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2017/03/31

山村暮鳥詩集「土の精神」についての電子化方針の変更について

山村暮鳥詩集「土の精神」を本日より電子化注し、既に十一篇を数えているが、今回は、実際に刊行された詩集の本文と、彌生書房版全詩集の本文との間に有意な異同が存在し、それが看過出来ないほど著しいものであることが判ってきた。遺憾乍ら、後者は底本や校訂凡例などが全く明記されていないとんでもない全詩集であるため、推理するしかないのであるが、どうも、この暮鳥没後に刊行された詩集「土の精神」パートに限っては、刊本に編者による手が有意に加えられていることが、残存する原稿などから知れたために、それらに依拠して新たに活字化されているものと考えざるを得ない(既に公開した私の注の「不審」とするところ、太字・下線のところを参照されると合点されるものと思う)。されば、本詩集に関しては、注で、彌生書房版の当該詩を詩集本文と照応させて漢字の正字化を行ったものを、洩れなく(全く違いがないものでも)附すことに方針を変えることとした。それによって、孰れが暮鳥のまことの吟詠にちかいものかは判らぬながらも、読む者はよりまことの原型に近い彼の詩篇をここで見ることが出来ると信ずるからである。追加とそれに伴う注改稿作業は少し時間がかかる(訳あって今すぐには取り掛かれない)。しかし、それを終えない限りは、新しい詩篇の電子化と注は行わないこととする。悪しからず。

季節をつげる漁婦達   山村暮鳥

 

  季節をつげる漁婦達

 

はるだ

はるだ

なんといつても

もうはるだ

萬物の季節だ

 

まだ波はたかいけれど

もつともつとこれより

いくばいもいくばいもたかかつた

あのなみのそこから

そのとほくから

春は

いつのまにか

渚近くおくられて來てゐた

 

御覽、このみどりのうつくしい

いきいきとよみがへつたいのちのいろ

なめらかな磯岩の肌を

汐のひきさしに

ちらちらみえるその肌を

 

御覽、これがあのおそろしい

あれくるふなみとたたかひ

なみをかみ

よるとなく

またひるとなく

險惡な空をにらみつけ

それこそけだもののむれのやうに

山々に反響する

あの咆哮をつづけてゐた磯岩だらうか

あの黑々とまるで鐵糞の塊のやうにみえてゐた磯岩だらうか

 

おほきな磯岩

ちひさな磯岩

海底ふかくかくれてゐるもの

頭をちよつぴりだしてゐるもの

そこそこ

蟹、貝、ゑび、たこ、雜魚らの善い巣だ

 

いくつもいくつもある

たくさんの

どれもこれもおほかた

それぞれの名まへをもつてゐる磯岩

遠いとほい

だれもしらないおほむかしからの

ふるいふるい名まへを

一つづつもつてゐる磯岩

 

はるだ

はるだ

萬物の季節だ

なんといつても

もう春だ

 

ああ、そのはるが

磯岩にもかうしてきたのだ

いや、そこからして此の世のはるははじまるといふものだ

 

御覽、くるりと白いお臀をむきだし

なみの飛沫に

そのお臀までぬらして

その磯岩のあひだをあちこちと

女房達があさりめぐつてゐるではないか

海苔をとり

また鬚ほどの

松藻を採つてゐるのだ

 

おうい、漁夫の女房達よ

おまへたちこそ

自分達貧乏人のあひだにあつては

ほんとにはるのさきがけの

季節をつげる

海のをんなの神樣なんだ

 

[やぶちゃん注:「そこそこ」の後半は原典では踊り字「〱」。彌生書房版全詩集版はここは踊り字を用いていない正字表記である。

「鐵糞」「かなくそ」。鉄を焼いて打ち鍛える際に飛び落ちる滓(かす)、スラグ(slag)のこと。

「松藻」不等毛植物門褐藻綱イソガワラ目イソガワラ科マツモ Analipus japonicus。海産食用藻類として知られ、犬吠埼以北の太平洋岸で採取され、旬は冬から春。

 彌生書房版全詩集版。「そこそこ」の部分は前注参照のこと。

   *

 

  季節をつげる漁婦達

 

はるだ

はるだ

なんといつても

もうはるだ

萬物の季節だ

 

まだ波はたかいけれど

もつともつとこれより

いくばいもいくばいもたかゝつた

あのなみのそこから

そのとほくから

春は

いつのまにか

渚近くおくられて來てゐた

 

御覽、このみどりのうつくしい

いきいきとよみがへつたいのちのいろ

なめらかな磯岩の肌を

汐のひきさしに

ちらちらみえるその肌を

 

御覽、これがあのおそろしい

あれくるふなみとたゝかひ

なみをかみ

よるとなく

またひるとなく

險惡な空をにらみつけ

それこそけだものゝむれのやうに

山々に反響する

あの咆哮をつゞけてゐた磯岩だらうか

あの黑々とまるで鐵糞の塊のやうにみえてゐた磯岩だらうか

 

おほきな磯岩

ちひさな磯岩

海底ふかくかくれてゐるもの

頭をちよつぴりだしてゐるもの

そこそこ

蟹、貝、ゑび、たこ、雜魚らの善い巣だ

 

いくつもいくつもある

たくさんの

どれもこれもおほかた

それぞれの名まへをもつてゐる磯岩

遠いとほい

だれもしらないおほむかしからの

ふるいふるい名まへを

一つづつもつてゐる磯岩

 

はるだ

はるだ

萬物の季節だ

なんといつても

もう春だ

 

あゝ、そのはるが

磯岩にもかうしてきたのだ

いや、そこからして此の世のはるははじまるといふものだ

 

御覽、くるりと白いお臀をむきだし

なみの飛沫に

そのお臀までぬらして

その磯岩のあひだをあちこちと

女房達があさりめぐつてゐるではないか

海苔をとり

また鬚ほどの

松藻を採つてゐるのだ

 

おうい、漁夫の女房達よ

おまへたちこそ

自分達貧乏人のあひだにあつては

ほんとにはるのさきがけの

季節をつげる

海のをんなの神樣なんだ

 

   *]

春   山村暮鳥

 

  

 

と或る洋品店の

華かな飾窓のところに

うつくしい飾り人形がしよんぼりと立つてゐた

そのけばけばしさつたらなかつた

自分が俥の上からふりかへると

その人形がにつこりとした

二ど目にみたときには

もう、くるりとあちらをむいてゐた

自分は大口をあけてからからと笑ふこともできなかつた

それが、まあ、どうだい

動きだしたんだ

遠くからくる若い男をみつけて

その方へ

而も駈けださないばかりに

 

[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集では「飾窓」に「シヨーウヰンドー」とルビが振られており、全く印象が異なる

 彌生書房版全詩集版。

   *

 

  

 

と或る洋品店の

華かな飾窓(シヨーウヰンドー)のところに

うつくしい飾り人形がしよんぼりと立つてゐた

そのけばけばしさつたらなかつた

自分が俥の上からふりかへると

その人形がにつこりとした

二ど目にみたときには

もう、くるりとあちらをむいてゐた

自分は大口をあけてからからと笑ふこともできなかつた

それが、まあ、どうだい

動きだしたんだ

遠くからくる若い男をみつけて

その方へ

而も駈けださないばかりに

 

   *]

 

一鉢の花   山村暮鳥

 

  一鉢の花

 

自分は一鉢の花を買つた

それは春さきの

また東京下りのものとして

自分達貧乏人にとつては

それこそ眼球も飛びだすばかり

それほど高價なふりぢやであつた

けれど

自分は一め見ただけで

すつかりとほれこんでしまつた

そしてなけなしの錢で

それは米にも味噌にもなるのであつた錢で

花屋の手から買ひとつた

自分はうれしさにそれをかかえてどこをどうあるきまはつたものか

そのうちぽつぽつ雨が落ちてきた

やあ、花が濡れる

蝙蝠傘ももたなかつた自分は身をもつて

それをいたはりおほひかばつた

雨は次第につよくなつた

それにまた風さえはげしく加はつた

自分はもういつか自分をまつたくどこにかなくしてゐた

その一鉢の花のために

家に歸つてから

これは氣のついたことであつたが

自分はまあ、かつて自分の眞實の妻や子どもたちに對してすら

これほど情熱的なことがあつたか

でもそのときの自分は

その花のために

なんといふ想像も及ばないくるしみをしたことだらう

とはいへ、そうしてくるしめばくるしむほど

その花がいよいよ可愛く美しく

もうもう、どんなものにもかへられないと

命に賭けても愛さずにはゐられなかつた

 

[やぶちゃん注:「かかえて」、「風さえ」はママ。彌生書房版全詩集では五行目の「眼球」に「めだま」、次の行の「ふりぢや」に傍点「ヽ」が附されてある(単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科フリージア属フリージア Freesia refracta)。

 彌生書房版全詩集版。太字は前記の通り。

   *

 

  一鉢の花

 

自分は一鉢の花を買つた

それは春さきの

また東京下りのものとして

自分達貧乏人にとつては

それこそ眼球(めだま)も飛びだすばかり

それほど高價なふりぢやであつた

けれど

自分は一め見ただけで

すつかりとほれこんでしまつた

そしてなけなしの錢で

それは米にも味噌にもなるのであつた錢で

花屋の手から買ひとつた

自分はうれしさにそれをかかへてどこをどうあるきまはつたものか

そのうちぽつぽつ雨が落ちてきた

やあ、花が濡れる

蝙蝠傘ももたなかつた自分は身をもつて

それをいたはりおほひかばつた

雨は次第につよくなつた

それにまた風さへはげしく加はつた

自分はもういつか自分をまつたくどこにかなくしてゐた

その一鉢の花のために

家に歸つてから

これは氣のついたことであつたが

自分はまあ、かつて自分の眞實の妻や子どもたちに對してすら

これほど情熱的なことがあつたか

でもそのときの自分は

その花のために

なんといふ想像も及ばないくるしみをしたことだらう

とはいへ、そうしてくるしめばくるしむほど

その花がいよいよ可愛く美しく

もうもう、どんなものにもかへられないと

命に賭けても愛さずにはゐられなかつた

 

   *]

紙鳶   山村暮鳥

 

  紙鳶

 

紙鳶はみんな

どの子どものもみんな

あるだけのいとがのばされ

その糸のさきで

たかく

ちひさい

けれどゆつたりした長い尻尾だ

みんなもう天風(てんかぜ)についてゐるのだらう

よう

ここまであがつて

來てみな

とでも言つてゐるやうにみえる

 

紙鳶になれたらどんなだらう

いや、いや

どの子どもたちも

みんな銘々

自分々々の紙鳶になつてゐるのだ

 

[やぶちゃん注:「紙鳶」老婆心乍ら、「たこ」と読む。

 彌生書房版全詩集版。ここで初めて刊行詩集のテクストと完全相同のものが出現する

   *

 

  紙鳶

 

紙鳶はみんな

どの子どものもみんな

あるだけのいとがのばされ

その糸のさきで

たかく

ちひさい

けれどゆつたりした長い尻尾だ

みんなもう天風(てんかぜ)についてゐるのだらう

よう

ここまであがつて

來てみな

とでも言つてゐるやうにみえる

 

紙鳶になれたらどんなだらう

いや、いや

どの子どもたちも

みんな銘々

自分々々の紙鳶になつてゐるのだ

 

   *]

聖母子像(聖母子圖)  山村暮鳥

 

  聖母子像

 

日あたりで

うれしさうな

聖母(マドンナ)達

 

どつちの膝の上にも

すやすやと

ねむつてゐる

小さないきもの

 

どれもこれも

蟹のやうな

猿のやうな

そんな顏

よくもまあ

こんな不緻縹にうまれたもんだ

 

そこへ

とほりかかつた

これも聖母(マドンナ)

 

その脊の

銅羅のやうにわめく荷物を

おろしてやすむと

荷物は

すぐ木瘤のやうな

乳房にしがみついて

泣きやむ

 

三人は、それこそ

三羽の雀のやう

 

あかんぼたちは

母親そつくり、いきうつし

 

だがそれでいいのだ

それだからいいのだ

おう、聖母(マドンナ)よ

あかんぼたちよ

實にいい

 

[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集では標題が「聖母子図」となっている(こちらの「研究余録~全集目次総覧~」の「山村暮鳥全集」全四巻(一九八九~一九九〇年筑摩書房刊)の目次でも「聖母子図」であるから、これで、

 

彌生書房版全詩集版は刊行詩集本に依拠していない

 

ことが明白となった)。彌生書房版では「泣きやむ」の後に空行はなく「三人は、それこそ」と続いていて、全連七連と以上より一連少ない

「不緻縹」不器量(ぶきりょう)の当て字。但し、「不縹緻」の語順が普通のようである。

 彌生書房版全詩集版。

   *

 

  聖母子圖

 

日あたりで

うれしさうな

聖母(マドンナ)達

 

どつちの膝の上にも

すやすやと

ねむつてゐる

小さないきもの

 

どれもこれも

蟹のやうな

猿のやうな

そんな顏

よくもまあ

こんな不緻縹にうまれたもんだ

 

そこへ

とほりかかつた

これも聖母(マドンナ)

 

その脊の

銅羅のやうにわめく荷物を

おろしてやすむと

荷物は

すぐ木瘤のやうな

乳房にしがみついて

泣きやむ

三人は、それこそ

三羽の雀のやう

 

あかんぼたちは

母親そつくり、いきうつし

 

だがそれでいいのだ

それだからいいのだ

おう、聖母(マドンナ)よ

あかんぼたちよ

實にいい

 

   *]

虱捕り   山村暮鳥

 

  虱捕り

 

虱とはどんなものか

虱を知らないひとたちがあるさうだ

それもすこしばかりでなく

たくさんにあるさうだ

そうしたひとたちは

自分のからだに虱を見ても

なんともおもはないであらうか

それを虱と知つたらばどうするだらうか

それを虱と知つたらば

どんなに赤い顏をするだらう

そしてひとびとのまへでは

爪でぷつりと

押潰すこともできないで

どんなに悚毛をよ立てるだらう

 

自分達の家庭では

これまで、虱といふ奴が

きはめてめづらしいものであつた

それが此の漁村にすむやうになつてから

そして近所の子どもたちが

家へあそびにくるやうになつてから

いつとなく、家の子どもたちの頭や肌着で

その蟲が

いかにしばしば發見(みつけ)られたか

はじめはかなりびつくりしたり

また無氣味にもおもつたりしたが

いまではもう慣れて

それほどにも感じなくなつてしまつた

 

冬が來ると

そこでもここでも虱捕りがはじまる

 

ほかほかと湯氣でもたてさうな日向で

妻は

そこらのひとたちがやつてるやうに

よく子どもたちのあたまを膝の上にのせては

そこで小さな蟲をさがしてゐる

それをみると自分はいつでも

動物園の猿をおもひだす

 

妻はいふ

(まあ、このきさざを御覽なさい

どうしたらいいでせう

いつこんなに殖えたんでせう)

自分ものぞいてみた

そしてさすがにおどろいた

(だが美事に生みつけたもんじやないか)

藥店できいたり

新聞でみたりして

あらゆることをやつてみたが、なんとしても

その小さい蟲の

不思議なほど強い生の力には

どうしても勝てなかった

それもだめ

これもだめ

何一つとしてやくにたつこと無かつた

またしても妻は言ふ

(どうしたらいいでせう、ねえ)

自分はあきれてだまつてゐた

 

妻はたうとうおもひ決して

そのぴつちやりとついてゐる子どもの頭の

無數のきさざをぬきはじめた

それこそ、それをかぞへうるのはただ

全智全能の神ばかりだといふそのかずかぎりない髮の毛

その髮の毛を雜草でもかきわけるやうにして

そのほそいかすかな一すぢ一すぢから

爪さきに熱心と愛とをこめてぬきはじめた

その砂でもふりかけたやうな蟲の卵を

一粒づつ

一粒づつと

 

ああ、貧乏に湧くものよ

母と子のその本能的な情意は

おまへらのやうに小さな汚い蟲の關係においてさえ

かうしてあきらかにみせられるものだが

それはまた何といふ美しさだらう

それを色彩や線條であらはすとすれば

まさに

聖畫の一つだ

 

冬が來ると

いたるところで虱捕りがはじまる

 

[やぶちゃん注:太字は原典では傍点「ヽ」。「だが美事に生みつけたもんじやないか」の「じ」、「おまへらのやうに小さな汚い蟲の關係においてさえ」の「さえ」はママ。

「虱」節足動物門昆虫綱咀顎目シラミ亜目 Anoplura に属する多様な種を指すが、ヒトに寄生して吸血するのは、ヒトジラミ科ヒトジラミ属ヒトジラミ亜種アタマジラミ Pediculus humanus humanus 及び同亜種コロモジラミ Pediculus humanus corporis の二亜種と、ケジラミ科ケジラミ属ケジラミ Phthirus pubis の三種で、ここに描かれるのは最初の挙げたアタマジラミである。

「どんなに悚毛をよ立てるだらう」彌生書房版全詩集は「悚毛」の「おぞけ」とルビする。

「また無氣味にもおもつたりしたが」彌生書房版全詩集は「また、無氣味にもおもつたりしたが」と読点が挟まる。

「(まあ、このきさざを御覽なさい」この「きさざ」虱の卵を指す古語。「きさし」とも。方言ともされるが、生きた虱を見たことのない私でもこの語は知っている。アタマジラミの卵はセメント様の物質で毛髪に貼り付けられ、容易には剝せない。ウィキの「ヒトジラミによれば、『卵は楕円形で乳白色を呈し、先端に平らな蓋があってその中央に』十五~二十穴の『気孔突起がある』。『産卵直後は透明で、後に黄色っぽく色づき、孵化直前には褐色になる。卵の孵化には約』一『週間を要する。孵化時には蓋が外れ、これが幼虫の脱出口となる』。なお、彌生書房版全詩集は、この初出部分の「きさざ」にも傍点「ヽ」を打っている

 彌生書房版全詩集版。太字は同前。

   *

 

  虱捕り

 

虱とはどんなものか

虱を知らないひとたちがあるさうだ

それもすこしばかりでなく

たくさんにあるさうだ

そうしたひとたちは

自分のからだに虱を見ても

なんともおもはないであらうか

それを虱と知つたらばどうするだらうか

それを虱と知つたらば

どんなに赤い顏をするだらう

そしてひとびとのまへでは

爪でぷつりと

押潰すこともできないで

どんなに悚毛(おぞけ)をよ立てるだらう

 

自分達の家庭では

これまで、虱といふ奴が

きはめてめづらしいものであつた

それが此の漁村にすむやうになつてから

そして近所の子どもたちが

家へあそびにくるやうになつてから

いつとなく、家の子どもたちの頭や肌着で

その蟲が

いかにしばしば發見(みつけ)られたか

はじめはかなりびつくりしたり

また、無氣味にもおもつたりしたが

いまではもう慣れて

それほどにも感じなくなつてしまつた

 

冬が來ると

そこでもここでも虱捕りがはじまる

 

ほかほかと湯氣でもたてさうな日向で

妻は

そこらのひとたちがやつてるやうに

よく子どもたちのあたまを膝の上にのせては

そこで小さな蟲をさがしてゐる

それをみると自分はいつでも

動物園の猿をおもひだす

 

妻はいふ

(まあ、このきさざを御覽なさい

どうしたらいいでせう

いつこんなに殖えたんでせう)

自分ものぞいてみた

そしてさすがにおどろいた

(だが美事に生みつけたもんぢやないか)

藥店できいたり

新聞でみたりして

あらゆることをやつてみたが、なんとしても

その小さい蟲の

不思議なほど強い生の力には

どうしても勝てなかった

それもだめ

これもだめ

何一つとしてやくにたつこと無かつた

またしても妻は言ふ

(どうしたらいいでせう、ねえ)

自分はあきれてだまつてゐた

 

妻はたうとうおもひ決して

そのぴつちやりとついてゐる子どもの頭の

無數のきさざをぬきはじめた

それこそ、それをかぞへうるのはただ

全智全能の神ばかりだといふそのかずかぎりない髮の毛

その髮の毛を雜草でもかきわけるやうにして

そのほそいかすかな一すぢ一すぢから

爪さきに熱心と愛とをこめてぬきはじめた

その砂でもふりかけたやうな蟲の卵を

一粒づつ

一粒づつと

 

ああ、貧乏に湧くものよ

母と子のその本能的な情意は

おまへらのやうに小さな汚い蟲の關係においてさへ

かうしてあきらかにみせられるものだが

それはまた何といふ美しさだらう

それを色彩や線條であらはすとすれば

まさに

聖畫の一つだ

 

冬が來ると

いたるところで虱捕りがはじまる

 

   *]

柴田宵曲 續妖異博物館 「宿命」

 

 

 

 

 宿命

 

「今昔物語」に出てゐるこの話は、東の方へ行く者とあるだけで、どこの事とも書いてない。日暮れになつたので馬を下り、或家に一宿を乞うたところ、主人らしい老女が出て來て、どうぞお泊り下さいと云つた。客は座敷に寢かせ、馬は厩に繫がせ、從者もそれぞれ然るべきところに入れてくれた。ところが夜更けになつて俄かに奧の方に人の騷ぐ聲がする。何事かと思つてゐると、前の老女が來て、自分の娘の懷妊して居つたのが、今急に産氣付きました、かうと知つたらお泊め申すのではなかつたのですが、どうなさいますかと云ふ。私どもは一向構ひませんと答へたので、それではと云つて引込んだ。暫くして子供は生れた樣子であつたが、その時旅人の泊つた座敷の傍の戸口から、長(たけ)八尺もあらうと思はれる者が、内より外へ出ながら、極めて恐ろしい聲で、年は八歳、然も自害、と云ひ捨てて去つた。眞暗な中の事だから、何者ともわからぬ。この話は誰にも云はず、曉早くこの家を發足したが、八年といふものを國で暮し、九年目に都へ歸る途中、先年の事を思ひ出して例の家に宿を乞うた。老女は前年より大分年取つてゐたが、この旅人の事はよくおぼえてゐた。先年一泊した夜に生れた人も大きくなつたことであらう、男か女かも聞かずに出立してしまつたが、と尋ねたところ、老女は泣き出して、その事でございます、可愛らしい男の子でございましたが、去年のその月その日、高い木に登つて鎌で木の枝を切つて居りますうちに、上から落ちまして、嫌が頭に立つて亡くなりました、と云ふ。旅人ははじめて先年の事を語り、何者かわからぬが、その子の運命を豫言したらしいと云つたら、老女は更に泣き沈むばかりであつた。

[やぶちゃん注:以上は「今昔物語集」の「卷第二十六」の「東下者宿人家値産語第十九」(東(あづま)に下る者、人の家(いへ)に宿りて、産(さん)に値(あ)ふ語(こと)第十九)である。以下に示す。□は欠字、■は脱字が疑われる箇所。

   *

 今は昔、東の方へ行く者、有りけり。何れの國とは不知(しらぬ)人郷(ひとざと)を通りけるに、日、暮れにければ、

「今夜(こよひ)許りは此の郷には宿りせむ。」

と思ひて、小家(こいへ)の□□に大きやかに造りて、稔(にぎ)ははし氣(げ)也けるに打ち寄せて、馬より下(お)りて云く、

「其々(そこそこ)へ罷る人の、日暮れにたれば、今夜許りは此の郷に宿し給ひてんや。」

と。家主立(いへあるじだ)ちたる老いしらひたる女(をむな)、出で來りて、

「疾く入りて宿り給へ。」

と云へば、喜び乍ら入りて、客人居(まらうどゐ)と思しき方に居(ゐ)ぬ。馬をも厩(むまや)に引き入れさせて、従者(じゆしや)共も皆可然(しかるべき)所に居(すゑ)つれば、

「喜(うれ)し。」

と思ふ事、限り無し。

 然(さ)る程に、夜に成りぬれば、旅籠(はたご)□て、物など食ひて寄り臥したるに、夜(よ)、打ち深更(ふく)る程に、俄かに奥の方に、騷ぐ氣色(けしき)聞ゆ。

「何事ならん。」

と思ふ程に、有りつる女主、出で來りて云く、

「己(おのれ)が娘の侍るが、懷妊し、既に此の月に當りて侍つるが、『忽(たちま)ちにやは』と思ひて[やぶちゃん注:まさか今日の今日ということはあるまいと思うて。]、晝も宿し奉つる。只今、俄かに其の氣色の侍れば、夜には成りにたり、若し、只今にても産(むま)れなば、何(いか)がし給はむずる。」[やぶちゃん注:出産の血の穢れを慮ったのである。]

と。宿(やどり)□人(びと)の云く、

「其れは何(いかで)か苦しく侍らむ。己(おのれ)は更に然樣(さやう)の事、不忌侍(いみはべ)るまじ。」

と。女、

「然ては、糸(いと)吉(よ)し。」

と云ひて入りぬ。

 其の後(のち)、暫く有る程に、一切(ひとしき)り騷ぎ喤(ののし)りて、

「産(う)みつるなんめり。」

と思ふ程に、此の宿人(やどりうど)の居(ゐ)たる所の傍(かたはら)に、戸の有るより、長(たけ)八尺許りの者の、何(なに)とも無く怖し氣なる、内より外(と)へ出でて行くとて、極めて怖し氣なる音(こゑ)して、

「年は八歳、■は自害。」

と云ひて去りぬ。

「何(いか)なる者の此(かか)る事は云ひつるならん。」

と思へども、暗ければ何とも否不見(えみえず)。人に此の事を語る事無くして、曉に疾(と)く出でぬ。

 然て、國に下りて八年有りて、九年と云ふに返り上りけるに、此の宿りたりし家を思ひ出でて、

「情有りし所ぞかし。」[やぶちゃん注:親切にもてなしてくれたところであったのう。]

と思へば、

「其の喜びも云はね。」

と思ひ寄りて、前の如く宿りぬ。有りし女(をむな)も、前より老いて出で來たり。

「喜うれ)しく音信(おとづ)れ給へり。」

と云ひて、物語などする次(つい)でに、宿人(やどりうど)、

「抑(そもそ)も、前(さき)に參りし夜(よ)、産まれ給ひし人は、今は長(ちやう)じ給はむ。男(をとこ)か女か、疾(と)く忩(いそ)ぎ罷り出でし程に、其の事も申さざりき。」

と云ひへば、女、打ち泣きて、

「其の事に侍り。糸(いと)淸氣(きよげ)なる男子(をのこご)にて侍りしが、去年こぞ)の其(それ)の月其の日[やぶちゃん注:意識的伏字で実際には月日を述べたのである。]、高き木に登りて、鎌を以つて木の枝を切り侍りける程に、木より落ちて、其の鎌の頭(かしら)に立ちて死に侍りにき。糸(いと)哀れに□□る事也。」

