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2017/04/09

柴田宵曲 續妖異博物館 「井の底の鏡」 附 小泉八雲「鏡の少女」原文+大谷正信譯

 

 井の底の鏡

 

 小泉八雲の書いた「鏡の少女」は、今典據を明かにし得ぬのを憾むと全集の「あとがき」にあるが、その内容から云つて、「垣根草」の中の「松村兵庫古井の妖鏡を得たる事」を用ゐたことは疑ひを容れぬ。松村兵庫は大河内明神の神主、和歌の奧儀を極めるつもりで、京極今出川の北に暫く滯留して居つた。當時畿内は大變な旱(ひで)りで水に乏しかつたに拘らず、兵庫の旅館の東北にある古井だけは、容易に涸れさうな氣色もない。近郷よりこの水を汲みに來る者が少からぬ中に、或日の夕方、鄰家の下女が長いこと井戸を覗いてゐると思つたら、忽ち中に落ち込んで溺れてしまつた。極めて深い井戸なので、死骸も數日後に漸く上るといふ始末であつたから、兵庫はその周圍にきびしく垣を結はせなどしたが、或時ふと井戸の中を覗くと、年の頃二十歳ばかりと見える美女のうるほしく化粧したのが、兵庫を見て少し顏をそむけ、につこり笑つた。兵庫も覺えず心魂も飛ぶやうになつたが、先日落ち込んだ下女の事を思ひ、これが人を溺らす古井の妖であらうと考へ直し、從者達にも固く制して、この井に近寄らせぬやうにした。

[やぶちゃん注:小泉八雲のそれは小説集THE ROMANCE OF THE MILKY WAY AND OTHER STUDIES & STORIES(一九〇五年刊)のTHE MIRROR MAIDENである。原文と訳は最後に掲げる

「全集」これは恐らく、大正一五(一九二六)年七月刊の第一書房版「小泉八雲全集 第七卷」の大谷正信(最後に彼の本作の訳を掲げた)の「あとがき」ではないかと思われるが、原本を所持しないので確認出来ないから、断定は出来ぬ。

「垣根草」は江戸中期の儒学者・医師で読本作家でもあった都賀庭鐘(つがていしょう 享保三(一七一八)年~寛政六(一七九四)年?)の作とされる(署名は「草官散人)「席上奇觀垣根草」のこと。その「松村兵庫古井の妖鏡を得たる事」は、後に晩鐘成編の「當日奇觀」(弘化五(一八四八)年板行)の「巻第五」に一部を改変して「松村兵庫古井の妖鏡」として載っている。後者を末尾に電子化しておいた

「大河内明神」現在の三重県松阪市郊外にあったの西南に大河内明神。「斎宮歴史博物館」公式サイト内のこちらによれば、ここは『室町時代に伊勢国司と守護を兼ね、織田信長に滅ぼされるまで伊勢の支配者として栄えた北畠氏の本城だったこともある所で』、この明神社は『北畠家の尊崇厚かった』ものの、『戦乱続く室町時代半ば頃には衰微著しく、嘉吉文安の頃』(一四四一年~一四四九年)『には修理もおぼつかないありさまとなって』おり、それが本話柄内の時制であるということらしい。]

 一夜恐ろしい風雨があつて、天地も崩れるかと思ふほどであつたが、漸く明方近くなつて晴れ渡つた時、兵庫の許を訪れた女がある。一間に通して見るのに、嘗て井戸の中でにつこり笑つた美女に相違ない。そなたは井の中の人ではないか、どうしてあのやうに人を惑はすのか、といふ兵庫の問に對し、女の答ふるところはかうであつた。私は人を殺す者ではありません、この井戸には昔から毒龍が住んで居りますので、どんな旱りにも涸れたことがないのです、私も昔井戸の中に落ち、それ以來龍のために使はれて居ります、人を惑はして引き入れるといふのも、已むを得ず私の致したことなのですが、實は辛くて堪りませんでした、昨晩天帝の御命令で、龍は信州鳥居の池に移りましたから、もうこの井戸に主(ぬし)は居りません、お願ひでございます、どうかこゝで私を井戸から救ひ出して下さいまし、その御恩は決して忘れません――。云ひ了ると女の姿は見えなくなつてしまつた。

[やぶちゃん注:「鳥居の池」後に示す訳では「鳥井ノ池」とするが、孰れも不詳。識者の御教授を乞う。]

 それから兵庫が人を雇つて井戸を浚つて見ると、あれほどあつた水が一滴もなくなつてゐる。井戸の中には引き込まれた女のものらしい、弄や簪があるだけだつたが、漸く底に到り一枚の古鏡が現れた。その鏡の裏には「姑洗之鏡」といふ四字の款識(くわんしき)があつた。姑洗は三月の事である。彼女は兵庫に對し彌生と名乘つたが、鏡の精であつたことがこの款識によつて明かになつた。彌生と名乘る女はその夜また現れて、深く兵庫の厚意を謝し、自己の過去などを語つた末に、次の二箇條を告げて去つた。第一は自分を將軍家に奬(すす)めれば大いなる幸ひを得るであらうといふ事、第二はこの地は久しく住むべき場所でない、速かに他に移り給ふべし、といふのである。その言に從ひ、翌日他へ移つたら、次の日地が陷沒して家も崩れてしまつた。こゝに於て愈々鏡の靈なることを思ひ、將軍義政に捧げたところ、その賞として伊勢の一庄を神領に寄進された。例の鏡はその後大内家に賜はり、吉隆戰死の後、所在不明になつた。

[やぶちゃん注:「姑洗」は「こせん」と読み、ここで述べる通り、陰暦三月の異称である。

「款識(くわんしき)」「款」は「陰刻の銘」を、「識」は「陽刻の銘」を指す語で、鐘や鼎(かなえ)などの鋳造の金属製品に刻した銘文を指す。

「大内」「吉隆」は周防国の在庁官人大内氏の第三十一代当主で戦国大名の大内義隆(永正四(一五〇七)年~天文二〇(一五五一)年:周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務めたが、文治政治に不満を抱いた家臣の陶隆房に謀反を起こされ、義隆とその一族は自害し、大内家は事実上、滅亡した。ここはウィキの「大内義隆」に拠った)の誤りである。但し、元の「垣根草」を確認出来ないので、原典の誤り(或いは意識的変名)か、柴田の誤記かは不明である。]

