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2017/03/07

柴田宵曲 妖異博物館 「風穴」

 

 風穴

 

 飛驒と越中の境の山に風穴といふのがある。廣さ七間ほどで石を穴の中に投げ込むと、そこから風を吹き出す。石の大小によつて風の吹き方も連ふが、風が吹き出せば每日やまず、國中吹き荒れることになる。米價の高きを競ふ射利の徒は、秋米の最中に、この山へ行つて石を投げ込み、風を吹かせて收穫の妨げをなす風があつた。そこで秋になると領主から役人を大勢出し、山の下を固めるやうにしたので、この弊風はなくなつた(譚海)。

[やぶちゃん注:これは幸いにして電子化注を終えてある「譚海 卷之二 越中風俗の事」である。

「射利」(しやり(しゃり))は手段を選ばず、悪辣にでも利益を得んとすること。]

 美作の津山の傍にも石山があつて、こゝにも風穴がある。常に石で口を塞いであるが、穴のあたりはいつも風が吹いてゐる。蓋の隙から小さな石を投げ入れても、激しい風が吹き出す。萬一蓋をあけるやうなことがあれば、木を折り家を倒す暴風になると云はれてゐる。奧州の信夫山の上に羽黑權現の堂があるが、その床下に小さな穴があつて、この穴からも常に風が吹き出してゐる(寓意草)。

[やぶちゃん注:以上は「寓意草」の「下」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここ(左下)で視認出来る。]

 以上二書の記すところは大同小異であるが、橘南谿が「西遊記」に取上げた「飯野の風穴」になると、頗る異色がある。飯野は日向霧嶋山の西北に當るところで、大きな穴から時々風を吹き出す。或時那須大右衞門といふ武士が、飼ひ馴れた犬を連れて狩に出て、殊にすぐれて大きな鹿を狩り出したが、その走ること甚だ疾く、とある山際に至つて、鹿も犬も共に見えなくなつた。聲の限り呼んでも犬は歸らず、日が暮れてしまつた。年久しく飼つた寵愛の犬であるから、明日再び飯野へ行つて尋ねたが、やはり少しもわからぬ。この廣い野原で見失ふ筈がない、不審なのはこの風穴の中である。鹿の逃げ込んだのを追つて、犬も飛び入つたものであらうと考へた大右衞門は、急ぎ家に歸つて穴に入るべき用意をした。妻子も朋友も、その危險を説いて切に止めたが、大右衞門は更に聞き入れない。皆に暇乞ひをして風穴に出かけたので、一同已むを得ずついて行つた。大右衞門は腰に細引の綱を付け、覺えのある一刀をさし、左の手に松明を持つて、遂に穴の中へ入つた。もし下から綱を引いたら、直ぐ上へ引上げて貰ひたいと約束すること、志度の海士(あま)と同じである。穴の中は眞直に下るところもあり、斜めになつてゐるところもあるが、だんだん下つて行くうちに、地面が軟かで綿のやうなところに出た。松明で照して見ると、落ち込んだ木の葉が多年の間に積つたものとわかつた。そこから穴は少し狹くなつて、左右に分れてゐる。何方へ行かうかと地に耳を付けて聞くのに、左の穴の底から微かに犬の聲が聞えるやうである。左の穴に入れば、入るに從つて犬の聲が慥かになり、遂に大右衞門の裾に飛び付いた。それから先は暫く平らになつて、向うに大きな河が流れてゐる。怪しき者あらば出で來れ、と聲高に罵つて見たが、何も答へる者はない。犬を抱き上げて、もとの道を引返し、漸く二叉に分れたところまで辿り著いた。こゝで下げて置いた綱に犬を縛り、下から引き動かしたから、待ち設けた上の人々は、急いで綱を手操り、先づ犬を引き上げた。犬が無事である以上、大右衞門も恙なしと知つて、再び綱を下ろす。犬は主人の上を氣遣つて、また穴の中へ飛び込まうとするのを、繩に持つて待つうちに、大右衞門は綱を自分の腰にからめ、下から動かして、事なく上に戾ることが出來た。鹿の行方はわからぬが、多分この穴が住所なので逃げ込み、犬はあとから追つて入つたものであらう。大河より奧へは犬も行かれぬため、中途に殘されたものらしい、といふことになつてゐる。

[やぶちゃん注:以上は「西遊記」の「卷之二」の「二 飯野(いひの)の風穴(かざあな)」。例の気持ち悪い東洋文庫版で示す。挿絵もあるがつまらんのでカットした。読みは一部に留めた。因みに、私、この話、少しも異色とは思わぬのだが?

