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2017/03/22

柴田宵曲 續妖異博物館 「空を飛ぶ話」(4)

 

 支那の神仙譚に近いものを日本に求めるならば、先づ天狗を擧げなければなるまい。空を飛ぶ話も勿論ある。高松侯の世子が幼時に目擊した話として「甲子夜話」に出てゐるのは、矢の倉の邸内で凧を揚げてゐると、遙かに空を來るものがある。近付いたのを見れば、人が逆樣になつてゐるらしく、頭や手には着物がかぶさつてゐるため、はつきりわからぬが、女と覺しく號泣する聲が聞えたといふのである。これは天狗が人を摑んで空中を行くので、天狗の姿は見えず、摑まれた人だけが見えるのだといふことになつてゐるが、もしこんな事の出來る者があるとすれば、やはり天狗の外にはないかも知れぬ。似たやうな話は「三州奇談」にもあつて、一むら黑い雲の通り過ぎる中に、裸體の男が一人引提げられたやうになつて、叫びながら行くのが見えた。目擊者は金澤の竹屋次郎兵衞といふ者で、手許が暗くなつたのを不審に思つて、ひよいと空を見た目に映つたのだといふ。「三州奇談」には「火車出現も目のあたりにや」とあるだけで、天狗の所爲に歸しては居らぬが、「甲子夜話」の記載が天狗と斷定し得るならば、これも當然同じ範疇に入るべきである。

[やぶちゃん注:「高松侯」讃岐高松藩。当時は水戸松平家。後に掲げた原典に「世子」で「貞五郎」と出ることから、この超常現象の目撃者は、後に(静山没の翌年)第十代藩主となった松平頼胤(文化七(一八一一)年~明治一〇(一八七七)年)であることが判る。

 以上のそれは、「甲子夜話卷之三十」の「空中に人行(ひとゆく)を見し話」である。以下に次の段落で語られている後半も含めて示す。但し、その漢文部分は返り点及び送り仮名を除去して示し、後に改めて、訓点に従って私が書き下したものを《 》で示した。読みは推定で歴史的仮名遣を以って附した。

   *

五六年前、或る席上にて坊主衆某の語りしは、高松侯の世子貞五郎の語られしと云。世子幼時矢の倉の邸に住れしおり、凧鳶(たこ)をあげて樂しみゐられしに、遙に空中を來るものあり。不審に見ゐたるが、近くなれば、人倒になりて兩足天を指し、首は下になり、衣服みなまくれ下りて頭手に被り、明白には見へざれど女と覺ぼしく、號叫する聲よく聞へける。これや天狗の人を摑て空中を行き、天狗は見ヘず人のみ見へしならんと云はれしとぞ。尤その傍にありし家臣等も皆見たりと云ふ。これは別ことながら『池北偶談』にあるは、文登諸生畢夢求、九歳時嬉於庭。時方午。天宇澄霽無雲。見空中、一婦人乘白馬、華袿素裙、一小奴牽馬絡、自北而南。行甚干徐。漸遠乃不見。予從姉居永淸縣、亦嘗於晴晝仰見空中、一少女子美而艷粧、朱衣素裙、手搖團扇自南而北。久之始沒。これは仙の所爲か。

《文登の諸生、畢夢求(ひつむきゆう)、九歳の時、庭に嬉(あそ)ぶ。時に方(まさ)に午(ひる)なり。天宇(てんう)、澄霽(ちやうせい)にして、雲、無し。空中を見るに、一婦人、白馬に乘り、華袿(くわけい)・素裙(そくん)にして、一小奴(しやうど)、馬絡(ばらく)を牽き、北よりして南す。行くこと甚だ徐(ゆる)し。漸(やうやう)遠(とほく)して乃(すなは)ち見えず。予が從姉(いとこ)の永淸縣に居(を)るも、亦、嘗(かつ)て晴(はれし)晝(ひる)に於いて空中を仰見(あふぎみ)れば、一少女子の美にして艷粧(えんさう)なる、朱衣(しゆい)素裙にして、手に團扇(うちは)を搖(ゆら)し、南よりして北す。久(しさし)く之(ゆく)にして始(はじめ)て沒(ぼつ)す。》

   *

 「三州奇談」の方は同書の「卷之三」の「鞍岳墜槻」(「アンガクツイキ」と音読みしておく)の中の一節。同条を二〇〇三年国書刊行会刊「江戸怪異綺想文芸大系5 近世民間異聞怪談集成」を参考底本としつつ、恣意的に正字化し、総て引いておく。読みは底本そのままを附してある。

