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2017/03/02

柴田宵曲 妖異博物館 「夜光珠」

 

 夜光珠

 

 下總國相馬郡山王村の庄兵衞といふ男が一箇の白玉を祕藏してゐる。辨天信仰の男だから、本尊に合祀してゐるが、元來この玉は天明年間に光り物がこの村を照して過ぎた際に落して行つたものである。落ちたところは人家の垣の境で、一方の主人は家に病人があつたため、不吉として鄰りの人に渡さうとする。鄰りの人もまた恐れて受取らぬ。そこへ偶然行き合せた庄兵衞が、それなら私に下さいと云つて貰つて歸り、辨才天と共に祀つたのである。玉の大きさは一寸ばかり、頭は寶珠の如く尖り、色は極めて白い。夜燈火がなくても、書物の一行ぐらゐはその光りで讀み得るさうである(譚海)。

[やぶちゃん注:「譚海」は所持し、電子化も行っているが、今、縦覧した限りでは発見出来なかった。見付け次第、追記する。]

「煙霞綺談」に記された一つは、元文年間、遠江國豐田郡百古里(すかり)村の女が、畠に出て菜を摘んでゐると、夕日の光りを受けて輝くやうなところがある。早速そこの土を掘り返して、卵ほどな美しい石を得た。家に歸つて夫にも見せ、席上に置くうちに日が暮れた。すると一町ばかり離れた藪蔭に住む醫師がやつて來て、自分の家からこの家を見ると、燈火はついてない樣子なのに、甚だ明るく見える、一體どういふわけか、と尋ねた。私どもにはよくわかりませんが、多分先程拾つたこの石のせゐでせう、と云つて見せたところ、醫師は頻りに欲しがつて、巾著に在り合せた金百疋を抛り出し、その石を持ち歸つた。夫婦は思ひもよらぬ金を得て喜んだが、翌日の夜半に醫師の家から火が出て、諸道具も玉も燒けてしまつた。近所の者の評判によれば、これは夜光の玉で、玉の威に壓されて火難に遭つたものだらうといふことであつた。

[やぶちゃん注:「遠江國豐田郡百古里(すかり)村」現在の静岡県浜松市天竜区横川下百古里か。ここ(人口統計ラボのデータ)。

「席上」は「せきじやう」で、ここは居間の敷物の上の謂いであろう。

「百疋」一両の四分の一。金一分相当。原典の「煙霞綺談」の著者遠州金谷宿の西村白鳥は天明三(一七八三)年に没しているから、この話柄は江戸中期末で、それで推定換算すると、一両五~六万円ほどか。されば、百疋は一万五千円前後相当となる。

 以上と次の段の例は「煙霞綺談」の「卷之二」の「遠江國(とをとうみのくに)夜光玉(やくわうのたま)駿河國玉石(たまいし)」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。読みは底本にあるものの一部に限った。一部、脱字と思われる箇所(空欄)に読点を打った。歴史的仮名遣の誤りは総てママである。

   *

江國豐田(とよた)郡百古里(すかり)村といふ所の民家の女、菜畠(なはたけ)に出(いで)て摘(つみ)けるに、何となく夕日映じて、そこら輝く樣なる所あり。取てかへり畑の畦(くろ)一二寸土を穿(うがち)見るに、卵ほどなる美しき石あり、取てかへり夫に見せて席上に置(をき)、兎角して日も暮たり。一町ばかり[やぶちゃん注:約百九メートル。]近所の藪陰に醫師の家あり。不斗(ふと)爰に來りいふ。吾(わが)居家(きよか)より此家内を見るに、燈(ともしび)いまだ挑(かゝげ)ざるに甚(はなはだ)光明(くわうめう)あり、いかなる故かあると尋ければ、向(さき)にかくのごとくの石を拾ひて、愚意(ぐゐ)に及ばず怪しみ評するうちに、暮に至れども灯(ひ)を忘れて闇(あん)をしらず。此石の光るなりと見せければ、醫頻(しきり)に所望して、巾着(きんちやく)に有あふ金百疋を抛(なげ)出して玉を持還(もちかへ)る。夫婦は思ひよらぬ金を得て悦ぶことかぎりなし。時に翌日の夜半、彼(かの)醫家(いか)に出火ありて、諸道具丸燒(やけ)になり、其玉も失ひける。是を聞(きゝ)たる近里(きんり)の者評して曰、傳へきく、夜光の玉にて俚民(りみん)の家に止(とま)らず、其玉の威(ゐ)に壓(をさ)れて、かゝる火難に遭(あひ)けるにや。又雷珠(らいしゆ)とは火精(くはせい)の凝(こり)たるものなれば、彼(かの)珠(たま)より火出たるや、いづれ不測(ふしぎ)の事なり、元文の比の事なりとかや。