   *

 日向国霧島山の西北の方に飯野という所あり。ここに大なる穴有りて、時々風を吹出だす。昔より其奥を知るものなし。ある年、那須大右衛門という武士、飼なれし犬を引つれて狩に出でしが、ふと殊にすぐれて大なる鹿一つを狩り出だし退かけしに、其走(は)する事風の如くすみやかにして、逸物の猟犬なりしかど追付けかねて見えしが、とある山ぎわにいたり、鹿犬ともに見うしない、いかに尋れどもさらに見えず。声のかぎり犬を呼びしかど、ついにかえり来たらず。大右衛門大いに怪しみ、日暮るるまで草をわけてたずねさがせしかど、たずね得ずしてむなしく家に帰りぬ。年久敷(としひさしく)飼置きし寵愛の犬なれば、行方(ゆくえ)しれずとて扨(さて)置くべきにもあらず。殊に又、大右衛門こそ鹿に犬をとられしと人に指さされんも口おしきわざなりとおもいめぐらすに、その夜もいね得ず、明日をおそしと再び飯野にいたりて又たずね求むれども、いずくをそれというべきたよりもなければ、只茫然としてあきれ居たりしが、つくづくとおもえば、此見渡し広き野原にて見うしなうべきようやあらん、只いぶかしきは此風穴の中なり。鹿の逃入りしにしたがいて、我犬も追い入りしならん。さあらばいかなるあやしき事かありて、我犬の害にあいしもはかり難し。いで此穴に入りて実否を見とどけんものをと思い、いそぎ家に帰り、繩よ、松明(たいまつ)よと、しきりに穴に入るべき用意をなす。妻子朋友此体(てい)を見て、大いに驚き、「むかしより底のしれざる彼(かの)風穴、いかなる変事あらんもはかりがたし。纔かに壱疋の犬のために此身を軽んずる事ひが事なり」と、口々に諫め、妻子などは泣沈みて留めしかど、大右衛門さらに聞入れず、皆々にいとまごいをなして、彼風穴におもむきぬ。ぜひなくも皆々従い行きぬ。

 大右衛門は腰に細引の綱を付け、覚ある壱腰(こし)を帯(たい)し、左の手に松明をともして、「もし穴め底より此綱を引かば、急に上に引あぐべし」と約束して、ついに穴の中にぞ入りにける。すぐさまに下る所も有り、又斜に行く所も有りて、やや深く下る程に、地やわらかにて綿のごとく平なる所にいたり付きぬ。松明を以てこれを見れば、木葉落入りて年久敷(ひさし)なり、朽(くち)たるが積りてかくやわらかなるなりけり。此所より奥は、穴少し細く成りて、左右にわかれたり。いずれの方にか入るべきと、地に耳を付けて聞き試むるに左の方の穴の底と聞こえて、かすかに犬の鳴くように聞こゆ。さらばとて左の穴に入る。其深き事限りなし。漸々(ぜんぜん)に入るにしたがいて、犬の声たしかに聞こゆるにぞ、悦びいさみていそぎ下る程に、其犬大右衛門が踞(すそ)に飛付きけり。是我主人の来たるを知りて、力を得て悦べるなり。其所に落付きて見るに、我犬は恙なし。其地しばらく平にして、向うには大河流れり。「怪敷(あやしき)ものあらば出来(いでき)たれ」と怒りののしりしかど、答うるものも無ければ、久敷居るにもあらずとて、犬を抱きようように匐(は)いのばる。千辛万苦して、ようようもとの二道にわかれたる木葉(このは)ふりしきし所まで帰り上りぬ。此所よりは道急にしてのぼりがたければ、下げ置きし綱に犬をからめ付けて、其綱を下より引動かせしかば、上には待もうけたる事なれば、いそぎ手(て)ん手(で)に綱をたぐりあげしに、犬ばかりを引あげたり。驚きあやしめど、此犬かく上り来るからは、大右衛門も恙なしとさとりて、又綱を下しやりぬ。今あげたりし犬又しきりに穴に飛入らんとするを、人人繩もてきびしくからめ付けて入れず。此犬主人のいまだ上り来たらざるを以て、気遣いて又穴の内に入らんとせし也。大右衛門も綱の下り来るを見て、みずから腰をからみて引動かせしに、人々悦びいそぎ引あげて、再び死せるもののよみがえれる心地して、恙なかりしを悦(よろこび)あえり。鹿の行末はついにしれず。うたがうらくは、此穴の内、住所なれば逃入りしを、犬の追い入りしにや。大河より奥は犬も翼(つばさ)なければいたり得ずして残れりと見えたり。犬よくものいわば、其時のようすもしるべきにと、人々おしみあえり。すべて薩州領の人はかくのごとく生死をかえり見ず勇猛の気諸国に勝れたり。

