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« 聖母子涅槃像   山村暮鳥 | トップページ | 柴田宵曲 續妖異博物館 「地中の別境」(2) /「地中の別境」~了 »

2017/03/28

柴田宵曲 續妖異博物館 「地中の別境」(1)

 

 地中の別境

 

 開成の末年に永興坊の百姓王乙なる者が井戸を掘らうとして、普通より少し深く掘つたと思つたら、水が一向出ないのみならず、人聲が聞え、雞の聲が聞え、甚だ賑かである。それがまるで壁を隔てゝ聞くやうに近いので、井戸掘りは恐れをなし、それ以上工事を進めようとしない。早速町の役所まで屆け出たが、役人は奇怪であるとして、そのまゝ塞がせてしまつた。こゝは嘗て李斯が七十二萬人の徒を指揮して陵を作らうとしたことがあり、だんだん深くなつて、それ以上は掘れども入らず、燒けども燃えず、叩けば空々たる場所に逢著した。乃ち知る厚地の下、別に天地あるをと「諾皐記」に書いてあるが、この時は塞がせてしまつたのだから、それ以上の消息はわからう筈がない。

[やぶちゃん注:「開成」ユリウス暦八三六~八四〇年。以下に示す通り、原文は「末」で狭義の「末年」ではない。

「永興坊」唐代の長安にあった坊里の名。

「李斯」(りし ?~紀元前二〇八年)は秦の宰相。始皇帝に焚書を進言、始皇帝の死後は宦官趙高とともに偽詔を捏造、始皇帝末子で愚かな胡亥を二世皇帝として即位させ、権力奪取を謀ったが、結局、趙高に疎まれて無実の罪を着せられた上、「腰斬(ようざん)」の刑(腹部で両断して即死させずに苦しんで死なせる残酷刑)に処されて死んだ。

「陵」始皇帝が即位するや否や建造を開始した驪山(りざん)の始皇帝陵。ここに「七十二萬人」と出るが、事実、司馬遷の「史記」によれば、始皇帝晩年の建設では七十万人の労役者が動員されたという記す。

「諾皐記」(だくこうき)は晩唐の段成式撰の「酉陽雜俎」の一部。以上は「卷十五 諾皐記 下」の以下。中文サイトのものを一部本文に手を加えて(脱文が疑われる箇所や異本部分を削除した)示した。

   *

開成末、永興坊百姓王乙掘井、過常井一丈餘無水。忽聽向下有人語及雞聲、甚喧鬧、近如隔壁。井匠懼、不敢掘。街司申金吾韋處仁將軍、韋以事涉怪異、不復奏、遽令塞之。據「周秦故事」、謁者閣上得驪山本、李斯領徒七十二萬人作陵、鑿之以韋程、三十七歳、固地中水泉、奏曰「已深已極、鑿之不入、燒之不燃、叩之空空、如下天狀。」。抑知厚地之下、別有天地也。

   *

唐代のの「一丈」は三メートル十一センチメートル。]

 かういふ不思議な話は所々方々にあつたと見えて、「博異志」などにはなかなか委しい記事が出てゐる。時代は神龍元年、場所は房州竹山縣、陰隱客といふ富豪の家であるが、これも最初は井戸掘りであつた。二年がかりで一千尺餘り掘つても、水は更に出て來ない。隱客はそれでもまだ井戸を掘る志を棄てず、一箇月以上續けてゐると、忽然として地中から雞犬鳥雀の聲が聞えて來た。何も見通しが付いたわけではないけれど、なほ數尺掘り進んだら、一つの岩穴に通ずることがわかつた。工人が手探りで穴へ入つて見たところ、初め數十步は何も見えない。壁傳ひに行くだけの事であつたが、遂に一轉して明るい場面が展開した。そこには山もあれば谷もあり、日月が明かに懸つてゐる。正に別箇の一天地である。嚴上には金銀の宮闕が峙(そばだ)ち、竹のやうな節のある大樹が芭蕉に似た廣葉をのべてゐる。大きな紫色の花には扇ぐらゐある五色の蝶が舞ひ、高い梢には鶴ほどの五色の鳥が飛んでゐる。工人は漸く宮闕の前に立つた。天柱山宮と銀で書いた額が高く懸つてゐる。