と云ひける時にぞ、宿人、

「其の夜(よ)の戸(と)より出し者の云ひし事は、然(さ)は、其れを鬼神(きじん)などの云ひけるにこそ有りけれ。」

と思ひ合ひて、

「其の時に然々(しかしか)の事の有りしを、何事とも否心得(えこころえ)侍らで、『家の内の人、只、云ふ事なんめり』とひ思て、然(さ)も申さで罷りにしを、然(さ)は、其の事を、者(もの)の示し侍りけるにこそ。」

と云へば、女、彌(いよい)よ泣き悲しみけり。

 然(しか)れば、人の命(いのち)は、皆、前世(ぜんぜ)の業(ごふ)に依りて、産るる時に定め置きつる事にて有りけるを、人の愚かにして不知(しらず)して、今始めたる事の樣に思ひ歎く也けり。然(しか)れば、皆、前世の報(ほう)と知るべき也となむ語り傳へたるとや。

   *

なお、この話は「搜神記」の「卷十九」に出る以下の話と非常によく似ている。

   *

陳仲舉微時、常宿黃申家、申婦方、有扣申門者、家人咸不知、久久方聞屋裏有人言、「賓堂下有人、不可進。」。扣門者相告曰、「今當從後門往。」。其人便往。有頃、還、留者問之、「是何等。名爲何。當與幾歳。」。往者曰、「男也。名爲奴。當與十五。」。「後應以何死。」。答曰、「應以兵死。」。仲舉告其家曰、「吾能相此兒當以兵死。」。父母驚之、寸刃不使得執也。至年十五、有置鑿於樑上者、其末出、奴以爲木也、自下鉤之、鑿從梁落、陷腦而死、後仲舉爲豫章太守、故遣吏往餉之申家、幷問奴所在、其家以此具告。仲舉聞之、歎曰、「此謂命也。」。

   *

 生れたばかりの子供の將來を、何者かが豫言する話はいろいろある。中にはその豫言が王樣になるといふことであつた爲に、危く殺されさうになる話もあるが、結局定められた運命はどうにもならず、種々の曲折があつた後、やはり王位に就くことになるらしい。西鶴が「男色大鑑」の中に書いたのは、大坂の人形屋新六なる者が子安の地藏堂に一夜を明す話で、夜半に駒の鈴音けはしく、地藏を呼びかける聲がする。聲の主は丹後の切戸の文珠で、今夜の産所へ見舞びひに行かぬかと云つて誘ひに來たのであるが、地藏は新六といふ「思ひよらざるとまり客」があつて同道することが出來ない。文珠は曉方にまた立ち寄つて、五畿内だけの平産一高二千百十六人、このうち八千七十三人が娘といふ委しい數字を報告した後、その一人に就いて次のやうな豫言を試みた。道頓堀の楊枝屋に願ひの通りの男子が生れたが、人間は將來を見通し得ぬのが淺ましい、この子は美形に育ち、後には舞臺に立つて諸見物に思ひ付かれるけれど、十八歳の正月二日、義理のために命を捨てなければならぬ、といふのである。不思議なことにこの楊枝屋は新六の南鄰りで、文珠の云はれた通り、その子は戸川早之丞といふ若衆方になつた。豫言された十八歳の正月は、諸方よりの付け屆けがなく、呉服屋の拂ひが出來ないため、折角出來た地衣裝まで全部持ち歸られてしまつた。それを男衆が早之丞に隱してゐたので、本人は初舞臺に出るつもりであつたが、樂屋から使ひが來ても衣裳の都合が付かぬ。浮世ほど思ふまゝにならぬはなしと、二階に上つて自殺を遂げるのである。

[やぶちゃん注:以上は井原西鶴の「卷七」の「三 袖も通さぬ形見の衣(きぬ)」である。国立国会図書館デジタルコレクションの画像でから視認出来る。]

「アラビアン・ナイト」の中に、カシープ王の子アジーブ王のために殺されるといふ星占學者の豫言により、離れ嶋の洞穴に隱れ住む寶石商の息子がある。カシープ王の子のアジーブ王は不思議な運命に弄ばれてこの嶋に漂着し、寶石商の息子と共に生活する。二人は甚だ親密で、何の事件も起らなかつたに拘らず、最後の一段に至り、王が西瓜を切るために棚の上の小刀を取らうとして足を滑らし、寶石商の息子は死んでしまふ。「今昔物語」の子供の方は、これほど複雜ではないけれど、避くべからざる運命の下に死ぬといふ點は同じである。「男色大鑑」の戸川早之丞も、どうしても死ななければならぬほどの義理とは思はれぬ。だから西鶴も「すこしの義理につまり」と書いたのであらう。にも拘らず死に赴くところに、天から定められた運命の大きな力がある。

[やぶちゃん注:ウィキの「千夜一夜物語のあらすじ」によれば、は「荷かつぎ人足と乙女たちとの物語(第十八夜)第三の托鉢僧の話である。]

 崔元綜が益州の參軍だつた時、結婚することになつて、その日取りも已に定まつてから妙な夢を見た。誰だかわからぬ人が夢の中で、この家の娘は君の細君ではない、君の細君は今日生れるのだ、と云ふ。崔はその人に伴はれて履信坊の十字街の西側にある家まで行つたが、そこの家では慥かに女の子が生れてゐる。この赤ン坊が君の細君だ、といふのである。驚いて目が覺めた。雀はこの夢を信じたわけでもなかつたが、最初に結婚する筈であつた娘が俄かに亡くなり、崔の官が四品に至つた頃、また結婚問題が起つた。侍郎韋陟堂の妹で、芳紀まさに十九歳である。崔はもう五十八になつてゐた。いろいろ調べて見ると、華氏の宅は履信坊であり、生れた時が例の夢を見た日になる。崔は三品に至り九十歳まで健在であつたが、その夫人は四十年生活を共にしたと「定命錄」にある。いはゆる赤繩奇縁(せきじようきゑん)で、天から定められたといふ感じは、かういふ場合に最も強い。

[やぶちゃん注:「崔元綜」(さいげんそう)は七世紀から八世紀に生きた唐代の実在した政治家。

「四品」「しほん」は中国の位階。一品以下、九品までに分かれ、さらにその中で正位と従位に分かれた。本邦の律令制の位階はそれを真似たもの。

「侍郎韋陟堂」「侍郎」(じろう)は現在の内閣の次長級職で、「韋陟堂」(「い ちょくどう」と読んでおく)が名前。

 以上は唐の呂道生撰になる「定命錄」(「じょうみょうろく」と暫く読んでおく)に彼の故事として以下のようにあるとする(「太平廣記」の「卷第百五十八」の「定數十三」に同書からの引用とする「崔元綜」)。

   *

崔元綜任益州叅軍日、欲娶婦、吉日已定。忽假寐、見人雲、「此家女非君之婦、君婦今日始生。」。乃夢中相隨、向東京履信坊十字街西道北有一家、入宅内東行屋下、正見一婦人生一女子、雲、「此是君婦。」。崔公驚寤、殊不信之。俄而所平章女、忽然暴亡。自此後官至四品、年五十八、乃婚侍郎韋陟堂妹、年始十九。雖嫌崔公之年、竟嫁之。乃於履信坊韋家宅上成親、果在東行屋下居住。尋勘歳月、正是所夢之日、其妻適生。崔公至三品、年九十。韋夫人與之偕老、向四十年、食其貴祿也。

   *]

 定まつた運命はどうにもならぬが、これを轉化するといふ場合に陰德陽報譚が生れて來る。それなら陰德を施す以外に、運命を轉化し得た例がないかと云へば、絶對にないわけではない。「搜神記」の管輅はよく諸術を解し、未來過去の事を知り得たが、一日南陽の平原を行き、田中に働く少年を見、嗟歎して過ぎた。少年が怪しんでその故を問ふと、別の事でもない、君は多分二十歳にならずに早死すると思ふからさ、と答へた。少年は走つてこれをその父に告げ、父は子と共に管輅のあとを逐ふ。十里も行かぬうちに追ひ付いて、少年の壽命を何とかする方法はありますまいかと歎願した。管輅の答へに、天命は自分にもどうにもならぬが、折角のお賴みだから方法を講じて見よう、先づ家に歸つて淸酒一樽と鹿の乾肉を用意して置け、といふことであつた。或定まつた時が來ると、管輅は少年に智慧を貸し、彼處の大きな桑の樹の下に、二人で碁を打つてゐる男がある、この酒と肉とを持つて行つて前に置けば、必ず飮んだり食つたりするに相違ない、酒がなくなつたらあとから注ぐのだ、もしお前の事を聞かれても、お時儀だけして何か云つてはいけない、と教へた。云はれた通りに行つて見たら、成程碁を打つてゐる人がある。少年が恭しく進んで酒肉を置いたところ、二人は碁に夢中になつてゐるので、且つ飮み且つ食ふ。一局打ち終ると同時に、北側に坐つてゐた男が少年を認め、何でこゝへ來たかと叱り付けた。少年は何も云はず、丁寧に頭を下げる。南側の人がいさゝか取りなすやうに、吾々も御馳走になつた事だからと云つてくれたが、北側の先生じゃ文書を楯に取つて容易に承知しない。結局その文書を一見し、これならわけはないと云つて、壽十九とあるのを筆で轉倒したから、九十までながらへ得ることになつた。少年は喜びに堪へず、幾度もお時儀をして歸つて來た。北側にゐたのが北斗、南側にゐたのが南斗で、共に星の精らしい。少年の父は金帛を贈つて謝意を表したが、管輅は一つも受けなかつた。

 陰徳陽報譚も惡くはないが、あまり同じ型が繰り返されるので、月竝の嫌ひがある。突如として酒肉を齎し、一言も發することなく、禮拜一點張りで九十まで長生し得るやうになつたのは大出來であつた。

[やぶちゃん注:「管輅(かんろ 二〇九年~二五六年)は三国時代の占い師。よく将来を見通す能力があったとされ、それは「三国志」の「方技伝」等にも記述されている。

 以上は「搜神記」「第三卷」の以下。

   *

管輅至平原、見顏超貌主夭亡。顏父乃求輅延命。輅曰、「子歸、覓清酒鹿脯一斤、卯日、刈麥地南大桑樹下、有二人圍位、次但酌酒置脯、飮盡更斟、以盡爲度。若問汝、汝但拜之、勿言。必合有人救汝。」。顏依言而往、果見二人圍碁、頻置脯、斟酒于前。其人貪戲、但飮酒食脯。不顧數巡、北邊坐者忽見顏在、叱曰、「何故在此。」。顏惟拜之。南面坐者語曰、「適來飲他酒脯、寧無情乎。」北坐者曰、「文書已定。」。南坐者曰、「借文書看之。」。見超壽止可十九歳、乃取筆挑上語曰、「救汝至九十年活。」。顏拜而囘。管語顏曰、「大助子、且喜得增壽。北邊坐人是北斗、南邊坐人是南斗。南斗注生、北斗主死。凡人受胎、皆從南斗過北斗、所有祈求、皆向北斗。」。

   *]

家常茶飯詩   山村暮鳥

 

  家常茶飯詩

 

よあけは

遠い天(そら)のはてより

そして朝は

まだ、うすぐらい厨所(だいどころ)の

米を研ぐおとよりはじまる

おはやう

おはやう

なんといふ純(きよ)らかな挨拶

それがいたるところで

とりかはされる

一日のはじまりである

   ○

大風の中で

子どもがあそんでゐる

戰爭遊戲(ごつこ)だ

犬の馬

ぼうきれの鐵砲

紙の旗があちらこちらにひらひらしてゐる

風がはげしくなればなるほど

いよいよその騷ぎが大きくなる

まるで風と

なかよくあそんでゐるやうだ

ごおツと風が襲ひかかると

子どもたちは

わあツと聲をはりあげて

枯葉のやうにぱらぱら駈けだす

雀らもそれにまぢつてうれしさうだ

それにまた

木々までが聲をあはせる

木々も一しよになつてゐるのだ

   〇

一日中

ふいて、ふいて

ふきぬいて

風はやんだ

 

冬の夜天はいい

おう、星、星、星

穀粒でもばらまいたやうなあの星は

どれも

これも

一つ一つみんな凍えてゐるやうだ

どうみてもそうみえてならない

だが、それでいい

 

おう、星、星

睫毛のうへできらきらしてゐる

ゆめのやうな

現實のやうな

それは

なんといつても貧乏人のものか

   ○

炬燵のうへには

おはぢきや

繪雜誌がちらばつてゐる

いままで

卓上ピアノをひいてあそんでゐたつけが

あそびつかれた子ども達は

もういつのまにか

ひつくりかへつてねむつてゐる

妻は、その子ども達の

ぼろ足袋をつくろひながら眩語く

(どうしませう

これなんですもの

まるで鉋でもかけるやうなんです)

(うむ)

だが、それほど健康なんだ

ありがたいことではないか

ほんとに

健康なのばかりが

千軍萬馬にもまさる味方だ

妻はまた言ふ

(まつたくたまつたものぢやありません

それこそ鑄ででもこしらへたのでなくつちや――)

自分ももうやつと耳の孔をあけてゐるのだ

(うむ、こんどは

そんなのを買つて來てやらうよ)

ああ、ねむい

睡いのはとろけるやうだ

なにものもそれをささえる力が無い

 

[やぶちゃん注:「おはぢき」、最終行の「ささえる」はママ。後者は彌生書房版全詩集でもママである。

「冬の夜天はいい」彌生書房版全詩集では「夜天」に「よぞら」とルビする。

「どうみてもそうみえてならない」彌生書房版全詩集ではここは「どうみても」で改行し、「そうみえてならない」で次行を形成している。

「眩語く」彌生書房版全詩集は「眩語(つぶや)く」とルビする。

「鉋」「かんな」。

「だが、それほど健康なんだ」彌生書房版全詩集は「健康」に「たつしや」とルビする。この決定的相違から同書は元原稿に基づいて校訂している可能性が非常に高くなったように私は思う

「鑄」彌生書房版全詩集は「かね」とルビする。至極、納得。

「自分ももうやつと耳の孔をあけてゐるのだ」老婆心乍ら、後に出るように詩人は「ねむい」のを我慢してやっと「耳の孔をあけて」妻の言葉を聴いている、というのである。

 彌生書房版全詩集版。

   *

 

  家常茶飯詩

 

よあけは

遠い天(そら)のはてより

そして朝は

まだ、うすぐらい厨所(だいどころ)の

米を研ぐおとよりはじまる

おはやう

おはやう

なんといふ純(きよ)らかな挨拶

それがいたるところで

とりかはされる

一日のはじまりである

   ○

大風の中で

子どもがあそんでゐる

戰爭遊戲(ごつこ)だ

犬の馬

ぼうきれの鐵砲

紙の旗があちらこちらにひらひらしてゐる

風がはげしくなればなるほど

いよいよその騷ぎが大きくなる

まるで風と

なかよくあそんでゐるやうだ

ごおツと風が襲ひかかると

子どもたちは

わあツと聲をはりあげて

枯葉のやうにぱらぱら駈けだす

雀らもそれにまぢつてうれしさうだ

それにまた

木々までが聲をあはせる

木々も一しよになつてゐるのだ

   〇

一日中

ふいて、ふいて

ふきぬいて

風はやんだ

 

冬の夜天はいい

おう、星、星、星

穀粒でもばらまいたやうなあの星は

どれも

これも

一つ一つみんな凍えてゐるやうだ

どうみても

そうみえてならない

だが、それでいい

 

おう、星、星

睫毛のうへできらきらしてゐる

ゆめのやうな

現實のやうな

それは

なんといつても貧乏人のものか

   ○

炬燵のうへには

おはじきや

繪雜誌がちらばつてゐる

いままで

卓上ピアノをひいてあそんでゐたつけが

あそびつかれた子ども達は

もういつのまにか

ひつくりかへつてねむつてゐる

妻は、その子ども達の

ぼろ足袋をつくろひながら眩語(つぶや)く

(どうしませう

これなんですもの

まるで鉋でもかけるやうなんです)

(うむ)

だが、それほど健康(たつしや)なんだ

ありがたいことではないか

ほんとに

健康なのばかりが

千軍萬馬にもまさる味方だ

妻はまた言ふ

(まつたくたまつたものぢやありません

それこそ鑄(かね)ででもこしらへたのでなくつちや――)

自分ももうやつと耳の孔をあけてゐるのだ

(うむ、こんどは

そんなのを買つて來てやらうよ)

ああ、ねむい

睡いのはとろけるやうだ

なにものもそれをささえる力が無い

 

   *]

鷄   山村暮鳥

 

  

 

朝からの糠雨は

じめじめと

なかなかやみさうにもなかつた

わたしは籐椅子の上で

あふむけになつて

そして本を讀んでゐた

と、ちらり

白いものがわたしの眼をかすめた

わたしは讀んでゐた本を手ばなして

窓硝子ごしに

首をねぢむけて

その白いものをみた

それはも一はの霜ふりいろの鷄におつかけられて

にげてゆく鷄であつた

わたしはちよつとびつくりしたが

すぐにおもはず頰笑んだ

 

どちらも雄鷄であつた

白いのは肺病やみの家のであり

その白いのを

おつかけていつたのは

意地惡婆さんの家のであつた

そしてそれは隣同志であつた

 

隣同志であつて

雄鷄はたがひに仲がよくなかつた

またそのばあさんの家に

霜ふりいろの奴が買はれてなかつた頃ゐたのは

鷄冠のたかいそしてかつぷくのいい

玉蟲色のしやれものであつた

それにくらべると

やや白いのはみおとりがした

けれどなかなかつよかつた

よるとさわるとたたかつたが

べつとりと

血まみれになつて

どちらもまけてはゐなかつた

誰かにみつけられて追ひ拂はれでもしなければ

そこでどちらも

すばらしい勇者の最後をみせただらう

 

ところが

ある日、ころりと

その玉蟲色のしやれものが死んでしまつた

その強かつた蹴爪の趾をふんばつてしまつた

そのときからだ

白いのが威張りだしたのは

そして世界がまつたくそれのになつたのは

それから二三日過ぎると

いままで玉蟲色のと一しよであつためんどりは

もうそのとなりの白いのと列んで

首をそろへてあるきまはつてゐるのであつた

そして白いのの自由になつて

それでよろこんで

何處ででもみあたり次第に

おつ伏せられてゐるのであつた

そればかりか

たうとうその牝鷄らは

卵もとなりで生むし

寢るのもとなりのとやでねるやうになつた

 

それが知れると

意地惡婆さんはもうきがきでなかつた

さつそく町へでていつて

一はの雄鷄を買つてきた

それはまだ牝鷄のまへにでると小さくなつてゐるやうな

ひよつこであつた

牝鷄のまへですらさうだつたから

となりの白をみるときなどは

遠くから

ものかげから

いつもおそるおそるそのめつきを窺ひ

のびはじまつた尾をだらりと垂れて

やつとつくりはじめたそのときも

翼を鳴らしてたかだかとはたてえなかつた

そんなひよつこであつた

 

肺病やみの家の白いのは

まるで王樣のやうであつた

霜ふりいろのひよつこはときどき

その王樣にみつかつて

酷いひどい目にあつた

それでよくちんばをひいてはあるいてゐた

それでよくおひかかけられて逃げまはつてゐた

牝鷄はそれをみても

平氣で餌をひろつてゐた

みむきさえしなかつた

そしてあひかはらず自分のとやも

自分の家の霜ふりいろのひよつこもかへりみないで

となりのとばかりあそんでゐた

 

けれど「時」はやつてきた

十日二十日とさうしてゐるうちに

ひよつこはだんだん大きくなつてきた

そして強くなつてきた

もう雛鷄ではなくなつてきた

時々めんどりにをかしな素振を見せるやうになり

たかだかと翼をならして鳴くやうになつた

そこらに白いのがゐてもすこしも怖れないやうになつた

かへつてあちらでだんだん遠ざかつた

そうなると

牝鷄も牝鷄で

あまりとなりへ行かなくなり

家の若いそのげんきのいい雄鷄とならんであるくやうになつた

 

隣りの白めはもうたまらなかつた

いままで自分が自由にしてゐたものには逃げられる

自分の世界はせまくなる

一方が日一日といきほひよくなるにひきかへて

自分はそれとはあべこべになる

もう霜ふりいろのその輕蔑

おい、おいぼれ

どうしたい

どこかみえねえところへいつてろよ

眼ざはりでいけねえ

こんなめつきをみると

なんといつてもそのかんにんぶくろをやぶらずにはゐられなかつた

そして氣でも狂つたやうに

霜ふりいろをめがけて飛びかかつた

だが霜ふりいろはせせらわらうやうな身振をして

二ど三どあいての白に羽摶かせた

而もそれはまるでくすぐられでもするやうであつた

白はすこし力づいてきた

これなら蹴殺すことができるかも知れない

すると霜ふりいろが身を縮めた

ぱさり

その音は鋭かつた

それは縮めたからだが飛びあがつたとおもふよりはやかつた

け、け、け、け

めのくらんだ白はぐるぐるぐるとめんどまはりをした

それでもたふれはしなかつた

やつとのことで

自分の家のべんじよのうしろまでにげてきて

そこの堆藁の中にふかぶかと首をつツこんだ

霜ふりいろはそれを追つかけはしなかつた

 

そんなことがいくどかあつた

またしても

けふそれであつた

それがあたしを頰笑ませたのだ

だがけふは霜ふりの奴

よくよく腹がたつたとみえて

いのちからがらにげてゆく白めのあとを

わきめもふらず

矢のやうになつておひかけた

 

朝からの糠雨は

じめじめと

なかなかやみさうにもなかつた

あたしは籐椅子の上で

あふむけになつて

ふたたび本をとりあげた

 

それからすこしたつた

二どめにわたしが窓硝子ごしにみたときには

もうみな一しよになつて

花のさいてる桐の木のしたの葱畑で

みなむつまじくあそんでゐた

そしてとなりの奴はづうづうしくもそこで

その霜ふりいろのめのまへで

その霜ふりいろのめんどりをおつ伏せたりしてゐた

 

[やぶちゃん注:太字の「とや」は原典では傍点「ヽ」(なお、後注を参照のこと)。「よるとさわるとたたかつたが」、「みむきさえしなかつた」、「そうなると」(これは彌生書房版全詩集でもママである)、「だが霜ふりいろはせせらわらうやうな身振をして」の「せせらわらう」、「なかなかやみさうにもなかつた」の「さう」はママ。

「霜ふりいろの奴が買はれてなかつた頃ゐたのは」彌生書房版全詩集では「霜ふりいろの奴が買はれてこなかつた頃ゐたのは」と「こ」が入っている。あってひどく不自然というのではないが、後に「頃」がある以上、屋上屋でいらない、と私は思う。

「鷄冠のたかいそしてかつぷくのいい」彌生書房版全詩集では「鷄冠」は「鳥冠」でしかもその二字に「とさか」とルビしてある。

「とや」これは彌生書房版全詩集では「鳥屋」となっており、しかも傍点は附されておらず、ルビもない。同じく後の「そしてあひかはらず自分のとやも」の「とや」の「鳥屋」と漢字化されてある。

「やつとつくりはじめたそのときも」老婆心乍ら、「やつと」牡鷄らしく「作り始めた」ところの「その鬨(とき)」も、の意である。

「もう雛鷄ではなくなつてきた」彌生書房版全詩集では「雛鷄(ひよつこ)」とルビする。

「かへつてあちらでだんだん遠ざかつた」彌生書房版全詩集では「あちら」は「彼方(あちら)」と漢字表記ルビ附きである。

「めんどまはり」既出であるが不詳。識者の御教授を乞う。ただ、急速に「ぐるぐる」回りをすることとは読める。

「それでもたふれはしなかつた」彌生書房版全詩集は、何故か、誤った歴史的仮名遣で「それでもたほれはしなかつた」である。歴史的仮名遣を訂するコンセプトであろうはずなのに、である。

「堆藁」「つみわら」と訓じておく。

 彌生書房版全詩集版を示す。

   *

 

  

 

朝からの糠雨は

じめじめと

なかなかやみさうにもなかつた

わたしは籐椅子の上で

あふむけになつて

そして本を讀んでゐた

と、ちらり

白いものがわたしの眼をかすめた

わたしは讀んでゐた本を手ばなして

窓硝子ごしに

首をねぢむけて

その白いものをみた

それはも一はの霜ふりいろの鷄におつかけられて

にげてゆく鷄であつた

わたしはちよつとびつくりしたが

すぐにおもはず頰笑んだ

 

どちらも雄鷄であつた

白いのは肺病やみの家のであり

その白いのを

おつかけていつたのは

意地惡婆さんの家のであつた

そしてそれは隣同志であつた

 

隣同志であつて

雄鷄はたがひに仲がよくなかつた

またそのばあさんの家に

霜ふりいろの奴が買はれてこなかつた頃ゐたのは

鳥冠(とさか)のたかいそしてかつぷくのいい

玉蟲色のしやれものであつた

それにくらべると

やや白いのはみおとりがした

けれどなかなかつよかつた

よるとさはるとたたかつたが

べつとりと

血まみれになつて

どちらもまけてはゐなかつた

誰かにみつけられて追ひ拂はれでもしなければ

そこでどちらも

すばらしい勇者の最後をみせただらう

 

ところが

ある日、ころりと

その玉蟲色のしやれものが死んでしまつた

その強かつた蹴爪の趾をふんばつてしまつた

そのときからだ

白いのが威張りだしたのは

そして世界がまつたくそれのになつたのは

それから二三日過ぎると

いままで玉蟲色のと一しよであつためんどりは

もうそのとなりの白いのと列んで

首をそろへてあるきまはつてゐるのであつた

そして白いのの自由になつて

それでよろこんで

何處ででもみあたり次第に

おつ伏せられてゐるのであつた

そればかりか

たうとうその牝鷄らは

卵もとなりで生むし

寢るのもとなりの鳥屋でねるやうになつた

 

それが知れると

意地惡婆さんはもうきがきでなかつた

さつそく町へでていつて

一はの雄鷄を買つてきた

それはまだ牝鷄のまへにでると小さくなつてゐるやうな

ひよつこであつた

牝鷄のまへですらさうだつたから

となりの白をみるときなどは

遠くから

ものかげから

いつもおそるおそるそのめつきを窺ひ

のびはじまつた尾をだらりと垂れて

やつとつくりはじめたそのときも

翼を鳴らしてたかだかとはたてえなかつた

そんなひよつこであつた

 

肺病やみの家の白いのは

まるで王樣のやうであつた

霜ふりいろのひよつこはときどき

その王樣にみつかつて

酷いひどい目にあつた

それでよくちんばをひいてはあるいてゐた

それでよくおひかかけられて逃げまはつてゐた

牝鷄はそれをみても

平氣で餌をひろつてゐた

みむきさえしなかつた

そしてあひかはらず自分の鳥屋も

自分の家の霜ふりいろのひよつこもかへりみないで

となりのとばかりあそんでゐた

 