「垣根草」の記すところは大體右の如きものである。小泉八雲もこれによつて「鏡の少女」を書いたので、強ひて違つたところを擧げるならば、水を汲みに來て井に溺れたのが、近所の下男となつてゐるくらゐのものに過ぎぬ。「垣根草」は明和七年の刊行であるが、一年おくれて出た「名槌古今説(めいつちここんばなし)」にも「古鏡の報恩」といふ一篇があり、筋は全く同じである。殆ど時を同じうして出た書物に類話があるのを見れば、もと同根より生じた種と見なければなるまい。

[やぶちゃん注:「明和七年」一七七〇年。

「名槌古今説」荻坊奥路(大雅舎其鳳(きほう))撰になる小説集で、柴田の言う通り、明和八年板行である。「古鏡(こきや)の報恩」は同書の「卷之三」にある。早稲田大学図書館の古典総合データベースのこちらの画像の「9」以降で視認出来る。]

 水谷不倒氏はこの二話を「選擇古書解題」に擧げ、「支那小説から出てゐることは想像するに難くない」と斷じた。正にその通りで、「博異志」の冒頭にある敬元穎の話を日本に持つて來たものである。委しく梗概を述べるまでもない。洛陽に出て家を借りて住むことも、水を汲みに來る女子が溺れて死ぬことも、家を借りた陳仲躬が井を覗いて女子の面を見ることも、すべて原書のまゝであり、紅い袂で半ば面を掩ひ微笑するところまで材料に使つてゐる。たゞ著しく違ふのは恐るべき風雨の一條がない。數月に亙る炎旱に少しも水の減らなかつた井戸が、一日忽ち涸れたといふことになつてゐる。美女敬元穎は然る後仲躬を訪れ、前に書いたのと大同小異の問答がある。仲躬は人を賴んで井を浚ひ、古銅鏡一枚を獲た。元穎の言に從つて他に移り、三日後に井戸の陷沒するまで全く同じである。鏡の裏に二十八字が鑄出され、鈕(つまみ)のところに「夷則之鏡」と題してあつた。夷則は七月の事だから、「垣根草」はこれを姑洗に替へ、日本の女にふさはしい彌生といふ名を點出したのであらう。彌生の身の上話の中に、齊明天皇の時百濟(くだら)から渡るとあつたが、鏡のみならず、話全體が唐渡りなのであつた。

[やぶちゃん注:「水谷不倒」(安政五(一八五八)年~昭和一八(一九四三)年)は国文学者・小説家。名古屋生まれ。東京専門学校卒。坪内逍遥に師事し、明治二九(一八九六)年に小説「錆刀」を発表した。明治三二(一八九九)年には大阪毎日新聞社に入社したが、六年後の明治三十八年に退社した。元来が学究肌で、以後、近世文学の研究に専念した。主として浄瑠璃を研究・校注を施した(以上はウィキの「水谷不倒」に拠った)。「選擇古書解題」は昭和一二(一九三七)年刊。

『「博異志」の冒頭にある敬元穎の話』は以下の「敬元穎」。中文サイトのものを加工して示す。

   *

天寶中、有陳仲躬、家居金陵、多金帛。仲躬好學、修詞未成、乃攜數千金於洛陽淸化里假居一宅。其井尤大、甚好溺人、仲躬亦知之。志靡有家室、無所懼。仲躬常抄習不出、月餘日、有鄰家取水女子、可十數、怪每日來於井上、則逾時不去、忽墮井中而溺死。井水深、經宿方索得尸。仲躬異之、閒乃窺於井上。忽見水影中一女子面、年狀少麗、依時樣妝飾、以目仲躬。仲躬凝睇之、則紅袂半掩其面、微笑、妖冶之資出於世表。仲躬神魂恍惚、若不支持。然乃嘆曰、「斯乃溺人之由也。」。滋不顧而退。後數月、炎旱、此井亦不減。忽一日、水頓竭淸。旦有一人扣門云、「敬元穎請謁。」。仲躬命入、乃井中所見者、衣緋綠之衣、其制飾鉛粉乃當時耳。仲躬與坐而訊之曰、「卿何以殺人。」。元穎曰、「妾實非殺人者。此井有毒龍、自漢朝絳侯居於茲、遂穿此井。洛城都有五毒龍、斯乃一也。緣與太一左右侍龍相得、每相蒙蔽、天命追徵、多故爲不赴集役、而好食人血、自漢已來、已殺三千七百人矣、而水不曾耗涸。某乃國初方隨於井、遂爲龍所驅使、爲妖惑以誘人、用供龍所食。其於辛苦、情所非願。昨爲太一使者交替、天下龍神盡須集駕、昨夜子時已朝太一矣。兼爲河南旱、被勘責、三數日方囘。今井内已無水、君子誠能命匠淘之、則獲脱難矣。如脱難、願於君子一生奉義、世間之事、無所不致。」言訖便失所在。仲躬乃當時命匠、令一信者與匠同入井、但見異物、卽令收之。至底、無別物、唯獲古銅鏡一枚。面闊七寸八分。仲躬令洗淨、安匣中、焚香以潔之。斯乃敬元穎者也。一更後、忽見元穎自門而入、直造燭前設拜、謂仲躬曰、「謝以生成之恩、煦衣濁水泥之下。某本師曠所鑄十二鏡之第七者也。其鑄時皆以日月爲大小之差、元穎則七月七日午時鑄者也。貞觀中爲許敬宗婢蘭苔所墮。以此井水深、兼毒龍氣所苦、人入者悶而不可取、遂爲毒龍所役。幸遇君子正直者、乃獲重見人間爾。然明晨内望君子移出此宅。」。仲躬曰、「某以用錢僦居、今移出、何以取措足之所。」。元穎曰、「但請君子飾裝、一無憂矣。」。言訖、再拜云、「自此去不復見形矣。」。仲躬遽留之。問曰、「汝以紅綠脂粉之麗、何以誘女子小兒也。」對曰、「某變化無常、各以所悦、百方謀策、以供龍用。」言訖卽無所見。明晨、忽有牙人扣戸、兼領宅主來謁仲躬、便請仲躬移居、夫役並足。到齋時、便到立德坊一宅中、其大小價數一如淸化者、其牙人云、「價直契書、一無遺闕。」。並交割訖。後三日、會淸化宅井無故自崩、兼延及堂隍東廂、一時陷地。仲躬後丈戰累勝、大官、有所要事、未嘗不如移宅之績效也。其鏡背有二十八字、皆科斗書、以今文推而寫之曰、「維晉新公二年七月七日午時、於首陽山前白龍潭鑄成此鏡、千年後世。」。於背上環書、一字管天文一宿、依方列之。則左有日而右有月、龜龍虎雀並依方安焉。於鼻中題曰、「夷則之鏡。」。

