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2017/03/28

「想山著聞奇集 卷の壹」 「人の金を掠取て螢にせめ殺さるゝ事 附 蟲ぎらひの事」

 

 人の金を掠取(かすめとり)て螢にせめ殺さるゝ事

  附 蟲ぎらひの事


Hotarugorosi

 伊勢の國あのゝ津の南の方に雲津(くもづ)と云(いふ)宿あり。或豪家の手代、供人(ともびと)一人召連(めしつれ)、主人の代參に、大神宮の太々神樂(だいだいかぐら)に登るとて此所に宿りたる夜、神樂料の金子數十兩、何者にか悉く盜みとられぬ。手代、大に驚き歎けども、せんすべなし。供男(ともをとこ)にいひけるは、我等、か樣(やう)の始末出來(いでき)たる上は再び主家へは歸られず。現世にて、是と覺(おぼへ)凡(すべ)て、させる罪も作らざれども、前世の宿業のなす所と思ふなり。此上は神佛へ參詣なし、か樣成(やうな)る橫難(わうなん)消滅を祈るべしと覺悟を極めたり。汝は如何ともして國許へ歸り、此事を咄し呉(くれ)よ。我等も外に少しの貯(たくはへ)もなきまゝ、此場より修行者と成(なり)、人の手の内を乞(こふ)て、如何樣(いかやう)とも露命をつなぎて𢌞國致し申べし迚(とて)、忽ち姿を變じ、國々を順拜なし、六ケ年目に又、雲津宿へ𢌞り來り、かの以前宿りて盜(ぬすみ)に逢(あひ)しは此家也と思ひて、能々(よくよく)見るに、其家は昔に替りて立派に普請なし、殊の外、富有の體(てい)にて、餘り樣子も替り居たるまゝ、近邊にて委敷(くはしく)尋ね聞(きき)ければ、あれは先達(せんだつ)て金を拾ひ候と申(まうす)事にて、夫(それ)よりあの樣(やう)によき身代(しんだい)に成(なり)候と語るまゝ、一たびは驚き、一たびは怨みて、六ケ年以前の陰惡をかたり聞(きか)せければ、近邊のものもその事をはじめて知り、彈(つまはじき)して惡(にく)みしとなり。然るに夏の事なるが、如何成(いかなる)事にや、いづれより來りけむ、毎夜、螢夥しく其家へ集(あつま)り、次第に數增(まし)て屋内に込入(こみいる)故、亭主は蚊屋を釣(つり)てその内に入て居るに、いつしか蚊屋の中にも一面に螢生じて、臭氣の甚敷(はなはだしき)に堪兼(たへかね)しが、遂に此家の亭主、七日目に螢の毒に當りて狂ひ死に死たりと。是は寛政の末つ方の事にて、我等、其頃は伊勢の津に居て、衆口(しゆうこう)に沙汰し、現に聞知(ききしり)し事にて、殊に三州の佐久の島の茂平といふもの、其頃、津に奉公してありしかば、此螢の集りたるを見て來(きた)るを直(ぢき)に聞(きき)たりと、牛込の松源寺の先(さきの)方丈の咄なり。すべて、人の靈の物に變じて讎(あだ)をなす事、珍しからず。近くは江戸四谷にお岩と云(いふ)妬女(せきぢよ)有(あり)て、鼠と成(なり)、夫へ崇りたるまゝ、彼(かの)夫を長持へ入(いれ)て試(こころみ)るに、其長持の中にも鼠生ぜしとの事は、四谷怪談とて歌舞伎狂言にも作り、童蒙さへ能(よく)しる事にて、虛(うそ)にあらざるか。古くは三井寺の賴豪阿闍梨、鼠と成(なり)て叡山の經卷を嚙荒(かみあら)したるためしもあり。察するに、かの旅籠屋の亭主、螢嫌ひ故、其靈、螢となりて苦しめ、遂に死に至りたるか。蟲類には、思はざる勇人武人にも、甚敷(はなはだしく)嫌ひ恐るゝもの、まゝ多し。目前の理(ことわり)にては量り難し。

