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2017/02/27

柴田宵曲 妖異博物館 「生靈」

 

 生靈

 

「源氏物語」の中で、夕顏を頓死せしめた物の怪(け)の恐ろしいのはいふまでもないが、更に氣味の惡いのは、葵の上を惱ます六條御息所の生靈である。葵の上の樣子が俄かに變つて、調伏される身の苦を訴へる一段の鬼氣は、讀む者の心にひしひしと迫るやうに感ぜられる。

[やぶちゃん注:葵上のそれは最早、疑いなく六条御息所の生霊で疑いないのであるが、夕顔をとり殺したのは、現行では源融の河原院をモデルとする「なにがしの院」の地付きの物の怪に源氏を恋慕し、六条御息所を含めた複数の女性たちの妬心と遺恨が複合化したものだなどとまことしやかな真顔で研究者の間で語られる。しかし、事実上、決定的な怪異を目撃するのは、心理的に罪障感を持っている光唯一人であり、火が総て消えていたり、宿直人(とのいびと)が全員眠り込んでいたり、右近がヒステリー状態になったりするのは、周縁的な疑似的な見かけ上の怪異であって真の怪異とは言い難く、私は寧ろ、夕顔に実は先天的なかなり重い心臓疾患などがあったところに、頭中将の正妻からの嫌がらせなどで精神的なストレスが高まり、慢性の心身症症状がだらだらと続いていたところに、光の性急な関係要求がそれに拍車をかけて悪化させ、突然死に至ったものと考えた方が、遙かに自然で「まことしやか」であると考える人種である。]

 幽靈の話は多いが、生靈の方は少い。「雪窓夜話抄」にあるのは、野一色勘兵衞といふ人、日頃側近く召仕つた女に暇を遣り、代りに小女を召抱へた。暇を出された女はひどく恨んで、その家の老女に向ひ、小女に暇を出して、自分を呼び戾して貰ふやうに賴んだが、さうもならなかつた。然るに或夜その小女が俄かに狂人の如くなり、口走るところは悉く暇を出された女の心中の事である。勘兵衞は怪しみながら、一間に押込めて置いたが、その時何かに當つたと見えて、小女の耳の下から血が流れ、衣服を染むるに至つた。翌日はもう平生の通りになり、昨夜の事を尋ねても、少しもおぼえて居りません、といふ。耳の下の疵も綺麗になくなつてゐる。勘兵衞愈々不審に堪へず、前の女のところへ人を遣つて尋ねさせたら、昨夜から氣分が惡くて寢てゐたが、どうしたのか、耳の下に疵が付いて痛がつてゐる、といふことなので、使の者は念のため女に逢ひ、その疵を見屆けて歸つた。「然者(されば)生靈の祟りと云ふこと世にあることなり」と「古今著聞集」じみた書き方をしてゐる。

[やぶちゃん注:「雪窓夜話抄」のまさに巻頭を飾る「卷之一」の「野一色勘兵衛召仕女の生靈の事」で、国立国会図書館デジタルコレクションの画像でここから視認出来る。「野一色」が姓で「のいつしき(のいっしき)」と読んでおいてよかろう。
『「然者(されば)生靈の祟りと云ふこと世にあることなり」と「古今著聞集」じみた書き方をしてゐる』と柴田は言うが、私はその謂いが「古今著聞集」染みた常套的言い回しだとは思われない。]

 寛文の頃、阿波國美馬郡貞光といふところに住む何其の家來七兵衞、傍輩の栗といふ女と夫婦約束をしながら、人の媒酌により鄰家の娘と結婚してしまつた。栗この事を深く憤り、村つゞきの井の脇村の藥師を祈り、佛の眼耳胸三所まで釘を打つた。然るに七兵衞には何事もなく、妻女に栗の生靈が付いて、さまざまに惱ます。三年を經て已に死ぬべき樣子になつた時、東林寺の周啓和尚、病人の枕に寄り、わが聲に付いて念佛せよ、と云つて十念を授けたら、卽座に背中が輕くなつたと手を合せて喜んだ。更に三日の間精進して念佛を唱へ、全く快癒したとある(新著聞集)。

[やぶちゃん注:「寛文」一六六一年から一六七二年。

「阿波國美馬郡貞光」かつて徳島県にあった貞光町(さだみつちょう)の前身。現在の徳島県北西部に位置するつるぎ町(ちょう)内。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「恐らくは旧貞光町と西で隣接していた脇町(わきちょう)の前身であろう。現在は美馬(みま)市脇町。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 以上は「新著聞集」の「執心篇 第十一」にある「妬女妻を惱(なやま)し念佛たちまち治(いや)す」の一条。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。