けれど「時」はやつてきた

十日二十日とさうしてゐるうちに

ひよつこはだんだん大きくなつてきた

そして強くなつてきた

もう雛鷄(ひよつこ)ではなくなつてきた

時々めんどりにをかしな素振を見せるやうになり

たかだかと翼をならして鳴くやうになつた

そこらに白いのがゐてもすこしも怖れないやうになつた

かへつて彼方(あちら)でだんだん遠ざかつた

そうなると

牝鷄も牝鷄で

あまりとなりへ行かなくなり

家の若いそのげんきのいい雄鷄とならんであるくやうになつた

 

隣りの白めはもうたまらなかつた

いままで自分が自由にしてゐたものには逃げられる

自分の世界はせまくなる

一方が日一日といきほひよくなるにひきかへて

自分はそれとはあべこべになる

もう霜ふりいろのその輕蔑

おい、おいぼれ

どうしたい

どこかみえねえところへいつてろよ

眼ざはりでいけねえ

こんなめつきをみると

なんといつてもそのかんにんぶくろをやぶらずにはゐられなかつた

そして氣でも狂つたやうに

霜ふりいろをめがけて飛びかかつた

だが霜ふりいろはせせらわらふやうな身振をして

二ど三どあいての白に羽摶かせた

而もそれはまるでくすぐられでもするやうであつた

白はすこし力づいてきた

これなら蹴殺すことができるかも知れない

すると霜ふりいろが身を縮めた

ぱさり

その音は鋭かつた

それは縮めたからだが飛びあがつたとおもふよりはやかつた

け、け、け、け

めのくらんだ白はぐるぐるぐるとめんどまはりをした

それでもたほれはしなかつた

やつとのことで

自分の家のべんじよのうしろまでにげてきて

そこの堆藁の中にふかぶかと首をつツこんだ

霜ふりいろはそれを追つかけはしなかつた

 

そんなことがいくどかあつた

またしても

けふそれであつた

それがあたしを頰笑ませたのだ

だがけふは霜ふりの奴

よくよく腹がたつたとみえて

いのちからがらにげてゆく白めのあとを

わきめもふらず

矢のやうになつておひかけた

 

朝からの糠雨は

じめじめと

なかなかやみさうにもなかつた

あたしは籐椅子の上で

あふむけになつて

ふたたび本をとりあげた

 

それからすこしたつた

二どめにわたしが窓硝子ごしにみたときには

もうみな一しよになつて

花のさいてる桐の木のしたの葱畑で

みなむつまじくあそんでゐた

そしてとなりの奴はづうづうしくもそこで

その霜ふりいろのめのまへで

その霜ふりいろのめんどりをおつ伏せたりしてゐた

 

   *]

蟹   山村暮鳥

 

  

 

自分はそのとき一ぴきの蟹であつた

そして渚の小さな孔にはひこんでゆくのであつた

まあ、なんといふ暗黑(くら)さだらう

自分はおもはずふりかへり

ひよつこりと首だけだして

外をながめた

其處にゐたときには

それほどとも氣附かなかつたが

それこそ外は、みてもまぶしい光明遍照の世界であつた

だがどんなにくらくつても

また、どんなに陰鬱で汚くつても

これは自分の孔だ

これが自分の孔だとおもふとうれしかつた

泌々とうれしかつた

そこにも蟹が三びきゐた

おう妻よ

子ども達よ

わたしをまつてゐてくれたが

しかし、けふはなんにも獲物がなかつた

 

[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集では末の「おう妻よ」以下四行が独立連となって全二連構成となっている。また、「鬱」が「欝」で、「泌々」が「泌々」である(後者は以前に注したが、「泌」自体に「沁」と同義があるので決して誤字ではない)。

「光明遍照」「くわうみやうへんぜう(こうみょうへんじょう)」は本来は仏教用語の古語で、阿弥陀仏の光明が広く普く全世界を照らして念仏する総ての生きとし生けるものを救う、広大無辺の慈悲を表わす語である。

 彌生書房版全詩集版。

   *

 

  

 

自分はそのとき一ぴきの蟹であつた

そして渚の小さな孔にはひこんでゆくのであつた

まあ、なんといふ暗黑(くら)さだらう

自分はおもはずふりかへり

ひよつこりと首だけだして

外をながめた

其處にゐたときには

それほどとも氣附かなかつたが

それこそ外は、みてもまぶしい光明遍照の世界であつた

だがどんなにくらくつても

また、どんなに陰欝で汚くつても

これは自分の孔だ

これが自分の孔だとおもふとうれしかつた

沁々とうれしかつた

そこにも蟹が三びきゐた

 

おう妻よ

子ども達よ

わたしをまつてゐてくれたが

しかし、けふはなんにも獲物がなかつた

 

   *]

雷雨の時   山村暮鳥

 

  雷雨の時

 

遠くからごろごろと

まるで何處かで籾磨りでもはじめたやうにきこえる

かみなりだ

かみなりだ

いい音だな

ほんとにひさしぶりできくんだ

ああ、いい

まあどうだい

なんといふすばらしい雲だらう

きつとかくれてゐたんだらう

山の背後から

むくむくともりあがつてでてきた

はやいもんだな

みるみる

もうあんなに擴がつた

 

ごろごろ、ごろごろ

ほんとにいい音だ

だんだんちかくなつてくるやうだな

や、ひかつたぞ

 

あれ、あれ

畑の百姓達がどうだい

鍬や肥桶をひつかついで

ぴよんぴよん

ぴよんぴよん

機蟲(バツタ)か蝗のやうに逃げだしたつてば

ああ、いい

たうとう雲は

自分達のあたまのうへまでかぶさつてきた

墨汁をながしたやうな雲だな

ああ、いい

あ、あ、縣道をおもちやのような

自轉車やじんりきのはしること

犬も驅けてゆく

豚もかけてゆく

あの荷馬車はどうしたんだらう

畜生がいふことをきかないんだな

おや、寢ころんでしまつた

あれでは

馬方も氣が氣ではあるまい

そんなことにはとんちやくなく

かみなりはごろごろ

いなびかりはぴかぴか

あの彼方の森や田圃のはうは

いままではつきりとみえてゐたつけが

たちまち

ぼかしたやうになつてしまつた

もうふつてゐるんだらう

 

おや、そんなことをいつてゐるまに

ぽつり、ぽつり

ここまで、や、落ちてきた

はやいもんだな

威勢のいい雨だな

まつたく豆熬りでもしてゐるようぢやないか

 

ああ、いい

ああ、いい

 

おうい、干物をはやく取りこめ

なかなかの大粒だぞ

底拔けにやつてきそうだぞ

ぱらぱら

ぱらぱら

ああ、いい

かみなりがなんだ

いなびかりがなんだ

みんな、だれもかも素裸になつて

とびだせ

とびだせ

いきかへれ

 

ああ、いい雨だ

いい夕立だ

これのとほりすぎたあとの

そのすがすがしさもおもふがいい

からりと洗ひきよめられたやうな蒼空に

大きな虹

そこで世界が

おとぎばなしの國になるんだ

 

おう、生きてゐることのありがたさ

これだから

これだから

なんといつても

生きることはやめられないんだ

それはありがたすぎるほどでさえある

ああ、いい

 

[やぶちゃん注:「縣道をおもちやのような」、「まつたく豆熬りでもしてゐるようぢやないか」、「底拔けにやつてきそうだぞ」、「それはありがたすぎるほどでさえある」はママ。

「あの彼方の森や田圃のはうは」彌生書房版全詩集では「彼方」に「むかう」とルビする。

 以下、彌生書房版全詩集版を示す。

   *

 

  雷雨の時

 

遠くからごろごろと

まるで何處かで籾磨りでもはじめたやうにきこえる

かみなりだ

かみなりだ

いい音だな

ほんとにひさしぶりできくんだ

ああ、いい

まあどうだい

なんといふすばらしい雲だらう

きつとかくれてゐたんだらう

山の背後から

むくむくともりあがつてでてきた

はやいもんだな

みるみる

もうあんなに擴がつた

 

ごろごろ、ごろごろ

ほんとにいい音だ

だんだんちかくなつてくるやうだな

や、ひかつたぞ

 

あれ、あれ

畑の百姓達がどうだい

鍬や肥桶をひつかついで

ぴよんぴよん

ぴよんぴよん

機蟲(バツタ)か蝗のやうに逃げだしたつてば

ああ、いい

たうとう雲は

自分達のあたまのうへまでかぶさつてきた

墨汁をながしたやうな雲だな

ああ、いい

あ、あ、縣道をおもちやのやうな

自轉車やじんりきのはしること

犬も驅けてゆく

豚もかけてゆく

あの荷馬車はどうしたんだらう

畜生がいふことをきかないんだな

おや、寢ころんでしまつた

あれでは

馬方も氣が氣ではあるまい

そんなことにはとんちやくなく

かみなりはごろごろ

いなびかりはぴかぴか

あの彼方(むかう)の森や田圃のはうは

いままではつきりとみえてゐたつけが

たちまち

ぼかしたやうになつてしまつた

もうふつてゐるんだらう

 

おや、そんなことをいつてゐるまに

ぽつり、ぽつり

ここまで、や、落ちてきた

はやいもんだな

威勢のいい雨だな

まつたく豆熬りでもしてゐるやうぢやないか

 

ああ、いい

ああ、いい

 

おうい、干物をはやく取りこめ

なかなかの大粒だぞ

底拔けにやつてきさうだぞ

ぱらぱら

ぱらぱら

ああ、いい

かみなりがなんだ

いなびかりがなんだ

みんな、だれもかも素裸になつて

とびだせ

とびだせ

いきかへれ

 

ああ、いい雨だ

いい夕立だ

これのとほりすぎたあとの

そのすがすがしさもおもふがいい

からりと洗ひきよめられたやうな蒼空に

大きな虹

そこで世界が

おとぎばなしの國になるんだ

 

おう、生きてゐることのありがたさ

これだから

これだから

なんといつても

生きることはやめられないんだ

それはありがたすぎるほどでさへある

ああ、いい

 

   *]

妻と語る   山村暮鳥

 

  妻と語る

 

そのぬひばりを針坊主に刺して

まあ、きて御覽

妻よ

これがお前と自分のこしらへた畑だ

庭隅を掘りおこした

一坪ほどの土ではあるが

それでも

ここにまきつけられた種子は

ここをしんじつの母胎として

かうしていきいきと

芽をふき

葉をだし

するすると蔓までのばした

 

そのぬひばりを針坊主に刺して

まあ、きて御覽

妻よ

にんげんならば手のやうな蔓は

自分が立ててやつた枯木に

それをどんなにまちかねてゐたのであらう

すぐ、ああしてからみついて

いまみるともう

遠い山脈のいただいてゐる雪のようなそんなくつきりした花を

あちらこちらにうつくしくつけはじめた

そら、ね

まつたくこれはおもちやのようの畑だけれど

かうして葉と葉があをあをと

もりあがり

かさなりあつて

風にひらひらしてゐるところは

どうみても大森林のようではないか

 

ほら、蝶々がやつてきた

ほら、縞とんぼがとびたつた

そこにかまきり

どこかにかくれて

鳴いてゐるきりぎりす

それから

そこらを跳ねまはつてゐるのは機蟲(バツタ)の子だらう

 

ああ、いい

ああ、いい

まあ、きて御覽

自分達もそうした仲間であつたらなあ

 

妻よ

こんな酷暑だ

かんかん熬りつけられるやうな

そんな眞夏のまつぴるまだ

いかに自分達のことはいはないにしても

自分はしみじみ

みてゐる目でも凉しいそこの葉かげを

子ども達のためにおもふよ

ほんとに、これは

おもちやのような畑ではあるが

お前と自分で

こしらへたんだ

そしてなんといつても

小さな可愛い蟲けらにとつては

うつくしい自然の大森林であらう

もうあんなに

莢豆もぶらさがつた

 

[やぶちゃん注:「雪のような」、「大森林のようではないか」、「おもちやのような」は総てママ。

「するすると蔓までのばした」彌生書房版全詩集では、この後の行空けはなく、本篇は全五連であるのに、そちらは全四連構成となっている

「自分が立ててやつた枯木に」彌生書房版全詩集では「枯木」は「榾木」となっているここまで電子化してきた経験上からは、暮鳥は蔓性植物の添え木(支え木)として「榾木」を用い、その表記をしているから、印象としては遙かに「枯木」よりもしっくりくる語であることは確かである。

「まつたくこれはおもちやのようの畑だけれど」はママ。彌生書房版全詩集は、「まつたくこれはおもちやのやうな畑だけれど」となっている

「縞とんぼ」腹部に縞模様を持つのは、黄色と黒の縞を持つ人気のある大型種不均翅(トンボ)目トンボ亜目オニヤンマ上科オニヤンマ科オニヤンマ属オニヤンマ Anotogaster sieboldii や、トンボ亜目ヤンマ上科ヤンマ科 Aeshnidae が代表的ではあるが、ヤンマ上科サナエトンボ科 Gomphidae の種群も似たような縞を持つ。これらは実に科レベルで異なる種なのであるが(「オニヤンマ」類と「ヤンマ」類も科レベルで異なる別種であることに注意!)、面倒なことにサナエトンボ類には「~ヤンマ」という和名を持つ種がおり、昆虫好き以外の一般人はこれらを十把一絡げに混同している向きが強いように思われる。

「莢豆」「さやまめ」。マメ目マメ科マメ亜科エンドウ属エンドウ Pisum sativum 。所謂、通称のサヤエンドウ(莢豌豆)のことである。

 以下、彌生書房版全詩集版。

   *

 

  妻と語る

 

そのぬひばりを針坊主に刺して

まあ、きて御覽

妻よ

これがお前と自分のこしらへた畑だ

庭隅を掘りおこした

一坪ほどの土ではあるが

それでも

ここにまきつけられた種子は

ここをしんじつの母胎として

かうしていきいきと

芽をふき

葉をだし

するすると蔓までのばした

そのぬひばりを針坊主に刺して

まあ、きて御覽

妻よ

にんげんならば手のやうな蔓は

自分が立ててやつた榾木に

それをどんなにまちかねてゐたのであらう

すぐ、ああしてからみついて

いまみるともう

遠い山脈のいただいてゐる雪のやうなそんなくつきりした花を

あちらこちらにうつくしくつけはじめた

そら、ね

まつたくこれはおもちやのやうな畑だけれど

かうして葉と葉があをあをと

もりあがり

かさなりあつて

風にひらひらしてゐるところは

どうみても大森林のやうではないか

 

ほら、蝶々がやつてきた

ほら、縞とんぼがとびたつた

そこにかまきり

どこかにかくれて

鳴いてゐるきりぎりす

それから

そこらを跳ねまはつてゐるのは機蟲(バツタ)の子だらう

 

ああ、いい

ああ、いい

まあ、きて御覽

自分達もそうした仲間であつたらなあ

 

妻よ

こんな酷暑だ

かんかん熬りつけられるやうな

そんな眞夏のまつぴるまだ

いかに自分達のことはいはないにしても

自分はしみじみ

みてゐる目でも凉しいそこの葉かげを

子ども達のためにおもふよ

ほんとに、これは

おもちやのやうな畑ではあるが

お前と自分で

こしらへたんだ

そしてなんといつても

小さな可愛い蟲けらにとつては

うつくしい自然の大森林であらう

もうあんなに

莢豆もぶらさがつた

 

   *

春   山村暮鳥

 

  

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

ああ いい

 

しつとりぬれたつちから

たちのぼるすいじようき

そのうへに

ひとむれのはむしがゐる

こなゆきのやうな

ごみのやうなはむしだ

ふわふわ ふわふわ

 

はむしはちつたり

またかたまつたり

なんといふ

たのしさうなことだらう

 

ふわふわ ふわふわ

 

わづかにいちにち

せいぜいふつかのいのちだけれど

ああしてはむしは

そのいのちのかぎりを

たのしんでゐるのだ

 

みんないつしよにむつまじく

ふわふわ ふわふわ

はるのあさの

このひかりのなかをおよぎまわり

そのひかりをすひ

そのひかりにいきて

そしてよろこびたのしんでゐるのだ

 

みてゐると

まるでダンスでもしてゐるようではないか

じぶんたちにはきこへないが

きつとうたもうたつてゐるだらう

ああ いい

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

 

それだのに

じぶんたちにんげんにばかりは

どうしてかうもくるしみやかなしみが

それこそはぐさのつるのやうに

からみまつはつてはなれないのか

 

それとも、ああして

ただよろこびたのしんでゐるようにみえる

むしけらにもそれがあるのか

あのつかのまのいのちのむしけらにも

いや いや

そんなことはあるまい

それにしてはあまりにはかないいきものだ

 

ああ、ただいのちをもつてゐるといふばかりに

むしけらはむしけらとて

よろこびたのしみ

にんげんはかなしみそしてくるしむのか

だがそれでいい

それでいい

いつかはじぶんたちも

このかなしみくるしみをつきぬけて

そこにまことの

とこしへのひかりをみつけるだらう

こんなはるの

こんなうららかなあさ

そのときこそはじぶんたちも

このいのちのかぎり

ふわふわ ふわふわ

ふわふわ ふわふわ

そのとこしへのひかりのなかで

ゆうゆうとたれもかれもみんなめいめいに

たましひのそのおほきなつばさをひろげるだらう

ゆめのようなはなしだ

ゆめのようなはなしではあるが

そこにじぶんたちの

そればつかりでいきてゐられるのぞみがあるのだ

 

おのおののゆめをげんじつに

おのおののげんじつをゆめに

 

ふわふわ ふわふわ  ふわふわ

 

[やぶちゃん注:「すいじようき」「ふわふわ」(総て。歴史的仮名遣なら「ふはふは」が正しい)「およぎまわり」「してゐるようではないか」「きこへない」「たのしんでゐるようにみえる」「ゆめのようなはなしだ」と次の「ゆめのようなはなしではあるが」は総てママ。一部、改頁箇所の空行は、前後ページの印刷端位置を定規で計測してかなり厳密に推断して施した。印刷業者のミスでなければ、間違ない自信は、ある

「はむし」ここは「こなゆきのやうな」とあるから、「羽蟲(羽虫)」で広く小さな羽のある虫全般を指している(狭義にはコウチュウ目カブトムシ亜目ハムシ上科ハムシ科 Chrysomelidae に属する種群を指すが、それではないという意味である)。

 本篇も彌生書房版全詩集のそれとは大きく違う。全十三連構成であることに変わりはないものの、実は原典と彌生書房版で連の切れ方が大きく異なっており、さらに原典の第十一連の「だがそれでいい」の次の「それでいい」が存在しない。以下に彌生書房版を示す。

   *

 

  春

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

ああ いい

 

しつとりぬれたつちから

たちのぼるすゐじようき

そのうへに

ひとむれのはむしがゐる

こなゆきのやうな

ごみのやうなはむしだ

 

ふわふわ ふわふわ

 

はむしはちつたり

またかたまつたり

なんといふ

たのしさうなことだらう

 

ふわふわ ふわふわ

 

わづかにいちにち

せいぜいふつかのいのちだけれど

ああしてはむしは

そのいのちのかぎりを

たのしんでゐるのだ

 

みんないつしよにむつまじく

ふわふわ ふわふわ

はるのあさの

このひかりのなかをおよぎまはり

そのひかりをすひ

そのひかりにいきて

そしてよろこびたのしんでゐるのだ

 

みてゐると

まるでダンスでもしてゐるやうではないか

じぶんたちにはきこえないが

きつとうたもうたつてゐるだらう

ああ いい

 

はるだ

はるだ

そしてあさだ

あめあがりだ

 

それだのに

じぶんたちにんげんにばかりは

どうしてかうもくるしみやかなしみが

それこそはぐさのつるのやうに

からみまつはつてはなれないのか

 

それとも、ああして

ただよろこびたのしんでゐるやうにみえる

むしけらにもそれがあるのか

あのつかのまのいのちのむしけらにも

いや いや

そんなことはあるまい

それにしてはあまりにはかないいきものだ

 

ああ、ただいのちをもつてゐるといふばかりに

むしけらはむしけらとて

よろこびたのしみ

にんげんはかなしみそしてくるしむのか

だがそれでいい

いつかはじぶんたちも

このかなしみくるしみをつきぬけて

そこにまことの

とこしへのひかりをみつけるだらう

こんなはるの

こんなうららかなあさ

そのときこそはじぶんたちも

このいのちのかぎり

ふわふわ ふわふわ

ふわふわ ふわふわ

そのとこしへのひかりのなかで

ゆうゆうとたれもかれもみんなめいめいに

たましひのそのおほきなつばさをひろげるだらう

ゆめのやうなはなしだ

ゆめのやうなはなしではあるが

そこにじぶんたちの

そればつかりでいきてゐられるのぞみがあるのだ

おのおののゆめをげんじつに

おのおののげんじつをゆめに

 

ふわふわ ふわふわ  ふわふわ

 

   *

ここまで刊行詩集原典と有意に異なるということは、最早、彌生書房版全詩集の「土の精神」は山村暮鳥の原稿に基づくものであって、刊行された詩集「土の精神」の再現ではないと考えるしかないようだ。甚だ不満なのは、同全詩集がそうした基礎底本や校訂方針及び訂正経緯等を一切記していない点にある。このような不親切な「全詩集」は私はあってはならないものと思う。

遠いふるさと   山村暮鳥

 

  遠いふるさと

 

遠いふるさとの

その初冬をおもひだして

自分は郊外にきてみた

 

父のふるさとがどちらにあるのか

そのゆくさきざきでうまれる子ども達は

その方角さへも知らないのだ

その子どもたちにも

そちらの雪の山々でもみせようと

郊外につれだつてきてみた

 

けれど もうとつぷりと

夕靄がたちこめてゐて

なんにもみえない

 

ひろびろとした麥畠にでて

自分達のみたのは

さびしい電線のはりがねと

曲りくねつた田舍道

そのうへをとほく

おもちやのやうな人力車が一つはしつてゆく

ただ、それだけ

 

そんなものをみにきたのではなかつた

だが、さうしたものでもみてゐると

はるかに

はるかに

その廣い郊外のはてに

山々を越えたあちらに

いまもむかしのやうに、はやくも

雪で純白(まつしろ)にうづもれてゐるであらう

自分のふるさとがあり

自分を手招いてゐるのであつた

 

[やぶちゃん注:彌生書房版全詩集では以下のように第二連と第三連が繋がっており、全体が四連構成となってしまっている。初版は左ページ内ではっきりと連が切れている。

   *

 

  遠いふるさと

 

遠いふるさとの

その初冬をおもひだして

自分は郊外にきてみた

 

父のふるさとがどちらにあるのか

そのゆくさきざきでうまれる子ども達は

その方角さへも知らないのだ

その子どもたちにも

そちらの雪の山々でもみせようと

郊外につれだつてきてみた

けれど もうとつぷりと

夕靄がたちこめてゐて

なんにもみえない

 

ひろびろとした麥畠にでて

自分達のみたのは

さびしい電線のはりがねと

曲りくねつた田舍道

そのうへをとほく

おもちやのやうな人力車が一つはしつてゆく

ただ、それだけ

 

そんなものをみにきたのではなかつた

だが、さうしたものでもみてゐると

はるかに

はるかに

その廣い郊外のはてに

山々を越えたあちらに

いまもむかしのやうに、はやくも

雪で純白(まつしろ)にうづもれてゐるであらう

自分のふるさとがあり

自分を手招いてゐるのであつた

 

   *]

朝餉の食卓   山村暮鳥

 

  朝餉の食卓

 

ぜいたくのかぎりをつくしたものではないか

自分達のこの食卓は

靑葱のいつものくさい味噌汁のほか

かうしてはるばる遠いハコダテのともから

おくられてきたばつかりの鈴蘭が

まだいきいきと匂つてゐる

何といふ朝餉だらう

それだのに子ども達の

ちつとも幸福さうでないのを

さて、どうしたらよからふ

 

[やぶちゃん注:最終行の末「よからふ」はママ。彌生書房版全詩集では以下のように、三行目の一部が分離されて全十一行となり、新たな四行目には読点が加わり、著しく詩形が異なっている

   *

 

  朝餉の食卓

 

ぜいたくのかぎりをつくしたものではないか

自分達のこの食卓は

靑葱のいつもの

くさい味噌汁のほか、かうして

はるばる遠いハコダテのともから

おくられてきたばつかりの鈴蘭が

まだいきいきと匂つてゐる

何といふ朝餉だらう

それだのに子ども達の

ちつとも幸福さうでないのを

さて、どうしたらよからう

 

   *]

郊外小景   山村暮鳥

 

  郊外小景

 

とほくとほく

天(そら)のはてにみえる

山脈の

はつきりとした紫紺色

そのいただきは

まつ白だ

 

よくみると

その山かげからほそぼそと

一すぢのうすい煙が立つてゐる

 

おや、あんなところにも

自分達とおなじような

人間がすんでゐるのだらうか

それなら

あの煙のしたには

鷄もないてゐるだらう

子どももあそんでゐるだらう

 

なんだか

そこがたいへん

いい國のような氣がしてならない

 

この麥畑の徑を

まつすぐに

どこまでもどこまでも

いつてみたいような氣がしてならない

 

[やぶちゃん注:「自分達とおなじような」「いい國のような氣がしてならない」「いつてみたいような氣がしてならない」の三ヶ所の「ような」はママ。

「この麥畑の徑を」彌生書房版全詩集では「徑」が「逕」となっている

 彌生書房版全詩集版。

   *

 

  郊外小景

 

とほくとほく

天(そら)のはてにみえる

山脈の

はつきりとした紫紺色

そのいただきは

まつ白だ

 

よくみると

その山かげからほそぼそと

一すぢのうすい煙が立つてゐる

 

おや、あんなところにも

自分達とおなじやうな

人間がすんでゐるのだらうか

それなら

あの煙のしたには

鷄もないてゐるだらう

子どももあそんでゐるだらう

 

なんだか

そこがたいへん

いい國のやうな氣がしてならない

 

この麥畑の逕を

まつすぐに

どこまでもどこまでも

いつてみたいやうな氣がしてならない

 

   *]

山村暮鳥詩集「土の精神」始動 / 縞鯛の唄(序詩)・永遠の子どもに就て

 

詩集「土の精神」

 

[やぶちゃん注:山村暮鳥の死後五年後の昭和四(一九二九)年二月二十日素人社書屋(東京)刊の初版を早稲田大学蔵のこちらで視認して電子化注する。

 但し、時間を節約するために菊池眞一氏の「J-TEXT」のこちらのテクストを加工データ(但し、漢字新字体。底本は私が活字本として所持する彌生書房版全詩集の第六版)として使用させて戴いた。ここに謝意を表する。

