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2017/03/01

柴田宵曲 妖異博物館 「大山伏」

 

 大山伏

 

 狂言に出て來る山伏は、「目の前で飛ぶ鳥をも祈り落す」などとえらさうに云ふけれども、所詮喜劇的存在に過ぎない。實際の山伏が到るところで威張り散らした結果、舞臺の上でかういふ目に合はされるのだといふ説もある。或はさうかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「目の前で飛ぶ鳥をも祈り落す」私は大蔵虎寛本底本の岩波文庫「能狂言」の「中」しか所持しない狂言に迂闊な人間であるので、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を参考にしてみると、狂言の山伏物の一つ「蝸牛(かたつぶり)」(山脇和泉著「和泉流狂言大成」第三巻。大正七~八(一九一八~一九一九)年「わんや江島伊兵衛」刊。国立国会図書館デジタルコレクションの画像はここから)の冒頭の山伏の台詞に(以下、二例ともに下線太字やぶちゃん)、

   *

誠(まこと)に山伏と言ふ者は、野に伏し、山に伏し、或は岩木を枕とし、難行苦行捨身の行ひをするに依つて、其奇特(きとく)には今(いま)眼の前を飛鳥も、祈り落すほどの行力(ぎやうりき)ぢや、

   *

と言上げし、同じく国立国会図書館デジタルコレクションの明治三三(一九〇〇)年東京堂刊加藤繁生編になるやはり山伏物の狂言「柿山伏」の冒頭に(ここから視認出来る)、

   *

偖(さて)も我等の行躰(ぎようたい)といっぱ、野に伏し山に伏すに依つての山伏で厶(ござ)る。夫(それ)故に空飛ぶ鳥をも祈り落す程の行力(ぎやうりき)でおりゃる。

   *

と自慢している(前者は売僧(まいす)の山伏が蝸牛を知らぬ太郎冠者に自ら蝸牛と騙るもの、後者は柿を盗み食いしているのが見つかって、猿や鳶の真似をさせられ、木から飛び降りて腰をしたたかに打つ山伏を描く)。]

 それが江戸時代の山伏になると、怪異的色彩の多いのが目に付く。濱町にあつた新庄家の屋敷では、毎年元日の未明に表門を開くや否や、身の丈七尺ばかりもある山伏が入つて來る。兜巾(ときん)、篠掛(すゞかけ)、金剛杖、型の如き恰好で笈を背負ひ、玄關の前まで來て姿を治す。この事は今でも變りはないが、元日の外は出ないといふ。家中に凶事のある年は、甚だ悦んだ顏色で入り、吉事のある年は恕つた顏色で入る。元日勿々だけに厄介な代物であつた(江戸塵拾)。

[やぶちゃん注:「七尺」二メートル十二センチ。

「兜巾(ときん)」は「頭巾」「頭襟」とも書き、修験道の山伏が額に被る小さな布製のずきん。黒い色が無明(むみょう)を、円形が神仏の徳の完全性を、ついている十二の襞が十二因縁を表すという。一般には黒漆で塗り固めた布で作った、宝珠形の丸く小さい形式のもので、これは大日如来の五智の宝冠を表しているという。

「篠掛」篠懸衣(すずかけごろも)。修験者が衣服の上に着る麻の衣を指す。

「金剛杖」「こんがうづゑ(こんごうづえ)」或いは「こんがうぢやう(こんごうじょう)」で、修験者や登山者が持つ八角又は四角の白木の等身大の杖。密教法具の独鈷杵(とっこしょ)の変化したものとされる。

 以上は「江戸塵拾」の「卷之五」の「元日の化(ばけ)もの」である。所持する「燕石十種 第五巻」(昭和五五(一九八〇)年中央公論社刊)に載るものを、国立国会図書館デジタルコレクションの旧刊本(岩本佐七編明治四一(一九〇八)年国書刊行会刊画像を視認して以下に正字化して示す。踊り字「〲」は正字化した。一部にオリジナルに歴史的仮名遣で読みを附した。最後は句点とした(中央公論社版は読点)。

   *

    元日の化もの

濱町新庄家の屋敷にて、毎年正月元日未明に表門を開くに、其丈七尺計りの山伏、兜巾(ときん)、篠掛(すずかけ)、金剛杖(こんがうづゑ)を持(もち)、笈(おひ)をせをひて、玄關の前に至ると姿は見へず、此事今も替らず、つねに出(いづ)る事なしといへり、家中に凶事のあらん年は、はなはだ悦べる顏色にていり、吉事あらん年は怒れる顏色にて入る、世にさまざま化物(ばけもの)の品(しな)多けれども、かやうにたしかなる化物外(ほか)に聞(きき)及ばず。