[やぶちゃん注:「博異志」中唐に成立した伝奇集「博異志」(はくいし)。撰者谷神子(こくしんし)は詩人鄭還古ともされる。

「神龍元年」「神龍」(しんりゅう)は唐の中宗李顕の治世に使用された元号で元年はユリウス暦七〇五年。

「一千尺」唐代の一尺は三十一・一センチメートルであるから、三百十一メートル。

 以下に続くが、これは「太平廣記」の「神仙二十」の「陰隱客」に「博異志」を出典として引かれてある以下である。

   *

唐神龍元年、房州竹山縣百姓陰隱客、家富。莊後穿井二年。已濬一千餘尺而無水。隱客穿鑿之志不輟。二年外一月餘。工人忽聞地中鷄犬鳥雀聲。更鑿數尺、傍通一石穴、工人乃入穴探之。初數十步無所見、但捫壁傍行。俄轉有如日月之光、遂下、其穴下連一山峰、工人乃下山、正立而視、則別一天地日月世界。其山傍向萬仭。千岩萬壑、莫非靈景。石盡碧琉璃色、每岩壑中、皆有金銀宮闕。有大樹、身如竹有節、葉如芭蕉、又有紫花如盤。五色蛺蝶。趐大如扇。翔舞花間。五色鳥大如鶴、翔樹杪。每岩中有淸泉一眼、色如鏡、白泉一眼、白如乳。工人漸下至宮闕所、欲入詢問。行至闕前、見牌上署曰、「天桂山宮」、以銀字書之。門兩閣内、各有一人驚出。各長五尺餘。童顏如玉、衣服輕細、如白霧綠煙、絳脣皓齒、鬚髮如靑絲、首冠金冠而跣足。顧謂工人曰、「汝胡爲至此。工人具陳本末。言未畢、門中有數十人出云、「怪有昏濁氣。」。令責守門者。二人惶懼而言曰、「有外界工人、不意而到、詢問途次。所以未、奏。」。須臾、有緋衣一人傳敕曰、「敕門吏禮而遣之。」。工人拜謝未畢、門人曰、「汝已至此、何不求遊覽畢而返。工人曰、「向者未敢、儻賜從容、乞乘便言之。」。門人遂通一玉簡入、旋而玉簡却出、門人執之。引工人行至淸泉眼、令洗浴及澣衣服、又至白泉眼、令盥漱之。味如乳、甘美甚、連飲數掬、似醉而飽。遂爲門人引下山。每至宮闕、只得於門外、而不許入。如是經行半日、至山趾、有一國城。皆是金銀珉玉爲宮室城樓、以玉字題云、「梯仙國」。工人詢于門人曰、「此國何如」。門人曰、「此皆諸仙初得仙者、關送此國、修行七十萬日、然後得至諸天、或玉京蓬萊、崑閬姑射。然方得仙宮職位。主籙主印。飛行自在。」。工人曰、「既是仙國、何在吾國之下界。門人曰、「吾此國是下界之上仙國也、汝國之上、還有仙國如吾國。亦曰梯仙國。一無所異。」。言畢、謂工人曰、「卿可歸矣。」。遂却上山、尋舊路、又令飲白泉數掬。臨至山頂求穴、門人曰、「汝來此雖頃刻、人間已數十年矣、却出舊穴、應不可矣。待吾奏請通天關鑰匙送卿歸。」。工人拜謝。須臾、門人擕金印及玉簡。又引工人別路而上。至一大門、勢侔樓閣、門有數人。俯伏而候。門人示金印、讀玉簡、劃然開門。門人引工人上、纔入門、爲風雲擁而去。因無所覩。唯聞門人云、「好去、爲吾致意於赤城貞伯。」。須臾雲開、已在房州北三十里孤星山頂洞中。出後、詢陰隱客家、時人云、「已三四世矣。」。開井之由、皆不能知。工人自尋其路、唯見一巨坑、乃崩井之所爲也。時貞元七年矣。工人尋覔家人。了不知處。自後不樂人間、遂不食五穀、信足而行。數年後、有人於劍閣鶏冠山側近逢之。後莫知所在。

   *]