   *

「敬元穎」「ケイゲンエイ」。

「陳仲躬」「チンチウキユウ(チンチュウキュウ)」。

「夷則」「いそく」は陰暦七月の異称。実は先の「姑洗」もそうだが、元来は中国音楽の十二律の一つで、それぞれ基本音律を一引くと、それぞれその数字となるから、語源はそこにあろう。最後に示す原拠と思われるそれでもそれが明らかに述べられてもいる

「齊明天皇」女帝。皇極天皇及び重祚して斉明天皇。第三十五代及び第三十七代の天皇。在位期間は、皇極天皇として皇極天皇元年一月十五日(単純換算でユリウス暦六四二年二月十九日)から同四年六月十四日(六四五年七月十二日)、斉明天皇としては斉明天皇元年一月三日(六五五年二月十四日)から同七年七月二十四日(六六一年八月二十四日)。舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇皇后)・天武天皇の母(ウィキの「斉明天皇」に拠る)。]

 この話に於ける第一の山は、鏡の少女が井の底に在つて嫣然一笑する一條でなければならぬ。如何にも美しい山だから、「靑蛙堂鬼談」(岡本綺堂)の「淸水の井」などにも流用してある。「淸水の井」は六百年前の昔話にしてあるが、鏡が井戸から發見されるのは現代で、井の底に美しい二人の男の姿が映るため、その家の二人の娘が覗きに行くのが動機になつてゐる。覗くのが娘だから映る顏も美男、二人娘だから鏡も二面といふ風に、いろいろ曲折を加へた上、昔話の方にも平家の公達(きんだち)が登場したりして、大分複雜になつてはゐるが、井の底の鏡が山である點に變りはない。辿つて行けばやはり敬元穎の末孫といふことになるのであらう。

[やぶちゃん注:「嫣然」「えんぜん」は「艶然」とも書き、「にっこり微笑むさま」であるが、多くは「美人が笑うさま」について言う語である。

『「靑蛙堂鬼談」(岡本綺堂)の「淸水の井」』大正一四(一九二五)年二月発行の『講談倶樂部』初出の「淸水(しみづ)の井(いど)」。「青空文庫」の「青蛙堂鬼談」で読める(新字新仮名)。

 では、まず、小泉八雲の「鏡の少女」であるが、最初に、英文サイトの刊行siteInternet Archive)とテクスト原文siteGutenberg)を視認して校合し、一部に加工を施して示した。原注記号は独自の記号で文中に配し、近い位置の段落末に六字下げで原注を配した

   *

 

THE MIRROR MAIDEN

 

   In the period of the Ashikaga Shōgunate the shrine of Ogawachi-Myōjin, at Minami-Isé, fell into decay; and the daimyō of the district, the Lord Kitahataké, found himself unable, by reason of war and other circumstances, to provide for the reparation of the building. Then the Shintō priest in charge, Matsumura Hyōgo, sought help at Kyōto from the great daimyō Hosokawa, who was known to have influence with the Shōgun. The Lord Hosokawa received the priest kindly, and promised to speak to the Shōgun about the condition of Ogawachi-Myōjin. But he said that, in any event, a grant for the restoration of the temple could not be made without due investigation and considerable delay; and he advised Matsumura to remain in the capital while the matter was being arranged. Matsumura therefore brought his family to Kyōto, and rented a house in the old Kyōgoku quarter.

   This house, although handsome and spacious, had been long unoccupied. It was said to be an unlucky house. On the northeast side of it there was a well; and several former tenants had drowned themselves in that well, without any known cause. But Matsumura, being a Shintō priest, had no fear of evil spirits; and he soon made himself very comfortable in his new home.

 

   In the summer of that year there was a great drought. For months no rain had fallen in the Five Home-Provinces; the river-beds dried up, the wells failed; and even in the capital there was a dearth of water. But the well in Matsumura's garden remained nearly full; and the water—which was very cold and clear, with a faint bluish tinge—seemed to be supplied by a spring. During the hot season many people came from all parts of the city to beg for water; and Matsumura allowed them to draw as much as they pleased. Nevertheless the supply did not appear to be diminished.

   But one morning the dead body of a young servant, who had been sent from a neighboring residence to fetch water, was found floating in the well. No cause for a suicide could be imagined; and Matsumura, remembering many unpleasant stories about the well, began to suspect some invisible malevolence. He went to examine the well, with the intention of having a fence built around it; and while standing there alone he was startled by a sudden motion in the water, as of something alive. The motion soon ceased; and then he perceived, clearly reflected in the still surface, the figure of a young woman, apparently about nineteen or twenty years of age. She seemed to be occupied with her toilet: he distinctly saw her touching her lips with béni.* At first her face was visible in profile only; but presently she turned towards him and smiled. Immediately he felt a strange shock at his heart, and a dizziness came upon him like the dizziness of wine, and everything became dark, except that smiling face,—white and beautiful as moonlight, and always seeming to grow more beautiful, and to be drawing him down—down—down into the darkness. But with a desperate effort he recovered his will and closed his eyes. When he opened them again, the face was gone, and the light had returned; and he found himself leaning down over the curb of the well. A moment more of that dizziness,—a moment more of that dazzling lure,—and he would never again have looked upon the sun...