 なお、本日(2017年3月31日)より電子化注を開始し、既に十一篇を数えているのであるが、今回は、実際に刊行された詩集の本文と、彌生書房版全詩集の本文との間に有意な異同が存在し、それが看過出来ないほど著しいものであることが判ってきた。遺憾乍ら、後者は底本や校訂凡例などが全く明記されていないとんでもない全詩集であるため、推理するしかないのであるが、どうも、この暮鳥没後に刊行された詩集「土の精神」パートに限っては、刊本に編者による手が有意に加えられていることが、残存する原稿などから知れたために、それらに依拠して新たに活字化されているものと考えざるを得ない。されば、本詩集に関しては、注で、彌生書房版の当該詩を詩集本文と照応させて漢字の正字化を行ったものを、洩れなく(全く違いがないものでも)附すこととした。それによって、孰れが暮鳥のまことの吟詠にちかいものかは判らぬながらも、読む者は、よりまことの原型に近い彼の詩篇をここで見ることが出来ると信ずるからである。なお、白神氏の「山村暮鳥年譜」を見ると、本詩集は山村暮鳥と親しい交流のあった詩人花岡謙二(明治二〇(一八八七)年~昭和四三(一九六八)年:最初、暮鳥のように短歌を作り、前田夕暮に師事、『詩歌』社友となる。また詩をも書き、『新詩人』」に参加、詩集「母子像」(大一〇(一九二一)年)・歌集「歪められた顔」(昭三(一九二八)年)などがある)の編集になるもので、生前の暮鳥の校閲を経たものではないらしく、テクスト的な信頼度が必ずしも高くないことが窺われる。]

 

 

 

  縞鯛の唄

 

折角釣つてはみたものの

あまりにも

あまりにも

小さいので

そつとまた海に歸した

一ぴきのかはいい縞鯛

海にまたかへす

そのとき

としよりはかぶりをふつて

(くひものには

これではならぬ)

 

[やぶちゃん注:以上は本詩集全体の「序詩」である(以下に続く「目次」(ここでは省略した)では、はっきりと『縞鯛の唄 (序詩)』とある)。

「縞鯛」「しまだい」は条鰭綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目イシダイ科イシダイ属イシダイ(石鯛) Oplegnathus fasciatus の幼魚の別称。ウィキの「イシダイ」によれば、一般に成魚でも『体色は白地に』七本の『太い横縞が入るが、成長段階や個体によっては白色部が金色や灰色を帯びたり、横縞が隣と繋がったりもする。幼魚や若魚ではこの横縞が明瞭で、この時期は特にシマダイ(縞鯛)とも呼ばれる』。但し、『成長につれて白・黒が互いに灰色に近くなり、縞が不鮮明になる。特に老成したオスは全身が鈍い銀色光沢を残した灰黒色となり、尾部周辺にぼんやりと縞が残る程度になる。同時に口の周辺が黒くなることから、これを特に「クチグロ」(口黒)、または「ギンワサ」「ギンカゲ」などと呼ぶ。一方、メスは老成しても横縞が残る』。縞の様子の明瞭なところからから、独特の三番叟烏帽子を被って舞われる予祝狂言のそれに擬えて「サンバソウ」(三番叟)の名も幼魚(時に縞の明瞭な個体)には与えられている。

 

 彌生書房版全詩集参考底本詩篇を以下に示す(漢字は上記詩集版を参考に正字化した。この注は以下では略す)。

   *

 

  縞鯛の唄

 

折角釣つてはみたものの

あまりにも

あまりにも

小さいので

そつとまた海に歸した

一ぴきのかはいい縞鯛

海にまたかへす

そのとき

としよりはかぶりをふつて

(くひものには

これではならぬ)

 

   *]

 

 

 

詩集 土の精神

 

[やぶちゃん注:扉。その裏(右)に『裝幀挿畫・小川芋錢』とある。私は芋銭(うせん)好きで、この詩集も底本画像で見ると、実に掬すべきものであることが判る。]

 

 

 

  永遠の子どもに就て

 

おお お前は

お前はどこにねむつてゐたのか

なんといふ深い睡りにおちいてゐたのだ

ほんとにお前は蘇(うまれか)はつてでもきたやうにみえる

お前はいつみてもみづみづしく

お前はいつもいのちに充ち溢れてゐる

お前はちからだ

お前はのぞみだ

お前があるので醜い世界もうつくしく

そして人間銘々は生きてゐるのだ

永遠の子どもよ

永遠の子どもよ

お前をみうしなつてからの自分が

どんなにひどくくるしんだか

くるしみくるしんできたことか

お前は知るまい

だがそれでいい

それでいい

何もきいてくれるな

前額(ひたひ)にふかい此の皺々

ふしくれだつた此の手

さては冬枯れの野面のようなこころ

それらについて

自分はなんにもいひたくない

自分からいつとはなしにきえうせた永遠の子どもよ

それでも自分をわすれずに

よくまあかへつてきてくれた

おお お前は

お前はも一どかへつてきてくれた

草や木のみどりのやうにかへつてきた

蒼空のとんぼと一しよにかへつてきた

そしていまもいまとて

もろこし畑のどこやらで

鳴くギツチヨンをきいてゐる

自分のうちにめざめてお前は

 

それはさうとお前の瞳には

どうしたものか

あけぼのの寂しさがある

 

[やぶちゃん注:「さては冬枯れの野面のようなこころ」の「ような」はママ。

「ほんとにお前は蘇(うまれか)はつてでもきたやうにみえる」彌生書房版全詩集では「蘇(うまれか)はつてでも」が「蘇生(うまれか)はつてでも」でもとなっている。

「それはさうとお前の瞳には」彌生書房版全詩集では「瞳」には「め」とルビが振られてあるが、初版は大きく拡大してみても、ルビが振られた形跡はない。

 

 以下、彌生書房版全詩集版(先の「ような」は正しく「やうな」となっているが、同詩集はこれ以前の詩集群でも歴史的仮名遣の誤りは編者によって概ね(総てではない)訂されてある。以降、この注記は略す)。

   *

 

  永遠の子どもに就て

 

おお お前は

お前はどこにねむつてゐたのか

なんといふ深い睡りにおちいてゐたのだ

ほんとにお前は蘇生(うまれか)はつてでもきたやうにみえる

お前はいつみてもみづみづしく

お前はいつもいのちに充ち溢れてゐる

お前はちからだ

お前はのぞみだ

お前があるので醜い世界もうつくしく

そして人間銘々は生きてゐるのだ

永遠の子どもよ

永遠の子どもよ

お前をみうしなつてからの自分が

どんなにひどくくるしんだか

くるしみくるしんできたことか

お前は知るまい

だがそれでいい

それでいい

何もきいてくれるな

前額(ひたひ)にふかい此の皺々

ふしくれだつた此の手

さては冬枯れの野面のようなこころ

それらについて

自分はなんにもいひたくない

自分からいつとはなしにきえうせた永遠の子どもよ

それでも自分をわすれずに

よくまあかへつてきてくれた

おお お前は

お前はも一どかへつてきてくれた

草や木のみどりのやうにかへつてきた

蒼空のとんぼと一しよにかへつてきた

そしていまもいまとて

もろこし畑のどこやらで

鳴くギッチョンをきいてゐる

自分のうちにめざめてお前は

 

それはさうとお前の瞳(め)には

どうしたものか

あけぼのの寂しさがある

 

   *

「ギッチョン」の拗音表記はそのまま彌生書房版全詩集の表記を採用した。]

著者として―― /山村暮鳥詩集 「梢の巣にて」後書き

 

 著者として――

 こゝにあつめたこれらの詩はすべて人間畜生の自然な赤裸々なものである。それ以外のなんでもない。これらの詩にいくらかでも價値があるなら、それでよし、また無いとてもそれまでだ。

[やぶちゃん注:最後の「だ」は原典では「た」であるが、特異的に訂した。]

 自分が詩人としての道をたどりはじめたのは、ふりかへつて見るともうずゐぶん遠い彼方の日のことだ。そのをりをりの自分が想ひだされる。耽美的で熱狂的で、あるなにものかにつよくつよくひきつけられてゐた自分、それがなにものだか解らない。自分はそれに惑溺してゐた。それは美のそして中心のない世界であつた。それから自分はいつしか宗教的の侏儒であり、中古の鍊金士などのあやしい神祕に憑かれてゐた。その深刻さにおいてはすなはち象徴そのものであつたやうな自分。嚴肅もそこまでゆくと遊びである。それにおそれおのゝいた自分。そして一切をかなぐりすてゝ、靈魂(たましひ)を自然にむけた。人間も自然もみんなそこでは新しかつた。かうして陶醉とものまにあとの轡を離れて、自分はさびしくはあつたが一本の木のやうにゆたかなる日光をあびた。それも一瞬間、運命はすぐかけよつて自分をむごたらしくも現實苦痛の谿底に蹴落したのだ。

[やぶちゃん注:太字は原典では傍点「ヽ」。

「ものまにあ」“monomania”。偏執狂。ギリシャ語(“monos”(「単一の」)+“mania”(狂気)に由来)精神疾患の一つ。患者が単一(群)の種の思考のみしか受け入れなくなる偏執症の一種。かつて詩集「聖三稜玻璃」に室生犀星が寄せた序の「聖ぷりずみすとに與ふ」(太字は元は傍点「ヽ」)の中で、室生は山村暮鳥のことを『尊兄の愉樂はもはや官能や感覺上の遊技ではない。まことに恐るべき新代生活者が辿るものまにあの道である』と評していた

「轡」は「くつわ」。]

 その谿底でかゝれたのがこれらの詩章である。これらの一字一句はすべて文字通りに血みどろの中からでてきた。自分は血を吐きながら、而も詩をかくことをやめなかつた。それがこれらの詩章である。

 人間畜生の赤裸々なる! こゝまでくるには實に一朝一夕のことではなかつた。

 眞實であれ。眞實であることを何よりもまづ求めろ。

 暮鳥、汝のかく詩は拙い、だがそれでいゝ。

 けつして技巧をもてあそんではくれるな。油壺からひきだしたやうなものをかいてはならない。

[やぶちゃん注:「油壺からひきだしたやうなもの」継ぎ足し継ぎ足ししてきた使い古した紋切り型の詩想や技巧を指すのであろう。]

 ジヨツトオの畫、ミケランゼロの彫刻、あの拙さを汝はぐわんねんしてゐるのではないか。おゝ、何といふ偉大な拙さ!

[やぶちゃん注:「ジヨツトオ」イタリア・ルネサンスの先駆者とされる画家・建築家として知られるジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone 一二六七年前後~一三三七年)。

「ミケランゼロ」言わずと知れたイタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni 一四七五年~一五六四年)。

「ぐわんねん」「願念」か。]

 暮鳥はそれをめがけてゐる。

 あゝミケランゼロ! 人間が達しえたその最高絶頂に立つてゐる彼の製作、みよその頭に角のはへてゐるモオゼのまへではナポレオンも豆粒のやうだ。

 此の偉大はどこからきたか。自分等はそのかげにかのドナテロを見遁してはならない。眞實そのものゝやうなドナテロ。

 ――茨城縣磯濱にて――

[やぶちゃん注:著者山村暮鳥自身による後書き。最後の識場所のそれは原典では下六字上げインデント。

「ドナテロ」イタリア・ルネサンス初期の彫刻家ドナテッロ(Donatello 一三八六年前後~一四六六年)。

「茨城縣磯濱」既注であるが、再掲しておくと、本詩集刊行当時(大正一〇(一九二一)年五月二十五日。暮鳥三十七歳)の暮鳥一家は大正九(一九二〇)年一月二十七日から茨城県磯浜町(いそはまちょう)(現在の大洗町(おおあらいまち)明神町(みょうじんちょう))の別荘に移っている(転地療養。但し、この前には実は目まぐるしく茨城県内での移転を繰り返している)。暮鳥は三年前の大正七(一九一八)年の半ば(当時は水戸ステパノ教会勤務)より結核の顕在的な重い症状が認められたようであり、同年九月二十八日には大喀血を起こし、翌大正八年六月初旬には日本聖公会伝道師を休職している。

 次の頁に奥附があるが、略す。]

莊嚴なる苦惱者の頌榮   山村暮鳥

       莊嚴なる苦惱者の頌榮

 天日燦として燒くがごとし、

 いでて働かざる可からず

 ――ヨシノ・ヨシヤ――

 

[やぶちゃん注:添えられた辞は原典では「天日燦として燒くがごとし、いでて働かざる可からず」で一行であるが、ブログのブラウザの不具合を考え、かく改行した。「――ヨシノ・ヨシヤ――」の位置は原典では、更に、ほぼ下インデント位置にある。この添え辞は山村暮鳥の友人で農民詩人であった三野混沌(みのこんとん 明治二七(一八九四)年~昭和四五(一九七〇)年:本名・吉野義也(よしのよしや))の詩句である。福島県石城郡平窪村(現在のいわき市平下平窪)生まれで、磐城中学校卒業後は家業の農業に従事したが、この頃、伝道師としてそこに赴任して来た暮鳥と親交を始め(大正四(一九一六)年秋頃)、その交友は暮鳥が没するまで続いた。翌大正五年一月、好間村(現在のいわき市好間(よしま)町)北好間の菊竹山(きくたけやま:この附近(グーグル・マップ・データ))で開墾を始めた混沌は、翌年、猪狩轍弥と『農夫』を創刊、昭和戦前まで、いわき地域で発行された詩誌の中心的存在であった(同地には暮鳥も開墾に入ったものの、結核の悪化のために退去せざるを得なかった)。一時、上京して早稲田大学高等予科で学んだが、中退して菊竹山に戻り、大正一〇(一九二一)年三月、同じ福島県生まれで小学校教員であった若松せい(明治三二(一八九九)年~昭和五二(一九七七)年)と結婚、本格的な開墾生活に入って、梨の栽培と自給自足の野菜作りに努めた。暮鳥没後であるが、昭和二(一九二七)年三月に詩集「百姓」(土社)、四月に「開墾者」(土社・銅鑼社)を刊行した。戦後は農地委員会小作委員として東奔西走し、昭和二二(一九四七)年七月、草野心平らの詩誌『歴程』」同人となって作品を発表、昭和二八(一九五四)年には「阿武隈の雲」(昭森社)を刊行している。混沌の没後、草野心平の勧めにより七十歳を過ぎてから筆を執った妻吉野せいは「暮鳥と混沌」「洟をたらした神」(本作で「大宅壮一ノンフィクション賞」及び「田村俊子賞」を受賞)「道」を執筆、そこには夫妻の生活が描かれた作品も収められている。以上は「いわき市立草野心平記念文学館」公式サイト内のこちらの吉野の紹介ページ(まさにこの「天日燦として焼くがごとし 出でヽ働かざる可からず 吉野義也」という、いわき市好間町北好間字上野の菊竹山に建立された草野心平揮毫になる詩碑の写真が見られる)及びサイト「文学者掃苔録」のこちらのデータを参照した。

 本詩は異様に長い。彌生書房版は二段組で一段二十二行であるが、それで三十二ページ弱、単純行換算で標題添え辞を含めると七百十七行に及ぶ。原詩集で百六〇ページから二五二ページまでで、本詩集全体は奥附を入れずに二五六ページまでであるから、実にほぼ詩集全体の二・八割弱をこの詩が占めていることになる。覚悟されたい。

 

 さらにどうしても言い添えておきたい――私はキリスト者でないどころかバキバキの無神論者であるが、この長詩には心底、心打たれた。何故なら、私が聖書に感ずるところの率直な核心的根本疑義を山村暮鳥は美事にヤハウェに突きつけて指弾しているからである。このキョウレツ極まりない独特の信仰告白詩篇が、キリスト教の伝道師であった彼の作品であるということ自体が、全く以って恐るべきことなのだ、と私は思う。この詩篇の前にあっては、自らを「詩人」と称して恥じない似非詩人や敬虔と自負するキリスト者は蒼白とならざるを得ない。――これを「フン」とせせら笑う輩は、これ、詩人でもキリスト者でも――そして「人間」でも――ない――と断言し得る――

 

神樣

神樣

けふといふけふこそはおもひきつて

すつかりぶちまけます

どうぞおいやでもありませうが

一通りおきゝください

神樣

われわれ人間の前驅として

われわれの大遠祖(おほおや)として

あゝ此の世のあけぼのにさびしくも

あのアダムとイヴとがうまれでてから

どれほどになりませう

もうそれは

ちらりとも日光の射さない

深い深いそしてはてしない濃霧の中で

一の古いかびくさい傳説として

その眞實性をすらうしなつてしまひました

その眞實性をすらうしなつてしまつた事實

いまではどんなとしよりでも嗤つて話しておりますが

わたしはそれが悲しいのです

神樣

ようくおきゝください

アダムもイヴも

あなたの御保護をうけて

あなたの樂園では

どんなにたのしかつたことでせう

天空(そら)をとぶもの

地を匍ふもの

ありとあらゆる生き物と

ありとあらゆる美しさをあつめたあなたの樂園では

どんなにたのしかつたでせう

のぞみもなく

ねがひもなく

雪もふらず

餓うれば挘取る手をまつてゐる果實があり

熱くなく

寒くないから

きものもいらず

うまれたまゝの眞ツ裸

そして睡くなればやはらかい草の床です

彼等はかなしいことも

くるしいことも

腹の立つことも

それこそ何一つ知りませんでしたらう

死ぬなどといふことは勿論

生きてゐることすら

それでゐて何の不足もなかつたでせう

さうでせうか

何の不足もなかつたでせうか

すべてのものは

彼等に美しかつたでせう

彼等にたのしかつたでせう

彼等に快かつたでせう

彼等をそしてよろこばせたでせう

だが神樣

あゝ神樣

彼等には一の缺けたものがありました

それは自由でした

神樣

あなたは彼等を創造(つく)りなされた

あなたは彼等を祝福なされた

そしてその彼等に

世界(このよ)の總てのものをあたへなされた

それだのに

あなたは唯一つ

自由をだけは禁じなされた

なるほど彼等があの蛇となつてあらはれた

惡魔の言葉をきくまでは

そんなことも知らなかつたでせう

彼等はいかにも自由のやうにみえました

然しまことの自由は制限をゆるしません

彼等はその制限をやぶりました

如何にもやぶりました

それがいけないと仰言(おつしや)るのですか

それはあんまりです

あなたは「どんな果實をたべてもいゝ

けれど樂園のまん中にある木のだけはいけない」と

さうですか

それです

それです

それが悲しい動機です

それが神樣

何を暗示してゐるかよくあなたは御承知の筈です

あなたは全智全能の方です

それが樂園にはかうした木もあるとそれとなく

ひそかに告げてゐるのです

そればかりではありません

あなたは彼等の一切(すべて)を知つてをられる筈です

その過去はいふまでもなく

現在もまたその未來も

それだのにあなたは彼等の爲るがまゝにまかせなされた

一方で禁じておいて

他方ではゆるされてゐる

なんといふ矛盾でせう

惡はそこから生れたのです

あなたは全智全能の方です

それだのにこれはまたなんとしたことでせう

あゝたまらない

さればとてあなたにくらべては物の數でもない

弱い小さい人間です

たゞ泣き寢入るほかないのです

それはともあれ

彼等は遂にその制限をやぶりました

そしてはじめて自由でなかつたことに氣づきました

けれども遲い

あなたはすぐそれと知るが速いか

かつて一ど見せたこともない

怖しいお顏をして

お眼をぎろりと光らせて

彼等を睨みつけられたでせう

彼等はそれをみると

ふるへあがつてしまひました

そしてあゝ惡かつたとおもひました

その時からです

人間の

人間の此のたましひの奧深くに

暗い影のどこからともなくさすやうになつたのは

暗い影です

罪です

罪です

罪の巣です

神樣

そしてたうとう彼等はたよりなくも樂園から逐出されたのです

あゝそのみぢめさ

そのむごたらしさ

その眼のまへにひろがる大地は

まるで沙漠ではありませんか

生えてゐるものは荊棘と薊ばかり

ごろごろした塊ばかり

彼等はたゞ呆然としばしは口もきけなかつたでせう

あなたはアダムに言はれました

「大地は汝のために詛はれる

汝は一生のあひだ勞苦してその大地から食物を獲るのだ

汝はその大地の草を食ふのだ

汝は面に汗してそれを食ふのだ

そしてまたその大地にかへるのだ

なんとなれば

汝はその大地の塵からうまれたのだから」

それからイヴにも言はれました

「汝はくるしんで子を産むだらう

われ大に汝の懷姙(はらみ)のくるしみを增す」と

これがあなたのお言葉です

これがどんな響で彼等の耳に達したでせう

おゝ神樣

彼等は曠野につゝ立つてあひかへりみたとき

たがひに犇と抱きあつたでせう

そしてたゞ泣くより外はなかつたでせう

神樣

あなたが大地の塵からつくられた人間でさへ

親はその子を愛してをります

その子のためには

われとわが生命も惜まないのです

人間の親がくるしみなげいてその世を儚なく生きるのも

全くその子のためにです

全くその子を愛するからです

それだのにあなたは

あなたはそれで何の後悔もありませんでしたか

厄介者を逐拂つてそれでいゝ氣持だとお思ひでしたか

それにひきかへて彼等は

いつまでさうして抱きあつてめそめそしてもゐられません

覿面(てきめん)お腹が空いてくるのでした

それをなんとかしなければなりません

といつたところで食べ物はなんにもありません

どうしてもこの曠野沙漠を耕して

そこで草の葉つぱにおかれる露のやうなその生命を

そこでつながなければなりません

だがそれにしたところで

ながいながいその海草のやうにのびた髮の毛がなんになりませう

それからこれも伸びのびた手足の指のその爪

そして木の葉のきもの

武裝といつても

器具といっても

これほかなんにもないのです

けれど神樣

あゝわれわれの大遠祖達の

彼等はしづかにその手で泪を拭ひました

すると不思議ではありませんか

にはかにその身内に

ある噴水のやうなものが感ぜられました

たしかにさうです

それが力です

いまゝでは夢にも知らなかつたものです

力です

彼等はもうびくびくしてはをりません

さあどんなものでもくるなら來いと

彼等は氣強くなりました

彼等は稍氣強くはなりましたが

何をいふにも

何としても

たへられないのは空腹です

彼等はたうとう手當り次第にそこらの草を嚙みました

その草の葉つぱの露を舐めました

そのくるしさは樂園のたのしさがたのしさであつただけ

それだけ酷いくるしみでした

彼等は樂園のことをおもひだすとたまらなくなりました

いつさんに走り歸つて

そしてあなたに罪をわびて

ふたゝびそこであなたの御保護のもとでくらしたいとおもひました

けれどさう思つてふりかへつてみると

どうでせう

あなたの怖しい熖の劍がいつもぐるぐると旋轉(まは)つてゐるではありませんか

こんなことが幾度も幾度もくりかへされました

この度每におもひなほしおもひなほし

だんだんその焰の劍もみむかないやうになりました

さうすると力がその上にその上に加はつてきて

そのくるしみとなげきの中に

小さな望みをまきつけました

それはほんとに種子一粒のやうな望みでした

そんなに小さくはあつたが

それは實に彼等のくるしみとなげきの凝固(かた)まつたものでした

それに喜びの光が照り

それに悲しみの雨がかゝり

それはいよいよかたく

研ぎ磨かれる寳石のやうにいよいよひかりかゞやいてきました

彼等はそれがために

どれほどその生命をそぎ削つたことでせう

而もそれがなんでせう

望みのためです

望みは彼等自身のものです

彼等自身のよろこびです

彼等自身の幸福です

彼等自身の光です

彼等はほつと息を吐(つ)きました

ですが神樣

それもほんの束の間でした

みるとあなたの創りなされたものゝ中には

人間にとつてはそれこそ由々しい敵がたくさんゐました

あるものはおそろしい牙をもつてゐました

あるものは大きな角をもつてゐました

あるものは見えない刺(はり)をもつてゐました

あるものは毒をもつてゐました

あるものは底のないやうな怖しさをもつてゐました

あるものは木でもなんでも引裂いてみせました

あるものは手足の感覺をうばひました

あるものは眩暈(めくるめ)かせました

あるものは死の豫感さへあたへました

まあ何と言ふことでせう

彼等はまるで生きながら地獄に陷(おと)されたやうでした

大概のものが人間の味方ではありませんでした

そこで彼等は考へました

(それは一種の閃きのやうなものでした

彼等にとつては初めてのことです

かんがへるなどといふことは)

これはなんでも抗はないがいゝ

いや抗はないのみでなく

一そすゝんで愛してやる方がいゝと

實際また愛してやるにいゝほど

それらの中にはうつくしいものがありました

柔順なものもありました

然しその大部分はこつちの思慮なんかてんで何とも感ぜず

どしどし突進してくるのです

いゝ匂ひをかぎつけた蒼蠅のやうに群集してくるのです

それが追へば遁げるやうなものではありません

遁げれば猛つて追驅けてくるし

追はれゝば追はれたで

怒り狂つてむかつてくるではありませんか

あゝ人間最初のそして大なる苦惱者

彼等はさうしてそれらを

樹の上にさけ

土窟(つちあな)の奧にさけ

また水の中にさけました

而もいたるところに於て彼等は敵にであひました

ときには衝突もしました

攻擊もしました

そして打倒し傷け殺してやつとその身をまもりました

そして幸に生きながらへたのです

くるしめばくるしむほど

力が加はり

智慧がまし

ますます彼等は強くなるばかりでした

やがて耕した大地はよい穀物をみのらせました

立木をそのまゝの柱にして

大きな樹の下かげに

彼等は家らしいものを造りました

いつしか姙胎(みごもつ)てゐたイヴは

そこでカインを産みおとしました

その時アダムはおどろいて言ひました

「あゝ自分等は神樣によつてここに一人の人間を得た」と

どんなに喜んだことでせうか

それは彼等にとつては

闇夜に一つぽつちりとともる灯をみつけたやうなものでした

すこしも神樣をうらんでなどはをりません

すこしでもあなたに對して不平がましいことは言つてはをりません

見上げたものです

あなたのその殘忍にもひとしい聖旨(みこゝろ)にくらべて

何といふいぢらしいほどの敬虔でせう

だがそれはまた

何といふおほきな海のやうな心でせう

あるひは不平も怨恨(うらみ)も全然なかつたのでもなかつたでせうが

子どものうまれたよろこびで

それらはみんな流れるやうに消え去つてしまつたのかも知れません

たゞ呟言(つぶやき)一つ泄らしてゐないのは事實です

神樣

彼等はさうしたくるしみの中で

よせてはかへし

よせてはかへし

彼等の上にのしかゝるそのくるしみの間にあつて

どうぞおきゝください

ああ呟言(つぶやき)一つ泄らしませんでした

[やぶちゃん注:「いまではどんなとしよりでも嗤つて話しておりますが」の「おりますが」、「あゝそのみぢめさ」の「みぢめさ」はママ。「あなたの怖しい熖の劍がいつもぐるぐると旋轉(まは)つてゐるではありませんか」の「熖」の用字とその三行後の「だんだんその焰の劍もみむかないやうになりました」の「焰」の用字の違いはママ。

「挘取る」「むしりとる」。

「自由をだけは禁じなされた」底本としている早稲田大学図書館蔵本(PDF画像)では「を」の部分は幾ら拡大しても空きマスとしか見えない(何かの活字の跡らしきものが左上部に見えはするが、文字を確定出来る程度のものではない)。当初、空欄として電子化しようと考えたが、参考までに国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館蔵本であるが、同一の同日刊行の版本)の画像を拡大視認したところ、薄くしかし確かに「を」の字を確認出来たのでかく補った。