 この時中から現れた二人の人物は、丈(たけ)は五尺餘りであるが、童顏玉の如く、見るからに輕げな衣服を著て、金冠をいただきながら跣足で步いてゐる。云はずと知れた仙界の人で、工人が顚末を述べてゐるうちに、何十人といふ仙人仲間が出て來た。魔界ならば人臭いと云ひさうなところを、昏濁の氣ありと書いてある。かういふ見馴れぬ者を入れたといふことで、門番の責任問題になりかけたが、結局大した事なしに濟んで、工人は方々遊覽することを許された。仙界の説明がいろいろあり、理窟めいた事も云つてゐるけれど、要するにこの工人はこゝで靈泉に浴し、仙漿を飮んで、暫くゐたと思ふうちに人間の數十年は經過したので、もう歸つたらよからうと云つても、もとの穴から這ひ出すわけに往かぬ。大きな門に上つて、風雲につゝまれるや否や、眼界には何も見えなくなつた。雲霧散じて見れば、已に房州の北三十里、孤星山頂の洞中に在つた。それから陰隱客の家を尋ねたが、もう三四代前の話なので、井戸を掘つた話などは誰も知らない。工人自ら搜した結果、辛うじて井戸の崩れたらしい大穴を發見しただけであつた。工人の家の跡などは無論わからぬ。一たび仙界の空氣を呼吸して來た彼は、遂に人間が厭になり、五穀を食ふのをやめ、足の向くまゝに山へ入つてしまつた。數年後に劍閣雞冠山の側で逢つたといふ人があるが、その後の消息は一切わからなかつた。

[やぶちゃん注:「仙漿」「せんしやう(せんしょう)」と読む。元来は促成の酢であるが、ここは仙界で醸された一種の酒、美味なる飲み物(ネクター)の謂いであろう。

「三十里」唐代の一里は五五九・八メートルしかないので、十七キロメートル弱である。]

 この「博異志」の話は井戸掘りに端を發してゐるやうなものの、豁然として眼界が開けて後は純然たる異境仙遊譚で、特に地下らしいところは少しもない。雞犬の聲は「桃花源記」以來、この種の別世界を敍する場合には必ず出て來る。重寶の外に人間生活の存することを示すものなのであらう。

 

 井戸を掘らうとして地下の家を發見した話は江戸時代にもある。「半日閑話」に見えたのは信州淺間山近くの話で、二丈餘りも掘つたのに水が出ず、瓦が出て來た。こんな深いところに瓦のある筈がないといふので、更に掘つたら家の屋根に掘り當てた。屋根を崩して見ても、中は眞暗で何も見えぬ。倂し人のけはひがするやうだから、松明(たいまつ)に照らして五十か六十くらゐの男が二人居るのを見出した。先年淺間山が噴火した頃、土藏住ひをして居つて、埋沒したのだといふ。理沒したのは六人であつたが、そのうち四人は外へ出ようとして成功せず、遂に亡くなつた。吾々二人は藏に積んであつた三千俵の米、三千樽の酒のある間、天命を待つことにきめて暮してゐるうちに、あなた方にお目にかゝれて、こんな喜ばしいことはありません、といふのである。勘定して見ると、淺間山の噴火以來、三十三年たつてゐる。この二人は前には大分豪家らしいといふ話であつたが、話の規模は遺憾ながら小さい。地中から人聲が聞えるといふ話もあるけれど、皆零細な事實で、別天地から雞犬鳥雀の聲が聞えて來るやうなのは見當らぬ。

[やぶちゃん注:以上は「半日閑話」の「卷十五」の「○信州淺間嶽下奇談」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。標題を外して本文を引く。

   *

九月頃承りしに[やぶちゃん注:原典のこの前の話が文化一二(一八一五)年とあるから、同年九月と読める。浅間山の大噴火は天明三年七月八日(グレゴリオ暦一七八三年八月五日)であった。]、夏頃信州淺間ケ嶽邊にて郷家の百姓井戸を掘りしに、二丈餘も深く掘けれども水不ㇾ出、さん瓦を二三枚掘出しけるゆへ、かゝる深き所に瓦あるべき樣なしとて、又々掘ければ、屋根を掘當けるゆへ、其屋根を崩し見れば、奧居間暗く物の目不ㇾ知、去れ共洞穴の如く内に人間のやうなる者居る樣子ゆへ、松明を以て段々見れば、年の頃五六十の人二人有ㇾ之、依ㇾ之此者に一々問ひければ彼者申やうは、夫より幾年か知れざれども、先年淺間燒の節土藏に住居なし、六人今度に山崩れ出る事不出來、依ㇾ之四人は種々に橫へ穴を明などしけれども、中々不ㇾ及して遂に歿す。私二人は藏に積置し米三千俵、酒三千樽を飮ほし、其上にて天命をまたんと欲せしに、今日各々へ面會する事生涯の大慶なりと云けるゆへ、段々數へ見れば、三十三年[やぶちゃん注:数え。]に當るゆへ、其節の者を呼合ければ、是は久し振り哉、何屋の誰が蘇生しけるとて、直に代官所へ訴へ上へ上んと言けれども、數年地の内にて暮しける故、直に上へあがらば、風に中り死ん事をいとひ、段々に天を見、そろりそろりと上らんと言けるゆへ、先穴を大きく致し日の照る如くに致し、食物を當がへ置し由、專らの汰沙なり。此二人先年は餘程の豪家にてありしとなり。其咄し承しゆへ御代官を聞合せけれ共不ㇾ知、私領などや、又は巷説哉も不ㇾ知。