      * A kind of rouge, now used only to color the lips.

   Returning to the house, he gave orders to his people not to approach the well under any circumstances, or allow any person to draw water from it. And the next day he had a strong fence built round the well.

 

   About a week after the fence had been built, the long drought was broken by a great rain-storm, accompanied by wind and lightning and thunder,—thunder so tremendous that the whole city shook to the rolling of it, as if shaken by an earthquake. For three days and three nights the downpour and the lightnings and the thunder continued; and the Kamogawa rose as it had never risen before, carrying away many bridges. During the third night of the storm, at the Hour of the Ox, there was heard a knocking at the door of the priest's dwelling, and the voice of a woman pleading for admittance. But Matsumura, warned by his experience at the well, forbade his servants to answer the appeal. He went himself to the entrance, and asked,—

   "Who calls?"

   A feminine voice responded:—

   "Pardon! it is I,—Yayoi!*... I have something to say to Matsumura Sama,—something of great moment. Please open!"...

      * This name, though uncommon, is still in use.

   Matsumura half opened the door, very cautiously; and he saw the same beautiful face that had smiled upon him from the well. But it was not smiling now: it had a very sad look.

   "Into my house you shall not come," the priest exclaimed. "You are not a human being, but a Well-Person.... Why do you thus wickedly try to delude and destroy people?"

   The Well-Person made answer in a voice musical as a tinkling of jewels (tama-wo-korogasu-koë):—

   "It is of that very matter that I want to speak.... I have never wished to injure human beings. But from ancient time a Poison-Dragon dwelt in that well. He was the Master of the Well; and because of him the well was always full. Long ago I fell into the water there, and so became subject to him; and he had power to make me lure people to death, in order that he might drink their blood. But now the Heavenly Ruler has commanded the Dragon to dwell hereafter in the lake called Torii-no-Iké, in the Province of Shinshū; and the gods have decided that he shall never be allowed to return to this city. So to-night, after he had gone away, I was able to come out, to beg for your kindly help. There is now very little water in the well, because of the Dragon's departure; and if you will order search to be made, my body will be found there. I pray you to save my body from the well without delay; and I shall certainly return your benevolence."...

   So saying, she vanished into the night.

 

   Before dawn the tempest had passed; and when the sun arose there was no trace of cloud in the pure blue sky. Matsumura sent at an early hour for well-cleaners to search the well. Then, to everybody's surprise, the well proved to be almost dry. It was easily cleaned; and at the bottom of it were found some hair-ornaments of a very ancient fashion, and a metal mirror of curious form—but no trace of any body, animal or human.

   Matusmura imagined, however, that the mirror might yield some explanation of the mystery; for every such mirror is a weird thing, having a soul of its own,—and the soul of a mirror is feminine. This mirror, which seemed to be very old, was deeply crusted with scurf. But when it had been carefully cleaned, by the priest's order, it proved to be of rare and costly workmanship; and there were wonderful designs upon the back of it,—also several characters. Some of the characters had become indistinguishable; but there could still be discerned part of a date, and ideographs signifying, "third month, the third day." Now the third month used to be termed Yayoi (meaning, the Month of Increase); and the third day of the third month, which is a festival day, is still called Yayoi-no-sekku. Remembering that the Well-Person called herself "Yayoi," Matsumura felt almost sure that his ghostly visitant had been none other than the Soul of the Mirror.

   He therefore resolved to treat the mirror with all the consideration due to a Spirit. After having caused it to be carefully repolished and resilvered, he had a case of precious wood made for it, and a particular room in the house prepared to receive it. On the evening of the same day that it had been respectfully deposited in that room, Yayoi herself unexpectedly appeared before the priest as he sat alone in his study. She looked even more lovely than before; but the light of her beauty was now soft as the light of a summer moon shining through pure white clouds. After having humbly saluted Matsumura, she said in her sweetly tinkling voice:—

   "Now that you have saved me from solitude and sorrow, I have come to thank you.... I am indeed, as you supposed, the Spirit of the Mirror. It was in the time of the Emperor Saimei that I was first brought here from Kudara; and I dwelt in the august residence until the time of the Emperor Saga, when I was augustly bestowed upon the Lady Kamo, Naishinnō of the Imperial Court*. Thereafter I became an heirloom in the House of Fuji-wara, and so remained until the period of Hōgen, when I was dropped into the well. There I was left and forgotten during the years of the great war**. The Master of the Well*** was a venomous Dragon, who used to live in a lake that once covered a great part of this district. After the lake had been filled in, by government order, in order that houses might be built upon the place of it, the Dragon took possession of the well; and when I fell into the well I became subject to him; and he compelled me to lure many people to their deaths. But the gods have banished him forever.... Now I have one more favor to beseech: I entreat that you will cause me to be offered up to the Shōgun, the Lord Yoshimasa, who by descent is related to my former possessors. Do me but this last great kindness, and it will bring you good-fortune.... But I have also to warn you of a danger. In this house, after to-morrow, you must not stay, because it will be destroyed."... And with these words of warning Yayoi disappeared.

      * The Emperor Saimei reigned from 655 to 662 (A.D.); the Emperor Saga from 810 to 842.—Kudara was an ancient kingdom in southwestern Korea, frequently mentioned in early Japanese history.—A Naishinnō was of Imperial blood. In the ancient court-hierarchy there were twenty-five ranks or grades of noble ladies;—that of Naishinno was seventh in order of precedence.

      ** For centuries the wives of the emperors and the ladies of the Imperial Court were chosen from the Fujiwara clan—The period called Hōgen lasted from 1156 to 1159: the war referred to is the famous war between the Taira and Minamoto clans.

      *** In old-time belief every lake or spring had its invisible guardian, supposed to sometimes take the form of a serpent or dragon. The spirit of a lake or pond was commonly spoken of as Iké-no-Mushi, the Master of the Lake. Here we find the title "Master" given to a dragon living in a well; but the guardian of wells is really the god Suijin.

