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2017/04/30

佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その4)

 

    *    *    *

      *    *    *

 

 さて、ここに幾株かの薔薇がこの庭の隅にあつた。

 それは井戸端の水はけに沿うて、垣根のやうに植ゑつけられて居るのであつた。若し充分に繁茂していれば「一架長條萬朶春」を見せて、二三間つづきの立派な花の垣根を造つたであらう。けれどもそれ等は甚だしく不幸なものであつた。朝日をさへぎつては杉の木立があつた。夕日は家の大きな影が、それらの上にのしかかつて邪魔をした。さうして正午の前後には、柹の樹や梅の枝がこの薔薇の木から日の光を奪うた。さうしてそれ等杉や梅や柹の茂るがままの枝はそれ等の薔薇の木の上へのさばつて屋根のやうになつて居た。かうしてこれ等の薔薇の木は、その莖はいたいたしくも蔓草のやうに細つて、尺にもあまるほどの雜草のなかでよろよろと立上つて居た。八月半すぎといふのに、花は愚かそれらの上には、一片の ――實に文字どおりに一片の靑い葉さへもないのであつた。それ等の莖が未だ生きたものであることを確めるためには、彼はそれの一本を折つて見るほどであつた。日の光と溫かさとは、すべての外のものに全く掠められて、土のなかに蓄へられた彼等の滋養分も彼等の根もとに蔓(はびこ)つた名もない雜草に悉く奪はれた。彼等は自然から何の恩惠も享けては居ないやうに見えた。ただこんな場所を最も好む蛛蜘の巣の丁度いい足場のやうになつて、薔薇はかうしてまでその生存を未だつづけて居なければならなかつた。

[やぶちゃん注:「一架長條萬朶春」は「全唐詩」に所収する、唐末から五代初期の詩人裴説(はいせつ)の七言絶句「薔薇」の一節。

 

  薔薇

 一架長條萬

 嫩紅深綠小窠匀

 只應根下千年土

 曾葬西川織錦人

 

転句の「只」はネットの中文サイトによっては「隻」ともするが、学術資料としての信頼度が高い本邦のある論文の中で「只」を採っているので、暫くそれで示しおく。定本ルビを参考にするなら「いつかちやうでうばんだのはる(いっかちょうじょうばんだのはる)」と読む。

「蛛蜘」はママ。]

 

 薔薇は、彼の深くも愛したものの一つであつた。さうして時には「自分の花」とまで呼んだ。何故かといふに、この花に就ては一つの忘れ難い、慰めに滿ちた詩句を、ゲエテが後に遺して置いてくれたではないか――「薔薇(さうび)ならば花開かん」と。又、ただそんな理窟ばつた因緣ばかりではなく、彼は心からこの花を愛するやうに思つた。その豐饒な、杯から溢れ出すほどの過剩的な美は、殊にその紅色の花にあつて彼の心をひきつけた。その眩暈(めくるめく)ばかりの重い香は、彼には最初の接吻の甘美を思ひ起させるものであつた。さうして彼がそれを然う感ずる爲めにとて、古來幾多の詩人が幾多の美しい詩をこの花に寄せて居るのであつた。西歐の文字は古來この花の爲めに王冠を編んで贈つた。支那の詩人もまたあの繪模樣のやうな文字を以てその花の光輝を歌ふことを見逃さなかつた。彼等も亦、大食國の「薔薇露」を珍重し、この「換骨香」を得るために「海外薔薇水中州未得方」と嘆じさせた。それ等の詩句の言葉は、この花の爲めに詩の領國内に、貴金屬の鑛脈のやうな一脈の傳統を――今ではすでに因襲になつたほどまでに、強固に形造つて居るのである。一度詩の國に足を踏み入れるものは、誰しも到るところで薔薇の噂を聞くほど。さうして、薔薇の色と香と、さては葉も刺も、それらの優秀な無數の詩句の一つ一つを肥料として己のなかに汲み上げ吸ひ込んで――それらの美しい文字の幻を己の背後に輝かせて、その爲めに枝もたわわになるやうに思へるほどである。それがその花から一しおの美を彼に感得させるのであつた。幸であるか、いや寧ろ甚だしい不幸であらう、彼の性格のなかにはこうした一般の藝術的因襲が非常に根深く心に根を張つて居るのであつた。彼が自分の事業として藝術を擇ぶやうになつたのもこの心からであらう。彼の藝術的な才分はこんな因襲から生れて、非常に早く目覺めて居た。‥‥それ等の事が、やがて無意識のうちに、彼をしてかくまで薔薇を愛させるやうにしたのであらう。自然そのものから、眞に淸新な美と喜びとを直接に摘み取ることを知り得なかつた頃から、彼はこの花にのみはかうして深い愛を捧げて來て居た。