又同じ比、駿河國伊久美(いくみ)といふ山里の農人(のうにん)、ある時澤邊にて美しき石を拾ふ。是も鷄卵(けいらん)ほどあり、片鄙(へんぴ)の夫(ふ)なれば、何といふものと人に見する心もなく、煤(すゝ)びたる持佛の笥(づし)に入置(おき)たり。夜はひかりありて燈明(とうめう)のごとくなれば、唯(たゞ)能(よき)ものとばかり心得て、近所の人とても何心もなく不思議ともせず。ある時其村の長地頭(をさぢとう)へ所用ありて出けるに、四方山話(はなし)の序(ついで)に、此石の事を語(かたり)、下役人聞て、かさねて用事の序に持(もち)來れと云含(いひふく)めければ、安々(やすやす)と請合(うけあひ)て、程なく此石を借り來りて下司(げし)に渡す。下司は玉を得て大によろこび、重ねて返すべし、先しばらくあづかる也とて長(をさ)を返し、其後(そののち)二度此玉の事を云ず。片山里(かたやまさと)の長(をさ)なれば、役人の威(い)に恐懼(きようく)して、此方(このほう)よりも問(とは)ずなりぬ。

[やぶちゃん注:以下は底本では全体が一字下げ。]

按名珠(めいしゆ)名玉(ぎよく)は、貴人高位の德を感じて出生(しゆつしやう)するならんか。前段の火災の時、此玉飛行(ひぎゃう)して駿河山中に至り、又其地頭の下司(げし)の手より高位(かうゐ)の方へ飛(とぶ)なるべし。

   *]

もう一つは駿河國伊久美といふ山里の話で、これも或百姓が澤邊で美しい石を拾ふ。大きさは前の話と同じく鷄卵ほどであつた。煤びた持佛の廚子に入れて置くと、夜は光りあつて燈明の如くである。たゞいゝものを拾つたといふだけで、近所の人も格別不思議に思はなかつたが、或時その村の長(をさ)が地頭(ぢとう)のところへ出て、四方山(よもやま)の話をするついでに、ついこの石の事を口にした。下役人がこれを聞いて、今度ついでがあつたら持つて來て見せろと云ひ、長は百姓から借りて來て一覽に供した。玉はそのうち返すといふことで、役人の許に止め置かれ、その後は二度と玉の事を云はぬ。何分片山里の村長の事だから、役人の威に恐れて、そのまゝ泣寢入りになつてしまつた。「煙霞綺談」の著者は二つの話を倂記した後、玉は同一物であるとし、醫師の家の火災の際に飛行して駿河の山中に至り、今度は下役人の手から、高位の人の手へ飛んだのであらうと云つてゐる。いづれも夜光珠であるが、最初の一つ以外は所を得ず、眞の力を發揮するに至らなかつたのである。

[やぶちゃん注:「駿河國伊久美」現在の静岡県島田市伊久美。ここ(グーグル・マップ・データ)。先の百古里から二十四キロメートル東北東で近くはある。]

