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2017/03/16

柴田宵曲 續妖異博物館 「空を飛ぶ話」(1)

 

 空を飛ぶ話

 

 飛行機の發明されるより遙か以前から、人は空を飛ぶことを夢みてゐた。第一に登場するのが神仙譚中の人々であつた。芥川龍之介の「杜子春」では、杜子春を峨眉山に連れて行く鐡冠子といふ仙人が、靑竹に跨がつて空を飛ぶことになつてゐるが、「杜子春傳」には「與(とも)に華山雲臺峯に登り、入ること四十里餘」とあつて、飛行の事は見えない。このところは費長房を深山に伴ふ仙翁の話を持ち込んだものと思はれる。長房が仙道を得られぬとあきらめて辭し去る時、仙翁から一本の竹杖を與へられ、これに乘つて家に歸つて來た。彼が乘つて來た竹杖を葛陂に投げ捨てて振り返つて見たら、竹杖だと思つたのは一頭の龍だつたといふ話がある。「杜子春」の中で鐡冠子が吟ずる詩、「朝に北海に遊び暮には蒼梧、袖裏の靑蛇膽氣粗なり、三たび岳陽に入れども人識らず、朗吟して飛過す洞庭湖」の作者は呂洞賓であるが、この境地は空を飛ぶ者のみが知り得る趣であらう。「岳陽風土記」には「北海」が「北越」になつてゐた。

[やぶちゃん注:『「杜子春」では、杜子春を峨眉山に連れて行く鐡冠子といふ仙人が、靑竹に跨がつて空を飛ぶことになつてゐる』芥川龍之介「杜子春」ではそのシークエンスは以下(「三」の末。リンク先は私の電子テクスト)。

   *

「さうか。いや、お前は若い者に似合はず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか。」

 杜子春はちよいとためらひました。が、すぐに思ひ切つた眼を擧げると、訴へるやうに老人の顏を見ながら、

「それも今の私には出來ません。ですから私はあなたの弟子になつて、仙術の修業をしたいと思ふのです。いいえ、隱してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でせう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることは出來ない筈です。どうか私の先生になつて、不思議な仙術を教へて下さい。」

 老人は眉をひそめた儘、暫くは默つて、何事か考へてゐるやうでしたが、やがて又につこり笑ひながら、

「いかにもおれは峨眉山に棲んでゐる、鐵冠子(てつくわんし)といふ仙人だ。始めお前の顏を見た時、どこか物わかりが好ささうだつたから、二度まで大金持にしてやつたのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやらう。」と、快く願を容れてくれました。

 杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額(ひたひ)をつけて、何度も鐵冠子に御時宜(おじぎ)をしました。

「いや、さう御禮などは言つて貰ふまい。いくらおれの弟子にした所で、立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第できまることだからな。――が、兔も角もまづおれと一しよに、峨眉山の奧へ來て見るが好い。おお、幸、ここに竹杖(たけづゑ)が一本落ちてゐる。では早速これへ乘つて、一飛びに空を渡るとしよう。」

 鐵冠子はそこにあつた靑竹を一本拾ひ上げると、口の中に咒文(じゆもん)を唱へながら、杜子春と一しよにその竹へ、馬にでも乘るやうに跨りました。すると不思議ではありませんか。竹杖は忽ち龍(りう)のやうに、勢よく大空へ舞ひ上つて、晴れ渡つた春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。

 杜子春は膽(きも)をつぶしながら、恐る恐る下を見下しました。が、下には唯靑い山々が夕明りの底に見えるばかりで、あの洛陽の都の西の門は、(とうに霞に紛れたのでせう。)どこを探しても見當りません。その内に鐵冠子は、白い鬢(びん)の毛を風に吹かせて、高らかに歌を唱ひ出しました。

 朝(あした)に北海に遊び、暮には蒼梧。

 袖裏(しうら)の靑蛇(せいだ)、膽氣(たんき)粗なり。

 三たび嶽陽に入れども、人識らず。

 朗吟して、飛過(ひくわ)す洞庭湖。

   *

「鐡冠子」左慈(さじ 生没年未詳/まだ生きているかも?)は「搜神記」「神仙傳」にも載る後漢末の方士で仙人となったとされる人物。既に「果心居士」で注した。時代が合わない? 不老不死の仙人だぜ? 後漢末期から唐代まで矍鑠として生きていたって、何の不思議もないわいな!

