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2017/02/04

小穴隆一「鯨のお詣り」(4) 「あをうなばら」

 

 あをうなばら

 

Awounabara

 

[やぶちゃん注:当該章にある挿絵であるが、何を描いていて、何故、この章なのか、私が馬鹿なのか、実はよく判らぬ。お分かりの方は、御教授下されたい。帰国の船中で一緒だった唐山日語教員養成所の生徒のスケッチだろうか?

 私の北京は四十五日間の暮しのものである。

 行きは近海郵船の南嶺丸で二割引の一等船客であつた。歸りは大阪商船の長江丸でこれは割引なしの三等船客あつた。

 神戸の日本郵船には私の叔父がゐた。

 行き、この叔父に北京の秋を見物にゆくとはがきを出したら、貧乏人の私に、金と間暇(ひま)のある奴にはかなはぬと書いたはがきと東亞協會編の日支會話を一册送つてよこした。以前歐洲航路の般乘(ふなのり)であつた叔父は、神戸出帆の時には、私の室(しつ)にはいつてくるなり、自分の家(うち)の押入からでも出すやうに室(しつ)の隅のライフ・ジヤケツトを取出して、その着け方を教へてくれたものである。叔母は叔母で船が動き出すと手巾(ハンカチ)を振つてゐてくれた。

 歸り、私は北京に着いても叔父さんにも叔母さんにも一寸(ちよつと)も沙汰をしないでゐて、北京も最後になつてから、歸りの旅費は取寄せはしたがまた危ぶなくしたので、船は三等、もし持物に税關で税がかかると東京迄が危ぶないと手紙を出したには出した。十一月三日にめでたく神戸の埠頭に船が橫付けになつたが顏が見えぬ。叔父さんこの甥を捨ててゴルフかなと思ふ時に掌(てのひら)をあげてゐる叔父がゐた。私は足がわるいからすまないがいつもこの叔父に赤帽の役をさせてゐる。叔母さんには逢はずであつた。叔母は私の手紙で私を輕蔑しはじめてゐたのかも知れないのである。

 さて船のことである。一等の御飯の時は澤山贅澤に御馳走が出る。おやつの時間にはおやつも出る。三等の御飯は傷心一點兒(シアンシンイテイエル)で、おやつなどはないのだ。併しながら門司にはいる前の晩には充分のお煎餅が出た。食物(くひもの)にいやしいのかも知れぬが、傷心一點兒、それは飯(めし)の菜(さい)のことで、米(こめ)が北京の一般日本人經營の宿屋物(やどやもの)よりもうまく暖(あつたか)いことについては保證をしておきたい。

 船のなかにも人の運不運がある。行き、一等の私は、同級室(どうきふしつ)の日本人から中國人が指で示す一、二、三、四、五、六、七、八、九、十の敷(かず)の形を教はつたにすぎなかつたが、歸り、三等の私は同級室の中國人、殊に河北省唐山日語(たうざんにちご)教員養成所の生徒達との頭(あたま)をつき合せての寢起きでもつて教へ教はるの得をした。養成所の生徒達の日語(にちご)は、まはりの日本人のよりも綺麗で丁寧であつた。

 海。「海」十二月號には阿部氏が黃海(くわうかい)といふ題で書いてゐる。歸りの私の場合、黃海も過ぎてゐるのに私に、「黃海がまだですか、海がだんだん黑くなつてきます。」 と地圖をひろげたまま小首を傾けて聞く唐山の生徒がゐた。夜ではないから、その時の海はあをかつたのである。この海がだんだん黑くなつてきますは、私が北京で「吃茶我不明白(チイチアウオ)、喝茶(プミン)」と中国人に言ひなほされたのと同性質のものではなからう。私はあをうなばらをくろといふ言葉で塗つてしまつた彼等の表現に意外の驚嘆を持つた。船は日本に近づいてきてゐるのに、「黃海はまだですか、海がだんだん黑くなつてきます。海はこれから黃色くなつてきますか。」と聞いた人の唐山は、北京から汽車で急行六時間不通七時間といふ所だといふ。

[やぶちゃん注:以下の北京理髪店に掲げられた男性髪型の呼称一覧表は、底本では全体が四角な罫線で囲まれている。どう読むかって? それは次の段落をどうぞ!]