[やぶちゃん注:「伊勢の國あのゝ津の南の方に雲津(くもづ)」「あのの津」は「安濃津」、現在の三重県津市を流れて伊勢湾に注ぐ安濃(あのう)川の河口にある津の意の地名で、現在の津市に相当する。「安濃」は古くは「あ」(「美しい」の意)+「の」(「野」)に由来するともいうから、古くは「あのう」ではなく「あの」と読んだものであろう。「雲津」は津宿と松阪宿の津寄りにあった「雲出(くもず)宿」のこと。現在の三重県津市雲出本郷町附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「橫難」思いがけなく起こる災い。不慮の災難。

「彈(つまはじき)して」人先指を親指の腹に当て、強く弾いて。古くからインドや中国で不満・軽蔑・非難などの嫌悪の意志を示す顕著な動作であったことから、それらの感情を示す代替語としても機能する。

「臭氣の甚敷に堪兼し」昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コメツキムシ下目ホタル上科ホタル科 Lampyridae のホタル類は、捕えたり、強く握ったりすると、特有の一般に不快とされる臭気を持った物質を分泌する。

「螢の毒」ホタル類には摂餌目的の捕食昆虫などへの毒性はある種もいるようであるが、人間に症状が出たり、死に到るような毒性は、無論、ない。

「寛政」一七八九年から一八〇一年。

「衆口」多くの人の言うところ。世間の評判。「しゅこう」とも読む。

「沙汰し」ここはそうした「衆口」、巷間の噂話や流言飛語を、特に意識して採取し、考証した、ということを指すのであろう。

「佐久の島」三河湾のほぼ中央に浮かぶ、現在の愛知県西尾市に属する佐久島。]

 予、其後、天保九年伊勢路通行の時、かの螢の事を尋(たづね)たるに、雲津宿にてはなく、雲津と松坂との間、久米村と云(いふ)建場(たてば)の事にて、今、中村屋・龜屋など云(いふ)建場茶屋に向ひたる所にて、家は斷絶して、跡は畑と成居(なりゐ)たり。此談は、勢州にては今にてもいひ傳え、誰しらぬものもなき事なれども、早少し年經し事ゆゑ、其邊にても、か樣か樣と慥(たしか)にしりたるもの少し。漸(やうやく)、予の駕籠を舁(かき)たる人足の咄には、私の親共の能存居(ぞんじをり)て度々咄は承り申(まうし)候。尋常の螢よりは餘程小き螢にて、晝は壁にも天井にも、すき間なく、一面にとまり居たりとの事に御座候といへり。江戸呉服町に、筆墨の御用を勤(つとむ)る安藤卓峰と云(いふ)者有(あり)。予が此怪異を記したる事を具(つぶさ)に聞(きき)て云(いふ)には、我等が實父は伊勢の國より出(いで)たる者にて、此螢の怪を能存居、我等に參宮をなさする時に、久米村の建場にて、右螢の怪異を必(かならず)聞探(ききさぐ)りて、惡報の來(きた)る事を心得置べしとしめさるゝ故、其土地へ行(ゆき)て能(よく)聞訂(ききただす)に、前條記し有(あり)し趣に少しも違ひなし。其内、夜陰と成(なり)て、家の棟へ、螢山の如くに集りて、きりきりと渦(うすまく)如くにして、忽(たちまち)人の直(ぢき)に立(たち)たる姿の樣に成(なる)と、家内にて蚊屋の内に居る亭主、鳴呼(ああ)堪難(たへがた)やと云(いひ)て其螢の集りたる姿の如く、棹立(さおだち)と成(なり)て苦しみしと云(いふ)事をも聞來(きききた)り置(おき)しと申せし由、懇(ねんごろ)に予に告(つぐ)る者有(あり)。予思ふに、歌舞伎狂言にて、欝念を晴(はら)さんと幽靈出(いで)て口惜がると、恨まるゝ者も、其通りの姿と成(なり)て苦しむ事などは、衆人見て知居(しりを)る事なれども、却(かへつ)て智(ち)有(ある)人程(ほど)、狂言故(ゆゑ)、斯(かく)は面白く作りたるものとのみ思ひて、心なく見過す人多けれども、此螢の集(あつま)る形ちの通りに、病者もなりて苦しむ事を見て、歌舞伎の狂言も能(よく)作りたる事を辨(わきま)ふべき也。

