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2017/03/04

柴田宵曲 妖異博物館 「雁の財布」

 

 雁の財布

 

「想山著聞奇集」にごたごた長く書いてあるが、要約すればかういふ話である。伊勢の神戸の郷村に久兵衞といふ老農があつたが、八兩ほどの年貢の金に詰つて才覺が付かぬ。十六歳の娘が自ら進んで勤め奉公に出ようと云ひ出した、一身田の旅籠屋四日市屋市郎兵衞方へ、三箇年金六兩二分で賣り渡すことになる。身の代金を財布に入れて懷中し、中野村といふところまで歸つて來ると、菜畑に下りてゐた數羽の雁が、久兵衞を見て逃げようとする拍子に、一羽の足に繩がからまつてばたばたしてゐる。あたりに人が居らぬので、畑へ入つてその雁を手捕りにし、〆め殺さうとしたが容易に死なぬ。無理に懷ろへねぢ込み、財布の紐で首を縊つて足早に步くうちに、草鞋の紐が解けてしまつた。腰をかゞめて紐を結ぶ久兵衞の懷ろから、雁が飛び出るなり、羽を伸して逃げ出し、遙かの空へ舞ひ上る。驚いて後を追つたけれども及ばなかつた。この雁は濱邊まで逃げて漁師に捕へられ、今度は本當に〆め殺される。財布も中の金も無事であつたが、中の書付により、娘を賣つた金とわかつたので、市郎兵衞を訪ね、賣主の久兵衞のところへ屆ける。これから一兩損の裁判のやうになつて、兩者が金を讓り合ひ、結局漁師は骨折代の二朱だけ貰つて歸る。この事が領主の耳に入り、漁師には靑緡(あをざし)五貫文、米五俵を褒美として下され、久兵衞も禁獵地で雁を捕つた罪は問はず、さういふ苦しい思ひをして才覺した金を辭讓したる段感心であるといふので、これも靑緡五貫文下し置かれる。如何にもありふれた筋である。三好想山も多少氣になつたと見えて、「此一條は戲場の作り狂言のやうなる事なれども、左にあらず、我知音中村何某、其頃は實方津の藩中に在時の事にて、近邊故現に其事を見聞して、よく覺え居て、具に咄せし珍事也」と斷つてゐる。

[やぶちゃん注:「伊勢の神戸」「かんべ」と読む。現在の三重県鈴鹿市神戸。(グーグル・マップ・データ)。但し、現在のそこよりもかなり北の外の「郷村」でないと、次の「一身田」と距離が合わぬ。

「一身田」現在の三重県津市一身田町(いっしんでんちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「靑緡(あをざし)」穴あき銭に紺染めの細い麻繩を通して銭を結び連ねたもので、これ五貫文というの当時、善行を行った民に対して官から褒美として与えられたものであった。「五貫文」は当時、一両の半分に相当した。

 以上は「想山著聞奇集」の「卷の四」の「雁の首に金(かね)を感懸(かえ)て逃行(にげゆき)たる事 幷(ならびに)、愚民の質直(じつちよく)、褒美に預りたる事」である。所持する森銑三・鈴木棠三編「日本庶民生活史料集成 第十六巻」(一九七〇年三一書房刊)のそれを以下に総て示す。【 】は原典の二行割注。オリジナルに読みを歴史的仮名遣で附した。太字のみが底本のルビである。挿絵も添えた。

