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« 柴田宵曲 妖異博物館 「古枕」 | トップページ | 柴田宵曲 妖異博物館 「斬られた石」 »

2017/03/05

柴田宵曲 妖異博物館 「木像讀經」

 

 木像讀經

 

 本郷元町邊の御家人の家で、持佛堂の阿彌陀の木像が經を讀むといふ話があつた。遂に恐れて元町の三念寺に納めたが、實は持佛堂の中に熊蜂が巣をくつて、折々群がる羽音であつたと後にわかつた(半日閑話)。

[やぶちゃん注:「熊蜂」本邦で北海道から九州まで広く分布する、昆虫綱ハチ上目膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科ミツバチ科クマバチ亜科クマバチ族クマバチ属クマバチ(別名・クマンバチ・キムネクマバチ)Xylocopa appendiculata ウィキの「クマバチ」によれば、初夏にが『太い枯れ枝や木造家屋の垂木などに細長い巣穴を掘り(穿孔営巣性)、中に蜜と花粉を集める。蜜と花粉の団子を幼虫』一『匹分ずつまるめて産卵し、間仕切りをするため、一つの巣穴に、一列に複数の個室が並ぶ(英名の carpenter bee(大工蜂)は、この一連の巣づくりの様子に由来)。その夏のうちに羽化する子どもはまだ性的に未成熟な亜成虫と呼ばれ、しばらく巣に残って親から花粉などを貰う』(なお、このような『成虫の姿での母子の同居は、通常の単独性のハナバチには見られない行動であり、亜社会性と呼ばれる』)とあって、人家に巣を作ることはあるが、以上の通り単独巣であって、本文にあるように「群がる羽音」というのは当たらない。実は「くまばち」「くまんばち」の「熊」は大きく刺されると危険な感じが強くすることを意味する呼称で(実際のクマバチは性質が非常に温順で人を刺す(針を持つのはのみ)ことは極めて稀である)、現在でも地方によってはかの危険動物である細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科 Vespinae のスズメバチを「熊蜂」と呼称することから、この「群が」って激しい読経のような「羽音」を立てる「熊蜂」はスズメバチを指していると考えるのが至当である。

 以上は「半日閑話」の「卷十三」の「本郷元町彌陀怪異」の一条。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。柱の「」は除去した。

   *

本郷元町彌陀怪異 此節本郷元町邊の怪き御家人の家の持佛堂の木像の阿彌陀經を讀むと云。恐れて本郷元町の三念寺に納むと、誠にや。後聞く、持佛堂の中にくま蜂の巣をくひて、折々群りし羽の音なりしとぞ。

   *]

 この話は殆ど同じ事が「耳囊」に書いてある。安永の初め頃で、信心の老若がこの佛壇を拜んで居つたが、この持佛のうしろは麹屋の家境になつてゐて、その境にある蜂の巣で、子蜂どもが朝夕鳴くのであつた。「三十日餘の夢を覺しける」とあるから、さう長い間ではなかつたらしい。「耳囊」の著者はこの話に「聊(いささか)の事より奇怪を談じ初る事」といふ題を置いてゐる。

[やぶちゃん注:私の「耳囊 卷之三 聊の事より奇怪を談じそめる事」を参照されたい。但し、私はそこで、こちらで「蜂」については「子蜂ども」という表現から見て、細腰(ハチ)亜ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属ニホンミツバチ Apis cerana japonica であろうと踏んでいる。これは今(「耳囊」にかく注したのは七年前)も変わらない。しかし、「半日閑話」のそれはロケーションもほぼ同じであるから、或いはあちらの「熊蜂」の方が誤りである可能性が高い気がする。当時の江戸市中にはまだスズメバチは大きくは進出していなかった可能性が高いように思われ、寧ろ、未だ花卉の豊富にあった市中にあってはミツバチ類の営巣可能性の方がよりあるように感じられ、読経の類似音というのは大型のスズメバチよりも、遙かに一巣中の個体総数が多い(一つの巣で数千匹から数万匹に達する)のミツバチの方がしっくりくると考えるのである。ただ、次の段では、実際に仏像を「押し倒すや否や、多くの蜂が一時に飛び出して」「一同悉く螫され」たとあるところは、攻撃性の強いスズメバチの方に分があるようにも見える。しかしそれは、まさに柴田の言うように「大分(だいぶん)委(くわしい)しい尾鰭(おひれ)が付いた」ものであり、蜂なら螫(さ)されるともっと話柄が面白くなる、蜂なんだから刺して当然的な創作性が強く感ぜられるとも言えると私は思うのである。]