 

┌―――――――――――――――――――――

│ 圖 型 髮 理 式 男 化 美 新 最 │

│ 美 球 化 美 動 運 分 中 年 靑 │

│ 裝 常 軍 陸 士 學 術 藝 垂 後 │

│ 人 僮 分 邊 式 歐 士 博 式 連 │

└―――――――――――――――――――――

 

 圖を省いて文字だけの紹介では表(へう)にすぎないのであるが、私の希望はここで讀者に、北京でけつして最新ではない小さな理髮店の椅子に坐つて、この最新美化男式(だんしき)理髮型(がた)圖を見あげて寫しとつてゐた時の私よりも速く、ここに海軍といふ型の無いことを發見して貰ひたいのである。魚に金魚、銀魚、煙草に黑姑娘(ペイクーニアン)、白姑娘(パイクーニアン)の中國、理髮型(がた)に博士(はくし)、學士のある中國に、陸軍あつて海軍なしである。

[やぶちゃん注:「近海郵船の南嶺丸」「大阪商船の長江丸」須藤康夫氏のサイト「百年の鉄道旅行」の「天津航路」を参照されたい。船型・データはもとより、船室内の写真も見られる。

「日本郵船」明治一八(一八八五)年創立の現在も続く船会社。三菱財閥(三菱グループ)の中核企業であり、三菱重工とともに三菱グループの源流企業。日本の三大海運会社の一つ。詳しくは参照したウィキの「日本郵船」を見られたい。

「東亞協會編の日支會話」「三康図書館蔵書検索-語学」にある、東亜協会編纂部編「日支実用会話(速成)」(大阪・大八(一九一九)年・五版)か。東亜協会は不詳。似た組織名はあるが、軽々に同じとは言えぬ。

「傷心一點兒(シアンシンイテイエル)」「ちょっと哀しい」の意。

「河北省唐山」現在の中華人民共和国河北省唐山市。ウィキの「唐山市」で位置を確認されたい。

『「海」十二月號には阿部氏が黃海といふ題で書いてゐる』古書店の記載により、これは雑誌『海』は「大阪商船」が発行して雑誌で、昭和一三(一九三八)年十二月号に「黄海」の題名で作家で翻訳家の阿部知二(明治三六(一九〇三)年~昭和四八(一九七三)年)が書いていることが判明した。これ(この叙述形態)によって小穴隆一の渡中を私は昭和十三と同定した。

『私が北京で「吃茶我不明白(チイチアウオ)、喝茶(プミン)」と中国人に言ひなほされた』中国語に堪能な教え子に聞いてみたところ、この中文は、

『「喫茶」という言葉は、私は分からぬ。「喝茶」だよ。』

とのことであった。但し、この音写は解せないとのことだったので、以下に、彼からのメールを掲げておく(下線太字は私が附した。なお彼は現在、北京在住である)。

   《引用開始》

……それにしても中国語の読み仮名と思しきものが意味不明です。

「吃茶我不明白」は(チイチャアウォープーミンパイ)

「喝茶」は(ホーチャア)

とでも書くべき所です。北方発音に大きく影響を受けた現代中国標準語では茶を飲むことを「喝茶(ホーチャア)」と言います。一方、「吃」という字は「喫」と同義。現代の中国大陸では「吃」に使用が統一されており、「喫」の字はそもそも使われません。茶を「吃」するという表現は南方(淮水もしくは長江以南)方言で今でも口語として使われています。文字通り「喫茶」です。ちなみに上海語では茶を飲むことを「チェゾー」と言います。漢字で表記すると「切俗」ですが、私は喫茶が変化したものに違いないと確信しています。これらとは別に、全土で通用する書面語では、もちろん今でも「飲茶」です。ところで脱線しますが、スープを飲む際にはなんと表現すべきかと言う問題があります。正統派の伝統中国口語では「喫湯(チータン)」すなわち「吃」です。一九八三年公開の中国映画「北京の想い出」でも、きちんと「吃」という台詞があります。しかし現代の若い人はまず「喝」と言います。私が「吃」と言うと変な顔をされます。ちょっと哀しい気がします(「吃」の主意は「食べる」、「喝」の主意は「飲む」なのです)。

   《引用終了》

小穴隆一は中国語は出来ないと言っているのに、ここまでの記載では盛んに(はっきり言って中国語のルビはいらんと思われる箇所にまで)中国語音写のルビを得意げに振っているのだが、どうも怪しい気がしていた。この教え子に指摘からも、中国語カタカナ音写の部分は話半分で読んだ方がよいようである。

「黑姑娘(ペイクーニアン)、白姑娘(パイクーニアン)」孰れも煙草の銘柄。前者の画像(ヤフオクのそれなので消失するかもしれない)、後者の画像(同前)。後者は前のとはひどくデザインが違い、新しい感じがするのでリニューアルされた、後のものかも知れぬ。]

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