 

   Matsumura was able to profit by this premonition. He removed his people and his belongings to another district the next day; and almost immediately afterwards another storm arose, even more violent than the first, causing a flood which swept away the house in which he had been residing.

   Some time later, by favor of the Lord Hosokawa, Matsumura was enabled to obtain an audience of the Shōgun Yoshimasa, to whom he presented the mirror, together with a written account of its wonderful history. Then the prediction of the Spirit of the Mirror was fulfilled; for the Shōgun, greatly pleased with this strange gift, not only bestowed costly presents upon Matsumura, but also made an ample grant of money for the rebuilding of the Temple of Ogawachi-Myōjin.

 

   *

 次に、大谷正信(昭和八(一九三三)年没でパブリック・ドメイン)の訳(新潮文庫昭和二五(一九五〇)年古谷綱武編「小泉八雲集 上巻」)を示す。これはサイト「別館 しみじみと朗読に聴き入りたい」のこちらのページこちらのPDF画像を視認した。傍点「ヽ」は太字とした。底本の右注記号は《 》で本文に入れた。

   *

 

     鏡の少女

 

 

 足利將軍時代に南伊勢の大河内明神の神社が頽廢したところ、其國の大名北畠公は戰爭や他の事情の爲めに、其建物の修繕を圖ることが出來なかつた。そこで、其社を預つて居た神官の松村兵庫といふが京都へ行つて、將軍に信用されて居ると知られてゐた、大大名の細川公に助力を求めた。細川公は其神官を懇切にもてなし、大河内明神の有樣を將軍に言上しようと約束した。然し、兎に角、社殿修理の許可は相當な取調べをし、又、可也手間を取らねば與へられまいと云つて、事が取極められる間、都に止まつて居るやうにと松村に勸めた。其處で松村は家族の者を京都へ呼び寄せて、昔の京極の處に家を一軒借りた。

 この家は、綺麗で廣かつたが、長い間、人が住まずに居たのであつた。不吉な家だと世間で言つて居つた。その東北側に井戸が一つあつた。そして、何んとも原因知れずに、その井戸で溺死した前の借家人が幾人もあつたからである。然し松村は、神官のことだから、惡靈など更に恐れず、直ぐと、この新居で居心地よく暮した。

 その年の夏大旱魃があつた。幾月も一滴の雨も五畿内に降らなかつたので、川床は涸れ、井戸は干て、この都にさへ水の拂底を見た。ところが、松村の庭の井戸は相變らず水が殆んど一杯で、その――非常に冷たく淸く、微かに靑味を帶びて居た――水は泉が供給するらしく思はれた。暑い季節の間、町の方方から水貰ひに多勢人が來たが、松村は欲しいだけいくらでも人に汲ませた。それでも水の供給は滅るやうには見えなかつた。

 ところが、或る朝、近處の家から水汲みに來た、年若い下男の死骸が、其井戸に浮んで居るのが見つかつた。自殺の原因は何一つ想像出來なかつたので、松村は、其井戸に就いての面白からぬ話を數數想ひ出して、何か眼に見えぬ怨恨の業ではないか知らと疑ひ始めた。そこで、其まはりに垣を造らせようと思つて、其井戸を檢べに行つた。すると、獨りで其處に立つて居る間に、水の中で、何か生きて居る物がするやうに、突然、物が動くので驚いた。其動きがやがて歇むと、見た處十九か二十歳ぐらゐの若い女の姿が、其靜かな水面に明らかに映つて居るのが見えた。切(しき)りとお化粧をして居るやうで、唇へ紅(べに)をさすのが判然(はつきり)見えた。初めは其顏は橫顏だけ見えてゐたが、やがてのこと、その女は松村の方を向いてにつこりと笑つた。直ぐに其心臟に異常な衝動を感じ、酒に醉つたやうに眩暈がして、――月の光りの如く白くまた美しく、いつも次第に美しさを增すやうに思はれ、また闇黑へ彼を引き下ろさう、下ろさうとするやうに思はれる、そのにこりとした顏だけが殘つて、一切の物が暗くなつた。だが、彼は一所懸命に意志を取り戾して眼を閉ぢた。それから眼を開けて見たら、その顏は消えて居り、世は明かるくなつて居た。そして自分は井桁から下へうつむいて居ることを知つた。あの眩暈(めまひ)がもう一秒續いたなら――あのまぶしい誘惑がもう一秒續いたなら、二度と日の目を見ることは出來なかつたことであらう。……

 家へ歸ると、皆の者にどんな事があらうと、その井戸へ近寄らぬやう、どんな人にもその水を汲ませぬやう命じた。そして、その翌日、丈夫な垣をその井戸のまはりに造らせた。

 

 垣が出來てから一週間許りすると、その長の旱天(ひでり)が風と稻光りと雷――全市が、その轟きで地震で顫へるやうに、ふるへたほどの恐ろしい雷――との伴うた大風雨で絶えた。三日三晩その土砂降りと電光と雷鳴とが續き、鴨河は未だ嘗て見ぬほど水嵩が增して、多く橋を流し去つた。その風雨の三日目の夜、丑の刻に、その神官の家の戸を敲くものがあつて、内へ入れて呉れと賴む女の聲が聞えた。が、松村は井戸での事を思ひ出して、あぶないと思つたから、その哀願に應ずることを召使の者共に禁じた。自分で入口の處へ行つて、かう訊ねた。