   *

寛文のころ、阿州美馬郡貞光といふ所の、しぢらや某氏の家來七兵衞といふ者と、傍輩の栗といふ女と、夫婦の約束せしに、又其隣の娘を、人の媒にて、七兵衞妻にむかへし。栗、此事を深く憤り、村つゞきの井の脇村の藥師を祈り、佛の眼耳胸三所まで釘を打けり。然るに七兵衞は恙なくて、妻に、かの栗の生靈付て、さまざまに惱しける程に、山ぶしあまた集りて、祈り加持すれ共、さらに驗しなかりし。三年を經て、既に死すべき樣にみへし比、脇村の東林寺周譽に、此事を語りしかば、夫こそいと安き事とて、病人の枕に依て、わが聲に付て念佛せよとて、十念授けたまへば、卽座に脊かるくなりしとて、手を合せ、よろこびし。さらば三日の間精進して、隨分念佛せよとて、血脉授けたまひしに、終に快氣せり。

   *

この「血脉」は「けちみやく(けちみゃく)」で、師が教法を仏弟子に伝えることを指す。この話、しかし可哀想な栗ちゃんの側のことを何も語っていない点で私は甚だ気に入らぬ。]

「三州奇談」にあるのは、内藤善大夫といふ人の屋敷で、腰元のたよといふ者が傍輩と同じ部屋に寢てゐると、或夜の夢に見馴れぬ女が來て、さんざんに恨みかこち、果ては髻を摑んで組付いたりした。やつとの事で目が覺めたら、髮も亂れ、櫛や笄もあたりに散らばつてゐる。夢とは云ひながら、こんな難儀な目に逢つたことがない、と傍輩に語るのを聞いて、皆も氣の毒がり、外の人にも話すうちに、傍輩の一人であるたまといふ女が、ひそかにたよにかういふ話をした。實はお恥かしい話だが、私はこの家のおとな何某殿といゝ仲になつてゐる、それが本妻の方に知れたものか、夢の中に女が來て恨み、打擲されることがもう二箇月も續いてゐる、一晩も缺けたことがなかつたのに、昨夜だけは不思議に來ず、ぐつすり眠れたと思つたが、それでは間違へてあなたの方へ行つたのでせう、といふのである。二箇月も續いて來て居れば、夢にも人違などはしさうもないのに、どうしてこんな事になつたか。たよとたまでは一字違ひだが、その外に何か紛らはしい事情があるのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「笄」「かうがい(こうがい)」と読み、江戸時代の女性用髪飾りの一つ。髷(まげ)などに挿し、高級品は金・銀・鼈甲・水晶・瑪瑙などで作った。本来は髪を整えるための実用的な「髮搔(かみかき)」が元。

 以上は「三州奇談」の「卷之四」の「怪異流行」の後半部。。二〇〇三年国書刊行会刊「江戸怪異綺想文芸大系5 近世民間異聞怪談集成」を参考底本としつつ、以下に全部を示す。一部、編者の補訂挿入した字も入れてある。読みは一部に限った。

   *

 

     怪異流行

 

 材木町鹽屋何某、心易き友三人連立(つれだち)、元文元年仲秋の良夜、月見がてらに、四更の比(ころ)、紺屋坂の下堂形前の空地に至りしに、あやしや長(たけ)高き人三人裸になり、肌帶斗(ばかり)に成(なり)、衣類大小帶にてからげ、何れも頭の上に戴き、手を取組(とりくみ)、「爰は淺し、彼(かし)こは深し」と渡瀨をさぐり行(ゆく)體(てい)にて、叢を大事に歩(はこ)び行(ゆく)。「爰は水急にして渡り難し、歸らん」と云ば、又ひとりは、「我に任せよ」と云も有。「もはや水は肩に越(こえる)よ」と云聲して、終(つひ)に奥村氏の馬場の土手に登り、みを拭ひ衣類を着し、馬場の中五六返往來して、小将町の方へ行し。誠に希有の夜行也。思ふに、是好事の者、野狐をして還而疑(かへつてうたがは)しむるの術と覺へたり。

 猶又新しく聞へしは、彦三町に内藤善太夫と云人有。此屋敷・腰本(こしもと)たよと云者、同じ傍輩と枕を並べ部屋に臥たりしに、或夜の夢に見馴ぬ女來りて、散々恨みかこち、後にはたぶさをつかんで組付(くみつき)けるが、辛うじて目覺見へければ、髮も打亂(うちみだ)れて、櫛も笄もあたりへ打散(うちちり)て有し。夢とは云共(いへども)、終(つひ)に覺ざる難義の程を傍輩にも語りければ、ともども介抱して、「ふしぎ成(なる)事」と、人々にも是を語傳(かたりつた)へしに、同じ端の本[やぶちゃん注:腰元。]に玉と云る女、ひそかに私語(さゝやき)て云樣(いふやう)、「近比(ちかごろ)恥しきざんげなれ共、我等此家のおとな何某殿と密通して居る。本妻の許(もと)へ洩(もれ)けるにや、いつの比(ころ)よりか毎夜我夢に來て是(これ)を恨み、且(かつ)打擲せらゝ[やぶちゃん注:ママ。「せらるゝ」の脱字であろう。しかし、そのまま活字になっていて補正されていないのは甚だ不審でる。]事凡(およそ)二月斗(ばかり)、一夜も缺ざるに、夕部[やぶちゃん注:ママ。「ゆふべ」。]斗(ばかり)は妻女の夢に來(きた)らざりしゆへ、心よく寢入たると思へば、扨は取違へてそなたの方へ來られし物ならん」と淚ながらに語りける。生き靈の取違も亦一奇談也。