[やぶちゃん注:「天保九年」一八三八年。

「久米村」現在の三重県松阪市久米町(くめちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「建場」既注であるが再掲しておく。街道筋で人足が駕籠や馬を止めて休息した場所。

「江戸呉服町」現在の中央区八重洲或いは日本橋地区内。

「筆墨の御用」三好想山は尾張藩右筆であるから、こういう業者とは特に関係が深い。

「人の直に立たる姿の樣に成」蛍が光りながら、群れを成し、それが家の棟の上に、人が直立している姿そっくりになって。

「棹立(さおだち)」ぴんと直立したままになって。これは所謂、ヒステリー弓(きゅう)の症状に似ているように私には思われる。

「此螢の集(あつま)る形ちの通りに、病者もなりて苦しむ事を見て、歌舞伎の狂言も能(よく)作りたる事を辨(わきま)ふべき也」この意見は非常に興味深い。即ち、想山は怪奇現象は実際にあり、その、心なき蛍が怨念のために人形(ひとがた)を形成し、それが恨まれる側に影響・感染し、同じ姿勢をさせて慢性疾患として苦しませ続ける、というような事実を、浄瑠璃・歌舞伎作者は確かに現認或いは真実として認識、それを作品で再現したのであるということを理解しないといけない、と言っているのである。

 以下、最後まで(二段落ある)底本では全部が二字下げとなっている。]

