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2017/03/10

柴田宵曲 續妖異博物館 「大なる幻術」

 

 大なる幻術

 

「西遊記」の孫悟空が金角、銀角の所有する紅胡蘆、玉淨瓶といふ二つの寶を奪ふ際に、自分も一つ胡蘆を持つてゐる、これなら天を裝(も)り入れることが出來ると云つた。金角、銀角の手下はその胡蘆が欲しくなつたけれど、天を裝り入れる實蹟を見なければ迂闊に交換は出來ない。悟空は守護の神々に命じてひそかに玉帝に奏せしめたが、これには玉帝も驚いた。そんな馬鹿な事が出來るものでないが、眞武君の黑い旗を借りて暫時日月星辰を閉したら、天を裝り入れたと云つて妖魔を欺き得るだらうといふことになつた。悟空はこれを聞いて、長さ一尺七寸の胡蘆を天に向つて抛げ、天上では同時に黑旗をひろげて日月星辰を閉したから、天地は忽ち暗黑になり、首尾よく二つの寶を手に入れることが出來た、とある。

[やぶちゃん注:以上は個人サイト中国御伽草子 西遊記」の「第六章 名物妖魔との戦い」の「待ち受ける金角と銀角」及び「5つの宝物」「ひょうたんの中」で日本語訳が読める。

「金角、銀角」平頂山蓮華洞を根城とする兄弟の魔王。それぞれに「大王」を附して呼ばれもする。

「紅胡蘆、玉淨瓶」「紅胡蘆」は「こうころ」或いは「くころ」と読み、「胡蘆」は瓢簞(ひょうたん)の別称である。完全和訓するなら「べにひさご」で、対象人物の言霊(ことだま)を録音してその人を中に封印してしまう魔法の瓢簞。「玉淨瓶」(ぎよくじやうびん(ぎょくじょうびん))は正式には「羊脂(ようし)玉淨瓶」(「羊脂」はヒツジの脂(あぶら)のように白く美しい不透明な色の謂いであろう)で、所有者が呼び掛けるだけで対象人物の声を録音し、封印してしまう魔法の瓶。金角・銀角はもと、太上老君(道教の始祖と見做される老子を神格化したもの)の金炉と銀炉の見張り番をしていた童子達であったが、紅胡蘆・玉浄瓶を含む、老君の五つの宝具を盗み、下界に降りて妖怪となった者たちであった。五つの宝具は前二者の他、「七星剣(しちせいけん:言霊を斬り文字に変質させて呪い封じる魔法の剣)・芭蕉扇(ばしょうせん:大風・乱雲・豪雨を起こさせる魔法の扇。「西遊記」では鉄扇公主(羅刹女(らせつじょ))の持ち物としての方が知られる)・幌金繩(こうきんじょう:対象者の自由を奪って、言霊を追い出させる魔法の繩)これら五種は概ね、順々に使用される(「芭蕉扇」のみは個別場面での補助具的存在か)ことによって対象者を完全に密封封殺する超能力を持つものである。

「裝(も)り入れる」「裝(装)」の字には中国語で「容器などに対象物を入れる・詰める」の意がある。]

 天地を裝り入れる胡蘆などといふものは、聖天大聖でなければちょつと思ひ付かぬことであらう。倂しこの達は支那人得意のところで、天地を裝る胡蘆の大には及ばぬが、「河東記」の中にこんな話がある。

[やぶちゃん注:「聖天大聖」「せいてんたいせい」と読み、「西遊記」で孫悟空が名乗った称号。「天にも斉(等)しい大聖者」という傲岸な称号。

「河東記」中唐の薛漁思(せつぎょし:生没年未詳で本書の作者であること以外の事蹟も不詳である)に依る伝奇集。ウィキの「河東記」によれば、『集題の「河東」は河東地方(現中華人民共和国山西省の西部一帯)に由来すると推定されるが、河東に纏わる話のみを集めている訳では無く、撰者である薛の故地乃至撰述の地を集名に採ったものと思われる』。『南宋期には唐代伝奇集の代表と目されていた』。詳しくはリンク先を参照されたい。次段の内容は、「胡媚兒」(こびじ)と題する以下。例の仕儀で示す。

   *

唐貞元中、揚州坊市間、忽有一妓術丐乞者、不知所從來。自稱姓胡、名媚兒、所爲頗甚怪異。旬日之後、觀者稍稍雲集。其所丐求、日獲千萬。一旦懷中出一琉璃瓶子、可受半升、表裡烘明、如不隔物。遂置於席上、初謂觀者曰、「有人施與滿此瓶子、則足矣。」。瓶口剛如葦管大、有人與之百錢、投之、琤然有聲、則見瓶間大如粟粒、眾皆異之。復有人與之千錢、投之如前。又有與萬錢者、亦如之。俄有好事人、與之十萬二十萬、皆如之。或有以馬驢入之瓶中、見人馬皆如蠅大、動行如故。須臾、有度支兩税綱、自揚子院部輕貨數十車至。駐觀之、以其一時入、或終不能致將他物往、且謂官物不足疑者。乃謂媚兒曰、「爾能令諸車皆入此中乎。」。媚兒曰、「許之則可。」。綱曰、「且試之。」。媚兒乃微側瓶口、大喝、諸車輅輅相繼、悉入瓶、瓶中歷歷如行蟻然。有頃、漸不見。媚兒卽跳身入瓶中、綱乃大驚、遽取撲破。求之一無所有、從此失媚兒所在。後月餘日、有人於清河北、逢媚兒。部領車乘、趨東平而去。是時李師道爲東平帥也。

