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2017/03/06

柴田宵曲 妖異博物館 「斬られた石」

 

 斬られた石

 

 年代はわからぬ。猪苗代御城代何某が、酸川野河原へ出遊の際、畑の中に如何にも古びた燈籠を見出した。畑を打つ老人に尋ねても、その子細は知らず、たゞこの燈籠を取り捨てると、その人に祟ると申し傳へて居りますので、邪魔にはなりますが、そのまゝにしてございます、こゝは昔寺院であつたと申します、と答へた。これは庭に立てたらよからうといふので、下人に持ち歸らせ、築山の植込に立てて置いた。然るにその夜更けてから城門を烈しく敲く者がある。自分は堀貫の彦兵衞といふ者である、こゝを明けよ、といふ。門番が扉の隙から覗いて見ると、髮を藁で束ね、襤褸(つづれ)の上に繩の帶を締めた、土民體の男が立つてゐる。門を開かずにゐたら、男は門を飛び越え、忽ち門番と組打がはじまつた。明け方に男の姿は見えなくなり、門番の足輕は氣絶してゐるのを、人々が介抱して漸う人心地が付いた。次の晩も彦兵衞と名乘る男が來て門を敲く。門番は昨夜と違ふ足輕であつたが、何も答へずにゐると、男は門を躍り越え、今度は城代の枕許へやつて來た。その方何故に、形ばかり殘つた、我亡き跡のしるしである燈籠を奪つたか、急ぎもとのところへ返せばよし、返さなければ恨みをなさん、と大いに立腹の體である。城代枕許の一刀を拔き斬付けたので、男は影もなくなつたが、夜が明けて見れば、例の燈籠の笠石に刀痕がありありと付いてゐる。すなはち燈籠をもとのところに返し、その後は何事もなかつた。

[やぶちゃん注:「酸川野」現在の福島県耶麻郡猪苗代町若宮大字酸川野(すかわの)で、この附近(グーグル・マップ・データ)。猪苗代湖の北十キロほどの位置に当たる。]

 この話を傳へた「老媼茶話」は、もう一つ「飯寺村の靑五輪」といふ話を記してゐる。昔慈現院といふ山伏が生きながら入定(にふぢやう)したところに、慈現院壇といふ塚があり、今でも深夜には塚の中に法螺の音が聞えるといふ。塚の上には大きな榎があるが、この塚の東向ひに靑五輪と呼ばれる五輪塔があつた。靑五輪は夜な夜な化けて出るといふ噂で、慈現院から靑五輪まで一面に鐡の網を張り、往來の人を妨げる。或晩こゝを通りかゝると、六尺ばかりの大山伏と、同じくらゐの身長の黑入道とが、いづれも口から火を吹いてゐる。鐡の網の中には兒(ちご)法師、女(め)の童(わらは)の首がいくつもかゝつて、然もその首がにこにこ笑ふ、甚だ無氣味な光景であつた。通りかゝつた男も大膽不敵な者で、いきなり走りかゝつて入道の頭に斬り付ける。慥かに手ごたへがあつて、山伏も入道も網も一時に消え失せ、あたりは眞の闇になつた。夜が明けてからこゝへ來て見たら、靑五輪の頭を半分斬り碎き、血の色が少し見えてゐたので、その刀を五輪碎きと名付けて祕藏したといふのである。

[やぶちゃん注:「飯寺村」現在の福島県会津若松市門田町(もんでんまち)大字飯寺(にいでら)。ここ(グーグル・マップ・データ)。猪苗代湖の西約十キロ。読み方に注意。以下に示す参考底本でも「にいでら」(ママ)とルビが振られてある。

 以上の二篇は「老媼茶話」の「卷之參」に「酸川野幽靈」「飯寺村の靑五輪」として連続して記されている。以下に国書刊行会「叢書江戸文庫」版を参考に、例の仕儀で加工して示す。読みは一部に限って参考底本を見つつ、オリジナルに歴史的仮名遣で附した。濁点がないのはママ。カタカナのそれは原典のもの。歴史的仮名遣の誤りはママ。「灯籠」は総て「燈籠」とした。但し、最後の「燈篭」の「篭」は参考底本のそれを採用した。