『誰れだ』

 すると女の聲が返事した。

『御免下さい! 私で御座います――あの彌生で御座います!……松村樣に申し上げたい事が――大切な事が御座いまして、何卒(どうぞ)、開けて下さいませ!』……

 松村は用心しで戸を半分開けた。すると井戸から自分を見てにこりと笑つた、あの美しい顏が見えた。しかし今度はにこにこしては居ないで、大變悲しさうな顏をして居つた。

『私の家へは、はいらせぬ』と神官は呶鳴つた。『お前は人間では無い。井戸の者だ。……何故、お前はあんなに意地惡るく人を騙して殺さうとするのだ?』

 その井戸の者は珠のちりんちりん、いふやうな調子のいい聲(タマヲコロガスコヱ)で返事した。

『私の申し上げたいと思ひますのは、その事に就いてで御座います。……私は決して人を害ねようとは思つて居りません。が、古昔(むかし)から毒龍があの井戸に棲んで居りました。それがあの井戸の主で御座いました。それであの井戸には水がいつも一杯にあるので御座います。ずつと前に、私はあの水の中へ落ちまして、それであれに仕へることになつたので御座います。自分がその血を飮むやうにと、私に、人を騙して死なせるやうにさせたので御座います。が、今後は信州の鳥井ノ池といふ池に隱むやう神樣が、今度、御云ひ附けになりまして、神樣はあれをこの町へ二度と歸らせてはやらぬと御極めになりました。で、御座いますから今夜、あれが去(い)つてしまつてからあなた樣のお助けを御願ひに、出て末ることが出來たので御座います。その龍が去(い)つてしまひましたから、今、井戸には水が少ししか御座いません。云ひ附けて探させて下されば、私の身體(からだ)が見つかるで御座いませう。どうか、御願ひで御座います、早く私の身體(からだ)を井戸から出して下さいませ。屹度、御恩返しは致しますから』……

 かう言つてその女は闇へ消えた。

 

 夜明けまでに風雨は過ぎ去つた。日が出た時には澄んだ靑空に雲の痕も無かつた。松村は早朝、井戸掃除屋を呼びに遣つて、井戸の中を搜させた。すると誰れもが驚いたことには井戸は殆んど干涸らびてゐた。容易(たやす)く掃除された。そして其底に頗る古風な髮飾りと妙な恰好の金屬の鏡とが見附かつたが――身體(からだ)は動物のも人間のも、何んの痕跡も無かつた。

 だが、松村は此鏡が、その神祕の説明を與へはせぬか知らと想つた。そんな鏡はいづれも己の魂を有つて居る不思議な品物で――鏡の魂は女性だからである。その鏡は餘程古いもののやうで、錆が厚く著いて居つた。が、神官の命で丁寧に、それを掃除させて見ると、稀なそして高價な細工だといふことが判り、その裏に奇妙な模樣があり、文宇も數數あることが知れた。その文字には見分けられなくなつて居るものもあつたが、日附の一部分と、『三月三日』といふ意味の表意文字とは見極はめることが出來た。ところで、三月は昔は彌生(いや增すといふ意味)と云つたもので、祭り日となつて居る三月の三日は、今なほ彌生の節句と呼んで居る。あの井戸の者が自分の名を『彌生』と云つたことを想ひ起こして松村は、自分を訪ねた靈の客は、この鏡の魂に他ならぬ、と殆んど確信した。

 だから、その鏡は靈に對して拂ふべき顧慮を以て、鄭重に取り扱はうと決心した。丁寧に磨きなほさせ、銀を著けなほさせてから、貴重な木でそれを容れる箱を造らせ、その箱を仕舞つて置く別室を家の中に用意させた。すると、その箱を恭しくその部屋へ置いた、丁度その日の晩に、神官が獨りで書膏齋に坐つて居ると忽然、その彌生が、その前へ姿を現した。前よりも、もつと美しいぐらゐであつたが、その美はしさの光りは、今度は淸い白雲を透して輝く夏の月の光りの如く軟かいものであつた。頭低く、松村に辭儀をしてから、玉のやうな美くしい聲でかう言つた。

『あなたが、私の獨り住居を救ひ、私の悲しみを除(と)つて下さいましたから、御禮に上りました。……私は、實は、御察しの通り、鏡の魂なので御座います。齊明天皇の御世で御座いました。私は百濟から始めてこちらへ連れて來られたので御座いまして、嵯峨天皇の時まで、御屋敷に住まつて居たので御座いますが、天皇は私を皇居の加茂内親王に御與へになつたので御座います。その後、私は藤原家の寶物になりまして、保元時代まで《*》でゐましたが、その時にあの井戸へ落とされたので御座います。あの大戰爭《**》の幾年の間私は其處に置かれたまま人に忘れられて居たので御座います。その井戸の主《***》は、元は此邊一帶にあつた大池に棲んでゐた毒龍で御座いました。その大池が、お上(かみ)の命令で、家を其處へ建てる爲めに、埋められましてから、その龍はあの井戸を我が物にしたので御座います。私はあの井戸へ落ちてから、それへ仕へることになりまして、あれが無理に私に人を多く死なせるやうにしたので御座います。だが、神樣があれを永久に追ひ拂ひになりました。……あの、私に、も一つ御願ひが御座います。私の前の持主と家柄が續いて居りますから、將軍義政公へ私を獻上して下さいませんでせうか、御願ひ致します。最後のこの御深切さへして戴けますれば、私はあなた樣に幸福を持つて參りませう。……が、その上にあなた樣の身に危ふいことがあることを御知らせ致します。この家には、明日から、おいでになつてはいけません。この家は壞れますから』……

 そしてかう警戒の言葉を述べると共に、彌生は姿を消した。

 松村はこの豫戒によつて利益を享けることが出來た。翌日、自分の家の者共と品物とを別な町へ移した。すると殆んどその直ぐ後に、初めのよりかもつと猛烈なくらゐの暴風が起こつて、その爲めの洪水で、それまで住まつてゐた家は流されてしまつた。

 その後暫くして松村は、細川公の厚意によつて將軍義政に謁見するを得て、その不思議な來歷を紙に書いたものと一緒に、かの鏡を獻上した。そして、その時鏡の魂の豫言が實行された。將軍はこの珍らしい贈り物を大いに喜ばれて、松村へ高價な贈物を與へられたばかりで無く、大河内明神の神殿再建に澤山の寄附金をされたからである。

[やぶちゃん注:以下の注記は、底本では総て下インデント。]