   *]

 土佐國赤岡の安田源三郎といふ大商人の家では、數代に亙り、吉事か凶事のある前には、丈の高い、恐ろしい顏色の山伏が、竈の後から忽然と現れて家内を見𢌞す。家の者があれあれと騷ぐ間に消え失せる。さういふことが四五代前から傳へられてゐるが、何年ぐらゐ前から出はじめたかはわからない。或時源三郎の老母が病氣になり、十四五日も絶食狀態が續いて、起臥も意の如くならぬに拘らず、夜伽の者が疲れてうとうとしさうになると、床から起き上つて四方に眼を配り、世にも恐ろしい顏色になる。源三郎の父源太夫がこの話を聞いて、自身夜伽の役に當つたが、夜中にまたまた例の山伏が竈の前に現れたと、家内の者が立騷ぐので、病人の側を離れて次の間まで出た間に、病人が行方不明になつた。足腰の立たぬ者がどうしてどこへ行つたか、皆目わからない。たゞ近い海岸に病人の着てゐた寢卷と、常に持つてゐた珠數が捨ててあつたので、多分入水したものであらうといふことになり、その日を忌日として佛事を營むより外に仕方がなかつた。夜中の事で出口は固く鎖してあつたのだが、その門は二つに折られてゐた。たゞこの時限り、例の山伏は姿を現さなくなつたさうである。「いといと氣味わろき怪談ならずや」と「閑窓瑣談」は述べてゐるが、それは病母喪失の一條を指すのであらう。この山伏は前の新庄家の話と共通點が少くない。

[やぶちゃん注:「土佐國赤岡」現在の高知県香南(こうなん)市赤岡町(あかおかちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 以上は「閑窓瑣談」の「後編」の「卷之四 第五十六 山伏怪異」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。歴史的仮名遣に誤りがあるのは総てママである。挿絵も添えた。

   *

 

Kamadoyamabusi

 

[やぶちゃん注:挿絵左上の詞は、

異(あやしき)を看(み)てあやしまざれバ更に異(あやし)き事なしと云(いふ)妖の有無は其人によるべし

であるが、ここの純正ホラーには玉に疵のキャプション。いらない。

 

    ○第五十六 山伏怪異

前に云(いふ)千賀屋草(ちがやぐさ)といふ隨筆は、桂秀樹(かつらしうじゆ)とかいふ人の著(あらはし)たる書にて、正直に記(しる)し作意は加へぬものゝ樣に被ㇾ察(おもはる)。其書の末に、延享五月とあれば、今天保十二年よりは九十六年以前の著述なり。其卷中に一怪事を記されたるが、實事なるべく察せらるゝ故にうつし出(いで)ぬ。

土佐國赤岡(あかおか)といふ所に、安田源三郎と稱(いふ)大商人(おほあきうど)在(あり)、則ち千茅艸(ちがやぐさ)の著者桂氏の算學の門人なり。その源三郎の家に數代(すだい)の年間(あいだ)、吉事か凶事の有る以前に、每度(いつも)竈(かまど)の後(うしろ)より、身の丈高く顏色(がんしよく)怖ろしき山伏が忽然と顯れて家内を見𢌞す事あり。家内(かない)の人々是を看て、咹々(あれあれ)といふ中(うち)に消うせる事、亭主四五代の以前より聞傳(きゝつた)へたれども、最初は何ケ年(なんがねん)の昔、何時(いつ)より出初(いでそめ)しといふ事を知らず。偖(さて)その源三郎の老母煩ひて、十四五日ほど絶食の大病(たいびやう)となり、起臥(おきふし)も心に任せず、夜伽(よとぎ)の者も勞れて、いさゝか眠りに付(つか)んとすれば、彼(かの)老母は身體(しんたい)健(すこや)かなるがごとく、床の中より起上り、四方に眼を配りて、怖ろしき顏色(がんしよく)になる由(よし)を、夜伽の者ひそかに怖れて囁(さゝや)きければ、源三郎の父源太夫、常事(たゞごと)ならずと思ひ、心を付(つけ)て自身(じしん)夜伽をせしが、夜中に又々例の山伏が、竃の前に顯(あらは)れ出(いで)しと家内の者が騷ぐ聲、臺所の方に聽(きこ)ゆるゆへ、源太夫はあやしみて老母の側(そば)を放(はな)れ、次の間(ま)へ出(いで)たるが、其間に老母の行衞(ゆくゑ)知れずになりしかば、源太夫、源三郎はいふに及ばず、家内の人々驚き騷ぎ尋ねしかども、その影も知れず。程近き海の礒邊(いそべ)に老母の着て居(ゐ)たる夜衣(よぎ)と、常に手に持(もち)し珠數(じゆず)が捨(すて)てありしゆへ、入水(じゆすい)せしものならんとて、其日を忌日として佛事を行ひ來(きた)る樣(やう)になれり。其夜出口の門をニツに折(おり)て出(いで)たる樣(やう)なりしといふ。そもく奈何(いか)なる怪異なりや解(とけ)がたし。又その後(のち)は彼(かの)山伏の悌(おもかげ)も出(で)る事なしと、源三郎が直(ぢき)に師匠の桂氏(うじ)へ語りしと云(いふ)ことなり。最々(いといと)氣味わろき怪談ならずや。