   *

 鞍が嶽は金城の西南にして、高雄山の峯つゞきなり。近郷の高山奇靈の地、絶頂に池有(あり)て暑天にも渇せず。次の池は大成(なる)堤にして、山彦奇怪有(あり)。蓴菜(じゆんさい)の名所にして、夏日は遊人多き所也。是(これ)昔(むかし)、富樫次郎政親布子[やぶちゃん注:底本では「子」の右に『(市)』と補正注がある。]の館を離れ、高雄の城に籠りて一揆に敵す。智勇用ひ盡すと云共(いへども)、寡は誠に衆に敵しがたし。終(つひ)に詰の丸なる此(この)鞍ケ嶽の山上に乘上り、敵須崎和泉入道慶覺が家臣・水卷小助と馬上ながら組して、兩馬終に此池に沈む。其後(そのゝち)、此(この)池に朱塗の山頃有(あり)て、往々水上に浮ぶ。是(これ)此池の主也(なり)と云(いひ)、人恐れて水に不入(いらず)。

 此池、鶴來村の上・金劒宮砥池に水通ず。故に糠を蒔(まき)て見るに、必ず數里の山谷を隔(へだて)てうかみ出づと云(いふ)。げにも山上の古池望むも恐しげなるに、金澤の俠士往(ゆき)て水に入者有(いるものあり)。然共(しかれども)、底を盡して歸る者なかりしに、山王屋市郎左衞門と云者(いふもの)、よく底を探しけるに、折懸切子(をりかけきりこ)に燈をともして有(あり)しをみたり。「池底、灯のて有事(あること)なし」と不審して歸りしが、程なく家に死したりと云(いふ)。是も怪異の池故成(なる)べし。

 元文年中、金澤に廣瀨何某(なにがし)と云(いへ)る鷹匠有(あり)。同輩四五人を誘ふて此(この)峯に至りしに、比(ころ)は六月の夕立雲此峯に覆ひ、咫尺の間も闇夜のごとく、雨盆を傾(かたむく)るがごとく降來しかば、と有(ある)老木の許(もと)に隱れて晴行(はれゆく)空を待(まち)けるに、忽(たちまち)闇雲の中一塊の風筋有て、りうとひゞきけるが、何かは知(しれ)ず此池水へどふと落(おち)る物有(ものあり)。暫くして雨晴退(はれのき)ければ、今の響を怪(あやし)みて池上を見やりたるに、新敷(あたらしき)棺桶一つうかみ有(あり)しかば、怪しみ岸に引寄(ひきよせ)、打明て見たるに死骸はなし。「去(さる)にてもいか成事(なること)ぞ」と、空敷(むなしく)興盡て金澤へ歸りしに、廣岡町の竹屋次郎兵衞と云(いひ)し者は、其日(そのひ)屋根を葺(ふき)てゐたりしに、是(これ)も其比(そのころ)闇き雲の一通りかゝりし程に、「不思議也」と振仰(ふりあお)ぎしに、裸體の男一人引(ひき)さげられたる如く、雲中を喚び行(ゆき)たるを見たりしと云。是(これ)又同刻限也(なり)。火車出現も目のあたりにや。「此(この)つゞき硫黃山の池にも、いづれの年か、かゝる怪事有(あり)ける」と咄(はなし)人口に有(あり)。去(され)ば中院僧都、少しの惡念に依(より)て、死して魔道に生じ、慶國大德にあふて問答し、彼(かの)大德の威を崇め敬ひければ、大德の曰、「貴僧魔界に落(おち)て何を以て所業とする」。僧都の云(いふ)、「我徒數千人、只(たゞ)人の臨終を伺(うかゞ)ひ、變異を以て災害をなす。爾(しか)も碩師宿德の人少しも慢心有(ある)は、殊更に伺ひ安し」と云(いひ)けるとかや。誠に毛末の慢心も恐るべき事にこそ。況(いはん)や英雄功ならずして、無念の死をなす、魔魅に落て殘魂の怪となすも又あやしむべからず。

   *]

「甲子夜話」は天狗に摑まれて空を行く今の話の後に、「池北偶談」の記事を掲げてゐる。晴れ渡つた空を白馬に乘つた婦人が、小奴に端綱を牽かせてゆるゆると行くのが見えたといふのが一つ、美しい少女が朱衣を著け、手に團扇を持つてゐたといふのが一つ、いづれも自ら空を行くので、人に摑まれた形跡はない。「これは仙の所爲か」といふのであるが、仙人談の少い日本にも、似たやうな話が多少傳はつてゐる。

[やぶちゃん注:以上の「池北偶談」の元の話は同書の「第二十六卷」の「談異七」に載る以下。例のように、中文サイトにあるものを加工して示したが、一部、不明の字があり、そこは「甲子夜話」の引用から補った。

   *

文登諸生畢夢求、九歳時、嬉於庭、時方午、天宇澄霽無雲、見空中一婦人、乘白馬、華袿素裙、一小奴牽馬絡、自北而南、行甚於徐、漸遠乃不見。予從姊居永淸縣、亦嘗於晴晝仰見空中一少女子、美而豔妝、朱衣素裙、手搖團扇、自南而北、久之始沒。

   *]

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