 思ふに、古き本に云(いへ)る幽靈は、必ず「申々(まうしまうし)」と呼(よぶ)。是は慥(たしか)に夫(それ)とは知ながらも、古人は物每丁寧を專(もつは)らとする故にぞ呼(よぶ)ならん。今の人の輕卒は人間世の事とのみ思ひしに、扨は幽溟へも此(この)風移りにけりな。さあらば極樂にも日々音樂に新手を工夫し、いやみの地獄を拵へしと聞(きゝ)しも、戲言のみには非ざりし。

   *

これらは疑似怪談で、後者などはもう落とし噺の域であった、原典もそれを確信犯とし、現世の礼節の劣化を歎くのが目的のようにさえ見える、劣化した怪奇談である。]

 女が男に對する恨みを、その相手の女に持つて行く。生靈の動き方は、六條御息所以來ほゞ一定してゐるやうであるが、戀に貴賤の別なしと云つても、人により品下ることは如何ともしがたい。「三州奇談」に至つては、鬼氣は殆ど失はれ、人違の滑稽が主になつてしまつた。かういふ生靈譚は、更にひろく古今東西の文獻に徴しても、或はあまり類のない珍談であらう。

 戀の恨みの生靈は、それでもまだ若干の趣がある。「新著聞集」には家主の細君に晝夜惱まされる若者の話があるが、これは大坂から叔父に呼び寄せられた利根才覺の男であつた。家主の妻はこの者が近所に居つては、自分の子供は到底競爭出來まいといふところから、びどくこの若者を憎み、取り殺してしまたいといふ一念が、若者が寢入らうとすると、咽喉を締めたりして苦しめるものとわかつた。家主は驚いて惡念を止めよと戒め、若者の叔父には事情を話して店替をして貰つた。女も五十を過ぎれば利慾の塊りのやうになつて、飛んだ生靈を演じたものである。これでは全くお話にならぬ。

[やぶちゃん注:以上は「新著聞集」の「第十二 寃魂篇」の「活靈(いきりやう)咽(のんど)を占(し)む」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。読みは歴史的仮名遣でオリジナルに附した。「瀨戸物棚」は長屋の固有名。「出居衆」は「でゐしゆ(でいしゅ)」とも読み、近世、武家奉公・商用などのために地方からの出稼ぎのために町方で部屋借りをして暮らした者たちを指す。

   *

江戸靈巖島瀨戸物棚(だな)、喜兵衞が家の出居衆(でゐし)に、六兵衞といふ者、年久しくありて、同じ家の店(たな)をかり、大阪より猶子(をひ)を呼下しけるが、其者は、利根才覺にて、商(あきなひ)をもよくせしが、いつとなく煩(わづらひ)しを、六兵衛も不審げにおもひ、若き者の事なれば、何にても思ふ事の有(ある)にや。假令(たとひ)金銀をつかふとても苦(くるし)からず、何とぞ、気色も取(とり)なをすやうにせよかしといひしかば、我わづらひは別儀にあらず。家主(やぬし)の妻、晝夜傍を離れず、寢入(ねいら)んとすれば咽(のんど)をしめ、さまざまにくるしむる也と語りければ、六兵衞おどろき、五十にあまる女の、戀慕にてはよもあらじ。いか樣(さま)子細有(ある)べしとて、ひそかに事の由(よし)を、喜兵衞に告ければ、大(おほい)に肝(きも)を消(けし)、妻をよび、かゝる事あり。いかに思ふ事の有(ある)にや。包つつま)ず語れと責(せめ)しかば、妻色をかへ、今は何をか隱さん。かの者は、商ひよくして、物ごと利發才覺なり。かれ此家にありなば、我子は不調法ものなれば、終(つひ)にあきなひ仕負(しまけ)、家をもとられんと、思ふが口惜(くちをし)さに、殺したしくとおもふ一念、かくこそと云(いひ)ければ、夫(をつと)聞(きき)、それは以(もつて)の外の僻事(ひがごと)かな。はやく心をあらためよ。六兵衞には、店を替(かへ)させんとなだめしかば、さもあらば、心を飜(ひるがへ)すべしと云(いひ)けり。そのおもむき、病家(ぎやうけ)につたへて、店をかへさせしより、病氣は快(くわい)なり侍りし。

   *]

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