た。

 Mは彼と一緒に死にはしない。時間は大丈夫。と考へ自分は、そこらで時間をつぶしませう、と彼女と二人戸外(そと)に出た。Mかうやつて自分と步いゐる。彼は何時間經過すれば、Mと死ぬつもりで復たホテルに戾るか。少し步いてゐるうちに見越しのついた事件は、僕は一先(ま)づ田端へ知らせに行くがあなたは、と、ホテルの近邊と聞いてゐた彼女の兩親の家をも考へる餘裕をあらしめた。

「それぢやあ、わたしも一緒にまゐりませう。」

 急に彼女も亦、僕と一緒で田端に逆戾りした。

 夫人、伯母、養母、葛卷義敏の顏を、芥川の門を潛つて、彼の家の玄關に上つた自分は(Mも同樣)見た。さうして人々よりも速く、一步先に階段を昇(のぼ)つて行つた。二階の自分は、書齋の机の上に、袋に部厚(ぶあつ)な原稿がはいつた物を、ただそれだけがのつてゐたその机に注目した。

(芥川夫人は忙(せは)しく書齋の隅々に目をつけてゐたやうであつた。といふのは、彼は常に遺書樣(やう)の物を書いてゐて、夫人に言はせれば、やたらそこらへんに置いてをくので、どうも女中達が掃除の時に讀んでしまつてゐるらしく、ほんとに困つてしまふんです。といつたやうに、彼が左樣な物を書物の間(あひだ)に挾むとか、道具の蔭に隱しておくなぞはよくあつた事であるから。)

[やぶちゃん注:「置いてをく」はママ。]

 机の上の囊、ハトロン封筒の表に、小穴隆一君へ、として意外な彼のその文字を見て見た中は、「或阿呆の一生」の原稿だけであつた。

(「或阿呆の一生」に就いては、僕はこの原稿を發表する可否は勿論、發表する時や機關も君に一任したいと思つてゐる。君はこの原稿の中に出て來る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は發表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。僕は今最も不幸な幸福の中に暮してゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯、僕の如き惡夫(あくふ)、惡子(あくし)、惡親(あくしん)をもつたものたちを如何(いか)にも氣の毒に感じてゐる。ではさやうなら。僕はこの原稿の中で少(すくな)くとも意識的には自己辯護をしなかつたつもりだ。最後に僕のこの原稿を特に君に托(たく)するのは君の恐らくは誰(だれ)よりも僕を知つてゐると思ふからだ。(都會人と言ふ僕の皮を剝ぎさへすれば)どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑つてくれ給へ。昭和二年六月二十日 芥川龍之介 久米正雄君 の手紙? に依つても人々が記憶してかゐやう。註を入れたのは、闇中問答の原稿を葛卷に與へてゐたと同一の目的で、僕に或阿呆の一生の原稿を殘さうとしてゐた彼示すがためである。「最後の會話」の章參照)

[やぶちゃん注:太字「意識的」は底本では傍点「ヽ」。「最後の會話」は、この七つ後に出る章題。]

 夫人とM、自分の三人だけがゐた書齋で、M彼女を傍らに、夫人に、

「帝國ホテルに宿をとつてゐる事。十二時頃(ごろ)ホテルに歸つて何か書置(かきお)きを書くとして、二時頃(ごろ)の決行。この推察に誤りはなきこと。時間は未(ま)だ間に合ふ點。さうして、彼の身を本當に不安に考へてゐるのならば、亭主が自分のものだと思ふのなら、兎に角ホテルへ自分とまた一緒に行つてみないか。」

 等、Mを前にしては兎に角自分のものと思ふのならばの、ば、に力を入れて自分は説(と)いた。

[やぶちゃん注:「M彼女」はママ。「M女」の衍字か。]

(彼は後に僕を叱つて曰く。「女房にでも自分のものだと、さういつた考へを持たれて生きてゐるのは、自分はいやなんだ。)

[やぶちゃん注:末尾の丸括弧閉じるは底本にはないが、前の丸括弧開始に対応しないので特異的に挿入した。

 が、夫人は返事をしない。

 腹はわかりながらも夫人が逡巡してゐる態度は、寧ろ老人達に對する腹立ちを自分に持たせた。(芥川家の家風は、例へて云へば、鵠沼にゐて、子供の着物を買ひに行くが、一緒に散步に行かないか、と誘ふ彼が、「東京だと年寄がやかましくて、女中に遣る盆暮(ぼんくれ)の安反物(やすたんもの)さへなかなかの面倒だ。」と言つてゐた如き、當世風(ふう)とは異なるものであつた。)

 葛卷と三人で行く事を自分は主張した。その時はじめて夫人は口をきつた。

「では、下で年寄達がなんと申しますか、一應年寄にたづねてみます。」

 ‥‥遂に夫人、葛卷、僕の三人は、坂を下つて動坂(どうざか)の電車通(どほ)りへタクシを拾ひに出た。

 Mは近くの彼女の兄の家に泊つた。

 街も既に寢靜つてゐた。

 

 ××號室、3の字があつた室であつた。

「おはいり。」

 大きな聲ではつきり怒鳴つた者は彼である。

 ドアを開けて、寢臺の上に一人ふてくされてゐる彼をわれわれは見た。

「何んだ、お前まで來たのか、歸れ!」

 三人が三人共まだ全部室のなかに入らないうちである。「おはいり。」よりも大きい聲で彼が葛卷に言つた。

「歸れといふなら歸りますよ。」

「そんなら、なぜまた自分がこんな人騷がせをするんです。」

 込上(こみあ)げて泣きだしながらも怒鳴り返してゐた廊下の葛卷は一步足を部屋に踏入(ふみい)れただけで復(また)、田端に引返して行つた。

 

 彼と芥川夫人、僕、の三人になつた。

Mは死ぬのが怖くなつたのだ。約束を破つたのは死ぬのが怖くなつたのだ。」

 仰向けになりながら、依然たる寢臺の彼は怒鳴る調子で起上(おきあが)つた。

 

(一寸、舞臺面(めん)を眺めてゐるやうな思出(おもひで)でもある。)

 夜中の事であるから夫人が泊つてゆくか、部屋に寢臺は二つなのでまた歸るか、自分が歸るか、また自分が別の部屋をとるか、三人の心も定まらぬ時、

「わたくしは歸ります。」

 斯(か)う言つて夫人が、――また一人夫人が消えた。

 

 二人になつた自分と彼、ただ眠い自分であつた。無性に水が飮みたい自分であつた。空いてゐるはうの寢臺に橫たはり、義足をはづして仰向けに自分もなつた時、(スチームが強かつた。)毒が入つてゐて彼同樣明朝は冷たい自分であらうとも、枕もとの水壜(すゐびん)の水はごくんと音をたてて喉(のど)にはいつた。‥‥

 

「もつと早くホテルに來て早く死んでしまふつもりであつたが、家を出る時堀辰雄が來て、いま東京中(ぢう)を自動車で乘廻(のりまは)す小説を書いてゐるのだが、金がなくて車を乘廻せないと言つてゐたから、ついでだから一緒に東京中乘廻してゐて遲くなつた。」

「眠れないなら藥をやらうか。」

 この言葉だけがうとうととした自分の耳についてゐた。

 

 自分がここに彼のために辯護をするならば、彼が死場所(しにばしよ)としては華美なる帝國ホテルを選んでゐた一事(じ)である。

 彼は、――ホテルには種々の國際的人物が宿泊する關係上、間(ま)ま自殺者ありとするとも、‥‥‥‥關係者側からの又聞(またぎ)きで聞きで聞いてゐた。――それ以外の理由は知らぬ事である。

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