「そしてたうとう彼等はたよりなくも樂園から逐出されたのです」の「逐出された」は「おひだされた」と訓じておく。同様に後の「逐拂つて」も「おひはらつて」である。

「蒼蠅」「あをばへ(あおばえ)」。有翅昆虫亜綱双翅(ハエ)目ヒツジバエ上科クロバエ科 Calliphoridaeに属するハエ類の中で体色が緑色や青色を呈するハエの俗称。キンバエ(クロバエ亜科キンバエ族キンバエ属キンバエLucilia caesar)などが該当する(キンバエは「金蠅」であるがこの「金」は金属光沢のことを指す謂いである。キンバエは緑色・青緑色・銅赤色などを呈し、暮鳥の言う「蒼蠅」とか或いは「青蠅」の方がしっくりくると私は思う。]

 

神樣

神樣

どうぞよくお聽きください

彼等の望みはカインをかれらの手にいだかせて

さらに何をか求めてゐました

つゞいてアベルが大きな太陽をみにでてきました

アベルは羊を牧ひました

カインは土を耕しました

二人ともその父母のやうにあなたの前に柔順でした

けれどあなたは公平を缺いでゐました

あなたはカインの供物をしりぞけて

アベルのそれだけうけられた

それはどういふ譯です

なんでそんな依估ひいきの事をなさつたのです

カインの腹立つたのは當然です

あなたが腹を立たせたのです

そしてカインをして

大逆非道の血をながさせたのです

あなたがアベルを殺したもおんなじです

あゝ大地は血塗られました

あゝ殺すなかれとおしふるあなたが

かうして人間に罪の歷史をかゝせるのです

かうして人間を汚すのです

かうして人間をその生けるかぎりくるしめるのです

愛するがゆゑに鞭打つのだとは

それは人間のうつくしいそしてけなげな言葉です

それはあなたのお言葉ではありません

あなたはちやうど人間のこどもらがその玩具(おもちや)とあそぶやうに

われわれ人間に對してゐられるやうです

可愛がつてゐるでせう

だがこはれるまでその手から離しはしません

必然(きつと)いつかは壞はします

而も責任なんか感じはしません

こはれたら棄てるまでゞす

泪なんか流しはしません

よし流したところで

それはおもちやを愛してゞはなく

それによつて自分自身が傷つけられたからです

あそぶ對手(あいて)がないからです

自身に腹を立てゝ

神樣

彼等はつひに老ひ衰へて死にました

アダムもイヴも死にました

アベルを殺したカインも死んでしまひました

そのあとからぞろぞろ生れたものも

みんなくるしんでくるしんで

くるしみぬいて死にました

誰だつてみんな死んでしまふのです

あなたはさう人間をつくられたのです

人間がなんでせう

人間がなんでせう

よろこびもかなしみも

榮譽も努力も富も權威もそれがなんでせう

たゞ死です

酬いられるものはそれだけです

神樣

まつたくあなたにはかなひません

まつたくあなたのさづけた運命どほりです

まつたく人間は慘めなものです

まつたくあなたの勝利です

だが神樣

それで總てゞはありません

おきゝください

われわれはくるしみくるしんできたあひだに

いつとしもなく強くなりました

運命をすら嘲るほどになりました

くるしめられるのをかへつて喜ぶやうになりました

くるしむといふことによつて

一きわその體(からだ)においても靈魂(たましひ)においても強く

純くそして美しくなることをまなびました

死ぬためにうまれるやうな人間も

いまはその死すら怖れてはゐません

それは多勢の中にはよくよく意氣地のない人間もあります

如何にもかれらは死を怖れます

怖れてゐるやうです

然し彼等といへども死の不可避であることは知つてゐます

だからと自暴自棄に陷入りません

ある諦認をもつてゐるから

事實その死に面接しても決してあはてふためくやうなことはありません

寧ろある快感にすら自己をあたへて

靜に眠つてゆくのです

神樣

あなたは人間に運命のその最終最惡のものとして

死をあたへられました

そしてそれがあなたの決定的な勝利です

さうです

はたしてさうでせうか

神樣

それはあの鰻がつるりと指と指とのあひだを辷りぬけるやうに

御覽ください

人間は精神的にひよつこりとその死のうしろに現れて

赤い舌をぺろりとだして笑ふので

それほど人間は怜悧(さか)しくなりました

われわれの大遠祖が智慧の木の實をたべたからかも知れません

それほど怜悧しくなつてゐることをどうしませう

そればかりは如何なあなたでも

あなたの全智全能をもつてしても

どうしやうもありますまい

それもこれもくるしみくるしんだその經驗の賜物です

あゝ此處でのみです

人間が人間らしくそれ自らの意志で生きてゐられるのは

ぶつ倒されるとも曲げない意志

曲げられるとも折れない意志

殺されるとも死なゝい意志

大地の塵でありながらその大地をも踏みつける意志

さては創造者であるあなたですら

その意志にかゝつては火に觸れたやうに手を燒くでせう

詩人はきつぱりと言ひました

息絶ゆるとも否と言へ

それでこそ人間だと

けれど神樣

人間がこの意志をかちうるまでに

ながした泪

ながした汗

ながした血

それはまことに普通(なみ)大抵のものではありませんでした

みんなあなた故です

智慧の木の實のことは言はないでください

食べてならないやうなものを

なぜあなたは彼等の眼の前にをかれたのです

それもみれば食べたいやうに美しくして

それではまるでおとしあなでもこしらへておくやうなものです

それもわが子としての人間に對して

いやいや神樣

こんなことはすべて泣き言のやうに聽こへて耳ざはりです

さて神樣

すべて優秀な人間は運命にもてあそばれません

また死にも呑噬(のみこ)まれません

刄金(はがね)のやうな意志として

あなたですら尊敬しなければゐられないやうな光を射つのです

世にはあなたを信じ

あなたに賴るたくさんの人人があります

あなたを信じ

あなたに賴り

あなたを崇め

あなたをあふいでをりながら

それでゐてそれこそろくでなしの人人が少くはありません

大抵さうした人間は意氣地なしです

さうかとみると

あなたのことなどは何にも知らず

また知つてゐても信ずるでもなし賴るでもなし

而も立派な人間があります

あなたは信じられたよられて

その人人に乞食のぼろのやうにぶらさがられるのがお好きですか

それとも冷淡なやうには見えても獨立自尊

そして喋舌(しやべ)らず跳ねず

堂々とそれこそ靜肅(しづか)にをもをもしく

その自らなる天眞唯一の道をゆくものがお好きですか

優秀な人間はいたずらに信賴しません

よつてたかつて騷ぐのは蛆蟲です

「われに來れ

われ汝らを休息(やすま)せん」とおつしやつて御覽なさいまし

蛆蟲はよろこんで群りますが

人間の中の人間はそれにお答へします

「ありがたうございます

これぐらゐのことは何でもありません

私などよりもつともつとあなたの必要な人人がをります

私にはどうぞお構ひなく」と

その人はたいそう疲れてゐるやうです

然し健氣にもさう言ひます

そればかりではありません

神樣

そのひとはそのときかへつて何かあなたがこまつてゐるとすれば

それを自分で代らうとさへ言ひ出すかも知れません

そのひとは神樣にすら手傳はうとします

蛆蟲のやうなあなたの信賴者には不可能なことです

彼等は唯、主よ主よとよばはつて

それで貴い日を暮らすのです

それで救はれるとおもつてゐるのです

てんでもう自分のことばかり

それも牡丹餅で頰つぺたを打たれるやうな幸福ばかり

それを祈りもとめてゐるのです

その周圍になげき悲しんでゐるひとびとの聲が聞えないやうです

またその慘めなすがたも覩えないやうです

いや、きこえないではありません

みえないのでもありません

よくきこえてゐるのです

よくみえてゐるのです

そしてよく知つてゐるのです

ですがもう癰瘋病(ちゆうぶや)みのやうにあなたに凝固まつた彼等は

あなたを信賴して

それに滿足して

それにすつかり惑溺して

もうまつたくその麻痺的悦樂に

その指一本それがために動かすのすらものういのです

それがあなたの忠實な信者です

彼等はあなたに醉つてゐるのです

あなたのためには親も子も夫婦もなんにもありません

あなたのためには自分も他人も

眞理も美も理性もなんにもありません

まるで狂人(きちがひ)です

さうしたひとびとをつかまへて

「たゞ信ぜよ

信ずるものは救はれる」と

あゝそもそもの誤錯(あやまり)はそこにあるのです

あなたがそんなことを

あなたのお教へとして傳へさせなさるからいけません

一切教へてはいけません

何もをしへないでください

人間はどんなことでも自然にそれをさとります

そして終にはあなたに手傳ふまでになるのでせう

いや手傳ふのではありません

一しよに仕事をするのです

そのひとです

人間の仕事と神樣の仕事とになんの差別もおかないのは

それが優秀な人間です

神樣

だがそのひとは決してあなたに盲從しません

あなたをすら批判します

あなたをすら試練します

あなたが完全圓滿でないなら

その缺點を指摘します

あなたを自分の神樣とするためにはほくろ一つほどのことも

そのまゝには見遁しません

而もそのひとは自分が大地の塵であることを知つてゐます

そのひとの謙讓には底がありません

そのひとは人間の知識を天空(そら)の星の一つともおもつてはゐません

それでゐて

そのひとは自分を棄てません

これを優秀な人間といひます

間違つてゐませうか

そのひととは私の事です

[やぶちゃん注:太字は原典では傍点「ヽ」(以下、同。この注は略す)。「けれどあなたは公平を缺いでゐました」の「缺いで」の濁音はママ。「どうしやうもありますまい」のどうしやう」、「なぜあなたは彼等の眼の前にをかれたのです」の「をかれた」、「こんなことはすべて泣き言のやうに聽こへて耳ざはりです」の「聽こへて」、「堂々とそれこそ靜肅(しづか)にをもをもしく」の「をもをもしく」、「優秀な人間はいたずらに信賴しません」の「いたずら」はママ。

「純く」「きよく」。

「諦認」見かけない熟語で音読みするのも佶屈聱牙でいただけない。「あきらめ」と当て訓しておく。

「あなたを崇め」この一行、彌生書房版全詩集では「あなたを崇む」となっている。従えない

「それとも冷淡なやうには見えても獨立自尊」この一行、彌生書房版全詩集では「それとも冷淡のやうには見えても獨立自尊」となっている。従えない

「またその慘めなすがたも覩えないやうです」頭の「ま」は原典では活字が左向きに転倒している実は原典では「覩えない」は「賭えない」となっている。しかし「賭」ではおかしく、ここは前後からも「みえない」(見えない)と訓じていることは明白である。されば私はこれは「覩」の誤記或いは植字ミスと断じ、特異的に本文を訂した。彌生書房版全詩集はそのまま「賭えない」としてあるが、従えない。]

 

神樣

私はあなたを認識します

私はあなたを體驗します

けれど私はあなたにたよりはしません

多くのものはあなたを認識しません

また體驗もしません

唯、賴るのです

唯、賴るばかりです

たよつてそしてその應顯を求めるのです

もとめてそして得られないと

失望してつぶやくのです

つぶやきながらも尚も求めるのです

然しそれでも得られないと

そこであなたをうらんで憎んで棄てるのです

無神論者といふのがあります

卑しい利我的な慾望の孵へつたものです

みかけはいかにも寂靜で

淡然としてゐるやうだがそれは欺いてゐます

とにかくたよるからいけないのでせう

たよつて何になりませう

人間のそのときどきに變る天氣模樣のやうな願望のために

儼然たる宇宙の法則がまげられますか

一體、宇宙は人間のためにあるのでせうか

それとも人間がかへつて宇宙のためにあるのでせうか

また願望は法則のためですか

法則が願望のためなんですか

私は宇宙の法則といひました

それはあなたの聖旨(みこゝろ)といつてもおなじことです

また萬人は萬樣のこゝろをもつてゐます

したがつて萬樣の生活をします

その願望も萬樣です

傘商(からかさや)には雨の日がよく

染物屋には天氣がいゝのです

如何にも萬人一樣の願望はあります

けれどそれはあなたにたよるものゝ願望ではありません

あなたにたよるひとはあなたを體認してゐるやうで

實はさうでありません

眞にあなたを體認してゐるひとは決してあなたにたよりません

眞にあなたを體認してゐるひとは萬人共通のこゝろを持つてをります

私はあなたにたよりません

あなたは人間のたよるべきものではありますまい

神樣

私はくりかへして言ひます

私はあなたにたよりません

私はあなたを體認します

此の體認がすなはち私の信仰です

此の信仰は懷疑的です

此の信仰が深くなればなるほど懷疑がそれだけ大きくなります

懷疑は勇敢です

懷疑は眞實です

懷疑は火花をちらします

懷疑は悲痛です

懷疑はより大きな信仰をもたうとするものゝとほらねばならぬ道です

私はあなたを體認します

あなたに對する私の體認はむしろ反抗的です

あなたは私の敵です

敵といふ言葉が穩かでないとすれば對象と言ひませう

あなたは私の對象です

あなたは人間の對象です

あなたなしに私は一日たりとも生きてはをられません

あなたはわれわれの理想です

願くば無限に大きな理想であれ

神樣

われわれはあなたを理想として見ます

どういふものでせう

一つの癖です

ところが實際のあなたは

われわれ人間ですらが顏面(かほ)をそむけるやうなことを平氣でなさるのです

われわれ人間ですらと言つたのは

開闢以來くるしめくるしめられてきた間に

いつとなく

その手にしつかりと摑んだ惡です

われわれは惡い人間です

いかにも惡い人間です

あなたの罪の子です

けれどそしてほそくはあるが良心とやらいふ一とすぢのうつくしい煙を

猶おのおのそのゝ燻香の壺から立てゝゐます

われわれは恥を知つてゐる

あなたにはそれがありません

あなたの御業はすべて神聖でそして慈悲深いやうに誰も思ひます

さうでせうか

それはあなたの御相(おすがた)も時代によつていろいろと

それこそ猫の眼玉のやうに變轉して

いつもおんなじではありませんでしたが

それにしてもなかなかわれわれの理想とすることのできない

そんなことをなさることがたびたびありました

樂園追放のことはいひました

創世第一の人殺しのこともいひました

それからさまざまのことがありました

そのなかでもあなたが惡魔もしないやうなことをなされたのは

バベルの塔のことです

その場合のあなたはまるで賽の河原の鬼です

それが生めよ殖えよ地にみちみてよと

祝福なされてゐるあなたの人間に對する御業です

それからノアの大洪水です

凡そ世にざんにんといつてもぼうぎやくといつても

これほどのことがありませうか

言葉以上のことです

感情以上のことです

人間あつて以來の

それこそ人間にとつては言語に絶した大兇禍でした

二どとないことです

それともあなたは氣まぐれですから

そのお腹(なか)の蟲のゐかげんで

どんなことをやりだしなさるかも知れません

だが神樣

人間はもうくりかへしくりかへし酷い目にばかりあつてゐるので

善い經驗をしてをります

それで強くなつてをります

あなたのくだす天の災害にあつても

もうぴよこぴよこと頭をば地べたにすりつけぬほどになりました

それはさて

ひとびとのこゝろがあなたを慕ふよりは

各々飮み食ひめとりとつぎなどしてたのしむやうになつたといふ理由で

あなたは腹を立て

あなたのすきなノアの一家族をのぞいての外はことごとく

彼等を水に溺らしてしまひなされた

大逆殺です

人間界に於てならその一人を殺しても

それは不倶戴天の罪惡なのです

相助けるに術(すべ)もなく

相呼びかはし

相擁き

一すぢの髮の毛ほどのものにすら

すがりすがつて生き存らへようとした彼等の

その悲鳴をあなたは

小氣味よくおきゝなされてか

あなたは神樣です

なんでもできます

なんでもしようとおもへばできるだけそれだけ

あなたの御眼からみるならば人間が一ぴきの蟻をみるそれほどでもなからうものを

まことに憐憫(あはれみ)の無いなされかたです

われわれは馬鹿な子ほど可愛いといひます

もつともです

馬鹿なもんだから

馬鹿でないものより一層愛されなければならないのです

それがあなたになると

なんでもかんでも運命的です

あなたに嫌はれたが最後です

あなたはいかにも正しいやうです

正義の神樣のやうです

正義のためには愛もなさけもないやうです

あゝ正義

善を善とし惡を惡とする秋霜烈日のやうな威嚴

ひきぬかれた刄のやうな精神

それはいゝ

けれどあなたの正義はあてにならない

あなたは神樣です

だからあなたにあてる尺度はない

あなたは自ら尺度とならねばならない

だがあなたの氣まぐれを尺度としたら此の世界(よ)は闇です

これでもどうかかうかやつてゐるといふのも

全くわれわれ自らの生活にあてはめて

その最も善美とするところを

われわれ自らの意志でつくりあげたその道德によつてゞす

あなたによつてゞはありません

あなたは道德圈外の存在者です

われわれの中には道德はあなたからきたといふものもありますが

それは空想です

その兄の家督權を巧妙な詐欺によつて橫取りした

あのヤコブを愛し保護して

あの大家族の家長としたほどのあなたではありませんか

何が攝理です

攝理とはあなたの氣まぐれのことですか

まつたくあなたの御心は解らない

[やぶちゃん注:終りから八行目の「われわれの中には道德はあなたからきたといふものもありますが」の「われわれ」の後半は原典では踊り字「〱」。

「應顯」「わうけん(おうけん)」と読むしかなさそうだ。ヤハウェへの純粋で一途な信頼を示すことでそれにヤハウェが応じて絶対の真理を示し顕(あら)わすことととっておく。

「體認」「たいにん」。自分のものとして体験的に会得すること。

「大兇禍」後の詩篇「父に書きおくる」の彌生書房版全詩集版では「兇禍」に「まがつみ」のルビを当てているから、これは「おほまがつみ」と訓じたい。

「相擁き」「あひいだき」と訓じておく。

「生き存らへよう」「いきながらへよう」。]

 

