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2017/03/29

柴田宵曲 續妖異博物館 「地中の聲」

 

 地中の聲

 

「集異志」に晉の元帝の大興四年、廬江の或ところで地中で犬の聲が聞える。土を掘つて見たらば一疋の母犬が出て來た。靑黎色で甚だ瘦せてゐたと書いてある。これは地中に人家があつて、雞犬の聲が聞える話とは違ふので、たゞ一疋地中に埋もれてゐたらしい。これだけの記事だから、何でさういふ運命に陷つたものか見當が付かぬ。聲が聞える以上、生きてゐたのは云ふまでもないが、甚だ瘦せてゐたといふ事實はどのくらゐ埋もれてゐたと解すべきか、その邊は讀者の想像に任せてよからうと思ふ。

[やぶちゃん注:かなりの文字の組み合わせを試したが、この「集異志」の原典箇所をどうしても捜し得ない。見つけたら追記する。ただ、これは単に陥没した穴に犬が落ちたか、餌を求めて入り込んでしまい、それが地中の断裂を縫って洞穴状の地下空間を彷徨していたに過ぎぬのではあるまいか。

「大興四年」西暦三二一年。

「廬江」現在の安徽省合肥市廬江県か。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「靑黎色」「せいれい」で青黒い色の謂いのようである。]

 同じく晉時代であるが、「搜神記」に出てゐるのは惠帝の元康年間であつた。呉郡婁縣の懷瑤といふ者の家で、地中に犬の聲を聞き、杖で掘つて行つたら、數尺にして何物かに掘り當てた。子細に見ると、雌雄の二犬が各々一つの穴を占めてゐるのであつた。形は普通の犬ぐらゐで、まだ目が明いてゐない。地中から犬を掘り出したといふのを珍しがつて、わざわざ見に行く者が大分ある。或長老の話に、この犬は犀犬と稱し、これを得た家は富み榮えるといふことであつたので、瑤は食物を與へたりして大事に育てたが、何年たつても禍福ともに目立たしいことはなかつた。母犬が地中にゐる以上、子犬が存在するのは不思議でない。福を希ふのは常人の常情だけれど、禍福相半ばすれば結果は零になる。禍福ともになかつたのが犀犬のお蔭だとすれば、瑤は自ら慰めていゝのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:以上は「搜神記」「第十二卷」の以下。

   *

晉惠帝元康中、呉郡婁縣懷瑤家忽聞地中有犬聲隱隱。視聲發處、上有小竅、大如蚓穴。瑤以杖刺之、入數尺、覺有物。乃掘視之、得犬子、雌雄各一、目猶未開、形大於常犬。哺之、而食。左右咸往觀焉。長老或云、「此名『犀犬』、得之者、令家富昌、宜當養之。」。以目未開、還置竅中、覆以磨礱、宿昔發視、左右無孔、遂失所在。瑤家積年無他禍福。至太興中、呉郡太守張懋、聞齋内牀下犬聲。求而不得。既而地坼、有二犬子、取而養之、皆死。其後懋爲呉興兵沈充所殺。尸子曰、「地中有犬、名曰『地狼』、有人、名曰『無傷』。」。夏鼎志曰、「掘地而得狗、名曰『賈』、掘地而得豚、名曰『邪』、掘地而得人、名曰『聚』。『聚』無傷也。」。此物之自然、無謂鬼神而怪之。然則『賈』與『地狼』名異、其實一物也。淮南畢萬曰、「千歳羊肝、化爲『地宰』、蟾蜍得『苽』、卒時爲『鶉』。」。此皆因氣化以相感而成也。

   *

柴田は恐らく同じものの前半だけを引いた「太平廣記」の「妖怪一」の「懷瑤」だけを引いたものらしい。しかし、原典では、懷瑤は二匹が目もあいていないことから、光りを当てるのがよくないと思ったものか、孰れも元の穴に戻して石臼で蓋をしておいた。ところが翌日開けて見ると、穴の周囲にはどこにも穴がないのに、二匹ともいなくなっていた、とあって柴田の梗概と異なる。しかも上記の通り、原典の後半例は、これも同じ呉郡で、こちらで掘り当てて育てた(但し、二匹とも死んでしまった)のは太守(長官)であるが、彼は福どころか、兵士に殺されてしまったとあるのである。どうも「犀犬(さいけん)」というのも怪しいもんだ。さらに柴田の謂いも本文だけ読むと、同感したものの、原典を見たら、どうもその共鳴は留保したくなった。