 そこへ往くと「三州奇談」に出てゐる話は大分神祕的な色彩が強い。加賀國大聖寺の家士坂井數右衞門、或夜半過にたゞ一人、小野坂といふ山道にさしかゝると、自分より先を步いて行く者がある。然も燈火を携へてゐる模樣だから、追付いて誰だか見ようと思ひ、足を早めて行けば、その灯も早く步いて行く。此方が立止れば向うも立止る。心を落著けて見るのに、それは提燈や小行燈の類ではない、星のやうな光りなので、愈々眞性を見屆けたくなり、刀をくつろげて精一杯急いだ。丁度山の𢌞るところで、漸く近付き、高みから覗くやうにすると、年の頃九十ばかりと思はれる老翁が、掌に玉を据ゑて居り、その玉の輝く光りとわかつた。その時うしろからまた人が來るやうに思はれたので、この顏も見屆けたく、急ぎ走り寄れば、これも同じ年頃の老婆と見えた。老婆はうしろから伸び上り、先へ行く老翁の持つた玉を、ふつと吹き消した途端、あたりは眞の暗黑になり、一寸先もわからなくなつた。老翁も老婆も寂として聲なく、どこへ行つたものかわからない。「三州奇談」はこゝに或人の説を附け加へて、火を消したのは老婆の深切である、この場合、妖は正にして人は邪だと云はなければならぬ、玉を持つ老翁が家に歸つたら、必ずこの事を奇談の中に書き留めて、途中怪に逢つたとすることであらう、と甚だ皮肉な事を云つてゐる。

[やぶちゃん注:この評言は私には半可通で、よく意味が判らぬ蛇足としか思えない(柴田が「皮肉」と言っているのは、本「三州奇談」の元筆者である俳人楚雀、或いは、それを筆録した堀麦水を皮肉っているというのではあろうが、それだけの話で頗るつまらぬ)。寧ろ、これなしで味わうと、まさに真正のホラーの映像が素晴らしい。

「加賀國大聖寺」前に出た加賀藩の支藩大聖寺藩(だいしょうじはん)のこと。

「眞性」「しんせい」と読んでおく。ここは対象物の実体の謂いである。

 これは「三州奇談」の「卷之一」の「小野老翁」という条である。二〇〇三年国書刊行会刊「江戸怪異綺想文芸大系5 近世民間異聞怪談集成」を参考底本としつつ、恣意的に正字化した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。底本の丸括弧で挿入されている補訂字はそのまま入れ込んだ。

   *

 享保の末年の事にや、大聖寺の家士坂井數右衞門と云(いふ)人は、年四十餘、武藝にもくわしく、心も落付たる沈勇の士といふべし。此家中の風俗、武事の爲にやあらん、夜と共に鳥狩に出る事、業の如く、我一と得物をあらそふほどに、多く人を誘ふ事はなく、只一人出る事にぞ侍る。

 比は冬がれの蔦かづら、枯葉ぼろぼろと松をくゝり、哀猿聲かれて月さへことに足はやく入(いり)て、道たどたど敷(しき)町はづれを、此坂井氏も只ひとり、夜半とおもふ比、しかも木下闇のさすとも知れぬ小野坂といふ山道に步(あゆ)みかゝりけるに、向ふへ行(ゆく)人こそあんなれ。追付て誰ならんと見るべきものをと、頻(しきり)に步みをはやめ行(ゆか)ば、此火も又早く步み去る。立留(たちどま)れば、又立どまる體(てい)也(なり)。爰(こゝ)にて心を付(つけ)てよくみれば、てうちん・小行燈などの燈にはあらず。只かゝやくけしき、星などの下りたる類(たぐ)ひにぞ思はれける。いかにもあやしく、「是非(ぜひ)追付て眞性を見ばや」と、刀をくつろげ、ちからに任せて進み行(ゆき)、山の𢌞れる所にて、近々と追付(おひつき)、急に高きよりはせ下つてさし覗けば、いかさま年の程九十斗(ばかり)にもやと思ふ老翁の、手に玉をすへ行(ゆき)、此(この)珠よりかゞやく光にぞ侍りける。うしろにも又人影のようにみへけるまゝ、其(その)顏ばせも見屆(みとゞけ)たくて、急に走り寄り指覗(さしのぞ)けば、後にも同じ年比(としごろ)の老婆とみへけるに、うしろより延びあがり、先へ行(ゆく)翁の持たる玉をふつと吹消(ふきけ)すとみへし。忽(たちまち)眞の黑闇と成(なり)て、一步も見へ分(わか)ず。又二人の老人、共(とも)に寂として聲なく、又いづくに去る事を知らず。或人(あるひと)曰(いはく)、「火を消したるは老婆が深切也。是は、妖は正にして人は邪なり。玉光の老翁歸らば、必ず此(この)事をあの方の奇談に留めて、『怪に逢し』とは記し置成べし」。