   *

柴田も気味の悪さを附言し、次段でもこの話の意味不明性という本格ホラーの属性を強く支持しているのであるが、老母失踪と山伏出現停止(ちょうじ)との間には明らかに因果関係(如何にも恐ろしい顏色という共通性と山伏出現と同時に老母が出奔することから)がある訳だが(一般には次段のように先祖や複数村民による山伏(或いは山伏体(てい)の流浪者)殺害――「六部殺し」型――が遠因であることが実は殊の外多い)、そこが全くブラック・ボックスであるのみならず、永年の山伏出現の謂われももともとが不明で、それが老母の入水(推定)とともに消えたことも訳が分からず、しかも場所も伝承経路の各人も明確に固有実名表記されているリアリティからも、これはもう、確かに私好みの超弩級に上質の正統的意味不明怪談の傑作と言える。

「江戸塵拾」も「閑窓瑣談」も、この怪しい山伏の由來に就いては一言も觸れて居らぬが、「奧州波奈志」の話には大分古い因緣がある。娘二人のうち、姉の方が先づ沓脱石に躓いたのがもとで亡くなり、妹もその後同じ石に躓いて病氣になつた。藥用、祈禱すべて效なく息を引取つたが、暫くして蘇り、今どこかへ行く夢を見て居りました、また眠くなりましたから一睡りしようと思ひますが、よく寢入つたら夜具を剝いで御覽下さい、といふ。或は快方に向ふのかも知れぬと、寢入るのを待つて夜具を剝げば、その顏は娘でなしに鬼のやうである。この化物が起き直り眼を怒らして、娘の兩親に告げたのは、七代前の主人が山中で山伏を殺し、百金を奪つたといふ舊惡であつた。それから自分の望んだ官位相當の供𢌞りで葬儀を出せば娘の命を助けると云ひ、そのやり方が簡略であつたから命乞ひは叶はぬと云ひ、話は事こまかであるが、却つて妙でない。やはりどういふわけかわからずに、山伏が姿を現す程度の方が、この種の怪異談にふさはしいやうな氣がする。

[やぶちゃん注:以上は「奧州波奈志」の「十六 柳町山伏」である。国書刊行会「江戸文庫」版を参考に、例の仕儀で加工して示す。「㚑」は「靈」の異体字。【 】は原典の割注。

   *

 

     柳町山伏

 