「元康年間」二九一年~二九九年。

「呉郡婁縣」「呉郡」(ごぐん)は揚州東部の長江下流域に設置された郡で古くは「会稽郡」と言った。「婁縣」(ろうけん)現在の上海市にかつて存在した県で、現在の同市松江区(ここ(グーグル・マップ・データ))の一部に相当するのがそこであろう。

「懷瑤」「くわいえう(かいよう)」と読んでおく。]

「子不語」の話になると、少し筋が込み入つて來る。虞東湖州府の東門外で、人が通る度に救ひを求める聲がする。あたりに人影も見えず、聲は地下より出るやうなので、或は死人が生き返つたのではないかと疑ひ、鋤を持ち出して掘り下げたところ、地下三尺ばかりのところから石の獅子が出て來た。石の獅子が出て來ただけならいゝが、大きな蛇がその頸に固く卷き付いてゐる。人々駭いてその蛇を打ち殺し、石の獅子は廟の中に運び入れた。土地の者がこれを禱るに靈驗甚だ顯著であるのみならず、敬信せざる者には禍ひが降るといふところまで往つたので、不斷に香火を捧げる者がある。太守方公妖異なりとして廟を毀たうとしたが、民衆はよろこばず、不穩の形勢を示すに至つた。そこで方公も已むを得ず、獅子は城中に入れて別に廟を建てるといふことで、皆の憤りをしづめ、演武場に運び來つて後、鎚を揮つて粉碎し、悉く河中に投じ去つた。格別の崇りもなかつたことは云ふまでもない。

[やぶちゃん注:これは「子不語」の「第十八卷」に「異苑」から引いたとする、「石獅求救命」である。以下に示す。

   *

廣東潮州府東門外、每行人過、聞喚救命聲。察之、四面無人、聲從地下出。疑是死人更活、持鋤掘之。下土三尺許、有石獅子被蟒圍其頸、眾大駭、即擊殺蟒、而扛石獅於廟中。土人有所祈禱、靈驗異常。或不敬信、登時降禍。自此香火大盛。

太守方公聞之、以爲妖異、將毀其廟、民眾嘵嘵、幾激成變。太守不得已、詭言迎石獅入城、將別爲立廟、眾方應允。舁至演武場、鎚碎石獅、投之河中、了無他異。太守方公名應元、湖南巴陵人。

余按晉元康中、呉郡懷瑤家地下聞吠聲、掘之、得二犬。長老云、「此名犀犬、得者其家富昌。」。

   *

最後の箇所は先の「搜神記」の断片である。]

 この話の後半は乾鮭大明神のやうになつて、あまり面白くもないが、石の獅子の頸に蛇の卷き付いてゐる一段は慥かに物凄い。「近代異妖篇」(岡本綺堂)の「こま犬」は、これから脱化したものである。讃岐國の小袋が岡といふところ、嘗て明神の社のあつた邊に、夜な夜な不思議な聲が聞える。その正體を慥かめようといふ人達が探索に出かけても一向わからない。そのうちに明神跡の石に腰掛けた小學教員が原因不明の死を遂げ、次いで若い娘が同じ石に腰掛けたまゝ死んだ。娘の方は劇藥自殺とわかつたが、とにかくこの事件が動機となつて、その石を掘り起すことになつた。石は簡單に掘り出され、その傍に鍬に當るものがあるので、そこを掘り下げたら、小さな石の狛犬が出て來た。その狛犬の頸の𢌞りに一間以上もある黑い蛇が卷き付いてゐるといふのも「子不語」の通りであり、その蛇が直ちに打ち殺されるのも「子不語」の通りである。狛犬も唐獅子も神前に置かれる役目は同じだから、この話を中心にして、不可解な男女の死を配したものであらう。地中の不思議な聲は狛犬發掘以來聞えなくなつた、といふことで終つてゐる。

[やぶちゃん注:「乾鮭大明神」先行する「乾鮭大明神」の章と私の注を参照のこと。

『「近代異妖篇」(岡本綺堂)の「こま犬」』大正一五(一九二六)年春陽堂刊の「近代異妖篇」に所収されている「こま犬」は、前年大正十四年十一月発行の『現代』を初出とする。「青空文庫」のこちらで読める(但し、新字新仮名)。