[やぶちゃん注:『ゲエテが後に遺して置いてくれたではないか――「薔薇(さうび)ならば花開かん」と』「開かん」は「ひらかん」と訓じておく。私の所持する高橋健二訳の「ゲーテ詩集」にはそれらしいものは載らない。検索を懸けるうちに、生田春月譯「ゲエテ詩集」(大正一一(一九二二)年二十四版新潮社刊)の電子テクストを発見(これは「青空文庫」の未公開の非公式未校正版ベタ・テクストのような感じである)、「薔薇」で検索をかけたところ、恐らくこれであろうと思われる詩篇を見出した。以下に示す。

 

  そのうち何とかなる

 

 何處に直ぐ何でも究めようと思ふものがある!

 雪が溶けたらあらはれよう

 どんなに骨を折らうと今は駄目!

 薔薇なら花が咲くであらう

 

リンク先の電子データによれば、これはリンク先の訳詩集の中では詩集「エピグラム」の一節とする。私はドイツ語を解せないので、原文は捜せない。悪しからず。

「大食國」定本ではここに『タージこく』とルビする。これはかつての「イスラム帝国」の中国語音写に基づくものである。ペルシャ語で、元来は「アラブ人」を指すが、拡大してイスラム教徒全体やその国家を表わすようになったもの。参照したウィキの「イスラム帝国」によれば、これはアラブの有力部族だったタイイ族の名に基づくとある。

「薔薇露」定本に基づくなら読みは「さうびろ」。以下の「換骨香」(くわんこつかう)と同じと読め、これはネット情報を信ずるならば、日本や朝鮮半島に分布するバラ科のつる性に落葉低木ノイバラ(バラ亜綱バラ目バラ科バラ亜科バラ属ノイバラ Rosa multiflora)の花を蒸留した精油のことらしい。漢方では暑気払いや健胃薬、口内炎や咽頭の腫痛除去効果があるとされ、近年では抗酸化作用や抗アレルギー作用が期待されている。そういえば、私もトルコでバラ油を一瓶買ったのを思い出した。

「海外薔薇水中州未得方」宋の陳景沂撰の「全芳備祖前集卷十七」に誠齋作として以下のように出る。サイト「漢籍リポジトリ」のこちらで発見した。

 

海外薔薇水中州未得方旋金掌露淺染玉羅裳已換桃花骨何須賈氏香更須麴生輩同訪墨池楊

 

定本の読みを参考にすると、『かいぐわいさうびのみづ ちうしふ いまだはうをえず』と読む。]

 

 それにしても、今、彼の目の前にあるところのこの花の木の見すぼらしさよ! 彼は、曾て、非常に溫い日向にあつた爲めに寒中に莟んだところの薔薇を、故郷の家の庭で見た事もあつた。それは淡紅色な大輪の花であつたが、太陽の不自然な溫さに誘はれて莟になつて見たけれども、朝夕の日かげのない時には、南國とても寒中は薔薇に寒すぎたに違ひない。莟は日を經ても徒に固く閉じて、それのみか白いうちにほの紅い花片の最も外側なものは、日日に不思議なことにも緑色になつて葉に近い性質にまで硬ばつて行くのを見た事があつた。けれども、彼が今日の前に見るこれらの薔薇の木は、その哀れな點では曾てのあの莟の花の比ではない。彼はこれ等の木を見て居るうち、衝動的に一つの考へを持つた。どうかしてこの日かげの薔薇の木、忍辱の薔薇の木の上に日光の恩惠を浴びせてやりたい。花もつけさせたい。かう言ふのが彼のその瞬間に起つた願ひであつた。しかし、この願ひのなかには、故意とらしい、遊戲的な所謂詩的といふやうな、又そんな事をするのが今の彼自身に適はしいといふ風な「態度」に充ちた心が、その大部分を占めて居たのである。彼自身でもそれに氣付かずには居られなかつたほど。(この心が常に、如何なる場合でも彼の誠實を多少づつ裏切るやうな事が多かつた)

[やぶちゃん注:「莟んだ」「つぼんだ」。莟を結びながら、花開くことなく、寒中で、莟のままであり続けること。そのまま枯れ萎んだり、ここに書かれているように事実、緑化してしまうこともある。私の亡き母は薔薇が好きで、今も私の家の垣根には薔薇が生えており、実際にそうなるのを私は見たことがある。

「忍辱」「にんにく」。種々の侮辱や苦しみを耐え忍び心を動かさないこと。元は仏教用語で六波羅蜜(菩薩が涅槃の世界に入るために修める六つの行(ぎょう)。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧(般若(はんにゃ))の第三行。

「故意とらしい」「わざとらしい」。]

 

 さて、彼はこの花の木で自分を卜うて見たいやうな氣持が

あつた――「薔薇ならば花開かん」!

