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2017/02/07

小穴隆一「鯨のお詣り」(15) 「二つの繪」(4)「S女史」


        
S女史


 
Sは、果して彼のいふが如き女であるのか?――××との唯一度の○○のためにのみ、彼が娑婆苦を嘗めてゐたのであらうか。

[やぶちゃん注:S女史」「S秀しげ子。

「××との唯一度の○○のために」以下で「彼が娑婆苦を嘗めてゐた」とある以上、「××」は秀しげ子を指すが、伏字字数と合わず、小穴隆一が「しげ」と呼ぶとも考えられないから、この「××」は「愛人」であろう。「○○」いろいろな熟語が入り得るが、故芥川龍之介も好んだ語である「情交」を最有力候補としておく。以下、「二つの繪」の「□夫人」の原型であるが、次の「もしも」の短章を吸収させた上、全面的に書き換えられてある。]

 
S。高利貸の娘、藝者の娘、劇場の電氣技師の妻、閨秀歌人、これが彼女の黑色影像(シルエツト)であつた。


 
S。女性、彼女の一部は、男性――彼の取扱(とりあつか)つた「河童」のモテイフとはなつた。――まことに、然しながら、これを書き上げれば最早何時(いつ)死んでもよいとと言つてゐた程の事は、彼の「河童」のどこにあると言ふのであらう。喘(あへ)ぎにあへいだ彼の苦腦は一體何處(どこ)にまごついて消えてしまつてゐたのか?

 何故、芥川龍之介は自殺を擇(えら)むだか?

 何故、命數にまかせて生きることを面目(めんぼく)を失ふ事に考へてゐたのか?

 何故そこに死を急ぐ必要を感じてゐたか、――ここに答へる彼のぎりぎりの返事は「養父に先に死なれては、自分にはもう自殺が出來なくなつてしまふ。それをおそれる。」

 僕としてはただこれに、あれほどにまゐつてしまつた體を、頭腦を、醫師齋藤茂吉が如何(どう)診(み)てとつてゐたのか、それが知り度(た)い。

 
Sの子は、芥川龍之介の子である。――

 この疑問を、この僕が抱(いだ)く。?をしばらく僕一個に肯定することによつて、?と別に、一方發狂悪を怖れてゐた彼を考へる。(彼は自身で自分の破壞されてゆく頭腦の動く形を充分に承知してゐた。)自分はいま、?を持つ。さうして、意外にこの?に執着してきた自分は漸(やうや)くに自身の老境を感じる。(六年以前に、なぜもつとここにはつきりしてはゐなかつたのか‥‥。)

 人あつて、(遺稿であることによつて、)「或舊友に送る手記」を彼の遺書と見做(みな)す。

 僕は答へる「或舊友へ送る手記」を書いたのは著述業の芥川龍之介であつて、断じて芥川龍之介といふ人間の手記ではない、さやうに辯ずる。

 ?

 彼は、彼がS××××××、○○○○○を使用してゐた點を力説してゐた時もあつた。が、○○○○○××××としても常に安全でありうるか。絶對安全と保證できるのは、單に○○○○○發賣元の𢌞者(まはしもの)だけではないか。――自分は思ふ。であるから不安のあることを彼に對(むか)つて説(と)いた。この自分の言葉は彼の一應承認するところとはなつた。然(しか)し、僕の説(せつ)承認必ずしもSの子承認とは運ばない。のみならず彼にとつては更に信じかね復た迷ふ、どう説明のしやうもない重壓を、緊(きび)しくその身に感じたであらう。(ともかく×××通じたことが彼の致命傷であつた。)

[やぶちゃん注:「S××××××」「Sと情交を通じた」か。

「○○○○○」これは明らかに「コンドーム」。以下同。

「○○○○○××××」「コンドームを使つた」か。

「×××通じた」「情交を」では屋上屋でおかしいから、「関係を」であろうか。]