   *]

 唐の貞元中、楓州の市中に術をよくする妓が現れた。どこから來た人かわからぬけれど、自ら胡媚兒と栴し、いろいろ奇怪の術を見せるので、これを見物する人が次第に集まるやうになり、一日の收入千萬錢に及ぶといふことであつた。或時懷ろから一つの瑠璃瓶を取り出した。大きさは五合入りぐらゐのもので、全體が透き通り、手品師のよく云ふやうに、種も仕掛けもないものであつたが、胡媚兒はこれを席上に置いて、これが一杯になるだけ御棄捨が願へれば結構でございます、と云つた。瓶の口は葦の管のやうに細かつたに拘らず、見物の一人が百錢を投ずると、チヤリンと音がして中に入り、瓶の底に粟粒ぐらゐに小さく見える。皆不思議がつて、今度は千錢を投じても前と變りがない。萬錢でも同じである。好事の人が次ぎ次ぎに出て、十萬二十萬に達しても、瓶は一切を呑却して平然としてゐる。馬はどうだらうと云つて投げ込む者があつたが、人も馬も瓶の中に入り、蠅のやうな大きさで動いて居つた。その時官の荷物を何十といふ車に積んで通りかゝる者があり、暫く立ち止つて見てゐるうちに、大いに好奇心が動いたらしく、胡媚兒に向つて、この澤山の車を皆瓶の中に入れ得るか、と問うた。媚兒は笑つて、よろしうございますと云ひ、少し瓶の口をひろげるやうにした。その口から車はぞろぞろと入つて行き、全部中に在つて蟻のやうに步くのが見えたが、暫くして何も目に入らなくなつた。そればかりではない、媚兒までが身を躍らして瓶の中に飛び込んでしまつたから、ぼんやり口を明いて見物してゐた役人は驚いた。何十臺の荷物が一時に紛失しては申譯が立たぬ。直ちに棒を振つて瓶を打ち碎いたが、そこには何者もなかつた。媚兒の姿もその邊に現れないと思つてゐると、一箇月餘りの後、淸河の北で媚兒を見かけた者がある。彼女は例の數十臺の車を指揮し、東に向つて進んでゐたといふことであつた。

[やぶちゃん注:「楓州」不詳。識者の御教授を乞う。

「棄捨」「喜捨」に同じい。

「淸河」中国ではしばしば目にする地名であるが、前の「楓州」が判明すれば、特定出来るかも知れぬ。]

 何十臺の車を呑却して驚かぬ瑠璃瓶の正體は何であるか、吾々には無論見當が付かぬ。媚兒は最初に、この瓶一杯の棄捨を得れば滿足すると云つたが、恐らく世界の富を傾けても、この瓶を充たすことは困難であつたらう。たとひ天は裝り得ぬにしても、こゝまで來れば大したものである。

 僧一行は玄宗皇帝昔時の人で、貧家に生れた爲、幼い時から鄰りに住む王といふ老婆の世話になつた。一行がえらくなつて皇帝の信任を受けるやうになつて後、この王婆には恩返しをしなければならぬと考へてゐたが、たまたまその子が人を殺すといふ事件が起つたので、王婆は一行をたづねて何とか救つてくれるやうに賴んだ。一行は、外の事なら何とかなるが、この太平の御代に人殺しをした者を赦すなどといふことは出來ない、自分の力及ばぬことだから、と云つて斷ると、王婆は大いに腹を立て、一行を罵つて行つてしまつた。一行は困つて思案をめぐらした末、當時渾天寺が工事中で、何百といふ人夫が入り込んでゐる、その一室を明けて貰つて、大きな瓶を中に据ゑた。次いで多年彼に使はれた下僕二人を呼び、大きな布囊を渡して、ひそかにかういふことを命じた。或町の角に荒れた庭があるから、そこに隱れてゐろ、午頃から夕方までの間に、必ず入つて來るものがある、その數は七つだから、それを全部つかまへて、この囊に入れて來い、一つでも取り逃してはならぬ、といふのである。云はれた通り庭に身をひそめてゐると、果して六時頃になつて、豚が何疋もやつて來た。殘らず囊にぶち込んで持つて行つたので、一行は大いによろこび、早速囊のまゝ瓶の中に入れて木の蓋をし、その上に朱泥で梵字を書き付けた。翌朝宮中からの急使があつて一行が參内したところ、太史の奏するところによれば、昨夜北斗七星が光りを隱したといふことである、これは何の祥であるか、師はそれを攘(はら)ひ得るか、といふ下問があつた。一行は容易ならぬ事でございますと奉答し、後魏の時の先例を引いて、匹夫匹婦もその所を得なければ、時ならぬ霜が降り、旱(ひで)りが續いて作物が枯れることがある、佛者の立場から申せば、一切の善慈心を以て一切の魔を降す外はありませぬ、と云つた。玄宗皇帝はその言に從つて大赦令を下したので、王婆の息子は死を免れることになつた。その日太史は北斗星が一つ現れたことを奏したが、毎晩一つづつ殖えて行つて、七日目には從前通り北斗七星を仰ぐことが出來た(酉陽雜俎)。

