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2017/03/11

「想山著聞奇集 卷の壹」 「天狗の怪妙、幷狗賓餅の事」

 

  天狗の怪妙、狗賓餅の事

 

Tengunokaimyou

 

 天狗の奇怪妙變は、衆人の知恐るゝ事にて、人智の量(はか)るべきにあらねども、その種類も樣々有(ある)事としられ、國所(くにところ)によりては、所業(なすわざ)も又、色々替りたるかと思はる。爰に北美濃郡上(ぐじやう)郡・武儀(むげ)郡、東美濃賀茂(かも)郡・惠那(ゑな)郡邊(あたり)の天狗は、其所業(なすわざ)、一條ならずといへども、大概、同樣の怪をなすなり。先(まづ)、山の木を伐(きる)時に、初(はじめ)て斧を入(いる)る節は狗賓餅(ぐひんもち)と云(いふ)を持(もち)て山神(やまのかみ)に供へ、人々も祝ひ食(くひ)てのち木を伐(きる)也。然らざれば、種々の怪ありて、中々木を伐事、成(なり)難し。長く所々木を伐𢌞(きりまは)る山などは、折々狗賓餅をして、齋(ものい)み仕直(しなほ)さねば、怪有(あり)て、木を伐事ならぬと也。扨、其怪、種々にて一樣ならざれども、多くは杣道具(そまだうぐ)をとり、又、遣ひ居る斧の頭を拔取(ぬきとり)、或は山上より大木大石(だいじやく)を落す音をさせ、甚敷(はなはだしき)時は、山をも崩し巖(いはほ)をも拔(ぬく)の勢(いきほひ)を爲故(なすゆゑ)、小怪の内に甚(はなはだ)恐れをなし、直(ぢき)に狗賓餅をして神を祭り、厚く詫(わび)を乞(こひ)て木を伐る事也。或時、濃州武儀郡志津野(しつの)村の【中山道鵜沼(うぬま)宿より三里許(ばかり)北の方】村續きの平山(ひらやま)を伐(きり)たり。是は山と云(いふ)程の所にもなく、殊に古(ふるき)樹の覆ひ繁りたる森林(もりはやし)にもなく、村續きの小松林の平山にて、中々天狗など住(すむ)べき所とは、誰人(たれびと)も思はざるゆゑ、かの狗賓餅をもせずして、木を伐るとて、杣ども寄合(よりあひ)て伐初(きりはじむ)ると、皆、振上(ふりあぐ)る斧の頭(かしら)をとられたり。それ天狗出たりとて、道具を見れば、悉く失せたり。是(これ)にては、中々けふは仕事ならず、いざ狗賓餅をなすべしとて、おのが家々に歸(かへ)り、支度して餅を拵へ、山神を祭りて詫をなし、やがて道具を得て、翌日より無事に木を伐たりと。一年(ひとゝし)此村のよし松と云ものを、予が下男となして聞(きき)しる所也。木を伐居(きりをり)たるとき、斧を振上(ふりあげ)て木へ打付(うちつく)る間(あひだ)に、聊(ささか)も手ごたへなくして、頭(かしら)なくなり、柄(え)斗(ばかり)となるを知ずして、木へ打付て後、始て頭をとられし事をしるなり。不思議と云(いふ)も餘り有る事也。其時は、杣道具も、いつの間にか取れて失(うせ)ぬるなり。しかれども、狗賓餅をしてわびぬれば、失(うせ)たる道具も、いつとなく、元の所へ戾し置(おく)ことなりとぞ。其邊にては、か樣の怪異も常の事故(ゆゑ)、さして不審とはせざれども、餘國の人の見聞く時は奇怪なる事也。

[やぶちゃん注:以下の一段落分は底本では全体が二字下げ。]