   *


Karinosaihu

文化八年【辛未(かのとひつじ)】の冬の事と覺し由。勢州神戸(かんべ)宿の東の隣村に、【村名は能聞置たれども忘れたりと。】久兵衞と云ふ老農有て、段々困窮に及び、纔(わづか)八兩程の年貢の金に差詰りて、名主より日々嚴敷(きびしく)催促を受れども、金子の才覺、少しも出來かね、如何ともせん方なく、當惑して居たるを、十六歳に成(なる)娘の見かねて、いつまで待ても金子の出來るべき術(すべ)もなければ、何とぞ、われを勤(つとめ)奉公に身をうりて、年貢金を納め給へと追々進むるに、初は不便成(ふびんなる)事なりとて、兩親も納得なし兼たれども、年貢金の事なれば、名主の催促もきびしければ、是非なく、娘に勤をさせん事に成(なり)、同國一身田【二里程坤(ひつじさる[やぶちゃん注:南西。但し、これは位置関係から「艮(うしとら)」(東北)の誤りと思われる。])の方、高田專修寺の有所なり。】の旅籠屋四日市屋市郎兵衞といふものゝ方へ、娘を同道なして、三ケ年金六兩二分に賣渡し、【飯盛女と唱(となへ)る賣色なり】金子を請取(うけとり)て財布へいれ、懷中なし、彼是(かれこれ)引合(ひきあひ)に手間も取(とり)たれば姥(ばば)も待居るべしと、急ぎて歸りけるに、右一身田の直(すぐ)東のかた、中野村の地内を通り越るとき、桑畑に、そめ繩の張(はり)ある内へ、雁の數羽下り居て、久兵衞の間近く來るを見て、立上り逃行(にげゆく)とて、如何成(いかなる)拍子にや、一羽の雁、その繩に足を引からみて、逆さまと成(なり)、ばたばたとして居(を)る故、見遁(みのが)しかねて、あたりを見𢌞せば、近邊に人もなきまゝ、畠へ入(いり)て、その竹を引ぬき、件(くだん)の雁を手捕(てどり)となし、〆殺(しめころさ)んとすれども、死(しに)かね、其内に、跡より人の來るまゝ、咎められじと思ひ、むりに雁を懷へおし入(いれ)、かの財布の紐をもつて、無性に首を縊(くび)りあげ、足早に道を急ぐに、折節、草鞋(わらぢ)の紐解(とけ)て、足に纏ひて步み兼る故、とく結びて急ぎ逃行(にげゆく)べしと、腰をかゞめて、草鞋の紐を結び居る内も、雁はばたばたとあがき居て、かの財布を首に懸(かけ)たるなりに、懷よりのたり出(いで)たり。急ぎ取押(とりおさ)ゆべしと思ふ間もなく、雁は懷を出ると直(ぢき)に、羽をのして、ずつと立行懸(たちゆきかか)りたる故、思はず畑へ飛込(とびこみ)て、長きそめ竹を引拔(ひきぬき)て、漸(やつ)と一つ打(うち)たれども、僅(わづか)に尾先をかすりて打たれば、其内に、雁は遙(はるか)の空へ飛上り、唯(ただ)一(ひと)のしに、艮(うしとら)のかたをさして飛行(とびゆき)たり。如何とも、手に汗を握りても仕かたなけれども、白子(しろこ[やぶちゃん注:現在の三重県鈴鹿市白子町(しろこちょう)附近。(グーグル・マップ・データ)。]と津との間、根上りと云邊迄、思はず雁の跡をしたひて追行(おひゆき)たれども、雁は忽ち、右、根上りのわきのかたにある小山の松林をはるか向(むかふ)へ越行(こへゆき)て、其内には、形ちも見えぬ樣に成果(なりはて)たり。久兵衞は良(やや)暫く地に倒れ、大聲を出して男泣(をとこかき)に泣悲(なきかなし)めども、如何とも仕方なく、唯、此儘に此所にて死ぬべくも思へども、姥や娘は、此譯(わけ)は辨(わきま)ふべからず。されば、一先(ひとまづ)、宿へ歸り、此事を咄して、兎も角もなすべしと、心を取直(とりなほ)し、漸(やつ)と夜の五つ前にわが村迄歸り來ると、姥は待兼(まちかね)て、村はづれまで迎(むかへ)にいで居て、首尾は如何にて有しぞ、思ふ程の金と成たるやと尋らるゝにも、消入(きえいり)たき心地して、宿へ歸りて後、隱すべき樣もなく、段々の譯合(わけあひ)を語りてきかすると、姥もわつと泣出し、年來(としごろ)、鳥殺生などなし給ふ故、自然と其樣なる事の出來(いでこ)しも天罰なるべしと悔めども、仕方もなく、又々、共に悲みて、茫然と打しほれて、泣より外の事もなく、哀れ至極の事ども也。爰に、同所より二里計も北の方、四日市宿の漁人何某、其翌朝に當りて、未明に起出(おきいで)、例のごとく、濱邊をさして漁(すなど)りに出かけ行けるに、此濱邊には鴈鴨(かりかも)多くむれ居(ゐ)、石を打て、よき所にあたれば、をりふしは手捕となす事も有故、兼て道にて、袂に石を三つ四つづゝ拾ひ入れて行(ゆく)事なるが、此朝も、土手の傍に、鴈五羽あさり居たるまゝ、例のごとく石を打(うつ)に、當らずして、鴈は驚きて立行(ちゆく)を、又、續けて一つ打(うて)どもあたらず、然るに、右鴈の内、一羽立得(たちえ)ずして殘り居(を)る故、如何成(いかなる)事かと不審に思ひながら、土手の後ろへ𢌞りて、急にかの鴈を追(おふ)に、速(すみやか)に立得ずして、傍の小溝(こみぞ)の中へ追込(おひこみ)、遂に手捕と爲(な)して〆殺してみれば、こは如何に、首に何か纏ひたるものあり。よくみれば財布也。之をみるに、金六兩二分有しまゝ、大に悦び、其れ日は漁りを止(やめ)にして、急ぎ内へ持歸り、事の樣を具(つぶさ)に女房に咄して、此金は全く天より授(さづか)りたる金也迚(とて)、悦ぶ事限りなし。其時、女房の云(いふ)には、去(さ)りながら、其金は故(ゆゑ)こそ有らめ、何人か首に付置(つけおき)たるものなるべし、篤(とく)と見給へとて、財布を取て、金を改めて能々(よくよく)見るに、中に書付あり、四日市屋市郎兵衞の女を買取たる書付也。此書付ある上は、金主(かねぬし)は分るべきまゝ、急ぎ吟味して返し給へと勸むれども、天より我等に與(あたは)りたる金なれば、取置(といおく)こそ宜(よろ)しけれとて、初(はじめ)は亭主も納得せざりしが、子を賣(うる)と云(いふ)事は、能々難儀の事也、決(けつし)て取置(とりおく)金に非らずと、段々女房の諫(いさめ)るにまかせ、左(さ)すれば、吟味して返すべしと聞探(ききさぐ)り見るに、四日市屋市郎兵衞と云(いふ)は、一身田也(なり)と直(ぢき)に分りたるまゝ、金を失ひし方(かた)にては、嘸々(さぞさぞ)心づかひをなし居申(ゐまうす)べきまゝ、今より直(ただち)に尋行(たづねゆき)給へとて、女房はまめやかに辨當を拵へ、夫(をつと)を出(いだ)し遣したり。それより、かの漁夫は、市郎兵衞方へ尋行て、賣主も明らかにしれたる故、直に久兵衞方へ尋行て見るに、表をば戸ざして、内に老夫婦、歎きに沈み居たる樣子也。依(より)て鴈の首に金を付置(つけおか)れずやと尋(たづぬ)るに、か樣か樣の次第にて、其鴈を取逃せしと云(いふ)ゆゑ、其鴈は、我等が手捕と成(なり)たるに、首に財布をからみ居て、金子あり、四日市屋市郎兵衞の書付もある故、一身田まで尋行、又、此所まで、態々(わざわざ)尋來りたり、金子を受とり給へよと、財布を出しければ、老人夫婦は、誠に思ひよらぬ事なれば、膽(きも)を潰すのみにて、しばし言葉もなし。扨ては左樣なる事に候や。御深切の段、言語に盡し兼(かね)、有難き事也。元、此金は、我等が金ながら、鴈の首に付置て鴈に取(とら)れ、其鴈を捕(とり)給へば、そなたの金なり。然れども、我等もよぎなき入用の金にて、既にきのふより死すべくも思ひ居たる程の儀(ぎ)、且(かつ)は遙々(はるばる)御深切にて持來り給りし事故、半分は戴き申べしとて、半分取て、跡は漁夫へ返しけれは[やぶちゃん注:「は」はママ。]、是も中々請(うけ)とらず。鴈といへども、元そなたの一度捕(とり)給ひたるのなれば、そなたのものなれども、我等が捕たる事なれば、もらひ置(おく)べし、金はそなたの金なれば、我等がもらふ筈(はず)なしとて辭退なし、互にとらじと色々爭ひて、遂に、骨折代として、かの漁夫は二朱の金を申請(まうしうけ)、歸り行て事濟(ことすみ)たりと。此事、遂に、領主へ聞え[やぶちゃん注:ママ。]、漁夫は、深切に尋行て返し來りたる事を感じられて、靑差(あをざし)五貫文・米五俵を褒美として下し給り、又、久兵衞は、留場(とめば[やぶちゃん注:公的に殺生を禁じていた場所を指す。])にて竊(ひそか)に鴈を捕(とり)たる罪はかぞへられずして、娘を賣(うり)てまで年貢を出(いだ)さんとして、餘儀なき才覺の金なれども、義理を辨へて、段々辭讓(じじやう)なしたる事どもを感じられて、是も靑ざし五貫文下し賜りしと也。此一條は戲場(ぎじゃう)の作り狂言のやうなる事なれども、我(わが)知音(ちいん)、中村何某、其頃は實方、津の藩中に在(ある)時の事にて、近邊故、現に其事を見聞して、よく覺え居て、具(つぶさ)に咄せし珍事也。