   *]

 この最後の珠だけはまだ人間の手に落ちてゐない。掌に据ゑた玉の光りによつて闇夜を行く老翁も老婆も、到底俗界に住む者とは考へられぬからである。他は時あつて拾ふ人があつても、久しくそこにとゞまらぬらしい。「東遊記」の著者が新潟の人から聞いたところによると、福嶋潟といふ潟に珠を含んだ貝があつて、その大きさは直徑三四尺もあらうと思はれる。月明かな夜は折ふしその月が口を開くのに、その珠は拳ぐらゐの大きさがあると見えて、曉の明星の出たる如く、光明赫奕として水面にきらめく。人がこれに近付く時は、忽ち口を閑ぢて水底に沈み、或は口を開きながら矢を射る如く水上を去る。この貝の出現するところはきまつて居らず、いつ見ても同じくらゐの大きさであるから、たゞ一つの貝なのであらう。折々見る者はあつても、人恐れて取らず、近々と見得るわけではないので、何貝といふことを知つた者もない。支那で蚌珠(ぼうしゆ)といふものかとある。これらは全く人の窺ふを許さぬ天の至寶で、その後も永く水中に在つて光りを放ち續けたことであらう。

[やぶちゃん注: 「福嶋潟」(ふくしまがた)は新潟県新潟市北区新鼻(しんばな)に現存する淡水の潟(かた)。現在は普通に「福島潟」と表記している。ここ(グーグル・マップ・データ)。二百二十種類を越える渡り鳥が飛来地として知られる。

「蚌珠」淡水産の二枚貝綱古異歯亜綱イシガイ目イシガイ超科イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイ属カラスガイGristaria Plicata やイシガイ科ドブガイ属ドブガイ Sinanodonta sp. (現行では、大型になるヌマガイ Sinanodonta lauta(ドブガイA型)と、小型のタガイ Sinanodonta japonica(ドブガイB型)に分けるのが主流のようである)などから淡水産真珠を採取することは出来る(私もその種が作った黒真珠を買って親族に贈ったことがある。私は実は真珠が好きである。私が亡き母に小学校六年の時に誕生日に贈ったのは真珠のピンであった。無論、傷ものの小さなものを三つばかり使ったものだったが、女店員がお母さんへのプレゼントですと言ったら、感激して確か正札二千五百円だったものを千円ちょっきりにして呉れたのを微かに覚えている。藤沢の名店ビルの中の小さな宝石屋だった)。しかし、ここに出る貝は奇怪、基、奇貝であって、実存種を同定することは出来ない。

 以上は「東遊記」の「後編 巻の二」の「四九 蚌珠(ぼうじゅ)」。例の気味の悪い東洋文庫版で示す。読みは一部に限った。

   *

 山から出ずるを玉といい、水に生ずるを珠という。唐土(もろこし)にはむかしより卞和(べんか)が玉、合浦(がっぽ)の珠などいい伝えて、名高き玉ども数々聞こえ、限り無き世の宝ともてはやし、君子温潤(おんじゅん)の德などにも比せり。我朝には、昔より格別に名高き玉を聞かず。神代に曲玉などいえど、今古塚(ふるつか)より掘出(ほりい)だせるを見るに、格別珍愛すべき物とも見えず。又、珠玉(しゅぎょく)を産する山川をも聞(きき)及ず。

