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2017/02/10

柴田宵曲 妖異博物館 「守宮の釘」

 

 守宮の釘

 

 寶暦十二年の春、遠江國金谷に住む橫山某の家で、壁の雨除の板が朽ち損じたのを取替へようとすると、その下から釘に貫かれた守宮(やもり)が現れた。これは二十五年前にこゝを修覆した際、釘を打たれたので、その疵は癒えながらも、くるくる𢌞るばかりで、逃げられなかつたものとわかつた。それにしても二十五年の永い間、どうして生きて居つたらうと、人々不審に思つたが、よくよく見れば、壁に行き通つた道らしい一筋の跡がある。守宮は雄か雌かわからぬけれど、雌雄のいづれかが、その間食物を運んでゐたものの如くであつた(煙霞綺談)。

[やぶちゃん注:「寶暦十二年」一七六二年。

「遠江國金谷」東海道五十三次二十四番目の遠江国最東端の宿場金谷(かなや)宿。現在の静岡県島田市金谷。

「二十五年前」江戸時代は経過年数も数えで計算するから一七三六年で元文元年に当る。

「煙霞綺談」は西村白烏(はくう)が本書を校閲している林自見の「市井雜談」の続篇として偏した俗話集で自序に明和七(一七七〇)年とクレジットする。以上は同書の「卷之一」に載る「守宮蟲喰物を運ぶ」

(*附注:「守宮蟲」には「ゐもりむし」のルビがある驚くべきことに、生息環境の全く異なる守宮(やもり:爬虫綱有鱗目トカゲ亜目ヤモリ下目ヤモリ科ヤモリ亜科ヤモリ属ニホンヤモリ Gekko japonicus)と井守(いもり:概ね、両生綱有尾目イモリ亜目イモリ科イモリ属アカハライモリ Cynops pyrrhogaster を指すことが多い)は、形状の近似性(私は全くにていないと思うが)から、江戸時代にはは混同されて呼称されていた。これは強壮・媚薬や不義判定の妙薬或いは実際の漢方生薬として乾燥したそれらが一緒くたにされて認識されていたことや、「井守」の表記が「居守」にずらされたこと等によるものではなかろうか、と私は考えている。

である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。歴史的仮名遣で読みをオリジナル(但し、底本にある「いもりむし」の箇所は正しく「やもりむし」と振った)に附した。「行通(ゆきかよ)う」の「う」はママ。

   *

寶曆十二年の春、遠江金谷の驛横山某が居家の壁に雨除(あめよけ)の板あり。二十五年已然修復せしままなれば餘りに朽損(くちそん)じたれば、是(これ)を取(とり)かへ侍(はべ)る時に、先年此(この)板をうち付けたる時節に通りかかり、釘につらぬかれたると見えて、俗にいふ守宮蟲(やもりむし)眞中(まんなか)を釘にさし通され、其(その)疵(きず)は癒(いえ)て、くるくるまはるばかりにて迯(にぐ)ることもならず、大工も不思議に思ひ、其ゝま人々に知らせたれば、珍らしき事なりとて大勢集(あつま)り是を見る。さるにても廿五年の月日、何としてかかく生ながらへぬらんとよくよく見れば、壁に行通(ゆきかよ)うたる道とおぼしく一筋に跡あり。此雌雄(しゆう)數年の間(あひだ)喰物(くひもの)を運び(くは)喰せたると見へたり。

   *]

 この類の話の古いところは、寛文十年の「醍醐隨筆」に出てゐる。ただそれは守宮でなしに百足であり、釘でなしに針であつた。祈禱の札を針で留める際に、誤つて打付けられたので、その後札を取り拂ふ時になつて年號を見たら、二十何年か經過してゐることがわかつた。如何にして永い間生きながらへたか、その理由は書いてないが、廣い世間の事だから、こんな事も往々あると見える。

[やぶちゃん注:「醍醐隨筆」は京の医師中山三柳が醍醐の里に隠居して綴った随筆で寛文一一(一六七一)年刊。全二巻。私は所持しない。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のの左下末尾から次のページにかけて視認出来る。この話、「閑田耕筆」に引用されているらしいが、発見出来なかった。見つけ次第、追記する。]

 これを小説の世界に持つて來たのが「西鶴諸國はなし」(貞享二年)で、この方は大分怪談がかつてゐる。名月の晩に天井から、手が四つあつて、顏は乙御前(おとごぜ)の黑きが如く、腰は薄平たい、怪しの者が腹這ひになつて、奧樣のあたりへ寄ると見えた。覺えず聲を揚げ、守り刀を持つて參れと云はれたので、御側の者が取りに行く間に、怪しい面影は消ええてしまつた。然るにその夜の夢に、背骨と思ふあたりに、犬釘を打込まれると見て、魂もえるばかりであつたが、御自身には何事もなく、疊に血が流れてゐる。安部左近といふ卜者の説に、この家内に災ひをなす者があるといふことであつたから、三方の壁以外を悉く取り外して見ても何事もない。もう氣がかりの物はこれだけといふ叡山よりの御祈念の札板をおろし、一枚づつ放して見たところ、上から七枚目の下に、長さ九寸ばかりの守宮が、腰骨を金釘に打ち貫かれ、紙のやうに薄くなつて生きてゐた。即座にこれを燒き棄て、その後は何の崇りもなかつた、といふのである。京都の話で、御所方の奧局、忍び返しの損じを直すとか、窓の竹の打替へとかいふ程度の仕事に、男の大工を入れると吟味が面倒なところから、臨時に雇はれる女大工がある。西鶴はそれを用ゐて、「見せぬ所は女大工」といふ標題を置いたのであつた。