「一間」一メートル八十二センチメートル弱。]

 地中に在る無生物が聲を立てる話は「子不語」以外にないでもない。「聞奇錄」にあるのは獅子や犬でなしに馬である。初めその聲を聞いた時、あたりを搜して見てもわからぬことは、石の獅子と同樣であつた。或時極めて近く――節度使堂の下から聞えるやうに思はれたので、一丈餘り掘つたところ、小さな空洞があつて、そこから玉(ぎよく)製の馬が出て來た。高さ二三寸、長さ四五寸とあるから、さう大きなものではない。それが嘶くと牡馬の如き聲を出すといふのは、摩訶不思議とするより仕方がないが、話はこれだけである。古い時代の話は單純でもあり素朴でもある。

[やぶちゃん注:「聞奇錄」盛唐の詩人であったが、今は名の消えてしまった于逖(うてき)の撰になる志怪小説集。以上は「太平廣記」の「靈異」の「玉馬」として引かれてある。以下に示す。

   *

沈傅師爲宣武節度使。堂前忽馬嘶、其聲甚近、求之不得。他日。嘶聲極近。似在堂下。掘之。深丈餘。遇小空洞。其間得一玉馬、高三二寸、長四五寸、嘶則如壯馬之聲。其前致碎硃砂、貯以金槽。糞如綠豆、而赤如金色。沈公恒以硃砂餵之。

   *]

 以上の話は皆地中の聲を聞くにはじまり、その正體を發掘するに終る。倂し元來形のない聲は、必ず發掘によつて正體を突き止め得るとはきまつてゐない。菅茶山の「筆のすさび」に備後國深津郡引野村の百姓仲介の家では、榎の根に當る地中から聲が聞える。人の坤吟するやうな聲で、その家では寧ろ小さく、三四町離れるとよほど大きく聞える。一晩中聞えたのは三日か五日で、前後二十日ばかりに亙つたが、晝は聲がない。夜も聞えぬ晩がある。だんだん間遠になつて、全くやんでしまつたとある。「半日閑話」にも中野の先の關といふところで、地中に唸る聲がすると書いてあるから、似たやうな話は方々にあつたものであらう。かういふ聲も無氣味であるには相違ないが、捕捉し得ぬだけに迫つて來ないところもある。鈴木桃野が高田の馬場へ月見に出て、ふと物のうめくやうな聲が耳に入つたのを、友人と二人で突き止めようとしたけれど、聲の出るところがはつきりしない。歸りがけに漸く近付いて見たら、病人のうめき聲で、その家にはかすかに燈火もついて居り、看病の人の話し聲などもする。近寄ればさほど高い聲でもないのに、二町以上も隔てて同じやうに聞えたのは、あたりが靜まつた爲であらうか。結局怪しいものでもなかつたと「反古のうらがき」に書いてゐる。この一條は「筆のすさび」の三四町離れると大きく聞えるといふことを解する上に參考になりさうである。疑心暗鬼を生ずる流で、あまり聞き耳を立てると、何でもない事を怪とする懸念がないとも云へぬ。桃野も「物におどろく癖ある人の言は信じがたし」と云つてゐるが、地中の聲などといふものは、正體を掘り出し得るものの外、半信半疑の間に在ると見てよからう。

[やぶちゃん注:『菅茶山の「筆のすさび」』備後国安那(やすな)郡川北村(現在の広島県福山市神辺町(かんなべちょう))出身の儒者(福山藩儒官)で漢詩人であった菅茶山(かんさざん 延享五(一七四八)年~文政一〇(一八二七)年)が没する文政十年頃に弟子に第一巻分を清書させたのが始まりとされ、死後の安政三(一八五六)年に全四巻の随筆集として刊行されたもの。以上は「卷之一」の「地中聲を發す」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して本文のみを示す。

   *

文政二年春三月、備後深津郡引野村百姓仲介が宅の榎(えのき)の根(ね)の地中に聲あり、人のしば呻吟(しばふき)のごとし。其家にては常(つね)の人の息(いき)のごとくきこえ、三四町よそにては餘程(よほど)大きにきこゆ。よもすがら鳴(な)りしは三五日の間前後二十日ばかりにて晝(ひる)は聲なし、夜もまた聞(きこ)えぬ夜もあり、次第次第に諒濶(りやうかつ)になりて終にやみぬ。今に至りて凡二年になれどもかはりたる事もなしと、松岡淸記來り話す。