 只越後に在りける頃、新潟の人の語りしは、此近きあたりに福島潟というかたあり。此潟に珠(たま)をふくめる貝あり。其大きさ三四尺わたりもあらん。月明らかなる夜は、折ふし其見口を開くに、其珠大きさ拳(こぶし)の程もあらんと見えて、暁(あかつき)の明星(みょうじょう)の出でたるごとく、光明赫やくとして水面(すいめん)にきらめく。人是に近づく時は、忽ち口を閉じて水底(すいてい)に沈み、或は口を開きながら水上を矢を射るごとくに去る。其貝出ずる所定まらず。何時(なんどき)見るにも其大きさ同じ程なれば、只一つの貝と思わる。折々見るものあれども、昔よりある貝にして殊に光あるものなれば、人恐れて取る事なし。又あまり程近く見る事なければ、何貝という事をしる事なし。唐土(もろこし)抔にていう所の蚌殊(ぼうじゅ)にやと沙汰するのみ也。

 此福島潟というは越後にて尤も大なる潟(かた)にて、竟(わたり)六七里に余りて江州の湖水を見るがごとし。其外にも鎌倉潟、白蓮潟、鳥屋野潟などいいて、越後には潟と名付くるもの甚だ多し、他国には無きもの也。此越後は唐土の江南の地に似て、広大なる国にて、しかも畳を敷きたるがごとく甚だ平坦なる土地なり。其中に大河流る。其土地甚だ平(たいら)なる故に、川の流(ながれ)急ならず。所々にて河水(かすい)両方へくぼみ入りて溜り水となる。是を彼地にては何方(なにがた)々々という。皆甚だ大にして、二里三里四方、或は五六里四方なるものあり。他の国は地狭く、たとい広き所にても土地に高下(こうげ)あれば、川水急(きゅう)に流れて、左右へくぼみ入るのいとまなし。唐土なども、絵図を以て考うるに、洞庭湖、青草湖(せいそうこ)抔、すべて湖という者、則ち越後の潟(かた)と同じ趣(おもむき)也。此故に皆(みな)長江に傍(そい)て湖あり。北方の地は地面に高下ありて山多く嶮岨(けんそ)なるゆえに、黄河に湖ある事なし。日本にては、只(ただ)越後のみ潟あり。其他には無し。但し出羽の八郎潟、常陸(ひたち)の霞浦(かすみがうら)抔、少し似たれども其実(じつ)は又異(こと)なり。

   *

底本に「卞和(べんか)が玉」について、『春秋時代、楚の卞和が山で発見した宝石。『韓非子』に、卞和が王にこの玉を献上しようとして両足を切られた説話が載る。連城(れんじょう)の玉とも』と不全な注が載る。「大辞泉」には(見出し「卞和(べんくわ(べんか))」。現代も一貫して読みならわしは「べんか」であって「べんわ」ではないので注意されたい)について、『中国、春秋時代の楚(そ)の人。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが』、信じて貰えずに『左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が』十五『の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された』とある。私が東洋文庫の注を不全と言った理由がお判り戴けよう。「合浦(がっぽ)の珠」には同じく『合浦は地名。その海に宝珠を産する』とするだけで、これではその位置も判らぬ。「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、中国の華南地方の広西チワン族自治区の南部の北海特別市合浦(現代中国語音写:ホープー)県。北部湾に臨み、沿岸の海水は年間、摂氏二十六から三十度を保ち、塩分濃度やプランクトンの棲息状態が真珠母貝(ここは真珠を採取するウグイスガイ科に属する海産貝類を指す。アコヤガイ(斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ科アコヤガイ属ベニコチョウガイ亜種アコヤガイ Pinctada fucata martensii)はその代表であるが,他にもアコヤガイ属シロチョウガイ Pinctada maxima など複数の種が含まれる)の成育に適するため、早くから真珠の産地として知られた、とある。海南島の北の対岸、(グーグル・マップ・データ)である。]

 

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