あゝ此の世のあけぼのにさびしくも

あのアダムとイヴがうまれでてから

どれほどになりませう

神樣

千年萬年もあなたにはたゞの一瞬のことでせうが

われわれ人間の一生としては勿論

それはとても信じられないほどの距離をもつた長時間です

その間において人間にはさまざまのことがありました

人間は絶えずくるしめられくるしめられてきました

みんなあなたの御掌(おんて)の中にあつてのことです

そしてかなり惡くなりました

人間は惡くなりました

けれど強くなりました

強くなりました

あなたに憎まれ

あなたのくだした運命にもてあそばれて

くるしんでゐるものを見れば

それがあなたであらうが何であらうが

自分自身もまつたくわすれて

用捨なく

逡巡なく

ふるひたちます

切齒(はがみ)します

髮毛をもつて天を衝きます

その天をにらみつけます

その天をずり落さうと腕を鳴らして大地を踏みます

神樣

あなたはわれわれの大遠祖を樂園から逐ひだしなされた

さてこんどはわれわれ人間はこのにんげんの世界から

あなたを追放する時です

あなたはそれほど深い怨恨をわれわれの胸に釀しました

もうわれわれは騙されません

われわれ人間がこんな怖しい企圖をもつたといふのも

みんなあなたの御業ゆゑです

こんなに人間は惡くなりました

いまではこれが天性です

あなたの御業の影響から自(おのづか)らうまれでたものです

こればつかりで生きて行かれる

人間にとつてこれは貴い崇高(けだか)い力です

神樣

人間は自主です

もうあなたの奴隷ではありません

此の貴い崇高い力のうへに立つた人間

御覽ください

この人間のかゞやかしさを

光りかゞやく人間を

まるで神樣です

あなたのやうです

さうです

人間はだれもかれもあなたにかはつてみな神樣であるべきです

各自は各自の神樣であるべきです

あなたは人間最初の男女を塵からつくりなさる時

それをあなたの御像(おすがた)に似せられたといふことですが

似せられたものがいまはほんものになる時です

われわれは自主です

もはや一たび自覺したものです

どうしてまたその檻舍(こや)ほどの意味しかもたない

あなたの樂園にさもしくも豚のやうにかへられませうか

もうかまはないでいたゞきます

指一つ觸れてもくださいませんやうに

これが人間のおねがひです

われわれ人間はもうあなたにかへるべきではありません

それをよく知りました

あなたは人間のたよるべきものではありません

まだその迷宮の闇にゐて

眞實なひかりの世界へ望みの絲をみつけないものもありますが

時はもう近づきました

やがてそのひとびとも知るでせう

何物もたよつてはならない

何物もたよれない

何物にもたよられてもならぬと

すべて自然であれ

たよることでない

たよられることでない

たよらうがたよるまいが眞理はやはり眞理であります

理想としてのあなたもさうでなければなりますまい

だがわたしにはあなたのお心はわからない

神樣

あなたは一體どんなお心です

氣まぐれかとおもへば正しいこともあり

正しいかとおもへばとんでもないことをしでかしなさる

ほんとにわかりません

愛されてゐるのか

憎まれてゐるのか

めぐまれてゐるのか

鞭打たれてゐるのか

さらに人間はあなたの眞の子なのか

それとも全然塵の塊りなのか

まつたくわからない

わかつたつてどうならう

事實は事實です

現在(いま)は現在です

過去は一點一劃のあやまりもなくその通りですし

未來もちやんとなるやうにしきやなりはしません

實に公明です

秋の天空のやうにはつきりとしてゐます

だがあなたのお心ばかりはどうしてもわからない

それもさうだが

神樣

あなたは全體何者ですか

おどろかないでいたゞきます

早晩こんな質問は當然あなたにむかつて發せらるべきでした

何とお答へになりますか

それとも永遠の沈默で有耶無耶のうちに葬り去つてしまはうとなさりますか

その手にはかゝりません

そんなことでおとなしく引込んでゐるやうな人間ではなくなりました

何とか言つてください

耳がありませんか

眼がありませんか

口がありませんか

あなたは何です

形體(かたち)のあるものですか

それとも觀念ですか

實在ですか

空想の所産ですか

あなたは何です

何かであるはづです

力ですか

生命ですか

有ですか

無ですが

なんでもいゝ

なんでもいゝ

それが何だつてわれわれ人間はかまひません

どうにもならないからです

あなたの有無が何です

あなたが有らうが無からうが人間は人間です

その人間はくるしんできました

そして惡くなりました

けれど強くなりました

その上、あの原人アダムとイヴとが

一鍬一鍬と曠野(あらの)の土をたがやしたやうに

そしてそこに此の世界のはじめを拓いたやうに

われわれもまたすこしづつでも

すべてのものを

人間のこのびめうな感覺と神經とで

自分自分のこゝろに

自分自分のものとして見出さなければなりません

さいはひにも彼等が智慧の木の實をたべてゐてくれたから

自分達にそれができます

いかにも此の宇宙天體の麗さなどよりみれば

その偉大に幻惑されて

そこにはたしかにあなたがあり

あなたこそまことにその創造者のやうに思はれます

けれど神樣

さうおもふのはわれわれです

われわれにはまたそれが否定もできるのです

われわれの智慧において

あゝ此の智慧

それをこんなに大きくしたのは人問です

それをこんなに莊嚴にしたのも人間です

われわれの力でゝはありませんか

われわれではありませんか

いまこそ人間は一切の上にあります

あなたでもわれわれあつてのものではないのか

あゝ智慧の木の實ばかりでなしに

またとないそのよい機會を

ほんとに、手ついでに

その生命の木の實もたべてしまへばどうでしたらう

私はそれをしみじみ思ひます

然しもうそれは漠々たる太古のことです

あんまりあてにならないことです

なにがなんだか

一切がわかりません

たゞ瞭然たるものはわれわれです

人間です

人間各自の存在です

それだけです

あなたは理想です

無限大なる理想であれ

神樣

もうすこしおきゝください

私にもすこし喋舌(しやべ)らしてください

惡魔にひとこと御禮が云ひたいのです

ごめんなさい

さて惡魔よ

あの時お前さんがわれわれ人類の前驅者である彼等に

あのお美味(いし)い智慧の木の實ををしへて

そして食べさせてくれたばかりに

彼等をはじめその後裔としての人類すべては

それはそれは泣かない日とてはなかつたのです

だがまたそのお蔭で

われわれ人間はいまこのとほりな怜悧(さか)しいものとなりました

ありとあらゆる物の上に立つてゐるのもそのためです

神樣にすら運命にすら

だらしなく跪かなくなつたのもそのためです

一にはそのながいながい苦しい經驗にもよりますが

その動機はと云へば

お前さんの手引からです

われわれはお前さんに何と感謝したらいゝでせう

ところがこれも神樣の嫉妬からのことだが

お前さんとわれわれの間は

一尾の魚を二つに截切つたやうにされてしまつた

そればかりか

お互はおなじく酷い目にあつてをりながら

相互になぐさめ合はうとはせず

かへつて眼を雙方でむいて睨めあつてゐるのだ

いつまでこんなことをしてゐてよいものか

どうして理解出來ないのか

どうして和睦出來ないのか

人人はもう惡魔ときけば震へあがつておそれてゐる

それでゐて降服はしない

降服しないのはいゝ

降服しなくてもいゝから

和解しろ

ところがそれもできないんだ

神樣の御機嫌を損じたらそれこそことだとおもつてゐるのでだ

何といふ意氣地のないことだらう

神樣もまた神樣なんだ

「敵をも愛せよ」などとをしへておきながら

隨分、嚴しいんだ

それこそ敵とみたらなかなか人間が蚤や虱をみるのとは違ふんだ

おそろしい神樣なんだ

一刻の容赦もないんだ

一寸の躊躇もないんだ

徹頭徹尾なんだ

絶對的なんだ

もう本質としてゆるさないんだ

お前さんもよく知つてるだらう

ずいぶんつらからう

「汝はアダムとイヴとを誘惑し

かの智慧の木の實をくらはせたるによりて

諸(もろもろ)の家畜と野のすべての獸よりもまさりて詛はる

汝は腹匍ひて一生のあひだ地の塵をくらふべし」

神樣がはら立ちまぎれにさう言つてからの

お前さん達は實に慘めなものになつた

わたしはそれを氣の毒におもふ

そればかりではないんだ

神樣は御自分の疳癪玉をとこしへにお前さん達と人間とのあひだにおいて

絶えず爆發させようといふんだ

そして御自分はそれを高みでの見物さ

「われ汝と婦女の間

および汝の苗裔(すゑ)と婦女の苗裔とのあひだに怨恨(うらみ)を置かん

かれは汝の頭をくだき

汝はかれの踵をくだかん」だと

いゝ顏面(つら)の皮だ

なるほど最初はわれわれの大遠祖達もお前さんをよくは思はなかつたらう

お前さんさへ誘惑してくれなかつたらと

つらいめにあふにつけ

かなしいことにあふにつけ

さう思つたにちがひない

けれどだんだんいろいろと事と物との眞相がわかつてくると

お前さん達はもう人間の敵ではなくなつたのさ

却つておんなじやうに酷い運命のあらしにあつてゐる友達なんだ

それがわかつたんだ

それがわかると人間の生活もさらりと一變しましたよ

お前さん達をはじめ

あらゆる生物に對して人間は

人間同志の間にしかもつてゐなかつた愛情を

汎くそして普くもつやうになつたんです

神樣はそれが氣に喰はないんだ

でもまさか愛してはならないとも言へないので

知らん顏をしてゐるんだ

見ないふりをしてゐるんだ

何故なら萬物を人間がその對象とするやうになると

唯一存在と自認してゐる神樣は

神樣としてのその面目をうしなつてしまふからだ

で内心頗る怒つてゐるんだ

「自分以外の何物をも拜んではならない

自分の創造物を拜んではならない

また汝等のつくつたものを拜んでもならない

自分は天地の神である」

あの馬鹿正直なモオゼに

あの頑愚なひとびとの指導者モオゼに

その頑愚なひとびとにむかつて

鐵面皮にもさういはせたが

それも線香花火のやうなものであつた

まあ見な

これが神樣のお言葉だ

何といふ自己推擧だらう

何といふことだ

いまどきのあのずうずうしい商人などの自家廣告もこれまでだ

かうなると

へん、何んとでも言ふがいゝや

どんなにでも威張るがいゝや

拜みたけりや催促されないたつて拜みますが

拜みたくなけりや

この口をふんざかれるつたつて拜みやしねえよ

とでもつひ言ひたくなるんだ

またさうした自由を實際にわれわれはもつてゐるんだから

お前さん達も時々退屈まぎれの惡戲(いたづら)から

われわれの生活がそれで

ちよいと蚯蚓ばれになるぐらゐのことはするが

それはほんの惡戲だ

名からして惡魔なんだから

それつばかりのことは敢て咎めるまでもないのさ

神樣の遣り口からみると

ほんとに句愛いぐらゐのもんだ

人々は一切の不幸災禍をみんなお前さん達にしてゐるが

あれは全然まちがつてゐる

一切の運命は神樣のお手のものだ

死ですらさうだ

決してお前さん達のすることぢやない

何でもかでもみな神樣のすることだ

それを善いことは自分のものとして

惡いことはみんなお前さん達になすりつける神樣

すべてがそれです

またそれを眞正直にその通り信じきつてゐる馬鹿ものもあるんだ

だがもう夜は明けなければなりません

人間はみんなめざめなければなりません

その時が來たんです

誰でも自分で自分をやしなつてゐるのです

自分で自分をまもつてゐるのです

自分で自分をなぐさめてゐるのです

自分で自分を鞭打つてゐるのです

自分で自分を導いてゐるのです

自分々々です

それ外無いのです

それはちやうど燕などが海上でもわたるやうなものです

ひとのことなどは言つてゐられないのです

然しそれでいゝのです

そればつかりでおたがひは強く仲善く生きられるのです

さうです

そのやうにしてまづ自己が確立してゐなければ

どうしてひとの上にだつてその手がやさしく伸べられませう

人間はそれを知りました

人間はそれを知りました

まあ何といふすばらしいことでせう

人間にとつては

第二の天地開闢です

第二ではありません

これが眞の曙です

人間の靈魂の曙なのです

如何にもあのときアダムとイヴとは生命の木の實をたべませんでした

だがそれがなんでせう

人間は自分の足でこの大地を踏まへてゐるのです

自分の手でさまざまの戰爭の器と生業(なりはひ)の器とをつくり

自分の眼で見

自分の耳できゝ

自分の鼻で嗅ぎ

自身の舌で味ひ

自分の口でいひ

自分の頭腦にふかくこもつたその智慧でどんなことでも考へます

かぎりなきいのちすらいまは知つてをります

運命などはもう人間にとつてなんでもありません

われわれはそれをすつかり逆にすら考へることが出來ます

もう人間は自由です

人間は永遠の意味をしりました

そしてその永還を瞬間に生きてをります

[やぶちゃん注:「それが何だつてわれわれ人間はかまひません」の「われわれ」と、「それこそ敵とみたらなかなか人間が蚤や虱をみるのとは違ふんだ」の「なかなか」と、「いまどきのあのずうずうしい商人などの自家廣告もこれまでだ」の「ずうずう」の箇所は原典では後半が踊り字「〱」。「何かであるはづです」の「はづ」、「とでもつひ言ひたくなるんだ」の「つひ」はママ。

「麗さ」「うるはしさ」。

「かへつて眼を雙方でむいて睨めあつてゐるのだ」の「睨めあつてゐる」はママ。

「諸(もろもろ)の家畜と野のすべての獸よりもまさりて詛はる」この部分、実は原典では「諸(もろもろ)の家畜と野のすべての獸よりもまさりて咀はる」となっている。しかしこの「咀」(嚙む・喰らう)では意味が通じない。更にここは明らかに「旧約聖書」の「創世記」の第三章第十四節の引用で、例えば、明治訳「旧約聖書」の同節は、『ヱホバ神、蛇(へび)に言(いひ)たまひけるは、汝、是(これ)を爲(なし)たるに因(より)て汝は諸(もろもろ)の家畜と野の諸の獸(けもの)よりも勝(まさ)りて詛(のろ)はる。汝は腹行(はらばひ)て一生の間(あひだ)塵を食(くら)ふべし』であるから、これは明らかに「詛」の誤りで「詛(のろ)はる」とよむことが明らかである。されば、特異的に訂した。彌生書房全詩集はやはりお目出度くも「咀はる」のママである。話にならぬ!

「われ汝と婦女の間」「および汝の苗裔(すゑ)と婦女の苗裔とのあひだに怨恨(うらみ)を置かん」「かれは汝の頭をくだき」「汝はかれの踵をくだかん」は前に注した「旧約聖書」の「創世記」第三章第十四節の次の第十五節の引用。明治訳「旧約聖書」では、『又、我、汝と婦の間および汝の苗裔(すゑ)と婦の苗裔の間(あひだ)に怨恨(うらみ)を置(おか)ん。彼(かれ)は汝の頭を碎き、汝は彼の踵(くびす)を碎かん』である。「踵」は「かかと」のこと。

「自分以外の何物をも拜んではならない」「自分の創造物を拜んではならない」「また汝等のつくつたものを拜んでもならない」「自分は天地の神である」これは「旧約聖書」の「出エジプト記」の第二十章の冒頭で偶像崇拝をモーセがヤハウェの言葉として民を戒めるシーンに登場するが、山村暮鳥は詩篇の流れに合わせるために後ろを簡略に操作している。明治訳では、「神、この一切(すべて)の言(ことば)を宣(のべ)て言(いひ)たまはく、我は汝の神ヱホバ、汝をエジプトの地その奴隷たる家より導き出(いだ)せし者なり。汝、我面(わがかほ)の前に我の外(ほか)何物をも神とすべからず。汝、自己(おのれ)のために何の偶像をも彫(きざ)むべからず。又、上(かみ)は天にある者、下(しも)は地にある者ならびに地の下の水の中にある者の何の形狀(かたち)をも作るべからず。之(これ)を拜むべからず。これに事(つか)ふべからず。我(われ)ヱホバ汝の神は嫉(ねた)む神なれば、我を惡(にく)む者にむかひては、父の罪を子にむくいて、三、四代(さん よだい)におよぼし、我を愛し。わが誡命(いましめ)を守る者には、恩惠(めぐみ)をほどこして千代(せんだい)にいたるなり。汝の神ヱホバの名を妄(みだり)に口にあぐべからず。ヱホバはおのれの名を妄に口にあぐる者を罰(つみ)せでは、おかざるべし』(以下、まだ続く)である。あまり理解されていないと思うので言っておくと、敬虔なキリスト教徒は、引用の最後の箇所で述べている通り、「ヤハウェ」とか「エホバ」とかを基本口にしてはいけないのである。]

 

神樣

あなたの創られた愚かな人間どもの中には

あなたを愛の神樣だなどとあがめて

それでいゝ氣になつてゐるあんぽんたんがをります

それがかなり澤山をります

あなたは愛の神樣ですか

いまもむかしもあなたは決して愛の神樣ではありません

あなたは苦痛の神樣です

あなたは怖しい神樣です

あなたは暴逆な神樣です

あなたは無情な神樣です

あなたは貪慾な神樣です

あなたは身勝手な神樣です

あなたはきまぐれな神樣です

あなたは眞實のない神樣です

あなたは自惚な神樣です

あなたは酒好きです

あなたは喧嘩好きです

あなたはをんな好きです

あなたは人間の泪をこのみ血をこのむ神樣です

人間と人間とのあらそひ

人間と人間以外の生物とのあらそひ

人間と自然とのあらそひ

すべての爭ひの種子を播くのはあなたです

あなたが不吉の火元なんです

かの大洪水で全人類をこの地上からすつかり滅亡ぼしつくされた時

お氣に入りのノアとその家族だけは殘されました

そしてたいへんなあの長雨の雨上りに

大空にうつくしい虹などをみせてよろこばれ

ノアにむかつて

その子孫をかぎりなく祝福すると云はれてゐながら

あなたの本性(うまれつき)はまるで空をゆく雲です

そんな契約などをまじめくさつて守つてゐるやうなあなたではありません

噓吐きのあなたは

けろりとした顏をして

すぐ人間窘(いぢ)めにとりかゝりました

あなたの人間窘め

あなたの弱い者窘め

それはもういまはじまつてのことではありません

めづらしいことではありません

まがなすきがそれです

ひまさへあるとそれです

日々のことです

夜の目もそれです

とても一々ならべたてられたものではありません

人間あつて以來ずつと絲のやうに引きつゞいてきたことです

いまといふいまゝでそれがためにどんなに人間は泣いたでせう

あゝおもへばよくもよくもこんなに憎まれて來たものです

こんなに憎まれ苦しめられながら

生きてきたのが不思議です

生きてゐるのが不思議です

いや、それでこそ人間なのです

たくさんくるしめてください

それが人間に堪へられるか

根競べです

力をゆるめないでください

可哀さうだなどとはゆめにもおもつてはくださいますな

愛されたくないのです

愛されると弱くなります

強いところが人間の價値です

そればかりです

意地です

此の意地があるのでばかり生き存へてきたのです

あゝ此の人間

神樣

おきゝでせうか

どうぞよくおきゝなすつてください

あなたは混沌から此の世界をばつくりなされた

あなたは光をつくりなされた

あなたはその光と闇とをわかちなされた

あなたは朝と夕とをさだめなされた

あなたは夜と晝とをさだめなされた

あなたは穹蒼をつくりなされた

そしてその穹蒼と大地とをわかちなされた

その穹蒼を天とよび

地に水のあつまれるところを海とよび

地には靑草と

實蓏(たね)を生ずる草と

おのづから核をもつところの樹々と

それらのものをつくりなされた

あなたはまた

夜と晝とにしたがつて

季節をさだめ

日をさだめ

時をさだめ

かゞやく二つの光をつくり

その大なる光をして晝を司どらせなされた

それが太陽です

その小さな光をして夜をまもらせなされた

それは月です

あなたはまた水には魚ら

天には鳥と羽ある蟲蟲

地には獸とすべての這ふもの

それら諸(もろもろ)のものをつくりなされた

いやはてにあなたは大地の塵より人間を

この人間をつくりなされた

それを男となし

女となし

男にはすべてのものに名をつけさせ

女をばすべてのものゝ母となされた

そしてすべてのものをその人間に與へなされた

その人間卽ちわれわれの大遠祖に

すべてのものをあたへなされたといふ

すべてのものをあたへなされたといふが

何一つあたへなされはしませんでした

それこそ何一つ

けれどいま人間は一切の所有者です

此の一切はみんな長い長いその年月のあひだの

くるしいくるしい努力からかち得たものです

われわれ自らのものです

いまからおもへば

あなたのわれわれ人間のためにつくられた此の世界は

それはそれは人間にとつては

不都合極まるものでした

われわれ人間の生活を脅かすものがみちみちてゐました

いまも頭を列べてをります

而もいつかはみんな降參させてしまふでせう

それを考へるとたのしみです

いふにいはれぬよろこびです

とにかく世界は

此の世界のはじめは

荊蕀と薊と石ころばかりのそこはひどい曠野でした

それをこんなにしたのです

それは人間です

人間が此の世界を拓いてこれほどにしたのです

かくもよくしたのです

かくも美しく見られるやうにしたのです

[やぶちゃん注:「可哀さうだなどとはゆめにもおもつてはくださいますな」の「可哀さうだ」はママ。「それら諸(もろもろ)のものをつくりなされた」のルビ「もろもろ」の後半、及び「われわれ人間の生活を脅かすものがみちみちてゐました」の「みちみち」の後半は原典では踊り字「〱」。

「まがなすきがそれです」「まがなすき」で一単語ととるしかないから、これは副詞の「間(ま)がな隙(すき)がな」後ろの「がな」(副助詞で例を挙げてと仄めかす意)の「な」を除去して勝手に名詞化したものか、或いは「な」の脱字で実は「まがなすきがなそれです」なのではなかろうか? 「間がな隙がな」の「間」「隙」は特定されない時空間を示し、「暇さえあればどんな時もどんな場所でもいつでも・しょっちゅう・ひっきりなしに」が副詞としての意味であるが、次の一句が「ひまさへあるとそれです」とあるからには、実は「な」の脱字である可能性が非常に強く疑われるのであるが、取り敢えず、ここは暫くママとしておく。]

 

もうやめます

いくら言つても際限のないことですから

神樣

どんなにかおきゝぐるしかつたでせう

すみません

だがかうして何もかも言つてしまふと

この胸がせいせいします

これはいゝことです

かうして何のかくしだてもなくすべてを披瀝することは大切なことです

うるはしいことです

お互いの理解の上に

これほどいゝことはありません

たゞわれわれにものたらないのは

あなたのお心のわからないことです

あなたは永遠の祕密ですか

さうです

さうです

そんなことは何だつていゝのです

こちらのこゝろさへわかつてゐてくだすつたらそれでいゝのです

神樣

世はさまざまで

世の中にはあなたを知らないものも澤山あります

あなたを知らないのです

知らないからたよらないのです

それでも生きてゐます

あなたを拜んだり

あなたに大願をかけたりするために

一錢半錢のはしたがねをあなたの賽錢箱にうやうやしく投げ込む人々より

またあなたをお宮の中に祭りこんだり

眼ざはりにならない神棚の高いところへ押上げたりして

あなたを鼠の族と同棲させ

あなたを埃だらけにしてゐながら

それでも自分は信心深いと自惚れてゐる人々より

彼等はあなたを知らなくとも

彼等はあなたをたよらなくとも

彼等がいかに淳朴ですか

彼等がいかに善良ですか

あなたを知らないだけそれだけ彼等は天眞爛漫です

たまたま彼等のあるものが

ちよつとまちがつたことでもすれば

すぐ大袈裟にもあなたを知らないからといふ者はあるのです

あなたを知らないからでせうか

或はさうかも知れません

そんならあなたを知つてゐないといふ理由で

彼等を責めないでください

人々の中にはあなたを知つてゐるといひまた知つてゐながら

惡いことをする者があります

あなたを知らない彼等などより

それはそれは大へんな罪を犯すものがあります

それにくらべれば

彼等はあなたを知らないのです

知つてゐて大罪を犯すのより

いくら恕す可きであるか解りません

寧ろ不憫とすらおもはねばならないものが多いのです

如何にも彼等はあなたを知らないから

惡いことをします

けれど善いこともします

あなたを知り

あなたをたよつてゐるものは

なるほど惡いことも少いでせう

絶對にではありません

たゞ比較的にといふほどのことです

惡いことが少いのです

さうです

そして善いこともしないのです

あなたは神樣です

あなたの信者をもすこし何とかしてやることはできませんか

神樣

もうやめませう

私はいろんなことを云ひました

瀆神此の上もないやうなことまで口走りました

すべての私の正直からです

眞面目からです

惡くおとりになつては困ります

あるひとびとはいひます

みんな噓だといひます

私のいふ事

あなたの事

みんな噓だといひます

噓でせうか

さらに天地開闢のこと

アダムとイヴのこ

その子等のこと

大洪水のこと

バベルの塔のこと

その他のこと

みんな一つとして眞のことではないといひます

さうでせうか

私もさうおもひます

みんな噓であればいゝと思ひます

みんな噓であれ

だがこれだけはどうしても疑ふことが出來ない

それは人間の惡いことです

それは人間の善いことです

それからその善い惡いの上にたつて

その善い惡いを自らで審判(さばい)てゐることです

そして人間の弱いことです

そして人間のみすぼらしいことです

けれどそれとゝもに

人間の強いことです

運命のつきだすその槍の穗尖をほゝゑんでうけうるほど

それほど強くなつたことです

あゝ神樣

われわれの大遠祖達があの樂園を逐はれてから

もうどれほどでせう

そのながいながい

とても信じられないほど長い年月のあひだに於て

そのくるしいくるしい日日の經驗から

これは獲得したものです

人間の性です

そればつかりで生きてゐられる人間の唯一のものです

あゝ神樣

創世以來の神樣

ふるい神樣

幻滅の神樣

噓のやうな神樣

人間はめざめました

あなたはもう消えてなくならなければなりません

けれど神樣

眞のあなたである神樣

理想としての神樣

それをわたしはわれわれ人間にみつけました

眼ざめた人間がそれです

あなたに詛はれた此の大地を

ともかくも樂園とした人間です

その人間です

おゝ新しい神樣

[やぶちゃん注:「一錢半錢のはしたがねをあなたの賽錢箱にうやうやしく投げ込む人々より」の「うやうや」の後半、「それをわたしはわれわれ人間にみつけました」の「われわれの」後半は孰れも原典では踊り字「〱」。

「あなたに大願をかけたりするために」彌生書房版全詩集ではここが「あなたに大願をかけたりするためには」と「は」が加えられてある。異様に不審である。

「人間の性です」老婆心乍ら、この「性」は「さが」である。

「あなたに詛はれた此の大地を」これは原典では実は「あなたに咀はれた此の大地を」となっている。先と同様、この「咀」は明らかにおかしい。読めない。されば特異的に「咀」は「詛」で「詛(のろ)はれた」の誤記或いは誤植として訂した。彌生書房版全詩集は「あなたに咀はれた此の大地を」とそのままである。どう読むつもりなのか?!

 

2017/03/30

眞實に生きようとするもの   山村暮鳥

 

       眞實に生きようとするもの

 

[やぶちゃん注:本詩篇と次の詩篇は異様に長いので、必要な場合は、各連末に注を附した。]

 

妻よ

お前はジアン・フランソワ・ミレーを知つてゐるだらう

それを本で讀んだことがあつたらう

あの畫描きのミレーのことだ

自分達はよく彼のことをはなした

彼がいかにまづしくあつたかをはなしあつては胸を一ぱいにし

自分達の境遇をなぐさめ

凡そ地上に芽ぶいたものは

そして一きは高く蒼天をめがけるものは草木ですら

みんなかうだと

彼によつて自分達の仕事はいまもはげまされるのだが

それでも二人はいくたび熱いなみだをふいたことか

ほんとに彼のびんぼうは酷かつた

彼等のことをおもへば

自分達のびんぼうやくるしみなどはなんでもないと言はねばならない

 

こゝは雪もみぞれもふらない國だ

どこへいつても

大きな蜜柑がいろづいてぶらぶら枝をたはめてゐる

こんなところへきて

この南方のあたゝかい海のほとりで

避寒してゐる自分達

避寒してゐるなどときいたら

なんにもしらないひとびとはなんといふだらう

なんとでもいはしておけ

なんとでもおもはしておけ

とはいへ

このさんたんたるせいくわつはどうだ

あの喀血にひきつゞくこのまづしさとくるしみ

このさんたんたるせいくわつを見ろ

雨がふればどこに棲まはう

風がふけばどこに寢よう

あゝかうして廣い野原をさまよふ小鳥のやうな自分達

自分はいゝ

自分だけならいゝ

またどんなことでもそれが妻や子どものためならばしのばう

よろこんでしのばう

けれど世にでたばかりのあかんぼの上にまで襲ひかかるこのあらし

これはどうだ

[やぶちゃん注:「こゝは雪もみぞれもふらない國だ」本詩集刊行当時(大正一〇(一九二一)年五月二十五日。暮鳥三十七歳)の暮鳥一家は大正九(一九二〇)年一月二十七日から茨城県磯浜町(いそはまちょう)(現在の大洗町(おおあらいまち)明神町(みょうじんちょう))の別荘に移っている(転地療養。但し、この前には実は目まぐるしく茨城県内での移転を繰り返している。詳しくは白神正晴氏の「山村暮鳥年譜」を参照されたい)。本篇は本詩集の掉尾から二番目の詩篇であり「こゝ」とはこの磯浜町と考えてよいであろう。ここで整理しておくと、暮鳥は三年前の大正七(一九一八)年の半ば(当時は水戸ステパノ教会勤務)より結核の顕在的な重い症状が認められたようであり、同年九月二十八日には大喀血を起こし、翌大正八年六月初旬には日本聖公会伝道師を休職している。

「大きな蜜柑がいろづいてぶらぶら枝をたはめてゐる」の「たはめいて」はママ。

「けれど世にでたばかりのあかんぼの上にまで襲ひかかるこのあらし」とあるが、すぐ前に「どんなことでもそれが妻や子どものためならばしのばう」「よろこんでしのばう」とあるから、この「あかんぼ」は暮鳥の子ではなく、広く生まれたばかりの赤子たちのことを指しているように私には思われる。彼の次女千草は大正七年九月の出生で既に「あかんぼ」ではないからである。]

 

いかにもよい日和(ひより)の中では

そしてなにふそくなくくらせるときには

どんな立派なことでも言へる

どんな立派なことでも言へ

それでよかつた

だがいま自分は野獸にかへる

これぐらいのくるしみがなんだ

自分はいゝ

自分を打て

自分の上にのしかゝれ

愛するものよ

おまへたちをおもへば自分は人間をわすれる

そして荒野の獸になる

 

あゝ、自分は感謝する

この人間としてのくるしみによつて

このくるしみこそ

神の大きな愛だといまは知るから

きたれ

それでも巣はみつかつた

やつと身をいれるにたりるだけの四疊半と三疊との小さな巣

梢にゆれてゐるやうな巣だ

あのうれしさをおぼえてゐるか

ひさしぶりでのんびりと

つかれた機蟲(ばつた)のやうに足を伸ばした冷いうすいあの垢染みたかしぶとんの上を

うすぐらい豆粒のやうな五燭電燈の光のしたでとぢた眼睫を

それでもぐつすりとよくねたあの夜を

だがまた朝となり

めざめればめのまへには雲のやうに湧きあがつて

自分達をまつてゐるくるしみ

大鷲のやうに爪を研ぎ

つかみかゝり

またかぶりつき

たうとう自分達は最後の銅錢一つすらのこさず搔きさらはれて既に十日餘

いまははや一枚の葉書も買へず

手紙は書いても出すことができず

ひげはのび

からだはあかじみた

妻よお前の藥もかへない

玲子よお父さんがおまへにはお伽噺でもしてきかせよう

やりたいけれどやることのできない

これはお菓子のかはりだ

いつしか空つぽになつてゐる罎と甕

味噌も油もまつたくつきてゐるけれど

而もまだ米櫃のそこには穀粒がちらばつてゐる

その穀粒をみると

おのづからあはさる此の手だ

それでいのちはつながつてゐるのだ

絲のやうにもほそぼそと

それもなかつたら

自分達はもうとうにむつまじく枕を一列にならべて

この生きのくるしみから

やすらかにゆるされてゐたんだ

おゝ妻よ

それから死んだおぢいさんよ

なにもかもこれなんです

恨んではくださいますな

[やぶちゃん注:「五燭電燈」以下、Q&Aサイトの答えから纏める。ピンポン玉より少し大きめのボール型球でガラス部分は内面がつや消しの磨りガラスで外側は滑らか。通称を「こだま」(小球又は小玉か)と称し、「五」は五カンデラで、その消費電力をワット表示に直すなら、ほぼ八ワットほどで、主に常夜灯として寝間・居間・トイレ・玄関などに使われた。

「妻よお前の藥もかへない」妻富士の病気は不詳。

「玲子」大正三(一九一四)年六月十八日生まれの長女。

「死んだおぢいさん」前に「妻」を出しているから親族を指すが、実際の祖父であるかどうかも判らぬので不詳としておく。]

 

すべては自分の意志からくる

自分はそれをしつてゐる

けれどこればかりのことでへし折れるやうな意志ではない

びんぼうがなんだ

びんぼうがなんだ

金錢のためにこの首がぺこペことさがるとおもふか

はづかしいのはびんぼうではない

そのくるしみに屈することだ

強い大きな意志をもたないことだ

強い大きな意志をもて

妻よ

それはそれとして自分はおまへのまへに跪く

おまへは女であるけれど

まるで戰場のつはもののやうだ

このせいくわつの戰場で

病める夫をみにひきうけ

わがみのことなどはおもふひまもなく

そのうへ

子どもらを育てはぐくむその忙しさ

妻として母としてのたえまなきこゝろづかひ

自分はおまへが髮結ひをよんだのをみたことがない

いつも自分自身の手でかきあげる

結婚當時はそれでもやゝていねいに

顏や襟首にまでもすこしは氣を配つてゐたやうであつたが

此の頃は髮もかんたんなぐるぐる卷き

ぐるぐる卷きは自分も好きだ

それだとておまへはすきやこのみでするのではない

それはよくわかつてゐる

疊みかさなる苦勞から

あのふさふさした燕色の黑髮も

こんな黃蜀黍(たうもろこし)の房となる

そしていまはそれがかへつてよく似合ふやうな女になつたお前

それから手足のそのひゞやあかぎれ

なりにもふりにもかまはず

否、かまつてゐるまももたないお前

そしてまだ齡若なお前

それらが自分をものかげにつれていつてはよく泣かせる

自分はえらんだ道だからいゝ

自分は自分の道のうへに屍骸を橫へるのだからいい

でもおまへたちまで犧牲にするかと

それが自分をくるしめる

妻よ

子ども達よ

自分はびんぼうだからとてもおもふやうなことはできない

おまへたちにぜいたくはさせられない

それはこんな人間を父にもち夫にもつたものゝふしあはせで

また實にお前達一生のわざはひといふものだ

けれどおもへ

金錢づくではどうともならない

一切のうへに立つもの

一切を征服するもの

一切の美の美

それをこのびんぼうやくるしみはあたへてくれる

みかけだほしではない

正しいほんとの人間にしてくれる

立派にかゞやく人間であれ

内から立派に

おゝ谿間をながれる雪水のやうなこのびんぼうのきよらかさは

切られるやうなこのくるしみの鋭さは

[やぶちゃん注:「金錢のためにこの首がぺこペことさがるとおもふか」彌生書房版全詩集(第六版)は最後の「ふ」が脱落している。これは意味がとれなくなってしまう非常に痛い脱字である。