   *

 

     酸川野幽靈

 

 いつの頃にや有りけん。猪苗代御城代何某と云人、酸川野河原なくさみに出(いで)けるに、畑中(はたなか)にいかにも年ふりたる燈籠有。畑打(うつ)老人に尋けれは、「いつの世に誰か立置(たておき)し燈籠に候やらん。知りたる人もなく候。此燈籠取捨候得は其人に祟ると申ならはし候儘(まま)、畑中に御座候得は、しやま[やぶちゃん注:邪魔。]に成候得共、無是非置(ぜひなくおき)候。爰は昔寺院に候と申傳へ候」と語る。何某聞て、「怨靈の祟りといふは夫(それ)は人のいゝなしなるへし。何にもせよ苔(コケ)むしたる燈籠にて庭に立(たて)然るへし」とて下人に持せ歸り、則(すなはち)築山(つきやま)の植込に立置たり。

 其夜更(ふけ)て御城の御門けはしくたゝき、「我は堀貫村の彦兵衞と云(いふ)者なり。爰(ここ)明けよ」と云。門番戸扉の透(すき)より見れは、髮をはら[やぶちゃん注:藁。]にてたはね、上につゝれを着、繩帶(なはおび)をしたる、いかにも賤敷(いやしき)土民也。此故に門番門をひらかす。やゝ暫有て、彦兵衞、「何とて門をひらかさるそ」とて門を飛越、内へ入。門番すかさす彦兵衞と引組(ひきくみ)夜明(よあく)るまて捻合(ねぢあひ)て、曉(あかつき)彦兵衞行衞なく成(なり)たり。門番の足輕氣を失ひ死入(しにいり)けるを、人見付(みつけ)水を呑ませ、氣付をくれ、漸(やうやう)人心地付(つき)たり。

 其明(あく)る夜亦來り。いつものことく門をたゝき、「爰明よ爰明よ」といふ。別の足輕番を勤(つとめ)いたりしか、有無に答へす。彦兵衞腹を立(たて)、門をおとり越(こえ)、御城代何某の伏居(ふしゐ)たる枕に彳(たたずみ)て、大きにいかりたるけしきにて、「其方何故に纔(わふか)形斗(ばかり)殘りたる我(わが)なきあとの印(しるし)の燈籠を奪取(うばひとり)たる。急き元の所へ返すへし。返さは其(その)通り、返さすは恨(うらみ)をなさん」と云(いふ)。何某は夢覺(さめ)、枕元の刀引拔切付(ひきぬききりつけ)たるに、彦兵衞は影なく消失(きえうせ)けり。曉(あかつき)みれは庭に建(たて)たる件(くだん)の燈籠の笠石に刀の痕跡有(あり)。燈篭を元の所へ返しけれは何の怪敷(あやしき)事もなかりしとなり。

 

     飯寺(にひでら)村の靑五輪(あをごりん)

 

 南山街道飯寺村、道ばた右の方の田の中に大壇あり。其塚の上に大榎(おほえのき)有。「慈現院壇と云(いふ)山伏、生(いき)なから入定(にふぢやう)せし所故(ゆゑ)、俗(ぞくに)慈現院壇と云(いふ)」とふるき者の噺(はなし)也。今も深夜に聞(きか)は、塚の中にてほら貝を吹(ふく)音聞ゆといへり。此塚の東向ひ、靑五輪と云有(いふあり)。此五輪夜々(よるよる)化(ばけ)て、慈現院より靑五輪迄一面に鐵のあみをはり、往來の人をさまたくる。