『「杜子春傳」には「與(とも)に華山雲臺峯に登り、入ること四十里餘」とあつて、飛行の事は見えない』「杜子春傳」の当該箇所の原文は以下(リンク先は私の電子テクスト)。確かに飛んでないし、超自然的に瞬間移動したわけでもない。

   *

 既畢事、及期而往。老人者方嘯於二檜之陰。遂與登華山雲臺峰。入四十里餘、見一處室屋嚴潔、非常人居。彩雲遙覆、驚鶴飛翔。其上有正堂。中有藥爐、高九尺餘、紫焔焰光發、灼煥窗戸。玉女九人、環爐而立、靑龍白虎、分據前後。

   *

私の訓読文から引く。一部に読みを追加した。

   *

 既にして事畢(おは)り、期(き)に及んで往(ゆ)く。老人は方(まさ)に二檜(にくわい)の陰(かげ)にて嘯(うそぶ)けり。遂に與(とも)に華山雲臺峰に登る。入ること四十里餘にして、一處の、室屋(しつをく)嚴潔にして、常人の居に非ざるを見る。彩雲遙(はるか)に覆ひ、驚鶴(きやうかく)飛翔す。其の上に正堂(せいだう)有り。中に藥爐(やくろ)有りて、高さ九尺餘、紫焰光發(くわうはつ)し、窗戸(さうこ)に灼煥(しかん)す。玉女九人、爐を環(めぐ)りて立ち、青龍白虎、前後に分據(ぶんきよ)す。

   *

私の現代語訳から引く。

   *

 こうして杜子春はなすべきことをすべてなし終え、約束の中元の日に出かけて行きました。老人はちょうど二本の檜の木蔭で詩を口ずさんでいるところでした。……

 ……そうして、それから二人は遂に華山の雲台峰に登ったのです。山に入ること四十里ほど、彼方に一つの館が見えてきました。それは見るからに厳かで清澄、一見して俗世間の人の住まいではありません。その館の高いところには五色の雲がたなびき、鶴の群れが鳴き交わしながら乱舞しています。中へ入ると広間があり、その真ん中に仙薬をつくるためとおぼしい炉があります。高さは九尺ばかり、紫色の炎が輝き、それが広間の窓や扉に反映して、何とも不思議な感じです。美しい仙女が九人、炉を周りに等間隔でまあるく立って、青龍と白虎が、分かれて前と後ろに控えているのです。

   *

「華山」長安の東方にあり、中国の五岳の一つ。現在の陜西省華陰市にある、秦嶺山脈中の高峰。ここ(グーグル・マップ・データ)。伝説に、山頂の池に咲く蓮の華を食すと羽化登仙できるとも言われた。