 本柳町といふ所に住、つかまき師夫婦の者有き。代々有德にして、ほどにつけたる調度やうの物までもともしからで、實心の者なりし。娘二人もちしが、とりどり相應の生れなりしを、祕藏して有し。姉娘十三ばかりの時、庭におりてあそびて有しが、春のことにて、凧(たこ)の上りをみおくるとて、石につまづき、くつぬぎ石にて膝を打しが、つよく痛、はれて直らず、終に足なへに成て、二三年わづらひて死たりき。妹娘も、ほどなく十三と成しが、同じく庭におりて、同じ石につまづき、膝を打たりしかば、二親心にかゝりて、醫師をもとめ、いろく藥用をくはへしかども、いゆることなく、又足なえになりて、十六までながらへしかば、其間たからをつくして、祈禱まじなひにいたるまで、よしとあるかぎりのことはせしかども、いさゝか印なし。終に息引とりしかば、水なども手向て、屛風引𢌞して置しに、うなる聲の聞えしかば、すは息吹かへせしと悦て、母の行て見つれば、娘が云樣、「扨、至極快寢入て有しが、今何方へやら行所を夢に見たりし。又ねむたく成し故、寢んと思ふが、よく寢入てあらば、夜具をはぎてみ給へ」といひてねむりしかば、二親うちゑみつゝ、もし快氣にもやなると、思ひいさみて、少し程をへて夜具をまくりて見たれば、こはいかに、其面むすめにはあらで、鬼のごとし。色赤黑く眼中きらくと光て、いたくいかれるおもざしの、おそろしさ云ばかりなかりしかば、母は思はずとびのきて、夫にその由をつげて、兩人して行てみしに、前にかはらず。夫婦あきれてゐたる時、かの變化おき直りて、眼をいからし、聲たてゝ云やう、「汝等二人にいひきかすべきこと有てあらはれたり。そこさらずして、吾云ことをよくきけ。われは是、此家の七代先の祖に金をとられて、殺害(せつがい)せられし山伏の㚑なり。我昔百金をもちて上方へゆきし時、先祖の男とふと道づれに成たりしが、茶屋に入てともにのみ食してのち、あたひをはらはんと、懷中より金入をとり出せしを、【此山伏のふるまひ、油斷のやうなれど、凡(およそ)百五六十年か、又は二百年に近きほどのむかし故、人の心もおだやかにて、金などもみせしなるべし。】此家のあるじの見て、山中にいたりし時、無躰に打擲(てうちやく)して、終に切ころし、百金をうばひとりて、出世をなせしぞや。其時の無念さ、骨髓にとほるといへども、代々運さかんにしてたゝりをなしがたかりしが、やうく七代にいたりて運かたぶきし故、うらみをはらすなり。かくいふことを僞と思はゞ、外にたしかなる證據有。たんすの引出しに入て有、太刀こしらへの大小は、わがさし料なり。」尺は何寸、銘は何々といふことをつまびらかに云て、【此大小の尺と銘を、女の言にて、おぼえぬぞくちをしき。】「いそぎ出しみよ。是たがはぬ證據ぞ」といひしとぞ。夫婦は夢のこゝちして、おそろしさに手もふるうふるう、大小をとり出して見しに、變化のいふに露(つゆ)たがはざりしとぞ。此大小は先祖よりのつたはりものとて、代々仕廻𢌞てのみ置しことにて、銘も寸も夫婦しらで有しを、まして娘子共のしるべきよしなし。實に昔さることや有つらんと、あやまり入て有しに、又變化の曰、「此娘の命たすけたく思はゞ、我のぞみし官位のほどの供𢌞りにて、この家より葬禮を出すべし。【そうしき供𢌞り、いくたりといふことも、たしかにしらず。】さあらば命たすくべし。さなきにおきては、これ限りぞ」といはれて、二親はふしまろび、「いかやうのことにても仰にそむくまじ。娘が命たすけ給へ」と願しかば、「いそぎ葬禮の仕度せよ」とて、夜具引かづきしが、又もとの娘の面にぞ成たりし。變化はかくいヘど、かゝる大病人の有家より葬禮を出さんは、外聞かたがたきのどくに思ひて、寺へ其よしを談じて法名をもらひ、人をやとひて寺の門前よりしたくして、はふりのていをなしたりしに、その人々の寺の門に入たるころ、變(へん)化あらはれ、母をよびて曰、「此家よりいださば、娘が命たすけんと思ひしが、餘りに略過たる仕方なり。是にては命ごひは叶まじ」と、いかりて有しとぞ。父は葬式とゝのへて、是にて娘が命たすかるや、と心悦かつ案じながら歸りしに、有しことどもを聞ておぢ恐れ、又家より葬式をとゝのへて出したりしかば、山伏の㚑もしづまりやしたりけん、あらはれずなりし。むすめも一度引とりし息のかへりしこと故、怨靈たち去ては、へたへたとよわりて消うせしとぞ。このほどの心盡しは、むだごとゝ成て、月のうちに三度葬式を出したるとぞ。むこ養子なども有しが、此變化に恐れて家をいでゝをらず。二親も氣ぬけして、家をもうりつ、數代の富家も長病中の物入につかひはたし、やれ衣一重ならで身に添ものもなく、ゆくへしれずなりしとなん。

 山伏は七代までたゝるとは聞つれど、かくたしかに見聞しことも稀なれば書置。娘のうなりくるしみし聲は、近邊の人、聞にたへがたかりしとぞ。二親のおもひ、ましていかならん。【このはなしも、はやく聞て有しが、もし僞にやと心もとめざりしに、召つかふ女の筋むかひなる家にて、娘のやうす、變化の有し次第も、くはしくかたるを聞てしるしぬ。】