   *]

 井戸掘りには無關係であるが、「神女傳」にある太眞夫人の話なども、こゝに擧げて置いた方がいいかと思ふ。泰山の黃原、明方に門を開くと、一頭の靑犬がそこに居つて、門を守る樣子がまるで久しく飼つた犬の如くであつた。原がこの犬を曳いて鄰村まで獵に行つたところ、日暮れ近くなつて鹿を見出し、直ちに犬を放つて追はしめたが、鹿の足が早いのに、犬は甚だ遲い。原が力走したけれど、遂に及ばなかつた。數里にして一つの穴があり、中へ入つて百步餘り步いたら廣い街に出た。垣をめぐつて槐や柳が植ゑてある。犬がその門をずんずん入つて行くので、原も默つてついて行く。列房數十間、中にゐるのは女子ばかりで皆美しい。綺麗な著物を著て、琴を彈いたり、雙六や碁を打つたりしてゐる。北閣に三間の屋があり、そこにゐた二人が此方を見てゐたが、この靑犬を曳いて來たのが妙音のお壻さんだ、と云つて顏を見合せて笑つた。一人はそこに留まり、一人は閣に入つて行つたが、やがて四人の婦女が現れ、太眞夫人からのお言葉です、自分に娘が一人あり、年はまだ若いが、宿命によつてあなたの妻になるときまつてゐる、といふことであつた。そのうちに日が暮れて、原を内に導く。妙音は固より絶色であり、それに從ふ侍婢もまた美人である。交體を畢つて數日を過すうちに、原は浦嶋太郎と同じく、ちょつと家に還りたくなつた。その時妙音は、人と神とは道を異にする、到底久しい緣を結ぶことは出來ますまい、とあきらめたやうな調子であつたが、翌日愈々別れる時には、階に立つて淚を流した。四婢は門まで送つて出、原は半日ほどで家に歸つた。その間已に數十年經過してゐた、といふやうなこともなかつたが、原は情念恍惚として、女用の車の飛ぶが如く空中を行くのを、髣髴として見たさうである。犬と共に鹿を逐ひ、遂に一穴に入るあたりは、飯野の風穴の話に似てゐるが、中に入つてからの世界は全く違ふ。飯野の風穴は暗いばかりで、仙境などとは全く緣のないものであつた。

[やぶちゃん注:「神女傳」孫頠(そんぎ)撰になる唐代伝奇集。

「お壻さん」「おむこさん」。

「飯野の風穴」先の穴」で既出既注。

 以上は「神女傳」の「太眞夫人」。書き下したものを国立国会図書館デジタルコレクションの画像のと次頁で視認出来る。]