「ぐるぐる卷き」「櫛巻(くしまき)」か。和装女性の髪形の一つで髷(まげ)を櫛でくるくると巻いた形のもので、女髷の中では最も簡単なものの一つである。

「みかけだほしではない」の「みかけだほし」はママ。歴史的仮名遣なら「みかけだふし」でなくてはおかしい。]

 

あれあれ御覽

あの遠天に小さくみえて鴉が二羽

けふのこのときならぬ強風に

この風をつきぬけ

この風をつきぬけ

この大空を橫切つて飛ばうとしてゐる

そしてこの強風とたゝかつてゐる

その下は荒狂ふ大海原だ

どこへゆかうとする鴉らか

遙にめざすかなたには巣でもあるのか

かあいゝ雛でもまつてゐるのか

人間はみな二十日鼠のやうにみすぼらしくも

終日家にとぢこもり

氣をくさらし

火に獅嚙みつき

而もなほ縮み上つてゐるであらうに

妻よ

なんといふ雄々しい鴉だらう

あゝ莊嚴である

相愛し

相勵ましてとべ

この強風をつきぬけろ

餓ゑかつあらそひののしりさはいでまつてゐるやうな怖しい波間に

いまにも叩き落されさうにみえ

それでゐてなかなか強い翼の鴉ら

人間もおよばぬほどの勇敢な鴉ら

ひらひらと木の葉のやうに

さうかとみればひきはなたれた弓矢のやうに

自分は耻ぢる

耻ぢながらも自分は讃へる

おゝ自分達夫婦のやうな鴉ら

[やぶちゃん注:「獅嚙みつき」「しがみつき」。

「餓ゑかつあらそひののしりさはいでまつてゐるやうな怖しい波間に」の「さはいで」はママ。

「耻ぢながらも自分は讃へる」の「讃」は原典の用字。]

 

わが妻よ

しかしもはや暴風雨は自分達のうへを通過する

ミレーは彼等をたづねてきたその友になんと言つたか

よくきてくれた

君がきてくれなかつたら自分達はどうしただらう

自分達はもう三日間も食べない

だが子どもらのパンはさつきまでやつとまにあつた

それから妻君にむかつて

その友のもつてきたものをてわたしながら

おい、これで薪木を一束買つてきてくれないか

寒くつてたまらない

みればミレーは汚い木箱に腰をかけ

眞蒼な顏をふせ

ぶるぶるふるへてゐたといふではないか

妻よおまへも聽いたらう

これがミレーの言葉だ

これが眞實に生きようとする人間の言葉だ

この言葉は力強くも

自分を生かす

人間を生かす

 

何もかもしのんでおくれ

しばらくしのんでおくれ

いまは冬だが

自分に新しい芽のふくまでだ

翼の強くなるまでだ

そして飛び且つ驅出せるやうになるまで

跳ねかへれ、力よ

躍りあがれ、力よ

こんな自分は自分でない

こんな自分はいまにほんものゝ自分が生れ

一こゑ雄獅子のやうに咆えるとき

尻尾をまいてこそこそ逃げだす野良犬のやうな自分だ

いまにみろ

いまこそ自分は自分を信ずる

妻よ子どもたちよ

よろこべ

このまづしさを

このくるしみを

すべてはこのさんたんたるどん底から來る

 

[やぶちゃん注:この長詩「真実に生きやうとするもの」は大正八(一九一九)年の年初に発行された『苦悩者』に掲載された「真実に生きやうとする自分の詩」が初出形かと思われる。この詩に対し、本詩集で序を寄せた有島武郎から二月二日附で推讃の手紙を受け取っている(白神氏の「山村暮鳥年譜」に拠る)。]

 

「植物図鑑の思い出」或いは「哀しき鉄腕アトム」

 

小学生の頃、植物図鑑の序で、監修した植物学博士が

――よく、文学で「野の名もない草花」などと言いますが、あれは大変な誤りで、名もない草花などというものはありません。一つ一つちゃんと名があります――

と書いていたのを思い出す。

僕はそれに豁然、世界が開けた衝撃を覚えたと感じたからであった。

「そうだ! この世には名もない存在などというものはないのだ! それぞれがちゃんとした名前を持った独立自立した存在なのだ!」

と思うたからであった。

……あの頃、私は浅ましくも「鉄腕アトム」を薔薇色未来論的視野でしか見ていなかったことも思い出される……その後、青年になってより、すっかり真逆に読むようになったのだが……

【ここで脱線しておくと、僕は高校教師時代、芥川龍之介の「奉教人の死」や浦沢直樹の「プルートゥ」の朗読劇など、やりたかったことは概ねやり尽くしたのであるが、一つだけ、生徒たちに望みとして言いながら、遂に実現し得なかったことがある。それは手塚治虫の「鉄腕アトム」の全話の最終コマを総て並べて生徒たちにそれぞれのコマだけを見て、哀しいと感ずるか、明るいと感ずるか、それをアンケートする、という試みであった。僕はそこにあるペーソス(哀感)を感ずるものが実は有意に多いのではないか、という予測を立てていたのであるが。……そうそう、もう一つ、サミュエル・ベケットの独劇「クラップ最後のテープ」の朗読劇も出来なかったな。あれはちょっとヤバい部分があったから仕方ないか……】

閑話休題。

昨夜、いつもの心悸亢進による不眠に悩まされる床の中で、その植物図鑑の序のことを考えていた……

「……いや! 違う!! 名もない存在は歴史上、無数にあったのだ。生物学が分類と学名を作り出し、過去に遡及して化石種まで総て命名し、それで生物種を征服し得たと思ったのは、とんでもない誤謬じゃあないか! そもそもが分子生物学の発展によって旧来の分類学は根本的に破綻し、同一種と思われていた多くの種が新種として命名し直されているではないか。実は見かけ上、全くの相同種とされていたものが、平行進化による遠い全くの別種として新種とされることさえ近年はある。とすれば、僕が見渡した野や山や海辺、その僕の網膜に物理的に映っている種の中には、狭義の生物学に於いても「名もない草花」「名もない菌類」「名もない生物」は「実は沢山ある」と言えるではないか!……

「……さらにこうも言えるぞ! ウィトゲンシュタイン風に――「名指す」ことと「示す」ことは違う――のだ! 生物に学名をつけても、それは――ホモ・サピエンス――動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱サル亜綱正獣下綱霊長(サル)目真猿(サル)亜目狭鼻(サル)下目ヒト上科ヒト科ヒト属ヒト Homo sapiens ――という近代の、この地球上に七十億(過去の死者を含めるなら約千七十六億人だそうだ)いる有象無象の総体の如何にもな所番地レベルでしかないじゃないか! 「ヒト」と「藪野直史」が違うことは明白だ。僕「藪野直史」を生物学上の名である「ヒト」と名指して、僕自身を示し得たと思うことは完全な誤謬であることは言うまでもない。されば、野にある合歓の一本の合歓の花を指して、「双子葉植物綱(この綱名も今じゃ最新の生物学では使わなくなったとは全く以って僕は浦島太郎だった)マメ目マメ科ネムノキ亜科ネムノキ属ネムノキ Albizia julibrissin の生殖器官だ」と「名指す」ことぐらい――非人間的で馬鹿げたことはない――ではないか! というより、「一本の合歓」、「一人の人」を具体的に「示す」ことなしに、この世の総てを「示し得た」と思い違いすることが、人間の大いなる不遜であり、滅亡すべき種であることの証しではないか!!!……人跡未踏の山中に「一本の合歓」が屹立し、そこにあの美しい花を咲かせていた……しかし遂に誰からも「あっ! 合歓の花だ!」と名指し、指で指され、示されることなく、散って枯死し、人の目に映ずることがなかった――しかしそれを――「観察者がいないのだから合歓の木は存在しなかったのである」など奇体な量子力学的したり顔で糞解説する輩とは僕は同じ天を戴けない………… 

……かく蒲団の中で義憤するうちに……夜はしらじらと明けていたのであった……

斷章 23

 

       斷章 23

 

打て!

それは自分を強くするばかりだ

 

斷章 22   山村暮鳥

 

       斷章 22

 

わしは愛されるのはくるしい

わしは愛される資格がないからだ

わしは何かしら

此の天地の間にふさがるやうな大きな愛を感じてゐる

それでもうわしの胸は一ぱいだ

わしを愛するかはりに人を愛してくれ

わしは此の胸の中のものを吐きださう吐きださうと

苦しみ喘いでゐるのだ

このうへわしを愛してくれるな

ひとびとよ

しかしわしは愛する

愛さないではゐられないのだ

      (ドストヱーフスキイの言葉)

 

[やぶちゃん注:原典では「(ドストヱーフスキイの言葉)」は前行末より約八字下げ位置から配されてあるが、ブログのブラウザの不具合を考えて上げた。原典では本詩篇は見開きで、最後の「愛さないではゐられないのだ」の一行のみが左ページに配されているのであるが、その印字は、右ページの本文位置よりも二字分下がって印字されてある。しかし、次の詩篇の行頭位置は同じ高さから印字されているのが紙を透かして薄らとではあるが確実に見えており、この一行が特異的確信犯として二字下げで印字されているのではないことは明白であり、彌生書房版全詩集でもそのような措置はなされていないことから、同位置で示した。なお、前篇と同様に本篇の言葉がドストエフスキーの何に依拠するものかは検証していない。発見し次第、追記する。]

 

斷章 21   山村暮鳥

 

       斷章 21

 

一本の樹のそばをとほりすぎただけで

それをみることによつて

自分は自分を幸福にすることを知つてゐる

 

      *

 

人と話をしただけで

自分はその人を愛してゐるといふおもひによつて

どうして幸福を感じないでゐられようか

 

      *

 

實際、すつかり途方にくれてしまつた人でさへ

あゝ綺麗だなと思ふやうな

美しいものが一步每にいくらでもあります

あかんぼを御覽なさい

朝燒けの空をごらんなさい

伸びゆく一本の草をごらんなさい

あなたがたをみつめ

あなたがたを愛するその目をごらんなさい

          (ドストヱーフスキイの言葉)

 

[やぶちゃん注:原典では「(ドストヱーフスキイの言葉)」は前行末より約四字下げ位置から配されてあるが、ブログのブラウザの不具合を考えて上げた。なお、本篇中の言葉がドストエフスキーの何に依拠するものかは検証していない。発見し次第、追記する。]

 

斷章 20   山村暮鳥

 

       斷章 20

 

畔逕でぱつたりあつたよぼよぼのとしよりの

これは涎のやうなたちばなしの

そのわかれの言葉だ

「一日も餘計に生きつさせえよ」

 

[やぶちゃん注:「畔逕」老婆心乍ら、「あぜみち」と読む。]

 

2017/03/29

斷章 19   山村暮鳥

 

       斷章 19

 

おゝ人間

汝、小さいぞ

神に妬まれるやうな仕事は!

 

斷章 18   山村暮鳥

 

       斷章 18

 

竹やぶの椿は火のやうに眞赤だ

神よ

自分はなんと祈らう

この烈風の中で

この烈風の中で

 

斷章 17   山村暮鳥

 

       斷章 17

 

草木をわたる秋風と

わたりどりの翼の陰影(かげ)と

わたしの溜息

そしてもろこしばたけでは

もろこしが穗首を低く垂れてゐる

その穗首からは

黃金色の大粒な日光の

なみだのやうなしづくが

ぽたりぽたりと地に落ちてゐる

ほたりぽたりと……

 

斷章 16   山村暮鳥

 

       斷章 16

 

風がふくので

そよそよと搖れる草です

路傍の草はさみしい

それをみるわたしもさみしい

 

斷章 15   山村暮鳥

 

       斷章 15

 

泣け、なけ

大聲をはりあげてなけ

それだけか

もつと泣け

なきぬけ

ふるだけふれば

からりとはれるそらのやうに

自分はそこににこにこする顏を見る

 

斷章 14   山村暮鳥

 

       斷章 14

 

怒つた顏のうつくしさ!

かれは蛇を帶にしめてゐる

 

斷章 13   山村暮鳥

 

       斷章 13

 

虱よ

虱よ

わたしにはお前達が愛せない

どうしたらいゝのか

それがかなしい

愛とはなんだ

生とはなんだ

それはそれとして

お前達にも父母があり

妻や子があり

そしてくるしみがありたのしみがあり

人間とおなじやうな生活をしてゐるのだと思ふと

自分のやうにお前達がみられてならない

その上、お前達はお前達として

立派に生きてゆく力をもつてゐるのだ

ああそれでいゝ

いゝのではないか

いたづらに愛されやうとはするな

それでいゝのだ

うめよ

ふえよ

地にみちみてよと

創世の朝、お前達も神樣の祝福をうけたのではなかつたか

蒼白く瘦せたしらみよ

 

[やぶちゃん注:「いたづらに愛されやうとはするな」の「愛されやう」はママ。]

 

斷章 12   山村暮鳥

 

       斷章 12

 

自分のそれで釘附けられる

その十宇架を愛せよ

 

斷章 11   山村暮鳥

 

       斷章 11

 

世界はまつたく

われわれのために

つくられたものではなかつた

おゝ、豚よ

 

斷章 10   山村暮鳥

 

       斷章 10

 

さみしいときの善い友だち

 

斷章 9   山村暮鳥

 

       斷章 9

 

神が人間をつくつたか

人間が神をつくつたか

それはどうでもいゝ

神は人間にとつてなくてならぬものだ

それだからあるんだ

 

斷章 8   山村暮鳥

 

       斷章 8

 

おゝ神樣

此の目をあけてください

そしたらあなたが見えるでせう

みえるやうにあけてください

 

斷章 7   山村暮鳥

 

       斷章 7

 

いのちのあるもの!

その嚴肅なうつくしさみにくさ

 

斷章 6   山村暮鳥

 

       斷章 6

 

人間が惡魔なんだ

人間が神になるんだ

──自分のやうに人間はそれを造つた

 

斷章 5   山村暮鳥

 

       斷章 5

 

愛にもえて

おそろしい獸になるとき

光りかゞやく

そして神となる人間

 

斷章 4   山村暮鳥

 

       斷章 4

 

おまへは世の中へでてもつと世間をみて來なければならない

世の中でおまへのしなければならない仕事は澤山ある

小鳥を森へかへすのだ

 

斷章 3   山村暮鳥

 

       斷章 3

 

おゝ、内なるもの

脈搏つ意志よ

永遠の生よ

 

斷章 2   山村暮鳥

 

       斷章 2

 

友よ

斷間なくふりかゝるくるしみの中でも

重い大きなくるしみが

きづつけられた野獸のやうに

おゝ、生きた力をよびおこすのだ

くるしみは大きくあれ

そこからでてくるものこそ立派な仕事だ

 

[やぶちゃん注:「きづつけられた」はママ。]

 

柴田宵曲 續妖異博物館 「地中の聲」

 

 地中の聲

 

「集異志」に晉の元帝の大興四年、廬江の或ところで地中で犬の聲が聞える。土を掘つて見たらば一疋の母犬が出て來た。靑黎色で甚だ瘦せてゐたと書いてある。これは地中に人家があつて、雞犬の聲が聞える話とは違ふので、たゞ一疋地中に埋もれてゐたらしい。これだけの記事だから、何でさういふ運命に陷つたものか見當が付かぬ。聲が聞える以上、生きてゐたのは云ふまでもないが、甚だ瘦せてゐたといふ事實はどのくらゐ埋もれてゐたと解すべきか、その邊は讀者の想像に任せてよからうと思ふ。

[やぶちゃん注:かなりの文字の組み合わせを試したが、この「集異志」の原典箇所をどうしても捜し得ない。見つけたら追記する。ただ、これは単に陥没した穴に犬が落ちたか、餌を求めて入り込んでしまい、それが地中の断裂を縫って洞穴状の地下空間を彷徨していたに過ぎぬのではあるまいか。

「大興四年」西暦三二一年。

「廬江」現在の安徽省合肥市廬江県か。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「靑黎色」「せいれい」で青黒い色の謂いのようである。]

 同じく晉時代であるが、「搜神記」に出てゐるのは惠帝の元康年間であつた。呉郡婁縣の懷瑤といふ者の家で、地中に犬の聲を聞き、杖で掘つて行つたら、數尺にして何物かに掘り當てた。子細に見ると、雌雄の二犬が各々一つの穴を占めてゐるのであつた。形は普通の犬ぐらゐで、まだ目が明いてゐない。地中から犬を掘り出したといふのを珍しがつて、わざわざ見に行く者が大分ある。或長老の話に、この犬は犀犬と稱し、これを得た家は富み榮えるといふことであつたので、瑤は食物を與へたりして大事に育てたが、何年たつても禍福ともに目立たしいことはなかつた。母犬が地中にゐる以上、子犬が存在するのは不思議でない。福を希ふのは常人の常情だけれど、禍福相半ばすれば結果は零になる。禍福ともになかつたのが犀犬のお蔭だとすれば、瑤は自ら慰めていゝのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:以上は「搜神記」「第十二卷」の以下。

   *

晉惠帝元康中、呉郡婁縣懷瑤家忽聞地中有犬聲隱隱。視聲發處、上有小竅、大如蚓穴。瑤以杖刺之、入數尺、覺有物。乃掘視之、得犬子、雌雄各一、目猶未開、形大於常犬。哺之、而食。左右咸往觀焉。長老或云、「此名『犀犬』、得之者、令家富昌、宜當養之。」。以目未開、還置竅中、覆以磨礱、宿昔發視、左右無孔、遂失所在。瑤家積年無他禍福。至太興中、呉郡太守張懋、聞齋内牀下犬聲。求而不得。既而地坼、有二犬子、取而養之、皆死。其後懋爲呉興兵沈充所殺。尸子曰、「地中有犬、名曰『地狼』、有人、名曰『無傷』。」。夏鼎志曰、「掘地而得狗、名曰『賈』、掘地而得豚、名曰『邪』、掘地而得人、名曰『聚』。『聚』無傷也。」。此物之自然、無謂鬼神而怪之。然則『賈』與『地狼』名異、其實一物也。淮南畢萬曰、「千歳羊肝、化爲『地宰』、蟾蜍得『苽』、卒時爲『鶉』。」。此皆因氣化以相感而成也。

   *

柴田は恐らく同じものの前半だけを引いた「太平廣記」の「妖怪一」の「懷瑤」だけを引いたものらしい。しかし、原典では、懷瑤は二匹が目もあいていないことから、光りを当てるのがよくないと思ったものか、孰れも元の穴に戻して石臼で蓋をしておいた。ところが翌日開けて見ると、穴の周囲にはどこにも穴がないのに、二匹ともいなくなっていた、とあって柴田の梗概と異なる。しかも上記の通り、原典の後半例は、これも同じ呉郡で、こちらで掘り当てて育てた(但し、二匹とも死んでしまった)のは太守(長官)であるが、彼は福どころか、兵士に殺されてしまったとあるのである。どうも「犀犬(さいけん)」というのも怪しいもんだ。さらに柴田の謂いも本文だけ読むと、同感したものの、原典を見たら、どうもその共鳴は留保したくなった。

「元康年間」二九一年~二九九年。

「呉郡婁縣」「呉郡」(ごぐん)は揚州東部の長江下流域に設置された郡で古くは「会稽郡」と言った。「婁縣」(ろうけん)現在の上海市にかつて存在した県で、現在の同市松江区(ここ(グーグル・マップ・データ))の一部に相当するのがそこであろう。

「懷瑤」「くわいえう(かいよう)」と読んでおく。]

「子不語」の話になると、少し筋が込み入つて來る。虞東湖州府の東門外で、人が通る度に救ひを求める聲がする。あたりに人影も見えず、聲は地下より出るやうなので、或は死人が生き返つたのではないかと疑ひ、鋤を持ち出して掘り下げたところ、地下三尺ばかりのところから石の獅子が出て來た。石の獅子が出て來ただけならいゝが、大きな蛇がその頸に固く卷き付いてゐる。人々駭いてその蛇を打ち殺し、石の獅子は廟の中に運び入れた。土地の者がこれを禱るに靈驗甚だ顯著であるのみならず、敬信せざる者には禍ひが降るといふところまで往つたので、不斷に香火を捧げる者がある。太守方公妖異なりとして廟を毀たうとしたが、民衆はよろこばず、不穩の形勢を示すに至つた。そこで方公も已むを得ず、獅子は城中に入れて別に廟を建てるといふことで、皆の憤りをしづめ、演武場に運び來つて後、鎚を揮つて粉碎し、悉く河中に投じ去つた。格別の崇りもなかつたことは云ふまでもない。

[やぶちゃん注:これは「子不語」の「第十八卷」に「異苑」から引いたとする、「石獅求救命」である。以下に示す。

   *

廣東潮州府東門外、每行人過、聞喚救命聲。察之、四面無人、聲從地下出。疑是死人更活、持鋤掘之。下土三尺許、有石獅子被蟒圍其頸、眾大駭、即擊殺蟒、而扛石獅於廟中。土人有所祈禱、靈驗異常。或不敬信、登時降禍。自此香火大盛。

太守方公聞之、以爲妖異、將毀其廟、民眾嘵嘵、幾激成變。太守不得已、詭言迎石獅入城、將別爲立廟、眾方應允。舁至演武場、鎚碎石獅、投之河中、了無他異。太守方公名應元、湖南巴陵人。

余按晉元康中、呉郡懷瑤家地下聞吠聲、掘之、得二犬。長老云、「此名犀犬、得者其家富昌。」。

   *

最後の箇所は先の「搜神記」の断片である。]

 この話の後半は乾鮭大明神のやうになつて、あまり面白くもないが、石の獅子の頸に蛇の卷き付いてゐる一段は慥かに物凄い。「近代異妖篇」(岡本綺堂)の「こま犬」は、これから脱化したものである。讃岐國の小袋が岡といふところ、嘗て明神の社のあつた邊に、夜な夜な不思議な聲が聞える。その正體を慥かめようといふ人達が探索に出かけても一向わからない。そのうちに明神跡の石に腰掛けた小學教員が原因不明の死を遂げ、次いで若い娘が同じ石に腰掛けたまゝ死んだ。娘の方は劇藥自殺とわかつたが、とにかくこの事件が動機となつて、その石を掘り起すことになつた。石は簡單に掘り出され、その傍に鍬に當るものがあるので、そこを掘り下げたら、小さな石の狛犬が出て來た。その狛犬の頸の𢌞りに一間以上もある黑い蛇が卷き付いてゐるといふのも「子不語」の通りであり、その蛇が直ちに打ち殺されるのも「子不語」の通りである。狛犬も唐獅子も神前に置かれる役目は同じだから、この話を中心にして、不可解な男女の死を配したものであらう。地中の不思議な聲は狛犬發掘以來聞えなくなつた、といふことで終つてゐる。

[やぶちゃん注:「乾鮭大明神」先行する「乾鮭大明神」の章と私の注を参照のこと。

『「近代異妖篇」(岡本綺堂)の「こま犬」』大正一五(一九二六)年春陽堂刊の「近代異妖篇」に所収されている「こま犬」は、前年大正十四年十一月発行の『現代』を初出とする。「青空文庫」のこちらで読める(但し、新字新仮名)。

「一間」一メートル八十二センチメートル弱。]

 地中に在る無生物が聲を立てる話は「子不語」以外にないでもない。「聞奇錄」にあるのは獅子や犬でなしに馬である。初めその聲を聞いた時、あたりを搜して見てもわからぬことは、石の獅子と同樣であつた。或時極めて近く――節度使堂の下から聞えるやうに思はれたので、一丈餘り掘つたところ、小さな空洞があつて、そこから玉(ぎよく)製の馬が出て來た。高さ二三寸、長さ四五寸とあるから、さう大きなものではない。それが嘶くと牡馬の如き聲を出すといふのは、摩訶不思議とするより仕方がないが、話はこれだけである。古い時代の話は單純でもあり素朴でもある。

[やぶちゃん注:「聞奇錄」盛唐の詩人であったが、今は名の消えてしまった于逖(うてき)の撰になる志怪小説集。以上は「太平廣記」の「靈異」の「玉馬」として引かれてある。以下に示す。

   *

沈傅師爲宣武節度使。堂前忽馬嘶、其聲甚近、求之不得。他日。嘶聲極近。似在堂下。掘之。深丈餘。遇小空洞。其間得一玉馬、高三二寸、長四五寸、嘶則如壯馬之聲。其前致碎硃砂、貯以金槽。糞如綠豆、而赤如金色。沈公恒以硃砂餵之。

   *]

 以上の話は皆地中の聲を聞くにはじまり、その正體を發掘するに終る。倂し元來形のない聲は、必ず發掘によつて正體を突き止め得るとはきまつてゐない。菅茶山の「筆のすさび」に備後國深津郡引野村の百姓仲介の家では、榎の根に當る地中から聲が聞える。人の坤吟するやうな聲で、その家では寧ろ小さく、三四町離れるとよほど大きく聞える。一晩中聞えたのは三日か五日で、前後二十日ばかりに亙つたが、晝は聲がない。夜も聞えぬ晩がある。だんだん間遠になつて、全くやんでしまつたとある。「半日閑話」にも中野の先の關といふところで、地中に唸る聲がすると書いてあるから、似たやうな話は方々にあつたものであらう。かういふ聲も無氣味であるには相違ないが、捕捉し得ぬだけに迫つて來ないところもある。鈴木桃野が高田の馬場へ月見に出て、ふと物のうめくやうな聲が耳に入つたのを、友人と二人で突き止めようとしたけれど、聲の出るところがはつきりしない。歸りがけに漸く近付いて見たら、病人のうめき聲で、その家にはかすかに燈火もついて居り、看病の人の話し聲などもする。近寄ればさほど高い聲でもないのに、二町以上も隔てて同じやうに聞えたのは、あたりが靜まつた爲であらうか。結局怪しいものでもなかつたと「反古のうらがき」に書いてゐる。この一條は「筆のすさび」の三四町離れると大きく聞えるといふことを解する上に參考になりさうである。疑心暗鬼を生ずる流で、あまり聞き耳を立てると、何でもない事を怪とする懸念がないとも云へぬ。桃野も「物におどろく癖ある人の言は信じがたし」と云つてゐるが、地中の聲などといふものは、正體を掘り出し得るものの外、半信半疑の間に在ると見てよからう。

[やぶちゃん注:『菅茶山の「筆のすさび」』備後国安那(やすな)郡川北村(現在の広島県福山市神辺町(かんなべちょう))出身の儒者(福山藩儒官)で漢詩人であった菅茶山(かんさざん 延享五(一七四八)年~文政一〇(一八二七)年)が没する文政十年頃に弟子に第一巻分を清書させたのが始まりとされ、死後の安政三(一八五六)年に全四巻の随筆集として刊行されたもの。以上は「卷之一」の「地中聲を發す」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して本文のみを示す。