狗賓餅を行ふ時は、先村内(むらうち)にふれて、けふは狗賓餅をするに來れといへば、老少男女(なんによ)大勢山に集りて、さて飯を強(こは)く焚き、それを握り飯となして串に貫き、能(よく)燒(やき)て味噌を附け、先(まづ)初穗を五つ六つ木の葉などに盛り、淸き所に供へ置(おき)て、其後各(おのおの)心の儘に飽(あく)まで喰(くら)ひぬる事となり。甚だ旨(うま)き物なれど、此餅を拵(こしらふ)ると天狗集り來るとて、村内の家屋にては一切拵へざると也。同國苗木(なへぎ)邊(あたり)にては是を山小屋餅と云(いひ)て大燒飯(おほやきめし)となす也。又、小(ちいさ)くも拵(こしらへ)て串に貫き燒たるをごへい餅と云(いへ)り。【御幣餅の意か辨(わきま)へずと云(いへ)り】國所(くにところ)によりて、製(せい)し方も名付(なづけ)方も變るべし。是(これ)古(いにしへ)に云(いふ)粢餅(しとぎ)の事(こと)にて、今も江戸近在の山方(やまがた)にては粢餅(しとぎ)と云ふとぞ。

 又文政七八年の事なるが、苗木領の二ツ森【城下より西北二里程の所】の木を伐出(きりいだ)す迚(とて)、十月七日に山入(やまいり)してごへい餅を拵(こしらへ)しが、山神へ供(そなふ)る事を忘れて皆々食盡(くひつく)したり。さて夜(よ)に入(い)ると大木を伐懸(きりかか)る音して一山(いつさん)荒出(あれいだ)せし故、漸(やつ)と心附(こころづき)、早々餅を拵(こしらへ)、詫入(わびいり)て無事にて濟(すみ)たる事あり。夫より以來は右邊にては、わけて意(こゝろ)を込(こめ)て大切に供る事と、苗木侯の山奉行何某の咄なり。

 又、越後の國蒲原(かんばら)郡・磐船(いはふね)郡の杣人(そまびと)に聞(きく)に、山に入(いり)て木を伐る時、其一枝を折(をり)、異(こと)なる所に差(さし)て、是を祭らざれば、大木などには、殊に其(その)祟(たたり)有(ある)由なり。又、越後の國・出羽の國などにては、杣人にても狩人(かりうど)にても、山に入(いる)時は、鮝魚(をこぜ)と云(いふ)魚を懷中して入(いる)なり。大木を伐(きる)に難儀なる時、是を供(そなふ)れば、難なく安く伐得(きりう)。又、狩人も終日(ひねもす)狩(かり)て得物なき時は、山の神へ祈請して、鮝魚(をこぜ)の頭(かしら)を少し見せかけて、獸を得せしめ給ふて、感應あらせ給はゞ、全形を見せ參らせんと祈る也。しかする時は、速かに感應有(ある)事とぞ。されども、中々輙(たやすく)は行はぬことにて、其究(きはむる)る時ならざれば、感應もなしと云(いへ)り。

[やぶちゃん注:本条は既に私の柴田宵曲 妖異博物館 「天狗と杣」で電子化注をしているが、今回、本文を改めて再校正し、読みや注もオリジナルに増加させてある。

「郡上郡」現在の岐阜県郡上(ぐじょう)市の大部分と下呂市の一部に相当する旧郡。

「武儀(むげ)郡」ルビはママ。通常は「むぎぐん」と読む。原典か、底本の誤りかと思われる(底本にはママ注記はない)旧美濃国及び岐阜県にあった旧郡名。現在の美濃市全域と、関市と加茂郡七宗町の大部分・山県市の一部・下呂市の一部・加茂郡白川町の一部に相当する。因みに加茂郡七宗町は私の妻の父の実家であり、私は二度訪ねたことがある。「賀茂郡」岐阜県加茂郡は現存するが、旧郡域は現在より遙かに広域で旧武儀郡の東方に接していた。