「四十里餘」中国唐代の一里は五百五十九・八メートルしかないから、まんず二十二キロメートル強ほどしかない。

「費長房」(ひちやうばう(ひちょうぼう))は後漢の方士(生没年未詳)。ウィキの「費長房(後漢)より引く。『汝南郡(現中華人民共和国河南省平輿県一帯)の出身で』『当初はとある市場の監視役人を務めていたが、市場の監視楼上から市中で売薬店を構える謫仙の壺公(ここう)』『が日没時に店先に吊した壺に跳び入る姿を目撃した事から壺公の許を訪れたところ、自分の秘密を目にし得た費に感心した壺公に連れられて壺中に入り、そこに建つ荘厳な御殿で美酒佳肴の饗応を受ける。その後、壺公から流謫も終わって人間界を去る事を聞かされると、自分も仙道を学びたいと思い、壺公の教唆に依って青竹を自身の身代わりに仕立て、縊死を装う事で家族の許を去り』、『壺公に就いて深山に入り修行する。修行は初め虎の群中に留め置かれ、次いで今にも千切れんとする縄に吊された大石の下に身を横たえるといった内容で、共に成果を修めるも最後に』三匹の虫が蠢く臭穢な糞を食うように求められて出来ず、『遂に上仙を断念し、壺公から地上の鬼神を支配出来る』一『巻の護符を授かって帰郷』した。しかし、山中での修行は僅か十日程であったのであるが、地上は実に十年以上が経っていたという。『帰郷後は治病に従事したり』、『壺公から授かった護符を使って東海地方(現山東省東南の海岸部)の水神である東海君や、人間に化けた鼈や狸を懲らしめる等、社公(地示)やあらゆる鬼神を使役懲罰し、また地脈の伸縮を自在に操る能力を有して』、『瞬時に宛(えん。現河南省南陽市)に赴いて鮓(さ。魚類の糟漬け)を買ったり』、一日で数千里(六百キロメートル弱)を『隔たる複数処を往来したりしたが、後に護符を失った為に鬼神に殺された。晋代の葛洪は竹を自身の屍体に見せかけた費を尸解仙』(一旦、死んだ後に蟬が殻から脱け出るようにして仙人になること)『の例に挙げている』とある。なお、ここや柴田が述べている費長房の事蹟は葛洪(かっこう)の「神仙傳」(晋代中頃の成立か)の「巻五」の「公條」に拠るものである。

「葛陂」(かつぱ(かっぱ))は現在の河南省新蔡県(ここ(グーグル・マップ・データ))の北とされる地名。

『「朝に北海に遊び暮には蒼梧、袖裏の靑蛇膽氣粗なり、三たび岳陽に入れども人識らず、朗吟して飛過す洞庭湖」の作者は呂洞賓である』呂洞賓(りょどうひん 生没年未詳)は唐末宋初の道士で「八仙」(民間伝承での名数。呂洞賓の他、李鉄拐(鉄拐李)・漢鍾離(鍾離権)・張果老・藍采和・曹国舅(そうこくきゅう)・韓湘子・何仙姑が挙げられる)の一人とされる。近世の代表的仙人の一人として、宋以後、広く民間の信仰を集め、製墨業者の祖神とされるが、その実在性は疑わしい。但し、確かに彼の作として「全唐詩」の「卷八百五十八」の「呂嵒」(りょがん:彼の名)の詩「絶句」(と言っても詩形式の絶句ではなく、長大な七言古詩)と題する詩の一節に、

 

朝遊北越暮蒼梧

袖裏靑蛇膽氣粗

三入岳陽人不識

朗吟飛過洞庭湖

 

と出る。中文サイトので全詩は読める。読みは、

 

朝(あした)に北海(ほくかい)に遊び 暮には蒼梧(さうご)

袖裏(しうり)の靑蛇(せいだ) 膽氣(たんき) 粗(そ)なり

三たび岳陽(がくやう)に入れども 人 識らず

朗吟(らうぎん)して飛過(ひくわ)す 洞庭湖

 

である。筑摩書房全集類聚版芥川龍之介全集の「杜子春」の脚注によれば、「北海」は、単に北の海、或いは渤海の一部とされ、「蒼梧」は現在の広西省の東部で『北海に対する極南の地』とする。「袖裏の靑蛇膽氣粗なり」は、『袖の中に』霊的な『蛇を忍ばせ、気持ちは雄大となって遠くへ行く』とある。「岳陽」は洞庭湖の東北岸に建つ名勝岳陽楼。

「岳陽風土記」北宋の范致明の著になる岳陽の地誌。確かに中文サイトを見ると、同書には、

   *

岳陽樓上有呂先生留題云、朝遊北越暮蒼梧、袖裏靑蛇膽氣麤。三入岳陽人不識、朗吟飛過洞庭湖。今不見當時墨跡、但有刻石耳。

   *

とあって、「北海」ではなく、「北越」とある。「北越」ならば、越南(現在のベトナム民主共和国)の北部の謂いとなる。]

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