 因(ちなみ)に云(いふ)、物には甚敷(はなはだしき)きらひの有(ある)もの也。享保のころ、御先手を勤(つとめ)られし鈴木氏は極(きはめ)て百合の花を嫌はれしが、或時、茶會にて四五人集りし折柄(をりから)、吸物出(いで)て何れも箸を取(とり)しに、鈴木氏は殊の外、心ちよからず、色も惡敷(あしく)、箸も取兼(とりかね)て主人に向ひ、若(もし)、此吸物に百合の根などはなきやと問ふに、主人も兼て嫌ひは存ぜし事なれば、其樣(そのやう)の品は曾てなしと挨拶に及びけるが、一座の内に、膳の模樣に百合の花を繪畫(ゑがき)たる有(あり)たり。人々驚(おどろき)て、早速其膳を引(ひか)せければ、速(すいや)に快く成(なり)しよし、耳囊と云(いふ)隨筆に見えたり。又、土屋能州殿の醫師に、樋口何某と云(いふ)者の鼠嫌ひ成(なる)事も、同書に委敷(くはしく)書記(かきしる)し有(あり)。又、阿波の德嶋に、茄子が至て嫌ひにて、甚だ恐るゝ者有。或時、餘人、戲れに其人へ茄子を打付(うちつけ)たるに、左りの手首に當りて、其所(そのところ)大いに腫上(はれあが)り、肉腐出(くさりいだ)して久々難儀せし事有(あり)と。右藩の人より慥に聞留置(ききとめおき)し迚、或人の話せし。前の百合と同じ類(たぐひ)也、予がしれる人にも毛蟲ぎらひ有(あり)て、若(もし)、天井などに、一疋にても留り居る席へ入れば、ぞつとさむけして、暗(あん)にしれ、如何成(いかなる)酒宴遊興の面白き席にても、居(ゐ)たえ兼(かね)るとの事也。其餘、親敷(したしき)朋友に蟲ぎらひ成(なる)は擧(あげ)て數ふるに遑(いとまあら)ず。かの稻生(いなふ)平太郎が剛強にて、山本(さんもと)五郎右衞門といふ魔王の類(たぐひ)の大怪(だいくわい)に出會(であひ)て、少しも心たゆまざれども、妖怪の方より、生得嫌ひ成(なる)蚯蚓(みみず)を出したる節は、氣も遠く魂(たま)もきゆる斗(ばかり)に成(なり)たりとの事は、稻生怪談錄にも、かの繪卷物にも有(あり)て、人のしる事なり。予、童蒙の時、或人の示(しめし)しに、蝶の嫌ひ成(なる)兒童有(あり)しが、常々誡(いましめ)の鞭打(むちうつ)べき替りに、蝶を持來(もちく)ると云へば、恐れおのゝきて詫入(わびいる)事也(なり)しが、或時、強情募りて、餘りに云(いふ)事をきゝ入(いれ)ざるまゝ、狹き所へ押入(おしいれ)て、其中へ蝶を一二疋放せしかば、始は泣叫(なきさけ)びたるに、暫く有(あり)て聲止(やみ)しゆゑ、明(あけ)て見れば、いつしか死居(しにゐ)たり。蝶のさはりたるところ紫斑(しはん)となり、肉色變り居(をり)しと也。斯(かく)の如きことも有(あれ)ば、必々(ひつひつ)人の嫌ふ事は、なす間敷(まじき)事迚、毎々(まいまい)誡に逢(あひ)たり。今昔物語に、猫を恐るゝ大藏大夫淸廉(かど)、官物をなさゞりける故、藤原の輔忠の朝臣、大和守にて有(あり)しときに、猫にて責(せめ)て速(すみやか)に出させたる事もあり。是は淸廉が不直(なほからざる)故に責たるにて、止(やむ)を得ざる事なり。惣(さう)じて益(えき)にもならぬ人の嫌ふ事は、努々(ゆめゆめ)すまじき事なり。兒童などを愛するとて、其兒の困り嫌ふ事をなして、其有さまを興(きやう)じ樂しむ人有(あり)。愼むべき事也。譬(たとへ)ば小兒を愛するとて、花を持(もち)て是をやるべしと差出(さしいだ)すと、小兒は貰ふ事と心得て、悦びて手を出せば、ばいと云(いひ)て捨(すつ)る眞似をなして、己(おのれ)の後ろの方へ隱すと、小兒はほしがりて後の方を尋(たづぬ)ると、竊(ひそか)に前へ持𢌞(もちまは)りて、又花をやるべしと差出すゆゑ、小兒は又、悦びて手を出すと、又、先の如く捨(すつ)る眞似をなし、何度も同じ事をして慰(なぐさむ)は、その兒を愛する迚せしことながら、兒は何度もだまされて、後には泣出(なきいだ)す故、其時に漸(やつ)と與へやれども、小兒ながらも癇症の有(ある)ものは腹立(はらたて)て、花を取(とり)て其人へ打付(うちつけ)て、見向(みむき)もせざる兒も有(ある)ものなり。一寸(いつすん)の蟲にも五分(ぶ)の精神(たましい)有(ある)との諺は、此事にして、元、愛するよりして困らせ腹立(はらだた)すると云(いふ)は有間敷(あるまじき)事也。又、右の兒、花を持居(もちを)る時、是も其兒を愛する迚、其花を呉(くれ)よと云て、其兄のいやがるを樂しみとし、甚敷(はなはだしき)に至りては、兒の持居(もちを)る花を取(とる)べしと云(いひ)て、何度も取(とり)に懸(かか)る風情(ふぜい)をなして、兒の困り當惑するを興ずる人も有(あり)。扨、右花を持居る小兒に其花を呉(くれ)と乞へば、賢き小兒はばいと云(いひ)て捨(すて)たる眞似をして、己の後の方へ𢌞して隱すなり。小兒ながらも大人を欺きて見せるは、先に此方より欺きて見せ置(おき)し故、欺く事を覺えて、又、先(せん)よりも欺くのなり。是等は能(よく)人のする事なれども、いまだ、ものの辨へもなき小兒に噓(いつは)りを教(をしふ)るの根本、深く愼むへき事也。まして況や、來(く)る所に待伏(まちぶせ)をして不意に劫(おどろ)かすなどゝ云(いふ)事は、神かけてせまじき事也。惣躰(さうたい)、大人に對しても、先(せん)の人の嫌ふ事と困る事と申譯のなき事を強(しい)て咎(とがめ)て困らすべからず。斯云(かくいへ)ば迚、事(こと)品に寄(よる)べし。別(べつし)て武士は、義によりては、一命に懸(かけ)ても見遁(みのが)し兼(かぬ)ることも有(ある)べし。必(かならず)と云(いふ)には非ず。