   *

柴田は「ごたごた長く書いてある」と言い、この浄瑠璃みたような展開がお気に召さぬらしいが、どうも時代劇を見過ぎている私などは――最後にこの娘を救ってやってこそ大団円だろ!――思ってしまったのであった……この娘の「あとのこと知りたや」……]

 財布も金も人間の上に葛藤を齎すべき材料ではあるが、他の動物に累を及ぼすことは滅多にない。「半七捕物帳」の河獺は、中の郷の川端で道具屋の隱居を襲ひ、その顏や首筋を引搔いたが、そのはずみに財布の紐が爪に引かゝつた爲、終にその紐に縊られて死ぬ。その死骸は小判の重みで容易に浮ばなかつたのを、川の水量が減つて自ら現れる。河獺の首にからんだ財布によつて、その金を盜んだといふ嫌疑者が救はれるといふ話である。猫に小判といふが、小判に用がないのは猫には限らぬ。伊勢の雁も、中の郷の河獺も、用のない財布を首にかけた爲に命を失ふので、彼等に取つてもやはり「金が敵」なのかも知れない。

[やぶちゃん注:以上は「半七捕物帳」の「廣重と河獺」の第「三」章の小話で、時間設定は弘化四(一八四七)年九月である。「青空文庫」のこちらで読める(新字新仮名)。]

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