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2017/03/11

「想山著聞奇集 卷の壹」 「蛸藥師靈驗の事」

 

 蛸(たこ)藥師靈驗(れいげん)の事

 

 市谷(いちがや)谷町自證院【東叡山院家(ゐんげ)】の先住念阿院は、隱居して後、その弟子の住職なし居(をり)たる高輪(たかなわ)庚申堂常照寺へ同居して、病を療し居られけり。此念阿院の小性(こしやう)に山田忠三郎と云ふあり。今年【天保九年[やぶちゃん注:一八三八年。]】十三歳なりしが、去(さる)酉年[やぶちゃん注:前年天保八年丁酉(きのととり)。]の冬より、不圖(ふと)、手足に疣(いぼ)出來たり。段々出来增(まさ)りて六月に至り、凡(およそ)、手足に大小百餘出來、大成(だいなる)は豆粒よりも大きく、小指の頭程の分(ぶん)も多く出來て、甚(はなはだ)見苦敷(くるしく)なりける故、念阿院のすゝめらるゝには、目黑の蛸藥師は靈驗あらたにて、別(べつし)て疣の事は祈るに驗(しる)しありと聞(きき)及べり。此佛(ほとけ)へ平癒の誓願を籠め、其替り、蛸を生涯たち物(もの)となし、癒(いゆ)る迄、日々藥師の眞言を纔(わづか)一日に廿度づゝ唱(となへ)奉るべしとて、六月十八日に蛸藥師へ蛸の形を畫(かき)たる小き繪馬を納め、祈願なし來り、日々眞言を廿遍づゝ唱へ念じけるに、不思議や朝日に霜の消(きゆ)るごとく、廿一日廿二日に至りては餘程癒懸(いえかか)りしぞ有難き。爰(ここ)に別て不思議なる事は、廿二日よりは閙(いそがは)しき事出來て、甚だ取込居(とりこみをり)、同日と翌廿三日と二日まで怠りて、彼(かの)廿遍の眞言をも唱へずして忘れ居(ゐ)たるに、廿四日に至りて癒懸りし疣、忽ち元のごとく、盛(さかん)に成(なり)たり。依(よつ)て是はと心付(こころづき)、恐入(おそれいり)て急ぎ眞言をも唱へ、藥師佛をも拜すれども、最早、少しも癒ざる故、又、念阿院、世話やかれて、七月の十一日に再度藥師へ參詣なし、繪馬をも捧げ、懺悔(さんげ)をさせ、此度(このたび)は過怠(かたい[やぶちゃん注:過ちをしたその償いの意。])に眞言の數を增(まし)、日々二百遍づゝ唱させらるゝに、又、速(すみやか)に靈應有(あり)て、疣頻りに痒(かゆ)く、初(はじめ)の程は疣の頭白く堅まりて、頭の方より減ずる分出來(しゆつたい)せしに、其内に、十八日比(ころ)よりは、疱瘡(はうさう[やぶちゃん注:天然痘。])のかせるごとく、ころころと根より落出(おちいで)してよく成(なり)、廿二日二二日比に至りては、一つも殘らず平癒なしたり。依て八月廿七日に又、繪馬をあげ、御禮に參詣いたせしとぞ。惣(すべ)て神佛の靈驗の新(あらた)なる事は爭はれぬ事ながら、其中にもこは現顯(げんけん)なりとて、念阿院、具(つぶさ)に咄され、又、忠三郎も酒の酌に出、席上に侍して在(あり)しかば、當人よりもよく聞訂(ききただ)して記しぬ。此藥師佛は慈覺大師の作と云傳へて、天台宗の成就院と云(いふ)に安置せり。又、予が知己に、高輪に藤村智山と云(いふ)醫師あり。前の咄を聞(きき)ていへるは、先年、四谷の鹽町(しほちよう)一丁目に住居せし時、同町に大工の某と云者有(あり)て、疣夥敷(おびただしく)出來て難儀なりしかば、人も勸め己(おのれ)も困りて、是も目黑の蛸藥師へ、蛸を一生斷(たち)ものにして願(ぐわん)をかけ、不日(ふじつ[やぶちゃん注:日を経ずして。直ぐに。])にして悉く癒(いえ)たり。然るに、夫(それ)より半年程も過(すぎ)て、大勢寄合(よりあひ)たる所にて蛸を食(くふ)故、友達共の中には、手前は【其方と云事也】先頃、疣の出來たるとき、困りて蛸藥師へ願を懸(かけ)、蛸は一生斷物(たちもの)となしたるにてはなきやと咎むれば、大工答(こたへ)て云ふ。