[やぶちゃん注:「卜うて」「うらのう」(占う)。定本のルビに従った。]

 

 彼は自分で近所の農家へ行つた。足早に出て行く主人の姿を、二疋の犬は目敏くも認めて追驅けた。錆びた鋸と桑剪り鋏とをかたげた彼が、二疋の犬を從へて、一種得意げに再び庭へ現れたのは、五分とは經たないうちであつた。彼はにこにこしながら薔薇の傍らに立つた。どうすれば其處を最もよく日が照すだらうと、見當をつけて上を見𢌞しながら、さて肩拔ぎになつた。先づ鋸で、最ものさばり出た柹の太い枝を引き初めた。枝からはぼろぼろと白い粉が降るやうにこぼれて、鋸の齒が半以上に喰ひ入ると、未だ斷ち切れぬ部分は、脆くもそれ自身の重みを支へ切れなくなつて、やがてぼきりと自分からへし折れ、大きな重い枝はそれの小枝を地面へ打(おつ)つけて落ちかかつた。すると、その隙間からはすぐ、日の光が投げつけるやうに、押し寄せるやうに、沁み渡るやうに、あの枯木に等しい薔薇の枝に降り濺いだ。薔薇を抱擁する日向は追々と擴くなつた。押しかぶさつた梅や杉や柿の枝葉が、追々に刈られたからである。彼は桑剪り鋏で、薔薇の木の上の蛛蜘の巣を拂うた。其處にはいろいろの蛛蜘が潛んで居た。蠅取り蛛蜘といふ小さな足の短い蛛蜘は、枝のつけ根に紙の袋のやうな巣を構へて居た。龜甲のやうな色澤の長い足を持つた大きな女郎蛛蜘は、大仕掛な巣を張り渡して居た。鋏がその巣を荒すと、蛛蜘は曲藝師の巧さで糸を手繰ながら逃げて行く。それを大きな鋏が追驅けた。彼等は糸を吐きながら鋏のさきへぶら下がつて、土の上や、草のなかや、水溜りの上に下りて逃げる。それを鋏がちよん斬つた。

[やぶちゃん注:ここで言っておくと、ここまでの「柿」と「柹」の混用は私のタイプ・ミスではなく、そのように混用されているのである。念のため。既に述べた通り、「蛛蜘」も総てママである。

「鋸」定本では『のこぎり』とルビする。

「蠅取り蛛蜘といふ小さな足の短い蛛蜘は、枝のつけ根に紙の袋のやうな巣を構へて居た」小型種として知られる主に屋内に棲息する動物界節足動物門クモ綱クモ目ハエトリグモ科 Salticidae のハエトリグモ類の中には、屋外に住み、ここに出るような袋状の巣を形成する種もいることはいる。しかし、佐藤春夫がそうした昆虫学的正確さでかく呼称しているとは正直、思えない。ハエトリグモ類に似ているが、系統的に遠い別種がかなりおり、この描写だけでは同定は出来ない。或いは、佐藤はハエトリグモとは全然似ても似つかないクモを個人的に「蠅取り」蜘蛛と呼んでいる可能性さえも否定出来ないからでもある。]

 

 そんなことが彼の體を汗みどろにした。又彼の心を興奮させた。最初に、最も大きな枝が地に墜ちた音で、彼の珍らしい仕事を見に來た彼の妻は、何か夫に喚びかけたやうであつたけれども、彼は全く返事をしなかつた。犬どもは主人が今日は少しも相手になつてくれないのを知ると、彼等同士二疋で追つかけ合つて、庭中を騷ぎ𢌞つて居た。何か有頂天とでも言ひたい程な快感が、彼にはあつた。さうして無暗に、手當り次第に、何でも引き切つてやりたいやうな氣持になつた。

[やぶちゃん注:「喚びかけた」「よびかけた」。]

 