[やぶちゃん注:頭に出る「耳囊」の二例(百合嫌いと鼠嫌い、というか、強度の特定恐怖症であるリリー・フォビアとラット・フォビア)のそれは「卷之一」でもトビッキリに私の好きな「人性忌嫌ふものある事」である。私の電子化訳注をお読みあれかし。

「稻生平太郎」寛延二(一七四九)年に備後三次(みよし)藩(現在の広島県三次市)に実在した藩士稲生武太夫(幼名平太郎)が体験した、稀代の連続妖怪実話談「稻生物怪錄」(いのうもののけろく/いのうぶっかいろく)の主人公。同作の著者は柏生甫(かしわせいほ)で、事件当時未だ十六歳であった平太郎が寛延二年月の一ヶ月間に主に自宅で体験したほぼ連日、波状的に襲ってくる怪異を、そのまま筆記したものと伝えられている。私はこの「稻生物怪錄」フリークで、所持する関連書は数十冊に及ぶ。

「山本(さんもと)五郎右衞門といふ魔王」稲生が三十日にも及ぶ怪奇現象を悉く退けたその最後に出現して、稲生に礼拝する魔王の姓名。「山本」を「やまもと」と普通に読まないところに、異界の生命体の名乗りの特性がよく表われている。因みに、稲生はこの五郎左衛門からその勇気を称えられた上、五郎左衛門を呼びつける霊力を持った木槌をも与えられている。

「生得嫌ひ成蚯蚓を出したる節は、氣も遠く魂もきゆる斗に成たり」確かに、この箇所だけは、その平太郎の恐怖症の意外性に思わず笑ってしまうシークエンスである。

「死居たり」気絶して意識喪失状態にあったことを言っている。

「必々(ひつひつ)」くれぐれも。読みは推定。

「今昔物語に、猫を恐るゝ大藏大夫淸廉……」これは「今昔物語集」の「卷第二十八」の「大藏大夫藤原淸廉怖猫語第卅一」(大藏大夫(おほくらのたいふ)藤原淸廉、猫に怖るる語(こと)第三十一)である。以下に示す。

   *

 今は昔、大藏の丞(ぜう)より、冠(かうぶ)給はりて、藤原の淸廉(きよかど)と云ふ者有りき。大藏の大夫となむ云ひし。

 其れが、前世(ぜんぜ)に鼠(ねずみ)にてや有りけむ、極(いみ)じく猫になむ恐(お)ぢける。然(さ)れば、此の淸廉が行き至る所々には、若き男(をのこ)の勇みたるは、淸廉を見付ければ、猫を取り出でて見すれば、淸廉、猫をだに見つれば、極じき大切の要事にて行きたる所なれども、顏を塞(ふさ)ぎて逃げて去りぬ。然れば、世の人々、此の淸廉をば、「猫恐(ねこおぢ)の大夫」とぞ付けたる。

 然(さ)て、此の淸廉、山城・大和・伊賀三(さむ)箇國に、田を多く作りて、器量の[やぶちゃん注:人を驚愕させるほどの。]德人(とくにん)にて有るに、藤原の輔公(すけきみ)の朝臣(あそむ)、大和の守にて有る時に、其の國の官物(くわんもつ[やぶちゃん注:ここは律令制で田地に課された租税である田租(でんそ)。])を、淸廉、露(つゆ)成さざりければ、守、