「惠那郡」旧郡。現在の岐阜県恵那(えな)市と中津川市の大部分と瑞浪(みずなみ)市の一部に加え、愛知県豊田市の一部も含まれていた。

「狗賓餠(ぐひんもち)」「狗賓」とは天狗の一種の個別呼称である。ウィキの「狗賓」によれば、『狼の姿をしており、犬の口を持つとされ』た天狗の一種とし、一般的には『著名な霊山を拠点とする大天狗や小天狗に対し、狗賓は日本全国各地の名もない山奥に棲むといわれる。また大天狗や烏天狗が修験道や密教などの仏教的な性格を持つのに対し、狗賓は山岳信仰の土俗的な神に近い。天狗としての地位は最下位だが、それだけに人間の生活にとって身近な存在であり、特に山仕事をする人々は、山で木を切ったりするために狗賓と密接に交流し、狗賓の信頼を受けることが最も重要とされていた』。『狗賓は山の神の使者ともいえ、人間に山への畏怖感を与えることが第一の仕事とも考えられている。山の中で木の切り倒される音が響く怪異・天狗倒しは狗賓倒しとも呼ばれるほか、天狗笑い、天狗礫、天狗火なども狗賓の仕業といわれる。このように、山仕事をする人々の身近な存在のはずの狗賓が怪異を起こすのは、人々が自然との共存と山の神との信頼関係を続けるようにとの一種の警告といわれているが、あくまで警告のみであるため、狗賓が人間に直接的な危害を加える話は少なく、人間を地獄へ落とすような強い力も狗賓にはない』。『しかし人間にとって身近といっても、異質な存在であることは変わりなく、度が過ぎた自然破壊などで狗賓の怒りを買うと人間たちに災いを振りかかる結果になると信じられており、そうした怒りを鎮めるために岐阜県や長野県で山の神に餅を供える狗賓餅など、日本各地で天狗・狗賓に関する祭りを見ることができる』。『また、愛知県、岡山県、香川県琴平地方では、一般的な天狗の呼称として狗賓の名が用いられている』。『ちなみに広島県西部では、他の土地での低級な扱いと異なり、狗賓は天狗の中で最も位の高い存在として人々から畏怖されていた。広島市の元宇品に伝わる伝説では、狗賓は宮島の弥山に住んでいると言われ、狗賓がよく遊びに来るという元宇品の山林には、枯れた木以外は枝一本、葉っぱ一枚も取ってはならない掟があったという』とある(下線やぶちゃん)。

「武儀郡志津野村」現在の岐阜県関市志津野(しつの)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鵜沼宿」現在の岐阜県各務原市鵜沼附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。志津野の南。

「苗木」現在の岐阜県中津川市苗木(なえぎ)。美濃苗木藩は美濃国恵那郡の一部と加茂郡の一部を領有していた、江戸時代最小の城持ちの藩であった。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「粢餅(しとぎ)」「しとぎ」はここでは二字へのルビである。「しとぎ」は「糈」とも書き、水に浸した生米(粳(うるち)米)を搗き砕き、種々の形に固めた食物で、神饌に用いるが、古代の米食法の一種とも謂われ、後世では糯(もち)米を蒸して少し搗いたところで卵形に丸めたもの指すようになった。

「文政七八年」文政七年は一八二四年。

「苗木領の二ツ森」前の前のグーグル・マップ・データを参照。同地区外の北西に「二ツ森山」を確認出来る。

「越後の國蒲原郡」新潟県の旧郡。現行の多数の市域等を含む広域なのでウィキの「蒲原郡」を参照されたい。

「磐船郡」新潟県に「岩船郡」として現存する。現在は関川(せきかわ)村と粟島浦(あわしまうら)村の二村のみであるが、旧郡域は現在の村上市を含む新潟県の最北端に位置していた郡である。ィキの「岩船郡」を参照されたい。

「苗木侯」藩主遠山氏。江戸時代を通じて、ほぼ財政窮乏が続いた。「文政七八年」当時は第十一代藩主遠山友寿(ともひさ 天明六(一七八七)年~天保九(一八三九)年)。

「鮝魚」これで「をこぜ(おこぜ)」と読む。生物種としては、条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目カサゴ亜目オニオコゼ科(フサカサゴ)オニオコゼ亜科オニオコゼ属オニオコゼ Inimicus japonicus を指し、「オニオコゼ」には「鬼鰧」「鬼虎魚」の漢字を当てたりする。別に「ヤマノカミ」という俗称を持つが、これは古くから本種の干物を山の神への供物にする風習があったことに由来する。伝承によれば、女神である「山の神」は不器量で、しかも嫉妬深いとされたことから、醜悪な「おこぜ/おにおこぜ」の面(つら)を見ると、安心して静まり、山の恵みを与えて呉れるとされ、現在でもこれを祭る儀式は山間部や林業職に関わる人々の間で今なお保存され続けている(なお、同種は背鰭の棘条が鋭く、しかも毒腺を持っているので取扱いには注意を有する)。これについては私の古い電子テクスト、南方熊楠の「山神オコゼ魚を好むということ」(明治四四(一九一一)年二月発行の『東京人類学会雑誌』初出)を読まれたい。]

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