*〔齊明天皇の治世は六五五年(紀元)から六六二年まで。嵯峨天皇は八一〇年から八四二年まで。百濟は朝鮮の西南部にあつた古の王國で、初期の日本史によくその名が出て居る。内親王は皇室の血統の方。昔の宮廷階級には高貴な婦人に二十五階級あつて、内親王は席次では第七階であつた〕

**〔幾世紀の間、天皇の好配と宮廷の貴女とは藤原家から選まれた。保元時代は一五六年から一一五九年まで。ここに云ふ戰爭は平家源氏間の、あの有名な戰爭〕

***〔昔の信仰では湖・泉にはいづれも眼には見えぬ守護者があつて、時に蛇又は龍の姿を取ると想はれて居た。湖水や池の靈は普通イケノヌシ卽ち『池の主』と云つて居た。此處(ぬし)[やぶちゃん注:「ぬし」は「處」へのルビ。]には『主』といふ名を井戸に棲む龍に與へてあるが、本當は井戸の守護者は水神といふ神である〕 (大谷正信譯)

  The Mirror Maiden.The Romance Of The Milky Way And Other Studies & Stories.”

   *

最後に附された注は原注の抜粋訳である。なお、「加茂内親王」は一般名詞で、賀茂斎院のことであろう。賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕した皇女を指し、伊勢神宮の「斎宮」と併せて「斎王」とも称した。

   *

 

 最後に、前に示した通り、晩鐘成編の「當日奇觀」(弘化五(一八四八)年板行)の「巻之第五」の「松村兵庫古井の妖鏡」を一九九〇年講談社学術文庫刊の小泉八雲著・平川祐弘編「怪談・奇談」の「原拠」を参考底本としつつ、恣意的に漢字を正字化して以下に示す。読み(左読みの和訓があるようだが、概ね排除し、一部に私が注で入れ込んだ)は一部に限った。多量の歴史的仮名遣の誤りは総てママである。踊り字「〱」は正字化した。