Sのいふとほりその子はあなたに似てゐるの?」と聞けば、

「僕に似てゐる。」と答へた彼ではあつた。

 自分はここにいま、一つの島崎藤村といふものを借りる。

「藤村はいやな奴だ。」この言葉が芥川龍之介の口から吐きだされや時に人は成程藤村といふ人間はそんなにいやな奴かなあ、と思ひこんだ。理由も聞かずに「あれはいやな奴だ。」の彼のその一言(こと)で、人はなぜにすぐわけもなくて島崎藤村に、忌嫌(きけん)の感じを持つたのか、穢れを吐き出すやうに、異樣に説明のしやうもない、聞く人の耳には全く「藤村はいやな奴だ。」と信じきらせる迫力があつたのその一言を、これを自分は昨日までは、彼藤村の‥‥‥‥せた過去の事実に仆(たふ)れずに、なほかつ生きぬいてゐた強力なるその性格に對して、芥川のやうに「僕もさうだらうが、僕なぞのやうな人間は姉(ねえ)さん女房を持たなかつたのが不幸だ。」といつてゐた程の質(しつ)の人間が持つた、反感、と見てゐた。然してこの考へを、正鵠(せいこく)に非ずと斷言出來るのは今日(こんにち)の僕である。何(なん)に依つて自分はこれを斷じたか。理由は一つである。

[やぶちゃん注:「彼藤村の‥‥‥‥せた過去の事実」こんなところを点線にすること自体が猥雑趣味であると私は思う。無論、芥川龍之介が最も嫌った、大正八(一九一九)年に発表された小説「新生」に基づく謂いなので、「彼藤村の、姪と関係を持ち、子を生ませた過去の事実」(或いは「子を孕ませた」)といった感じか。因みに、姪島崎こま子と最初に関係を持った際に出来たこの子は出産後に養子に出されたものの、関東大震災で行方不明となっている(当時、満十歳。ここはウィキの「島崎こま子」に拠った)。]

 ――或る場合には、重荷であつたかも知れない彼の最後まで起居を共にしてゐた伯母が、なぜ結婚生活に入らずに獨身で過ごしてきたかの仔細を、彼の口からでたその二つの仔細を自分が忘れずにゐたからである。(二つの仔細、省略。)

[やぶちゃん注:「伯母」芥川フキ(安政二(一八五六)年~昭和一三(一九三八)年)が生涯独身であったのは、現行では幼少の折りに兄道章の持った凧の先(芥川比呂志の妻で西川豊と龍之介姉ヒサの間に出来た芥川瑠璃子の「影灯籠 芥川家の人々(一九九一年人文書院刊)に拠る。小穴隆一の後の単行本「二つの繪」の養家」では鉛筆か何かとする)で眼を傷つけてしまっために不自由であったことが事実としては挙げられ、それが一つではあろう。今一つは、少なくとも小穴隆一は芥川龍之介から直接聴いた話として『をぢと間違ひを起し、それを恥ぢて生涯よそにゆかずに芥川家に留まつてゐるのだ』と「二つの繪」の養家」に書いていることを指すと考えてよい(但し、これは小穴のみの言っていることであって研究者の正規論文中には出ない)。]

 島崎藤村に對して、共に一つの天地に住むを潔しとせざるほどの心がおのづと彼の胸中になぜできてゐたのか。これを僕は、島崎藤村その人にだけなら明快に説きうる次第である。なほ、有島武郎(たけを)を借りてみよう。

 有島武郎の場合であると、「君、有島武郎より里見弴(とん)のはうがよつぽど藝術家だよ。」で、彼の考へは至つて平温穩であつた。

「あの子を御覧なさい。似てゐませう?」

 帝國ホテルの露臺に於いて、Sが斯く彼に指示したことは彼の如何なる氣力をも無慙(むざん)にまでとりひしいだ。‥‥

   (或阿呆の一生 三十八 復讐、参照。)

[やぶちゃん注:最後の丸括弧入りの参照注は底本ではポイント落ちで三字上げ下インデントである。「或阿呆の一生」の「三十八 復讐」は「二つの繪」版「□夫人」の私の注で既に引いてあるので、そちらを参照されたい。

「島崎藤村その人にだけなら明快に説きうる」島崎藤村龍之介自死直後、芥川龍之介君のこと」を書いているが、生憎、残念なことに、全く以って解き明かしていない。リンク先は私の嫌悪(私は藤村は初期詩歌類と、初期小説の一部を除いて、芥川龍之介以上に生理的に受け付けない作家である)の電子テクストである。

「君、有島武郎より里見弴(とん)のはうがよつぽど藝術家だよ」小穴隆一のそれは半可通で、「二つの繪」版芥川・志賀・里見で芥川龍之介が言ったような、社会現象と超絶して小説を書けるところの、選民的ブルジョワ的エリート的な強靱な芸術家意識を指したものであって、女性関係とは無縁である。]

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