蛸にてはなく、蜘(くも)を斷物となしたり。蛸は食(くは)ずに居(をり)ては不自由故、蛸も蜘も足は八本有(あり)て同じ事ゆゑ、蜘と取替たり。其替り、蜘は生涯食まじと云故、卑賤のものながらも利益(りやく)を忘るゝのみならず、無法の荒言(くわうげん[やぶちゃん注:無責任にとんでもないことを言い散らすこと。広言。]を吐散(はきちら)す故、其席に居合せたる者共も、皆々興を醒(さま)して憎く思ひたりと。夫より疣忽ち元の如くに出來(でき)、返りて難儀をなせども、氣の毒に思ふ者もなく、人々擧(あげ)て、藥師の卽(すなはち)罰なる事を恐(おそれ)て、指ざし笑ひぬと。其後、右の大工は如何せしにや。夫より智山は右の町内を轉宅せし故、跡の事は辨へずとの事なり。毎々申置(まうしおく)事ながら、兎角惡敷(あしき)事や無法成(なる)事は、戲れにも云(いふ)ものにあらず。ならびに、人の不義不法の事をなす席には、居合(ゐあは)ぬやうになし、別(べつし)て見物抔(など)せぬがよきは勿論の事なり。童蒙の人々、能(よく)心得置(おき)給へ。扨、此咄を聞(きき)て、或人いふ。牛込原町の木挽(こびき)源兵衞と云(いふ)者の抱(かかへ)の者の咄に、大坂にての事なるが、此木挽仲間の者、難病を受(うけ)て、病氣平癒を神へ祈るとて、石を斷物(たちもの)にして立願(ぐわんたて)せしとなり。是は、石は喰(くふ)べきものに非ざれば、斷物にしても不自由なきなりとの了簡(りやうけん)にて、不埒(ふらち)至極の立願ながら、夫(それ)にても神は納受(なふじゆ)ましませし歟(か)。忽ち病苦は全快せしとなり。然るに間もなく、飯の中に小石のありて、がぢりと嚙當(かみあて)、さては石なりと思ひつれど、はや飯と共に喉に入(いり)たり。態々(わざわ)喰(くひ)たるにあらざれば、神の咎めも輕(かろ)かるべき道理なるに、忽ち難病再發して、遂に全快なく、身まかりしとなり。是は文政年間[やぶちゃん注:一八一八年から一八三〇年。]の事成(なり)しが、其者の名前も篤(とく)と聞訂(ききただ)し置(おき)たるに、今は忘れて殘(なご)り多き事なりと云へり。又、此話を聞て何某の云(いはく)。本所邊の或人、金毘羅大權現に祈る事有(あり)て、利益(りやく)を蒙(かうむ)らむ爲に、生涯鰻魚(うなぎ)を斷つべしと誓へり。尤(のちとも)、感應有(あり)て後、年月も立(たち)て、餘儀なき方へ客に行(ゆき)て、鰻を振舞(ふるまは)れたり。其時、斷物(たちもの)なる由を以(もつて)斷(ことは)れども、主人のすゝめ默止難(もだしがた)くして、然らば、外の物を斷(たた)んとて、卽座に手洗口漱(うがひ)して、金毘羅尊(そん)に祈念して、先には鰻を斷物となせしが、今、默止難き事に及びしまゝ、斷物を鰯(いわし)にかへ下さるべし。宜しく納受なさせ給へと、懇(ねんごろ)に祈念なし置(おき)たり。其故にや、何の障りもなかりしを、又、或方にて鰯を振舞れたるに、今度も斷物なるよしにて斷れば、鰯を斷つといふ事は有(ある)物かは、外のものに斷替(たちがへ)申(まうす)べしと主人の勸(すすむ)る故、然らば日本になき物に斷(たち)かへんとて、又、金毘羅尊に餘儀なき譯を前の如く祈念して、今度は虎を斷物にいたさんと誓へり。其後、いく程もなく、或所にゆきて、何心なく煎餅をくひけるに、惣(すべ)ての齒、めりくと悉く拔落(ぬけおち)たり。餘り不思議に思ふて、能(よく)見れば、煎餅の模樣に十二支を燒付たるが、其虎の煎餅を喰ひたるによりての事なりと。何れも全く同じ樣なる神罰なり。憐べきは勿論の事也。