[やぶちゃん注:「一行」「いつこう(いっこう)」「いちぎやう(いちぎょう)」とでも読んでおく。実在した僧(六七三年~七二七年)。東洋文庫版今村与志雄訳注「酉陽雑俎」の注によれば、『現在、中国古代の代表的科学者のひとりとして郵便切手』『にもなっている』が、唐代にあっては一種のマジシャンとして目されていたものか、『超現実的な逸話が多く語りつがれてい』る、とある。]

 豚の捕物も振つてゐるが、北斗七星を囊に入れて瓶に藏するなどは、大概の漫畫家では思ひもよらぬ趣向であらう。豚を瓶から出すに從つて、星が一つづつ空に現れるのは更に面白い。かういふ奇拔な話は、支那以外のどこにも求め得られまいといふ氣がする。

[やぶちゃん注:以上の話は「酉陽雜俎」の「卷一 天咫(てんせき)」(今村氏の注によれば、「咫」は「少ない」という意味であるから、『天道をあまりしらない』の意で、これは、それでは、『どうして民を治める法則を知』り得ようか、いや、知り得ぬ、『という意味で』あり、『思うに、段成式もまた、天を知ること少なしという反語をこめて命名したのか』と述べておられる。目から鱗!)の以下。例の仕儀で示す。

   *

僧一行博覽無不知、尤善於數、鉤深藏往、當時學者莫能測。幼時家貧、鄰有王姥、前後濟之數十萬。及一行開元中承上敬遇、言無不可、常思報之。尋王姥兒犯殺人罪、獄未具。姥訪一行求救、一行曰、「姥要金帛、當十倍酬也。明君執法、難以請一曰情求、如何。」。王姥戟手大罵曰、「何用識此僧。」。一行從而謝之、終不顧。一行心計渾天寺中工役數百、乃命空其室内、徙大甕於中。又密選常住奴二人、授以布囊、謂曰、「某坊某角有廢園、汝向中潛伺、從午至昏、當有物入來。其數七、可盡掩之。失一則杖汝。」。奴如言而往。至酉後、果有群豕至、奴悉獲而歸。一行大喜、令置甕中、覆以木蓋、封於六一泥、朱題梵字數寸、其徒莫測。詰朝、中使叩門急召。至便殿、玄宗迎問曰、「太史奏昨夜北斗不見、是何祥也、師有以禳之乎。」。一行曰、「後魏時、失熒惑、至今帝車不見、古所無者、天將大警於陛下也。夫匹婦匹夫不得其所、則隕霜赤旱、盛德所感、乃能退舍。感之切者、其在葬枯出係乎。釋門瞋以心壞一切善、慈心降一切魔。如臣曲見、莫若大赦天下。」。玄宗從之。又其夕、太史奏北斗一星見、凡七日而復。成式以此事頗怪、然大傳眾口、不得不著之。

   *

原典中の「開元」は七一三年から七四一年。原典では一行は、「金の帛(はく)が御入用ならば、その十倍相当の金を差し上げられるのですが、罪人を処断する法は皇帝が司っておられ、王婆の息子の命乞いを願い出ることは難しいのです。どうでしょう、そんなところで?」と言っている。「六一泥」は不詳。泥に秘術秘物を捏ね入れた特殊な魔術的性能を持った薬物か?

「豚を瓶から出すに從つて、星が一つづつ空に現れるのは更に面白い」これは以上の通り、「酉陽雜俎」の原文には出ない。ところが、東洋文庫版の今村氏の本条の注の最後には、一九五八年中華書局刊の「南部新書」に収める同話では、この話の終りの部分が『一行の進言にしたがったことを記したのち、「一行は、かえってから、豚を一匹放してやった。その夜、一星があらわれましたと上奏し、第七夜になってみなあらわれたのである」。一行が、甕のなかの豚を一匹放すごとに星が一つずつあらわれるのである。この方が、話の筋からいって自然である『酉陽雜俎』の記録に、あるいは脱落があるのか』と記しておられる。その通りだと私も思う。而して柴田は何故、この結末を「酉陽雜俎」のものとして語っているのか? 豚も妖しいが、宵曲も充分、妖しい。]

 

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