 それが「燕居雑話」になつて、大分委しい尾鰭が付いた。場所は本郷竹町で讚念寺とあるが、多分同じ寺の話であらう。古くからその寺にある木佛が、俄かに經を讀み出したといふことで人が集まり、後には門前市をなして、茶店が並ぶほどの盛況を呈した。自然寺社奉行の耳に入り、監察官をして實際を調べさせるに至つたが、役人が近付いて耳を澄ますと、慥かに讀經の聲が聞える。これは不思議だ、この木像を調べなければならぬとあつて、押し倒すや否や、多くの蜂が一時に飛び出して、監察官はじめ一同悉く螫され、讀經の正體は木像の中に巣をくつた蜂の翅音と判明するのである。「燕居雑話」の著者日尾荊山は、自分の見聞でなしに、山本五流といふ人の話を書いたので、これは天明年間の話になつてゐる。

[やぶちゃん注:「燕居雑話」江戸後期の儒者日尾荊山(ひおけいざん 寛政元(一七八九)年~安政六(一八五九)年:秩父郡(現在の埼玉県)出身。江戸で心学を学び、「学問は実践であり、実践は至誠に通じる」として神田に至誠堂を開く一方、国書研究の必要性を訴えた唱えた)の随筆。天保八(一八三七)年自序。

「場所は本郷竹町で讚念寺とあるが、多分同じ寺の話であらう」これは柴田の梗概が不親切なために、「耳囊」の原話を読んでいない読者には半可通である。「耳囊 卷之三 聊の事より奇怪を談じそめる事」が『安永の初、本郷三念寺門前町に輕き御家人の宅の持佛堂の彌陀、自然と讀經なし給ふとて』で始まっていることを言っていないからである。江戸切絵図を見ると、元町の北に西竹町があり、そこに「三念寺」がある。この真言宗薬王山三念寺は今も東京都文京区本郷に現存する。因みに、この寺の現在の本尊は薬師如来。

以上は「燕居雑話」の「鐡佛木佛妖(てつぶつもくぶつのえう)」にある。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。前の「棠陰比事」(とういんひじ:私の好きな宋の桂万栄の著した裁判記判例集。一巻。一二〇七年成立。古今の名裁判 百四十四件載せる。日本にも伝えられて井原西鶴の「本朝桜陰比事」(元禄二(一六八九)年刊)や大岡政談物などの種本ともなった)の漢文は末尾に私の推定訓読(原典には送り仮名はない)を( )で示した(一部では日尾の読点に従っていない)。読みは総て推定で私が歴史的仮名遣で附した。【 】は原典割注。

