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2017/02/06

小穴隆一「鯨のお詣り」(14) 「二つの繪」(3)「その前後」

 

     その前後

 

 この三月の二十七日から四月十八日までに、二十三日間といふものは、まあ、三日にあげず、七度も彼に會つてゐ。悉(ことごとく)僕一身上の事柄によつてではある。

[やぶちゃん注:以下、「二つの繪」の「その前後」の原型。

「この」前条を受けるので、大正一五(一九二六)年の、である。]

 彼は四月十一日に、自身の七年越しの苦を僕に訴へて、自決を擇(えら)ぶほかに道のない旨を言出(いひだ)した。

[やぶちゃん注:「四月十一日」後の「二つの繪」では「四月十五日」としている。現行の芥川龍之介年譜ではこの自決告白は、これによって、この訂正された「四月十五日」とされている

 それで、四月十八日に蒔淸(まきせい)(遠藤淸兵衞)に渡してくれと賴まれた禮のことは、ただに、希臘(ギリシヤ)の瓶(かめ)の繕ひの禮ばかりではない。その前のこともあつての禮で、自分の關するかぎりでは、これが交友に對して考へた遺品として最初のものであつた。品は、鈴木春信の祕戲册(ひぎさつ)であつた。

 彼が自決の意を漏らすその前のニケ月が程は「僕はこの歳になつていま、人は如何に生くべきかを考へて迷つてゐる。トラピストにさへはいらうかとも考へてゐる。」といふやうな言葉を口にしてゐた。(眠りつきになる彼は、妻子と床(とこ)を並べて彼の古びた小型の聖書のどこに手を觸れてゐたか?)

[やぶちゃん注:「眠りつきになる」最期の眠りに就いた時の。なお、私はこの小穴隆一の「聖書のどこに手を觸れてゐたか?」の箇所が異常に好きである。単行本「二つの繪」で平凡な客観描写に書き換えてしまったのは返す返すも惜しいと考えている。]

 トルストイの「人は如何に生くべきか。」といふこの言葉は自分と彼との間に一(ちよつと)溝をつくつてしまつてゐた。何故(なぜ)ならば、僕は當時自分の戀愛に沒頭してゐたし、彼は、家族からも離れたく身を捨てる考へに沒頭していたからである。僕らは會つても話の端緒(たんしよ)がなくて、これでは當分訪ねるのを止めてゐようかなぞと考へてゐた時が自分にはあつた。

 また當時、小石川に住んでゐた一官吏が、剃刀(かみそり)をもつて非常に鮮かに自殺をした記事が、新聞に出た事を今日なほ僕は記憶してゐる。その官吏は如何なる事情のもとに自殺をしたのか、それはその場限りで忘れて終(しま)つてゐるが、が彼が自殺の決意を述べた事と喰付(くつつ)いて、その官吏の手際見事(てぎはみごと)にやつてのけたそれだけが、自分の頭にはこびりついてゐる。

 ――彼の場合に於いては? 自殺を、彼も亦見事にやつてのけ得る自信を、この新聞記事によつて持ちはしなかつたのか? これを僕一個の空想とのみ人も斷じ得ないと信ず右るのは、四月十一日はその記事があつた日より後のことであるから、芥川も記事をみてゐたとすれば、見事にやつてのける自信を、その新聞記事からも持ちはしなかつたであらうか。

[やぶちゃん注:「四月十一日」第一段落の私の注を参照。]

 ――のみならず「敵(てき)なきは男子に非ず。」「男子、男根はすべからず隆々たるべし。」などと言つてゐ頃の芥川と、「人は如何に生くべきか。」と言ふやうになつた彼との間には二人の芥川龍之介を劃然として認めてゐる自分は、自身のそのミゼラブルを物語つた時より僅か數ケ月以前の彼が、谷崎潤一郎が書くといふ殺人小説の、殺人方法を、われわれに興味をもつて説明してゐたことを言ひたい。

 彼の言葉によると、谷崎はその殺人小説の殺人手段を思案するに當つて、帝大に働いてゐた醫者の友達に、醫者の立場からみて、痕跡の殘らぬ、從つて何に依つたのかはつきり斷定は下し得ない方法を取調べて貰つたといふ。(さうして、傳聞した四つばかりの方法といふものは、意外にも、特にそのなかの一つは、われわれの手近(てぢ)かの物で事足(ことた)る次第であつた。)醫師の調査報告を受取るに及んでは、スパアニツシユ・フライの項目に大谷崎(だいたにざき)心中愕然(しんちうがくぜん)たるものありたり、と差支(さしつか)へなく書けるのは、谷崎潤一郎は先(さき)に、スパアニツシユ・フライ(××用とのみ思つてゐたらしい。)の溶液を手にいれて持つてはゐたが、試用(しよう)にさきだつて大正十二年の震災でその壜びん)を失つてゐた等(よう)にまで話はわたるが、この話の間(あひだ)の芥川龍之介といふものは、話を逆に彼の自殺小説を組立ててゐたとしか思へない。(「一人の文學少女」の章參照。)

[やぶちゃん注:「××用」「二つの繪」では「催春用」とある。

「一人の文學少女」この後、五つ後の章を指す。]

 自決をなす心底(しんてい)でゐることを彼が僕に述べた日のそこに、欲せぬことでも、一寸また僕は自身のことにも觸れておかなければならない。

[やぶちゃん注:この段落と次の最終段落は単行本「二つの繪」では完全にカットされている(その分、別な追記がなされているが、ここにあるような意味深長で訳の分らぬ例の小穴調の、しかも小穴のプライベート絡みらしいこととは全く異なる内容である。]

 四月十一日、その話の直後に四月の二日、○○に對して執(と)つた僕の行動其他に關して、○○は僕を避けて、芥川龍之介に禮をぬいてぶつかつて來た手紙を寄(よ)こしてゐたこと、さうして彼にそれを讀みあげられたこと、憤慨したから寫しをとつておいた、と、斷りながら、彼が○○に今日(けふ)出しておいたといふその返事まで讀みあげたこと、等(など)あつて、今日(こんにち)でも彼に對して、また誰(だ)れにといふこともなく、ただ自分は、自分を恥づかしい者に思つてゐる。ぶちこはれた僕の事柄をも皆、身の過去の所業(しよげふ)によつて歸(き)する結果と詫びてゐた彼を思ふ時に、自分は僕を價値(かち)高く買つてゐた彼に、彼の妻子に、僕の罪が重いのを如何(どう)傳へよう。

[やぶちゃん注:この小穴隆一の伏字(「○○」は不詳)と朦朧文体には、何時もながら、悩ませられるが、時期から考えて、これは、「二つの繪」版の前後」で既に注した、芥川龍之介が仲介をとっていた、小穴隆一と哲学者西田幾多郎の姪高橋文子との縁談(この縁談自体は前年大正一四(一九二五)年八月下旬に持ち上がったもの)に関わる何か不都合な状況や展開を述べていると断じてよいと思われる。]

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