   *

 南勢(なんせい)大河内の郷ハそのかミ國司の府にて南朝の頃までハ北畠殿こゝにおハして一方を領(るやう)じたまふ國府の西南に大河内明神の社(やしろ)あり國司より宮宇(きうう)も修理(しゅり)したまひ神領もあまた寄(よせ)られしが漸(やうや)く衰廢して嘉吉文安の頃にいたりてハ社頭も雨露(うろ)におかされたまふ風情なりしかバ祠官(しくハん)[やぶちゃん注:神主と同義。]松村兵庫(まつむらへうご)なるもの都に登りて時の管領(くハんれい)細川家に由緒あるにたよりて修造(しゆざう)の事を訴ふるといへども前(ぜん)將軍義教公赤松がために弑(しい)られたまひ後嗣(こうし)もほどなく早世(さうせい)ありて義政公將軍の職を繼(つぎ)たまふ打續(うちつゞき)て公(をゝやけ)の事(こと)繁きに其事となくすぎ侍(はんべ)れハ兵庫ハもとより文才もかしこく和歌の道なども幼(いとけなき)より嗜(たし[やぶちゃん注:「なみ」の脱か。])たりしかバ幸(さいハひ)に滯留して其奧儀(おうぎ)をもきハめんと京極今出川の北に寓居(くうきよ)して公の沙汰を待居(まちゐ)たり旅館の東北(ひがしきた)にあたりて一(ひとつ)の古井(こせい)ありてむかしより時々よく人を溺(をぼ)らすときゝたれども宅眷(たくけん[やぶちゃん注:左ルビで「かない」とするらしい。])とてもなく從者(じゆしや)一人のミなれバ心にも挾(さしはさ)まず暮しけり其頃畿内大(をゝゐ)に旱(ひでり)して洛中も水に乏しき折にもかの古井ハ涸(かる)ることなく水(ミづ)藍(あい)のごとくミちたれバ近隣より汲(くミ)とる者多しされとも人々心して汲(くみ)ゆへにや溺るゝ者もなかりしに或日(あるひ)暮(くれ)の頃、隣家(りんか)の婢(ひ)例のごとく汲(くま)んとして久しく井中(いちう)を窺ひ居たるをあやしと見るうちに忽(たちまち)墜(をち)いりて溺れ死したり井水(いすい)きわめて深けれバ數日(すじつ)を經て漸くその死骸をもとめ得たり是より兵庫あやまちあらん事を怖れて垣など嚴しくしつらひたりしが去(さる)にてもあやしとおもふよりたちよりて竊(ひそか)に窺ふに中に年の頃廿(はたち)ばかりと覺しき女のなまめけるが粧飾(さうしよく)いとうるハしく粧(よそほ)ひてあり兵庫をミてすこし顏そむけて笑ふ風情(ふぜい)その艷(えん)なる事世のたぐひにあらず魂(たましい)飛(とび)こゝろ動(うごき)てやがてちかよらんとせしがおもひあたりて扨はかくして人を溺らす古井の妖なるべしあなをそろしと急に立(たち)さりて從者にも此よしかたく制して近付(ちかづか)しめず或夜(よ)二更[やぶちゃん注:現在の午後九時又は午後十時から二時間を指す。亥の刻。]の頃より風雨はなハだ烈しく樹木を倒(たを)し屋瓦(をくぐハ)を飛(とバ)せ雨ハ盆を傾(かたぶ)くるごとく閃電(せんでん)晝のごとく霹靂をびたゝしく震ひ天柱(てんちう)も折(くじ)け地維(ちゆい)[やぶちゃん注:普通は「ちゐ(ちい)」と読み、大地を支えていると考えられた綱。転じて大地の意。「天柱」の対語。]も崩るゝかとおもふうちに天晴(そらはれ)て夜も明(あけ)たるに兵庫とく起(をき)て窓を開(あけ)て外面(そとも)を窺ふところ表に女の聲して案内を乞ふ誰(たそ)ととヘバ彌生(やよひ)と答ふ兵庫あやしミながら裝束(しやうぞく)して戸をひらき一間に請(しやう)じてこれを見れバ先に井中にありし女なり兵庫が云(いハく)女郎(ぢよらう)ハ井中の人にあらずや何ぞミだりに人を惑して殺すや女云(いハく)妾(せう)ハ人をころす者にあらず此井毒龍(どくりやう)ありてむかしよりこゝにすむゆへに大旱(たいかん)といへども水かるゝ事なし妾(せう)ハ中音(なかむかし)井に墜(をち)て遂に龍(りやう)のために役便(えきし)セられやむことを得ずして色(いろ)を以て人を惑し或ハ衣裝粧具(さうぐ)の類(るい)を以て欺(あざむ)きすかして龍(りやう)の食ふところに供するのミ龍(しやう)人血(にんけつ)をこのミて妾(せう)をしてこれを辨(べん)ゼしむる[やぶちゃん注:処理させる。]其辛苦堪(たへ)がたし昨夜天帝の命ありてこゝをさりて信州鳥居(とりゐ)の池にうつらしむ今(いま)井中主(ぬし)なし此時君(きミ)人をして妾(せう)を拯(すくふ)て井を脱(だつ)セしめ給へもし脱することを得バおもく報ひ奉るべしといひ終りて行方(ゆくがた)をしらず兵庫數人(すにん)をやとひて井をあバかしむるに水涸(かれ)て一滴もなしされども井中他(た)のものなく唯(たゝ)笄簪(けんさん[やぶちゃん注:左ルビで「かうがいかんざし」とあるようである。])のるいのみなり漸(やうや)く底に至りて一枚の古鏡(こきやう)ありよくよくあらひ淸めて是をミるに背に姑洗之鏡(きせんのかゞみ)といふ四字の款識(あふしき)ありてさてハ彌生といひしは此ゆへなりと香(かう)を以て其穢汚(ゑを)を淸め匣中(かうちう)[やぶちゃん注:小箱の内。]に安(あん)し一間なる所を淸くしつらひて置(をき)たりしに其夜女又來りて云(いふ)やう君(きミ)の力によりて數(す)百年の苦(くるし)ミをのがれて世に出ることを得侍(えはんべ)るうへ不淨を淸めて穢(けがれ)をさりたまひしゆへとし月の腥穢れ(せいえ[やぶちゃん注:左に「なまぐさきけがれ」とルビがあるらしい。])をわすれ侍りそも此井ハむかし大(をゝゐ)なる池なりしを遷都の時埋(うづ)めたまひ漸(やうやう)形ばかりをのこしたまふ都を遷(うつ)したまふときハ八百神(やをよろづ)の神々きたりたすけ給ふゆへ其(その)むかしよりすミたりし毒龍(どくりう)もせんすべなくして井中(せいちう)をしめてすまひ侍り妾(せう)ハ齊明天皇の時百濟國(くだらこく)よりワたされて久しく宮中に祕め置(おか)れしが嵯峨天皇のときに皇女賀茂の内親王にたまハり夫(それ)より後(のち)兼明(かねあきら)親王[やぶちゃん注:延喜一四(九一四)年生まれで永延元(九八七)年没。醍醐天皇の第十六皇子で朱雀天皇・村上天皇・源高明の異母兄弟に当たる。一時、臣籍降下して源兼明(かねあきら)と名乗ったが、晩年になって皇籍に復帰し、中務卿となったことから「中書王(ちゅうしょおう)」などと呼ばれた。博学多才で書もよくしたという。ここはィキの「兼明親王に拠った。]の許(もと)に侍(はんべ)り遂に藤原家に傳ハり御堂殿(みどうどの)[やぶちゃん注:藤原道長。]ことに祕藏したまひしが其後(のち)保元(ほうげん)の亂に誤りて此(この)井に墜(をち)てより長く毒龍(どくりう)に責(せめ)つかハれて今日(こんにち)にいたる十二律(りつ)にかたどりて鑄(ゐ)さしめらるゝ中(うち)妾(せう)ハ三月三日に鑄る所の物なり君(きミ)妾(せう)を將軍家にすゝめたまハゞ大(をゝゐ)なる祥(さいわい)を得給ふべし其上此所(このところ)久しくすミたまふ所にあらずとく外(ほか)に移り給へと懇(ねんごろ)にかたり終りてかきけすごとくにして其形をミず兵庫その詞(ことバ)のごとく翌日外(ほか)に移りて事のやうを窺ふに次の日故(ゆへ)なくして地をちいり家(いへ)も崩(くずれ)たりますます鏡(かゞみ)の靈(れい)にして報ゆるところなるをさとりてこれを將軍家に奉るにそのころ義政公古翫(こぐハん[やぶちゃん注:左ルビで「ふるどうぐ」とあるらしい。])を愛したまふ折(をり)なれバはなハだ賞(しやう)したまひ傳來するところまであきらかに侍(はんべ)るにぞ第一の奇寶(きほう)としたまひ兵庫にハ其賞として南勢(なんせい)にて一ケの庄(せう)を神領(じんりやう)によせられ猶も社頭再建ハ公(をゝやけ)より沙汰すべきよしの嚴命をかうむりて兵庫ハ本意(ほゐ)のごとく多年の愁眉(しうび)をひらきぬ其後(のち)此(この)鏡故(ゆへ)ありて大内(をゝち)の家に賜りしが義隆戰死の後ハその所在をしらずとぞいひつたへ侍(はんべ)る

   *

参考底本の解説でも述べられているが、小泉八雲は典拠の展開順序を少し入れ替えた上、細部に手を加えて整合性を出している。最初に発生する不審な井戸での溺死者を「隣家の婢」から「近所の下男」と変更しているのは、誘惑する「彌生」が女(形)であるから、八雲の処理の方が腑に落ち、彌生の最初の訪問も原話は嵐の晴れた中であるが、八雲は嵐の中に設定しており、これは彌生の話の毒龍移動の最中を思わせてしっくりくる。また、エンディングも原話が大陥没による崩落で家が倒壊するところを、龍との絡みを駄目押しに考えたものであろう、激しい大暴風の洪水で完膚までに流されてしまうという泉鏡花好みのカタストロフ処理を施しているのも小気味よい。

 

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