[やぶちゃん注:「貞享二年」一六八五年。

「乙御前(おとごぜ)」おかめ・お多福のこと。

「卜者」「ぼくしや」。占い師。

「奧局」「おくつぼね」。屋敷の奥の、主家の妻ら女性が居住するパート。男子の出入りが厳しく制限されるロケーションであることころから、それが標題の「見せぬ所は女大工」となったと柴田は言っているのである。ただ、以下の原文を味わって戴くと判るが、怪異出来(しゅったい)のシークエンスはなかなかいいものの、打ち貫かれた守宮の真相でチョンと鳴るところは、甚だ尻すぼみの感を免れぬ。

 以上は「西鶴諸國はなし」の巻頭を飾る一篇。以下に原典を示す。底本は平成四(一九九二)年明治書院の「決定版 対訳西鶴全集 5」(麻生・富士訳注)の原文部分を用いたが、読みは最小限に留めた(表記は本文も読みもママ)。数箇所に歴史的仮名遣の誤りが認められるが総てそのまま活字化した。底本に載る挿絵も入れておいた。

   *

 

     見せぬ所は女大工

 

Onanadaiku


 道具箱には、錐(きり)・鉋(かんな)・すみ壺・さしがね、㒵(かほ)も三寸の見直し、中びくなる女房、手あしたくましき、大工上手(じやうず)にて、世を渡り、一条小反橋(こぞりばし)に住(すみ)けると也、都は廣く、男の細工人(さいくにん)もあるに、何とて女を雇(やとい)けるぞ」。「されば御所方(ごしよがた)の奥(おく)つぼね、忍び歸(がへ)しのそこね、または窓の竹(たけ)うちかへるなど、すこしの事に、男は吟味もむつかしく、是に仰せ付られける」と也。

 折ふしハ秋もすゑの、女良(じやらう)達案内して、彼(かの)大工を紅葉(もみぢ)の庭にめされて、御寢間(ねま)の袋棚(ふくろだな)、ゑびす大黑殿(だいこくてん)迄、急ひで打(うち)はなせ」と、申わたせば、「いまだ新しき御座敷を、こぼち申御事は」と、尋ね奉れば、「不思議を立るも斷(ことはり)也、すぎにし名月の夜(よ)、更行(ふけゆく)迄、奥にも御機嫌よくおはしまし、御うたゝねの枕ちかく、右丸(みぎまる)・左丸といふ、二人の腰本(こしもと)どもに、琴のつれ引(びき)。此おもしろさ、座中眠(ねぶり)を覺(さま)して、あたりを見れば、天井より四つ手の女、㒵(かほ)は乙御前(おとごぜ)の黑きがごとし。腰うすびらたく、腹這(はらばひ)にして、奥(おく)さまのあたりへ寄(よる)と見へしが、かなしき御聲をあげさせられ『守刀(まもりがたな)を持(もち)て、まいれ』と仰(おゝせ)けるに、おそばに有(あり)し蔵之助とりに立間(ま)に、其面影消(きへ)て、御夢物語のおそろし。我(わが)うしろ骨(ぼね)とおもふ所に、大釘(おほくぎ)をうち込(こむ)と、おぼしめすより、魂(たましゐ)きゆるがごとくならせられしが、されども御身には何の子細もなく、疊には血を流して有しを、祇園に安部の左近といふ、うらなひめして、見せ給ふに、『此家内(やない)に、わざなすしるしの有べし』と、申によつて、残らず改むる也。用捨(やうしや)なく、そこらもうちはづせ」と、三方の壁計(ばかり)になして、なを明(あかり)障子に迄はづしても、何の事もなし。

 「心にか掛る物ハ、是ならでは」と、ゑいざんより御きねんの、札板(ふだいた)おろせば、しばしうごくを見ていづれもおどろき、壱枚づゝはなして見るに、上(うへ)より七枚下に、長(たけ)九寸計(ばかり)の屋守、胴骨(どうぼね)を金釘(かなくぎ)にとぢられ、紙程(ほど)薄(うすく)なりても活(いき)てはたらきしを、其まヽ煙(けぶり)になして、其後(のち)は何のとがめもなし。

   *

底本の注を参考に簡単に語注する。

・「㒵(かほ)も三寸の見直し」諺で、少しの欠点は再び見直してみると、それほど気にならなくなるという意味で、ここはまた、直前の語「さしがね」の縁語としても機能している。

・「中びく」語としては突出すべき顏の中央部分が凹んでいることで、鼻ぺしゃのことであるが、ここは所謂、不細工な顔の謂い。

・「大黑殿」大黒天。

・「九寸」約二十七センチメートル。]

「諸國はなし」の守宮は、二十五年もながらへた因緣つきのものではない。「いまだ新しき御座敷」といふ一句を見ても、さう時間が經過したものでないことは明かである。後から尾鰭をつけさうな怪談が却つて前に在り、「煙霞綺談」は存外淡々と敍し去つた。念入りになつたのは、守宮の情愛だけである。「醍醐隨筆」の記事が「諸國はなし」になり、またそれによつて「煙霞綺談」の話を作り上げた、といふ風に系統を立てるには、事件が小さ過ぎるやうだから、その邊の解釋は見る人の考へに任せる。

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