   *]

 この種の探檢で最も人に知られたのは、仁田四郎忠常の富士の人穴であらう。松明の火に恐れて、無數の蝙蝠が飛んで行く手を遮つたり、小さな蛇が足に纏ひ付いたりする。だんだん進むと大きな河があつて、流れは矢の如く、水は極寒の氷の如くであつた。忠常もこゝで引返すのであるが、飯野の風穴の記事をこれに結び付けて考へる必要もあるまい。この話を題材にした「富士の人穴草子」は、はじめ和田平太なる者、源賴家に命ぜられて人穴の中に入り、魔風のために吹き出されて逃げ歸つたので、仁田四郎が代つてこれに赴く趣向になつてゐる。

[やぶちゃん注:以上については、私の電子化注北條九代記 伊東崎大洞 竝 仁田四郎富士入穴に入るを参照されたい。なお、「お伽草子」の「富士の人穴草子」は菊池真一氏の入力されたこちらで全文が読める(新字)。]

「諸國里人談」に「風穴は諸國に多し」と云ひ、和泉の牛瀧山、甲斐の身延山などの例を擧げた。身延の風穴は信州の諏訪へ通り拔けると云はれてゐるさうである。同じ書にある信州安曇郡の水神の社の下の穴は、梓川の分れが流れ込んでゐるが、近世強氣の者あつて水涸れの時を待ち、炬火を持つてこの穴に入り、三町ばかり行つたところ、腥い風が頻りに吹くので、怯氣(おぢけ)がついて歸つて來た。これを風穴でなしに龍穴と書いてゐるのは、脛い風と關連するのであらう。その風に恐れて歸るあたりは、富士の人穴の話と共通するものがある。

[やぶちゃん注:「炬火」「きよくわ(きょか)」。或いは「たいまつ」と当て読みしている。

「三町」三百二十七メートル。

 「諸國里人談」には「卷之三」に「風穴」で二条続けて出る。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。

   *

   ○風穴

泉州和泉郡牛瀧山に岩窟あり。深さ量なし。常に烈風あり。よつて風穴と號す。當山は役行者の草創なり。弘法大師惠亮和尚の經歷する所なり。大威德寺といふ。大瀧三つあり。一の瀧(二丈)二の瀧(十丈)三の瀧(四丈)

叡山の惠亮和尚、此山にて大威德の法を修せられし時、大威德尊、三の瀧より出現ありしとなり。其乘たる所の牛、石に成て伏せるがごとし。其長四丈、よつて牛瀧と云、又風穴は諸國に多し。

   ○風穴

甲斐國身延山むかしは蓑父と書たり。日蓮上人開基の後、身延と改む。當山は新羅三郎四代の孫南部六郎實長の領地なり。板野御牧波木井三郎の領主にて波木井殿と稱す。上人に歸依し、當山を靈場とせり。其むかし西行法師、爰に來り、

   雨しの蓑父の里の垣しはしすだちぞ初るうぐひすの聲

此谷をうぐひす谷といふ。此所より初音しそめて、諸方の谷の鶯鳴くとなり。題目堂のあなたに風穴あり。これより吹風尖にして、極熱にも爰に至れば肌、劒をつらぬくごとし。此穴は信州諏訪へ通りぬけたりと云り。いかなるゆへか。諏訪の神體、當山の寶物にあり。七面山は夫より上る事三里、巓に大きなる池あり。その形、曲龍のごとし。底より涌く淸泉なり。其水の落るは春氣瀧と云。百丈の白布をさらせり。これは天竺無熱池の水末なりといへり。此池に七ふしぎあり。くはしき事は身延鑑にゆづりて爰に省。

   *]

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