「何(いかに)して此れを責め取らむ。」

と思ふに、無下(むげ)の田舍人(いなかびと)などにも非ず、諸司勞(しよしのらう[やぶちゃん注:功労。功績。])の五位(ごゐ)にて、京に爲行(しあり)く者[やぶちゃん注:在地領主であったが、大蔵大丞でもあったことから京でも顏の利く権勢者でもあったことを指す。]なれば、廳(ちやう)などにも可下(くだすべき)にも非ず[やぶちゃん注:検非違使庁に訴え出る訳にもいかない。]。然れども、緩(ゆる)べて有れば、盜人(ぬすびと)の心有る奴にて、此彼(とかく)云ひ出しも、遣(おこ)さず[やぶちゃん注:何のかんのと言い訳をしては、一向に納税に応じようとしない。]。

「何(いか)がせまし」

と思ひ𢌞(めぐら)して居たる程に、淸廉、守の許(もと)に來りぬ。

 守、謀るべき樣(やう)を案じて、侍(さぶらひ)の宿直壺屋(とのゐのつぼや)の極(いみ)じく全(また)くて[やぶちゃん注:塗籠(ぬりごめ)のように入口以外の三方が完全に壁で覆われていて、という謂いであろう。]、二間(ふたま)許(ばか)り有る所に、守(かみ)一人、入りて居(ゐ)ぬ。然(さ)て、

「彼の大藏の大夫、此に坐(いま)せ。忍びて聞(きこ)えぬべき事有り。」

と云はせたれば、淸廉、例(れい)は氣色氣(にくげ)に坐(いま)する守の[やぶちゃん注:「」=「忄」+「惡」。]、此く逶(なご)やかに宿直壺屋(とのゐのつぼや)に呼び入れ給へば、喜びを成して、垂布(たれぬの)を引き開けて、ゆくりも無く[やぶちゃん注:何の用心もせずに。]這ひ入りぬれば、後(しり)より侍出來きて、其の入りつる遣戸(やりど)をば引き立てつ。守は奧の方に居て、

「此に。」

と招けば、淸廉、畏まりつつ居ざり寄るに、守の云く、

「大和の任は漸(やうや)く畢(は)てぬ。只、今年許り也。其れに、何(いか)に官物の沙汰をば、今まで沙汰し遣らぬぞ。」

と。

「何(いか)に思ふ事ぞ。」

と。

 淸廉、

「其の事に候ふ。此の國一つの事にも候はず。山城・伊賀の事を沙汰仕り候ふ間に、何方(いづかた)にも沙汰仕り不遣(やら)ずして、事多く罷(まか)り成りにたれば、否仕(えつかまつ)り不遣ぬを、今年の秋、皆、成し畢(は)て候ひなむとす。異折(ことをり)にこそ、此(と)も彼(かく)も候はめ。殿の御任には何かでか愚かには候はむ。此(ここ)まで下り[やぶちゃん注:時が延引となってしまったこと。]申して候こそ、心の内には奇異(あさまし)く思ひ給へ候へば、今は何にても仰せに隨ひて、員(かず)のままに辨へ申してむと爲(す)る物をば、穴(あな)糸惜(いとを)し、千萬石也と云ふとも、未進(みしん)は罷り負ひなむや。年來(としごろ)、隨分の貯へ仕りたれば、此(かく)まで疑ひ思食(おぼしめ)して仰せ給ふこそ、口惜しく候へ。」

と云ひて、心の内には、

「此(こ)は何事云ふ貧窮(ひんく[やぶちゃん注:「乞食野郎」と言った罵倒語。])にか有らむ。屁をやはひり懸けぬ。返らむままに、伊賀の國の東大寺の庄(しやう)の内(うち)に入居(いりゐ)なむには、極(いみ)じからむ守(かみ)の主(ぬし)也(なり)とも、否や責め不給(たまは)ざらむ。何なる狛(こま[やぶちゃん注:「高麗」で異土。大和国の国情も知らぬ場違いの薄らボケ」とった感じらしい。])の者の、大和の國の官物をば辨へけるぞ。前(さき)にも天の分地の分に云ひ成して止(やみ)ぬる物を。此の主(ぬし)の、したり顏に、此く『慥かに取らむ』と宣ふ、嗚呼(をこ)の事也かし。大和の守に成り給ふにて、思(おぼ)えの程は見えぬ。可咲(をかし)き事也かし。」