   *

 鐵佛木佛妖

棠陰比事に、石晉高祖鎭ㇾ鄴、時魏州冠氏縣華村僧院有鐵佛一軀、高丈餘、中心且空、一旦忽言佛能語、似ㇾ埀教戒、徒衆稱贊、聞于郷縣、士庶雲集、施利塡委、縣申州府、高祖莫ㇾ測其事、命衙將尚謙、持ㇾ香設ㇾ供、且驗其事、有三衞張輅、請與偕行詰其妖狀、乃率ㇾ人圍ㇾ寺、盡遣僧出赴道場、輅乃潛開僧房、搜得一穴通佛坐下、卽由穴入佛身、厲ㇾ聲歷數二諸僧過惡、衙將遂擒其魁、高祖命就ㇾ彼戮ㇾ之、以ㇾ輅爲長河縣主簿一、と有しことを、山本五流翁に語り侍しかば、しかりや共によく似て最(もつとも)をかしきこと有(あり)き。昔日(せきじつ)天明年中支夏(なつ)の比(ころ)[やぶちゃん注:「」=「幹」の(へん)を「余る」に替えた字。「干」の繁体字「榦」と同字か? 意味不詳。酷暑のことか? 識者の御教授を乞う。]、本郷竹町なる讚念寺といへるに、舊(ふる)くより在來(ありきた)れる木佛、【何佛にやしらず。】俄(にはか)に經讀(よみ)たまふと言觸(いひふ)らして群集(ぐんじゆ)しつゝ、後(のち)には門前市(いち)をなしける故、茶店ども軒を連ぬる迄に成(なり)て、寺にも大分の德つきて、破(やぶれ)だたみしかぬほどに成けり。斯(かく)て餘りに噪(さはが)しければ、寺社御奉行何某殿聞(きき)たまひて、監察官をして是を査(さ)せしむ、すはやとて街長(まちをさ)、里卒(りそつ)等(ら)羽織袴打(うち)きつゝ、監察官を迎(むかへ)て佛の御前に伴(ともに)參りぬ。監察官やがて近づきて耳を欹(そばだて)て是を聽くに、經讀みたまふ也(なり)けり。あな怪しや、さらば査驗(さけん)せむとて、木像を推倒(おしたふ)しければ、蜂あまた飛出(とびいで)て監察官等(ら)螫(さ)しければ、誰(たれ)も誰も面向(おもてむく)べきやうもあらで、天窓(あたま)かゝへて歸りにけり。後によくよく見れば、木像の年ふりたるが中に、蜂の巣くひて鳴(まき)けるが、經讀む如くに聞えたりし也。爾(しかり)しよりして彼(かの)寺の門前も、ふたゝび雀羅(じやくら)を設(まう)くべく成りけるを、親しく見もし聞(きき)もしたりきと、打ほゝゑみて語り給ひし。こは正しく實事なるが、作り物語のやうに聞(きき)なさるゝもいとをかし。

(石晉(せきしん)の高祖、鄴(げう)を鎭めし時に、魏州冠氏(くわんし)縣の華村(くわそん)が僧院に、鐵佛一軀(く)有り。高さ丈餘り、中心、且(まさ)に空とす。一旦、忽(たちま)ち、佛、能(よ)く語れると言ひ、教戒を埀(た)るるに似、徒衆、稱贊し、郷縣(がうけん)に聞えて、士庶、雲集(うんじゆ)し、施利、塡委(てんい)す[やぶちゃん注:積み重なる。]。縣、州府に申(まう)すに、高祖、其の事を測ること莫(な)ければ[やぶちゃん注:真偽がよく分らないので。]、衙將(がしやう[やぶちゃん注:武官])尚謙(しやうけん)命じ、香を持ちて供を設(まう)け[やぶちゃん注:ここは「密かに参詣するふりをして」の意。]、且つ、其の事を驗(しら)べしむ。三衞(さんゑい[やぶちゃん注:親衛隊。])の張輅(ちやうろ)なるもの有り、請ひて與(とも)に偕行(かいぎやう[やぶちゃん注:前と畳語になるが、連れだって行くこと。])し、其の妖しき狀(さま)を詰(とが)む。乃(すなは)ち、人を率(ひきゐ)て寺を圍(かこ)み、盡(ことごと)く、僧をして出だし、道場に赴かせしむ。輅、乃ち潛(ひそ)かに僧房を開(あ)けて搜すに、一穴を得、佛坐の下に通ず。卽ち、穴より佛身に入り、聲を厲(はげ)しくして歷々と諸僧の過惡(くわあく)を數ふ。衙將、遂に其の魁(かしら)を擒(とら)ふ。高祖、命じて彼に就きては之れを戮(きりころ)し、輅を以つて長河縣主簿と爲(な)せり。

   *

文中の「雀羅を設くべく成りける」は「門前雀羅を張る」で、訪れる人がなく、門の前には雀が群れ遊び、網を張っておけば容易に捕らえられるほど人気がないことを言う。訪問する人もなく、ひっそりしていることの譬えで、白居易の五言古詩「寓意詩五首」の第二首の一節(賓客亦已散/門前雀羅張(賓客 亦た已に散じ/門前 雀羅を張る))に基づく。]