   *

文政二年春三月、備後深津郡引野村百姓仲介が宅の榎(えのき)の根(ね)の地中に聲あり、人のしば呻吟(しばふき)のごとし。其家にては常(つね)の人の息(いき)のごとくきこえ、三四町よそにては餘程(よほど)大きにきこゆ。よもすがら鳴(な)りしは三五日の間前後二十日ばかりにて晝(ひる)は聲なし、夜もまた聞(きこ)えぬ夜もあり、次第次第に諒濶(りやうかつ)になりて終にやみぬ。今に至りて凡二年になれどもかはりたる事もなしと、松岡淸記來り話す。

   *

文中の「諒濶」は「諒」は「はっきりと・明白に」であるが、「濶」は「間が広くなっているさま」であるから、声のあるなしや聴こえてもその間隔が有意に空くようになることを指しているから、柴田の訳「間遠」は正しい。

「仲介」「ちうすけ(ちゅうすけ)」と読んでおく。

「三四町」三百二十八~四百三十六メートル。

「反古のうらがき」の以上は「卷之一」の「物のうめく聲」である。所持する森銑三・鈴木棠三編「日本庶民生活史料集成 第十六巻』(一九七〇年三一書房刊)のそれを以下に示す。踊り字「〱」「〲」は正字化した。

   *

 秋の末つかた、月のいと隈なくて、いと明なる夜、内海氏と伴ひて高田の馬場に遊び侍り、野菊の薄紫なるが、夜は白々と見へて、ところどころに咲亂れたるに、いろいろの蟲の音、こゑごゑに呼かわてあわれなり、すゝき尾花も風になびきて、さやさやと聲すなり。宵の間はともに月をめづる人も有けるが、夜ふくるまゝにみなかへり果て、馬場守(も)りが家の燈火もかすかになりぬ。西の果の土手の上あたり、殊に勝れて見所多(おふ)しとて、ともにこし打かけて歌(うた)よみ詩作ることもなく、おのがまにまた思ひいづることどもかたり合て、かへる心もなくうかれ遊びけり。予がほとり五七間[やぶちゃん注:九メートル強から十二メートル七十三センチほど。]が内とおぼしくて、物のうめくよふなる聲聞へければ、あれはいかにといふ、内海氏も耳をそばだてゝ、さればさきより此聲あり、いか樣此あたりと思ふが、土手下あたり尋ねて見んとて、かしこことと尋るに、其聲いづこともなく、遠くもなく近くもあらず聞へて、さだかにはあらざりけり。又一時もふる内に、夜はいよいよ更渡りて、蟲の音いよいよ高く、其外四方に聲なし。されどもさきの聲はいよいよ高く聞へけり。さるにても恠しの聲や、歸り樣其所をしらんとて、西の方一町[やぶちゃん注:百九メートル強。]はかり行ても同じよふにて、おりおり絶るが如く聞ゆ、東の方は歸路に便りよければ、此方に向ひて尋るに、同じよふにて、いづことも定らず、東の果近く、馬場の中を橫に過る路も越て、初て少し近く聞ゆるまゝに、此方なりけるとて尋るに、はたして東のはてより廿間斗[やぶちゃん注:三十六メートル余り。]こなたの北の方に家ありて、其所なり。籬の外に立よりて聞ば、人の聲も聞へ、燈火もかすかに見ゆ、よくよく聞ば病人のうめくにて、看病の人の傍にて語り合もありけり。こゝにて聞にさまで高くはなきに、二町餘も隔てて同じよふに聞へしは、あたり靜まりし故なるにや、扨は恠しき物にてはあらざりけりとて、打連て家に歸りける頃は、丑の刻にも過たりける。

 ケ樣のことも、なれざることは恠しと思ふなれば、物におどろく癖ある人の言は信じがたし。又舟にて大洋(うみ[やぶちゃん注:このルビは「洋」のみのもの。])をのるに、舟幽靈といふもの出るといふ説よく人のいふこと也。其形ありてひさく[やぶちゃん注:柄杓。]を乞ふ時、底なきひさくを與ふ、然らざれば水をすくひて舟に入るといふ、これは逢ふもの少く、おゝくは沖の方にて、泣叫ぶ聲哀しく、或は近く或は遠く聞ふ、又物語する聲、間のあたりに聞へて目に見えずといふ。遠州灘などにては、度々有りと聞り。予釣するとて沖中にて、四方の物音を聞くに、陸にて思ふより十倍遠き所の音(こゑ)、間(ま)のあたりに聞へて、始めて聞たる時は驚ばかり也しが、聞なるれば常と思ふ、東風(こち)の起る頃は、總州・房州の網引の聲やゝ言語も分る程に聞ゆることあり。又沖の方目の界(かき)りは、舟もなくて言語は甚分明なる聲聞ゆることもあり、夜舟の恠も多くは是等も有るべし、聞なれざる人の恠といふも理なる歟、兎角に耳目に慣ざることは、あやしきこと多き物なり。

   *]

「想山著聞奇集 卷の壹」 「吉夢應を顯す事」

 

 吉夢(きちむ)應(おう)を顯(あらは)す事

 

Hujitotakatotomikuji

 

 東都芝口に吉嶋屋市兵衞と云いふ)古瀨戸物屋有(あり)。名古屋出生(しゆつしやう)にて、予、竹馬よりの知己(ちき)なり。才智賢く、文學も少し有(あり)て、遊藝抔(など)、何にも一通りは行渡(ゆきわた)り居(ゐ)て、品々(しなじな)咄(はなし)のある面白き男也。此者云樣(いふやう)、私は、不思議成(なる)事、また奇怪成(なる)類(たぐひ)の事は、多くは聞違(ききちがひ)や或は噓にて、先(まづ)は理外(りぐわい)の奇怪など云(いふ)事は少きもの故、人々是は實なりなどゝ云(いひ)て、慥成(たしかなる)事も、人よりは疑(うたがひ)深くて、實と受兼(うけかね)る甚だわるき性(しやう)にて御座候。勿論、奇妙不思議と云(いふ)事は決(けつし)て有間敷(あるまじき)とは存(ぞんじ)奉らず候らへとも、人よりは唯、疑心多くて、大躰(だいたい)の事は心伏(こころぶせ)なしかね申候らへども、鳥渡(ちよつと)せし事ながら、眼前に合點のゆかぬ事を見請(みうけ)申候。最早十二三年も以前、天保の初つかたと覺(おぼえ)申候。鐡砲洲に紀伊國屋久兵衞とて、紀伊の國の船問屋御座候。或時、此久兵衞の申(まうす)には、昨夜、妙成(なる)夢を見申候。富士の山上より麓迄、繩一筋引張(ひきはり)有(あり)て、鷹が富(とみ)の札一枚捉(つか)み來りて、其繩へ引懸(ひきかけ)たり。是は妙成事と思ひて、其札を見れば、何十何番と慥(たしか)に讀覺(よみおぼ)えたり。變成(なる)夢を見るものかなと咄す。此夢の咄は、其座に居合せて聞置(ききおき)申候らへども、最早、久敷(ひさしく)相成(あひなり)申候故、聢(しかと)とは仕り兼(かね)候へども、先(まづ)夢の趣(おもむき)は右の通りに御座候。然るに其席に居合(ゐあひ)たる、これも紀伊の國の船問屋長嶋屋の代(だい)の者、此はなしを聞(きき)て、それは此上もなき吉兆なり。急ぎ其番の札を求められよと勸めけれども、久兵衞は寛優(ゆたか)にして、別(べつ)してその樣成(やうなる)事は一向好まざるものにて、是は夢なり、騷ぐ事に非ずと云(いひ)て、心なきゆゑ、かの代の者、左候はゞ其番を我等に下さる間敷(まじく)かと云しに、何も進ぜる迄もなし、ほしくば尋(たづね)て求められよと答へぬ。扨、此代の者は至て富好(とみずき)にて、常々雨に付(つけ)、風に付ても、是ぞ吉兆なるべきなどゝ云て、富札を穿鑿して求(もとむ)る程の事なれば、是ぞ天より我等に與ふる福也とて、悦ぶ事限りなく、直(ぢき)にその札をたづね懸りけれども、何分、差番(さしばん)の札なく、富札の賣捌所(うりさばきじよ)も數百軒なるまゝ、己(おの)れ一人にては、一時に穿鑿出來兼るゆゑ、己(おのれ)とおなじく富の好(すき)なる友を兩人かたらひ、三人して江戸中端々まで悉く尋ね索(もとむ)れども、かの夢の番附の札はなく、尋(たづね)わびて詮方なさに、夢と一番違ひの札を見付置(みつけおき)たる故、せめてあの札なりとも買取(かひとる)べしとて、漸(やうやう)、其札を買取て、富(とみ)興行を待居(まちゐ)るに、彼(かの)夢のふだ、第一ばん百兩の當り札と成(なり)たる故、代の者の求め置(おき)し札も、一番違ひなれば、袖札(そでふだ)と成(なり)て、僅か五兩とか取(とり)申候。是は現在、私(わたくし)存居(ぞんじをり)申候事にて、如何にも合點の行(ゆか)ぬ事ながら、爭はれぬもの、不思議と申(まうす)も有(ある)ものにて御座候と市兵衞語りたり。予おもふに、昔、栗田の大臣在衡(ありひら)公、未だ六位の時、鞍馬寺に籠り給ひけるに、御帳(みちやう)の内より笏を給ふと夢に見給ひしに、其笏に右大臣從二位在衡とかゝれたりけり。後、其夢の如く、大臣と成(なり)給ひしと申(まうす)事あり。又、或著に、右大臣歳(とし)は八十二と示し給(たまひ)て後(のち)、意の如く昇進して、八十三の時、左大臣に進み給ふゆゑ、彼(かの)寺に詣(まうで)て、往日(わうじつ)右大臣八十二の由、示現(じげん)を蒙(かうむる)といへども、今既に此(かく)の如しと念じ給ふと。昆沙門天、亦夢の中に示し給ふには、官は右大臣にて有(あり)しに、年來(としごろ)、勤(つとめ)の功に依(より)て左大臣に至れり。歳は八十七と示し給ふて、件(くだん)の歳に薨逝(こうせい)なりと云(いふ)事有(あり)。是等は正敷(ただしく)、鞍馬の多門天の示し給ふ靈夢なれども、此久兵衞の夢は、如何なる神のみせ給ふ夢にや。市兵衞の不審(いぶかしく)思ふも理(ことは)りにて、實(げ)に一奇事といふべし。

[やぶちゃん注:「心伏」心底から納得することの謂いであろう。

「鳥渡(ちよつと)」一寸(ちょっと)。

「最早十二三年も以前、天保の初つかた」天保は一八三〇年から一八四四年で、本書は想山没年の嘉永三(一八五〇)年に板行されているから、謂いとしては不審がない。

「鐡砲洲」現在の東京都中央区の東部、月島に面した湊(みなと:「町」は附さない)や明石町(あかしちょう)に相当する。呼称は徳川家康入府当時にここが鉄砲の形をした洲(島)であったことに由来する。或いはまた、寛永の頃にこの洲で鉄砲の試射をしたことに依るともされる。江戸後期は大名の蔵屋敷が多くあった。

「長嶋屋の代の者」その長嶋屋の当代の当主の謂いととっておく。

「寛優(ゆたか)」推定で二字でかく読んでおいた。バーネット作若松賤子訳の「小公子」の若松の「自序」にこの用法を確認出来るからである。

「その樣成(やうなる)事」富籤を買う趣味。因みに、私も全く、ない。

「差番(さしばん)の札なく」不詳。ウィキの「富籤」によれば、富籤は大きな箱に札の数と同数の番号を記入した木札を入れ、その箱を回転して側面の穴から錐を刺し入れて木札を突き刺し、当選番号を決める方式で、当たりには「本当(ほんあたり)」が一から百まで、つまり、百度、錐で札を突いて挙げられた。例えば第一番に突き刺したのが三百両、以下五回目ごとに十両、十回目毎に二十両であるが、五十回目は二百両、百回目(これを「突留(つきとめ)」と称した)には千両といったように褒美金が貰えた。また、この連続の突きの内の二十一回目のそれを「節(ふし)」と称し、節を除いた残りを「平(ひら)」と名付け、この「節」の何回目かについて事前に「間々(あいあい)」という呼称で定めおき、この特異点で少額金を与えることもあった。「節」の番号数の前後の番号に幾許(いくばく)かの金額を与えたが、これを「両袖」と言い、「両袖」のかたわらの番号を「袖」と称して、少額の物が配られることもあったとある(本文の後に出る「袖札」は後注するようにこれとは別)。ここはその富籤の場所或いはその差し手(興行主に社寺が強制的に分与させた冥加金目当てに行った)を現わす符牒が富籤の当選番号とは別に存在したものか? 識者の御教授を乞う。

「一番違ひなれば、袖札と成て」現在の大当たりの当選番号の一番違いの前後賞に相当するもの。

「栗田の大臣在衡(ありひら)公」平安中期の公卿藤原在衡(寛平四(八九二)年~天禄元(九七〇)年)。藤原北家魚名流中納言藤原山蔭の孫。最終官位は従二位の左大臣で贈従一位。「粟田左大臣」「万里(まで)小路大臣」と称した。参照したウィキの「藤原在衡によれば、『僧侶の子息で五位の諸大夫の養子という、その出自に比して異例の出世を遂げたこともあり、数々の説話に彩られた人物である。若年時に鞍馬寺において天童から大臣への昇進と長命の予言を受けたという』とあるが、これは「古事談」の「第五」「神社佛寺」の「在衡、鞍馬にて宣託を蒙る事」である。岩波の新日本古典文学大系を参考底本として恣意的に正字化して以下に示す。〔 〕は原典の傍注、【 】は原典の割注を示す。読点を追加し、読みはオリジナルに歴史的仮名遣で附した。

   *

 栗田左大臣在衡〔山蔭中納言孫、但馬介有賴男、實は如無(によむ)僧都子〕、文章生の時、鞍馬寺に參詣し、正面の東の間において禮を爲す間(あひだ)、十三四歳の童(わらは)、傍に來たりて、同じく禮を爲(な)す。七反(へん)許りと思ひけれども、此の小童の禮終らざる前に、しはてたらむはわろかりなむ、と思ひて、不意(こころならず)、禮し奉る間、既に三千三百三十三度に滿つる時、此の童、失せ畢(をは)んぬ。爰(こ)こに在衡、奇異の思ひを成し、渇仰(かつげう)の信を致(いた)す。然(しか)れども窮屈の餘り、聊か睡眠(まどひ)する間、先の童、裝束天童(てんどう)の如くにして、御帳の中(うち)より出で來たりて云はく、「官は右大臣、歳(とし)は八十二」と云々。其の後の昇進、雅意に任すが如し。【臣に任ぜらるる時、饗(きやう)無し、と云々。】左大臣、八十三の時、彼の寺に詣でて申して云はく、「往日、右大臣、八十二の由、示現ありと雖も、 今已に此くの如し」と云々。毘沙門亦た夢中に示し給ひて云はく、「官は右大臣にてありしに、奉公の勞に依りて左に至る。命はあしくみたりけり。八十七」と云々。果して件(くだん)の歳に薨ずるなり、と云々。其の後、彼の寺の正面の東の間をば、人以て進士の間と稱す、と云々。

   *

文中の「天童」は毘沙門天脇侍である護法天童善膩師童子(ぜんにしどうじ)のこと。在衡は安和二(九六九)年に右大臣、翌安和三年正月に左大臣となっているが、同年の十月十日(同年五月に天禄に改元)に致仕・出家入道・薨御している。但し、ウィキの生年が正しいとすれば数えでも七十八で、上記の伝承の享年とは合致しない

「鞍馬の多門天」毘沙門天は四天王の一人として示す場合には多聞天として表わされる。ウィキの「毘沙門に、『日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格である財福の神という面が強ま』ったとある。]

 

斷章 1   山村暮鳥

 

       斷章 1

 

どんなにくるしくつても生きねばならない

よしこの大地を舐めずつてなりと

生きるものは生きる

否、くるしめばくるしむほど

より強くかつりつぱに生きる

くるしむものは生きる

くるしむものばかりが生きる

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

都會の雜音がきこえる

都會の雜音はまるで海のやうだ

そこにわたしたちの小さな巣もある

その巣でしきりにわたしをよんでゐるだらう

とうちやん

とうちやん

雜音にまじるその聲

鴉や雀をみんなねぐらにかへらせて

そして日はとつぷりくれた

とつぷりと日が暮れたのでこどもらはさみしく

どんなにわたしをまつてゐることか

わたしもいそぐ

わたしはすひよせられる

赤い灯(ひ)よ

海のやうな雜音のかなたで遠く

ぽつちりとついたその灯よ

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

友はいま遠い北海道からかへつたばかり

ながながと旅のつかれにねころんだ疊の上で

まだ新らしい印象をかたりはじめた

うまれてはじめて乘つた大きな汽船のこと

それで蒼々した海峽を

名高い波に搖られながら橫斷したこと

異國的な港々の繁華なこと

薄倖詩人の草深い墓にまうでたこと

トラピスト修道院の屋根がはるかに光つてゐたこと

古戰場で珍らしい閑古鳥をきいたこと

さまざまなことを友は語つた

それから時にと前置をしてしめやかにその言葉を切り

友は一すぢの糸のやうな記憶をたどりはじめた

それはもう黃昏近い頃であつた

とある田舍の小さな驛で

身なりだけでもそれとしられる貧しい女が

一人の乳呑兒を脊にくくりつけ

もひとりの子の手をひいて友の列車にあはたゞしく驅けこんだ

車中はぎつしり一ぱいだつた

その女はよほどつかれてゐるらしく

自分の席をやつとみつけて脊中のこどもを膝におろした

そしてほつといきをついた

友のそばに無理矢理に割込ませられた大きなほうの子ども

それは女の子であつた

汚い着物とみにくい顏面(かほ)と

段々と列車の動搖するにつれ

その動搖にほだされてくる心の弛みにがつくりと

みんなのやうにいつかその子も首を垂れてしまつた

はじめの間は何やかとその子のことがぞくぞくするほど氣になつたが

次第に身體(からだ)をまつたく投げ出し

その小さな首を友の胸のあたりに凭たせかけてなんの不安もなく

すやすやと鼾さへはじめたその無邪氣さ

友にはそれが可愛ゆくなつてきた

可愛ゆくて可愛ゆくて何ともたまらなくなつてきた

しみじみと

汽車は用捨なくはしり走つた

そしてぱつたり停つた

そこは彼等の下車驛であつた

母にめざまされたその女の子は黑い瞳をぱつちりと開いた

友はそれをみた

それに人間のまことの美をみた

みたと言ふより寧ろ解したといふべきだ

子どもは立ちあがり

ちらとふりむいてにつこりと而も寂しく

「おぢさん、さよなら」と後にも前にもたつたひとことこれだけ言つた

友はだまつて挨拶した

かなしさがぐつと咽喉までこみ上げたので言葉の道がなくなつたのだと

こんな話を目にでもみえるやうにしながら

もうその眼瞼をぬらしてゐるのだ

あゝ、たまらない

あゝ、こんなのが消えてうせゆく人間の言葉であるのか

 

[やぶちゃん注:十八行目「もひとりの子の手をひいて友の列車にあはたゞしく驅けこんだ」の「あはたゞしく」はママ。

「薄倖詩人」石川啄木のことであろう。彼の意志により、啄木が愛した大森浜を望む函館山南端の立待岬に彼は葬られている。(グーグル・マップ・データ)。

「トラピスト修道院」現在の北海道北斗市三ツ石(渡島当別)にある、明治二九(一八九六)年十一月に教会法上の正式な創立となった「灯台の聖母修道院」のことであろう(名は近くに今もある葛登支(かっとし)灯台に因む)。所(グーグル・マップ・データ)。

「古戰場」五稜郭であろう。

「閑古鳥」郭公(かっこう:カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus)。]

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

こんなに海が荒れてゐるので

どうして魚がとれるもんか

魚なんど釣るどころか

ぶじだつたのがめつけもんだ

それでも海はかへりがけに

晩にはこれで一ぱい飮めと

鰈一枚くれてよこした

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

じめじめと

雨がふるふる

 

雨がふる

蜘蛛がかるわざしてござる

あめがふるので

つれづれなので

ひとりかるわざしてござる

宙でかるわざしてござる

秘術つくしてしてござる

あれ

つつつつと針金わたり

つるり

ぶらりと

ぶらさがり

あれ、あれ

おもしろい首縊り

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

おまへはびんぼうだな

さうだ

おまへは金持になりたくないか

なりたくない

おまへはつまらない人間だな

さうだ

どうだ、王樣にしてやらうか

まあお斷りしよう

なんといつても

わたしの尻尾がつかめないので

惡魔はかへつてしまひました

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

そらが

屋根の上で

まあ、こんなにたかくなつた

そしてみがきでもかけられたやうになつた

じいつとみてゐると

そのそらに

畑や市街がうつゝてゐるやうだ

草の葉のそよいでゐるのもみえるやうだ

自分の顏もどこかにうつゝてゐやしないか

おうい、雲よ

自分はもうなんにもいらない

 

[やぶちゃん注:現在、我々が目に出来る、暮鳥が最初に雲に「おうい、雲よ」と呼びかけた最初期の詩篇である。]

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

一ぴきの

麥藁とんぼをおつかけてきて

ちらとみつけたたうもろこし

とんぼつり

とんぼつり

おまへのかほは耳つ朶まで

そめたやうにあかいな

たうもろこしにほれたんだろ

 

[やぶちゃん注:「耳つ朶」老婆心乍ら、「みみつたぶ」(みみったぶ)と読む。]

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

ないてゐるのは

きりぎりす

火のやうなきりぎりす

草の葉つぱのふかいところで

きりきり錐をもみながら

この炎天に

戀もするだろ

きりぎりす

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

ぎゆう、ばりばり

おやいゝ音だな

裏の畑で黃蜀黍(たうもろこし)をもぎとる音だ

火のつくやうな髮をしたとなりのおかみさんが

こしまき一つで

なにか

ぶつぶついひながら、ぎゆう

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

鳶が大きな輪をかいてみせた

 

なんのことだか

輪をかいてみせた

おもひあまつて空を見てゐたら

鳶が大きな輪をかいてみせた

 

ある時   山村暮鳥

 

         ある時

 

わたしはうやうやしく

いつものやうに感謝をさゝげて

すうぷの椀をとりあげました

みると

その中におちて

蠅が一ぴき死んでゐるではありませんか

おゝ神樣

じやうだんではありません

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

ひさしぶりで

雨がやみ

あさひがさして

木木の枝では

ぴかぴか露がひかつてゐると

ちひさい頃

わたしは學校の本でよんだ

からりとはれた

此の碧空

あちらでもこちらでも

あれ、あれ

日向にでて

何處でも虱を潰してゐる

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

あんまり風がひどいので

障子の孔からのぞいてゐた

大通りでは

びつこをひいた瘦馬が

山のやうな重い荷馬車を引いてゐた

そこへひよつこり

妻と子どもがにこにこと

吹き捲くられてかへつてきた

 

ある時   山村暮鳥

 

       ある時

 

藪の中で

桔槹(はねつるべ)が

かたりかたりと

ゆられてゐた

鴉よ

鴉よ

なんで

わたしが頰つぺたを

ぬらしてゐたか

しつてるか

大風の日だつた

 

[やぶちゃん注:「桔槹(はねつるべ)」は音「キツカウ(キツコウ)」で「桔」は「きつく引き締まる棒」の意であるが、「槹」とともに単漢字で「撥は)ね釣瓶(つるべ)」の意を持つ。]

 

おくりもの   山村暮鳥

 

       おくりもの

 

どんなところへでも

人間の愛のあるところには來るやうに

まづ子どもたちに

それからわたしたちにも

まつすぐにクリスマスはきた

小さな羽子板と

かあいゝはねが二つ

クリスマスがわたしたちに

それを子どもたちめいめいの枕もとにおかせた

わたしたちはめざめたときの

子どもたちの顏をおもひうかべた

そして世界きつての幸福者(しあはせもの)であつた

しんじつ

そのときのわたしたちは

このめでサンタクロオスをみた

 

[やぶちゃん注:太字「はね」は原典では傍点「ヽ」。]

 

地を嗣ぐもの   山村暮鳥

 

       地を嗣ぐもの

 

みちばたであそんでゐた

ひとりのこども

どろを捏ねてゐた

そのこども

そのどろで

山をこしらへ

そこに木を植ゑ

家をたて

馬をつくり

そのつぎに人間をふたりこしらへ

その人間に言葉をかけて

ちちよ

ははよ

これでもうおしまひだから

一ばん強く

そして大きく

こんどは自分を創ります

おゝあのこども

 

かほ   山村暮鳥

 

       かほ

 

よるもひるもたえず

みえないあらがねの鑿をつかんで

こつこつと專念に一つの顏を彫刻してゐるわたしだ

うつくしくあれ

うつくしくあれと

けれどほりだされる顏をみれば

日一日とみにくゝなる

額にふとく

蟀谷(こめかみ)まで

よこにひかれた惡魔の爪

ことさらに深い一すぢ

そのしたには

おそろしいおとしあなのやうに落窪んだ眼と眼

げつそりとやせこけ

懸崖(がけ)のやうにそげた頰つぺた

くらいかげ

ひらいたら火でも吐くか

きむづかしく

憂欝にひきむすんだ無言の唇

蛆蟲でも匍ひだしさうな鼻の孔

あゝどうしてかうもみにくゝなるのか

ひとのしらない嘆息が洩れる

一生一つのこんな彫刻をするわたしだ

だがいまさらそれがなんとならう

またどうしてこれがすてられよう

これこそ自分の顏である

此の顏の

此の落窪んだ

此のおとしあなのやうな眼のおくにあつても

なほ眞實は汚れず

その二つの星はいまもいきいきと燦いてゐる

こつこつと專念に

みえないくるしみの鑿をつかんで

一生一つのこんな彫刻をするわたしだ

 

農夫   山村暮鳥

 

       農夫

 

なんとなく空は險惡で

そしてくらく

ぽつぽつ雨さへおちはじめた

もう一日も終りであつた

自分はおもひだす

氷山のやうなあの山山を

鋼鐵(はがね)のやうな冬のあの日を

そこではげしく

たつたひとり

たつたひとり

大きな熊手鍬(まんのう)をふりあげふりあげて

せつせと働らいてゐた

あの獸のやうな農夫を

疾驅してゐる汽車の窓から

自分はちらとそれをみかけた

みぶるひがさつとはしつた

そのときから自分のこぶしは石となり

自分の頭上にはだれにもみえない角が生えた

そのころの自分のくるしみ

そのどんぞこから

それでも自分は帽子を脱つた

農夫はなんにもしらないのだ

けれど自分をしみじみと考へさせた

わきめもふらず

天も仰がず

荒れはてた田圃の中で

刈株の土をおこしてゐた

たつたひとりの

あの農夫

ひとりであつたあの嚴肅さ

ぽつぽつ雨さへおちてゐる記憶の上につゝ立つた

自分は強い農夫をみる

自分は強いそして獸のやうな人間を

いまもかく