と思へども、現(あらは)には極じく畏まりて、手を摺りつつ云ひ居たるを、守、

「盜人なる心にて、否(え)主(ぬし)此(か)く口淨(くちきよ)くな云ひそ。然(さ)りとも、返(かへ)りなば、使ひにも不會(あは)ずして、其の沙汰よも不爲(せ)じ。然れば、今日(けふ)、其の沙汰[やぶちゃん注:納税期限。]、切りてむと思ふ也。主、物(もの)成さずして、否不返(えかへ)らじ。」

と云へば、淸廉、

「我が君、罷(かま)り返りて、月(つき)の内(うち)に辨(わきま)へ切り候ひなむ。」

と云ふを、守、更に信ぜずして云く、

「主を見進(みたてまつり)て、既に年來に成りぬ。主も亦、輔公(すけきみ)を見て、久しく成りぬらむ。然(さ)れば、互ひに情無き事をば否不翔(えふるまは)ぬ也(なり)。然(さ)れども、只今、有心(うしむ)にて、此の辨(わきま)へ畢(は)てよ。」

と。淸廉、

「何(いか)でか此(かく)ては辨へ申し候はむ。罷り返りて、文書(もんじよ)に付けてこそは、沙汰し申し候はめ。」

と云ふ。其の時に、守、音(こえ)糸(いと)高く成りて、居上(ゐあが)りて、左右の腰をゆすり上(あげ)て、氣色、糸惡(あし)く成りて、

「主、然(さ)ば、今日不辨(わきまへ)じとや。今日、輔公(すけきみ)、主(ぬし)に會ひて、只、死なむと思ふ也[やぶちゃん注:刺し違えて死のうと覚悟しておる。]。更に命惜からず。」

と云ひて、

「男共(をのこども)や有る。」

と、聲高やかに呼ぶに、二音(ふたこゑ)許りに呼べども、淸廉、聊か動も不爲(せ)ずして、頰咲(ほほゑみ)て、只、守の顏を護(まぼ)りて居たり。

 而る間、侍、答へして出來たれば、守、

「其の儲(まうけ)たりつる物共[やぶちゃん注:それ、あの事前に準備していた例の物ども。]、取りて詣で來(こ)。」

と云へば、淸廉、此れを聞きて、

「我には否(え)恥は見せじ物を。何事を何(いか)にせむとて、此は云ふにか有らむ。」

と思ひ居たる程に、侍共、五六人許りが足音して來て、遣戸の外(と)にて、

「將(ゐ)て參りて候ふ。」

と云へば、守、其の遣戸を開けて、

「此(こ)ち入れよ。」

と云へば、遣戸を開くるを、淸廉、見遣れば、灰毛斑(はいげまだら)なる猫の、長(たけ)一尺餘り許りなるが、眼は赤くて琥珀(くはく)を磨き入れたる樣にて、大音(おほごゑ)を放ちて鳴く。只、同樣なる猫、五つ次(つづ)きて入る。其の時に淸廉、目より大きなる淚を落して、守に向ひて手を摺りて迷(まど)ふ。

 而る間、五つの猫、壺屋の内に離れ入りて、淸廉が袖を聞(か)ぎ、此の角(すみ)、彼(か)の角を走り行くに、淸廉、氣色、只替(ただかは)りに替りて、堪え難氣(がたげ)に思ひたる事、限り無し。守、此れを見るに、糸惜(いとほし)ければ、侍を呼び入れて、皆引き出ださせて、遣戸の許(もと)に繩を短くて繋がせつ。其の時に、五つの猫の鳴き合ひたる音(こゑ)、耳を響(ひび)かす。