「幽明錄」にある一話も地中の仙境であるが、最初の動機が今までの話のやうなものでない。洛中に一つの洞穴があつて、その深さ測るべからずとされて居つた。或婦人が夫を殺さうとして、この穴を一度見たいと云ひ出し、ひそかに突き落してしまつた。夫も顚落した時はぼんやりして何もわからなかつたが、正氣に復ると共に、どこかに路を求めてこゝから出たいといふ氣になつた。腹這ふやうにして何十里も進んだと思ふ頃、漸く穴がゆるくなり、遂に樂に步けるところに出た。足に踐むのは塵のやうで、糠に似た匂ひがするので、空腹のまゝに口に入れて見るとなかなか旨い。これを何かに裹(つつ)んで少しつつ食べながら步いてゐるうちに、この食料もいつかなくなつた。次いで脚下が泥のやうになり、これも食へさうな匂ひがするので、出來るだけ取つて携帶する。その食糧が盡きた時、都會のやうなところに著いた。壯麗な建築物が立ち放び、それが悉く金を以て飾つてあるため、日月の光りはなくても明るいのである。そこにゐる人は三丈ぐらゐの長(たけ)があつて、薄い羽衣を着け、未だ曾て聞いたことのない音樂を奏してゐる。かういふやうな場所が前後九箇所あつた。最後の場所に至つて何分にも空腹で堪らず、その事を訴へたら、長人は大きな柏の樹の下に導き、羊の髯の中から二つの珠を取り出して、一つは自ら取り、一つをこの男にくれた。自分が經過した九箇所の名を問ひ、こゝにとゞまることは出來ませんかと云つたところ、お前はこゝにとゞまることは出來ない、九箇所の名は洛に歸つて張華に尋ねよ、と答へた。已むを得ずまた穴傳ひに步いて人間世界に戾つたが、その間に六七年たつて居つた。張華に尋ねて、最初に食べた塵の如きものは黄河の龍涎、泥の如きものは崑山下の泥、九箇所は地仙の九館、羊は癡龍である、長人の自ら取つた珠は、一たびこれを食へば天地と壽を等しうする、その次のものと雖も齡を延ぶることが出來るといふ話であつた。

[やぶちゃん注:「幽明錄」「世説新語」の撰者として知られる劉義慶(四〇三年~四四四年:南朝宋の皇族で臨川康王。武帝劉裕は彼の伯父)の志怪小説集。散逸したが、後代のかなりの諸本の採録によって残った。

「三丈」九メートル九センチ。

「踐む」「ふむ」「踏む」に同じい。

「羊の髯の中から二つの珠を取り出して」柴田の読解の誤り(というか、梗概を短縮するために強引にかくしたのかも知れぬ)真珠は都合、羊(実は龍の一種)髯(ひげ)の中から三つ取り出されている。以下の、後の張華に説明で明らかである。

「張華」(二三二年~三〇〇年)は三国時代から西晋にかけての政治家で魏・晋に仕えた。人格高潔にして政治手腕も高く、また、博覧強記で彼の著わした「博物志」は文学的にも博物学的にも名高いもので、私も好きな作品である(但し、散逸して原本は伝わらない)。

「龍涎」「りゆうぜん」龍の涎(よだれ)。

「崑山」崑崙山。古代の伝説上の中国西方にあるとされた山。黄河の源であり、玉を産出し、西王母が棲むところとされ、仙界ともされた。

「癡龍」龍の一種である螭龍(ちりゅう/みずち)。

 以上は「幽明錄」の以下。中文サイトよりいつもの仕儀で加工して示す。一部、引用元が表示不能字とするものを除去した。

   *

漢時、洛下有一洞穴、其深不測。有一婦人欲殺夫、謂夫曰、「未嘗見此穴。」。夫自逆視之、至穴、婦遂推下、經多時至底。婦於後擲飯物、如欲祭之。此人當時顛墜恍惚、良久乃蘇、得飯食之、氣力小強。周皇覓路、仍得一穴、便匍匐從就。崎嶇反側、行數十里、穴寬、亦有微明、遂得寬平廣遠之地。步行百餘里、覺所踐如塵、而聞糠米香、啖之、芬美過於充飢。即裹以爲糧、緣穴行而食此物。既盡、複過如泥者、味似向塵、複齎以去。所歷幽遠、里數難詳、就明廣。食所齎盡、便入一都。郛郭修整、宮館壯麗、臺榭房宇、悉以金魄爲飾、雖無日月、而明逾三光。人皆長三丈、被羽衣、奏奇樂、非世間所聞。便告求哀、長人語令前去、從命前進。凡過如此者九處。最後所至、苦飢餒、長人指中庭一大柏樹、近百圍、下有一羊、令跪捋羊須。初得一珠、長人取之、次捋亦取、後捋令啖、即得療飢。請問九處之名、求停不去。答曰、「君命不得停、還問張華、當悉此間。」。人便隨穴而行、遂得出交郡。往還六七年間、卽歸洛。問華、以所得二物視之。華云、「如塵者是黃河下龍涎、泥是昆山下泥。九處地、仙名九館大夫。羊爲癡龍、其初一珠、食之與天地等壽、次者延年。後者充飢而已。」。

   *

私は思うのだが、この仙界から帰還した男には、ちゃんと悪妻を懲罰させて欲しい。私は、そのシークエンスがあってこそ大団円であると大真面目に思う、非常に執念深い人間なのである。]

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