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2017/03/04

柴田宵曲 妖異博物館 「猫の小判」

 

 猫の小判

 

 巣鴨に住む大御番の家の話である。文化十一年四月、主人は二條在番に出立した後の中間部屋で、歌ひ舞ひ、踊り騷ぐ聲がする。主人留守の屋敷で、そんな騷ぎをするのは宜しくないと、奧方から沙汰があつたので、留守の家來が中間部屋を調べて見たが、一向そんな樣子が見えない。併し次の晩も騷ぎは同じ事なので、前の家來が出向くと、見知らぬ男が一人出て來た。實は少々宿願がございまして、あの明長屋に同志の者が集まり、祭禮同樣の事を致して居ります、何卒今一晩だけ御容赦下さいまし、といふ。留守中の事であるから、左樣の儀は罷りならぬ、と云つて歸つたが、翌晩も同樣であつた。重ねて咎めに行つたところ、決して氣遣はしいものではございません、あらかじめ御斷り申し上げましたところで、お許し下さるまいと存じましたので、まことに申譯ない次第でございます、これはほんの志でございます、と云つて、紙に包んだ金を渡した。家來は受け取つて歸り、その旨を奧方に報告する。それは以ての外の事だ、匆々返すがよい、と云はれて、先刻の男を尋ねたが、どこへ行つたものか、一人も姿が見えぬので、いづれそのうちにはわかるだらう、任所も聞かなかつたからと、金子は手許に留め置き、兩三日待つても更に手掛りがない。そのうちに先祖の法事があつて、菩提所へ法事料を通さなければならぬことになつた。かねがね手許不勝手で、その金子が調はぬので、巳むを得ず右の金子の中から、二三兩法事料に遣し、あとで償つたらよからうと相談を極め、法事は型の如く濟ませたが、寺から和尚がやつて來て、何卒奧方にお目にかゝりたい、と云ふ。主人の留守ではあるし、奧方も少々不快であると斷つても、ちよつとでいゝからといふことで對面すると、あの法事料の金子は何方から出ましたか、それが承りたい、といふ申條である。此方も困つてだんだん聞いて見るのに、その寺では本堂建立のため、施主から追々寄附がある、そこで新たに極印を拵へ、一兩づつそれを打つて積んで置いたところ、最近に至りその金が七十三兩紛失してゐることがわかつた、然るに此間の法事料に殘らず極印があるので、それを承りに參つた、といふ話だから、金を受取つた事情を裹(つゝ)まずに述べ、不勝手のため一時その金子から差出した、まことに面目ない次第、と答へた。和尚は愈々驚き、紛失した金子と大凡數も符合致すが、寺内の末々まで穿鑿しても、格別怪しい事もなし、盜賊が入つた樣子もない、たゞ寺に數年飼ひ馴れた猫が、その頃から全く姿を見せません、多分その仕業でせう、と云ひ出した。何だか猫に罪を塗り付けた形であるが、それだけに奧方や家來は怖毛を振ひ、殘りの金に法事料の分も才覺して、寺に約めることにした(耳囊)。

[やぶちゃん注:私の電子化訳注「耳囊 卷之十 猫の怪談の事」でお楽しみあれ。]

「猫に小判」といふ諺はあるが、これはまさに小判にからまる猫の怪談である。明長屋を利用したのも猫の一味、家來と應接したのも猫の代表で、それが金子を遺したなり、杳として消息が知れぬとなると、慥かに關係者に取つては無氣味千萬である。

 これほど入り組んでは居らぬけれど、猫に關する小判の怪談が、もう一つ「宮川舍漫筆」に出てゐる。時代は文化三年だから、前の話と二年違ひ過ぎぬ。兩替町時田喜三郎方に出入りする肴屋が、その家の飼猫を可愛がつて、肴を賣る每に魚肉を猫に與へるので、後には肴屋が來れば、猫が先づ出て何かねだるほどになつた。ところがこの肴屋が病氣になつて、一文なしで難澁した時、何人とも知らず、金を二兩くれた者がある。漸く全快して、商賣の本手を借りるつもりで、久し振りで時田の家へ來て見ると、例の猫が出て來ない。猫はどうしましたと尋ねたら、此間打ち殺したといふ返事である。先達金子二兩紛失したことがあり、その後二度まで銜へて逃げ出した、それは二度とも取り戾したが、前の二兩も此奴の仕業に相違ないといふことで、家内中で殺してしまつた、と聞いて肴屋は淚を流した。そのお金は不思議な次第で私の手に入りました、と包み紙を出して見せる。その紙に書いてある字は紛れもない主人の手跡なので、その後金を銜へ出さうとしたのも、肴屋に對する猫の志だつたに相違ない、知らぬ事とて、不便な事をしたと云つて、後に銜へ出さうとした金も肴屋にくれた。肴屋は猫の死骸を貰ひ、本所の囘向院に葬り、碑面に德善畜男の四字を刻んだ。この話は當時相當評判だつた模樣である。

 猫が何かの手段で金を手に入れても、自分の役に立たぬことは諺の通りである。殊に時田家の飼猫などは、身を殺して仁をなしたわけであるが、金の有難味を知ってゐる人間どもは、却つてかういふ純粹の行動に出られないのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「文化三年」一八〇六年。

「兩替町」現在の銀座付近にあった新両替町のことか。

 以上は「宮川舍漫筆」の「卷之四」にある「猫(ねこ)恩を報(むくふ)」の条。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。歴史的仮名遣の誤りは総てママである。

   *

   ○猫恩を報

文化十三子年の春、世に專ら噂ありし猫恩を報(むくわ)んとしてうち殺されしを、本所囘向院え埋め碑を建(たて)、法名は德善畜男(とくぜんちくなん)と號す。三月十一日とあり。右由來之儀は、兩替町時田(ときだ)喜三郎が飼猫なるが、平日出入の肴屋某が、日々魚(うを)を賣(うる)ごとに魚肉を彼(かの)猫に與へける程に、いつとても渠(かれ)が來れる時には、猫先(まづ)出(いで)て魚肉をねだる事なり。扨右の肴屋病氣にて長煩ひしたりし時、錢(ぜに)一向無之(これなく)難儀なりし時、何人(なんびと)ともしらず金二兩あたへ、其後快氣して商賣のもとで借(か)らんとて、時田がもとに至りける時、いつもの猫出ざるにつき、猫はと問(とひ)ければ此程打殺(うちころし)捨(すて)たりしと、其譯(わけ)は先達(さきだつ)て金子二兩なくなり、其後(そのゝち)も金を兩度(りやうど)まで喰わへて迯(にげ)たり。倂(しかし)兩度ともに取戾しけるが、然らばさきの紛失したりし金も、此猫の所爲(わざ)がならんとて、猫をば家内(かない)寄集(よりあつまり)て殺したりといふ。肴屋泪(なみだ)を流して、其金子はケ樣々々の事にて、我等方(かた)にて不思議に得たりと、其包紙を出し見せけるに、此家(や)の主(あるじ)が手跡なり。しからば其後金をくわえたるも、肴屋の基手(もとで)にやらんとの猫が志(こゝろざし)にて、日頃魚肉を與へし報恩ならん。扨々知らぬ事とて、不便(ふびん)の事をなしたりとの事なり。後(のち)にくわへ去らんとしたる金子をも、肴屋に猫の志を繼(つぎ)て與へける。肴やも彼(かの)猫の死骸をもらひ、囘向院(ゑかういん)に葬(ほうむり)したる事とぞ。凡(およそ)恩をしらざるものは猫をたとへにひけど、又斯(かゝ)る珍らしき猫もありとて、皆(みな)人感じける。

   *]

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