 彼は松に絡みついて居るあの藤の太い蔓を、根元から、桑剪り鋏で一息に斷ち切つた。彼は案外自分にも力があると思つた。その蔓を縒(より)をもどすやうにくるくる𢌞しながら松の幹から引き分けると松は其時ほつと深い吐息をしてみせたやうに、彼には感ぜられた。彼は蔓のきり端を兩手で握ると、力の限りそれを引つぱつて見た。しかし、勿論それは到底無駄であつた。松の小枝から梢へそれに隣の櫻の木へまでも纏りついた藤蔓は、引つぱられて、ただ松の枝と櫻の枝とをたわめて強く搖ぶらせ、それ等の葉を椀(も)ぎ取らせて地の上に降らせ、又櫻の枝にくつついて居た毛蟲を彼の麥稈帽子の上に落しただけで、蔓自身は弓弦のやうに張りきつたのであつた。「私はお前さんの力ぐらいには驚かんね!どうでも勝手に、もつとしつかりやつてみるがいい!」と、その藤蔓は小面憎くも彼を揶揄したり、傲語したりするのであつた。彼はこの藤蔓には手をやいて、とうとうそれぎりにして置くより外はなかつた。さうして今度は生垣を刈り初めた。

[やぶちゃん注:「弓弦」「ゆづる」。

「小面憎く」「こづらにくく」。顔を見ただけでも厭になるくらい憎らしくて。小生意気で癪 にさわって。

「傲語」「がうご(ごうご)」。人を見下したような自信たっぷりな言い方をすること。]

 

 正午すぎからの彼のこの遊びは、夕方になると、生垣の頭がくつきりと一直線に揃ひ、その壁のやうに平になつた側面には、折りから、その面と平行して照し込む夕日の光線が、榊の黑い硬い葉の上に反射して綺麗にきらきらと光つた。かうなつて見るとあの大きな穴が一層見苦しく目立つたのであつた。

 「やあ、これやさつぱりしましたね」と、こんな風な御世辭を言ひながら、その穴から家のなかを見通して行く野良歸りの農夫もあつた。それから、彼はその序にあの渠の上へ冠さつて居る猫楊(ねこやなぎ)の枝ぶりを繕うてもみた。

 

 その夕方、彼は珍らしく大食して夜は夜で快い熟睡を貪り得た。然も翌朝目覺めた時には、體が木のやうに硬ばり節々が痛むところの自分を、苦笑をもつて知らなければならなかつた。

[やぶちゃん注:「硬ばり」「こはばり(こわばり)」。]

 

 その幾日か後の日に、今度は本當の植木屋――といつても半農であるが――が、彼の家の庭に這入つた時には、あの松と櫻とにああまで執念深く絡みついて居た藤蔓は、あの百足(むかで)の足のやうな葉がしほれ返つて、或る部分はもうすつかり靑さを失うて居るのであつた。さうしてあのもの狂ほしい指である卷蔓は、悉くぐつたりとおち入つて居た。彼は惡人の最後を舞臺で見てよろこぶ人の心持で、松の樹の上で植木屋が切り虐(さいな)む太い藤蔓を、軒の下にしやがんで見上げて居た。

 

 「これや、もう四五日ほして置くといい焚きつけが出來まさあ」と突然、植木屋は松の樹の上から話しかけた。「其奴はよつぼど死太い奴だね」彼はそんな事を答へて置いて、「然うだ」とひとり考へた。「あの剛情な藤蔓が、そんなに早くも、醜く枯れたのは、彼をそんなに太く壯んに育上げたと矢張同じその太陽の力だ」と、彼はこの藤蔓から古い寓話を聞かされて居た。彼は又、彼の意志が――人間の意志が、自然の力を左右したやうにも考へた。寧ろ、自然の意志を人間である彼が代つて遂行したやうにも自負した。藤蔓が其處に生えて居た事は、自然にとつて何の不都合でもなかつたであらうに。兎に角、それでも人間の手が必要なのだ‥‥。彼は漫然そんなことをも思つてみた。

[やぶちゃん注:「其奴」定本には『そいつ』とルビ。

「壯んに育上げた」「さかんにそだてあげた」。]

 

 それにしても、あの薔薇は、どう變つて來るであらうか。花は咲くかしら?それを待ち樂む心から、彼は立上つて步いて行つた。薔薇を見るためである。其上にはたゞ太陽が明るく賴もしげに照してゐるほか、別に未だ何の變りもないのは、今朝もよく見て知つて居る筈だつたのに。

[やぶちゃん注:「樂む」「たのしむ」。]

 

 かうして幾日かはすぎた。薔薇のことは忘れられた。さうしてまた幾日かはすぎた。

 

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