 或夜更過(あるよふけすぎ)て南山のもの此所(ここ)を通りけるに、六尺斗(ばかり)の大山伏と、同(おなじ)長(た)けなる黑入道と、口より火を吹出(ふきいだ)し鐵の網を張、其網の内に兒法師(こばふし)・女童(めのわらは)の首いくつも懸り有(あり)て、此(この)首共(ども)此(この)男を見てにこりにこりと笑(わらふ)。此男元來不敵氣(ふてきげ)もの也。是をみて走り懸り、大入道かてつへんをしたゝかに切付(きりつく)る。手こたへして網も山伏も入道も消失(きえうせ)て、深夜の闇と也けり。

 其夜明(あけ)て件(くだん)の男夕(ゆふ)べ化物に逢(あひ)ける道筋へ來(きた)る。尋見(たづねみ)るに、靑五輪の天窓(あたま)を半分切りくたき血の色すこし見えたり。是より刀をは五輪くだきと名付(なづけ)、祕藏せりと也。

   *]

 この二つは堀貫の彦兵衞なり、慈現院なりの幽魂が怪をなすものと解せられるが、中にはさういふ由來の明瞭でないのもある。「奇遊談」にある下鳥羽の南、橫大路の五輪塔などは、その村の庄屋の石塔といふだけで格別の事もない。この塔夜な夜な怪をなす時、勇猛の人あつて一刀に斬り伏せた。その血の跡といふことで、今でも上の方に赤い色が見えてゐるが、これは「奇遊談」の著者も「石の性によりて、かゝる色はあることなれば、さしてあやしきことにはあらず」と一應否定してゐる。榎の老樹の下にあるといふのも、偶然の一致であらう。

[やぶちゃん注:しかし私は、後者の事例が慈現院なる山伏の幽魂の怪とするならば、彼は入定出来ずに、恐るべき執心(鉄の網に懸った稚児と女童の生首がその執心の何たるかを如実に示している)によって、おぞましき変化(へんげ)と化したことを物語っているとせねばならぬと考えている。私はこの手の話のフリークで、同じ「老媼茶話」の「入定の執念 附やぶちゃん訳注」「定より出てふたゝび世に交はりし事 附やぶちゃん訳注」「春雨物語 二世の緣 附やぶちゃん訳注」などを手掛けている。未見の方は是非、どうぞ。なお、榎(バラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis)は「万葉集」にも出、古くから人々に親しまれ、一里塚道標や村境(村の境界とは「異界」との通路でもある)の目印として植えられてきた経緯があるが、枝分かれが激しくて木下闇(こしたやみ)も深く、しかも大木(二十メートル超)となるからか、妖異譚の多い樹種の一つではある。

「奇遊談」川口好和著の京洛及びその周辺の名所旧跡や古物を記す。寛政一一(一七九九)年板行本があるから、完成はそれ以前。以上の話は「卷之三上」の「化物石塔(ばけものせきたふ)」である。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。読みは参考底本を見つつ(これに限らぬが、近世随筆類の原典の多くは名家のそれでも仮名遣の誤りが驚くほど多い)、オリジナルに歴史的仮名遣で附した。

   *

   ○化物石塔

下鳥羽(しもとば)の南、橫大路村街道の東、當所飛鳥田神社の例祭の御旅所(おたびしよ)の傍(かたはら)、榎木(えのき)の老樹の下に高さ五尺餘(よ)の細く長き五輪の塔婆あり。古へ此村の邑長(むらをさ)の塔にして、夜な夜な怪異をなせし石塔なりといふ。あるとき勇猛の人ありて、太刀にて切伏(きりふせ)しと。其後(そののち)此塔のうへに流れかゝりし血液の跡殘れりと。今に上(かみ)の方(かた)に赤き色見ゆ。されど石の性(しやう)によりて、かゝる色はあることなれば、さしてあやしきことにはあらず。さて中央に文永年中と彫刻せる古き塔婆なり。かたはらに古き石碑ども見ゆ。いかさまゆへある人の立しものとは覺(おぼえ)たり。

   *

「下鳥羽の南」「橫大路村街道の東」「飛鳥田神社」今の京都府京都市伏見区横大路柿ノ本町に現存。(グーグル・マップ・データ)。「文永」は一二六四年から一二七四年。]

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