 蜂は無心に翅を鳴らしたまでの事を、人間の迷ひから信を發した形であるが、この類の話は世上に乏しくない。下總國弘法寺にある日蓮の木像も、毎夜經を讀誦するといふ噂が立つて、近所の男女が擧つて詣でたことがあつた。住持日堪上人心得がたく、一夜參詣を禁じ、自ら木像に向つて法門の奧儀を尋ね、もしこの返答なくば卽座に打碎き捨てんと詰め寄つたが、何の答へもない。そこで斧を取り直し、木像を引きおろしたら、うしろの方から古狸が逃げ去つた。上人「追つめて打殺されしとなん」と「新著聞集」にある。

[やぶちゃん注:「弘法寺」今も千葉県市川市真間四丁目にある日蓮宗真間山弘法寺(ぐほうじ)。

 以上は「新著聞集」の「侫奸篇 第八」の「狸(たぬき)人を妖(あやか)し却(かへつ)て取死(しをとる)」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。読みは歴史的仮名遣でオリジナルに附した。

   *

 狸人を妖し却て取ㇾ死

下総國私法寺[やぶちゃん注:参考底本には「私」の右に『(弘カ)』と編者注がある。]の日蓮の木像、每夜、讀誦したまふとて、近邊の男女擧(こぞり)て詣でける。住持日堪(につかん)上人、心得がたくて、ある夜、参詣の人をとめ、かの木像にむかひ、法問(はふもん)の奥儀(おうぎ)をたづねて、若(もし)此(これ)返答なくば、只今打(うち)くだき捨んと責(せめ)しかば、何の答へもなかりし。上人、頓(やが)て斧をとりなをし、木像を引(ひき)おろしければ、後(うしろ)の方より、古狸迯出(にげいで)けるを、追(おひ)つめて討殺(うちころ)されしとなん。

   *]

 以上の話は皆木像讀經の一途に出てゐる。人を脅すのでも何でもないから、せいぜい信仰の徒の財布が輕くなる程度のところで、影響する範圍は甚だ狹い。日堪上人が斷乎として斧を揮つたのは、妖言の祖師を累することを憎んだものであらう。

[やぶちゃん注:「累する」「るいする」は「悩ます」(「禍いとなる」でもよいが「祖師を」が「祖師の」とならないと上手く繋がらぬ)の意。]

 柳生十兵衞が劍術修行に步いた時分、日光で十王堂の中に一夜を明かしたことがあつた。夜中に閻魔王が大きな欠(あく)びをして、何時と云つたので、八ツだと答へた話がある。この欠びも、何時の一語も非常に恐ろしい。深夜無人の堂の中で、こんな目に出遭つたら、何人も動顚せずには居られぬであらう。十兵衞ほどの武藝者だから、平然としてその堂を出ずにゐられたので、「異説まちまち」もこれ以上何も傳へて居らぬ。こゝで狸の正體を見顯はしたり、妖怪退治になつたりするのは、もう少し級の低い武藝者の舞臺だらうと思はれる。

[やぶちゃん注:「十王堂」日光市石屋町にある龍蔵寺境内に現存。但し、それは石像十王像のように見える。こちらで現況(現行は閻魔像を中心に一列に並んでいる)を見られる。

「八ツ」定時法で午前二時。丑三つ時に合わせてあるのが作り物っぽい。

 以上は「異説まちまち」の以下。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。柱の「一」は除去した。

   *

柳生飛驒守弟を柳生十兵衞といふ。劒術至妙にて、飛州(ひしふ[やぶちゃん注:「柳生飛驒守」又十郎宗冬であるが、彼は柳生十兵衛三嚴(みつよし)の同母弟であるから、頭の「弟」はおかしい。)に勝(すぐ)れりといへり。男伊達(をとこだて)の拜み打(うち)に、左右の手にて打(うち)ける。その手の中へ入りて、左右の髭(ひげ)をとらへて、面(つら)に唾(つば)をしかけたるといふ。その外(ほか)仕相(しあひ)等(とう)のさたいろいろありし。劒術修行にあるきたる人也。日光にて十王堂へ行(ゆき)て泊りぬるに、夜更(よふけ)て閻羅王欠(アクビ)をして、何時(なんどき)と問ふを、八ツなりと答たりと也。その外妖怪に逢(あひ)ても、事ともせざりし咄(はなし)なり。

   *]

 

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