   *

文中の「諒濶」は「諒」は「はっきりと・明白に」であるが、「濶」は「間が広くなっているさま」であるから、声のあるなしや聴こえてもその間隔が有意に空くようになることを指しているから、柴田の訳「間遠」は正しい。

「仲介」「ちうすけ(ちゅうすけ)」と読んでおく。

「三四町」三百二十八~四百三十六メートル。

「反古のうらがき」の以上は「卷之一」の「物のうめく聲」である。所持する森銑三・鈴木棠三編「日本庶民生活史料集成 第十六巻』(一九七〇年三一書房刊)のそれを以下に示す。踊り字「〱」「〲」は正字化した。

   *

 秋の末つかた、月のいと隈なくて、いと明なる夜、内海氏と伴ひて高田の馬場に遊び侍り、野菊の薄紫なるが、夜は白々と見へて、ところどころに咲亂れたるに、いろいろの蟲の音、こゑごゑに呼かわてあわれなり、すゝき尾花も風になびきて、さやさやと聲すなり。宵の間はともに月をめづる人も有けるが、夜ふくるまゝにみなかへり果て、馬場守(も)りが家の燈火もかすかになりぬ。西の果の土手の上あたり、殊に勝れて見所多(おふ)しとて、ともにこし打かけて歌(うた)よみ詩作ることもなく、おのがまにまた思ひいづることどもかたり合て、かへる心もなくうかれ遊びけり。予がほとり五七間[やぶちゃん注:九メートル強から十二メートル七十三センチほど。]が内とおぼしくて、物のうめくよふなる聲聞へければ、あれはいかにといふ、内海氏も耳をそばだてゝ、さればさきより此聲あり、いか樣此あたりと思ふが、土手下あたり尋ねて見んとて、かしこことと尋るに、其聲いづこともなく、遠くもなく近くもあらず聞へて、さだかにはあらざりけり。又一時もふる内に、夜はいよいよ更渡りて、蟲の音いよいよ高く、其外四方に聲なし。されどもさきの聲はいよいよ高く聞へけり。さるにても恠しの聲や、歸り樣其所をしらんとて、西の方一町[やぶちゃん注:百九メートル強。]はかり行ても同じよふにて、おりおり絶るが如く聞ゆ、東の方は歸路に便りよければ、此方に向ひて尋るに、同じよふにて、いづことも定らず、東の果近く、馬場の中を橫に過る路も越て、初て少し近く聞ゆるまゝに、此方なりけるとて尋るに、はたして東のはてより廿間斗[やぶちゃん注:三十六メートル余り。]こなたの北の方に家ありて、其所なり。籬の外に立よりて聞ば、人の聲も聞へ、燈火もかすかに見ゆ、よくよく聞ば病人のうめくにて、看病の人の傍にて語り合もありけり。こゝにて聞にさまで高くはなきに、二町餘も隔てて同じよふに聞へしは、あたり靜まりし故なるにや、扨は恠しき物にてはあらざりけりとて、打連て家に歸りける頃は、丑の刻にも過たりける。

 ケ樣のことも、なれざることは恠しと思ふなれば、物におどろく癖ある人の言は信じがたし。又舟にて大洋(うみ[やぶちゃん注:このルビは「洋」のみのもの。])をのるに、舟幽靈といふもの出るといふ説よく人のいふこと也。其形ありてひさく[やぶちゃん注:柄杓。]を乞ふ時、底なきひさくを與ふ、然らざれば水をすくひて舟に入るといふ、これは逢ふもの少く、おゝくは沖の方にて、泣叫ぶ聲哀しく、或は近く或は遠く聞ふ、又物語する聲、間のあたりに聞へて目に見えずといふ。遠州灘などにては、度々有りと聞り。予釣するとて沖中にて、四方の物音を聞くに、陸にて思ふより十倍遠き所の音(こゑ)、間(ま)のあたりに聞へて、始めて聞たる時は驚ばかり也しが、聞なるれば常と思ふ、東風(こち)の起る頃は、總州・房州の網引の聲やゝ言語も分る程に聞ゆることあり。又沖の方目の界(かき)りは、舟もなくて言語は甚分明なる聲聞ゆることもあり、夜舟の恠も多くは是等も有るべし、聞なれざる人の恠といふも理なる歟、兎角に耳目に慣ざることは、あやしきこと多き物なり。

   *]

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