   *

ロケーションである「柳町」は古くからの仙台の町名。現在の仙台駅南西直近の宮城県仙台市青葉区一番町附近の旧町名であるが、現在でも通用されている。中央付近(グーグル・マップ・データ)。

只野真葛の実に女性的繊細さで書き留めた名品ではあるが、全体が全解明方式の理路整然たる展開で、しかも山伏が葬送を交換条件とし、それが不全であったがために、助かるべき妹娘の命も捕られるという如何にも現実的悲惨性が、寧ろ、怪談のキモの部分をテツテ的に殺いでしまっていて、柴田の言うように、どうも「閑窓瑣談」の全くの暗黒性に比して、現世的でしょぼい。]

「雪窓夜話抄」に出て來る山伏もまた病人關係である。林小官といふ人の妹聟が重病の時、田中道察といふ醫者と二人で座敷に寢てゐると、夜更けて庭の方に物音が聞え、やがて障子をあけて入つて來た者がある。誰かと問へば、屛風の上から大きな山伏が顏を出した。道察は一目見るなり、わつと云つて夜著を被つてしまふ。小官が脇差を取つて立上ると、その山伏は「よくないぞよくないぞ」と云ひながら出て行つた。小官は後を追駈けたけれども、搔き消すやうに見えなくなつてしまつた。病人は遂に亡くなつたから、山伏が「よくないぞ」と云つたのは、その事を告げたものらしい。小官は醫者ではあるが、その家は代々武功の士なので、怪を見てあわてなかつたのださうである。この山伏の出現は全く突然で、過去の因緣などは少しもわからぬ。それでも無氣味な點に變りはない。

[やぶちゃん注:「林小官」不詳。「はやししょうかん」(現代仮名遣)と読んでおく。

「田中道察」不詳。「たなかどうさつ」(現代仮名遣)と読んでおく。全くの道化役である。そもそもが林は医師なのだから、田中を呼ばんでもお前が療治せい! とツッコミたくなる私がいる。どうもつまらないことが気になって怪談を馬鹿正直に読めないのが、僕の悪い癖!

 以上の話は「雪窓夜話抄」の「一卷」の「林小官化物を見る事」である。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のから視認出来る。]

 信州高遠に山邊八郎兵衞といふ人があつた。何人もあつた子供を次ぎ次ぎに喪つたが、その子供が亡くなる前には、夢うつゝのやうに山伏が現れて、病牀の子供を引立てて行かうとする。八郎兵衞はやらぬと云つて、互ひに引き合つた結果、山伏に持つて行かれると思ふと、必ず夢がさめ、翌日はその子が死ぬといふことが何度となく繰り返された。最後に一人殘つた子も病氣になつて、また例の山伏がうつゝに姿を現して、子供を連れて行かうとする。八郎兵衞も今度こそはやるまいと、死力を出して引き合つたところ、終に山伏が負けて歸つて行つた。夢がさめると、その日から子供の容體はよくなり、その後は夢を見ることもなく、子供の病氣もなくなつた(新著聞集)。

 これも病人であるが、同じ事が何度も繰り返され、最後の一人に至つて山伏を擊退するあたり、事柄も複雜であり、何等かの因緣が纏綿してゐるやうな氣がする。

[やぶちゃん注:「新著聞集」のそれは「奇怪篇」の「山伏夢に入り子死す」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。

   *

   ○山伏夢に入り子死す

信州高遠に、山邊八郎兵衞といふ人、あまた有し子ども、痛くわづらひ、死すべきかと思ふ折ふし、親が夢うつゝの樣に、山伏來て、煩ふ子を引立て行を、やらじとて、互に引あふて、山伏に引とらるゝと思ひて、夢覺め侍るに、翌日はかならず其子死けり。かゝる事たびたびに及び、今獨のこりし子も、限りに煩しに、例の山ぶし、うつゝにみへて、連ゆかんとするを、さり共、今度はやるまじと、身の限り力を出して曳とめしに、終に山ぶし負けて歸りし。夢さめて、次の日より、その子快くて、平復してけり。そのゝちは夢も見ず、煩ふ事もなかりしとなり。

   *

やはり先祖の「六部殺し」が疑われるが、坊主や猫や山伏は一般に「七代祟る」とされるから、或いはその子は「あまた有し子ども」の内の八人目だったのかも知れぬ(別に理路があるわけではない。思いつきである)その最後の子が引っ張り合いで救われて、これはほっこりする。]

 

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