 淸廉、汗水(あせみづ)に成りて、目を打ち叩きて、生たるにも非ぬ氣色にて有れば、守、

「然(さ)は、官物(くわんもつ)出ださじとや。何(い)かに。今日其の切りてむ。」

と云へば、淸廉、無下(むげ)に音(こゑ)替りて、篩々(ふるふる)ふ云く、

「只仰せ事に隨はむ。何(いか)にも命(いのち)の候はむぞ、後(のち)にも辨しても候べき。」

と。

 其の時に、守、侍を呼びて、

「然(さ)は、硯と紙と取りて持て來(こ)。」

と云へば、侍、取りて持て來たり。守、其れを淸廉に指し取らせて、

「成すべき物の員(かず)は、既に五百七十餘石也。其れを七十餘石は家に返て算(さん)を置きて、吉(よ)く計(かぞ)へて成すべき也。五百石に至りては、慥かに下文(くだしぶみ)を成せ。其の下文をば、伊賀の國の納所(なふしよ)に可成(なすべ)きに非ず。此く許りの心にては、虛下文(そらくだしぶみ)もぞ爲(す)る。然れば、大和の國の宇陀の郡の家に有る稻・米を下すべき也。其の下文を書かずば、亦、有つる樣に、猫を放ち入れて、輔公(すけきみ)は出でなむ。然(さ)て、壺屋の遣戸を外(と)より封結(ふうじむすび)に籠めて出でなむ。」

と云へば、淸廉、

「只、我が君、我が君、然(さ)ては淸廉は暫くも生きては候ひなむや。」

と云ひて、手を摺りて、宇陀の郡の家に有る稻・米・籾三種の物を、五百が方(かた)に下文を書きて、守に取らせつ。

 其の時に、守、下文を取りつれば、淸廉をば、出だしつ。下文をば、郎等(らうだう)に持たせて、淸廉を具して、宇陀の郡の家に遣して、下文のままに悉く下(くださ)せて、慥かになむ取りてける。

 然れば、

「淸廉が猫に恐(おづ)るを、嗚呼(をこ)の事と見つれども、大和の守輔公の朝臣の爲には、極(きは)めたる要事(えうじ)にてなむ有ける。」

とぞ、其の時の人、云繚(いひあつかひ)て[やぶちゃん注:取り沙汰して。]、世、擧げて咲合(わらひあ)へり、となむ語り傳へたるとや。

   *

「ばい」「ぱい」と同じく、物を投げ捨てるの意の幼児語。

「兒童などを愛するとて、其兒の困り嫌ふ事をなして、其有さまを興(きやう)じ樂しむ人有(あり)。愼むべき事也。……以下、想山が非常に細部までよく描写しながら、児童心理及び大人の無意識的なハラスメント心理を分析、それが児童の健全な精神成長をも阻害することになるとする、非常に驚くべき明晰で鋭い主張を行っている点に着目したい。

 なお、次の一段落はポイント落ちになっている。これは挿入した挿絵のキャプションである。画像のそれは総ルビであるが、以下のように底本では二箇所にしかルビはない。]

 

Nekogiraikiyokado

 

昔大藏(おほくら)の大夫(たいふ)藤原の淸廉(きよかど)といふ者、至(いたつ)て猫を恐れけり。世の人、猫恐れの大夫とぞ名付たり。此淸廉、山城大和伊賀三箇(が)國に田を多く作(つくり)て器量(いかめし)き德人(とくじん)にて有(ある)に、藤原の輔忠朝臣(あそん)大和の守にてある時に、其國の官物(くはんもつ)を催促すれども、兎(と)や角(かう)いふて淸廉出(いだ)さゞるまゝ、灰毛斑(はいげまだら)なる猫の大いなる分(ぶん)五つまで其所(そのところ)へ入(いる)ると、淸廉目より大いなる淚を落して迷ふを、五つの猫淸廉が袖をかぎ爰の角(すみ)彼所(かしこ)の角を走り行(ゆく)に、淸廉氣色(けしき)替りて堪兼(たへかね)る故、先(まづ)猫を退(しりぞけ)らるれば五つの猫鳴合(なきあふ)音(こゑ)、耳を響(ひび)かす、淸廉汗水(あせみづ)に成(なる)ゆゑ、やがて其産(その)に座にて大和の國宇陀(うだ)の郡こほり)の家(いへ)にある稻米(たうまい)の下書(くだしぶみ)を寄せて官物を出(いだ)させし事、今昔物語りにあり。

 

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