[やぶちゃん注:断ち物替えとなる後半は怪奇談というよりは落語である。それに反して、山田忠三郎の疣の症状は激しく、描写もリアルである。症状から見ても、これはウイルス性疣贅(ゆうぜい)、パピローマ(乳頭腫)と呼ばれる疣(いぼ)を形成する環状二本鎖DNAウイルスであるヒトパピローマウイルス(Human papillomavirusHPV)による感染症による疣と思われる。

「蛸藥師」現在も東京都目黒区下目黒三丁目にある天台宗不老山薬師寺成就院、通称「蛸薬師」。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「蛸薬師」によれば、『東京目黒区の蛸薬師は成就院の本尊とされ、慈覚大師(円仁)が自身の眼病平癒のために作ったものに由来すると伝えられている』。『慈覚大師が唐から帰朝の折に暴風雨に遭い、その際に先の像を海に投じて祈ったところ、無事帰り着くことが叶ったという』。その後、『諸国巡礼の際に肥前松浦で投じた薬師像が蛸に乗って顕現し、小像は慈覚大師の手元に戻ることとなった』。『目黒で疫病が流行した際に、この小僧を胎内仏として製作した薬師如来が現在の成就院蛸薬師となっている』という。『成就院蛸薬師の効能について、井上喜平治『蛸の国』では蛸を断食して祈ることで吹き出物・疣が治癒すると紹介されて』おり、『こうした話は松平定信の『花月草紙』にも紹介されており、民間伝承として広く信仰されていたことが伺える』とある。ウィキの嫌いなアカデミストのために「たこ薬師成就院オフィシャルサイト」もリンクしておく。

「市谷谷町(いちがやたにまち)」現在の東京都新宿区住吉町(すみよしちょう)。ウィキの「住吉町(新宿区)」によれば、昭和二七(一九五二)年までは、隣の市谷台町(だいまち)に『対して「市谷谷町」と称していた地域であるが、漢字にすると谷が続き誤記されやすいなどの理由で変更され「住みよい町に」という願いから住吉町になったと言われている』とある。

「自證院」新宿区富久町にある天台宗鎮護山自證院圓融寺のことであろう。

「東叡山」天台宗関東総本山東叡山寛永寺のこと。

「院家」皇族及び貴族身分出身の僧侶が居住する寺のこと。

「高輪(たかなわ)庚申堂常照寺」現在の東京都港区高輪にある高輪神社付近かつてあった天台宗旭曜山常照寺。かのおぞましい廃仏毀釈で廃寺となった。

「小性(こしやう)」貴人や僧侶の近くで召し使われて種々の雑用を受け持った出家していない若者。多くは男色の対象であった。

「四谷の鹽町」現在の東京都新宿区本塩町(ほんしおちょう)附近。(グーグル・マップ・データ)。

「手前は【其方と云事也】」こういう割注を三好が附けているということは、当時の尾張では庶民も武士もこのような二人称を用いなかったことが判る

「卽(すなはち)罰なる事」「卽罰」で一熟語の可能性もあるが、庶民の使う言葉ではないので、かく読んだ。

「牛込原町」現在の東京都新宿区原町(はらまち)。(グーグル・マップ・データ)。

「木挽」木材を大鋸(おが)でひき切るのを職とする者。これは姓ではない。

「立願(ぐわんたて)」「りつぐわん」では生硬であるのでかく当て訓した。

「本所邊の或人、金毘羅大權現に祈る事有て」後の展開から、本所から近い位置に金比羅様がなくてはならない。東京都港区虎ノ門一丁目にある金刀比羅宮(ことひらぐう)か。(グーグル・マップ・データ)。ここなら本所から直線で六キロ圏内にあって、その日のうちに参ることは可能である(客になった出先が本所の西ならばもっと楽にいってさっと帰ってこれる。その可能性はまた充分高いと考えてよいように思う)。]

 

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